良寛 りょうかん 宝暦八〜天保二(1758-1831)号:大愚

俗名は山本栄蔵(のち文孝に改名)。越後国三島郡出雲崎の旧家橘屋の長男として生まれる。父は名主兼神官を勤め、俳人でもあった山本泰雄(通称次郎左衛門、俳号以南)。母は佐渡出身で、同族山本庄兵衛の娘、秀子。弟の由之は桂園派に属する歌人。
幼少時より読書に耽り、家の蔵書を渉猟したという。明和五年(1768)、儒者大森子陽の狭川塾に入り、漢学を学ぶ。その後名主見習となるが、安永四年(1775)、十八歳の時、隣町尼瀬の曹洞宗光照寺に入り、禅を学ぶ。同八年(二十二歳)、光照寺に立ち寄った備中国玉島曹洞宗円通寺の大忍国仙和尚に随って玉島に赴く。剃髪して良寛大愚と名のったのはこの頃のことかという(出家を十八歳の時とする説もある)。以後円通寺で修行し、寛政二年(1790)、三十三歳の時、国仙和尚より印可の偈を受ける。翌年国仙は入寂し、良寛は諸国行脚の旅に出る。同七年、父以南は京都桂川に投身自殺。京都で法要の列に加わった良寛は、その足で越後国に帰郷し、出雲崎を中心に乞食生活を続けた。
文化三年(1804)、四十七歳の頃、国上山(くがみやま)にある真言宗国上寺(こくじょうじ)の五合庵に定住。近隣の村里で托鉢を続けながら、時に村童たちと遊び、或いは詩歌の制作に耽り、弟の由之や民間の学者阿部定珍(さだよし)らと雅交を楽しんだ。またこの頃万葉集に親近したという。文化十三年(1816)五十九歳の頃までに、五合庵より国上山麓の乙子神社境内の草庵に移る。文化十四年(1817)、江戸にのぼり、さらに東北各地を巡遊。文政九年(1826)、自活に支障を来たし、三島郡島崎村の能登屋木村元右衛門方に身を寄せ、屋敷内の庵室に移る。同年、貞心尼(当時二十九歳)の訪問を受け、以後愛弟子とする。天保元年(1830)秋、疫痢に罹り、翌年一月六日、円寂。七十四歳(七十五歳説もある)。
自撰自筆の歌稿『布留散東(ふるさと)』がある。また良寛没後、貞心尼の編んだ歌集『はちすの露』がある。漢詩・書にもすぐれた。
関連サイト:良寛歌集(バージニア大・ピッツバーグ大)

『布留散東』 日本古典文学大系93「近世和歌集」
『はちすの露』 『貞心と千代と蓮月』(相馬御風著 春秋社版)・日本古典文学大系93「近世和歌集」(抄出)・新編国歌大観9
『新釈 良寛和尚歌集』相馬御風(紅玉堂 新釈和歌叢書5)
「良寛歌集」山崎麓(校註国歌大系17)
『校註良寛歌集』大島花束(岩波書店)
『良寛歌集』吉野秀雄(東洋文庫)
『良寛歌集』東郷豊治(創元社)
『良寛 歌と生涯』吉野秀雄(ちくま学芸文庫)
「良寛和歌集私鈔」斎藤茂吉(斎藤茂吉選集15)
「良寛和尚の歌」斎藤茂吉(斎藤茂吉選集15)

テキストは主として吉野秀雄校註『良寛歌集』(平凡社東洋文庫。以下「吉野版良寛歌集」と略称)に拠り、上記の文献を参考とした。自筆歌稿『布留散東』所載歌は末尾に〔布留散東〕、貞心尼編『はちすの露』所載歌は同じく〔はちすの露〕を付した。歌の排列も吉野版良寛歌集に拠るところが大きいが、なるべく主題別にまとめるように工夫した。
なお、【参考歌】に引用した万葉集の歌は、すべて加藤千蔭『万葉集略解』の訓読に従った。良寛はこの著によって万葉集を熟読玩味したと思われるからである。

  16首  6首  8首  9首 哀傷 3首 相聞 7首  33首 計82首

 

鶯の声を聞きつるあしたより春の心になりにけるかも

【通釈】暦の上で年が明けても、私の心は春という気がしなかったけれども、鶯の声を聞いた朝から、春の心になったのであるよ。

【参考歌】志貴皇子「万葉集」巻八
いはばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
  素性「拾遺集」
あらたまの年たちかへるあしたより待たるるものは鶯のこゑ

【鑑賞】「これは一寸読んだだけでは平凡で何の妙味もないやうに思はれるかも知れぬが、よく誦み味ひ、繰り返し誦み味はつて見ると、不思議な魅力を感じさせられる。純情の力である。しらべの力である。(中略)すなほに一気に詠んでゐながら、筋張ったところがない。ゆらゆらとしたのどかな心の律動が糸の如くゆらいでゐる。単純素朴もここまで来なくては本物でない」(相馬御風『新釈 良寛和尚歌集』)。

春の歌とて定珍と同じくよめる

あしびきのこの山里の夕月夜(ゆふづくよ)ほのかに見るは梅の花かも

【通釈】月の出ているこの山里の夕方、いま私がほのかに見ているのは梅の花なのだな。

【語釈】◇定珍 友人の学者、阿部定珍(さだよし)。良寛としばしば歌を詠み交わした。◇あしびきの 「山」の枕詞。万葉集の頃は「あしひきの」と清音であったが、後世濁って読むようになった。吉野秀雄校註『良寛歌集』は全て清音としているが、本テキストは良寛当時の発音に従い濁音とした。

【補記】詞書は相馬御風の『新釈 良寛和尚歌集』に拠る。下句は堂上歌人なら「ほのかに見ゆる梅の花かな」とするところ。「受動的に云はないで『ほのかに見るは』と発動的に捉へて、更に『梅の花かも』と軽く投げ出してゐるところにたまらない妙味がある」(御風前掲書)。なお、良寛にはこれによく似た歌「あしびきの片山かげの夕月夜ほのかに見ゆる山梨の花」というのもある。

 

雪の夜にねざめて聞けば雁がねも(あま)つみ空をなづみつつゆく

【通釈】雪の夜に目が覚めて、寝付かれぬまま、雁の声に耳を澄ませると、雁もまた雪の降る天空を苦しみながら飛んでゆくのだ。

【補記】北方へ帰ってゆく雁の声を聞いての感慨。温暖な土地であれば帰雁は花の季節と重なるが、越の国ではなお雪の降る時候である。雪の中の雁を詠んだ良寛の歌では「ひさかたの雲居をわたる雁がねも羽しろたへに雪や降るらむ」も忘れ難い一首。

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」「拾遺集」「和漢朗詠集」
夜をさむみ寝ざめてきけば鴛鴦(をし)ぞなく払ひもあへず霜やおくらむ

 

ちんばそに酒に山葵(わさび)に給はるは春はさびしくあらせじとなり

【通釈】ホンダワラに、酒に、山葵にと、下さったのは、春は寂しい思いをさせまいとの心遣いなのだ。

【語釈】◇ちんばそ 神馬藻(じんばそう)の訛りという。ホンダワラのこと。山葵と共に酒の肴。

【補記】正月に酒などをくれた阿部定珍に贈った歌。

【鑑賞】「『ちんばそ』という土俗語の初句がいい味わいだし、『酒に山葵に』と重なっても少しも煩瑣でないし、殊に下句の、相手を主格とした、――その主格は表面に出ていないが、――使役法の言い廻しが非凡で、贈り主に対する感謝と喜悦の念が遺憾なく現れている」(吉野秀雄『良寛 歌と生涯』)。

 

百鳥(ももどり)木伝(こづた)ひて鳴く今日しもぞ更にや飲まむ一つきの酒

【通釈】春のさまざまな鳥が枝から枝へ伝いながら鳴く今日、こんな愉しい日なのだから、さらにもう一杯の酒を飲もう。

【語釈】◇百鳥 さまざまな種類の鳥。

【補記】阿部定珍の歌「さすたけの君がいほりに来てみれば春ものどかに百鳥のなく」への返し。

 

草の(いほ)に足さしのべて小山田(をやまだ)の山田のかはづ聞くがたのしさ

【通釈】粗末な庵で足を伸ばして、山の田で鳴く蛙の声を聞くことの楽しさよ。

【鑑賞】「『小山田の山田の』と準枕詞を使つて調子をとりながら、決して浮薄でない。『聞くがたのしさ』も、熟しきつて流れようとするところを危くひきとどめたうまみを保つてゐる」(吉野版良寛集)。

 

むらぎもの心楽しも春の日に鳥のむらがり遊ぶを見れば

【通釈】心楽しいことよ。春の日に、鳥が群れをなして遊ぶのを見ていると。

【語釈】◇むらぎもの 「心」にかかる枕詞。

【補記】良寛にはよく似た歌「むらぎもの心はなぎぬ永き日にこれのみ園の林を見れば」もあり、論者によっては掲出歌と共に良寛の代表作にこれを挙げている。

【参考歌】大伴家持「万葉集」巻十九
うらうらに照れる春日に雲雀あがり心悲しもひとりし思へば

【鑑賞】「平淡極まる歌であるが、滋味豊かにして、心隈なく行きわたり、先づ以て良寛の至上境だと申すことの出来る歌であらう」(斎藤茂吉「良寛和尚の歌」)。
「良寛調の特色をほぼ代表する作といへるが、歌は事柄を単純に叙述するものでなく心情を高らかに調べるものであることを知る者にとつては、同時にこの単純さが容易ならぬ単純さであり、これ以上を抒べる必要はなく、否これ以上を抒べてはならぬ道理をも会得するに難くあるまい」(吉野版良寛集)。

手毬をよめる

冬ごもり 春さりくれば (いひ)乞ふと 草のいほりを 立ち出でて 里にい()けば たまほこの 道のちまたに 子どもらが 今を春べと 手まりつく 一二三四五六七(ひふみよいむな) ()がつけば ()はうたひ あがつけば なはうたひ つきて歌ひて 霞立つ 長き春日(はるひ)を 暮らしつるかも

かへしうた

霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ

【通釈】[長歌] 春になり暖くなったので、食物の施しを乞うとて、草庵を出て、里に行くと、道の辻で、子供たちが、今は春だというばかりに、手鞠をついて遊んでいる。「一二三四五六七(ひふみよいむな)」と、おまえたちが鞠をつけば、私は歌を歌い、私がつけば、おまえたちは歌い、ついては歌って、霞の立つ春の長い一日を、日が暮れるまで過ごしてしまった。
[反歌] 霞の立つ春の長い一日を、子供たちと手鞠をつきながら今日も過ごしてしまった。

【補記】反歌は『布留散東』にも所載。良寛に類想の歌は少なくなく、「霞立つ永き春日に子供らと手毬つきつつこの日暮らしつ」など。

【参考歌】王仁「古今仮名序」ほか(第四句を「今をはるべと」とする本もある)。
難波津にさくやこの花冬ごもり今は春べとさくやこの花

【主な派生歌】
子供等と鞠つき遊びたはむれし良寛思(も)へばわれは寂しゑ(吉井勇)

地蔵堂といふ地にゆきて

この里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし〔布留散東〕

【通釈】この里で、手毬をつきながら、子供らと遊ぶ春の日――この一日はいつまでも暮れなくてよい。

【語釈】◇地蔵堂 新潟県西蒲原郡分水町。

【補記】詞書は吉野版良寛集より。もとは飯塚久利著『橘物語』に見える詞書で、『布留散東』に詞書は無い。

【参考歌】高丘河内「万葉集」巻六
我が背子と二人し居れば山高み里には月は照らずともよし

鉢の子

鉢の子は ()しきものかも 幾年(いくとし)か わが持てりしを 今日道に 置きてし来れば 立つらくの たづきも知らず 居るらくの すべをも知らに かりこもの 思ひみだれて ゆふづつの かゆきかくゆき とめゆけば ここにありとて わがもとに 人はもて来ぬ うれしくも 持て来るものか その鉢の子を

かへしうた

春の野に菫つみつつ鉢の子を忘れてぞ()しあはれ鉢の子

【通釈】[長歌] 鉢の子は可愛いものであるよ。何年も私が持っていたのを、今日道に置き忘れて来たので、立っていてもどうしてよいやら、座っていてもどうしてよいやら、思い乱れるばかりで、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、鉢の子を探してゆくと、ここにあると言って、私のもとに人が持って来てくれた。嬉しくも持って来てくれたものよ。その鉢の子を。
[反歌] 春の野ですみれを摘んでいるうちに、鉢の子を忘れて来てしまった。可哀そうな鉢の子よ。

【語釈】◇鉢の子 托鉢に持ち歩く鉢。良寛の持っていたのは木製の漆をかけたもので、今も残っているという。◇かりこもの 「思ひ乱れ」の枕詞◇ゆふづつの 「かゆきかくゆき」の枕詞

【補記】反歌で何故鉢の子を忘れてきたのか、その理由が明かされる。この反歌には類想歌が少なくなく、『布留散東』には旋頭歌「鉢の子をわが忘るれどもとる人はなしとる人はなし鉢の子あはれ」。

【主な派生歌】
鉢の子と鞠といづれぞ陽にあてて鞠はすみれの花の香のする(北原白秋)

 

鉢の子に菫たんぽぽこきまぜて三世(みよ)の仏にたてまつりてむ

【通釈】鉢の子に菫とたんぽぽを混ぜ合わせて、三世(過去・現在・未来)の諸仏にさしあげましょう。

【参考歌】遍昭「後撰集」
折りつればたぶさに汚るたてながら三世の仏に花たてまつる
 道元「傘松道詠」
この心天津空にも花そなふ三世の仏に奉らばや

 

かぐはしき桜の花の空に散る春のゆふべは暮れずもあらなむ〔はちすの露〕

【通釈】香しい桜の花が空に散り舞う春の夕方は、暮れずにあってほしい。

【参考歌】作者不詳「万葉集」巻十
春の野に心やらむと思ふどち来たりしけふは暮れずもあらぬか
 山部赤人「赤人集」
春の野に心のべむと思ふどち来しけふの日は暮れずもあらなむ
 柿本人麿「玉葉集」
春の野に心やらむと思ふどち出で来しけふは暮れずもあらなむ

 

あしびきの青山越えてわが来れば雉子(きぎす)鳴くなりその山もとに

【通釈】青々と木々が繁る山を越えて私がやって来ると、その山の麓で雉が鳴いているよ。

【鑑賞】「一首はきはめて新鮮であつて、軽浮にながれず、良寛一流にゆたかでのどかである」(茂吉「私鈔」)。

 

山住みのあはれを誰に語らましあかざ()に入れかへるゆふぐれ

【通釈】山住いの趣深さを誰に語ればよいのだろうか。あかざを籠に入れて帰る、こんな夕暮――。

【語釈】◇あかざ アカザ科の一年草。春の芽・若葉は食用となり、吸い物の具などにした。薬用植物でもある。

【補記】良く似た歌「行く秋のあはれを誰に語らましあかざ籠に満てかへる夕暮」「老いが身のあはれを誰に語らまし杖を忘れて帰る夕暮」も良寛の作として伝わっている。

【参考歌】藤原季経「夫木和歌抄」
夕暮のあはれを誰にかたらまし人もとひこぬ山のすみかを

 

相連れて旅かしつらむほととぎす合歓の散るまで声のせざるは

合歓の花
合歓の花

【通釈】皆いっしょに連れ立って旅に出てしまったのだろうか。ほととぎすは、合歓(ねむ)の花が散るまで声がしないのは。

【語釈】◇合歓(ねむ) 初夏、細い糸を集めたような淡紅色の花が咲く。

【補記】ほととぎすは初夏から鳴き始め、ふつう仲夏すなわち梅雨の頃に最も盛んに鳴く。合歓の花も同じ頃に盛りを迎えるが、その花が散るまで鳴き声を聞かないというのである。

 

あしびきの国上(くがみ)の山を今もかも鳴きて越ゆらむ山ほととぎす

【通釈】国上の山をまさに今鳴いて越えてゆくのだろう、山ほととぎすよ。

【語釈】◇国上山(くがみやま) 越後国西蒲原郡、弥彦山塊の一峰。標高313メートル。中腹に越後最古の名刹国上寺があり、万元和尚が晩年を過ごした五合庵があった。良寛は万元を慕って四十代後半からこの庵に住んだ。

【参考歌】大伴坂上郎女「万葉集」巻八
今もかも大城の山にほととぎす鳴きとよむらむ我なけれども

 

国上山松風すずし越え来れば山ほととぎすをちこちに鳴く

【通釈】国上山の松風が涼しい。山を越えてくると、ほととぎすが遠くでも近くでもしきりと鳴いている。

 

さ苗ひくをとめを見ればいそのかみ古りにし御代の思ほゆるかも

【通釈】早苗を引き抜く娘子たちを見ていると、遠くなってしまった御代が偲ばれるのだ。

【語釈】◇さ苗ひく 田へ移し植えるために、若苗を苗代から引き抜く。◇いそのかみ 古り・古るにかかる枕詞。

 

あしびきの山田の(をぢ)がひねもすにいゆきかへらひ水運ぶ見ゆ

【通釈】山の田ではたらく老爺が、一日中、行ったり来たりして水を運んでいるのが見える。

【語釈】◇いゆきかへらひ 行き来を繰り返し。

【補記】第五句、「松はこぶ見ゆ」とする本もある。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻七
若狭にある三方の海の浜清みいゆきかへらひ見れど飽かぬかも

【鑑賞】「調が古拙でどつしりとしてゐて、艷ぽく無いところに妙味がある」(茂吉「私鈔」)。茂吉の選鈔した歌は結句が「松はこぶ見ゆ」となっていて、茂吉は「『松はこぶ』といふ写生の句が面白いゆゑ此儘にして置く」とことわっている。

 

ひさかたの雨の晴れ間にいでて見れば青みわたりぬ四方の山々

【通釈】五月雨に降り籠められて過ごしていたが、久しぶりの雨の晴れ間に庵の外に出て見ると、四方の山々は見渡す限り青々となっていた。

【語釈】◇ひさかたの 雨の枕詞◇青みわたりぬ 一面に青くなった。新緑を言う。「青みわたり」は和歌にはあまり使われなかった語。用例「三笠山さしても見えず夏なればいづくともなく青みわたれり」(曾禰好忠「曾丹集」)。

【補記】良寛作の類想歌に「五月雨の晴れ間に出でて眺むれば青田涼しく風わたるなり」(結句は「なりにけるかも」の異文あり)がある。

【鑑賞】「この歌は『青みわたりぬ』で緊まつた。良寛の歌は総じてすらすらと行つてゐるから、平凡過ぎるやうに思ふかも知れないが決してさうではない」(茂吉「私鈔」)。

ふみ月十五日の夜よみたまひしとぞ

風は清し月はさやけしいざともに踊り明かさむ老のなごりに〔はちすの露〕

【通釈】風は清らかである。月はさやかである。さあ、一緒に踊り明かそう。老いの思い出に。

【補記】盂蘭盆の夜に詠んだ歌。すなわちこの「踊り」は盆踊り。

【参考歌】大伴四綱「万葉集」巻四
月夜よし川の音清けしいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ

 

ひさかたの 月の光の きよければ 照らしぬきけり (から)も大和も 昔も今も うそもまことも〔はちすの露〕

【通釈】月の光が清らかなので、唐と大和も、昔も今も、嘘も真も、その光でさし貫いてしまった。

【語釈】◇ひさかたの 月、日、光などにかかる枕詞。◇照らしぬきけり 射し貫いた。遍く澄明な光で照らされることにより、相反する事物が一貫するものとなった。

【補記】五・七・五・七・七・七・七の七句雑体歌。仏足石歌体にさらに七音の句が付いた形とも言える。

 

月よみの光を待ちてかへりませ山路は栗のいがの多きに

【通釈】月の光を待って帰りなさい。山道は栗の毬(いが)がたくさん落ちているので。

【語釈】◇月よみ 月の神、月読命から月のことをこう呼んだ。上代はツクヨミと発音した。

【補記】五合庵を訪れた阿部定珍が帰ろうとする時に詠んだ歌。良寛の代表作の一つとして評価が高い。結句は「いがのおつれば」「いがのしげきに」などの異文も伝わる。『はちすの露』にも小異歌が見える。

【参考歌】湯原王「万葉集」巻四
月読の光に来ませ足引の山を隔てて遠からなくに
 粟田女王「万葉集」巻十八
月待ちて家にはゆかむ我が挿せるあから橘影に見えつつ

【鑑賞】「何とも云へないやさしい心の歌である。…堪へられない程よい心の歌である」(茂吉「私鈔」)。「良寛和尚一代のすぐれた歌の一つではなからうか」(茂吉「良寛和尚の歌」)。

 

夕霧にをちの里べはうづもれぬ杉立つ宿にかへるさの道

【通釈】夕霧で彼方の里のあたりは埋もれ、見えなくなってしまった。杉林に囲まれた家に帰る途中の道で。

【語釈】◇杉立つ宿 杉林に囲まれた宿。古今集に「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」がある。

 

秋もややうらさびしくぞなりにける小笹(をざさ)に雨のそそぐを聞けば

【通釈】秋も深まり、かなり寂しげになってしまった。笹の葉に雨がそそぐ音を聞くと。

【補記】『はちすの露』に類想歌が見える。上句は同じで、下句は「小ざさにしげき雨の音(と)きけば」。

 

秋の雨の晴れまに出でて子どもらと山路たどれば()のすそ濡れぬ

【通釈】秋の雨の晴れ間に出かけて、子供らと山道を辿っていると、裳の裾が濡れてしまった。

【鑑賞】「この歌も淡々としてゐるが、実に楽しい歌である。『霞立つ天の河原に君待つといゆきかへるに裳の裾ぬれぬ』(万葉巻八、一五二七)、『君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪解の水に裳の裾ぬれぬ』(巻十、一八三九)等の結句を応用してゐるが、『子供らと山路たどれば』につづけたので、新しくなつた」(茂吉「良寛和尚の歌」)。

 

秋の日の光りかがやく薄の穂これの高屋にのぼりてみれば

【通釈】秋の日の光に輝く薄の穂よ。この高殿に昇ってみると。

【鑑賞】「第三句までは如何にも単純で直接で印象的表現法である。そして第三句で一寸切れたものである。それから第四句第五句でどんな大袈裟な事を言ふかと思へば単に、ここの高屋にのぼりて見れば、といふのである。この辻褄の合はない様な子供らしい言ひ振りが此の歌を偉大ならしめた所以である」(茂吉「私鈔」)。

 

秋山をわが越えくればたまほこの道も照るまでもみぢしにけり〔布留散東〕

【通釈】秋の山を越えて来ると、道も輝くばかりに木々が紅葉していたのだった。

【語釈】◇たまほこの 「道」にかかる枕詞。

【鑑賞】「表はし方は実に洗練されたものである。第三句の『玉ぼこの』なども決して無意味では無く、『路も輝るまで』は此歌の場合決して動かすべからざる尊い句である」(茂吉「私鈔」)。

やまたづ

やまたづの向ひの岡にさを鹿立てり かみな月しぐれの雨に濡れつつ立てり〔布留散東〕

【通釈】向かいの岡に牡鹿が立っている。神無月の時雨の雨に濡れながら立っている。

【語釈】◇やまたづの 「むかひ」に懸かる枕詞。ヤマタヅはニワトコの古名。

【補記】五七七、五七七の旋頭歌。類想の歌は多く、「岩室の田中に立てる一つ松の木 今朝見れば時雨の雨に濡れつつ立てり」もすぐれている。

 

水や汲まむ(たきぎ)()らむ菜や摘まむ朝の時雨の降らぬその間に

【通釈】水を汲もうか。薪を伐ろうか。菜を摘もうか。朝の時雨がやんでいる、そのうちに。

 

(いひ)乞ふと里にも出でずこの頃はしぐれの雨の間なくし降れば

【通釈】食べ物の施しを乞おうと里に出ることもない。この頃は時雨の雨がしきりと降るので。

【補記】下句は万葉集8-1553、10-2196に用例がある。

 

日は暮れて浜辺をゆけば千鳥啼くどうとは知らず心細さよ

【通釈】日は暮れて、浜辺を歩いてゆくと、千鳥が鳴く。どうともはっきりしないけれども心細く感じることよ。

【補記】「どうとは知らず」は当時の口語的表現。

ひさしくやまふにふして

うづみ火に足さしくべて臥せれどもこよひの寒さ腹にとほりぬ

【通釈】炭火に足を差し伸べ、あぶるようにして寝ているけれども、今夜の寒さは腹にまで浸み透った。

【語釈】◇やまふ 病い。

【補記】「腹にとほる」という言い回しは当時の口語であろう。

 

夜もすがら草のいほりにわれ居れば杉の葉しぬぎ(あられ)降るなり

【通釈】一晩中、草庵にいると、杉の葉を押し分けて霰の降る音が聞こえる。

【語釈】◇杉の葉しぬぎ霰降る 杉の葉に霰が叩きつけながら、葉の間を押し分けるようにして落ちてゆく様をいう。シヌギはシノギに同じ(当時の万葉訓読法に拠ってノをヌとしている)。用例「奥山の菅の葉しぬぎ降る雪の消なば惜しけむ雨な降りこそ」大納言大伴卿3-299。

国上にてよめる

きて見ればわが古里は荒れにけり庭もまがきも落葉のみして〔布留散東〕

【通釈】来て見れば、私が昔住んでいた庵はすっかり荒れてしまった。庭も垣根も落葉にすっかり覆われて。

【補記】四十代半ばから五十代にかけて、良寛は十数年間を国上山(くがみやま)の五合庵に過ごした。そこに後年再訪しての作であろう。

【参考歌】遍昭「古今集」
里はあれて人はふりにし宿なれや庭もまがきも秋の野らなる
 藤原公実「堀河百首」「徒然草」
むかし見し妹が垣根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして

 

いにしへを思へば夢かうつつかも夜はしぐれの雨を聞きつつ〔布留散東〕

【通釈】自分の過去を振り返れば、夢なのか現実なのか判らなくなる。ことに夜などこうして時雨の雨を聞きながら、追憶に耽っていると――。

【参考歌】平貞行「新続古今集」
いにしへをおもへば身さへふりにけり窓うつ雨の夜半のね覚に

【鑑賞】「『夢かうつつか』はきまり文句でやや平俗のようだが、『夜はしぐれの』に打開の力があり、『雨を聴きつつ』に環境と情懐のものしずかな融合が出ている。良寛調を示す代表的な一首である」(吉野『良寛 歌と生涯』)。

あすは春といふ夜

なにとなく心さやぎていねられずあしたは春のはじめとおもへば

【通釈】何となく心が騒いで寝られない。翌朝は春の初めだと思うと。

【補記】定珍宛と推定される手紙に見える歌。「越後の冬の永さ陰鬱さを土台にしてみる時、この歌は一層の妙趣を覚えさせる」(吉野版良寛集)。

哀傷

ひたしおやに代りて

かいなでて負ひてひたして()ふふめて今日は枯野におくるなりけり

【通釈】愛撫して、背に負ぶって、乳を含ませて、養い育てた挙句、今日は枯野に葬送するのであるとは。

【語釈】◇ひたして 「ひたす(ひだす)」は養い育てる意。「乳ふふめて、ひたして」とあるべきところ、音数の都合から語順が逆になっている。

【補記】末の子を失った友人山田杜皐(とこう)に送った手紙に見える歌。詞書の「ひたしおや」は養い親。

こぞは疱瘡にて子供さはに失せにたりけり。世の中の親の心にかはりてよめる

人の子の遊ぶを見ればにはたづみ流るる涙とどめかねつも

【通釈】子供等の遊ぶのを見ていると、涙が溢れるように流れ出て、とめることができなかった。

【語釈】◇にはたづみ 急に降りだす雨のことであるが、ここでは「流る」の枕詞として用いている。

【参考歌】皇子尊宮舎人等慟傷作歌「万葉集」巻二
御立たしし島を見る時にはたづみ流るる涙止めぞかねつる
 作者未詳「梁塵秘抄」
遊びをせむとや 生れけむ 戯れせむとや 生れけむ 遊ぶ子供の 声聞けば 我が身さへこそ ゆるがるれ

都良子が死にけりと人のいひければ

秋のゆふべ虫の音ききに僧ひとり遠方(をちかた)里は霧にうづまる

【通釈】秋の夕方、虫の音を聞きに来た僧がひとり――遠くの里は霧に埋まっている。

【語釈】◇都良子 三島郡与板の俳人中川都良。

【補記】友人の死に際して詠んだ七首の最後に置かれた歌。異文に「秋のゆふ虫音を聞きに僧ひとりおほ方里は霧にうづまる」。

相聞

師常に手毬をもてあそびたまふとききて 貞心

これぞこの仏の道に遊びつつつくやつきせぬ御のりなるらむ

【通釈】あなた様は手鞠を常に「つく」ことで、仏の道に遊びながら、「尽き」ることのない永遠の御法を示されているのでしょう。

御かへし

つきてみよひふみよいむなやここのとを十とをさめてまた始まるを〔はちすの露〕

【通釈】あなたもついてみよ。一から十まで数えて、十で終わって、また始まる鞠つきを。

【補記】貞心・良寛が交わした最初の贈答歌。鞠を「つく」ことに寄せて「あなたは永遠に尽きない御法を示しておられるのでしょう」と貞心尼が言って来たのに対し、鞠を繰り返しつくことに掛けて仏法の際限ないことを示し、良寛は貞心尼の問いを肯定したのであろう。この贈答は「はじめてあひ見奉りて」と詞書した歌より前にあり、この時貞心尼はまだ良寛に会ったことがなかった。貞心尼が三島郡島崎の良寛の庵を初めて訪ねたのは文政九年(1826)と言われる。この時貞心は二十九歳、良寛は六十九歳。二人の情愛こまやかな贈答歌群は貞心尼が編んだ『はちすの露』に残されている。

春のはじめつかた、消息(せうそこ)たてまつるとて 貞心尼

おのづから冬の日かずの暮れゆけば待つともなきに春は来にけり

【通釈】おのずと冬の日数も経つうちに、待つわけでもないのに春がやって来ました。

御かへし

(あめ)が下にみつる玉より黄金(こがね)より春のはじめの君がおとづれ〔はちすの露〕

【通釈】地上に満ちるほどたくさんの宝玉より、黄金より、春の初めにあなたのくれる手紙が嬉しく、訪問してくれることが嬉しいのだ。

【語釈】◇福島 越後国古志郡。◇おとづれ 便りと訪問の意を兼ねる。

【補記】貞心尼の年賀の歌(三首あるが、ここでは最初の一首のみ掲げた)に返した歌。

或夏の頃まうでけるに、いづちへか出で給ひけむ見え給はず、ただ花がめに(はちす)のさしたるがいと匂ひて有りければ 貞心

来て見れば人こそ見えね(いほ)()りてにほふ蓮の花のたふとさ

【通釈】来て見ると、人は見えないけれど、庵の留守をまもって咲き匂っている蓮の花のすがたの尊いことよ。

御かへし

みあへするものこそなけれ小瓶(をがめ)なる(はちす)の花を見つつしのはせ〔はちすの露〕

【通釈】おもてなしするようなご馳走もないけれど、瓶にさした蓮の花を見ながら、私のことを偲んで下さい。

【語釈】◇みあへ おもてなし。饗応。◇見つつしのはせ 見ながら私のことを偲んでください。万葉集4-587、14-3515に用例がある。

【補記】或る年の夏、貞心尼が良寛の庵を訪ねると、庵主はどこかへ出掛けていて、ただ花瓶に蓮の花が挿してあった。そこで貞心尼は蓮の花を「庵守り」と見なして歌を詠んだ。それへの返し。

あくる日はとくとひ来給ひければ 貞心

歌や詠まむ手毬やつかむ野にや出でむ君がまにまになして遊ばむ

【通釈】歌を詠みましょうか。手毬をつきましょうか。野原に出ましょうか。あなたのお心のままに遊びましょう。

御かへし

歌もよまむ手毬もつかむ野にも出む心ひとつを定めかねつも〔はちすの露〕

【通釈】歌も詠みたい。手鞠もつきたい。野にも出たい。あなたとの遊びなら、どれも楽しいので、心を一つに決めかねてしまったよ。

【補記】貞心尼の歌の詞書に「あくる日」とあるのは、与板の里(良寛の父の生家があり、多くの親戚や友人が住んでいた)で貞心尼と良寛が逢って物語し、歌を詠み合った、その翌日ということ。

【鑑賞】「上句は貞心尼の歌の上句を受け継いだだけだが、下句に自在な感じがあり、歓喜の情が横溢している。ほんの即興の歌ながら、やはり力量が出ているといえよう」(吉野秀雄『良寛 歌と生涯』)。

そののちはとかく御ここちさはやぎ給はず、冬になりてはただ御庵にのみこもらせ給ひて、人に対面(たいめ)もむつかしとて、うちより戸さしかためてものし給へるよし人の語りければ、せうそこ奉るとて 貞心

そのままになほたへしのべ今更にしばしの夢をいとふなよ君

【通釈】そのままでなお耐え忍んで下さい。今更、しばしの夢だなどと、この世を厭わないで下さいね、お師匠様。

と申しつかはしければ、其後、給はりけることばはなくて

あづさゆみ春になりなば草の(いほ)をとく出て来ませ逢ひたきものを〔はちすの露〕

【通釈】春になったなら、草庵をはやく出て、ここへ来て下さい。逢いたいのだから。

【語釈】◇あづさゆみ 「春」にかかる枕詞。◇とく出て来ませ 「とく訪ひてまし」とする本もある。

【補記】秋にはきっと逢おうとの約束も果たせぬまま、良寛の病は癒えず、冬になると庵に閉じ籠るばかりだった。貞心尼が「ご辛抱下さい」との歌を贈ると、手紙に文章はなくて、ただ歌を書き付けて返事とした。

【鑑賞】「『逢ひたきものを』といふ結句は古今独歩である。…此歌の結句ほど利いてゐる、換言すれば一首に響きわたる結句は甚だ希有である事を発見してゐるゆゑに、此歌を誦する毎に此結句を涙を流して恭敬するのである。」(茂吉「私鈔」)
「『あひたき』はくだけていて、柔らかくほの温い語気を帯びているが、これが平俗に流れ去ろうとするところを『ものを』の古調がくい止めているのだ。これまでに良寛調が万葉集と古今集以下との中間を縫うものであることをしばしばいったのも、同じ事実の指摘にほかならない」(吉野秀雄『良寛 歌と生涯』)。

 

あしびきの山の椎柴折り()きて君と語らむ大和言の葉〔はちすの露〕

【通釈】山の椎の小枝を折り焚いて、炉辺であなたと和歌について語ろう。

【語釈】◇大和言の葉 和歌。

【補記】『はちすの露』に詞書無しで録された歌。貞心尼に贈った歌であろう。

かくてしはすの末つ方、俄に重らせ給ふよし人のもとより知らせたりければ、うち驚きて急ぎまうで見奉るに、さのみ悩ましき御けしきにもあらず、床の上に座しゐたまへるが、おのが参りしをうれしとやおもほしけむ

いついつと待ちにし人は来りけり今はあひ見てなにかおもはむ〔はちすの露〕

【通釈】いつ来るかいつ来るかと待っていた人はやって来た。今は対面して何を思うことがあろう。

【補記】天保元年(1830)十二月末、良寛が急病(疫痢)に罹ったとの報せを受けた貞心尼が良寛のもとに駆けつけた時の歌。もう一首は「武蔵野の草葉の露のながらひてながらひ果つる身にしあらねば」。これらの歌を詠んで間もなく良寛は息をひきとった。

高野のみ寺にやどりて

紀の国の高野のおくの古寺に杉のしづくを聞きあかしつつ〔布留散東〕

【通釈】紀の国の高野山の奧の古寺で、杉の木から滴り落ちる雫の音を聞きながら夜を明かしている。

【語釈】「帰郷の前、高野山金剛峰寺に登って亡父の菩提を弔った時の作かといわれている」(吉野『良寛 歌と生涯』)。良寛三十八歳頃の作。

出雲崎にて (二首)

たらちねの母がかたみと朝夕に佐渡の島べをうち見つるかも

【通釈】母を思い出すよすがであると、朝に夕に、佐渡の島をふと眺める のだった。

【語釈】◇出雲崎 新潟県三島郡。良寛の出生地。◇たらちねの 「母」にかかる枕詞。◇うち見つるかも 「つい見てしまうのだ」程の意。万葉集8-1645に用例がある。「我が宿の冬木の上に降る雪を梅の花かとうち見つるかも」。

【補記】第二句「母がみ国と」とする本もある。次の一首と共に、弟の由之に書き贈った歌。佐渡は良寛の母の出身地。良寛の母秀子は天明三年(1783)、四十九歳で死去。この時良寛は二十六歳、備中玉島修行中の身であった。

 

いにしへにかはらぬものは有磯海(ありそみ)とむかひに見ゆる佐渡の島なり

【通釈】昔から変わらないものは、有磯海と、正面に見える佐渡の島である。

【語釈】◇いにしへにかはらぬものは 「百敷にかはらぬものは梅の花折りてかざせるにほひなりけり」(源公忠『新古今集』)、「年ふれどかはらぬ物は鶯の春しりそむる声にぞありける」(藤原定頼『玉葉集』)、「よろづ代にかはらぬものは五月雨のしづくにかをる菖蒲なりけり」(源経信『金葉集』)など、類想の表現は平安和歌に少なくない。◇ありそみ 有磯海。固有名詞であって、「荒磯の海」ではない。ここでは越の海(日本海)のこと。歌枕紀行越中国参照。

 

いざここにわが身は老いむあしびきの国上の山の松の下いほ〔はちすの露〕

【通釈】さあ、ここに住居を定めて、老いてゆく我が余生を過ごそう。国上の山の、松の下の庵で。

【補記】「五合庵に定住しようとする気持であろう」(吉野前掲書)。第五句「森の下陰」とする本もある。『はちすの露』に良く似た歌「いざここにわがよはへなむくかみのや乙子の宮の森の下いほ」がある。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
いざここに我が世はへなん菅原や伏見の里のあれまくもをし

 

里べには笛や太鼓の音すなり深山(みやま)はさはに松の音して

【通釈】里のあたりでは笛や太鼓の音がしている。私の住む山の奧では松を響かせる風の音ばかりがたくさん聞こえて。

【語釈】◇笛や太鼓(たいこ)の音 「盂蘭盆の踊りの囃子であろう」(吉野前掲書)。結句を「松の音しつ」とする本もある。◇さはに松の音して 松の木が多く、幾つもの松籟が響き合うさまであろう。

【補記】五合庵での作。「松の音」に、里からの笛太鼓の音がかすかに混ざっているのである。

【鑑賞】「淡々と言ひ放つてゐて然かも微妙な歌である。『さはに松の音して』此句は甚だ簡潔であつて然かも無量の心を蔵してゐる。」(茂吉「私鈔」)

 

山かげの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも

【通釈】山陰の岩の間をつたい流れる苔清水のように、目立たず、心澄ませて私は住み続けるのであるよ。

【語釈】◇苔水 苔清水。苔の間を伝い流れる清水。◇苔水の 「の」は「のように」といった意味の使い方。上三句は「かすかに」を導く序。◇すみ 山家の暮らしを詠む和歌においては「住み」「澄み」の両義を掛けるのが常套。

【補記】五合庵時代の作。初句を「あしびきの」とする本もある。吉野秀雄は「あしびきの」の方が「単純で快い」とする(『良寛 歌と生涯』)。斎藤茂吉の「良寛和歌集私鈔」では「山かげの」で採っている。

【鑑賞】「此歌は良寛そのものを表現したもので、良寛歌集中の秀歌である」(茂吉「私鈔」)。
「万葉調中の良寛調として完璧に渾熟してゐる」(吉野版良寛集)。

【参考歌】西行「新古今集」
岩間とぢし氷も今朝はとけそめて苔の下水みちもとむらん

 

あしびきの山べにすめばすべをなみ(しきみ)摘みつつこの日暮らしつ

【通釈】山に住んでいるので、ほかに手立てがなくて、しきみを摘みながらこの一日を暮らしてしまった。

【語釈】◇あしびきの 山の枕詞。◇山べ 山。山のあたり。「へ」は漠然と場所を示す。◇樒(しきみ) モクレン科の常緑灌木。葉と樹皮から抹香を作ったり、仏前に供えたりする。春、黄白色の花を開く。実には猛毒がある。

【参考歌】藤原卿「万葉集」巻七
妹がため玉をひりふと紀の国の由良の岬にこの日暮らしつ

いほにきてかへる人見送るとて

山かげの真木(まき)の板屋に雨も降り()ね さすたけの君がしばしと立ちどまるべく〔布留散東〕

【通釈】山陰の杉葺きの家に雨でも降って来ないものか。あなたがもうしばらく出発をとめるように。

【語釈】◇さすたけの 「君」にかかる枕詞。

【補記】この歌は旋頭歌。寛政十三年(1801)八月、江戸の国学者兼歌人大村光枝が良寛の五合庵を訪ね、明くる日出立しようとした時の作。

【参考歌】遍昭「古今集」
山風に桜ふきまきみだれなむ花のまぎれに立ちとまるべく

 

夕顔も糸瓜(へちま)も知らぬ世の中はただ世の中にまかせたらなむ

【通釈】夕顔とへちまの区別もつかない俗世間のことは、我関せず、ただ俗世間にまかせておけばよい。

【語釈】◇まかせたらなむ この「なむ」は希望をあらわす助詞と見るのが文法的には正しいが、しばしば「〜してしまおう」意の複合助詞と混同される。詳しくは和歌のための文語文法を参照されたい。

【補記】夕顔と糸瓜は同じウリ科の植物。夕顔の変種が瓢箪とされる。因みに「へちま」はつまらぬものの譬えともされた。

行燈の前に読書する図に

世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる

【通釈】世間と交際しないというわけではないが、独り気ままに暮らすのが私には合っているのである。

【語釈】◇ひとり遊び 「僧侶としての良寛が、自由にこだはりなく生活してゐる。寂しい孤独の生活をしてゐるのを、『ひとり遊び』と云つたものである」(茂吉「良寛和尚の歌」)。

【補記】行燈の前で読書する自画像に賛した歌。

【鑑賞】「一首の調べは、ゆつたりと運んでゐるが、軽薄にながれず、一種の万葉調(良寛的万葉調)を成して居る」(茂吉前掲書)。

芭蕉翁の賛

みづぐきの筆紙もたぬ身ぞつらき昨日は寺へけふは医者どの

【通釈】筆や紙を持たない身が難儀である。昨日は寺へ行って借り、今日はお医者さんに借りて。

【語釈】◇みづぐきの 万葉集では水城・岡にかかる枕詞として用いられている。ミヅグキは筆を意味する歌語でもあり、ここでは筆にかかる枕詞として使った。◇昨日は寺へ… 寺や医者の家に筆や紙を借りに走る、ということ。第二句「筆をももたぬ」「筆墨もたぬ」とする本もある。

およしさによみておくる (二首)

かしましと(おもて)()せには言ひしかど此の頃見ねばさびしかりけり

【通釈】やかましいと、あなたの面目をつぶすように言ったけれども、この頃顔を見ないので寂しいのだよ。

【語釈】◇およしさ 山田杜皐の家の女中。「さ」は「さん」の方言。◇面伏せには 「相手が恥じ入るやうにであらう」(吉野版良寛集)。

【補記】友人の杜皐の家の女中で親しくしていた「およし」に贈った歌四首より。詞書を「山田家の女中どもを思ひ出して」とする本もある。

【参考歌】持統天皇「万葉集」巻二
いなといへど強ふる志斐のが強ひ語りこの頃きかずてわれ恋ひにけり

 

草叢の蛍とならば宵々に黄金(こがね)の水を(いも)たまうてよ

【通釈】私が草むらの蛍だと言うのなら、宵ごとに黄金の水――お酒をくださいよ。

【語釈】◇蛍 「およしがつけた良寛の綽名。蓋し、こがねの水(酒)を所望するからであらう(蛍の出る時節、或は時節には拘らず日の暮れに山田家を訪ふことが多かつたためかともいふ)」(吉野版良寛集)。◇たまうてよ 給ひてよ。下さいよ。

【補記】およしに贈った歌の三首目。一つ前の歌は「寒くなりぬ今は蛍も光なしこがねの水を誰かたまはむ」、後の歌は「身がやけて夜は蛍とほとれども昼は何ともないとこそすれ」。

しきりに風吹き雨降りたしなみつつ島崎にいたりぬ。人の家づとをこひたりければ

笠はそらに草鞋(わらぢ)はぬげぬ蓑はとぶわが身一つはいへのつととて

【通釈】笠は空に、草鞋は脱げてしまった。蓑は風に飛ばされてしまう。我が身一つだけが家へ持って帰る手土産というわけで。

【語釈】◇いへのつと 家の苞。家への手土産。

【補記】詞書の「島崎」は文政九年(1826)以後、最晩年の良寛の住居があったところ。庇護者であった木村元右衛門方の屋敷に庵室を借りていたのであるが、その家に戻ると、家の人から手土産を所望されたので、返答として詠んだ歌。

 

あまつたふ日はかたぶきぬたまほこの家路は遠しふくろは重し

【通釈】日は西へ沈みかけてしまっている。家までの道のりはなお遠いし、かついでいる頭陀袋は重い。

【語釈】◇あまつたふ 「日」にかかる枕詞。◇ふくろ 托鉢用の頭陀袋。中身が詰まっているから重いのでなく、疲れ果てた身には袋だけでも重すぎるのだろう。◇たまほこの 「道」の枕詞

【参考】良寛 五言詩
昨日出城市 昨日城市に出でて
乞食西又東 食を乞ふ西又東。
力極覚道永 力極(きは)まつて道の永きを覚え
肩痩知嚢重 肩は痩せて嚢(ふくろ)の重きを知る。(後略)

寺泊に飯乞ひて

こき走る 鱈にもわれは 似たるかも あしたには かみにのぼり かげろふの 夕さりくれば 下るなり

【通釈】走り泳ぐ鱈に私は似ていることよ。朝には上流にのぼり、夕方になれば、下流にくだるのである。

【語釈】◇寺泊 新潟県三島郡寺泊町。信濃川河口の港町。スケトウダラの産地。◇飯乞ひて 托鉢をしてということ。◇かげろふの 「夕」の枕詞

【補記】一日中托鉢に奔走する我が身を鱈に喩えている。八句雑体歌。

おのが姿をゑがける画に題す

良寛僧がけさの朝花もてにぐるおんすがた後の世まで残らむ

【通釈】良寛僧が今朝のお供えの花を持って逃げる姿は、絵に描かれて、後の世まで残ることであろう。

【補記】解良家蔵の『良寛奇話』に「上人一日山田の駅某が菊の花を折る。主人見とめて花盗人なりとし、その図を絵にかきて、是に賛をせばゆるさんといふ。上人筆をとりて、本歌」との逸話を載せる(東郷版『良寛歌集』)。「山田の駅某」は良寛の友人山田杜皐のことか。絵は残っていないらしい。

山田杜皐(とかう)老の「初とれの(いわし)のやうな良法師やれ来たといふ子らがこゑごゑ」といひしに

大めしを食うて眠りし報いにやいわしの身とぞなりにけるかな

【通釈】大飯を食っては眠った報いだろうか、私は鰯の身に生まれ変わってしまったのだな。

【語釈】◇山田杜皐老 「三島郡与板の豪家、俳句と絵を善くした」(吉野版良寛集)。

 

乙宮(おとみや)の森の下屋の静けさにしばしとてわが杖うつしけり

【通釈】乙宮の森の小屋の静けさに惹かれ、しばらく住もうと思って、杖を移してここへ越して来たのである。

【語釈】◇乙宮の森 国上山麓の乙子神社。文化十三年(1816)、五合庵より移住。◇下屋(したや) 母屋に付属する小屋。◇杖うつしけり 引っ越したことを言うが、杖を引きつつ山を下りて来たイメージや、杖以外にはこれといった持ち物もないことなども暗示して、味わい深い句である。

 

乙宮の森の木下(こした)にわが居れば(ぬて)ゆらぐもよ人来たるらし

【通釈】乙宮の森の木の下に私がいると、大鈴が揺れて鳴るよ。人がやって来たらしい。

【語釈】◇鐸ゆらぐもよ 鐸は鉄製の大鈴。「神社の本殿前に釣った大鈴」(吉野版良寛集)。「僧家の訪問には鐸鈴を鳴すのが礼儀であるといふことである」(茂吉「私鈔」)。書紀歌謡「鐸ゆらぐもよ、置目来らしも」に由る。

文のはしに

逢坂の関のこなたにあらねども往き来の人にあこがれにけり

【通釈】古人は逢坂の関のこちら側で遠方の人を想ったという――私はその「関のこなた」にいるわけでもないけれど、寂しい草庵に住んでいると、関を越えて往き来する人々に憧憬の念を抱くのである。

【参考歌】在原元方「古今集」
おとは山おとにききつつ相坂の関のこなたに年をふるかな
 蝉丸「後撰集」
これやこの行くも帰るも別れつつしるもしらぬもあふさかの関

 

松之尾の松の間を思ふどち(あり)きしことは今も忘れず

【通釈】松之尾の松の木々の間を親しい仲間と一緒に歩いたことは、今も忘れない。

【語釈】◇松之尾 越後国西蒲原郡の村の名。

【鑑賞】「ずつと以前の事をおもひ出してなつかしんだ歌であることだけはたしかである。或は晩年西蒲原郡を去つてから後老衰の為めにあまり遠出をすることが出来なくなつてからの作であるかも知れない。いづれにしてもさらさらと何のこだはりもなく歌ひ放つてゐて而も綿々尽きない情味のこめられてゐる歌ひ方に心惹かれる作である」(相馬御風『新釈 良寛和尚歌集』)。

述懐の歌 (二首)

いそのかみ古のふる道しかすがにみ草ふみわけ行く人なしに

【通釈】古人が通った道は、草に覆われ、荒れ果てている。そうであるからと言って、草を踏み分けて行く人があるわけでもなしに、放置されたまま。

【語釈】◇いそのかみ古の 「ふる道」にかかる序。

【補記】『はちすの露』では「おもひをのぶる」の詞書の下にまとめられた歌群の冒頭にあり、第四句「みくさのみして」。

【参考】伝承古歌「日本書紀」
いにしへの野中ふる道あらためばあらたまらむや野中ふる道
 松尾芭蕉
この道や行く人なしに秋の暮

 

ますらをの踏みけむ世々のふる道は荒れにけるかも行く人なしに

【通釈】大丈夫が踏み分けた、その時代時代の古道は荒れてしまった。もうその道を行く人はなくて。

【補記】以上二首は阿部定珍宛手紙に書かれた歌。

【鑑賞】「良寛の激越した悲憤の情がここに奔騰している。それは直接的にいえば仏教界の墮落に対してのものであろうが、書道・詩歌道等何に対してのものと見てもさしつかえない。そして良寛の昂揚した精神は当然醇正な万葉調を呈し、よくその緊張を伝えている」(吉野『良寛 歌と生涯』)。

 

墨染のわが衣手のひろくありせば 世の中の貧しき人を蔽はましものを

【通釈】私の僧衣の袖が広くあったならば、世の中の貧しい人を庇護しようものを。

【補記】この歌は旋頭歌。「彼は救世済民の大理想の実現にいらだてばいらだつ程、自分の非力が嘆かれてならなかったろう。そこに彼の絶望と苦悩があった」(吉野前掲書)。『はちすの露』には類想の短歌「すみぞめのわが衣手のゆたならばうき世のたみにおほはましものを」がある。

【参考歌】慈円「千載集」
おほけなくうき世の民におほふかなわが立つ杣に墨染の袖

 

捨てし身をいかにと問はばひさかたの雨ふらば降れ風ふかば吹け〔はちすの露〕

【通釈】世を捨てた我が身がどうしているかと人が問うならば、雨が降るなら降れ、風が吹くなら吹け(そんなふうにして暮らしている)と答えよう。

 

(のり)の塵にけがれぬ人はありと聞けどまさ目に一目見しことはあらず〔はちすの露〕

【通釈】仏法の塵に汚れない人はいると聞くけれど、実際に一目でも見たことはない。

【語釈】◇法の塵 「法をけがす塵」(吉野版良寛集)。「仏法を修めて、その仏法に執着しすぎること」(岩波大系本)。◇まさ目に 直接自分の目で。

【鑑賞】「一首の調も張つて居り良寛の信念を吐露して余りある歌である。」(茂吉「私鈔」)

乾達婆城(けんたつばじやう)

ありそみの上に朝ごと立つ(いち)のいよいよ行けばいよよ()にけり

【通釈】有磯(ありそ)海の海上に朝毎にあらわれる街は、近づけば近づくほど、ますます幽かになり、消えて行ってしまう。

【語釈】◇乾達婆城 蜃気楼のこと。春、富山湾で見られる。◇ありそみ 有磯海。ここでは北陸地方の海を指す。固有名詞であり、「荒磯海」ではない(多くの注釈書が誤っている)。◇立つ市 「市」は街。蜃気楼は海市とも呼ばれる。

【補記】結句を「いよいよ消にけり」とする本もある。

【鑑賞】「これは宇宙の真理とか人生の理想とかいふものの捉へがたき悩みを象徴的に歌つたものである。(中略)良寛の心の奧深い一面を知る上に大切な歌である。比喩でも理窟でもなくたゞさながらに蜃気楼そのものを歌つてゐる点が此の歌を象徴的ならしめてゐる」(御風『新釈 良寛和尚歌集』)。

 

あわ雪のなかに()ちたる三千大千世界(みちおほち)またその中に沫雪ぞ降る〔はちすの露〕

【通釈】沫雪の降る中にあらわれている大宇宙。またその宇宙の中にも沫雪が降っているのだ。

【語釈】◇三千大千世界 重層的に成り立っている全宇宙をいう。

由之老

この夜らの いつか明けなむ この夜らの 明けはなれなば をみな来て はりを洗はむ こいまろび あかしかねけり 長きこの夜を

【通釈】この夜はいつか明けるだろう。この夜がすっかり明けたなら、女がやって来て、尿(はり)を洗ってくれるだろう。輾転反側し、明かしかねるのだった、長いこの夜を。

【語釈】◇をみな 世話をしてくれていた女。◇はり 「いばり・くそまりの『はり』『まり』と同語で、糞尿のこと」(吉野版良寛集)。◇こいまろび 輾転反側し。「こい」は倒れ臥す、「まろび」は転がる意。万葉集に用例が多い(3-475,9-1740など)。◇長きこの夜を これも万葉集に頻出する句(4-485など)。

【補記】題詞の「由之老」とは良寛の弟由之の日記に書かれていたことを示す。「この長歌、由之の『八重菊日記』に出づ。良寛の臨終近き頃の歌反古の中にあつたもの」(吉野版良寛集)。同じ頃の作と思われる旋頭歌に「ぬばたまのよるはすがらに糞まりあかし あからひく昼は厠(かはや)に走り敢へなくに」がある。

【鑑賞】この歌(詩)は吉本隆明によって近代詩の先駆的作品として高く評価された。「近代的な人間苦、あるいは社会苦に近づくような<苦>の表現をじぶんの病苦をもとにして、じぶんの仏教や老荘の思想からもっとも遠ざかったところで無意識に良寛は表現しました」(「良寛詩の思想」『言葉という思想』所収)。

 

おく山の 菅の根しのぎ ふる雪の ふる雪の 降るとはすれど 積むとはなしに その雪の その雪の

【通釈】奧山の菅の根もとをしなわせて降る雪が、降る雪が、降り積もろうとするけれど、積もることなしに消えて、その雪が、その雪が…。

【補記】八句から成る雑体歌。良寛が臨終の床で書きつけた反古にあった歌で、おそらく未完成であろう。これも弟の由之の日記に写されたことで伝存した。「はじめの三句は万葉集にも古今集にも見える句で、さっぱりめずらしくないが、それ以下、殊に『ふる雪の』と『その雪の』との反復が、病苦に喘(あえ)ぐ息遣いを想わせるような悲痛な調子をもっている」(吉野『良寛 歌と生涯』)。

【参考歌】大納言大伴卿「万葉集」巻三
奥山の菅の葉しぬぎ降る雪の消(け)なば惜しけむ雨な降りこそ
 よみ人しらず「古今集」
奥山の菅のねしのぎふる雪のけぬとかいはむ恋のしげきに

月の兎

天雲の むか伏すきはみ たにぐくの さ渡る限り 国はしも さはにあれども 里はしも あまたあれども み仏の ()れます国の あきかたの そのいにしへの ことなりき (まし)(をさぎ)と (きつに)とが (こと)をかはして あしたには ()山にかけり ゆふべには 林にかへり かくしつつ 年のへぬれば ひさかたの あめのみことの きこしめし 偽りまこと しらさむと 旅人(たびと)となりて あしびきの 山ゆき()ゆき なづみゆき ()しものあらば たまへとて 尾花折り伏せ 憩ひしに (まし)は林の 秀枝(ほつえ)より 木の実を摘みて まゐらせり  (きつに)(やな)の あたりより (いを)をくはへて 来りたり (をさぎ)()べを 走れども 何もえせずて ありしかば (いまし)は心 もとなしと 戒めければ はかなしや をさぎうからを (たま)くらく (まし)は柴を 折りて来よ きつにはそれを 焚きて()べ ()けのまにまに なしつれば 炎に投げて あたら身を 旅人(たびと)(にへ)と なしにけり 旅人(たびと)はこれを 見るからに (しな)えうらぶれ こい(まろ)び (あめ)を仰ぎて よよと泣き 土にたふれて ややありて 土うちたたき 申すらく いまし三人(みたり)の 友だちに 勝り劣りを いはねども ()れはをさぎを ()ぐしとて 元の姿に 身をなして (から)をかかへて ひさかたの  (あま)つみ空を かき分けて 月の宮にぞ (はふ)りける  しかしよりして つがの木の いやつぎつぎに 語りつぎ 言ひつぎ来り ひさかたの 月の(をさぎ)と いふことは これがよしにて ありけりと 聞くわれさへに 白妙の 衣の袖は (とほ)りて濡れぬ

【通釈】長いこの夜を。雲が垂れ伏す天の果てまで、ヒキガエルが這い回る地の果てまで、国だったら沢山あるけれども、里だったら数多あるけれども、仏様のお生まれになった国の、(あきかたの)その昔のことだった。猿と兎と狐とが、友の誓いを交わして、朝には野山を駆けて共に遊び、夕べには林に帰って共にやすみ、このように仲良くしながら、何年か経ったので、天の神様がお聞きになって、ことの真偽をお知りになろうと、旅人に身をなして、山を行き野を行き、難儀な旅をして飢えた姿となって食べ物があれば下さいと言って、薄を押し伏せ休んでいたところ、猿は林の上の枝から木の実を摘んで、差し上げた。狐は簗のあたりから、魚を銜えてやって来た。兎は野辺を走り回ったけれども、何もできなかったので、「おまえは頼りないやつだ」と皆でとがめると、はかないことよ、兎は仲間をだまして言うことに、「猿は薪を折って来い。狐はそれを焚いておくれ」。猿と狐が頼まれた通りにすると、兎は炎に身を投げて、あたら我が身を旅人の供物としたのだった。旅人はこれを見た途端、悲しみ歎き、その場に倒れて転げまわり、天を仰いで、おいおいと泣き、土に横たわっていたが、暫くすると、地面を激しく叩き、申すことには、「おまえたち三人の友達に優劣を言うつもりはないが、私は兎をいとしく思う」と言って、もとの神の姿に戻って、むくろを抱えて、天の雲をかき分けて、月の宮殿に葬ったのだった。それからというもの、次から次へと語り継ぎ言い伝わって来て、月の兎ということは、これが由来だったのだと、伝え聞く私さえ、衣の袖はぐっしょりと濡れてしまうのだ。

【語釈】◇あきかたの 不詳。「明き方の」で天地開闢の頃の意かという。◇言をかはして 友となる契りを交わして。◇天のみこと 天にあって宇宙を支配する神。『今昔物語』では帝釈天とある。◇偽りまこと しらさむと 異類である動物たちの友誼がまことのものかどうかをお知りになろうと。「しらす」は「知る」の敬語。◇汝は心 もとなしと 戒めければ 『今昔物語』では旅人・猿・狐の皆で兎を責めたとある。

【補記】『今昔物語』天竺部巻五第十三話に同様の説話がある。さらに古くはインドの神話に由来する。

松山の鏡

越なるや 松の山べの をとめごが 母に別れて 忍びずて 逢ひ見むことを むらぎもの 心にもちて あらたまの 年の三とせを すぐせしが 師走の暮に 市に出で もの買ふ時に ます鏡 手にとりみれば わが(おも)の 母に似たれば 母刀自(ははとじ)は ここにますかと よろこびて います日の如 言問(ことと)ひて 有りのかぎりの (あたひ)もて 買うてかへりて 朝にけに 見つつしぬぶと 聞くがともしさ

【通釈】松山のほとりに住む若い娘が、母に死に別れて、堪え切れずに、再び逢うことを心に秘めて、三年の歳月を過ごしたが、師走の暮に、市に出かけて行って、買物をした時、鏡を手に取って見ると、自分の顔が母に似ているので、「お母様はここにおられますか」と喜んで、母が生きておられた日のように、話しかけて、有り金を全部はたいて、買って帰って、朝にも昼にも、その鏡を見ては母を恋い慕うと、話に聞くのも羨ましいことである。

【語釈】◇松山 新潟県東頚城郡松之山。◇聞くがともしさ 聞くのは羨ましい、の意。母の面影を鏡に見ることの出来た娘を、羨ましがっているのである。良寛は若き日の玉島修行中に母を亡くしている。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年04月08日