byやませみ


7 関東周辺の温泉

7-5 群馬県北西部の温泉

群馬県北西部(利根郡・吾妻郡)は関東地方でも屈指の温泉密集地帯です。これらの多くは自然湧出ないし浅い掘削による温泉で、浴用に適当な温度で豊富に湧出するため、古くから湯治場として利用されてきました。これらの温泉は成因的にみると典型的なグリーンタフ型温泉(→4-3章)ですが、成分はどのような特徴をもっているのか、地下ではどのように形成されてくるのか、若干の考察をしてみようと思います。なお、本項の内容は新治村で2004年3月に開催された「温泉を活用した健康づくりウィーク」の講演で発表したものを含んでいます。




図7-5-1 おもな温泉地の分布

7-5-1 温泉の歴史と概要

おもな温泉地の歴史と源泉の現況を要約します。

群馬県の温泉史については、木暮・萩原(1980)の「群馬の温泉・上毛新聞社刊」にまとめられているので、これを基にしています。本書は残念ながら絶版になっているので、ぜひ再販を願いたいところです。また、明治期の様子
は、明治19年刊行の「日本鉱泉誌」と明治25年刊行の「上野鉱泉誌」に簡単な記載があり、以下では前者を(鉱)、
後者を(上)として引用します。
 
源泉については、施設掲示の分析表のほか、群馬県のまとめた温泉利用状況(H15)や温泉調査報告書を参考にしました。湧出量についての最近の資料は少ないので、S55年度の全国温泉利用状況を一部参考にしましたから、現状とはやや異なる場合もあるかもしれません。群馬県には積極的な情報公開を進めてほしいものです。


【奥利根・三国エリアの温泉】

非常に古い発見伝承をもっている温泉もありますが、なにぶん僻遠の地なので古記録も少なく、江戸期以前の様子はほとんどわかっていません。明治期には現在の主な温泉がほとんど出そろっていることをみると、古くから民間に利用されていたことは確かなようです。明治期まで上州と越後を結ぶ街道は、新治村を通る三国街道と谷川連峰の北側を越える清水街道の2ルートで、ここを往来する旅人の利用も意外に盛んだったようです。

とはいえ、年間の浴客は多いところでも法師の約1700人、ほかは数百人程度ですから寂寞としたものだったでしょう。その様子は若山牧水の「みなかみ紀行」にしみじみと描写されています。このエリアの温泉が広く知られるようになるのは昭和初期に上越線が開通してからで、現在も続く温泉宿はこのころに相前後して創業したものが多いようです。

湯の小屋温泉
<歴史>
発見伝承はなく、(鉱)(上)にも記載されていませんが、川底に湧く温泉は古くから利用されていたようです。ただし、名称にあるように近年まで露天に小屋掛けした程度のものだったそうです。今では設備のよい宿ができ、秘湯として人気があります。
<源泉>
 利用源泉は2カ所 140mと180mの掘削動力泉 湧出量は約750 L/min
 単純温泉(Na-Cl型) 約60℃ pH=7.2〜8.1 

宝川(たからがわ)温泉
<歴史>
旧名を「白鷹の湯」といい、日本武尊にちなむ発見伝説があります。(鉱)では浴舎二戸湯槽四個浴客500人と記載されており、奥地のわりに賑わっていたのは湯量が多かったせいでしょうか。大正11年に汪泉閣が創業し現在に至っています。
<源泉>
 利用源泉は4カ所 225〜500mの掘削動力泉 湧出量は約1900 L/min
 単純温泉(Na-Cl型) 〜70℃ pH=7.9〜8.3

湯檜曽(ゆびそ)温泉
<歴史>
奥州阿部氏の子孫が発見という伝承があります。「ゆびそ」という変わった名称は「湯が潜む村」という意味だそうですから、ある種の隠れ里だったのでしょうか。裏街道の清水越えは江戸期には閉鎖されていましたが、明治期には国道として復活し、(鉱)には浴舎一戸浴客550人、清水越えの旅客来浴するもの多しと記載されています。昭和6年に大清水トンネルが完成し上越線が全通すると谷川岳や奥利根の観光客が増えて発展しました。
<源泉>
 利用源泉は12カ所 自然湧出泉と浅い掘削動力泉 湧出量は約800 L/min
 単純温泉(Na-Cl型) 〜54℃ pH=8.0〜8.4

谷川温泉
<歴史>
木花咲耶姫が衣のすそを洗ったという伝承にちなむ「御裳裾の湯」という風雅な旧名がついていました。(鉱)には
湯戸一浴客700人とあり、小規模ながら奥利根エリアで最も賑わっていたのは谷川岳の信仰登山と深い関係があったようです。水上の発展とともに盛んになりましたが、今でも落ちついた雰囲気が残されています。
<源泉>
 利用源泉は16カ所 60〜500mの掘削動力泉と自噴泉 湧出量は約1000 L/min
 単純温泉ないしCa・Na−SO4・Cl 〜60℃ pH=8.0〜8.5

水上(みなかみ)温泉
<歴史>
旧名は「湯原の湯」で、永禄年間(1558-)に健明寺の海翁住職が発見という伝承があります。具体的な人名が出てくるのはこのエリアでは珍しいので、比較的新しい温泉であることがわかります。(鉱)では浴客86人と僅かで、大正ころまでは湯原村の共有するいわゆる地場の湯だったようですが、上越線の開通後により大規模な温泉街がつくられるようになりました。かつての温泉は今の水上橋あたりが発祥で、その後に周辺へ広がっていきました。
<源泉>
 利用源泉は8カ所 250〜690mの掘削動力泉(一部自噴) 湧出量は約950 L/min
 Ca・Na−SO4(・Cl) 〜50℃ pH=7.6〜8.6

上牧(かみもく)温泉
<歴史>
発見伝承はありませんが、温泉が湧くことは古くから知られていたようです。(鉱)には記載がなく、(上)には小川村所在として赤沢鉱泉と根子滝鉱泉といういずれも硫黄泉が記載されていますが、現在のどこになるか不明です。大正13年に上越線が沼田まで開通し、大正15年に深津氏(辰巳館)が掘削して開発をはじめてから交通の便がよいことで急速に発展しました。
<源泉>
 利用源泉は4カ所 150〜300mの掘削動力泉 湧出量は約460 L/min
 Na・Ca−SO4・Cl 温度不明 pH=7.2〜8.0

湯宿(ゆじゅく)温泉 
<歴史>
(鉱)では新巻鉱泉、(上)では湯川原鉱泉となっています。仁寿年間(851-)の発見というたいへん古い伝承をもち、江戸期にも街道沿いの湯治場として広く知られていたようです。とはいえ、(鉱)では浴舎四戸浴客780人と記されてますから、とても小規模な湯場だったようです。今でも共同湯は4箇所で宿数もさほど増えておらず、古い湯治場の形態を残す貴重な温泉地です。
<源泉>
 利用源泉は6カ所 自然湧出泉と浅い掘削動力泉 湧出量は約320 L/min
 Na・Ca−SO4 〜63℃ pH=7.4〜8.7

猿ヶ京(さるがきょう)温泉
<歴史>
猿ヶ京は三国街道の関所がおかれた宿場町です。天和年間(1681-)の開湯といわれる温泉は川底に点々と湧出しており、旧名は「湯島の湯」「笹の湯」などといいます。(鉱)(上)には湯島鉱泉と生井林鉱泉があり、それぞれ浴舎二戸浴客176人、浴舎一戸浴客750人と記載されています。ただしこれらは昭和34年の相俣ダム完成により赤谷湖に沈み、現在の温泉街は台地上に移転して発展したものです。今でも「湯島」の名は源泉名に残っています。
<源泉>
 利用源泉は5カ所 100〜280mの掘削動力泉 湧出量は約1870 L/min
 Ca・Na−SO4ないし単純温泉 〜64℃ pH=7.3〜8.0

川古(かわふる)温泉
<歴史>
(鉱)には室町時代の宝徳年間に発見とありますが出典は不明です。もとは赤谷集落の十二神社の所有で、旧名は「茂倉の湯」「ぬる湯」などといったそうです。(鉱)の記載は浴舎一戸浴客33人で、(上)には記載がありませんから、地人が細々と来浴していたものと思われます。昭和初年に旅館が創業されて現在に至り、効能の高い湯として知られるようになりました。
<源泉>
 利用源泉は1カ所 150mの掘削自噴泉 湧出量は約750 L/min
 Ca・Na−SO4 40℃ pH=8.0

法師(ほうし)温泉
<歴史>
元禄年間(1688-)の開湯という伝承があります。現在の旅館は明治6年の創業で当時としてはたいへん豪壮なものだったらしく、(鉱)の記載では年間1727人とあり、三国エリアでは一番の浴客を数えて賑わっていたようです。泉源上につくられた古い浴場が大切に維持されている、温泉文化的にも重要な宿です。
<源泉>
 利用源泉は2カ所 自然湧出泉 湧出量は約380 L/min
 Ca・Na−SO4 41〜43℃ pH=7.1〜8.2


【吾妻エリアの温泉】

奥利根・三国エリアに比べると明治期の浴客は数倍多く、早くから湯場の整備が進んでいたことが伺われます。とくに沢渡と川原湯は草津往来の途中にあるため広く諸人に知られ、いわゆる「草津のなおし湯」として利用されてきました。四万は草津往来とは無関係に発展し、交通の不便さにもかかわらず多くの浴客を集めていたのは卓越した湯の効能が認知されていたからでしょう。

昭和になってからは上越線の全通した奥利根エリアとの較差が大きくなり、一時期は全体にかなり衰微したようで
す。草津鉄山の鉱石を運ぶため昭和二十年に吾妻線が長野原まで開通し、ようやく賑わいがみられるようになりました。近代の発展が遅れたぶん、古くからの温泉共同体が維持され、文化的伝統がよく残されている地域です。

大塚温泉
<歴史>
旧名は「尻高ぬる湯」で、平安時代前期または鎌倉時代に発祥するという古湯です。かつては高温であったところ
、下女が馬の骨を投げ込んで薬師様が怒りぬる湯になったという説話がありますが、中世からすでにぬる湯だったらしく、戦国の傷病兵の治療に利用されていたようです。戦国時代から明治中頃まで萩原氏が連綿と湯守をつとめ、(鉱)では浴舎二戸・浴客およそ千人と記されています。いまも鄙びた一軒宿ですが、根強いファンはけっこう多いようです。
<源泉>
 利用源泉は2カ所 自噴泉 湧出量は約700 L/min
 単純温泉とNa・Ca−HCO3・Cl 〜34℃ pH=7.1〜7.8

沢渡(さわたり)温泉
<歴史>
木曽義仲や源頼朝にちなむ伝説があり、相当に古くから知られていた温泉だったようです。万葉集にも「さわたり
」という語を含む歌が見え、これを沢渡にあてる説がありますが異論も少なくないようです。近世までのことはほと
んど判っていませんが、江戸初期の延宝七年(1679)の木版画にはかなり大規模な湯場の様子が描かれています。これには五カ所の湯が記され、うち一つがとくに「直し湯」となっていますから、ずいぶん早い時期から「草津のなおし湯」として連携してきたことがわかります。
 
明治に入ると草津往来が暮坂を通らなくなったため衰退しましたが、それでも(鉱)では浴舎28戸・浴客3256人ですからなかなかの規模です。明治23年には浴医院(温泉病院)が設立され、独自の療養温泉地として発展していきましたが、不幸にも昭和十年の水害と昭和二十年の火災で温泉街は壊滅し、古い建物と源泉のすべてを失ってしまいました。S34年に関係者の努力で復興しましたが、往時の姿が残っていればと惜しまれます。小さくまとまった静かな温泉集落で、湯治滞在にむいています。
<源泉>
 利用源泉は1カ所 深度不明の掘削動力泉 湧出量は約180 L/min
 Ca・Na-SO4・Cl 59℃ pH=8.5

四万(しま)温泉
<歴史>
山口には坂上田村麻呂にちなむ発見伝説、日向見には源頼朝にちなむ伝承があります。戦国時代には浴客も少なく廃絶に近い状況であったことが古書に残されていますが、江戸期になって真田氏(沼田)の支配下で復興され、比較的早くから湯治場の整備がされていました。明治初期(鉱)の記載によれば草津・伊香保の浴客年間2万4千人に対して四万は4133人ですから約1/6で、これら2大温泉に比べればいかにも小規模ですが、交通の不便さを考えるとなかなか繁盛していたといえるでしょう。
 
(鉱)による様子は、新湯(あら湯):浴室六所・蒸気室三所・旗舎(はたご)三戸、山口湯:浴室五所・蒸気室二所・旗舎二戸、日向見:浴室一所・旗舎二戸で、今のサウナにあたる「蒸し湯」が名物となっていました。当時は入り湯(入浴)・滝湯(打たせ湯)・蒸し湯の3セットが揃うことが名湯の条件とされていましたから、これを備えていた四万の人気が高かったのもうなずけます。(上)による新湯の蒸湯の様子は、「湯の流るる上に「はし殿」などの様に家を覆い、浴者は仰向けに臥して湯気に背を蒸したり」と描写されています。
 
四万の発展には交通不便の解消が不可欠でしたが、有志の尽力により大正八年には早くも乗合自動車が中之条から運行し、同八年には渋川まで延長しています。これは群馬県で最初のバス会社だということです。こうして東京からのインテリ層が多数来湯するようになり、四万の知名度は高まっていきました。その一方で、俗化せずに古くからの自炊湯治場の形態を遅くまで残したことも評価され、昭和29年には日光湯元・酸ヶ湯とともに初の国民保養温泉地の指定をうけています。
<源泉>
 全域の利用源泉は36カ所 ほとんどが自然湧出泉 総湧出量は約3100 L/min
 山口地区 Na・Ca−Cl・SO4 50〜60℃ pH=7.3〜7.6
 新湯地区 Na・Ca−Cl・SO4 74〜83℃ pH=6.2〜6.8
 日向見地区 Ca・Na−SO4 55〜65℃ pH=8.2〜9.0

川中温泉・松の湯温泉
<歴史>
川中温泉は鎌倉時代の発見という口伝がありますが不詳です。江戸初期には「おたすけ湯」として困窮・難病者に
無料開放されていたそうです。泉源が河床にあるのが名の由来ですが、おかげで水害のたびに流され、寺や村民の管理で細々と維持されてきました。(鉱)では浴舎一戸で、松の湯と合わせて浴客840人となっています。
<源泉>
 川中温泉 Ca−SO4 35℃ pH=8.4 湧出量は不明
 松の湯温泉 Ca−SO4 33℃ pH=8.3 湧出量は約70 L/min

川原湯(かわらゆ)温泉
<歴史>
源頼朝にちなむ発見伝承があることからも、沢渡と同じく古くから草津と連携し「あがり湯」として早くから開けていたことが伺えます。江戸後期にはすでに大型の湯宿4・5軒が並んでいたことが古書に見え、(鉱)に記された明治初期の浴客5700人は吾妻地域では最大となっています。当時はまだ吾妻渓谷に沿った道路はやっと開けたばかりでしたが、高崎や軽井沢方面からの草津往来が近かったので交通の便は沢渡や四万よりは良かったようです。

昭和二十年に吾妻線が長野原まで開通して東京方面から直通で来られるようになり、ますます発展して旅館も増えましたが、大資本の参入がなかったので伝統的な温泉場の共同体がよく保持されています。そんな温泉街も八ツ場ダムが完成すると水没してしまうのは惜しいことです。移転後もいまの源泉が継続して使われるそうですから、魅力ある新しい温泉地つくりを期待したいところです。
<源泉>
 利用源泉は5カ所 ほとんどが自然湧出泉 湧出量は不明(旧源泉のみで約120 L/min)
 S−Ca・Na−SO4・Cl 〜79℃ pH=7.2〜8.4

湯の平(ゆのたいら)温泉
<歴史>
とくに発見伝承はありませんが、温泉の存在はかなり古くから知られていました。(鉱)(上)には記載がないので明治期には放置されていたようです。なぜか湯場を形成することはなく、大正13年にはじめて旅館がつくられて現在に至っています。
<源泉>
 利用源泉は1カ所 自然湧出泉 湧出量は約150 L/min
 Na・Ca−SO4・Cl 72℃ pH=8.5

応徳(おうとく)温泉
<歴史>
発見は未詳ながら古い温泉です。村民の湯治のほか、筵や草履の材料を浸して柔らかくする「さらし湯」俗称「ね
ど踏み」に利用されていました。江戸末期から山田氏が旅館営業し、(鉱)には浴客186人と記されていましたが水害により明治中期に廃絶。以降は長く放置され、昭和54年に国鉄の六合山荘が開かれて復興しました。
<源泉>
 利用源泉は2カ所 ごく浅い掘削自噴泉 湧出量は約80 L/min
 S−Na・Ca−SO4・Cl 51℃ pH=6.2

花敷(はなしき)温泉
<歴史>
源頼朝の発見伝承がありますが、宝暦年間(1751-)の絵図にあるのが古記録の最初です。当時の湯は入山住民の共有で、草津帰りの浴客も入湯していたようです。明治期になって湯を借りるかたちで旅館が営まれるようになりました。
<源泉>
 利用源泉は1カ所 ごく浅い掘削動力泉 湧出量は約470 L/min
 Ca・Na−SO4・Cl 46℃ pH=8.0

尻焼(しりやき)温泉
<歴史>
発見は未詳です。嘉永年間(1848-)の絵図にありますが、川中に湧く湯を囲って村民が利用する程度で、(鉱)にも記載がなく開発は遅れました。昭和元年に花敷の関氏がようやく旅館を開き、秘湯として世に知られるようになり
ました。川をせき止めた露天風呂はたいへん有名です。豊富な湯量は4軒の宿では使いきれないので、下流へ引湯して村営の温泉施設でも利用されています。
<源泉>
 利用源泉は4カ所 すべて自然湧出 湧出量は約1270 L/min
 Ca・Na−SO4・Cl 〜55℃ pH=7.0〜7.9


このほか、以下のような温泉もあり、公民の温泉施設がたくさん営業されています。

  温泉名 泉質 泉温 pH 湧出量 (-は不明)
【水上町】
  上の原 Na−Cl・HCO3 -℃ pH=- - L/min
  向山 アルカリ性単純温泉 26℃ pH=9.4 133 L/min
  うのせ 単純温泉 〜42℃ pH=7.1〜8.4 - L/min
【月夜野町】
  風和の湯 Ca・Na−SO4・Cl 43℃ pH=8.2 315 L/min
  真沢の湯 規定泉(メタ珪酸) 冷鉱泉 pH=9.7 - L/min
  三峯の湯 アルカリ性単純温泉 42℃ pH=9.0 - L/min
  みねの湯 アルカリ性単純温泉 -℃ pH=9.2 - L/min
【新治村】
  千葉村 S−Ca−SO4 27℃ pH=9.4 250 L/min
  赤岩 Na・Ca−SO4 -℃ pH=7.2 - L/min
  さざなみ Na−SO4・Cl 39℃ pH=9.3 - L/min
  入須川 アルカリ性単純温泉 -℃ pH=9.2 - L/min
  奥平 アルカリ性単純温泉 -℃ pH=8.6 600 L/min
  新三国 単純温泉 29℃ pH=7.6 133 L/min
  大峰 単純温泉 28℃ pH=7.8 - L/min
  上毛高原 アルカリ性単純温泉 -℃ pH=9.5 240 L/min
【高山村】
  高山 Na・Ca−Cl 64℃ pH=8.2 - L/min
【中之条町】
  たんげ Ca−SO4 -℃ pH=- - L/min
  中之条 アルカリ性単純温泉 -℃ pH=9.0 200 L/min
  蟻川 アルカリ性単純温泉 -℃ pH=- 250 L/min
  新中之条 アルカリ性単純温泉 33℃ pH=8.9 400 L/min
【吾妻町】
  岩櫃城 単純温泉 34℃ pH=- - L/min
  吾妻峡 Ca・Na-Cl・SO4 -℃ pH=- - L/min
  温川 Na・Ca−Cl・SO4 35℃ pH=6.6 - L/min
  鳩の湯 Na・Ca−Cl・SO4 -℃ pH=6.8 - L/min
  薬師 Na・Ca−Cl・SO4 43℃ pH=6.8 - L/min
【長野原町】
  温井 Ca・Na−SO4 -℃ pH=- - L/min
  林 Na・Ca−Cl -℃ pH=- - L/min
  横壁 Na・Ca−Cl・SO4 56℃ pH=8.0 - L/min
【六合村】
  赤岩 アルカリ性単純温泉 -℃ pH=8.9 - L/min


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