杓子山・鹿留山( 鹿留山:1,632m ) 1998.2.22登山


 杓子山頂上から富士山( 1998.2.22 )
【杓子山・鹿留山登山記録】

【杓子山・鹿留山登山データ】

フォト

再登山


杓子山・鹿留山登山記録

「山の雑記帳(登れなかった山)」 に書いた通りというか、 書いたことに触発されて杓子山・鹿留山シシドメヤマ) 登山を試みた。
そして本当に恥ずかしいことに、この 2月22日に登る杓子山・鹿留山が今年初の登山というテイタラクである。
しかも、当日朝 4時に目覚ましをかけておいたにも拘わらず、布団をでることができなくて結局家を出たのが 6時過ぎになってしまうなど、 登山に対するテンション・エネルギーの低下が甚だしい。
こういうことは宮崎から帰ってきて仕事が忙しかった 1995年にもあった。
仕事が忙しくて 4ヶ月程山へ行けなかったのだが、そうなるとイザ行くチャンスが生まれてもなかなか身体が言うことを聞いてくれないのである。
その時は、家族との旅行の際に早朝一人で草津白根山に登り、 山の空気を吸うことで山への意欲を復活させたのだが、今回はどうであろうか。

家を出るときに曇っていた空も徐々に青空が拡がり始め、海老名から乗った相模線では太陽がまぶしいくらいの日差しを座席に当ててくれ、 今日が良い天気であることの幸運を喜んでいたのだが、高尾駅からの中央本線に乗り、山梨県に入ると一転してまた曇天に戻ってしまった。
しかも非常に寒く、大月からの富士急行の車中、途中で乗り込んできた人達の間で 「雪が降りそうだ」 などという会話が交わされるといった天候となり、 また車窓から見える山々もガスに煙ってほとんど見えない状況である。
当然晴天なら見える富士山など見えるはずもなく、 先ほどまでのウキウキした気分から、今日はキツイ山登りになるぞとの暗い気持ちにさせられる。

富士急行の下吉田駅に着いたのが 9時40分過ぎだったのだが、遅くなった分、 タクシーで鳥居地峠の分岐点まで行って時間を稼ごうなどという目論見は、 ガランとした駅前の風景に見事にはずされることとなり、結局 下吉田駅から前回と同じように歩くことになってしまった。
前回来たのが約 9年前であったにも拘わらず、結構道順は覚えているもので、順調に大明見 (オオアスミ) の部落からやや細い川沿いの車道に入り、 田畑の中、正確に山へ向かうルートを辿ることができた。
辺りは雪が結構残っていて、これから登る山にも多くの雪が残っていることを示唆しており、苦労はするけれどもガスの中で全くつまらない山登りになると、さらにガッカリする。 しかし、この川沿いの車道に入ってからは、嬉しいことに天候が急回復を見せ始め、見る間に青い空が拡がり太陽が頭上に輝き始めたのであった。
そして右を見ると、ガスがドンドン流れていって、大きな富士山が手前の山越しに姿を現し始め、そのいつもながらの美しさと偉大さに圧倒されてしまったのであった。

こうなると足取りも軽くなり、家具工場を右に見て鉱泉閣の二股のところまで快調に進んできたのだが、 ここで昔の来たことがあるという知識が余計な邪魔をしてしまったのである。
その場にあった標識の通り、右がどうやら本来狙っていた鳥居地峠から高座山経由にて杓子山へ行く道らしかったのだが、 前回来た時には確か左の道を進んだ気がしたので、道を左にとってしまったのである。
前回の記憶では暫く先で道は再び二つに分かれ、右が鳥居地峠へと通じる車道だったはずなのであるが、それらしい場所はあったものの、 その道は土と雪に覆われており、わずかに白いガードレールが見えているだけで、とても進んでいく気にはなれない状況である。
また戻るのもシャクなので、左に道をとってそのまま不動ノ湯の横を過ぎて杓子山へ登ることに計画を変更したのだが、 なまじの知識というのは道を迷わすもとである。
こういうことは四阿山で経験しているはずなのに何とも情けない。

不動ノ湯からのルートは林道歩きが長いので敬遠していたにも拘わらず、結局そのルートに足を踏み入れることになってしまった訳であるが、 有り難いことに不動ノ湯より上は完全な雪道で、車の轍もなく、山登りという感じを味わうことができたのが不幸中の幸い ? であった。
雪は今朝の寒さで固く締まっており、暖かい日差しの中、気持ちよく歩くことができるとともに、途中振り返れば今は完全に姿を現した富士山が大きくすそ野を広げているのが見え、 先ほどまでの不満は完全に解消された形となったのだった。
雪に覆われた林道は、傾斜が緩いだけ距離が長く、途中車止めのゲートを超えても更に延々と続いていて些かウンザリさせられたが、 やがてハングライダーの飛び出し台 (そういう言い方が良いかどうか ?) のある場所 (大榷首峠=オオザストウゲ) に着くと、 右から鳥居地峠−高座山経由の道と合流し、ようやく林道から離れることができるようになった。
しかし、さすがにこの頃になると朝食 (相模線の車中で食べた) から 4時間ほど経っているための空腹と、 下吉田から延々と歩き続けてきた疲れが出て、肝心の山道ではバテ気味となり、おまけに雪が溶けた土の斜面はすべり易く、 結構息が上がって苦しかった次第。
これは 2ヶ月ぶりの登山というか、この間、運動らしい運動もしていなかったためでもある。

滑りやすい斜面を何とか登り切ると、ようやく小広い杓子山の頂上に達したが、 そこは既に多くの人たちで占領されており、何となく失望感を覚えてしまった。
しかし、頂上からの展望は申し分なく、目の前に大きく堂々とした富士山がデンと構えており、 その右手には真っ白な南アルプスの山々が拡がっている。
ただ残念なのは、頂上に着いた時間が 12時半であったため、既に太陽は富士山側まで回っていて、逆光となっていたことである。
しかし、今朝ほどの天候を思えば贅沢は言っていられない。

頂上には小さな祠、そしてよく南アルプスの山々の頂上に見られるような丸太を輪切りにして作った標識と 「山梨百名山」 と書かれた真新しい標識が置かれている。
暫し頂上からの眺めを堪能した後、頂上のはじっこにスペースを確保して昼食をとり、今度は鹿留山に向かうことにする。
杓子山まではロングスパッツだけで十分だったものの、この先は雪が多そうだったため軽アイゼンを装着したが、結局は着けなくても十分に行けることができる状況であった。
しかし、軽アイゼンは雪の上でのスリップを防ぎ、余計なエネルギーのロスを防いでくれたため、快調に登るのに役に立ったのは間違いない。
途中 何回か鹿留山頂上と思われるピークに騙され、立ノ塚峠への分岐を右に見て雪道を進んでいくと、 やがて視界の効かない樹林帯の中、大きな木に緑色の標識がくくりつけられた鹿留山頂上に着くことができた。
こちらは杓子山と違って展望もなく、また雪に完全に埋もれていて休む場所もないためか誰もおらず、不遇な山であることを感じさせたが、 私自身もセルフタイマーを使って記念写真を撮った後、そそくさと来た道を戻ることにしてしまったのだった。

立ノ塚峠への分岐点まで戻ってからどのルートで下山するか暫し悩んだものの、 結局 立ノ塚峠経由にて内野に下ることに決め、道を左にとる。
分岐からの下りは結構急で、普段ならこの位の急坂は何でもないのだが、雪解けのため道がぬかるんでおり、 足場を確保するのに大変苦労しながらの下山となった。
こちら側は日当たりも良く完全に雪も溶けてしまっていたので、雪の斜面を滑り降りることを楽しみにしていた私としては些か拍子抜けさせられたが、 樹林帯に入ると雪も多く残っており、雪の上を滑りながらの楽しい下山となった。

立ノ塚峠付近では、太陽も雲に隠れてしまって辺りが暗くなるとともに、 周囲の樹林に霧氷が着いていたのでビックリさせられたが、そういえば杓子山から見た時の石割山御正体山などこちらの方角はガスがかかっていたのを思い出した。
立ノ塚峠からはまた延々と雪の林道歩きが続いたが、やがて雪も途切れ、道も舗装道路に変わると養鶏舎を過ぎ、 内野の部落へと入って行くことになる。
内野のバス停が分からなかったので、以前の記憶を頼りに途中から右に曲がり、そのまま道なりに進んで主要道路に出て、 結局忍野村役場まで歩いてしまったが、この頃には完全に空は曇り、山はガスに包まれてしまっていた。
結局一番天気の良かった時間帯に山に登れた訳で、遅く起きたことが返って良かったのかもしれない。

それにしても久々の山はやっぱり良い。
また意欲を燃やして登山に勤 (イソ) しみたいと思う。


杓子山・鹿留山 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ 登山日:1998.2.22 天候:曇りのち晴れ 単独行 日帰り
登山路:下吉田−大明見−不動ノ湯−車止ゲート−大榷首峠−杓子山 −鹿留山分岐−鹿留山−鹿留山分岐−立ノ塚峠−内野−忍野村役場
交通往路:瀬谷−(相模鉄道)−海老名−(相模線)−八王子−(中央線)−高尾−(中央本線)−大月−(富士急行)−下吉田
交通復路:忍野村役場−(バス)−富士吉田−(富士急行)−大月−(中央本線)−八王子−(相模線)−海老名−(相模鉄道)−瀬谷
その他の
杓子山登山
役場前バス停−忍野中学校−鳥居地峠−高座山−鉄塔下−大榷首峠− 杓子山−子ノ神−立ノ塚峠分岐−鹿留山−立ノ塚峠分岐−立ノ塚峠−内野
 (2016年02月10日 : 快晴)    こ こをクリック

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