Erich Kastner お薦めページ |
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ケストナーは子供の頃に
読みましたが、大人になってから読んだ時の方がもっとその素晴らしさを感じました。 |
A.大人向けの本
1934 |
創元推理文庫 |
ユーモア |
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1935 |
創元推理文庫 |
サスペンス |
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一杯の珈琲から(小さい国境往来) |
1938 |
創元推理文庫 |
恋 愛 |
ケストナーの終戦日記(1945年を銘記せよ) |
1961 |
福武文庫 |
記 録 |
2000 |
ちくま文庫 |
再 話 |
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人生処方詩集 |
2000 |
ちくま文庫 |
詩 集 |
B.子供向きの本、でも大人が読んでも楽しい本
1928 |
岩波少年文庫 |
出世作 |
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1931 |
ケストナー全集 |
内容豊か |
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五月三十五日 |
1931 |
ケストナー全集 |
空想的 |
1933 |
講談社文庫 |
名 作 |
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1934 |
ケストナー全集 |
続 編 |
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1949 |
岩波少年文庫 |
近年舞台に |
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1949 |
ケストナー全集 |
絵本向3作 |
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1963 |
ケストナー全集 |
円 熟 |
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小さな男の子の旅
●ケストナー短編● |
1927 |
小峰書店 |
短編2作 |
2000 |
ちくま文庫 |
名作・童話 |
注:上記作品はいずれも“ケストナー少年文学全集”(岩波書店刊)に収録されています。収録作品のうち「わたしが子どもだった頃」が未読です。 |
C.ケストナーに関する本
高橋健二 |
ケストナーの生涯 |
福武文庫 |
ご存知の訳者の本 |
D.ケストナー略譜
1899.2.23(明治32年) ドレースデンで出生 1918 ドレースデンの高校で卒業資格取得。ライプチヒ大学冬学期に入学 1922 ライプチヒ日報に勤務 1925 論文「フリードリヒ大王とドイツの文学」でドクトルとなる 1926 筆禍事件で新聞社を解雇される 1928 「エーミールと探偵たち」を刊行 (1930 映画化) 1931 「フェビアン」、「点子ちゃんとアントン」、「五月三十五日」刊行 1933 「飛ぶ教室」刊行 (ヒトラーが首相となり、ナチスによる焚書が行われる) 1934 「雪の中の三人男」、「エーミールと三人のふたご」刊行。国家警察に逮捕されるが即日釈放 1935 「消えうせた密画」刊行 1936 「ドクトル・ケストナーの叙情的薬局」刊行 1937 2回目の逮捕、即日釈放 1938 「ゲオルクと突発事件」(改題「小さな国境往来」)、「ティル・オイレンシュピーゲル」刊行 1939 ルイーゼロッテと同棲 1945 映画ロケ隊に加わり、ベルリン脱出、チロルへ。ミュンヘンで米軍指示による「新新聞」文芸欄編集長となる 1949 「動物会議」、「ふたりのロッテ」刊行 1951 ドイツ・ペンクラブ会長に選ばれる。母親死去 1952 「小さな自由」刊行、「ふたりのロッテ」がイギリスにて映画化 1954 「飛ぶ教室」映画化 1956 再話「ドン・キホーテ」、「独裁者の学校」刊行。ミュンヘン市の文学賞受賞 1957 「わたしが子どもだったころ」刊行。フリーデル・ジーベルトとの間にトーマス誕生。父親死去 1960 ハンス・クリスチャン・アンデルセン金牌賞受賞。 1961 「1945年を銘記せよ」、再話「ガリヴァー旅行記」刊行。「ふたりのロッテ」ディズニー映画化 1962 「エーミールと探偵たち」ディズニー映画化 1963 「サーカスの小びと」刊行 1967 「サーカスの小びととおじょうさん」刊行 1968 ドイツ・フリーメーソン文学賞受賞 1970 ミュンヘン市の文化名誉賞受賞 1974 ミュンヘン市の名誉金牌受賞。7.29食道癌のため死去 |
○
エーミールと探偵たち
○ 飛ぶ教室 ○ ファミリー・ゲーム(ふたりのロッテ) |