ひろびろと弧を描いたのち、私を幾重にも高ぶらせた朝の陽はひと時もなく四方に散って。 
                   荘厳な静けさを取りもどし、海原の波頭だけをきらと光らせて冷たくたゆたう能登の海。30数年ぶりの再会でした。行く道も定まらず、引き返すすべもなく、途方にくれていた一時期、能登半島の先端にある狼煙という村の宿に滞在したことがありました。小さな白い灯台のある岬の村を基点に、ある日は岩場づたいの海辺を、ある日は峠を越え、幾許の気配もない隣の集落に、またある日は里山の雑木林をあてもなくさまよい、ただひたすらに歩き続ける毎日をおくっておりました。あの無防備な青臭い迷いも、高慢とも思える自意識も、夕日のように輝かしく暮れていく未来も、夜も昼も、怠惰な生活意識の果て、ちぎれ飛ぶ雲と一緒に忘れ呆けていたのでした。 
                   北の海沿いに点々と訪ね歩く墓々。今回掲載した加能作次郎、折口信夫、室生犀星、島田清次郎、深田久弥、それぞれに幸せとはいえない生育上のしがらみを背負って生き、静謐に、また思慕のように、懺悔のように、時には荒々しく、時には煩悶する記録者として幾多の作品を著しています。母もなく複雑な血縁関係の中、加能作次郎は13歳で能登・風無の漁港を背に京都へ出奔。生後まもなく、犀川ほとりの古寺に貰われた室生犀星は、生母の消息さえも知りません。虚空を覗くような瞳を持った折口信夫も少年の日、幾たびかの自殺未遂をおこしています。誕生翌年に父を亡くし、母子生活者としての曲折を送った島田清次郎は、ただ一瞬の閃光を放って疾風の如、狂気の彼方へと去ったのです。ひとり深田久弥は順調な歩みを続けましたが、北畠八穂との不幸な決別が待っていました。それぞれに故郷を去り、名を遂げし者も、打ちひしがれし者も、遂には結縁の地に戻って眠っています。穏やかな冬日に包まれて、ただひと日の里墓は訪れる影を数えず、等しく孤独の中に屹立します。渡り鳥は遠にやってきたというのに、望んだとしても散りぢりになった季節は蘇りはしません。苔生す小路、吹きたまる枯れ落ち葉、踏みならす歩み音、淡白き輝きに見えた叢の小菊、書き人の思いを宿した風景さえも忘却のベールは覆い尽くしてしまったようです。 
                    されど感傷は…………。 
                      かって桐生の地に果てた長澤延子という少女が歌ったではありませんか。 
                    友よ 
                      私が死んだからとて墓参りなんかに来ないでくれ 
                      花を供えたり涙を流したりして 
                      私の深い眠りを動揺させないでくれ 
                    私の墓は何の係累もない丘の上に立てて 
                      せめて空気だけは清浄にしておいてもらいたいのだ 
                      旅人の訪れもまばらな 
                      高い丘の上に―― 
                    私の墓はひとつ立ち 
                      名も知らない高山花に包まれ 
                      ふれることもない深雪におおわれる 
                      ただ冬になったときだけ眼をさまそう 
                    ちぎれそうに吹きすさぶ 
                      風の平手打ちに誘われて 
                      めざめた魂が高原を走りまわるのだ 
                    
                    
                    
                   
                   
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                  
                    
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