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31.移された顔 32.天に星 地に花−久留米藩三部作− 33.悲素 34.受難 35.守教−久留米藩三部作− 36.襲来 37.沙林 38.花散る里の病棟 |
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空夜、逃亡、受精、安楽病棟、空山、薔薇窓、エンブリオ、国銅、アフリカの瞳、千日紅の恋人 |
受命、聖灰の暗号、インターセックス、風花病棟、水神(上下)、やめられない、蠅の帝国、蛍の航跡、ひかるさくら、日御子 |
「移された顔 Facial transplantation 」 ★★ |
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「臓器農場」等、これまでの帚木作品においても臓器移植を題材にした作品はありましたが、臓器移植の一環とはいえ、顔の移植となると従来の移植とはまるで異なった問題があることを、本書は告げています。 「顔のない顔」は、散弾銃を撃ち込まれて顔の殆どを失った主婦が主人公。顔を失いながらも、顔のおかげで命を取り留めた、自分のために何度もの手術を重ねてくれた外科医たちの気持ちに応えるためにもと、過酷な運命にもめげず生き抜いていこうとする彼女の強い意思には圧倒されるばかりです。 しかし、移植を受けた顔が全く見も知らない他人のものであったのならいざしらず、それが幼いころからの親友の顔だったらどうでしょうか。そんな状況に立った若い女性の煩悶を描いたのが戯曲形式で書かれた「移された顔」。親友の顔を毎日鏡で見る内、いつか自分の心が無くなってしまうのではないかと恐れる彼女の気持ちには迫真性があります。 顔の移植手術はさすがに未だ症例は少ないそうです。また移植と一口に言っても皮膚下の筋肉等も移植する必要があり、また当然ながら拒絶反応の問題もあるそうです。その辺りの詳細は「顔移植−あとがきにかえて−」で説明してくれています。 顔を失うということは四肢を失う以上に大きな苦痛だろうと思います。本書以前、短編集「風化病棟」中の「顔」という作品で顔を失った女性の話が書かれていましたが、その時どんなにショックを受けたことか。 顔のない顔/移された顔/顔移植−あとがきにかえて− |
32. | |
「天に星 地に花」 ★★ |
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2017年05月
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新田次郎文学賞を受賞した「水神」に続く、九州の久留米藩を舞台に百姓たちの姿を描いた力作時代長編。 主人公は、大庄屋の次男に生まれついた庄十郎。13歳の時に疱瘡にかかりながらも生き延びたことを契機に医師の道を志し、修行を経てやがて独り立ちします。 その庄十郎がいつも胸に抱いているのが、「天に星 地に花 ○○○○」という言葉。本書題名はその一部ですが、表題から隠されている部分が本ストーリィの鍵となっています。この言葉は、庄十郎の歩む道標になると同時に、著者から読者へのメッセージとなっています。 天に多くの星があるのも、地に多くの花が咲いているのも当たり前のこと。それと同様に治世者、上に立つ者は何を胸に持っていなくてはならないのか・・・・。 庄十郎にその言葉をもたらしたのは、父親の高松孫市であり、庄十郎が幼い頃に身を張って一揆を食い止めたまだ若い稲次家老であり、庄十郎が師事した小林鎮水の三人。その三人の薫陶を受けてこそ、庄十郎=高松凌水は民や子供から慕われる医師に成長しえたと言って過言ではないでしょう。 本書は、その庄十郎を主人公にした長い年月に亘るストーリィ。庄十郎の立ち位置は、事実の目撃者という処でしょう。医師という独立した立場、大庄屋の息子という生まれ、上記三人の薫陶を受けたという経緯からして、恰好の人物像であることに間違いありません。 そして、上記人物らと対照的なのが、算術大名と異名を取った久留米藩主であり、また庄十郎の実兄で大庄屋を継いだ八郎兵衛。民の上にありながら民に寄り添うという気持ちを持たないという点で共通します。 江戸時代という封建社会でのことですから、天災・不作=過酷な年貢、一揆という事態に直結しかねませんが、困難時に上に立つ者はどうあらねばならないのかという点に関して、本作品は現代にも通じる内容だと思います。 その時代、その時代に生きる人々、その状況の人々の思いを丹念に描き出した力作長編。 民の底力に視点を当てている点でも読み応え、考えさせられること、共にたっぷりです。是非お薦め。 宝暦四年(1754年)霊鷲寺/1.年貢改め/2.疱瘡/3.飢餓/4.蟄居/5.婚礼/6.鬼夜/7.開業/8.人別銀/9.一揆/10梟首/終章 |
33. | |
「悲 素 arsenic trioxide 」 ★★☆ |
2018年02月
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和歌山毒カレー事件を題材にした医学ドキュメントの大作。 ただし、本作品は上記事件を警察ドラマ風に描いた作品と予想してしまうと困惑することになると思います。 本書は、事件解明に関わった医学者の立場からこの事件を描いていったものであり、砒素とはどんな毒物か、何故早期にそうと発見することができなかったのか、そして砒素という毒物は人にどういった症状・障害を引き起こすのか、どのようにして毒カレ―事件と保険金詐取事件は解明されていったのかを、医学的見地から克明に描き尽くした、と言って良い作品だからです。 専門的な用語・説明が最初(警察への捜査協力)から最後(裁判での証人喚問)までずっと繰り返されますから、率直に言って読み切るにはかなりの根気も必要でしょう。 主人公は、砒素に詳しい九州大学医学部衛生学教授である沢井直尚。そのモデルは九州大学名誉教授の井上尚英氏とのこと。 本ストーリィは、和歌山毒カレー事件捜査のことだけに留まりません。 砒素という毒物が歴史に登場した数々の歴史的事件、小説にも登場したフローベール「ボヴァリー夫人」のこと、オウム真理教による松本サリン事件、という数々の毒物事件についても語られます。また同時に、被害者となった方たちについて、その後長きにわたる身体的・心理的影響についてもつぶさに語られていきます。 こうして詳細な事件の全貌を読んで知ると、その信じ難い内容には驚愕するばかりです。事実としてあった事件だからこそ重く、恐怖感は深く、そして何故?というやりきれなさを感じるのは、きっと私だけではないことでしょう。 本書は帚木蓬生さんとしても鎮魂の念を含めた、渾身の力作長編と言えます。 何故こうした事件が起きたのか、最後、主人公の口を借りた帚木さんのコメントは深く印象に残ります。 |
34. | |
「受 難 Cross」 ★☆ |
2019年03月
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「受精」「受命」に連なる作品。 登場人物は、前2作でお馴染みの津村リカルド民男、金東源。他に津村の妻となった舞子、金東源の妻となった李寛順も顔を見せます。 ただし、題材に関連するものがないとは言えないものの、ストーリィとしては新たな物語です。 上記登場人物の他、新たに登場し本作で重要な役割を果たすのは、美少女の姜春花(カン・チュンファ)です。 滝壺に落ちて水死、しかし大企業の会長だというその祖父からのたっての依頼により津村ら細胞工学研究所のメンバーが力を合わせ、iPS細胞により本人の複製として生き返った少女。 一方、2014年04月実際に起きた世越号転覆事故に模した“世月号転覆事故”にかかわるストーリィが、上記と並行して描かれます。 2つのストーリィがどう関わるのか。それは最後まで読んでのお楽しみです。 春花、肉体はレプリカですが脳は本物の遺体からの移植ということで、本物が生き返ったようなものとして皆から愛情を受けます。 小説のことですから、どんな不可能事でも易々と実現してしまいます。春花という高校生姿の美少女はその象徴と言えます。でも、だからと言って当人が幸せとは限らない、と思います。現実には、その線引きが難しい。 本書で帚木蓬生さんが語ろうとしたことは何なのか。世月号事件を絡ませサスペンス風味を加えたことで、ストーリィとしての面白みは加わりましたが、主題がぼやけてしまった印象が拭えません。まぁ、本シリーズに共通する問題ではありますが。 1.博多(1)/2.世月号(1)/3.麗水/4.遺体(1)/5.細胞培養/6.春花(はるか)/7.再会/8.江華島の秋/9.亀裂(1)/10.檀円高校(1)/11.初雪/12.亀裂(2)/13.修復(1)/14.京都/15.京の雪/16.博多(2)/17.亀裂(3)/18.すき焼き/19.麗水港/20.告白/21.壇円高校(2)/22.ソウル/23.世月号(2)/24.兪兵彦/25.済州島(1)/26.漢拏山/27.亀裂(4)/28.修復(2)/29.江華島の春/30.済州島(2)/31.柱状節理帯/32.はるか(春花)/33.遺体(2) |
35. | |
「守 教」 ★★☆ 吉川英治文学賞 |
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2020年04月
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「水神」「天に星地に花」に続く“久留米藩三部作”完結編。 ただし、ストーリィとして繋がりがあるものではなく、同じ久留米藩を舞台にしているということに留まります。 ストーリィは、戦国末期から始まり幕末まで、九州は久留米の高橋村で、切支丹弾圧という過酷な時代を越えて脈々とデウス・イエズス信仰を守り続けた農民たちの姿を描いた、力作歴史長編。 江戸時代の切支丹というと、禁止令〜弾圧〜極刑・隠れ切支丹〜一揆と過激な断片ばかりを思い浮かべてしまうのですが、片田舎の農村で何代にも亘って信仰が守られた本ストーリィを読むと、初めて全体像を目にした気がします。 本ストーリィでは、高橋村を導く大庄屋の一族を軸に描いていることによって視点がすっきりとし、読みやすくなっています。 仏教と比較してキリスト教がそれだけ優れていたのか、という点に関しては、私はそうは思いません。 しかし、当時仏教が習俗化していて人を教え導く力が弱体化していたのは事実でしょうし、本書に登場するポルトガル人アルメイダのように献身的に尽くす修道士や神父たちの姿、そしてその教えが明確で具体的だった点に、人々へ強く訴えるものがあったのでしょう。信仰が広まったのも当然、そして信仰を守り続けた高橋村の人々の姿に、感銘を受ける思いです。 長いストーリィの中で印象に残ったのは、 ・平田道蔵が信仰を貫くと共に、自らを犠牲にして村を守ろうとした行動 ・殉教してはいけない、殉教するのは聖職者たちで十分だと平田音蔵に説いた中浦ジュリアン、ペドロ岐部ら神父の言葉 ・宗旨人別帳が導入された時、互いに慈しみ合う姿は仏の教えに通じるものがあると隠れ信仰への協力を約した広琳寺の円仁老住職の姿 宗教、信仰の有り様を深く知るという点からも、是非お薦めしたい歴史小説の佳作です。 第1章 宣教:1.日田(1569)/2.生ける車輪/3.秋月/4.布教/5.高橋村/6.洗礼/7.神父/8.再訪/9.婚姻/10.巡察師T 第2章 禁教:1.秋月教会(1582)/2.伴天連追放令/3.追悼ミサ/4.巡察師U/5.宗麟夫人ジュリア 第3章 殉教:1.二十六人(1597)/2.久留米レジデンシア/3.秋月レジデンシア 第4章 棄教:1.甘木レジデンシア(1611)/2.切支丹禁教令/3.マチアス七郎兵衛の骨/4.宣教師追放/5.草野の禁令/6.柳川殉教 第5章 潜教:1.国替え(1621)/2.中浦ジュリアン神父/3.証文/4.磔刑/5.ペドロ岐部神父/6.嘱託銀/7.宗旨人別帳/8.絵踏み/9.経消しの水 第6章 開教:1.悲しみの節(1867)/2.浦上四番崩れ |
36. | |
「襲 来」 ★★ |
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2020年07月
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鎌倉幕府後期、北条家が実権を握っていた時代が舞台。 安房の片海で漁師の貫爺に拾われ育てられた見助は、その貫爺の葬儀の折に蓮長という若い僧と出会い、尊敬の念をかき立てられます。 その蓮長こそ、後に名を日蓮と改め、日蓮宗の開祖。 そして、日蓮を信奉する片海の館主=富木常忍に命じられ、見助は日蓮に仕え身の回りの世話をすることになります。 その日蓮、当時流行していた念仏教を敵視、国の支配者が邪宗を信仰しているからこそ世は乱れ、天変地異も起きると唱えます。 そして「立正安国論」を著し、外国からの侵略に備える必要がありと警告します。 見助はそんな日蓮から依頼を受け、蒙古の動きを見張るため、ただ一人安房から遥かに遠い対馬へと旅立ちます。 最初は日蓮の物語かと思ったのですが、見助が対馬に向かって旅立ってから、いやいやこれは数奇な人生を歩むことになった見助の物語と悟ります。 そして、見助は日蓮の手足、耳目となって長い年月を対馬で過ごし、ついには蒙古襲来という惨劇の目撃者となります。 蒙古襲来、学校で日本史として習った時は「元寇」。日本史の簡単な記述では、暴風雨により多数の船が沈没し、元寇は終結することになったというだけ。 中央から見れば九州一地方での攻防に過ぎなかったように見えますが、現地に足を置いてみれば、島民を皆殺しにされ、数多くの女・子供が戦利品として拉致された対馬・壱岐の惨劇には、目を覆わざるを得ないものがあります。 そこで感じたことは、帚木さんが書き続けてきた、九州を舞台にした歴史小説の一つに他ならない、ということ。 なお、日蓮上人に対してどうこうという思いはありませんが、国の乱れだけでなく、天変地異までも“邪宗”を信じる所為だと強弁する辺りは、とてもついていけない、という思いでした。 一方、見助が辿った足跡には、ロードノベルのような面白さもなくはなし。 1.片海/2.鎌倉/3.松葉谷(まつばがやつ)/4.旅路/5.対馬/6.来襲/7.身延山 |
37. | |
「沙 林−偽りの王国−」 ★★ |
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2023年09月
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オウム真理教、松本・東京地下鉄のサリン事件。 最初、今さらオウム?と感じたのですが、振り返るとあの信じ難く、日本中を驚愕させた事件から四半世紀。 忘れてはいけない事件として、今また振り返るのも、充分に意義あることと思います。 主人公となるのは、「悲素」にも登場した毒物学の権威である九州大学医学部衛生学教授の沢井直尚。 医師である沢井教授の視点から、あのオウム真理教が起こした一連の犯罪行為、とくに化学兵器として毒薬を製造・駆使した経緯と結果のすべてが詳細に語られます。 今振り返っても、一体何のためにこれだけの犯罪行為がなされ、何故そこに至るまで放置=警察による捜査が行われなかったのかと、愕然とする思いです。 結局、すべては視覚障碍者としての劣等感にさいなまれ妄想を繰り広げた松本智津夫の行動、そして宗教法人として認可されてしまった故か調査・捜査の手を控えてしまった役所・警察の怠慢、情報共有の欠如を強く感じさせられます。 被害者となった多くの方たちに胸傷みますが、中でも捜査初期段階でマスコミにより深刻な被害者でありながら犯人扱いされてしまった河野氏について、改めて胸が痛まずにはいられません。 それにしても化学兵器(毒物)は本当に恐ろしい。使用しやすいという点では核兵器より怖ろしいと言うべきかもしれません。 第一次世界大戦で使われ、それが広まらなかったのは報復される危険を感じたから、と作中で沢井教授により語られています。 爆弾なら使用されればすぐに分かりますが、毒物はすぐに分からない処が恐ろしい。それは松本事件、東京地下鉄事件等でもそうでしたし、本作でも最近の使用例として金正男暗殺事件に言及されています。 人間の知恵とは、こうした許してはならない行為を規制する仕組みを作り上げることができるか、によって試されるのではないでしょうか。 ※事件ものストーリィとしては、各事件の内幕の他、法廷における松本智津夫の姿、弁護団の執拗な問いに証人として真摯に答える主人公の様子なども、読み応えがあります。 1.松本・1994年6月27日/2.上九一色村/3.東京地下鉄/4.目黒公証役場/5.警視庁多摩総合庁舎敷地/6.地下鉄日比谷線と千代田線の被害届/7.犠牲者とサリン遺留品/8.サリン防止法/9.VXによる犠牲者と被害者/10.滝本太郎弁護士殺人未遂事件/11.イペリットによる信者被害疑い/12.温熱修業の犠牲者/13.蓮華座修業による死者/14.ホスゲン攻撃/15.教祖出廷/16.逃げる教祖/17.教祖の病理/18.証人召喚/19.死刑執行/後記/主要参考文献 |
38. | |
「花散る里の病棟」 ★★ |
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4代にわたる医師の家系=野北家(3代は町医者)を軸に、各時代における医師の奮闘する姿を描いた連作小説。 初代は曾祖父の保造。郷里で開業するが50歳過ぎで急死。 2代目は祖父の宏一。軍医としてルソン島に従軍、幸いにも生き延び復員。町立病院の院長を経て開業医。 3代目は父の伸二。勤務医を経て内科医院を開業。 4代目の健は外科医。2年の米国留学を経て肥満手術。 本作の良さは構成にあります。 時代に沿って語っていくのではなく、自在に時代を入れ替えながら語っていくことで、各時代における医師の姿がくっきりと浮かび上がってくるように感じられます。 衝撃的であったのは、「歩く死者−2015年」と「胎を堕ろす−2007年」の2篇。 前者は、健が留学した先の医療センター。指導医であるデイブが健に、米国では貧困層が医療保険に入っておらず、受けるべき治療が受けられずに死んでいくという事実を語ります。 後者は、元日赤看護師の老女が伸二に明かした戦後の出来事。 中国大陸からの引き揚げ者、好まぬ事情で妊娠した女性たちに対して子宮掻把手術、早産させて嬰児殺しを行っていたという秘めていた事実が語られます。 「兵站病院−1943〜45年」は、宏一の戦時体験。 “軍医たちの黙示録”と副題を付した「蠅の帝国」「蛍の航跡」に通じる篇です。何度読んでも戦争というものの悲惨さ、過酷さを感じますが、今はウクライナの苦難にも通じます。 生々しく感じるのは、現在を描く「パンデミック−2019〜21年」の篇。言うまでもなく、新型コロナ感染下での医師たちの奮闘が描かれています。 時代ごとに医師の活躍も異なることが感じられますが、どの時代でも変わらないことは、医師という存在の必要性、重要性でしょう。 回虫治療の全力を尽くし「虫の医者」と呼ばれた初代=保造はその象徴的な姿かもしれません。 また、現代で健が肥満治療の外科手術を行っていること、健の婚約者となる内科医の田崎理奈が<糞便移植治療>に力を尽くしていることは、新しい医療の姿を見せられて興味津々です。 彦山ガラガラ 2010年/父の石 1936年/歩く死者 2015年/兵站病院 1943-45年/病歴 2003年/告知 2019年/胎を堕ろす 2007年/復員 1947年/二人三脚 1992年/パンデミック 2019-21年 |