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東伊豆の湯巡り [熱海温泉] byうつぼ


■熱海温泉について


<概要>

かつては「東の熱海、西の別府」と謳われた、わが国を代表する巨大温泉地、熱海温泉。団体客向けの大規模ホテルをメインに宿泊施設の数は400とも500ともいわれています。ながらく温泉界をリードしてきた熱海ですが、近年は団体客の減少や行楽客の大型施設離れの逆風にさらされています。廃墟や空き地の目立つ温泉街に往年の勢いは見られず、抜本的な活性化策が必要な温泉地ともいわれます。


大湯間欠泉
 
<歴史>   ※>(熱海市温泉調査報告(熱海温泉組合)などを参考に編集)

風土記には、「大己貴命は民が若死にするのを憫んで少彦名命に製薬温泉之術を与え伊豆国の神の湯に遺わされた。この湯は一昼夜に二度烈しく沸騰して噴出する。これを桶に入れて身を浸すと諸病が悉く治った」という記載がみられます。

また、仁賢天皇4年(491年)、蚊島穂台君の屍を伊豆国熱海の海底に沈めたところ、海底から忽然と温泉が湧き上がり、海水が熱湯となって魚が焼け死に漁ができなくなってしまった。以来、ここを”あつみが崎”と呼び、これが”熱海”の由来になったと伝えられています。

奈良期の749年、箱根金剛王院の万巻上人が魚や漁民を救い、温泉の恩恵を広めるために薬師如来に祈祷し、海中の温泉脈を山腹に移して少彦名命を祀り、薬師如来を本地として湯前権現(現在の湯前神社)とされました。泉源を移した先が大湯であると云われています。

熱海がその名を一気に高めたのは、慶長年間の家康公の湯治です。4代将軍家綱公以後には、大湯の湯を”御汲湯”として大名行列なみの格式をもって江戸城まで送ることが恒例となりました。(最古のローリー温泉か?^^; ”御汲湯”にあやかってか、熱海から温泉を取り寄せた江戸の風呂屋の記録も残っているようです。)

これを契機として、江戸期には多くの大名を迎えることとなり、熱海の名は全国に広まりました。加えて、お伊勢参り、富士講などの行き帰りに庶民層も熱海に立ち寄るようになり、活況を呈しました。

明治に入ると元勲達もしばしば湯治や静養に訪れ、この地で重要な会議・会談も開かれています。また、日本初の本格的温泉療養施設といわれる「吸気館」も設置され、熱海が温泉療養の面でも最先端に位置していたことがわかります。明治30年代には、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」が発刊され、”貫一・お宮””お宮の松”のイメージとともに熱海の知名度はますます上がっていきました。

大正14年の国鉄の開通、昭和9年の丹那トンネル開通など交通利便性の高まりとともに、熱海は日本を代表する温泉観光地となり、めざましい発展を重ねます。

戦後、高度成長期の旅行ブームに乗って、社員旅行や新婚旅行の行き先として脚光を浴びつづけた熱海は、施設の大型化と娯楽施設の充実に努め、一大歓楽温泉地を形成しました。昭和39年の新幹線開通はその方向性にますます拍車をかけ、海岸沿いに大型豪華施設が林立する熱海の夜は”100万弗の夜景”といわれ、高度成長を象徴する風景としてしばしばとりあげられました。

その後、平成不況の波や観光客の志向の変化によって熱海の苦戦がはじまり、いまだに抜本的な活性化策が見いだせているとはいえませんが、「地元若者を中心に、熱海の原点に戻り、温泉文化を大切にした街造りを模索する機運」(同報告より)が高まっているようです。


湯前神社

こんな風情ある建物も・・・



<温泉>


熱海七湯(大湯、小沢の湯、野中の湯、佐治郎の湯、河原湯、風呂の湯、清左衛門の湯)に象徴されるように、昔から泉源の豊富な温泉地として知られてきました。

熱海の温泉については、平成15年2月に実施された熱海温泉組合の温泉実態調査があります。(このような地味ながらしっかりとした調査を行い、情報公開しているところに熱海の温泉に対する自負と良識を感じます。)これによると、温泉井545ケ所#(うち市街地346ケ所)、温泉の平均温度66.0℃(市街地平均)、平均湧出量59.1L/min(同)で、総湧出量は18,023L/minに及びます。
#):市街地、上多賀、下多賀、網代、泉、伊豆山エリアの合計

泉質は多彩で、硫酸塩泉34.3%、塩化物泉56.2%、単純温泉8.2%、アル単1.3%という比率になっています。海側はおおむね塩化物泉系で、とくに来宮駅東側を流れる糸川沿いに塩化物泉ラインが侵入(侵入フロント?)しています。

熱海駅の北西山側は硫酸塩泉&単純温泉、来宮駅北側の西熱海町から南下した山側の梅園町、水口町、小嵐町、桜木町あたりにかけてはおおむね硫酸塩泉系となっています。
また、陽イオンでCaの構成比が高い点も特徴としてあげられるかと思います。


伊豆名物の金目鯛
 


<熱海考>

”凋落”という言葉さえ使われる熱海温泉低迷の理由は、いろいろな場で語られていますが、コメント風にまとめるとこんなところでしょうか。

 1.団体客ばかり大事にして個人客がないがしろにされているようで嫌。
 2.オヤジ好みのお色気スポット&サービスばかりがやたら多くて楽しくない。
 3.東京から新幹線45分乗っていきなり到着じゃ、旅行気分がでない。
 4.とにかくなんでも高い、ボッタクリ体質で気分が悪い。
 5.今さら”貫一・お宮”でもないし、温泉なら箱根、海なら伊豆の方がいい。

等々、まだありそうですが、個人客・女性客主導の時代の流れからかけ離れてしまったところに大きな原因があるように思えます。それでも年間300万人近い宿泊客を集めているそうですから、まだまだどうして大したものです。

今回ひさしぶりに行ってみて感じたのは、やたらと街なかの交通量が多いこと。とくにタクシーの運転が異様に荒く、都内を歩くよりもぜんぜん怖いです。これではとうてい温泉街をゆったり歩くことなどできません。
R135が海側と街なかを通り、東伊豆への通過車輌による渋滞の名所となっていて、溢れた車や抜け道を使うタクシーが路地まで乱入します。

駐車場もあちこちに分散され小規模で入れにくいところが多く、しかも混んでいるので、車を停めるのも一苦労。街なかには源泉や史跡などみどころも多いので、しっかりと歩車分離して整備すれば、散策する人も増えるのでは?。七湯めぐりなど、面白そうな企画もはじまっているので今後に期待したいです。

また、手頃な日帰り施設が少ないのも熱海のウィークポイントかと思います。日帰りできる施設はけっこうありますが、旅館の日帰りは当然のように4ケタ、共同浴場は一部をのぞいて思いっきり敷居高そうだし、日帰り施設は高料金のスパ系ばかり。これでは気軽に熱海のお湯を楽しもうという気にはなれません。

今回、熱海の2湯に入ってみてその実力を再認識したので、この名湯をシンプルかつリーズナブルに楽しめる施設があるといいのでは?と思いました。

 

 


やませみさんより  Re:熱海温泉  投稿者: やませみ  投稿日: 6月20日(月)17時36分48秒

>うつぼさん
> 来宮駅東側を流れる糸川沿いに塩化物泉ラインが侵入(侵入フロント?)しています。

塩水化が顕著なのは海岸部と和田川沿い(南熱海)で、高張性のCa−塩化物泉が現れています。糸川沿いの旧熱海七湯の近辺は、昔ながらの泉質がわりと残っているほうです。
なかでも、上宿新宿共同湯は明治期の大湯の分析にひじょうに近いです。

ここは外来大歓迎ですので、気軽に訪問してみてください。
近ごろ空洞化による組合員の減少で存続がきびしい状況だそうです。
フジヤ裏の糸川沿い、お寺の門前にあります。 月休 1430-2030時 400円

なお、M教授の「温泉主義No.4」が6/15に唐突に発刊(びっくり!)
特集は熱海です。
http://www.kumazasa.co.jp/onsen-s/bn/on4/



うつぼより   Re:Re:熱海温泉  投稿者: うつぼ  投稿日: 6月22日(水)00時16分41秒
>やませみさん
>塩水化が顕著なのは海岸部と和田川沿い(南熱海)で、高張性のCa−塩化物泉が現れています。糸川沿いの旧熱海七湯の近辺は、昔ながらの泉質がわりと残っているほうです。

引用したのは、分布図に記入されている「塩化物泉と硫酸塩泉の境界」ラインで、塩化物泉エリアには、主成分が塩化物のNa・(Ca)-Cl / Na・(Ca)-Cl・SO4など、硫酸塩泉エリアには、主成分が硫酸塩のNa・(Ca)-SO4 / Na・(Ca)-SO4・Clないしは単純温泉が主に分布しています。
高張性食塩泉を侵入フロントの目安とするならば、「塩化物泉と硫酸塩泉の境界」ライン=侵入フロントとするのは妥当でないかもしれません。

かなりデフォルメされた分布図なので、詳細なエリア把握は難しいですが、やはり糸川沿いに塩化物泉ラインが内陸深くまで入り、逆に来宮駅西側の初川沿いでは硫酸塩泉ラインが海側に張り出しています。海岸部および和田川沿いはおおむね塩化物泉系です。
ご指摘のあった上宿地区には、たしかにNa・Ca-Cl・SO4やNa・Ca-SO4・Clのマークが何ヶ所かあって、海水化の影響が比較的少ないエリアのようです。
ところで、Ca-Cl泉というのがあるらしいですが、いちど入ってみたいです。



やませみさんより  ちょっとだけ  投稿者: やませみ  投稿日: 6月22日(水)17時44分7秒

> うつぼさん
> Ca-Cl泉というのがあるらしいですが、いちど入ってみたいです。
渚共同湯が Ca-Cl泉で、Ca=80mval%くらい。
 


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