『英雄の歌』初演の3年後、マーラーはウィーンの宮廷歌劇場でドヴォルザーク10作目の歌劇『ルサルカ』の上演を模索しています。国外での自作オペラの上演は必ずしもうまくいってなかったドヴォルザークはこの計画を歓迎し、その年の9月にウィーンを訪れてマーラーにその楽譜を贈り、その後ふたりはオペラの上演条件について書簡を交わしています。それまで宮廷歌劇場の経営陣は長い間、ドヴォルザークからのやや過剰な金銭的な要求を拒否してきた経緯があったのですが、マーラーが芸術監督として交渉に介入することで、数カ月の交渉を経てその要求は受け入れられたとされています。しかしさまざまな理由から、宮廷歌劇場は繰り返し『ルサルカ』のウィーン初演を延期しています。マーラー自身、スコアを徹底的に精査することでこのオペラの成功は難しいと判断したのではないかと推測もされています。結局、マーラーはこの曲を指揮することなく1907年に宮廷歌劇場を辞任しています。そのためこのオペラのウィーンでの上演計画は頓挫となり、ドヴォルザークの生前にウィーンで演奏されることはありませんでした(
Mahler Foundation )。