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                 このサイトを訪ねてくださった方々も、それぞれの想いを秘めた「死生観」「人生観」をお持ちのことと思います。「文学者掃苔録図書館」には、出来るだけその作家の作品を読み、「死生観」「人生観」にふれた文章を私なりに選んで掲載させていただいておりますが、今回、五味川純平のページでは「人間の条件」終章の一部を抜粋しました。私が高校1年生の時、初めて「死」あるいは「生」を強烈に意識した思い出深い一節です。久しぶりに読み返して、青春の一時期、気負いを伴った方向性を私に与えてくれたこと、懐かしく思い出します。皆様にも遠い日、近い日、場所・時・人に応じた感銘深い文章を作品の中に思いがけず見出したことも多々あるでしょう。それが人生の全ての方向を変えてしまうような文章であるなら、なお幸せな巡り合わせだといえるでしょう。たとえそれが甚だしい苦悩を伴うものであったとしても。 
                   「午後三時は、何を始めるにも遅すぎる。あるいは早すぎる。」と、サルトルは「嘔吐」の中で記していますが、私もどうやらその時刻にさしかかってきたことをはっきりと意識するようになりました。 
                   私の好きな安吾や漱石などを思うと、もはや午後のやわらかな陽ざしを楽しみながら、ゆっくりとお茶を飲んでいるような時間的余裕はすでにないのかもしれないと思う今日この頃。とっくの昔に遅咲きの桜も散ってしまったけれど、ただなんとなく、ただなんとなく、苦色の水滴に包まれた道標を読み返しながら歩いてきたこの道の、どれほどか先に浮かび上がる一群の雲の合間に、ほっとする、ささやかな日が暮れてゆくのを追いかけてみたいものです。 
                    
                    
                    
                   
                     
                   
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
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