洛東・極私的概略

 

洛東は青

洛東は、京都盆地を隣の地域と画然と分かつ東山連峰。その麓にあたる地域です(もちろん京都盆地の見える西側の麓)。洛中の繁華街からそう遠くない地域に、銀閣寺・南禅寺・清水寺などを含んでおり、もっとも有名な観光コースでしょう。

たとえば洛北の場合、平安京の北端から平野が広がっているため、山の麓に入るまで街が続きます。また洛西も、洛中から離れた平野部にいくつもの寺や神社が並び、その奥に小倉山をはじめとする山深い地があります。

その点、洛東は繁華街に近いという特徴があります。洛中一の繁華街である四条河原町から祇園、八坂神社までは地続きです。しかし、一歩山の麓に立ち入れば、まったく別の静けさがある。長らく観光地として人気があった由縁でしょう。

これは、京都という盆地の発生にもかかわっているようです。太古以前は水があったが、そこから水が引いていって、残された土地は盆地になった(長い目でみれば、京都盆地は徐々に乾いているともいえる)。それが現在の京都盆地が生まれた理由とされています。

水が豊富なこともうなずけますが、逆にいえば、当時の京都盆地は今よりはるかに湿っていたはずです。特に西側は湿地帯が多く住みづらいため、町が東寄りに動いてしまう・・・西側の住民に「逃げたり放棄したりするな」と御触れを出したこともあるとは、岩波新書「京都」などにも出ています。なお、この新書は昭和40年代で非常に古いですが、逆に京都の町並みがまだ黒い屋根瓦に覆われていた頃の貴重な写真も掲載されています。このあたりのことは、洛中の概略でも触れています。

閑話休題。豊臣秀吉の都市整備計画によって、街全体を少し東にずらした。それが今の京都の地勢につながっています。その頃は既に、町衆が現在の四条界隈の隆盛を支えていました(もちろん、西陣が絹糸産業を発展させていったことなども京都全体としては見逃せない)。

絶妙なのは、東山連峰自体は結構険しく深い山なのに、麓には人が住んだり神社仏閣を造営できるくらいの場が、南北に長く続くことです。もちろん古くは葬場になっていた地域もありますし、幽玄を通り越しておそろしい気配の地も中にはあります。そういう場も含めて、山には多数の神社仏閣が建立されました。その参道と商業地帯をつなぐ形で、祇園や南禅寺などは江戸時代に相当の発展をみていました。

明治以降に近代化が進んだのも、こうした経済地帯の発展があってこそでしょう。正式な都でなくなってから100年ほど経て、山に連なる寺社と、その間の道を観光コースに見立てました。今眺める街は、そうした視点を経てからのものです。

しかし、まずなんといっても、東山の青さは目に鮮やかですし、山並みも美しい。その上、風水というシステムでは、東に「青」を見出すそうです。青蓮院という門跡寺院もあります。奈良の思い出に連なるような青を基調に社寺が連なり(平安京は奈良の平城京から途中経過を経て遷都してきた)、その青に彩られる洛東に今も人々が集ってくるように見えます。

洛東の中心部、北は銀閣寺から南は清水寺

観光地としてひどく栄えている銀閣寺・南禅寺・八坂神社・清水寺を含んだ、観光ドル箱コース。単に有名な寺社があるだけではなく、南北に連なっているのが特色。

東山を背後に控えて、山の麓には寺や公園などがあり、坂を下って街に出れば、鴨川がある。そして、鴨川沿いの散歩道、河原町通の繁盛。

このあたりはたいへん密度が濃い地域です。ここではとりあえず、北の銀閣寺からスタートして、清水寺まで徒歩で南下する形で紹介しますが、どちらかといえば歩くペースが速い方向け。真夏や真冬では厳しく感じる方もいるでしょうし、このペースでは見落とすものもいくつかあります。見たいものをひろいつつ、バスやタクシー、自転車などで効率良く移動するのも楽しいところです。

銀閣寺〜哲学の道」は、山寄りの道を歩く地域、アップダウンはそれほどありません。静かな住宅街の中で、ポツポツと出会うお寺と緑を浴びるコース。銀閣寺こそいつも混雑していますが、観光シーズンでなければ意外にゆったり楽しめます。

南禅寺周辺」は、少し山を下って、平地と山の接点を歩く地域。山に近い永観堂、その南に山から平地にかけて広がる南禅寺と塔頭、さらに平安神宮など、東山観光コースの中核となります。

続く「知恩院〜清水寺」は、青蓮院、知恩院、円山公園、八坂神社、高台寺、そうして清水寺と密集地帯。繁華街にも近く、寺社の移動中にも飲食店や土産の店が多数。遊びのついでに旧跡を廻るなら、むしろこちらを中心にするのが普通でしょうか。

平安神宮は平野部にありますが、他の多くの神社仏閣は、山寄りにあります。境内の中でふと、妙に清浄な、場によってはちょっと不気味な空気に触れる時、そちらに視線をやれば東山からおりてくる緑が目に入ります。なるほど、ここは青なのだと実感する瞬間です。それが通奏低音のように、この地域には流れています。

銀閣寺より北

洛東の北部は、銀閣寺から北へ向かう(京都では「上ル」)ことになります。その白川通は昔、明るいLIPTONティールームをはじめとして、喫茶店などが面する通りとして観光ガイドに紹介されていました。ただし、東京の青山のような地域とは違います。洛中から離れた通り沿いに、郊外型店舗がぽつぽつある地域です。

今はむしろ、ラーメンや飲食店の通りでしょうか。もともと人が多い地域ではなく、車や自転車で移動中に立ち寄るのにちょうどいい店が点在する通りです。洛中の繁華街より親しみやすい店が多い印象があります。

銀閣寺道から北上していくと、一乗寺下り松という交差点。もちろん宮本武蔵に登場する地名。このあたりから東山に向かって上る途中の裾野に、寺社が広がっています。詩仙堂から曼朱院を経て修学院離宮に至る、江戸期文人に縁の深い地域です。銀閣寺周辺と比べても郊外の空気が濃い場になりますが、当時の文人達が理想とした生活が都市部になかったことをうかがわせる地域です。日本、中国、韓国の極東文化圏は、竹林の七賢に代表されるような隠遁文化も含んでいますし・・・というのは相当に大雑把だけど、このあたり、あるいは小倉山、鷹峯を好んだ人々がいたことは事実です。

修学院離宮から少し先には赤山禅院というお寺もあります。ここには神仏習合の興味深い姿の痕跡が見えます。

比叡山の麓

さらに北上すると、東山一帯は「最高峰比叡山を出発点としてうねうねと走る山並みを源に持つ」と実感できます。八瀬遊園地に入る手前の蓮華寺、またもっと西寄りで洛北にある圓通寺などはそうした比叡山麓のお寺であることを強く印象付けるお寺でしょう(八瀬遊園地は比叡山麓にあり、ケーブルカーで比叡山頂まで行ける)。

その比叡の山は、距離自体は大原よりも近いのに、はるかに山深く行き来が困難な場所にあります。古くは琵琶湖のある大津側から開けていった山ですが、最澄が伽藍を建造した地域は決して歩きやすいとは言えなかったはずです。ああした場所を霊峰として大伽藍を建造する人間の情熱って何なのか、行くたびに様々なことを考えます。

比叡山一体は、できれば入り口から奥へ入ってみることをお勧めします。有名な根本中道から杉木立を通って、にない堂へと至る道は、森も深く、人と野生の世界の接点でもあります。横川中堂へ回ると、猿が出てきます。鞍馬山のどこか親しみが持てる空気とはまったく異なり、魅力があるとかなんとかいう以前に、人が人になった経緯を考えさせるものがあります。大仰かもしれませんが、誰ともすれ違わず一人っきりで歩く山道は、東京に生まれ育った人間にとっては想像以上に濃い空気と、どこかから溢れ出る清浄かつややこわいような気を同時に感じるのです。そして、これが南禅寺や清水寺を経て東福寺あたりまで伸びる気配の源なのかと想像したりします。

そうした山深い場所も、現代の人々にとっては快適なドライブコースです。もちろんそれを悪いと決めつけるつもりはありません、だからこそバスで山に行けるのですし。ただ、せっかく上ったなら、根本中堂だけを通り過ぎず、もう少し歩き、肌で感じてから下りようと思うのです。比叡山の歩きやすいとはいえないコースを踏むたびに、この空気が流れ込んでたまる京都盆地の雰囲気を思い起こし、人間と、影響を与える場との関係を考えたりします。そういうことがきっと、地理風水という見方の大本なのだろうなと思いつつ。