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1999.11.01 Up Date

 「古代文学会・物語研究会合同シンポジウム」準備委員会からの報告 Ver.01

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古代文学会・物語研究会合同研究会(仮称)準備委員会からのお知らせ  来る4月29日(木、みどりの日)、古代文学会と物語研究会の第4回合同勉強会が、午後1時より、共立女子短期大学の3号館402B国文学研究室で行われます。勉強会は、今回から参会者がテーマ設定に向けて原案をもちより討論する方法で進める予定です。  参考に、テーマ設定のコンセプトには、一案として「同時代言説の言葉の海の中へ」が提示されています。創造的かつ刺激的なテーマ設定に関する御意見をお寄せ下さい。 準備委員以外の方の参加も歓迎しますので、なるべく多くの方の集まって下さることを期待しています。

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一会員の感想                      小森 潔

 合同勉強会に、私は物研側の準備委員として参加している。しかし、準備委員は、当然のことながら物研を代表する者ではない。準備委員とは、あくまでも合同研究会の事務的な面を引き受けるものと私は理解している。要するに、勉強会における私は、物研の会員のひとりでしかない。したがって、以下に述べることも個人的感想にすぎない。  といった、あたりまえのことを敢えていうのも、合同研究会は物語研究会(そして古代文学会)の一部の人間が強引に押し進めているのではないということを、いま一度確認したいからである。古代文学会・物語研究会双方の会員が主体的に関わって開催される合同研究会にならなければ、開催する必要もないだろうと私は考えている。だから、一方でたとえば「開催には断固反対する」という意見とそのための具体的活動があってもよいと思っている。  さて、一会員として、私が合同研究会に求めたのは、同じく研究という行為に手を染めながらも大きく発想を異にするような人々の、いわば「異質の言語」に触れたいということであった。「文学」を研究する者なのだから、どこかでお互いに通じ合えるだろうという幻想が覆されることを、望んでいたともいえる。実はその点においては、勉強会に参加することで、私の目的はほぼ達成されてしまったようだ。  古代文学会の人々の発する「異質の言語」に触れることによって私が感じたのは、遙かに隔たったところで響く声を聞き取ることのできない自らの無力感であった。物研の会員となって十五年。想像以上の厳しい声の氾濫の中で、もうやめようと思ったことが幾度もあるが、にもかかわらず、やめずにここまできてしまったのは、結局のところ、自分のことばをわかってくれようとする人々の中にいたからだと思った。  前回の勉強会で、私が違和感を持って書き留めたことば。たとえば、「語り手の宗教性」「憑依体験」「宗教実践者としての語り」「シャーマニックな発生」「語りのシャーマニズム」「反歴史」等々。この程度の術語に違和を感じるのは勉強不足といわれればそれまでだが、そこに私が感じたのは、安直な理解など拒否する、研究という行為への姿勢そのものの違いとでもいったものであった。  さて、そうした中で「同時代言説の海の中へ」という発想が出てきた(これ自体、準備委員の総意によるものではありません。念のため)。ここから、たとえば、テクスト精読主義の研究方法を見直そうとか、古代前期・後期という枠組みを解体してことばを紡ぎ出す行為の源泉を見つめようとかいうことは簡単で、もっともらしい文章も書こうと思えば書ける(かな?)のだが、今のところ、さてここからどうしたものかは私自身考えあぐねている。  ただ、確信を持っていえることは、自分の研究が拠って立つ基盤がいかに脆弱なものにすぎないかという、めまいにも似た思いを合同勉強会で思い知らされるということだ。だから、本当は行きたくないのだけれど、近くて遠い「他者さん」に会いにまた次回の勉強会にも行ってしまうのだろうなと思っている。 というわけで、少なくとも私は混乱の中にいるわけだが、そのような貴重な体験ができるということで、準備委員以外の皆様の参加をお待ちしております。なお、「他者さん」も酒は飲みます。

言説の海へ                    津田博幸

 私は今回の合同研究会(仮称)の言い出しっぺの一人である。なぜこういうことになったかという楽屋話(物語研究会側の委員の方々との出会い等々)は省略させていただくが、ともあれ、いわゆる「上代文学」の世界の最近の研究状況に鑑みて、この研究会を行なう必然性を感じ、やれば自分の役に立ちそうなので、世話人になって実現したいと考えた。 私はここ数年、主に古代の神話について研究している。その中で痛感してきたのが、神話は『古事記』『日本書紀』だけをやっていても駄目だ、ということである。もちろん、何を知りたいかによって対象と方法は変るわけであるから、突然のこんな断定を不快に思われる向きもあろうが、私の知りたいことに関してはそうなのである。  私は、たとえば以下のようなことを知りたいと思う。神話が(あるいは神話テキストが)生成するダイナミズムはどうなっているのか、あるいは、神話というものはどこでどのようにしてリアリティをもつのか、等々のことがらである。こういう、いわばロマンティックなことがらを歴史の問題として、つまり恣意的ではないと自分で納得できるやり方で考えたい、と思っている。  一つはっきりしているのは、古代という世界における神話テキストの生成は『古事記』『日本書紀』では終っていない、ということである。神話テキストは九、十世紀を通していわゆる氏文という形で作られ続けている。その同時代に、朝廷では『日本書紀』の講読が続けられていた。この講読は、そもそも中国語で書かれている『日本書紀』を古語=和語に還元することを指向し、結局、『日本書紀』の字面の向こうに新たなテキスト、すなわち人工的な古語=和語のテキストを生成させる運動だった。それがいわゆる「中世日本紀」につながってゆく。一方、この『日本書紀』講読では、参考のために『日本書紀』には記載されていない神話が語られることがあり、それが九世紀の氏文の中に吸収された例もある。つまり、朝廷という解釈共同体の中で、『日本書紀』が注釈され、揺り動かされて、『日本書紀』自体として変質し、一方、その同じ言説空間から新種の神話テキストが生成してもいた。そういうことがかなり具体的にたどれる。おそらく、その間、神話というものは古代なりのリアリティ(それが何かということも難しい問題だが…)を保持し続けていたはずで、だからこそ生成をくり返したと考えられる。  さて、そこで、たとえば、その先に「日本紀の局」の姿がおぼろげに見えてきませんかとか、そういうことは考えなくてもいいんですかとか、そういう素朴なことをあえて専門家に聞いてみたいと思う。これが私にとっての合同研究会開催の必然性である。わがままな必然性だ。しかし、私はこういうわがままな必然性、あるいは非必然性の話を色々な人から聞きたいと思う。そういう言葉をぶつけ合わないと、研究会は退屈なわりに気苦労の絶えない社交場として堕落する。  三月の勉強会で取り上げた兵藤裕己氏の著書『平家物語−〈語り〉のテクスト』(ちくま新書)は有意義な書物だった。この書は、たとえば、『平家物語』は語られるつどシャーマニックな発生をくり返し、口演の度ごとに揺り動かされる、と主張する。こういう主張をなすために、著者は『平家物語』というテキストが浮かんでいる同時代の言説の海へ飛び込んでゆく。その視線は、『平家物語』とその外側とを何度も往還し、新しい風穴を開けてゆく。そして、たとえば、『平家物語』が中世的にリアルであったその歴史上の一点を把束するのである。もちろんこれは、テキストを史実に還元するとか、テキスト間の影響関係の測定を目的にするとかいった類いの方法ではない。テキストをよりよく読むための新しい方法である。  当日の勉強会の議論の中では、一度ジャンルというものをバラしてしまって、とにかく同時代の言説の海に飛び込んでみる、ということを皆でやってみる必要があるのではないか、という話が出た。そういうことをやるのに平安時代は最もおもしろい時代だろう。何しろ、文体だけでなく、文字にまで住み分けが生まれた時代なのだから。もちろん、無闇やたらにやってみても成果は期待できないが、目標を絞り込めば発見がありそうだ。  「古代文学会」という「ジャンル」も「物語研究会」という「ジャンル」も(五十音順。他意はない)バラしてしまって、異分子と対峙してみたい人、それで少しでも自分が変わりたいと思う人、ぜひ毎月の勉強会から参加して下さい。  

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○古代文学会・物語研究会合同研究会(仮称)準備委員会報告。  来る3月7日(日)、古代文学会と物語研究会の第二回合同勉強会が、午後1時より、共立女子短期大学の3号館406B・岡部隆志氏の研究室で行われます。勉強会は、前回同様、参会者が参考論文をあらかじめ読んでおき、それをもとに話し合う形で進める予定です。今回の参考論文は、  兵藤裕己氏『平家物語−<語り>のテクスト』(「ちくま新書」1998年) 準備委員以外の方の参加も歓迎しますので、なるべく多くの方の集まって下さることを期待しています。 

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報告にかえて                      猪股ときわ

今月の準備会は、現在研究する文体がいかにありうるかといった、根本のところに話題が集中していたせいか、内容をうまく整理できない。ちょっと別のところから。 ちょうど一〇年前の一九八九年の八月、古代文学会・古代文学研究会・物語研究会の三者による合同大会が真夏の沖縄・那覇市で開かれた。テーマは「共同体・交通・表現」。今から思えば、四泊五日という会期、場所、安田の「しぬぐ」見学〜テーマ発表〜シンポジウム〜テーマ発表・全体討論〜琉舞というプログラム、どれをとってもよくも実現できたものだ。企画・準備委員の方たちはもとより、地域や所属団体を超えたたくさんの方たちの熱意や協力を得てのこと。一方、参加者であった私は会期の前から宮古島周辺を遊び歩いた事その他、お気楽でわがままな行動をとっていた。しかしこの大会を場として発表させてもらった「遊行と歌垣」は、個人的には一つの大きな転換点だったように思う。以降の一〇年間(!)、あの場と時との中で得た何かの中をさまよっている。自由に泳がせてもらった恩返しか、罪ほろぼしか、よくわからないが、今回、物語研究会と古代文学会の合同例会の企画がもちあがった時、当時ともに発表者だった植田恭代さんが物研側の準備委員に入っていると聞いて、準備委員を引き受けてしまった。 古代文学会も、物研も、会の情況は以前とはずいぶん変わっている。テーマはもとより、すべてにわたってとても同じような企画は無理。まったく別の企画としてイメージしている。とはいえ古代文学会でいえば、九〇年代に入ってから始まった夏季セミナーのプロジェクトが一段落したところ。沖縄大会から一〇年というのも、一九九九年というのも、とるにたらない事情ではあるが、いいきっかけのように思う。 最近、中世の研究が大きく動いている。中世に対して「古代」として一括されもする平安、奈良以前の文学研究について、それこそ根本的に考え直すときなのかもしれない。「日本紀」をめぐる言説の問題、「歴史」概念の変動とも関連して文学史はどう語りうるか、文化(宮廷の物・儀礼・制度)と物語や歌との関わり、古橋信孝氏の著書がさきごろ提示された「和文」の成立と都市(奈良・平安)や郊外の問題、和文・漢文の「日記」とは何か(これは個人的な関心事)…‥共有しうる具体的な課題はいくらでもありそうである。研究する文体をどう作ってゆくのか、建設的に考えてゆく場を企画設定できたらいいなと思う。来月からいよいよ、テーマや会の形式やを練ってゆくことになろう。

古代文学会物語研究会合同研究会のための第二回準備研究会 より 植田 恭代

昨年十二月の第一回研究会における討論を受けて、今回は『日本文学』1994年6月号所収の上代・中古関係論文を二本ずつとりあげ、それらをもとに意見交換を試みた。「古代文学と身体」という共通のテーマのもとに執筆された論文を読み比べることから、双方の会の興味の所在をより具体的に見定めようとする趣旨である。執筆者は古代文学会と物語研究会の会員であるが、さりとてとりあげた論文がそれぞれの会を代弁しているというわけではない。もとより論者自身の個性がある。さらに、幅広い世代の会員を二百名なり三百名なり抱える会の最大公約数的立場など、そう簡単に抽出できるものでもなかろう。しかし、各時代の特性やその要請する手つきは、おのずと反映しているはずである。常に始源を発生を問いかけ、生成の秘密を探ろうとしていく古代側の意識と、書かれたテキストの隠喩として読み解こうとする物研側の姿勢との間に厳然たる違いがあるのは、今回も追確認したところであった。しかし、双方を架橋するものを性急にもとめる必要などはあるまい。重要なのはその違いの根底にあるものを見定めることである。  回を重ねて、より鮮明に見えてきたのは、それぞれに固有の用語の問題である。たとえば、猪股論文がさりげなく用いる「技術」ということば。これは中古物語関係の論文ではあまり見かけない用語である。もちろん『琴歌譜』という書物を扱っているという事情はある。しかし、問題をその点だけに封じ込めるのは早計にすぎるのではないか。古代の研究対象に向き合い、日々その研究状況に接する猪俣氏が選び取っている用語なのである。神話を論じる過程で神を扱う技術を問題にする古代研究が必然的にもとめ、結果として流通していることばを、おそらく無意識のうちに受け止めている論者がいる。猪股氏の「技術」は、そうした事情の上に立ち『琴歌譜』を見据えたときに用いられた用語なのであった。それぞれの時代状況があり、研究者自身が立つ土俵の問題がある。さりげなく選び取られる用語ひとつの向こうに、私たちはそれを透かし見得る。  異なる会に接したとき生じる「なぜ……」という素朴なまでの疑問が、この合同の会の出発点であり、鍵でもあろう。近年、古代の側から平安期の「日本紀」の問題に言及する論が相次いでいるが、中古文学研究、特に物語研究はむしろ近代文学研究と近い印象さえある。この合同の会は、近くて異質な会との交流と言えるのかもしれない。研究動向の流れのなかで今一度立ち止まり、参加者ひとりひとりが何かしら有効な発見を体験できればいい。それが、文学史における「上代」と「中古」の間の連続・不連続を考えるひとつの手がかりになるはずである。

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○古代文学会・物語研究会合同研究会(仮称)準備委員会報告。  来る2月11日(木)、古代文学会と物語研究会の第二回合同勉強会が、午後1時より、共立女子短期大学の3号館406B・岡部隆志氏の研究室で行われます。勉強会は、前回同様、参会者が参考論文をあらかじめ読んでおき、それをもとに話し合う形で進める予定です。今回の参考論文は、  森朝男氏「スサノヲの泣哭」(「日本文学」1994年6月)  猪股ときわ氏「歌う身体と書く身体」(「日本文学」1994年6月)  三田村雅子氏「枕草子・〈ほころび〉としての身体」(「日本文学」1994年6月)  原岡文子氏「紫の上の登場」(「日本文学」1994年6月) 以上の四点です。準備委員以外の方の参加も歓迎しますので、なるべく多くの方の集まって下さることを期待しています。 

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 「テクスト」観の差異をめぐって                   助川 幸逸郎

 古代文学会との合同研究会は、カルチャーショックだった。  「物語」・「身体」・「作者」……同じ言葉に対して抱いているイメージが、私とは激しく異なる人々がいる。その事実をくり返し思い知らされて、頭がくらくらした(当日、一身上の理由で、極度の寝不足・カロリー不足だったせいもあるが)。いかに多くの「暗黙の了解」の上に立って、自分が物を考えていたかを実感した。  いちばん衝撃的だったのは、「テクスト」観のずれだった。語弊があるかも知れないが、古代文学会の人々にとって「テクスト」とは、世界を構成する諸事象の「one of them」に過ぎない。「テクスト」それ自体に孕まれている意味はなく、ある状況の中に「テクスト」が配されることで、初めてそこに意味が生じる。これに対し、私にとっての「テクスト」は「十戒が刻まれた石板」 だ。それは、他のどのメディアとも次元を異にしており、何人も私有化しつくすことは出来ない(言い換えれば、「テクスト」は文脈に左右されない固有の因子を持つ)。  考えてみれば、私の「テクスト観」は悪しき近代主義であると共に、時代遅れだ。私が"文脈に左右されない「テクスト」"をイメージする。その時、このイメージを支えているのは紛れもなく、世界のどこでも同じ姿で流通する活字本の姿だ。しかし当然のことながら、印刷技術の普及以前には、同じタイトルの「テクスト」であっても、中身・外観に相当の違いがあった。書写者という享受者は、 「テクスト」を書き換えて私有化することが原理的に可能だった。"私有化しつくされない「テクスト」"が、古代にあったはずがないのだ。  さらに現代においては、イデオロギーの死滅や電子メディアの発達によって、個人の帰属するユニットが細分化し、異なるユニット間のコミュニケーションも難しくなっている。こういう時代に、普遍的なものが存在することは極めて困難だ。事実、メディアが大量にばらまく情報――事物の一般化された像――は、たちまちパソコンで加工されて「自分(たち)だけの私物」となる。情報の分野では、既に指摘されている通り、前近代への先祖返りが進行しつつあるのだ。こんな時代に、"文脈に左右されない「テクスト」"をイメージすることは、反動以外の何ものでもあるまい。  私の「テクスト」観がイケテイナイことを裏返しに言えば、古代文学会の人々の「テクスト」観はイケテイルということだ。実際、今回のテーマ論文を見ても、個々の宗教者に孕まれるアマテラスが、決して同質たりえないことを説く津田論文、普遍的信仰が衰亡した時代の信仰のありかたを解明する斉藤論文、いずれも対象に忠実なことに加え、アクチュアルな観点――「ユニットの細分化」と「ユニット間の断絶」を問題にしうる視座――を提示している。ただ、唯一物足りなく思うのは、どちらの論文も、断絶させられた個人が、いかに信仰につながるかが問いの中心になっていて、個人と個人がどのように結びつくのかへの目配りが(皆無ではないにせよ)不充分なところだ。津田論文も斉藤論文も、ある宗教者の神秘体験が、信仰のパラダイムを更新する様を記述する。しかし、「何故、他の誰でもないこの宗教者の神秘体験が、特異点となったのか」・「個人の神秘体験が、いかにして他の個人を巻き込んでいったのか」については、それほど詳しくは説明してくれない(この点について、斉藤氏に直接質問してみたのだが、時間の制約のせいで納得のいく答えを引き出せなかった)。  ここで少し自己弁護させて貰うと、自分の「テクスト」概念が時代遅れであることは、私も自覚していた。しかし、"ユニットとユニットをつなぐもの"の雛形を、「テクスト」以外にイメージ出来なかったために、反動と分かっている概念でも捨て去ることができなかった。誰にも私有されえないものが、そうであるが故に、異質なもの同士をつなぐフェアなコミュニケーションの手段となる(たとえば、互い母国語を解さない日本人と中国人の会話における英語のように)――そうした夢物語を、私は「テクスト」に託していたわけだ。  だから、私の「テクスト」観を、時代遅れを承知で古代文学会の人々にぶつけてみることは、まんざら無意味ではないと思う。そうすることで、"ユニットとユニットをいかにつなぐか"についてあまり語らない、古代文学会の人々から、「いい話」を聞き出せるかもしれない。少なくとも、各ユニットの連結の問題に、私がどれだけ固執しているかはわかって貰えるだろう。  次回の会合で、私はそれをやるつもりだ。今度は体調を万全に整え、相手に迷惑がられるぐらい、しつこく喰い下がらせて貰おうと思う。 (既に制限字数オーヴァーしているのに、他にも書きたいことが多すぎて困る! とにかく知恵熱が出ちゃうじゃないかと思うぐらい、刺激的な研究会でした。古代文学会の方々、本当にありがとうございました。)

第1回「古代文学会・物語研究会合同研究会」勉強会の感想   田中俊江

 さる12月23日、第1回目の「合同研究会」勉強会に参加した。古代と物研、双方から出された参考論文5本を対象に、これまでのそれぞれの研究動向をふりかえりつつ、「合同研究会」に向けて如何に問題意識を共有し得るか、如何に共通するテーマを提示しうるか、といったことが問題とされていたように思う。 私なりに感想を述べさせてもらえば、問題意識としては共通する部分が多く、今後の議論を含めて、お互いに毎回多くのものを得られるのではないか、というような予感を得た。それは私のみならず、あの場の参加者全員に共通した思いであるように思われる。  その一方で、具体的には多くの問題を抱えているとも思われた。例えば、「物語研究会」や「古代文学会」といった「会」全体の代弁者としての位相を強く意識しているために、それらが逆に足かせとなっているような印象を受けた発言が多かったことである。「合同研究会」としてやっていく以上、各々が「会」の研究状況をふまえつつ発言するのは当然のことでもあるのだが、そのために、参考論文の選定から討論に到るまで、「会」の最大公約数的な意見の紹介に留まってしまったり、「会」の現状確認のようになってしまったりする場面が何度もみられた。それ自体とても重要なことであり、そうした確認も必要ではあるが、もう少し参加者個々の興味関心を前面に出してもよいのではないか。それぞれの「会」の現状を報告するのではなく、個々がそれぞれ今、魅力的に感じている研究者・研究内容や研究方法(これは二つの「会」やその時代に限らず)をもっとストレートに反映させてもよいのではないか、と思った。逆に言えば、個々の参加者が内に秘めている何かが垣間見られただけに、もっともっとそれを聞き出してみたい、という欲求に駆られたということであったともいえる。  全体的な印象としては、まだまだお互いの研究状況や方法論、ターム理解の途上にあり、前途は多難なようにも思われる。が、今後繰り返されるはずの勉強会の討議次第では、多くの問題を共有しうる可能性があることを実感した勉強会であった。その過程で、もう少し具体的なレベルでのやりとりを通して、もっともっとお互いの方法論を鍛え上げつつ、共有しうる何かを作り上げていきたいと思わせてくれる勉強会であったと思う。  今回の勉強会は準備委員以外にも数名の参加者を得、貴重な意見も得られた。今後もできるだけ多くの人に参加してもらい、多くの人たちと意見交換していきたいと思っている。  できるだけ多くの方の参加をお待ちしています。

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○古代文学会・物語研究会合同研究会(仮称)準備委員会報告。

 古代文学会と物語研究会の合同研究会の開催に向けての、第一回準備委員会が、11月7日に開かれました(出席者:猪股ときわ・岡部隆志・津田博幸・植田恭代・小森潔・助川幸逸郎)。  その際、合同研究会のテーマを検討するための勉強会を、月に一回程度、定期的に持つことに決まりました。最初の勉強会は、12月23日(水)に、午後1時より行なわれます。準備委員以外の方の参加も歓迎しますので、なるべく多くの方に集まっていただきたいと思います。勉強会は、参会者が参考論文をあらかじめ読んでおき、それをもとに話し合う形で進める予定です。第一回の参考論文は、  津田博幸氏「アマテラス神話の胚胎」(「アマテラスの変身譜」森話社)  斎藤英喜氏「わが念じ申す天照大神」(「アマテラスの変身譜」森話社)  安藤徹氏「身体論なんて知らないよ」(「物語研究会会報」28号)  土方洋一氏「パンドラの匣をあけて」(「物語研究会会報」29号)  「新物語研究第5集」の巻頭座談会 以上の5点です。会場は、共立女子短期大学の3号館406B・岡部隆志氏の研究室です。参加を希望なさる方は、準備委員の方までご連絡いだだければ幸いです。  なお、合同研究会の模様は、毎度文章化して、古代文学研究会・物語研究会双方の会員の方々にご報告します。報告文は、同じ文面のものが、二つの研究会の会員に行きわたるようにいたします。

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