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2000.03.04 Up Date

 「古代文学会・物語研究会合同シンポジウム」準備委員会からの報告 Ver.04

合同シンポジウム感想文集 Ver.2000.03.04

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古代文学会・物語研究会合同シンポジウム

日時 1999年12月5日 10:30〜16:30、場所−神田パンセ

テーマ−「<ジャンル>の生成−同時代言説の海へ」

発表形式−パネラー(発表順)、

西本 香子「『うつほ物語』冒頭文の再検討」

田中 俊江「古々と猿聲と此處―常陸国風土記の言説の位相―」

猪俣 ときわ「楽譜と物語」

コメンテーター・小嶋菜温子、上原作和、小森潔+総合討論。

司会−植田恭代、津田博幸

古代文学会・物語研究会会員のみならず、なるべく多くの方が集まって下さることを期待しています。 

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 古代文学会・物語研究会合同シンポジウム 参加呼び掛け

                           合同シンポジウム準備委員会

〈ジャンル〉の生成--同時代言説の海へ--

 既成のジャンルをとりはらって、同時代言説の海へ。接しあい、奪いあい、包括しあい、緊張関係をとり結ぶであろう競合しあう同時代言説の中に降り立とう。そして、海のただ中から他の言説とこの言説を区別し、一つの輪郭を描こうとする意識・無意識の運動を見極めてみたい。〈ジャンル〉と呼ぶべきものが生成する臨界点を探り、掴み出したい。 上代文学・平安文学…‥、『万葉集』研究・『源氏物語』研究…‥、和歌・物語・神話・説話・日記・随筆・口頭伝承…‥研究ーわたしたちは時代別・作品別も含めた意味でのさまざまな境界線を作って、研究の領域を設定してきた。だが、古代・物研のそれぞれの会や会員たちの研究史をふりかえれば、既成の研究領域に安住・閉塞することなく「文学」を越境して「歴史学」や「社会学」や「民俗学」や「芸能史研究」といった隣接諸科学と交流することを、試みてきたはずである。研究成果をつきあわせてみるという単なる学際的研究ではなく、それは他領域での新たな研究方法を吸収し、学び、あるいは新たなパラダイムが出現する同時代を共有することでもあっただろう。

 今回の古代文学会と物語研究会との合同の場の設定も、奈良朝以前の「文学」を中心対象とする「古代文学」という枠組みや、平安朝以降の「物語」をおもな対象とする「物語」という枠組みを、果敢に越境し、根本から問い直していこうとする試みであるに違いない。

 とはいえ、もはや「越境すること」だけで、何か新たなエネルギーや、新たな視覚が得られるという時でもない。領域の打破とか、既成のジャンルをぶちこわし・相対化するということではすまされないと思われる。また、生成・変化しつつある〈ジャンル〉を見いだすことは、従来のジャンル交代史への逆もどりでもないはずである。

 「越境すること」だけにとどまることなく、枠をとりはらうことが新しい〈ジャンル〉を常に創造することへとつながるような試みが、できないだろうか。

 たとえば、「音楽を書くこと」において、物語も、楽譜も、思想書も、国史も、日記もいったんは対象となる。「日記すること」においては、あらゆる日付をつけて書く行為がすべて分析対象とされる。「講義すること」においては和歌・有職故実・歴史・仏教・儒教…‥の言説が対象となる。さまざまな言説と行為とが渦巻く同時代の言説の中へ、文学・歴史・芸能…‥の区別を切り替え、はずして、降り立ってみて、そのうえで互いの偏差をあらためて見定めていきたい。海の中で鍛えられたわたしたちの批評眼は、競合しあう言説の中で、当時の知における〈ジャンル〉意識を見いだすかもしれない。あるいは〈ジャンル〉の生成じたいは、同時代に生きる者の知が認めるところとは、別のところにあったかもしれない。

 同時代言説の海へ。そして〈ジャンル〉の生成へ。

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 来る11月3日(文化の日・水曜日)、来る11月23日(勤労感謝の日・火曜日)、古代文学会と物語研究会の第8回、第9回、合同勉強会が、午後1時30分より、共立女子短期大学の3号館402A国文学研究室で行われます。

 シンポジウムテーマのコンセプトを練り上げるために研究発表を行い、討論する形式で進めます。

第8回、田中俊江の報告から

第9回、猪俣ときわ、西本香子の報告から

準備委員以外の方の参加も歓迎しますので、なるべく多くの方に集まっていただくことを期待しています。 

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【発表要旨】

『うつほ物語』冒頭文の再検討      西本香子

 『うつほ物語』は、清原王と皇女の結婚により、王統の一人子である俊蔭が誕生したことから語りおこされる。物語の常套的形式にのっとった冒頭文である。しかし、王と内親王の結婚例を歴史上に求めてみると、奈良朝末期の一時期(聖武・光仁朝)に三例みられるに過ぎない。それらは、うち続く皇位継承争いによって親王がいなくなり、王権の存続自体が危機にさらされた時代に現れた、極めて特異な婚姻だったのである。

したがって、清原王と皇女の結婚は、物語の前史に深刻な王権争乱期があったことを示唆していると読まねばならないだろう。物語の全体像への見通しもおのずから変化してくるはずである。

古々と猿聲と此處―常陸国風土記の言説の位相―  田中俊江

 常陸国風土記には、一つの記事の中で頻出する語を、いくつかの異なる表記(漢語や一字一音の仮名表記)を駆使しながら説明する箇所が数多くみられる。それらは単に重複を避けるためではなく、記事を説明する上で必然的な意味を持ち周到に選択された結果であるといえる。時にはその表記を重視するあまり記事の内容が規制されることすらある。何故そこまで表記にこだわり、また何故そうした自在な表記をとりうるのか。常陸国風土記を同時代言説の海に解き放つことでそれらの疑問にせまり、その時代の知の水準をふまえ、常陸国風土記の言説の位相を捉え直してみたいと思う。その果てには地誌という既成のジャンルとは別の、新たな〈ジャンル〉の生成をみることができるかもしれない。

楽譜と物語                   猪股ときわ

 仁明朝の最後の遣唐使の「(准)判官」だった藤原貞敏は、唐から新たな琵琶調子譜を将来した。楽譜を書くことは、実際に演奏する当事者にとって楽器の音声を「調子」という単位に分節化して捉えることであり、音声の中に「調子」という単位を聞き分ける耳を獲得することであったと考えられる。すでに大陸楽器や楽の輸入とともに楽譜ー音楽を書くことーは知られていた。とはいえ大陸思想に裏打ちされた複雑な文法は、楽人たちの耳を変革するところまでは至っていなかったと思われる。ところが今回の新たな「調子」の将来は、楽器を演奏し、教えー習う者たちに、いわば新たな耳と音楽の文法とをもたらす事件として受けとめられたらしい。貞敏は繁多な唐調子を日本の「雅楽」にあわせて四つに整理した。そう、評価したのは一〇世紀に入って、勅命を受け、貞敏の「調子」を継承する『琵琶譜』を書いた貞保親王である。彼は一方で絃歌の「調べ」を整える横笛譜(『新撰横笛譜』)を撰定してもいる。日本の「雅楽」用に、音楽の文法を縮小・再生産したのである。とともに、その音楽に正統性と聖性という意味を見いだす由縁語りや、音声の技法の細部についての言説が、師たちによって増殖されてゆく。

 一〇世紀の終わりに成立した『うつほ物語』は、こうした楽の師たちと等しい最先端の耳をもつ者による物語である。「調子」から「曲」へと深まる奏楽場面。音楽のもつ意味の増殖と競合。楽譜を書く行為のもたらすものを前提として、はじめて琴をめぐる物語はつむがれただろう。ところが、不思議なことに俊蔭は琴譜を書かなかった。琴譜が登場する場面はあるが、手にして見て語るのは俊蔭娘ではなく帝であったのである。俊蔭が宮廷に楽の師として仕えることを拒否したことと、楽譜の不在は関連しようか。だが、それだけでもあるまい…‥。

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【合同シンポジュームに寄せて】

泳いでみないと・・・       稲生知子

 物語研究会と古代文学会の合同大会が行われると聞き、自分の興味が平安期の神話にあることから、準備会に参加することにしてみた。

 自分の問題意識の中で、神話は何度も更新し、生成するのだという基盤が見えつつあった。中世においては、すでに「中世日本紀」というタームが定着しているように、その基となるテキストが無数にある。だが、平安期におけるその諸相を物語テクスト自体から考えることはできないのだろうか。『古事記』や『日本書紀』に還元しない、平安期に生成されていく「神話」を考えることができるのではないか。それは、最近の研究の動向でもある。(神野志隆光「「日本紀」と『源氏物語』」(国語と国文学75ー11(899)、1998・11)、斎藤英喜「摂関期の日本紀」(解釈と鑑賞64-03、1999・03))これが、物語研究の上でどのように捉えられているのかという興味もあった。

 このような経緯で、準備会も第四回まで出席させていただいた。名古屋から東京へ移動をしたにも関わらず、ほとんど、じっと聞いているだけだった。(参加ではなく、傍聴という言い方もある。)神話への言及はないものの、興味深い議論が展開した。その中で、両方の委員の、「違和」が見えてくる。物研の方から出てきたのは、タームへの違和感であろう。物研の方の、「実践者」「覚醒」などへの違和が第一回めで挙げられた。また、身体を巡る言説への認識の違いが指摘されたり、テキストとの対峙の仕方が違うことが挙げられていた。しかし、それ以上の、議論の上でかみ合わないものがあるように感じられた。コトバがちぐはぐな気がする。そういう違和感は、共通見解だったようだ。「近くて遠い「他者さん」」(第四回準備会(四月二十九日)、小森潔氏報告による)という言葉からも端的にうかがえる。では、その違和は何なのか。

 個人的には、研究対象の位置付けに関係しているのではないかと思う。ある一定のジャンルを周縁の文学と位置付けたり、無自覚に弱者のものとして捉えたり、無前提に特権化したりする方法を一旦解体することによって、お互いに通じるコトバが生まれるのではないかと思う。もしくは、研究対象の価値づけの前提条件をさらけ出すことによって、はじめて、議論をはじめることができるだろう。

 前提としてのジャンルに捕らわれることから解放され、そしてまた、新たなジャンルを見出していくきっかけを、この合同大会に期待している。

 合同大会では、風土記、宇津保物語、音楽をめぐる言説に関して発表されると聞いている。これらをめぐる議論によって、その違和感の正体なり、閉塞感の正体なりが見えてくるのだろうか。同時代言説の海を泳ぎつつ、新しい「泳ぎ」の片鱗でも見つけることができるといい。ー泳いでみなければわからない。

  ある憑霊体験から             斎藤 英喜

 この夏、僕は、物の怪に取り憑かれてしまった一人の女性と付き合っていた。

 彼女の本名はわからない。皆には「浮舟」と呼ばれている。彼女は三角関係を精算するために、自殺を選んだのだが、どうやらそのときに悪霊が彼女の身体に侵入してしまったらしい。このことは、後に横川僧都という祈祷僧によるエクソシズムの儀礼で判明するのだが、彼女に取り憑いたのは、修行半ばで死んだ法師の霊であった。なんとその死霊は、彼女の義理の姉をも取り殺していたのだ。僧都の祈祷によって、死霊は「おのれは、ここまで参うで来て、かく調ぜられたてまつる身にもあらず…」とくやしそうに語りながら、やがて彼女の体から離れていったという。この出来事を聞いて、僕は思わず『日本霊異記』や『今昔物語集』なんかの世界を思い出して、けっこう興奮したのだけど、さらに衝撃的だったのは、意識がもどった彼女が、あとから、自分の憑依の体験を語ってくれたことだ。普通には死霊や物の怪に憑依された本人は、意識を回復したあとも、そのときの体験を語ることはあまりしない。その体験は無意識の奥のほうにあって、それをふたたび意識の側に呼び返してくることは、そうとうきついことだし、またへたをすると「狂気」に陥る危険があるからだ。しかし、彼女はあえてそれを行ってくれた。彼女によれば、その死霊が身体に侵入してくるときの体験は、「いときよげなる男」が近寄ってきて、自分を抱きかかえてくれるような、なんともいえぬ快感と陶酔のなかにあったという。そして彼女は、その男が三角関係の一人のほうの相手であるような錯覚をしたとも語ってくれた。

 やがて彼女は自分の体験が、霊的な世界に覚醒していく契機であったことに気付いて、エクソシストの僧都を自分のマスターに選び、本格的な修行を始めることにした。あのときの憑霊の体験はなんだったのか。悪霊の侵入がなぜ自分には、聖なる存在との接触のように感じられたのか。それはなぜエロスと結びつくのか。そして自分の修行によって、三角関係の泥沼、表層の現実世界を超越することが本当に可能なのか。さらにその超越の向こうには何があるのかー。

 現在、彼女は、自ら筆をとって、自分の体験を深めるための文章を書き続けている。僕のほうもその書き物を読ませてもらい、彼女の体験を解析する論文を書いている。それは「スピリチュアリティ」をめぐる僕自身の現在のテーマと、彼女の体験とが深く交差したからなのだが、さらに彼女の体験のなかには、密教の加持祈祷・秘密修法や浄土教のテキストなどの世界と密接につながることがわかってきた。なんといっても彼女がマスターに選んだのは、天台浄土教の高位の僧侶だったからだ。また彼女の宗教的ヴィジョンのなかには、観音菩薩の霊格も存在していたようだ。さらにその自死の体験は「焼身往生」をめざした宗教者たちの実践ともクロスするらしい。そんな多くの宗教的言説のテキストを彼女にも教えてあげている。どうもきみの霊的体験はそうとう高いステージにあるみたいだよ。さらに自分の体験を書くことについては、最近の物語研究がつかんだ「言説分析」ー自由間接言説や自由直接言説の方法もけっこう参考になるようだ。それも忘れないほうがいいだろう。

 さて、彼女の憑霊体験をめぐる僕の論文は、ひとまず途中経過の報告として『想像する平安文学』という本に寄稿したけど、残念ながら、今度のシンポジウムのときには、まだ発刊されていないと思う。

〈文学〉オタクとして             小嶋 菜温子

 どうしようもなく、わたくしは〈文学〉人間だと思う。子供のころから身にしみついている、日本・近代・文学の匂いから、たぶん一生のがれられないのかもしれない。古典批評を模索するなかで、日本について、その近代性なるものについて、そして文学の現在と未来について考えつづけていく。そうしたスタンスで研究にむかうものであることをお断わりしておきたい。

 さて、そんなわたくしが、物研にも古代文学会にもほとんど出ずにいながら今回のお誘いをうけたのは、同時代言説を問うというテーマに共鳴したからだ(ちょっと、いぶりだされたアナグマーー古ダヌキにあらずーーの心境だけどヨロシク!)。古代から現代にいたる言説の歴史を見わたすとき、いつの時代においても、その時こそが起点であり、あたらしい現場であったはずだ。千年余にわたる日本文学史とは、そうした時々刻々の同時代言説の集積にほかならないということもできるだろう。『かぐや姫幻想』のなかで考えたかったのは、物語の場が、六国史として累積された歴史叙述と交差して生成する機微についてである。このごろ唱えている〈非・準拠〉の観点にしても、物語と歴史のあいだの相補的なダイナミズムを、従来の準拠論の枠をこえた発想でとらえようとの意図による。

 なんだそんなの古くからある議論じゃないかという言われるかもしれない。でも、ちょっと立ち止まって、考えてみよう。問題は古い新しいということでなく、ひとつひとつの議論にどう決着をつけていくかということではないか。すくなくとも、わたくしはそのように信じる。今回の同時代言説をめぐるテーマそのものも、けっして新奇な発想ではないだろう。中世から営々とつづく注釈史・研究史の一環として、わたくしたちも古代前期なら前期、後期なら後期の大枠のなかで、それぞれの共時性を括りだそうとしてきた。その過程で、まさに未決のまま持ち越されてきた問題ではなかったか(準拠論もきわめて同時代言説の問題にちがいない)。だからこそ、議論をさらに深め尽くす努力をつづけるべきだと思うのである。

 古くて新しい課題としての、同時代論をわたくしも模索していきたい。その際の拠り所にするのは、やむにやまれぬ〈文学〉オタク魂であるほかない。むろん安直な文学主義はいまや成り立ちがたいことは重々分かっている。たかが文学、されど文学のココロでいくしかないなと思う。そうやって、わたくしのなかの〈文学〉ならびに〈近代〉を問いなおしつつ、〈文学〉の未来を見とおしていくしかないだろうと考えている。

 ※参考 『物語の千年ーー源氏物語と日本文化』(高橋亨・土方洋一・小嶋、森話社)

The dangerous−honorable work       助川 幸逸郎

 何年か前、早大理工学部の大槻教授が、さかんにマスコミに登場し、オカルト批判の論陣を張っていた。大槻の論法は、科学によってオカルト的なるもののまやかしを暴く、近代主義の典型であった。

 私も、超常現象といわれるものは99パーセント、錯覚や思いこみにもとづくと確信している。オカルトにひかれる人間の大半が、不潔なメンタリティ――ナルシズム的な欲望を、神秘な力に依存することで充足させようとする――を共有していることも疑えない。これらのことは、私自身が、まやかしと半ばわかりながらオカルトにひかれる「不潔なナルシスト」だったからよくわかる。

 しかし、大槻の批判の正当性を否定しようもなく感じる一方で、批判を展開する大槻の口ぶりにも違和感を覚えずにはいられなかった。大槻は基本的に、「超常現象」を、たったひとつの原因によって説明しようとした。大槻にとって「現象」とは、ひとつの「起源」に還元可能なものなのだった。このような還元主義的思考は、どれほど合理的な装いを持とうと「形而上学=神学」に過ぎない。このことは、19世紀末以降の思想家がくり返し口にしてきたことだ。大槻はいわば、近代科学という「公認神学」によって、オカルトという「邪教」を撃ったにすぎない。

 還元主義的な科学が、科学としてもどれほど不完全であるかは、医学を例にとればわかりやすい。近代医学は、ひとつの病にひとつの原因を想定し、その原因を叩くことを目的とする。しかし、癌や脳卒中といった重篤な疾患の場合、身体の諸々の部位に多様な障害が、同時平行的に発生する。近代医学は、これらの障害を無視するか、各個撃破することしか出来ない。障害の相互連関を考慮しうる医師も存在するが、そのような医師は、経験によって勘を磨いただけだ。近代医学の正規教育は、その種の力を養成できない(私の母がくも膜下出血を起こした時、担当の脳外科医は「脳の状態が良くなることだけを考えて治療していますから、いま使っている薬のせいで他の臓器がどうなるかは責任が持てません」と告げた。この医師は藪医者ではなく、猛烈な勉強家で手術の腕にも定評があった。彼の発言は、近代医学がいかなるものであるのかを雄弁に物語っている)。

 現象を一つの極に還元するのではなく、独立した多数の要因が競合する場としてとらえること。現代の知の課題はそこにこそある。古代文学会と物語研究会の合同シンポジウムのテーマ「ジャンルの生成――同時代言説の海へ――」は、この課題に答えようとするものだ。そのことは、「接しあい、奪いあい、包括しあい、緊張関係をとり結ぶであろう競合しあう同時代言説の中に降り立とう」という、「呼びかけ文」の一節を見ればわかるだろう。ただし、このテーマは、知的退行の引金となりかねない危険も孕んでいる。合同シンポジウムの準備研究会では、ジャンルの枠を撤廃するための様々なキーワードが議論の対象となった。「琴の譜」・「道教」・「シャーマニズム」といったそれらの語句は、文学言説を、多様な言語事象の競合にさらす契機となりうる。しかし、それだけの力を持つキーワードというのは逆に、別の還元目標になりかねない。既存のジャンルの枠組を取り払った挙げ句、すべての言語事象が「琴の譜」や「道教」や「シャーマニズム」に還元されて終わる、という事態は充分にありうる。今回のシンポジウムがその罠に陥ったならば、新たな意匠を持った「邪教」によって、「公認神学」を撃ったに過ぎないと謗られるだろう。

 既存のジャンルの枠組は、近代主義的なヒエラルヒーとわかちがたく結びついている。それを粉砕し、文学をめぐる知を、多元的に決定されたものに改変すること。そのことが今回のシンポジウムの役割だ。「邪教化」のリスクを孕んだこの「危険にして栄誉ある営み」の成行を、私は北京の地から、強い緊張感をもって見守っている。 

【第7回準備会報告】 

合同研究会まであと少し ―九月準備会感想―   田中俊江

 九月二三日の準備会は、神田龍身氏『偽装の言説 平安朝のエクリチュール 』(森話社)を参考文献とし、津田博幸氏をレポーターとして行われた。準備会も回を重ねて今回で七回目、合同研究会まで残すところあと二ヶ月余り。当然、これまでの議論やテーマや呼びかけ文を視野に入れての討議が予想され、津田氏のレポートもそこに引きつけた形でなされていた。当日は参考文献の著者である神田氏も参加して下さり、著書同様にパワフルな氏のコメントにいささか圧倒されながらも、得るところの多い勉強会だった(いつものことだが)。以下、思いつくままに感想を述べる。

 今回取り上げられた『偽装の言説 平安朝のエクリチュール 』は、津田氏のレポートのまとめを借りて言うなら、既成の文学史的枠組みをまずは取り外し、書記言語と口頭言語、漢文(漢字)と仮名文(仮名文字)の関係、という観点から主として平安時代のテキストの言語状況を捉え直していこうとするものであった。氏のスタンスは一貫していてどの章も興味深かったが、例えば、「書く」という行為を通してはじめて「口承物語」の存在が「偽装」されると同時に価値づけられ自覚化されるという第T章や、漢文日記を経ることで、余剰物のない仮名文字を用いた仮名文の日記の真価が明らかにされてゆく第U章など、個人的には特に前半を面白がって読んだ。その、面白がる、というのは、それ自体の面白さであると同時に、こうした問題・発想の提起が中古・中世においてもやはり有効なのだということを改めて実感した面白さであった。最初に本書を読んだとき、例えば、呉哲男氏の『日本書紀』と『古事記』の文体についての論などを想起させられた。こうした、ある文字・言語・文体の存在を前提にして、新たな文・言語・文体の価値が見いだされ意味づけられるといった発想が、平安時代の言語状況をめぐる問題としてもあるのだという状況をわかりやすく説明してくれた、という意味での面白さがあったと思う。

 ただ氏の論の中で少々疑問に思ったのは、新たな文字・言語・文体の成立の契機について「個人」の「戦略」「偽装」を前提にしているところ。今回扱ったテキストに限定しての物言いであるし、説明としてはよくわかるのだが、「偽装」「戦略」といった意図を抱え込む過程をもう少し説明する必要があるのではないか、と思った。一方ではそうした「偽装」「戦略」を意識的に抱えないまま、結果的に新たな〈ジャンル〉を確立してしまったという場合も視野に入れるべきではないか、とも思った。いずれにせよ、そこにある種の〈ジャンル〉に対する意識が前提となっていることだけはたしかである。どういうスタンスをとるにしろ、意思表示をするためにはそのものに対する明確な意識があるはず。例えば口承言語を「偽装」した『竹取物語』には「口頭伝承」とはどんなものかという〈ジャンル〉意識があったように。また、仮名文で日記を「偽装」した『土佐日記』にはその前提として「漢文日記」という明確な〈ジャンル〉意識があったように。あらたな〈ジャンル〉が生成する時に、生成するものに対する明確な〈ジャンル〉意識が予めあるかどうかは不明だが、少なくとも既存のものへの肯定・否定といった意思表示を示すときには、その既存の対象(既存といっても、それはその人にとってという意味であり、そうした事態が「客観的」にあるわけではないが)に対するその人の〈ジャンル〉意識が明確にあらわれてくるはずである。あらたに作られた〈ジャンル〉はそこからの差異としてみることが可能になると思われる。ずいぶん図式的な説明をしてしまった。このように図式的にまとめようとすること自体がすでに相当危険なことであると自らを戒めるべきかも知れない。テーマの方に引きつけて言えば、〈ジャンル〉生成の起点とそこに至る過程をできるだけ個別的にくわしくふまえる必要があると感じた。問題は、その内実をどう詳しく説明できるかにかかっている。

 会の最後の方で、各人の考える〈ジャンル〉という語の意味内容についても討議がなされた。以前、第五回準備会の感想の中で植田氏が「『ジャンル』ということばじたいにも、理解の差異はありそうである。」と述べていたが、その内容の確認をする機会にもなった。〈ジャンル〉というのは様々なレベルで使える広がりのある語であり、その広がりを確認しておく必要はある。例えば、書名などからわかるテキスト自体がもつ〈ジャンル〉意識を問題とする場合もあるだろう。それとは別にこちら側の切り取り方を問題とし、既存のジャンルを解体し、新たな〈ジャンル〉の有効性を模索する場合もあるかも知れない。一口に〈ジャンル〉といっても、その内容はテキストによって、またこちら側の切り取り方によって様々である。ただ、既存のジャンル意識をすべて取り外し、いったん同時代の地平の上に一緒くたに並べてみることで、いままで見えなかったもの、見ようとしてこなかったものを見たいという姿勢は一貫してあるといってよいと思う。その俯瞰の果てにあらためていろいろなレベルでの〈ジャンル〉の生成を見いだしてみたい。そういったことの確認となった。

 ともかく、既存のジャンルを超えたところに何かを見いだそうとする方向性は大切にしたい。今回の合同研究会もそこを拠り所として成り立っているはずである。おそらく興味も意義も十年前の合同大会の時のようには持ち得ないであろう両会が、それでも何かがつかめるのではないかと期待している一点があるとしたら、おそらくその鍵はここにあるように思われる。残り少なくなった準備会と大会、ともに多くの方の参加を期待しております。

国語の将来。    (誤植訂正版)        上原 作和       

 第7回準備会は神田龍身さんの『偽装の言説−平安朝のエクリチュール』をもとに討議した。当日は神田御本人も出席され、津田さんのレポートを踏まえた議論が交わされて、シンポジュームのコンセプトは、まさに熟成されたブレンドコーヒーの味わいを帯びてきたかのように思われる。

 今回の準備会において、新鮮な驚きだったのは、当代一流の理論派研究者の旗艦的存在で知られる神田さんが、いっぽうで文献学にもきわめて精通した研究者で、とりあげられたテクストの多くが、歴史文献{一次資料=注釈のない原資料}であり、それらに対してことごとく精緻で厳密な御自身の読みを用意していたことである。

 この事実は、方法論先行型で、『源氏物語』ですら現代語訳で立論しているとしか思えない?若手の物語研究者たちにとって、大いなる手本となるに違いない。

 というのは、何度目かの準備会で、方法論を凡庸化することの意義について、あらゆるテクストに普遍化して適用可能なことが、まず方法論の第一目標であるという見解だけは統一されたものの、その危険性が、なぜ古代ブンガクでこれを解こうとするのか、近代ブンガクでも、団子三兄弟でも、宇田多ヒカルでも分析可能なのはよいが、なぜ、古代なのか?なぜ物語なのか?という文学研究を志した際のモチベーションの濃淡の問題や、はたして、この方法は『源氏物語』を論じるためのものなのか、あるいは、行論のしなやかさ、はなやかさを誇示するためのものなのかすら分からないと言う、研究と批評の現状に対する危惧が提示されたものと記憶している。しかし、これらの危惧が、復古的な、旧来のテクスト還元主義だと批判してしまえばそれまでであり、こうした価値観の多様さを認め合うことは、常に議論の前提でもあるだろう。

 本年度の物語研究会の年間テーマは「区分・領域{テリトリー}」であり、前回例会の報告者であった僕も、こうした影響下に「読者生成圏の論理−『松浦宮物語』秘曲伝承コードへのプロトコル」といういささか分かりにくい発表をした。報告のポイントは、物語が生成される過程におけるプロトコル{情報環境}の機構を、あえて“実証的に”考えてみようというものであった。

 その意図は、歴史資料、文学テクスト、絵画資料など、すべてのテクストを、既成の区分・領域から解放しようとする「ジャンルの生成−同時代言説の海へ」に触発された僕が、『松浦宮』作者である藤原定家のプロトコル{情報環境}の回路を復原する作業から、『松浦宮』の秘曲伝承コードの生成を考えてみようというもので、秘説とされる、定家と河内学派の源氏学の情報交錯の回路を考えようとしたのである。結局、タイトルを「読者生成圏」としたのには注釈が必要で、「『源氏』読者生成圏の論理」、もしくは、「作家生成圏の論理」でもすればよかったかもしれない。これが僕の、今回のシンポジュウムテーマの実践のひとつである。

 さて、今回のシンポジウムの準備委員会は、情報管理も流通も、完全に電子テキスト化が徹底された会であった。すべての文書はメール{あるいはフロッピーディスク}で即時に交換され、すくなくとも、呼びかけ、感想文の類のテクストに関しては第三者の誤打・誤植の心配はまったくないわけである。そんなキーステーションを務める僕のもとにここ数日着々と届けられるテキストに、真っ先に目を通すことの出来る特権を得ている僕が、ささやかなひとつの現象を見出すことが出来た。それは、地名起源伝承はもちろんのこと、完全な現代語訳のない、『うつほ物語』と、それをめぐる歴史伝承の論が、シンポジュウムの中核になるであろうということである。

 さあ、歴史伝承と物語をめぐる同時代言説を考えることから、21世紀の「国語の将来。」を、「言葉と情報の海」にも溺れることなく、一筋の光明として掴み取ろうではないか。 

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