多良岳( 多良岳:996m ) 1999.3.20 登山


   ガスの中の多良岳頂上祠( 1999.3.20 )

【多良岳登山記録】

【多良岳登山データ】

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多良岳登山記録

長崎出張に便乗して企てた雲仙普賢岳登山は、やはり世の中甘くないもので、雨と強風により途中で断念せざるを得ない状況となってしまい、 期せずして この日は雲仙岳を一周するバスと電車の旅となってしまった。

このまま帰りの飛行機便を早めて横浜へ戻ろうと考えたのだが、天候の方はドンドン回復してきており、さらにたまたま空港へ向かうために下車した大村駅で 「黒木渓谷より多良岳、経ヶ岳登山」 と書かれた看板を見て、 急遽経ヶ岳登山を思いついたのであった (この辺の事情は 山の雑記帳 参照

調べると、大村バスターミナル発黒木行きのバスは 13時30分、黒木までの所要時間は50分ほどで、一方、黒木発の最終バスは 17時35分とのことであった。

要するに正味の登山時間が 3時間15分しかないのであるが、一応大村の本屋でガイドブックを立ち読みしたところによれば、 黒木から経ヶ岳まで 1時間50分ということで、 道さえ間違えなければギリギリで往復してこれることになる訳である。

地図もガイドブックもない登山となることでやや躊躇があったものの、重い登山靴まで持って長崎まで来たのに、 何もせずに帰るのは納得できないという気持ちが勝って、 思い切って黒木まで行ってみることにした。

山里のドン詰まりにある黒木に着いたのが 14時17分。 帰りのバスの時刻を確かめるべく、バスの折り返しよりさらに 10m程先にあったバス時刻表を見に行ったところ、 その脇に多良岳まで 1時間50分と書かれた看板があるのが目に止まった。

経ヶ岳に登るにはバス折り返し場より少し手前にある駐車場まで戻らねばならないのだが、時間が無いこともあって戻る気になれず、 同じ所要時間ならこのまま進んで行ける多良岳でも良いと考え、 節操もなく経ヶ岳登山から多良岳登山に変えてしまったのであった。

地図もなければガイドブックもない気楽さからこのようなことをしてしまったのだが、経ヶ岳も多良岳もどちらも 1,000m前後の標高しかなく、 コースも初級者向きと言われていることで、 少々ナメていたのかもしれない。

天候は午前中の嵐のような風雨がウソのように晴れ始め、暖かい日が差し出していたのだが、向かう山の方はガスがかかっていて 頂上部分が見えない状況であった。
バスの時刻表のところから舗装道を更に先へと登って行き、 途中で五家原岳への登山道を右に見ると、 やがて鎖の車両通行止めがあり、 その先で舗装道はいわゆる林道に変わるようになった。

崖を切り開いたような沢沿いの道を進むと、やがて道は左に大きく曲がり、その先にはトイレとともに多良岳への道を示す標柱が立っており、 標柱には八丁谷と書かれていて、 右に曲がれば金泉寺を経て多良岳、 まっすぐ進めば中山越経由にて経ヶ岳へと行けるようであった。

当然右に道をとると、ようやく山道となったのであるが、周囲は杉の植林帯で薄暗く、雨上がりだったこともあってジメジメとしていて あまり気持ちの良いところではなかった。
傾斜はそれ程でもなく、 時間をできるだけ稼ごうと早足に登って行くと、 やがて登り着いた所に九州電力が立てた 「多良山系の鳥たち」 という看板があり、 そこからは自然林の中の緩やかな道となった。

美味しそうな水が流れている沢を横切り、徐々に高度を上げていくと、時としてガスが晴れるようになり、振り向けば 樹林の間から大村湾を見ることができた。

やがて、幅が 1センチに満たない細い薄緑色の葉を持った植物の群落の中を通ることになったので、これはどんな花が咲くのだろうか などと思っていたら、 さらに上の方に解説が掲げられており、 この植物が 「オオキツネノカミソリ (ヒガンバナ科) という名で、 天然記念物に指定されていることが分かった。
このオオキツネノカミソリは春先から葉を伸ばし始め、 やがて葉が枯れて見えなくなると、 その後から蕾が伸び出して赤い花をつけるのだそうで、 カミソリという名は葉の形が床屋などで使う 細長いカミソリを連想させるところからきているようであった。
花期は夏だそうで、 その頃に登ればこの辺一帯は見事なお花畑となって 素晴らしいことであろう。

ゴツゴツした岩の道を登って行くとやがてT字路にぶつかったが、ここは西野越という所で、左に行けば金泉寺、 右は五家原岳へと続く縦走路となっていた。
この西野からはほぼ平らな道が続き、 大変楽をさせてもらった。

やがて樹林の中に建物が見えてきたが、これが金泉寺にある山小屋で、プレハブ (?)造りの 2階建てとなっており、 普段我々が持つ山小屋のイメージとは若干異なっていた。
この山小屋の前からは遠くに海を望むことができたが、 この海は有明海だったのだろうか。

山小屋の隣には金泉寺があり、前には立派な灯籠なども見られたが、寺という感じにはほど遠かったので 後で調べてみたところ、 社殿は江戸時代中期の農民一揆で焼失したとのことであった。

金泉寺の前を通り過ぎてさらに先に進むと、この辺では今朝の雨が霙 (みぞれ) に変わっていたらしくシャーベット状の雪が登山道に見られ、 また木に積もった雪が融けだして 雨のように降り注いで来るようになったので些か閉口させられた。

やがて立派な石の鳥居と石段が現れ、そのそばには役の行者を祭った石像もあり、俄然宗教色が強くなってきた。
長い石段を滑らないように注意しながら登っていくと、 再び山道となり、 大きな岩が所々に現れるようになって、 暫く先で木で作られた3段梯子を登って 左の岩場の間をよじ登っていくことになったのだが、 その手前の大岩の上には いわゆる梵字が刻まれていた。

岩場の間をよじ登り、最後は鎖場を越えていくと (鎖はほとんど使う必要がない)、多良岳山頂へと続く尾根道に登り着いたが、 この尾根に出た途端に その景色に唖然としてしまった。
というのは、 今まで雪があったとしてもシャーベット状で、 それもほとんど量がなく、 木々に積もっていた雪も融け出して 滴となって落ちてくる状態だったのに対し、 尾根を越えた途端に真っ白な氷の世界が拡がっていたからである。

木々には全て真っ白な霧氷がついていて、足下にも雪が積もり、周囲は白いトンネルの様になってまるで冷凍庫に入ってしまったような状態であった。
さらに吹く風も強く、 風に霧氷が吹き飛ばされて 完全にここは真冬だったのである。

尾根には左 国見岳、右 多良岳の標識があったが、急遽仕入れた情報の中に国見岳は入っていなかったことから行ってみる気にはなれず、 直接多良岳へと向かうことにした。
平らな尾根道を暫く進むと、 すぐに目の前に石段が現れ、 石段の横には雪を被った石仏が寒そうに鎮座していた。

石段を登りきった所が頂上で、そこには立派な祠があり、その手前には座禅を組む場所の跡であろうか、囲い付きの石畳があった (不思議なことに頂上には雪はほとんどなかった)
暫くこの祠の周りをウロウロし、 頂上に置かれていた地図で、 多良前岳という山が一旦下って登り返した所にあることが分かったのであるが、 ガスのために全く周囲の様子を把握することは難しく、 また時間的にそこまで行くのは難しそうだったので すぐに下山することにした。

後でガイドブックを読むと、多良岳の三角点はこの祠のある所よりさらに先にあることが分かったのであるが、 もう後の祭りで、 (にわか) 登山で事前情報をほとんど得ていないことのツケが ここで回ってきてしまったという結果になった。 非常に残念である。

しかし、1,000mに満たない山であったのに、 麓から山頂までの間に大きな変化を味わうことができ、 なかなかの満足感を得られた登山であった。
何か、期待せずに買ったものが意外と値打ちモノだったので 大変得をしたというような喜びがある山行であった。

往路は、時間を計算できるという観点から、 同じルートを駆け下りるようにして戻った。
先の停留所に戻ったのが 17時16分、 バスは既に折り返し場で待っていた。


多良岳登山データ

上記登山のデータ登山日:1999.3.20 天候:山中は曇り単独行(前日泊)日帰り
登山路:黒木−八丁谷分岐−西野越−金泉寺−石鳥居−梵字−多良岳−梵字−石鳥居−金泉寺−西野越−八丁谷分岐−黒木
交通往路:大村−(大村線)−諫早バスターミナル−(バス)−雲仙−(バス)−島原−(島原鉄道)−諫早−(大村線)−大村−大村バスターミナル−(バス)−黒木
交通復路:黒木−(バス)−大村バスターミナル−(バス)長崎空港
(注) : 当日は雲仙普賢岳に登るつもりで雲仙へ行き途中まで登ったものの、
          風雨強く途中で断念。
          急遽多良岳登山を思い立つ。


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