話しを元に戻しましょう。先にデイヴィッド・ブロドベックが「ウィーン舞曲までも参照した」ということについてです。前章で第1楽章の主題とチェコの民謡の類似点についてご紹介しましたが、この旋律は別の出典もありうると考えられています。デイヴィッド・ブロドベックは、「ドヴォルザークの主要主題は、ウィーン舞踏会の締めくくりとして伝統的に使われてきたいわゆるグロースファーター・タンツ(Großvatertanz:お祖父さんの踊り)を直接暗示しています」と書いています。もしこれが事実であれば、チェコの民謡引用説は崩れ、ドヴォルザークが特にウィーンの聴衆のために交響曲を書いたという考えを裏付けることになります(
“Dvořák’s Reception in Liberal Vienna: Language Ordinances, National
Property, and the Rhetoric of Deutschtum,” by David Brodbeck )。
この「お祖父さんの踊り」は、17
世紀に起源を持つと考えられているドイツの伝統的なダンスまたは歌詞のついた民謡としても知られています。ロベルト・シューマンのピアノ曲『蝶々(パピヨン)』(作品2:1829-31年)の終曲でこの「お祖父さんの踊り」の旋律が用いられていて、さらに『謝肉祭』(作品9:1834-35年)の終曲でも
Molt piu
vivace になってから採用されています。両者とも曲の終わりに現われているので、ドイツ人には「宴の終わりを告げる曲」として馴染みのある旋律であったことがわかります。ドヴォルザークはこれらシューマンのピアノ曲から発想を得ていたという見方も可能になります。しかし、曲の冒頭に使っていることから「宴の終わりを告げる曲」という認識はドヴォルザークにはなかったのかもしれません。以下の YouTube
では、『蝶々』と『謝肉祭』が譜面付きで聴けます。『謝肉祭』では1分8秒からこの旋律になります。