黒川鶏冠山( 鶏冠山:1,716m ) 2001.01.04 登山


 鶏冠山頂上の鶏冠山神社奥宮 ( 2001.01.04 )
【黒川鶏冠山登山記録】

【黒川鶏冠山登山データ】

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再登山


黒川鶏冠山登山記録

新しい年、それも新世紀を迎えての初登山は山梨県の黒川鶏冠山に決めた。
この山は大菩薩嶺付近の山を登るたびに気になっていた山ではあったのだが、 登山を始めた頃は電車とバス (時にはタクシー) を使っていたためにそのアプローチの大変さに二の足を踏み、 最近のように車によるアプローチ中心となってからは、あまりにも登山口からの標高差がなさ過ぎて (240m程) イージーな登山となることに気づき、 これまた二の足を踏んでいた山なのであった。
しかし、昨年末 10年ぶりに小金沢連嶺を登り、 久々に大菩薩嶺の地図を見る機会を得たところ、 大菩薩嶺の登山口である裂石から丸川峠を越え、六本木峠へと至り、 そこから黒川鶏冠山に登れば、私の好みにも合う登山ができるということに気づいたのであった。
そして、早速 新年最初の登山に組み入れたという次第である。

さらに、今回のこのコースと言えども、丸川峠から六本木峠へと至る道は標高差があまりない平らな道のようなので少し物足りない気がしたことから、 登山前日の準備段階では調子に乗って、裂石から上日川峠に登り、峠からはカラマツコースを登って大菩薩嶺頂上を踏み、 そこから丸川峠へ下って、先に述べたコースに合流するつもりでいたのであった。
これは一見ハードだが、昨年末に小金沢連嶺を辿ったことを考えればできないはずはなく、さらに小金沢連嶺登山からわずか中 5日であれば身体もまだ軽いはずであるから、 低山とは言え心身とも充実感を得られる山旅になるに違いないと思っていたのである。

ところが、当日、裂石の雲峰寺駐車場に車を止め、林道を山に向かって歩き出すと身体が重い (7時44分発)
考えたらそれも道理で、この 5日間食っては寝、食っては寝の生活が続き、運動らしい運動は風呂場の掃除と洗車だけというものであったのであるから、 餅太り状態に陥っていた訳である。
こうなると、途端に当初考えていたコースを踏破する自信が無くなり出し、林道左手に丸川峠への登山口が見えてきた時点で急遽予定を変更し、 丸川峠に直登するコースに切り替えたのであった。
この丸川峠への登山道は過去に 2回程下ったことがあるのだが、特に 2回目はルート上の雪が融けかかっていたため滑り易く、 結構 急な道に苦労したことから、「決して登りに使いたくないなあ」 と思った記憶がある。
従って、身体の重い身にはこのルートさえも少々心配であった。

治山工事のために沢沿いに作られた林道を暫く進み、山の取り付き口に着いたのが 8時6分
さてどうなることやらと思いつつ登り始めると、ここまでで少し汗をかいたせいかそれほど身体の重さが気にならない。 ありがたいことである。
天候の方は、快晴の天気予報にも拘わらず雲が多く、太陽はなかなか雲間から出てこない。一方、風が強く吹き、雲をドンドン流しているので、 いずれ顔を出すであろうと思われる。
道の方は、ブナやカラ松といった樹林の中の登りであるが、周囲の木々は皆葉を落としてしまっており、しかも南西の斜面であるから、 普段 登山道にも日が良く当たるのであろう、雪は全くと言って良いほど見られない。
少々喘ぎながらジグザグに道を登っていくと、やがて樹林の間から富士山が見えるようになった。
やや逆光気味のため周囲の空に溶け込んでしまっており、また頂上付近には雲がかかっていて百点満点とは言えないものの、 新年最初の登山で富士山を見ることができたのはなかなか嬉しいものである。

砂地のような道を、いつ急勾配が現れるかと覚悟しながら登っていったのだが、 私の記憶違いだったのであろうか、それ程の急坂はなく、いつの間にか道が平らになったかと思うと、 そのまま樹林帯を抜けることになり、丸川峠へと続くススキの中の道となった。
振り返れば富士山が大きく、前に目をやれば丸川荘の建物が見える。
誰もいないと思っていた小屋の煙突からは煙が出ていたので、ご主人がいらっしゃるようであったが、ここで小屋に入ってしまうのはどうも軟弱に思えたので、 小屋の後ろにあった岩に腰掛けての休憩とした (9時17分)
そばには丸川峠を示す標識と、大小二体の木彫り像 (大きい方が地蔵、小さい方は托鉢僧のようである) がおかれている。
丸川峠にあるのは石地蔵という記憶があったことから、いかに人間の記憶が曖昧であるかを思い知らされた感じである。
この丸川荘のご主人である只木さんは木彫りを得意とされていると聞いたことがあるので、恐らくこの木彫りの地蔵も只木さんが彫られたものであろう。

道の方はここで 3つに分かれることになり、1つは大菩薩嶺への道、 もう 1つは泉水谷へ下る道、そして一番左側にあるのがこれから進む六本木峠への道である。
この六本木峠への道は、先にも述べたように、地図では山の等高線に沿ってつけられたようになっていてほぼ平らのように見える。 実際もその通りで、道はほとんど標高差もなく、絶好調とは言えない身体には大変ありがたい。
しかし、驚いたのは丸川峠から少し先に進むと一面雪で真っ白になっていたことで、先ほどまでの道とのあまりの違いに大いに戸惑ったのであった。
これと同じようなことは長崎の多良岳に登った時にも経験してはいるものの、 やはり冬の山は、そのロケーションによってかなりの変化を見せるものであることを実感したのであった。
幸い 登山道上の雪は凍ってはおらず、全く歩行には支障がなかったことから、快調に進んでいくと、やがて右側が開けたようになり、 谷をはさんだ向こうには樹林越しにニワトリの鶏冠 (トサカ) のような山が見えてきた。 どうやらあれが黒川鶏冠山のようである。

道はササ原の斜面をいくようになっており、昨年末の小金沢山のササ道と違って大変良く整備されている。
雪の方は寺尾峠から天庭峠間ではほとんど見られなくなったものの、天庭峠からは再び雪道であった。
先にも述べたようにほとんど大きな起伏がないために身体の方はなかなか暖まらず、加えて強い風が北から吹きつけ、 Tシャツの上にラガーシャツ 1枚という格好ではかなり寒い。
それでも歩いているうちに暖まってくるだろうと我慢していたものの、天庭峠付近での強い風にどうにも我慢できなくなり、 ドロワットパーカーを着込まざるを得なかったのであった。
加えて耳も冷たくて千切れそうな感覚になり、今まで被っていたキャップを脱いで、念のために持参した毛糸のスキー帽を被って耳を覆わざるをえない状況であった。
太陽は時々雲間から顔を出して日差しをよこしてくれるのだが、日差しがこれほど暖かいとは思いもしなかったというのが実感である。

やがて、本来の登山口である柳沢峠からの道と合流する六本木峠で、ここから道を右にとって 10分ほど進むと、 再び黒川鶏冠山の姿を認めることができるようになった (10時17分)
山間であるためか、風もほとんど吹かなくなり、先ほど着込んだパーカーがやや暑く感じ始める。
林道を横切るようにして、道標に従って道を進むとやがて横手峠で、まっすぐに進めば青梅街道沿いの落合に至り、右に進めば黒川鶏冠山である。
暗いヒノキの林を登っていくと、すぐに右手が大きく開けた山道を行くことになり、ここからは完全に日溜まりハイクとなったのであった。
右側の開けた先には、谷を挟んで大菩薩嶺の尖った山容が大きく、 またこの頃には雲も強い風で吹き飛んだのか、太陽も常時顔を出すようになり、今度は暑くて堪らなくなって先ほどのパーカーとスキー帽を脱いだのであった。 まるで、「北風と太陽」 を地でいくようである。

やがて、道が左にカーブする途中が小さな広場のようになっている場所にでると、 ここが黒川山への分岐点であった。
先ほどから面倒臭いので黒川鶏冠山と総称で述べてきたが、山自体は黒川山と鶏冠山に分かれているのである。
分岐からは山に向かって 2つの道が見えていたが、どちらをとっても同じだろうと左手の道をとったところ、 そのまま 4分ほど進んで岩場の行き止まりに飛び出すことになった。横手見晴台である (11時8分)

確かに見晴台というだけあってここからの展望は抜群で、 目の前には近隣の山々を従えるような大菩薩嶺の大きなピラミダルな姿と、 その右には頂上付近が雲に隠れてはいるものの富士山の姿、 そして北西の方には見覚えのある黒金山や国師岳を中心とした奥秩父の山々が見える。
しかし、そのさらに右に見えるはずの木賊山や破風山方面は白く霞んで良く見えない状態であった。
展望は素晴らしいものの、風がかなり強い上に冷たく、替えたばかりのカメラの電池は寒さのためにいきなり残量が半分しかないという表示となるし、 シャッターを押すために手袋から出した指は、3回ほどシャッターを切っただけで完全にかじかんでしまうといった状況で散々であった。
そしてそうこうしているうちに木賊山方面が白く見える正体が分かったのである。強い風に乗って風花が飛んできたからで、 恐らく木賊山や甲武信岳方面は吹雪だったのではあるまいか。

あまりの寒さに、見晴台をすぐ後にして来た道を引き返していくと、その途中で黒川山の頂上への道が見つかった。
結局 分岐点で右手に進む道が黒川山頂上への道だった訳である (11時12分)
黒川山頂上には三角点が置かれており、樹林に囲まれて展望はほとんどないものの、代わりに風はほとんど吹かずに日差しが暖かかった。
鶏冠山はここからもう少しの所であるはずであるから、黒川山では休まずに分岐に戻って先に進んでいくと、 左手に黒川山の裏側を回る道を過ごすことになり、すぐに岩場の登りとなった。
この登りもわずかで、右手の高みを回り込みながらシャクナゲなどの木々の間を進んでいくと目の前が開け、 そこは鶏冠山神社奥宮の祠が祀られた鶏冠山頂上であった (11時28分)

ここは狭い岩峰となっており、南側はスパッと切り落ちている。
そして、その先には大菩薩嶺の姿が大きい。
祠の前には山梨百名山の標柱があって、 これで昨年から櫛形山、小金沢山、そしてこの鶏冠山と、意識してはいないものの 3回連続して山梨百名山に登ったことになった。
こちらも風は強かったものの、先ほどの見晴台ほどではなく、どうにか昼食を取ることができたのだが、じっくり座るまでには落ち着けず、 結局 立ちながらの食事であった。

頂上には 20分以上いたものの誰一人として登って来る者はなく、 これで風が無くポカポカ陽気であれば最高であったのだが、なかなかそうはいかない。
登山者は黒川山分岐付近で 6人ほどに会っただけで、彼らは先に鶏冠山に登ってきたらしく、山を独り占めにできたのはラッキーであった。
さて下山は、柳沢峠まで下り、そこから青梅街道を裂石まで歩くつもりでおり、柳沢峠までは先ほど登ってきた道を戻らず黒川山の裏側を回る道を進んだ (11時49分)
こちらの道は、先ほどのポカポカ陽気の道とは違って、太陽がほとんど当たらない雪の世界である。静かなだけにペースも上がり、 雪の中につけられた足跡 (わずか 1つ) を良い調子で辿っていったのであった。
頭の中には、先ほどの横手峠への道が途中で現れるはずであることは意識していたものの、それが見つからず、 気がついたら黒川山からドンドン北へ離れているのであった。
雪のために横手峠への分岐を見過ごしてしまったかと思い始めた頃にはもう遅く、道に雪がなくなったかと思うと、 目の前に人家が現れ、川を渡ったら目の前は車道であった (12時42分)

その道路は国道 411号線、いわゆる青梅街道であったのは計算通りだったのだが、 道路は向かって右の方へと下っており、この付近の最高点である柳沢峠よりも奥多摩寄りに位置する場所に出たことになる。
嫌な感じがして周囲を見渡すと 「落合」 の文字が見え、前日 地図を見た時にこちらへは間違えても下らないようにしなければと肝に銘じた場所に下山してしまったのである。
それでもすぐに車道を登っていけば柳沢峠に着くと思っていたのだが、とんでもない。苦しい登りが長く続くことになり、 柳沢峠に着くまでに何と 1時間もかかってしまったのであった (13時45分)
柳沢峠からの車道下りは覚悟の上であったが、それよりも 1時間も余計なアルバイト (しかも長い登り) を強いられることになり、 散々である。
せめてもの慰めは柳沢峠から下る途中で見えた富士山の姿で、 この頃にはすっかり頂上を覆っていた雲もとれ、いつもながらの優美な姿を見せてくれたのであった。

車を止めてある裂石に着いたのが 15時32分
山登りではほとんど疲れを感じなかったものの、車道歩きで大いにくたびれてしまった新年初登山であった。
今年の山は苦労しそうである。


黒川鶏冠山登山データ

上記登山のデータ 登山日:2001.01.04 天候:晴れ時々曇り 単独行 日帰り
登山路:裂石−丸川峠分岐−丸川峠−寺尾峠−天庭峠−六本木峠−横手峠−横手見晴台−黒川山 −鶏冠山−落合−柳沢峠−裂石
交通往路:瀬谷−八王子IC−(中央高速道)−勝沼IC−塩山−裂石 (車にて)
交通復路裂石−塩山−(国道20号線)−高尾−三ヶ木−半原−厚木−(国道246号線)−瀬谷 (車にて)
その他の
黒川鶏冠山登山
丸川峠分岐駐車場−丸川峠−寺尾峠−天庭峠− 六本木峠−横手山峠−黒川山肩−黒川山− 見晴台−黒川山−黒川山肩−鶏冠山(往路を戻る)  (2012年02月26日 : 曇り)
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