byやませみ

4 非火山性温泉の地球科学

4-5 有馬型温泉の謎

どういう温泉?

温泉の成因分類で、具体的な温泉地名がついているのは、有馬型温泉だけです。
岡山大学温泉研究所(現・地球内部研究センター)の酒井先生と、神奈川県温泉地学研究所の大木先生が、日本の温泉で測定された酸素・水素同位対比(3-2章)についてまとめてみたところ、

1)非火山地帯にあって、
2)化学組成が類似した高塩分濃度で、
3)高い、酸素18・重水素同位対比を示す

という共通した特徴をもつ1群の温泉があることを見出し、「有馬型塩水」と名付けたのが最初です[酒井・大木(1978)]。その後、「有馬型塩水」と似たような特徴の温泉が全国のあちこちにあることがわかり、「有馬型温泉」といわれるようになりました。有馬型温泉の成因については、他のいろんな型の温泉にくらべて数多くの「謎」があります。

有馬温泉のご紹介

化学組成が似ているとかいっても、東日本の方には有馬温泉がどういうものなのか全然ピンと来ないでしょうから、ここで本家本元の有馬温泉について、かいつまんでご紹介しておきましょう。

有馬温泉は神戸からみて六甲山地の裏側にある、古くから知られた温泉地です。周辺の宅地化が進んでいるので、温泉地といった風情はあまりありませんが、大阪からもごく近いので、関西人にとっては「ふだん着の温泉」&「奥座敷」といった身近な温泉です。有馬温泉の公式WEBサイトはこちら<http://www.arima-onsen.com/>

歴史

有馬温泉は、日本書紀にも登場する日本最古の温泉のひとつです。中世には温泉好きとしても有名な豊臣秀吉が、千利休をひきつれてたびたび茶会を催したことでも知られていて、現在でも有馬大茶会が催されています。江戸時代には大阪・京都から多数の来客があり、たいへん賑わいました。来客の8割は大阪の商人層だったようで、大旦那の豪遊ぶりがいろいろ伝えられています。有馬というと現在は熱い湯が特徴ですが、江戸〜明治期には泉温はかなり低く、文化年代(1810年ころ)には、「有馬温泉火気薄弱にして、人の膚に適するに足らず」「背を秋陽に曝すが如し」といわれるまで泉温が低下していました。当時まだ珍しかった温度計で華氏101度といいますから、38度(C)くらいのぬる湯でした。

ちょっと年のいった関西人には、有馬といえば「炭酸水」「炭酸せんべい」がおなじみです。有馬に気泡を発する水があることは古くから知られていましたが、鳥や虫がすぐたおれる井戸や穴があることから、「毒水」として近ずくものはありませんでした。明治になって、ようやく毒水ではなく有効な炭酸水であることがわかり、有馬サイダーとして神戸から海外にも輸出されたそうです。有馬サイダーはもうありませんが、「炭酸せんべい」は今も健在です。

第二次大戦の終戦直後、神戸市観光課長の上月順治氏は、衰退した有馬の温泉再興に取り組み、1948年に天満宮境内での185mのボーリングで98度(C)の高温泉を湧出させることに成功しました。これが現在「天神湯」といわれる有馬温泉の主力源泉で、その後周辺に6カ所の同じく高温泉が掘削されました。これらの高温泉は有馬中心部の半径100mに集中しています。

泉質の特徴

有馬温泉には天神湯に代表される高温の塩化物泉(金泉)と炭酸の多い冷鉱泉(銀泉)、の2種の泉質が分布しています。高温塩化物泉は温泉街の中心部に集中して湧出し、これを取り巻くように中・低温の塩化物泉が湧出しています。炭酸泉は温泉街南端に通る「的場山断層」に沿って湧出しています。また、これらとはちょっと離れた瑞宝寺には単純放射能泉もあります。有馬温泉は全般に放射性元素の含有量が高く、とくにラジウム・トリウム含有量では日本有数の高い濃度を記録している源泉もあります。

有馬温泉全体の総湧出量は約900L/分(地質調査所データ)ですが、高温の塩化物泉の湧出量はそのうちの1割前後にすぎないので、施設全体への供給量は十分とはいえません。また、その濃度・泉温は年々低下する傾向にあります。これは周辺での深部温泉の開発が影響しているといわれ、有馬温泉の保護が問題となってきています。

表4-5 有馬温泉の代表的泉源の泉質 (分析値単位はすべてmg/L)

    泉温 pH Cl- SO42- HCO3- Na+ K+
高温塩化物泉 天神 98.6 6.3 33650 6.3 45 15980 3320
御所 87.8 6.4 17010 4.1 201 8740 1520
中温塩化物泉 温泉会館 54 6.1 4002 19 190 2250 445
低温塩化物泉 月光園 30.8 5.8 6685 6.3 457 3090 427
炭酸泉 栄鉱泉 20 5.1 52 0.1 174 47.2 5.2
放射能泉 神戸市ラドン泉 29.4 7.3 286 tr 154 207 8.3


    全Fe Ca2+ Mg2+ HBO2 CO2 分析年
高温塩化物泉 天神 2910 44.9 157 370 42.5 '82
御所 866 37.1 54 216 227 '82
中温塩化物泉 温泉会館 279 3.1 28 107 190 '61
低温塩化物泉 月光園 759 22.4 21 43 1160 '64
炭酸泉 栄鉱泉 34.8 2 5.5 16 1052 '61
放射能泉 神戸市ラドン泉 40.7 1.7 0.2 - - '97


高温塩化物泉の食塩(NaCl)濃度は、海洋水の平均濃度がCl-=19350mg/kg、Na+=10760ですから2倍近くあります。天神湯の1948年分析値では、Cl-=42100mg/Lもありました。蒸発残留物の量でみると、天神湯は現在でも60g/L以上あり、海洋水が約35g/Lですから驚くべき高濃度です。さらに、高温塩化物泉にはFeをはじめとする重金属も多く含まれています。

通称で「金泉」というのは、透明な源泉につけたタオルが、含有するFeの酸化で黄金色に変色することから名付けられました。金泉を使った浴槽の湯は、鉄質の沈殿物が多量に析出し、きれいな赤色になっています。Feの他に、高温塩化物泉には、Al,Mn,Zn,Cr,Cuも高濃度に含まれています。こういった重金属を含む高濃度の塩水は、鉱山の鉱脈をつくった熱水溶液の性質と似ていると考えられ、鉱床研究者からも注目されています。実際に、温泉が湧出する母岩の流紋岩からは、方鉛鉱(PbS)や閃亜鉛鉱(ZnS)といった重要な鉱石も見つかっています。

有馬温泉の成因

さて、有馬温泉の成因はどのように考えられているでしょうか? これについては数多くの論文が提出され、さまざまな成因説が展開されていますが、大きく3つのポイントがあります。1) 炭酸冷鉱泉(銀泉)と塩化物泉(金泉)との関係、2) 熱源、3) 高濃度塩水の成因。

1) 炭酸冷鉱泉(銀泉)と塩化物泉(金泉)との関係

炭酸冷鉱泉(銀泉)にはCO
2が多量に含まれますが、その他の溶存成分は非常に希薄です。逆に、高温塩化物泉(金泉)のCO2値はあまり高くありません。そして、中〜低温塩化物泉は、この両者の中間的な化学組成であるように見えます。このことから、有馬温泉の研究の初期には、銀泉と金泉はまったく起源が異なる水系のもので、地下深部から上昇してきた高温塩化物泉(CO2を含まない)が、浅層の炭酸冷鉱泉と混合して各種の源泉をつくっているという考え(2源説)が主流でした。

これはなかなか説得力のあるはなしなので、長くそう信じられてきました。ところが、高温塩化物泉にCO
2が少ない、というのはまったくの誤解です。というのは、その独特の揚湯法にあります。

天神湯などの高温塩化物泉は大部分が自噴で採取されています。これは、ボーリング孔内にラッパ管を設置して温泉水から分離する炭酸ガスを集め、そのガス圧で噴出させているものです。これは温めたコーラの蓋を開けると勢いよく噴き出すのとおなじことです。当然、コップに注いだコーラは気の抜けたものになってしまいます。つまり、源泉の湧出口で採取される温泉水からは、噴出前に含まれていた炭酸ガスの大部分がすでに除かれているのです。

高温塩化物泉では1リットルの揚湯につき2〜3リットルの炭酸ガスを噴出させていますから、地下では少なくとも0.09mol/Lの炭酸ガスを含んでいたとみられます。いっぽうの炭酸冷鉱泉の炭酸物質含有量は多いものでも0.036mol/Lですから、浅層の冷鉱泉に炭酸が多いということにはならないのです。

では、地下深部から「高温の」塩化物泉が上昇してくる、というのは正しいでしょうか?。これには中〜低温の塩化物泉の存在が鍵となります。さきの2源説では、高温の高濃度塩化物泉に、低温の冷鉱泉が混合して希釈され、中〜低温の中濃度塩化物泉がつくられることになります。しかし、休止状態の源泉に水道水を注水して、泉温とCl濃度を測定した観測では、Cl濃度は希釈率相応に低下したものの、泉温はほとんど変化しないことがわかりました。水で薄めても温度はあまり低くならないのです。

このことから、高濃度塩化物泉=高温とする考え方はあやしくなってきます。それよりも、もともと「低温で」高濃度の塩化物泉が、途中でなんらかの高温熱源によって加熱されて湧出してきている、というほうが合理的だという考えが提出されました。

現在では、「地下にある唯一の低温の高塩化物・高炭酸温泉と、表層の地下水の混合である」という考え(1源説)が主流になっています。この説による有馬温泉の生成モデルは、つぎのようになっています(鶴巻1993)。

a) 有馬地域の地下深部には、低温で高炭酸濃度の塩水が広く分布している。
b) これに局部的な熱源が作用して高温の温泉がつくられている。
c) 低温で高炭酸濃度の塩水が熱源で加熱されると、溶存していたCO
2の一部が溶解度の低下で分離する。
d) 分離したCO
2ガスは、断層などの岩盤の割れ目に沿って上昇し、表層地下水に溶け込んで炭酸冷鉱泉をつくる。
どうです、なかなかすっきりしたモデルではないでしょうか。

2) 熱源

有馬温泉がどのような熱源で加熱されているかは現在でもまったく謎です。有馬地域を含む兵庫県南部には火山がありません。地質時代のもっとも新しい年代の火山活動でも、古第三紀という何千万年も前のことです。このときには、西日本で大規模なカコウ岩質のマグマ活動がありましたから、その一部が未だにいくらかの残熱を保持しているという可能性もあります。先の2源説では、地下深部に高温塩化物泉があるとしていましたから、このような古い低温の熱源でも深部にばく大な量が存在していれば、なんとか熱源として想定することが可能です。

しかし、現在の1源説では、低温塩化物泉の上昇途中に局部的な高温熱源が作用しているとするため、このようなタイプの熱源はむいていません。温泉に含まれるヘリウム(He)ガスの同位対比の研究から、この地区の地下には比較的新しいマグマが存在している可能性がある(Sano and Wakita 1985)という見解がだされています。しかし、この「新しいマグマ」はいまだに探知されていません。

3) 高濃度塩水の起源

有馬型温泉の特徴として、高い酸素18・重水素同位対比を示す、というのがありましたが、これはマグマ水の特徴とも一致しています。そこで、古第三紀のカコウ岩質マグマ活動で放出された火山性の塩化物泉が、地下深部にまだ残存しているのではないかとも考えられました。しかし、化学組成を詳細に検討してみると、有馬型温泉と火山性の塩化物泉とではいろいろ異なる点があり、このような成因では説明できそうにもないことがわかりました。

マグマ水のほかに、有馬型温泉の同位体比を説明することのできそうな成因としては、「変成水」というのがあります。地殻をつくる岩石が地下深部に押し込められると、岩石中の鉱物は高い温度・圧力にみあった種類の新しい鉱物に変化していきます。これを「変成作用」といっていますが、その際には、もとの岩石に含まれていた雲母・角閃石などの、結晶構造中に水分をもつ鉱物は、しだいに水分を含まない鉱物に変わっていきます。このとき余った水分(変成水)は、岩石の微細な隙間を移動していくと考えられていますが、その行方がどうなっているのか、全くわかっていません。

いっぽうで、変成岩にはざくろ石・コランダム(ルビー)などの美しい結晶が出来ていることがあり、これらの結晶内部には、インクルージョンという流体の粒が含まれていて、高塩分・高CO
2の水であることがわかっています。これは、変成水の一部が閉じ込められたもので、化学組成は有馬型温泉の特徴によく似ています。いまのところ変成水の実態については不明なところが多すぎますが、これは有馬型温泉の起源水としてはかなり有力ではないかと推定されています(松葉谷1981など)。

有馬−高槻構造線にまつわる筆者の空想

有馬温泉は、六甲山地の北を通って高槻市にぬける「有馬−高槻構造線」という活断層の真上にあります。この活断層は南方では、阪神大地震を発生させた「野島断層」をふくむ「六甲−淡路断層系」に続いています。この断層系は圧縮応力による横ずれ断層が主体で、先にのべたように温泉の貯留にはむいていませんが、「有馬−高槻構造線」の部分だけは引っ張りの成分が強い断層になっています。最近の地下探査でも、この地域には岩盤が引き延ばされてできた「地溝帯」という地質構造があることがわかっています(戸田ほか1995)。有馬温泉の付近だけ、温泉が貯留するのに好条件ができているのです。

有馬−高槻構造線は、有名な「中央構造線」という巨大断層から枝分かれしている断層で、地下深部ではつながっているものと想定されています(伊藤1995)。中央構造線は近畿地方では地下15kmまで達していることが地震の震源分布からわかっていますから、地殻のかなり深いところまで影響が及んでいます。この断層にむかって、周辺から変成水が集積してきているとは考えられないでしょうか? そしてさらに、有馬−高槻構造線の部分に貯留して、有馬型温泉の起源になっているとは考えられないでしょうか?

さらに興味深いのは、地震の際に有馬温泉の泉温が変動することです。これはなにも有馬に限ったことではなく、断層に関係して湧出する温泉にはよくある現象です。慶長元年(1596)の大地震は伏見城の天守閣を大破したことで有名ですが、この際に有馬温泉は「にわかに熱湯となり」という記録があります。

この地震はながらく震源がどこにあるのか不明とされてきましたが、最近、遺跡の発掘現場で古い地震の痕跡を読みとる「地震考古学」が成立し、その結果、この地震は六甲−淡路断層系から京都西部にかけての広範囲の断層が一斉に動いた大地震であったことがわかりました。この際に断層が開口して、新たな高温温泉が地下から供給されたのだということが、一つの可能性として考えられないでしょうか?(注:これは筆者のただの空想です。いまのところこういう考え方で具体的な論文を書かれた人はいません)

ほかの地域の有馬型温泉

勝手な空想はさておいて、有馬の他に、有馬型温泉に属するとみなされている温泉は全国にもいくつか候補に上げられました。近畿地方では、有馬のお隣の宝塚温泉、大阪府南部の石仏(河内長野)鉱泉、滋賀県甲賀地域の宮野・塩野温泉、奈良県の宮滝・西吉野温泉などがあります。関東周辺では、長野県の鹿塩温泉、山梨県の増富温泉。東北地方では、山形県の湯殿山温泉、飯豊温泉、福島県の熱塩温泉、西山温泉などです。

おもしろいことに、これらの温泉は中央構造線の近辺に湧出しており、東北地方でも中央構造線の延長ではないかとみられている「棚倉構造線」の近くに湧出しています。
これらの全てについて同位体の研究が行われているわけではありません。鹿塩温泉と増富温泉は化学組成からみて有馬とは異なっているという見解もあります(橋爪1984、矢板ほか1991)。西山温泉は、地熱開発(奥会津地熱)で詳細な研究が進められた結果、高温のグリーンタフ型に近いことが判明しました(新田ほか1995)。

もともと成因に謎の多い有馬温泉を典型例として、一つの温泉型に区分する方法そのものに無理はありますが。日本の温泉のなかには、正体不明の高濃度塩化物泉が存在するのはまぎれもない事実です、今後の研究の展開に期待しましょう。

ジオプレッシャー型温泉について(おまけ)

「ジオプレッシャー型温泉(熱水)」というのはまだあまり広くは認知されていない温泉の概念ですが、有馬型温泉といくつか似ている点もあるので、ここでご紹介しておきます。日本では、神奈川県温泉地学研究所(箱根)の前所長、大木靖衛さんが最近提唱された新しい温泉タイプです(大木ほか1999)。

地熱関係では、地熱を運搬する熱流体系を
1) 蒸気卓越型 
2) 熱水卓越型 
3) ジオプレッシャー型(Geopressured hydrothemal system)
に分類しています。

このうち1)と2)は、火山性熱水(蒸気)としておなじみで、日本の地熱発電はほとんどこのタイプです。熱源は火山のマグマで、水の起源は大部分が最近の天水です。ここからできる温泉が火山性温泉です。これにたいして3)ジオプレッシャー型は、深層熱水といわれる領域に含まれるもので、その多くは、熱源は地殻またはマントルの伝導熱、水の起源は化石水といわれています。アメリカではメキシコ湾岸大平野の地下深部などに存在が知られていて、これは、温度が低いものの、貯蔵量が莫大で、将来的には重要なエネルギー資源になるとみられています。

ジオプレッシャー型の特徴は、地下深部にあって水圧が非常に高いことで、岩盤に活断層などの新しい割れ目が出来ると、地下深部から急激に上昇してきます。タイヤをパンクさせて空気が噴き出すような状態です。この点が、水圧の低い、いわゆる深層地下水の温泉とは大きく違っています。大木さんによると、新潟平野から長野県北部にかけては信濃川地震帯という盛んな地殻変動にともなう活断層密集地帯があり、活断層に関連して ジオプレッシャー型とみられる高温の温泉が出てきています。

温泉名としては、松之山温泉、松代(加賀井)温泉、月岡温泉などです。松之山温泉の掲示にはすでに「ジオプレッシャー型温泉」と誇らしげに書かれていて、この名称になじみのない温泉ファンを惑わしています。これらの温泉は従来、化石海水(油田かん水)の温泉とみられていますが、成分がかなり変わっており、マントル水などの深部の起源水が関与しているかも知れないなどといわれています。また、近年、石油の炭化水素がマントルに由来しているという説もあり、ジオプレッシャー型は石油関係でも注目されています。

[4-5章 参考図書・参考文献]


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