幸田 文作品のページ


1904年東京都生、幸田露伴の次女。1922年女子学院卒、28年結婚、38年娘を連れて離婚。晩年の露伴の看護を務め、露伴の死後文筆活動に入る。56年「黒い裾」にて読売文学賞、「流れる」にて新潮社文学賞・日本芸術院賞、73年「闘」にて女流文学賞を受賞。90年心不全により死去。娘:青木玉、孫:青木奈緒


1.父・その死

2.

3.崩れ

4.

5.台所のおと

6.きもの

7.ちくま日本文学005−幸田文

   


  

1.

●「父 その死」● ★★★

 
父画像

1949年12月
中央公論社刊
1950年08月
創元社刊

1955年12月
新潮文庫化

2004年08月
新潮社刊

(1600円+税)

 

2004/10/03

 

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幸田文、生誕 100年記念として刊行された一冊。
昭和22年夏、父・幸田茂行(露伴)の最後を看取った日々の記録「父−その死−」と、露伴との思い出記「こんなこと」の2篇。

やはり圧倒されるのは「父−その死−」
娘による父親の看病記という単純な思い出の書ではありません。父親には人一倍の矜持があり、一方の娘にも人一倍の依怙地がある。その2つの強い性格がぶつかり合いながらの看病記。
もちろん、底辺には父娘という愛情が通っています。しかし、厳しい父親であるが故に緊張を強いられ、また、父親=露伴であるが故に諸事に心惑わされる。したがって、愛娘らしい、静かに優しく看病するということにはならない日々。
本書は、父・露伴対娘・文という関係を象徴するかのような記です。そして、この記が女流作家・幸田文を生むきっかけとなったのですから、感慨深いものがあります。作家・幸田文さんの原点として、見逃せない一冊です。

もう一方の「こんなこと」は、日常の日々における父・露伴との日々を語った思い出の記。
元教育者の継母には無理と、露伴は文さんが14歳の時から女としての一通りの躾を始めたとのこと。「茶の湯活け花の稽古にゃやらない代り、薪割り・米とぎ、何でもおれが教えてやる」というのがその弁。
今の時代には思いもよらぬ「躾」ですが、姑以上の厳しさもあれば、母亡き娘への父親の愛情も感じられます。若くして死んだ弟も度々登場し、文さんの姉としての姿も印象に残ります。

「父−その死−」(1949年12月中央公論社刊)
 菅野の記/葬送の記/あとがき
「こんなこと」(1950年08月創元社刊)
 あとみよそわか/このよがくもん/ずぼんぼ/著物/正月記/啐啄/おもいで二ツ/あとがき

    

2.

●「 闘 」●        女流文学賞


1973年05月
新潮社刊


1984年04月
新潮文庫

  
1999/02/22

 
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結核療養の病院を舞台に、医師、看護婦、患者、それぞれの葛藤、闘いをノンフィクション風に描いた作品。

お互いに直すため、直るため、また看護をする、という共通の目的をもっている訳ですが、多忙、苦痛、所詮ひとりの人間でしかない、ということが重なると、そこに繰り広げられるものはそれぞれ“闘い”であると言わざるを得ません。

時代的には古い作品ですが、文さんの文章のもつ臨場感に圧倒される思いがあります。まさにドキュメンタリーという印象です。
最近軽い小説ばかり読んでいた所為か、久しぶりにプロの文筆家の小説に触れたという感じです。ひとつひとつの文章に重みがあります。

 

3.

●「崩れ」● 


1991年10月
講談社刊

1994年10月
講談社文庫化


1993/09/11

」「きものを読んだ時のような感動は、今回ありませんでした。ひとつには、本書の題材故のことだろうと思います。
における感動は、対象になった木と、文さんとの心の通い合いでした。本書の対象は、大地の崩れとか、生き物とは違い言わば鉱物です。木に対するような心の通い合いという余地が少なかったような気がします。
あくまでも文さんからの一方的な畏怖であり、懸念です。文さんの心配りは、対象である“崩れ”そのものより、そこに働く人々、その周囲に住み暮らす人へのものです。
そのことが程の感動を生じなかった理由だと思います。

     

4.

●「 木 」● ★★★

 
木画像

1992年06月
新潮社刊

1995年12月
新潮文庫化

  

1993/05/08

 

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文さんの綴る文章の見事さに感動する思いでした。
言葉の使い方が巧みで、今の人たちには使いこなせないような、或いは思いつかないような綴り方が随所にあります。「典雅な」という表現をしたら良いのでしょうか。
しつこくなく、あっさりと整った文章ですが、決してただ思うままに綴った文章ではありません。充分に練られ、また練られた上で書き綴られた文章だと思います。
文さんは、文中で折に触れ「眼福を得た」と述べていますが、文さんの文章に出会って読者もまた眼福を得ている、と言えるのではないでしょうか。

刊行当時「木に対してよくもまああれ程の思いをもてたものだ」という書評がありましたが、私も全くの同感です。文さんにとって、木もまた生き物であり、その内に人間性までも備えた同胞だったかのようです。
「木のきもの」という章では、木の表面を人間の着物に喩えています。その感性にはとても及びがつきません。
しかし、圧巻はなんと言っても「ひのき」。アテのある木は悪い木と決めつける本職の人に対して、そんな木こそ生長するのに苦労してきた木であって、そんなけなし方はあまりにひどい、木の身になれば恨めしくてくやし涙がこぼれます、と抗弁する部分。
日陰に育ち、人並み以上に苦労した人間だから、尚更かばい愛情を寄せるのに、いざ事なればそうした育ち故内面に持つに至った心の僻み・歪みを直接目にして茫然と立ちすくむ、そんな思いが文さんの文章の行間から伝わってくるような気がします。
薄手の一冊ですけれど、珠玉の随筆とお薦めできます。

    

5.

●「台所のおと」● ★★☆

  
台所のおと画像
 
1992年09月
講談社刊

1995年08月
講談社文庫

(514円+税)

  

2000/06/03

 

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読み始めてすぐ後悔しました。今まで本書はエッセイとばかり思い込んでいたのでした。短篇集だと判っていたら、もっと早く読んでいたのに。まあ、読み逃さずに済んで良かったです。
表題作の「台所のおと」が、なんといっても秀逸。文さんの文章の巧さを改めて感じます。プロの文筆家の文章とはこうしたものかと、感動せざるを得ません。小さな料理屋・なか川の主人佐吉が、若い女房あきの台所でたてる音から、実に様々なことこと、物事の奥にあることを感じ取っていく様を描いた一篇。

この一冊に収められた作品は、皆日常生活のささいな出来事を書き表したものです。それにもかかわらず、そこに書き出されている情感の豊かさ、深さには、溜め息つくばかりです。文さんの面目躍如というところでしょう。
本書を読む喜びは、ストーリィより、そうした文さんの情感の濃い文章に出会う楽しさ、人の感情の細やかさ、節度を知ることへの新鮮な驚きにあります。日本人の感情、気持ちの交感の中には、これ程までに細やかなものがあったのか、という思いです。戦後日本は、そうしたもの、人同士が互いに折り合って生活していく上での知恵を安易に捨て去ってきたのかと思うと、我ながら寂しくなってきます。
10篇の短篇の中には、病人、看病の苦労のことが多く描かれています。弟、父・露伴の看病経験がもとになっていることでしょう。「台所のおと」以外では、「祝辞」「おきみやげ」が格別気に入りました。

台所のおと/濃紺/草履/雪もち /食欲/祝辞/呼ばれる/おきみやげ/ひとり暮し/あとでの話

     

6.

●「きもの」● ★★

 
きもの画像

1993年01月
新潮社刊

1995年12月
新潮文庫化

 
1993/01/30

 
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うまいなあ、もう溜め息つく他ない、というのが読後感です。
ストーリィにすっと入っていく上手さ、主人公るつ子の細やかな心の動きを清流の流れの如く書き綴っていく筆運び、天性のものと言ってはあまりにありきたりですが、そう言う他ない文章力、感性が表れている作品だと思います。
小説の導入部分の見事さについてはプーシキントルストイがよく引き合いに出されますが、私にはこの作品の方がはるかに見事のように思えます。日本の作品ということもあるでしょうが。
るつ子という少女の中に、これ程多くの思いが秘められているものかという驚きもありますが、それにも増して、着物に対して篭められた女性の思いの強さ、深さに愕然としました。

着物を主題にしながらも、本書はるつ子という娘の、少女から娘へ、そして結婚に至る成長を辿るストーリィです。流れるように進む展開、言葉のひとつひとつ、文章のひとつひとつに細やかな人生の機微が含まれています。
刊行当時、水上勉さんは本書を評して「これこそ日本の小説を読む醍醐味ですね」と語っていましたが、その通りでしょう。
執筆されてから30年近くも経って漸く刊行された作品ですので、時代的にはかなり古いものですが、名品を味わうという面ではお薦めしたい一冊です。

   

7.

●「ちくま日本文学005 幸田 文」● ★★★

 
ちくま日本文学 幸田文画像

2007年11月
筑摩書房刊
(880円+税)

   

2008/01/17

 

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真に読み応えある一冊。
この「ちくま日本文学」シリーズ、まだ本巻を読んだだけなのですが、文庫本と手に取りやすい上に質の高い短篇・中篇作品を収録していて、価値すこぶる高いものがあると感じた次第。

いずれの作品も文さんの人生が投影されていて、唸るような思いで読み続けました。
そして改めて感じたことは、幸田文さんという女性は、やはり性情“強い(こわい)”人だったかな、ということ。「勲章」「段」「雛」等の作品を読むと特にそう感じます。
若くして亡くなった実母の気性を受け継いでいるところもあるでしょうし、早世した姉=歌が格別評判の良い娘だったこととの比較、父方の祖母が極めて厳しい人であり、また継母との関係、父=露伴の愛情の在り方も甘えを許さないものであったこと、それらの事情で増幅されたところがあったのではないか。
さらに、嫁いだ先の家業が傾き人知れぬ苦労を重ねたうえで離婚し、娘を連れて実家に戻り再び親掛かりとなる。そうしたことも文さんをさらに意固地にしたのでしょうか。
そうした諸々の事情が前半の短篇から、染み入るように伝わってきます。
作品の中で描かれる“躾け”は、現代の日本からするとまるで異国文化のように感じられる程厳しいものですが、果たして是か非か。
躾けがそのように厳しかったのは、親戚が多く、きちんとしないと親戚に顔向けできない。それだけ親戚もまた口煩かったのでしょう。その分きちんとした躾けが成ったと言えますが、反面子供の気持ちをくみ取る優しさに欠けていたように思います。

「勲章」は、結婚後の父・娘の置かれた状況の隔たりの大きさを描いて忘れ難い一篇。また「雛」は雛人形の飾りを描いて、気遣うことの深さに溜め息してしまった作品で、こちらも忘れ難い。
読売文学賞を受賞した「黒い裾」は、同じく着物をモチーフにした「きもの」を彷彿させる、完成度の高い見事な一篇。思わず見惚れた、という感じです。
エッセイ「結婚雑談」とそれに連なる短篇「長い時のあと」は、文さんの離婚体験そのものを踏まえた作品。結婚とは、離婚したらさぁ終りという訳にはいかない、という文さんの思いが切々と語られていて、味わい深い2篇です。

中篇「みそっかす」は、実母と姉の死、父と継母の確執の大きさを身に受けながら、頑なな性格故に自らもまた父母とぶつかり合うこと多かった中で成長していく少女(文さん)の姿を描いた名品。
テンポ良く読み易いこともありますが、前半の短篇ストーリィの前にある少女時代のことと思うと、まさに圧巻、感慨無量です。

勲章/姦声/髪/段/雛/笛/鳩/黒い裾/蜜柑の花まで/浅間山からの手紙/結婚雑談/長い時のあと/みそっかす/対談:樹木と語る楽しさ/(解説:安野光雅)

 

読書りすと(幸田文作品)   

   


 

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