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 「ここは何ていうの?」僕が鼻の先を指差すと「ナーク!」子供たちの元気な声が返ってくる。
 「じゃあ、これは?」「ルガ!」服のことだ。
 「これは何ていうか分かる?」ひとりの少年が僕の腕時計を指差す。
 さぁ? 肩をすくめると「ヴァリ」少年は得意げにいう。
 「ガリ?」子供たちは可笑しそうにニヤニヤ笑う。
 「ヴァリ!」少年が発音を正す。しかし僕にはその違いがよく分からない。
 「ガリ?」子供たちは本当に可笑しそうに笑う。
 「ノー!ヴァリ!!」元気な少女が僕の目の前にやってきて発音を正す。
 「ガリ?」少女は僕の手を叩き、すっかり頭にきたように言う。「ヴ・ァ・リ!!」
 「ガァリ?」「ノー、ヴ・ァ・リ!!」なんだかおもしろい子だ。彼女は僕の目の前で大きく口を開き、大声で一生懸命に正しい発音を教えようとする。周りの子はそれを見てなんだか妙にニヤニヤ笑っている。僕はそれを楽しんでいたのだが、通訳のビシュヌが見兼ねたようにいう。「あまりガリと言わないほうがいい。ガリはその・・・、男性の・・・」そして下半身を指差すのだ。
 少女が再びいう。「ヴァリ!」彼女の顔も半分笑っている。
 「ヴァリ?」「イエス!」
 少女の名はサンジャナ。11歳にして路上に暮らしている勝ち気な女の子だ。何度か彼女を見かけたことはあるが、話をするのは今日がはじめてだ。
 ここはヒンズー寺院・パシュパティナートの門前、辺りには物乞いの人たちが座り、のんびり施しを待っている。サンジャナは他の子が僕に話しかけるのをさえぎるようにして、「目はアカ、口はムーク、靴はズッタ・・・」と次々ネパール語の単語を連発する。僕が他の子に話しかけようとすると、サンジャナは駄々をこねるように僕の腕を引っ張って大きな声でわめき出す。
 それでも一人の少年が足の小さな切り傷を見せてきたので、僕は少年の手当てを始めた。手当てをする間、サンジャナは大人しくその様子を見ていた。そして自分も指の小さな傷を見せる。僕が少年と同じように彼女にもバンドエイドを貼って手当てをすると、サンジャナは手当てのあとのゴミをさっと拾い、僕の持ってきた袋にゴミをまとめてゆく。多くの子が同じように手当てのあとはゴミを拾ってくれるが、サンジャナもそんな子のひとりなのだ。
 手当てを始めると子供たちは次々と手足の傷を見せてくる。その手当てをしていると、サンジャナがまた僕の腕を引っ張り、どこかへ連れていこうとする。駄々っ子のようにわめき、自分の我を通そうとする彼女にすっかり閉口する。ようやく手当ても終わり、彼女に手を引かれて行くと、そこには50歳くらいの疲れた風体の物乞いの女性が仲間とともに地面に座っていた。サンジャナはその女性を「おかあさん」と呼び、彼女の足の怪我を僕に見せるよう言った。物乞いの女性はためらっていたが、サンジャナに強く促されて渋々スカートを膝までまくった。彼女の足にはスネの辺りに無数の湿疹があり、掻いたために幾つものかさぶたがそれを覆っていた。僕が薬を塗り手当てをしている間、サンジャナはガーゼを切ったりテープを巻いたり満足げに手伝いをしていた。
 サンジャナはこの女性の手当てをして欲しくてあれだけ駄々をこねていたのかと思うと、僕はサンジャナにすまない気持ちを感じた。
 後日、その女性に聞くと、彼女はサンジャナの母ではない。路上で暮らしていると危険が多いため、サンジャナは彼女らとともに夜を過ごしているのだ。サンジャナにとって彼女は自分の面倒を見てくれる優しい母のような存在なのだ。そういえば、サンジャナが足の悪い彼女のために配給の食べ物をもらって届ける姿を見たこともある。
 この子は何故、路上でこのような暮らしをすることになったのだろう・・・
 僕はその後、ひとつの出来事に遭遇することになる。

 その日、朝早くからパシュパティナートの門前に来た僕は、集まってきた子供たちのケガの手当てをしていた。サンジャナもやってきて僕のすぐ横に腰掛け、手当ての様子を見て手伝いをしてくれた。しかし手当てをしていると、急に横で「ビェ〜ン・・・」と派手な泣き声がした。頭を丸刈りにしたマジメそうな少年がサンジャナの手を引っ張って何か叱りつけている。勝ち気なはずのサンジャナは少年の言うことに首を振ってイヤイヤをしながら、ただ派手に泣いている。一体どうしたのだ?
 少年に問いかけてみた。「君はだれ、一体どうしたんだい?」
 少年はサンジャナの兄だという。ミランという13歳のその少年は、彼の父に言われて妹を家に連れ戻すためにやって来たのだ。彼の話では、サンジャナはNGOの支援でイングリッシュスクール通っているいるのだが学校もサボって路上へ飛び出してしまったのだという。父はとても心配しており、サンジャナを連れて帰らないと自分も家に入れてもらえない、早く連れ帰って、自分はペンキ塗りの仕事に行かないといけないという。そして彼はこうも言った。
 「サンジャナがちゃんと学校へ行けば、僕も来年にはNGOの援助で学校へ行けるかも知れないんだ。でも妹が学校へ行かないと僕の援助ももらえなくなるんだ」
 サンジャナはさっきからずっと泣き続けるばかりだ。兄が手を引いても地面に座り込んで動こうとしない。
 僕はサンジャナの兄・ミランに5分ほどここを離れるよう頼んだ。サンジャナとゆっくり話をしてみたい。ミランが渋々ここを離れると、僕はサンジャナに訊ねてみた。
 「何故、家に帰りたくないの?」
 「私、お昼ご飯2ルピーしかない・・・」
 「・・・、んっ?どういうことかな?」
 「みんなはお弁当があったりもっとお小遣いがあっていろんなものを食べているのに、私は2ルピーしかないの・・・」さっきまでとは打って変わったか細い声で震えるようにつぶやく。
 彼女はイングリッシュスクールで5〜6歳の子供たちと机を並べて勉強しているのだが、お昼の時間に小さい子供たちがおいしそうにお弁当やご飯を食べている横で自分は一番安いお菓子をひとつ食べることしかできない。それがとても辛いというのだ。
 「お父さんにもう少し小遣いをくれるよう頼んでみようか?」
 「ううん、家には帰らない。すごく怒られるから・・・」
 話していると、彼女が恐れていることはどうも他にあるらしい。
 よくよく話を聞くと、サンジャナは家出するとき5歳の弟も一緒に連れ出したのだった。しかし弟は家出してすぐに巡回していたNGOのメンバーに保護され、施設へ連れて行かれたという。弟を連れて帰らないと、とても父には会えないとサンジャナは恐れているのだ。そんな不安を心の中に抱えたまま路上で暮らしていたのかと思うと、たった11歳の少女の心が悲しくなる。
 離れて待っていた兄のミランを呼び戻し、もう一度話し合う。お昼の食事は来週から配給がもらえることになったとミランがいう。そしてまた、「家に帰ろう」とサンジャナの手を引っ張る。
しかしこのままではサンジャナは頑として家には帰らない。
 僕はミランに彼の家のことを訊ねた。
 彼の父は2度の結婚と離婚を繰り返し、最初の結婚でミランとサンジャナが生まれた。2度目の妻との間にはふたりの男の子が生まれたが、別れる時にひとりは妻が、もうひとりは父が引き取った。今は父とミラン、サンジャナ、弟1人の四人暮しだ。父はサンジャナがいなくなってから仕事をしなくなり、食事も取らないという。毎日お酒をたくさん飲んで、彼に暴力を振るうこともあるらしい。しかし彼は父のことを悪くは言わない。
「お酒ばかり飲んでいる父の身体が心配なんだ」と、うつ向いた。
 
 僕はふと思って、腕時計を指差した。「ガリ?」
 ミランは笑って答えた「ヴァリ!」
 そこで僕はネパール語会話の本をザックから取り出し、彼に見せる。
 彼は英語・日本語・ネパール語の記されたその本を手に取ると、一気に興味をそそられたらしく、ネパール語を読んでは僕に笑顔を見せ始めた。そうなるとサンジャナも負けてはいない。兄から強引に本を取り上げると、今度は自分がネパール語を読んでみせる。得意げなサンジャナに僕は苦笑する。しかしミランはサンジャナの横で一緒に楽しそうに笑っている。やはり兄妹なのだ。
 「じゃあ、これから弟を引き取りにNGOへ行こうか?」「うん!」
 サンジャナもミランも素直に頷く。
 僕たちはNGOに弟の所在を確認し、タクシーで施設へと向かった。3重のセキュリティーに守られた大きな施設に入ると、NGOのスタッフはサンジャナやミランのこともよく知っていた。ミランはここで1年間過ごしたことがあるという。5歳の弟はすぐに連れてこられた。「帰り方が分からなかったから、ずっとここにいたんだ」弟はぽつりと言った。
 僕たちは弟を引き取り、施設を出た。
 「サンジャナ、弟も一緒なら家に帰ってもいいかい?」
 サンジャナはコクリと頷く。

 僕たちはタクシーを拾うとサンジャナの家へと向かった。大通りでタクシーを降りるとサンジャナは先頭に立って僕達を案内する。細い砂利道を10分ほどゆくと、サンジャナは「あそこ!」と言って駆け出した。畑の前の古びたトタン作りの長屋の前には数人の男がたむろしている。長屋の小さな部屋には誰もおらず、ひとりの男がサンジャナの父を呼びに行く。
 しばらくして現れた小柄な男は肉体労働者らしい体つきで、酒を飲んでいるようだ。彼はまっすぐ僕の前へ来ると、目を大きく見開いて片手を差し出した。「私はサンジャナの父だ」
 悲壮な思い詰めたようなその声はまるで悲嘆に暮れる舞台役者の台詞のようで、僕は少したじろいだ。
「サンジャナを怒らないでください」僕も手を差し出して、握手をする。
 サンジャナの父は目を潤ませながらゆっくり頷く。
 「私はサンジャナのことが心配で堪らなかった。夜も眠れず食事も喉を通らない。仕事にさえ行けなかった」
 彼の声は悲壮感に満ち、ボロボロと大粒の涙が頬を伝って流れた。
 「毎日、お酒を飲むばかりで何も手につかない。私のペンキ塗りの仕事では1日働いてもたったの100ルピーにしかならないんだ。家賃や電気代を払うと食べ物もろくに買えない。最初の妻が子供を置いて去り、次の妻も子供をひとり残して出て行った。ちゃんと妻がいればこんなことはなかったのに!私の不幸は涙なしには語れない。子供だって妻がいないから出て行ってしまう。私は妻のかわりに料理を作るが、それも今は燃料さえない。こんなことは妻さえいれば全てうまくいっていたんだ」
 サンジャナはそんな父の様子を僕の後ろでじっと見ている。
 「お父さんがしっかりしないと、子供たちも辛いですよ」
 「しかし、いくら働いてもボスは給料を少ししかくれない。私はとても仕事をする気にはなれないんだ。妻がいれば遠くまで働きに行けるが、今は子供もいるし近くで働くしかないんだ。妻さえいればすべてはうまくいったのに!私はサンジャナが心配でずっと仕事もできなかった。食事だって全く食べられなかったんだ・・・・・」
 彼の嘆きは延々と繰り返された。自分の悲劇に酔って他のことは何も見えないように、彼は延々と同じ話を繰り返すのだった。
 ”この父親と暮らすのは、子供もしんどいだろうなぁ・・・”
 そのときサンジャナが僕の側を離れ、父の悲しみに寄り添うように父の横へ行くと、じっと彼を見つめた。
 父はそれにも気付かず嘆き続けている。・・・、さらに10分、20分と経ち、ミランが急に部屋を飛び出した。彼は家の前でキョロキョロ辺りを窺っている。父の嘆きの相手はビシュヌに任せ、僕も部屋から出てみた。弟がいつの間にか姿を消していたのだ。サンジャナも外に来て、3人で近くを探すが弟はどこにもいない。僕たちは弟の行動範囲を1時間ほど歩いて探したのだが、どうしても弟は見つからなかった。部屋に戻ると父はまだビシュヌに向かって嘆き続けていた。弟のことはあまり心配していないようだ。「よくあることだ。夕方には帰ってくるから心配ない」
 それより彼は今日の食べ物を恵んで欲しいという。
 僕は帰りにミランと市場へ行って食料を買うことにした。そしてサンジャナと別れの言葉を交わす。「学校へ行って英語の勉強をするんだよ。今度会ったときは英語で話そうね」
 サンジャナは軽く頷き、家の前でずっと僕を見送ってくれた。

 翌日、パシュパティナートには再び路上に出てきた元気なサンジャナがいた。弟は自分で歩いて施設へ行ったという。ストリートチルドレンの仲間と遊ぶサンジャナは全くケロッとしている。
 サンジャナも弟も自分から父を見捨て、路上や施設を選んでいる。
 サンジャナ11歳、弟5歳の選択だ。

 サンジャナは僕の手を取ると、また路上の「おかあさん」の手当てを頼んだ。