藤本ひとみ作品のページ No.3

 

21.離婚まで

22.悪女が生まれる時(文庫改題:天使と呼ばれた悪女)

23.ジャンヌ・ダルク暗殺(文庫改題:聖女ジャンヌと娼婦ジャンヌ)

24.パンドラの娘

25.悪女の物語(文庫改題:マリー・アントワネットの娘)

26.変態

27.新・三銃士−ダルタニャンとミラディ−

 

【作家歴】、ルボンの封印、逆光のメディチ、コキュ伯爵夫人の艶事、ハプスブルクの宝剣、鑑定医シャルル・シリーズ3作(見知らぬ遊戯・歓びの娘・快楽の伏流)、ウィーンの密使、大修院長ジュスティーヌ、聖戦ヴァンデ、侯爵サド、侯爵サド夫人

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聖アントニウスの夜、マリー・アントワネットの生涯、暗殺者ロレンザッチョ、預言者ノストラダムス、バスティーユの陰謀、聖ヨゼフ脱獄の夜、マダムの幻影、恋情、貴腐、ジャンヌ・ダルクの生涯

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藤本ひとみ歴史館

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21.

●「離婚まで」●

 


2001年04月
集英社刊
(1500円+税)

2004年04月
集英社文庫化

 
2001/06/19

自分の楽しみを抑え込み、職場と主婦業との両立、ひたすら夫、娘たちに尽くすだけの結婚生活。
30年ぶりの中学校の同窓会に出席するため、久し振りに家を離れて郷里に向かった主人公・可奈子が、抑圧され続けた過去を清算し、新たな気持ちで行き直すことを決意する、というのが本書のストーリィです。

藤本さんにしては珍しい現代ものですが、それだけでなく、表紙帯には「なぜ、こんな結婚をしたのだろう−初の自伝的作品!」とあります。
どれくらいまで事実なのか、それが気になる筈だったのですが、結局そうした関心は消えました。というのは、本書に不満を感じた故。
普通の主婦が離婚を決意するというのは大変なことなのだ、という主張は判るのですが、その離婚決意を正当化するために、これ程までに、夫、夫の両親、実家の祖父母および実母を悪く書く必要があったのか。
もっと正々堂々と離婚を決意すれば良いじゃないか、と思うのです。その思いがある為、かなりキツイ評価となりました。

  

22.

●「悪女が生まれる時」● 
 
(文庫改題:天使と呼ばれた悪女)




2001年09月
中央公論新社
(1800円+税)

2005年04月
中公文庫化

  

2001/10/03

本書は、歴史上“悪女”と評価されている2人の女性に関する歴史エッセイ。
フランス革命時の女性ですから、何故いつものように歴史小説にならなかったのか?と思いますが、本書を読む限り、あまり魅力を惹かれる人物ではありません。その辺りがエッセイに留まった理由かもしれません。
一人目はシャルロット・コルデー、ジャーナリスト兼国民公会議員であったマラーを暗殺し、24歳という若さでギロチンにて処刑された女性です。13歳の頃から修道院暮らしで「プルターク英雄伝」を愛読し、英雄願望が強かった。しかし、考え方の幅は狭く、革命を理解していたとは思われない、と語られています。それにしても、本来の目的と異なり、ジャコバン党の面々を暗殺の共謀者として巻き添えにした結果“悪女”と評価されるに至った、というところが面白い。

2人目のテレジア・タリアンは、上記と対照的。スペイン貴族の生まれで、12歳の頃から性遍歴を始め、気が向くままその時々での隆盛な相手を選び、次々と男達を乗り換えていきます。「テルミドールの聖母」というのは、革命時の民衆が彼女を誤解してつけた呼び名。その後は革命議員タリアンの威勢に乗っかり、「第2のマリー・アントワネット」と呼ばれたというのですから、好き勝手やり放題、という女性だったのでしょう。でも盛りを過ぎた後は領地で安穏に暮らし、61歳まで生きたとのこと。その点でも、貴族の名前を持ちながら貧乏暮らしだったシャルロットとは、エライ違いです。
本書は、そんな対照的な2人の女性を、藤本さんの個人的感想を随所に入れ込みながら語った歴史本。

「暗殺の天使」シャルロット・コルデー/「テルミドールの聖母」テレジア・タリアン

   

23.

●「ジャンヌ・ダルク暗殺」● ★☆
 
(文庫改題:聖女ジャンヌと娼婦ジャンヌ)




2001年11月
講談社刊
(1900円+税)

 

2001/11/24

藤本さんにおいては、既にジャンヌ・ダルクの生涯という歴史エッセイが刊行されているので、まさか小説が登場するとは思いも寄りませんでした。
そしてまた、本格的歴史小説という面でこのところ低迷していただけに、久々に藤本さんらしい長篇歴史小説という点で本書は印象に残る作品です。
主人公であるジャンヌは、10歳の頃から従軍娼婦として生きてきて、神など存在しないという考えの持主。そのジャンヌの前に姿を現したのが、神の使いと名乗るラ・ピュセル(=ジャンヌ・ダルクです。
本書は、敬虔に神を信じる立場のジャンヌ・ダルクと従軍する名門貴族アルチュール・ドゥ・リュッシュモン、神の存在など信じない立場の娼婦ジャンヌと従軍貴族ジル・ドゥ・レ、その両者を対立軸として描きながら、百年戦争におけるジャンヌ・ダルクの奇跡を現実的に紐解こうとする、意欲的な作品です。
ジャンヌ・ダルクは果たして本当に神の使いだったのか、神は存在するのか、奇蹟の乙女ジャンヌとはどういった存在だったのか、いろいろと考えさせられます。
しかし、本書が読み応えある作品となっているのは、娼婦ジャンヌの、困難に屈せず、あくまで自分の知恵で事態を切り開こうとする、逞しい生命力をもった主人公像の故です。一方のジャンヌの目的がオルレアンの解放であったのに対して、娼婦ジャンヌの目的は、娼婦でも人間らしく生きられる世界への解放ではなかったかと思うのです。このジャンヌ、藤本さんの傑作ハプスブルクの宝剣の主人公エリヤーフーに比べれば小振りですが、同型の主人公と言えます(その所為か、似た部分があります)。ちょっとお薦め、という一冊。

※ジャンヌ・ダルクが登場する小説には佐藤賢一「傭兵ピエールがありますが、ジャンヌ・ダルクをどう考えるかという点では、B・ショー「聖女ジョウンの方が相応しいようです。

   

24.

●「パンドラの娘」● 




2002年03月
講談社刊
(1500円+税)

 
2002/04/21

友人との会話等を皮切りに、さてさて西欧歴史においては...と、おもむろに語り始めるエッセイ集。

・フランス宮廷でのトイレは? 
・「ギロチン」とは残酷なものなのか、そうではないのか?
・「ヴァレンタイン・デー」とはそもそも?
・絶対王政時における「愛人」とは?   等々、
西欧歴史好きにとっては、いずれも興味惹かれることばかり。

藤本ひとみ歴史小説の合い間に読むのに、格好の一冊。
休憩のひと時、お茶を飲みながら軽く読むのに向いています。

慎みに欠けるトイレ/恐ろしきダイヤと女/ベッドの中ですること/ギロチン女/ヴァレンタイン・デーの下心/すさまじきメンクイ/騎士の脚にご用心/ありがたくて面倒なビジュアル系/今どきの結婚式/化粧と女心の深い関係/テロが作った歴史/はるかな街に恋して/ロマンなクリスマス/誕生日の薔薇

     

25.

●「悪女の物語 マリー・アントワネットの娘 マルゴ王妃」● 
 
(文庫改題:マリー・アントワネットの娘)




2002年05月
中央公論新社
(1900円+税)

2005年01月
中公文庫化

  

2002/06/23

悪女が生まれる時に続く中央公論新社版・歴史エッセイ。藤本さんの新たなシリーズものとなりそうです。
主人公2人の内の最初は、フランス革命時処刑台の露と消えたマリー・アントワネットの娘マリー・テレーズ。ルイ16世一家のうち、彼女一人が72歳まで生き長らえた訳ですが、生涯一度も笑わなかったと言われる女性。一時的にはフランス王妃ともなった彼女の人生は、まさに波瀾万丈。フランス王家の後日談として興味を惹かれます。
次のマルゴ(正式にはマルグリット)は、アンリ2世妃カトリーヌ・メディシスの娘にして、ブルボン朝始祖となったアンリ4世の妃であった女性。生涯24人の恋人を持ったことから、色情狂と見なされています。

この2人については、“悪女”というより、歴史・時代に翻弄された女性と言うべきでしょう。サンバルテルミーの虐殺、フランス革命と、送った時代が過酷すぎる。それを思えば、多少の悪さぐらい仕方ないことと思えます。
この2人に関係するストーリィが、藤本さんの小説作品にあります。マダムの幻影預言者ノストラダムスがそれ。本書は、その小説の副読本ともなる一冊です。

マリー・アントワネットの娘/マルゴ王妃

         

26.

●「変 態」● 




2002年09月
文芸春秋刊
(1190円+税)

 

2002/11/04

主人公・矢口奈子は、日仏文芸作品の翻訳を仕事としている良妻賢母かつ翻訳家という、45歳。その奈子が初めて書き下ろした評伝は、プロの批評家から優等生すぎてつまらないと評される。
その奈子が次に書こうとしているのは、ナポレオンの最初の妻であったジョゼフィーヌの評伝。野暮ったい田舎娘から男性を惹きつける女性へと、ジョゼフィーヌが変身する転機となったのが修道院時代。その時代に何があったのか、その謎を奈子は辿ろうとします。
しかし、その謎を解く条件として奈子に与えられた課題は、ジョゼフィーヌと同じ体験をし、自分の身体で性の官能を知らなければならない、ということ。母親から優等生であることを第一に育てられ、性の歓びを感じたことがない奈子は、自分の殻を破る意思を固めて、見知らぬ性の領域に足を踏み出します。
言うなれば、
離婚までの延長上にある作品。「離婚まで」のストーリィを、藤本さんらしく官能的なドラマティック仕立てにした作品、という気がします。
しかし、後半の一部分に盛り上がりがあったものの、全体として盛り上がりに欠けた作品、という印象。
ジョゼフィーヌと関わりがあった人間として、侯爵サドの名前が登場する辺りが、藤本さんらしいところでしょう。

       

27.

●「新・三銃士 ダルタニャンとミラディ 」● ★★

 


2008年05月
講談社文庫刊

<少年編>
<青年編>
(800,629円+税)

 

2008/06/23

 

amazon.co.jp

デュマの名作「三銃士」を藤本さんならではの視点から再構成した物語。
どのようにかと言うと、これはダルタニャン&三銃士の物語ではなく、ミラディの物語です。つまり、同じ「三銃士」の物語を、ミラディ側=裏側から描いた物語。
そこではダルタニャンたち表側の単純な男どもには予想もつかない、女たちの謀略、奸計、出世欲とそれに基づく裏切りが幾度ともなく繰り広げられていた、という設定。
そこでの主役はミラディであり、もう一方に王妃アンヌを自分の意のままに操ろうとするシュヴルーズ公爵夫人がいます。

原作「三銃士」を読んで以来、ずっと腑に落ちずにいた疑問があります。それは即ち、仏王妃アンヌ・ドートリッシュと英国のバッキンガム公爵の恋物語。
それが本物語ではきっちり納得できるように物語られます。そうなると、ダルタニャンたちは女たちの出世欲から生まれた奸計に踊らされて、生命を危険にさらしながらかけずり回されているようなもの。
女たちの機略と狡知に比べれば、何と男たちの単純で、子供っぽいことか(銃士隊隊長トレヴィルを含む、唯一の例外はリシュリュー枢機卿ぐらい)、というのが藤本版「三銃士」の根底にあるようです。

ダルタニャンが野放図さと猪突猛進、剣で運命を切り開いていくのに対し、男たちから度々逆境に落とされながらミラディはその頭脳と決断力、そして美しい肉体という最大の武器を使って運命を切り開いていこうとする。
その姿は藤本さんの傑作ハプスブルクの宝剣の主人公エリヤーフーに似ますが、そこは政治家リシュリューの配下にあって女スパイという役柄だけに、是とばかりに言えない行動もある。そこがもうひとつ本物語を歓迎しきれないところ。
しかし、原作を土台に、巧妙かつ緻密にその裏側に全く別の物語を創り上げたという点で
隆慶一郎「影武者徳川家康を彷彿させる作品です。

なお、あえて種明かしをしてしまうと、物語の最後でめでたくダルタニャンはミラディと結ばれます。それだけで、本物語がどれだけ原作と違うか、判ろうというもの。
そして本物語を面白く読めるかどうかは、ミラディを公平な目で見れるかどうか次第。
また、ダルタニャンと関わる他の女性、ボナシュー夫人コンスタンスケティの原作とはまるで違った姿も見ることが出来ます。
いやはや女性とは、男性が思うような弱い存在ではまるでないようです。

   

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