エジプトの回顧録 〜mysterious and impression〜

*渡航記録

期間: 1994年4月〜4泊
ルート: 成田→ロンドン(乗り換え)→アテネ→エジプト→ロンドン→成田


ハムシーン(砂漠の嵐)の中でラクダに乗る2人

灼熱のエジプト

アテネからの飛行機がカイロ空港に到着し、飛行機から出て外気に触れた瞬間、 物凄い熱気を感じた。半端じゃなく暑い。ガイドに何℃あるのか聞いたところ、 なんと43℃との事。暑いとは知っていたが、まさかこんなに暑いとは思わなかった。 なんでも2日ぐらい前から急に暑くなったそうで、急に暑くなった時はコレラが 流行るので注意して下さいとの事だった。何を注意すれば良いのか分からず困って しまうが、とにかく暑がりの人には奨められない所だと思った。

日本に比べると空気がかなり乾燥してるせいか、体感温度は43℃もある様には 感じられないが、それでも43℃は43℃。さすがにミネラルウォーターと ビールは早速がぶ飲み状態。カイロには夕方到着したのでピラミッド見学などの 観光は明日までお預け。


ピラミッドに圧倒

一夜明けて、いよいよこのツアーの目玉であるピラミッドを見に行く。 これからピラミッドを見ると思うととてもワクワクする。ピラミッドに向かうバスの 中ではガイドが一生懸命ピラミッドの事を説明している。


薄っすらと見えてきたピラミッド

ガイドの話が一段落つき、皆さん左手をご覧下さいと言われて見てみると、 巨大なピラミッドが遠くの方に薄っすらと見えている。 一瞬遠くの方にそびえる山のようにも 見えるが、自然界の物でない事はすぐに分かる。なんとも言いようのない神秘性を感じた。 無言の迫力とはまさにこの事。完全に圧倒されてしまった私であった。


ピラミッドを作ったのは巨人か?

バスが近づくにつれピラミッドがみるみる大きくなり、ついに目の前に到着した。 ギザの3大ピラミッドと呼ばれている中でも一番大きいのはクフ王のピラミッドである。 そのピラミッドが目の前に座り込んでいる。しかもほとんど崩れておらず、奇麗な形を 成している。これはデカイ、ほんとにデカイですぞ。


ピラミッドの下の方
4千年も前に本当にこんな物を人間が作ったのか。私は人間だけで作るのは 絶対に無理だと素直に思った。ピラミッドの構造は岩を置いてあるだけで、当然ながらボルト 締めや機具による固定などは何もしていない。その岩の重さは1つ数トンもあり、大きさも 数メートルに及ぶ。高さ130mもある場所までそんな物を人力で運ぶのはどう考えても 到底無理な事ではないか。

岩の形は1つ1つバラバラであるが、全体としてはピタッと綺麗に収まっている。 さらに頂上から地面に延びているラインの角度が水晶の分子と同じになってるそうで、 その為かピラミッドの中に果物などを置いてもいつまでも腐らないそうである。 建設機械など無い時代にこんな物を人間だけで作れるはずがないと、ピラミッドを目の前に してそのように直感した。


ピラミッドの表面の接写
私の説では、原料の石灰岩を運んできたのは神の使いである巨人ではないかと思う。 巨人が山から石灰岩を運んできて、積木をする様にしてピラミッドを作ったのである。 形成の角度などは神の支援により補正されたのだと思う。4千年前の国王級の人達は 元々は神の使いであり、子供が自立するまで親が面倒を見るのと同じように、神は人類が 成長するまで国王を派遣して人類の面倒をみたのではないか。その国王が亡くなったので 栄誉を称え、神のシンボルとしてピラミッドという形で墓を作ったのではないかと思う。 (以上、全部適当な思いつきです。失礼)


驚異のピラミッドパワー

私の説はどうでもいいとして、ピラミッドの中の話をする。今回のツアーではクフ王の ピラミッドの中の墓跡に入る事ができた。残念ながら中に入ってのビデオ撮影は禁止であったが、 ストロボ無しであれば写真撮影はOKだった。仕方なくビデオカメラをバッグにしまい、 階段のようなハシゴのような物をいくつも渡り、クフ王の墓があった部屋まで辿り着いた。

私はその部屋に入ってからたいして暑くもないのにやたらと汗が出た。ガイドによると、 過去に気絶した人や病気が治った人がいたそうである。やはりピラミッドパワーは本物か。 一説には気がプラスの方に傾いている人はいい方向に、マイナスの方に傾いている人は悪い 方向にさらに増大するそうである。私達の場合はハネムーンなのでもちろんプラスかな。


嵐の中でスフィンクスを背に一枚
そんな神秘の世界に満足して外に出て、最後にもう一度ビデオを撮ろうと思ってバッグからビデオ カメラを取り出しスイッチを入れたところ、驚いた事にバッテリーがフル充電に戻っていたのである。 中に入る前にさんざん撮影し、バッテリーが半分以下になったところで電源を切ったはずである。 そのバッテリーがピラミッドから出てきたらフル充電に戻ってるではないか。一時的に戻ったのではなく、 普通に充電した時と同じ状態に戻っている。こんな事は今までに一度もなかった。 もしかしてピラミッドパワー?

いっしょに入った人の中には新品のフィルムで写真を撮ってたら2、3枚撮ったところで勝手に フィルムが巻き上がってしまったという人もいた。やはりここには何かある。


若き日の記録
ここでカイロからいったんルクソールへ移動。機内にゴミが散乱しているノースウェスト機 でルクソールまで飛び、そこからナイル川を船で下る。いわゆるナイル川下りだ。 (飛行機の機内はちゃんと掃除しましょう)


ルクソールにて

ルクソールでの宿泊は思い出深い物となった。宿泊先は一応ホテルだが平屋建て。 ホテルの回りの外灯は暗めになっており、新婚やカップルが夜中に散歩するには絶好の場所 である。開放感があり、夜中のプールでは同じツアーの新婚が素っ裸で泳いでいるところを 見てしまった。


ルクソール神殿の入り口
エジプト人の普段の食事は分からないが、観光客は普通の洋食が食べられる。 鳩が名物の一つらしく、食べてみると鶏と似た味で結構美味しかった。 果物がとても甘くて美味しいが、ほとんどの観光客はこの果物で腹を壊す事になる。 原因は暑さのせいで多少なりとも果物が腐っているからとの事。腐っているから 甘いとも言っていた。しかしこの甘さは日本では味わえない甘さであり、 一度味わうと何度でも味わいたくなる甘さだ。そして腹がやられてしまう。 綺麗な薔薇にはなんとか、みたいな話だと思ってしまった。 腹を壊す話は初日にガイドから覚悟するように言われており、結局ツアーの面々も ほぼ全員例外ではなかった。


アブシンベル神殿
スフィンクスはいくついる?

観光場所はどこに行っても千年単位の古さで度肝を抜かれる。なぜ数千年も昔の 物が形を成して残っているのか、それだけでも神秘的である。ルクソール神殿などは入り口と奥の 方では建築年数が千年以上も離れているそうである。1つの建造物の中で千年のずれがあるの だから想像もついかない歴史の深さである。こういう物を見ていると自分の心が広くなる ような気がしてくる。


人類の遺跡

ツタンカーメンの顔をじっと見ていると思わず吸い込まれそうになる。何だかこの顔には 魂が宿っているように思えてならない。いくら純金でも大昔の物がここまで輝くものなのか。 まさに人類の遺跡である。ミイラも見たが、残念ながらミイラの写真撮影は禁止だった。 ミイラはあまり幸せそうな感じには見えなかったが、実際はどうなのだろうか。


数千年たっても色が落ちない壁画


永遠の輝きを放つツタンカーメン

エジプトの遺跡は見つかっている物はほんの一部で、発見されていない物がまだまだ沢山ある そうである。過去の歴史の中では、壁画を削ってしまおうと思って削ってみるとその下からさらに 古い壁画が出てきたり、建造物の下を掘ってみると地下に埋まっていた建物の下半分に相当する部分が 無傷状態で出てきたという事もあったそうである。

30年後にもう一度エジプトに来てみたいものだ。30年という年月は人間にとっては半生に値 するが、ピラミッドからするとほんの一瞬に過ぎない。ちなみに1994年から30年後の私は60歳代の爺さんだ。 私が爺さんになっても、ピラミッドやスフィンクスは何事もなかったかのように今と変わりなく 座っているだろう。 不思議なもので、そういう事を考えているといつまでも若い気持ちでいられるような気がする。 これもピラミッドパワーの1つかもしれない。


ハトシェプスト女王の葬祭殿

予定の4日間があっという間に終わり、明日は気温20度以下の涼しいロンドンに移動する。 ここで見た物をしっかりと頭に焼き付け、最終目的地のロンドンに向かう。



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