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東伊豆の湯巡り [伊東温泉] byうつぼ


■伊東温泉について


<プロフィール>

伊東温泉は、500軒を越える宿泊施設を擁するといわれ、熱海とともに伊豆を代表する大温泉地です。東京から近いという地の利もあって、明治期以降、幸田露伴、川端康成、北原白秋、室生犀星、与謝野鉄幹・晶子、高浜虚子など錚々たる文人を迎え、市内には文学碑をはじめ文化の香り高い史跡が点在しています。

松川沿いの柳並木を背景に「東海館」や「いな葉」など、重厚な和風旅館が軒をならべる風景は、新興温泉地ではけっして創り出せないしっとりとした味わいがあります。また、熱海と異なり東伊豆方面への通過車輌を海沿いのバイパスに逃がしているため、温泉街には比較的落ち着いた空気がただよっているのもいいです。

伊東温泉を象徴するのは多彩な共同浴場でしょう。「七福神の湯」(湯川第二浴場(弁天の湯)、松原浴場(大黒天の湯)、和田湯(寿老人の湯)、芝の湯(毘沙門天の湯)、新井の湯(恵比寿の湯)、岡湯(布袋の湯)、おがわ湯(布袋の湯)、鎌田浴場(福禄寿の湯))のほかに、子持湯(湯川第一浴場)、汐留の湯(湯川第三浴場)などがあり、いずれも低料金で観光客にも開放されています。

なお、「七福神の湯」は、市内に点在する七福神(新井神社(恵比寿神)、海上山朝光寺(大黒天)、海光山仏現寺(毘沙門天)、桃源山松月院(弁財天)、宝珠山最誓寺(寿老人)、稲荷山東林寺(布袋尊)、水東山林泉寺(福禄寿))に因んだものと思われます。

県内では熱海とともに国際観光文化都市に指定され、按針祭をはじめ、松川タライ乗り、箸まつり、伊東大田楽、花笠踊りなど、祭りやイベントも盛んです。


「いな葉」の玄関
 
<歴史>

伊東温泉の歴史は古く、平安時代貞観年間に上総介藤原資範が入浴した記録が残っています。華々しい開湯伝承はみつかりませんでしたが、いわゆる”伊東三湯”(和田湯、出来湯、猪戸ノ湯)のひとつ猪戸ノ湯は、いのししが傷を癒していることから発見されたといわれています。

江戸期の慶安三年には、三代将軍家光にお湯を献上(和田浜から「お汲み湯送り」の船が出たという記録があるらしい)し、江戸中期以降は湯治場として賑わったと伝えられています。なかでも、和田湯は別格で、現和田湯会館の外壁には誇らしげに「江戸幕府将軍献上の湯 大名方入湯・・・」と書かれ、先年、和田湯400年祭も開催されています。

明治末期からの機械掘り導入により源泉数・湯量が急増し、療養・別荘地として発展を遂げました。「東海館」「いな葉」など和風建築の粋を凝らした名旅館が建てられたのは大正から昭和のはじめにかけてです。

昭和13年の伊東線開通により観光地化が急速に進んで、昭和25年には国際観光文化都市の指定を受けました。ちなみに国際観光文化都市に定められた温泉地は別府、熱海、伊東のみで、観光業界ではこの3湯を”日本三大温泉場”として数えることもあります。


「東海館」の望楼からの伊東の町並み
 

<温泉>

全国有数の湯量を誇る温泉地として有名で、「現在では769口(源用328口)の温泉湧出口を数え、毎分33,000〜35,000L(25〜68℃)にものぼる湧出量は、全国第4位の位置を占めます。」(伊東市および観光協会のHPより引用)とのこと。

ちなみに、日本温泉協会発行の「温泉」第70号7月号(平成14年7月)記載の「温泉統計ベスト10」によると、源泉総数は別府、由布院についで3位、総湧出量は別府、由布院、奥飛騨につづき4位と、関東のみならず日本屈指の温泉地であることがわかります。

潤沢な温泉資源を背景に、贅沢な湯づかいを楽しめる温泉地として定評があり、旅館ホテル協同組合が以前、ネット上で公開していた温泉概要によると、組合加盟50施設のうち、じつに30軒(60%)が自家源泉、35軒(70%)がかけ流しとなっています。泉質は単純温泉と塩化物泉がメインで、少ないながら硫酸塩泉もみられます。塩化物泉の多くは弱食塩泉で、熱海にくらべると薄めで浴感おだやかなお湯といえそうです。


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