元良親王 もとよししんのう 寛平二〜天慶六(890-943)

陽成院の第一皇子。母は主殿頭藤原遠長の娘。父帝の譲位七年後に生れる。醍醐天皇の皇女修子内親王、宇多天皇の皇女誨子内親王、神祇伯藤原邦隆の娘を娶る。子には従四位上中務大輔佐時王、従四位下宮内卿源佐藝などがいる。薨去した時、三品兵部卿。『尊卑分脈』には「五十四歳頓死」とある。
『大和物語』に「故兵部卿の宮」として風流好色の逸話を残す。『今昔物語』巻第二十四には、「極(いみじ)き好色にてありければ、世にある女の美麗なりと聞こゆるは、会ひたるにも未だ会はざるにも、常に文を遣るを以て業としける」とある。ことに宇多法皇の寵妃であった藤原褒子との熱愛は世に喧伝された。
後撰集に初出し、代々の勅撰集に計二十首入集(重出含む)。歌物語風の『元良親王集』がある(撰者・成立年不詳)。

題しらず

朝まだきおきてぞ見つる梅の花夜のまの風のうしろめたさに(拾遺29)

【通釈】朝早く起きて梅の花を見たことだ。夜の間の風に散ったのではないかと心配で。

【語釈】◇うしろめたさに 「成行きが気がかりで」程の意。

【主な派生歌】
桜花にほふにつけて物ぞ思ふ風の心のうしろめたさに(藤原顕季[新後拾遺])
手折りもて宿にぞかざす桜花梢は風のうしろめたさに(源国信[新千載])

女につかはしける

あま雲のはるばるみえし峰よりもたかくぞ君を思ひ()めてし(続千載1031)

【通釈】天上の雲のように遥か遠く望んだ峰よりも、いっそう高く、まだ見ぬうちから、遥々と憧れてあなたを思い始めたことです。

【補記】「峰」に「見ね」(「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形)を掛けるか。まだ逢瀬を遂げないうちから激しい憧憬を抱いた思いを伝えようとの歌であろう。続千載集巻十一恋一巻頭。

【先蹤歌】紀貫之「古今集」
吉野河いは浪たかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし

あひしりて侍りける人のもとに、返り事見むとてつかはしける

()()やと待つ夕暮と今はとてかへる(あした)といづれまされり(後撰510)

【通釈】来るか来るかと待つ夕暮と、今はもうと言って帰る朝と、どちらの方が辛さはまさるでしょうか。

【補記】恋人のもとに、どんな返事をするかと興味を持って贈った歌。後撰集は続けて「藤原かつみ」(他の歌より命婦であることが知られる)の返し「夕暮は松にもかかる白露のおくるあしたや消えははつらむ」を載せている。一方、『元良親王集』の詞書には「監(げん)の命婦のもとより帰り給ひて」とあり、「監の命婦」(伝不詳。『大和物語』にも見える)の返しは「今はとて別るるよりも高砂のまつはまさりて苦してふなり」。前者は朝の方が辛いと言い、後者は夕暮の方が苦しいと答えている。

題しらず

大空に(しめ)ゆふよりもはかなきはつれなき人を恋ふるなりけり(続古今1061)

【通釈】大空にしるしの縄を張ろうとするのより虚しいことは、無情な人を恋することであったよ。

【語釈】◇標ゆふ 領有のしるしに縄などを張ること。

【補記】『元良親王集』の詞書は「枇杷の左大臣殿に、いはや君とて、童(わらは)にてさぶらひけるを、男ありとも知り給はで、御文つかはしければ」とあり、藤原仲平邸の侍女「いはや君」が親王に贈った歌と考えるべきであろう。『今昔物語』にも元良親王の歌として見える。なお『元良親王集』の第五句「たのむなりけり」。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
ゆく水に数かくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり

【主な派生歌】
あさましやむなしき空に結ふ標のかけてもいかが人は恨みむ(藤原定家)

忍びてかよひける女身まかりて四十九日のわざし侍りけるに、しろかねにて花こをつくりてこがねを入れて誦経にせられけるに

君をまたうつつに見めや逢ふことのかたみにもらぬ水はありとも(新千載2238)

【通釈】あなたと再び現実に逢えるでしょうか。逢うことは難い――たとえ竹の籠から漏らない水があろうとも、逢うことはできないでしょう。

【補記】亡き恋人の四十九日の法要に際しての哀傷歌。「かたみ」は「難み」「筐」の掛詞。「水」には「見つ」の意を掛けるか。『元良親王集』では親王の叔母にあたる「おひねの大納言の北の方」が亡くなった時の歌としている。同集では第四句「かたみにもりぬ」。

【本歌】「伊勢物語」第二十八段
などてかくあふごかたみになりにけむ水漏らさじと結びしものを

京極の御息所を、まだ亭子の院におはしける時、懸想し給ひて、九月九日に聞こえ給ける

世にあればありと言ふことをきくの花なほすきぬべき心地こそすれ(元良親王集)

【通釈】世にある限りは、長寿をかなえてくれると聞く菊の花をやはり飲まずにはいられない気持がしますよ。――私も出家せずにいるので、あなたがまだ亭子院におられると聞けば、やはり恋い慕わずにはいられない気持ですよ。

【語釈】[詞書]◇京極の御息所 宇多法皇の室、藤原褒子。藤原時平の娘。◇亭子の院 宇多法皇の御所。◇九月九日 重陽の節句。観菊の宴が催され、不老長寿を祈って菊の花を浮べた酒を飲む。
[歌]◇世にあればあり 生き永らえる意に、出家せず俗世に留まっている意を掛ける。◇きくの花 「菊」に「聞く」を掛ける。長寿をかなえてくれると聞く、菊の花。菊は重陽の節句に因んで詠み込む。◇なほすきぬべき 「すき」に「飲む」「好く」の両義を掛ける。すなわち、菊の花を浸した酒を飲まずにいられない意に、恋に落ちずにいられない意を掛けている。

事いできてのちに、京極御息所につかはしける

わびぬれば今はたおなじ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ(後撰960)

【通釈】もうやりきれない――こうなった以上、どうなろうと同じこと。難波の澪標(みおつくし)ではないが、我が命が尽きようと、あなたに逢って思いを遂げようと決心しているよ。

【語釈】◇事いできてのち 事が世に知られて後。「事」とは、京極御息所との密通を言う。◇京極御息所(きやうごくのみやすんどころ) 藤原褒子。贈太政大臣時平の息女。晩年の宇多天皇に寵愛されて皇子を儲けた。「御息所」とは天皇の寝所に仕えた宮女。◇わびぬれば つらくて、もう遣りきれなくなったので。「わび」は「困惑する」「つらいあまり歎く」などの意。◇今はたおなじ もはや、逢っても逢わなくても(噂が立ってしまった以上)同じこと。◇難波なる 「みをつくし」に枕詞風に掛かる。難波は今の大阪市中心部。かつては浅海が広がり、葦原をなしていた。◇みをつくしても 命が尽きようと。難波の名物である「みをつくし」(澪標。航路を示す標識)を掛ける。

【補記】密通が露見して後、当の不倫の相手である京極御息所(藤原褒子)に贈った歌。褒子からの返歌の記録は無い。

【他出】元良親王集、古今和歌六帖、拾遺抄(題不知、読人不知)、拾遺集(重出。詞書は「題しらず」)、五代集歌枕、袖中抄、古来風躰抄、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、近代秀歌、詠歌大概、八代集秀逸、別本八代集秀逸(後鳥羽院撰)、時代不同歌合、百人一首、歌枕名寄、三五記

【主な派生歌】
ながれてもあふせは絶えじ住江のみをつくしても朽ち果ててなむ(中宮上総)
難波江の葦のかりねの一よゆゑみをつくしてや恋ひ渡るべき(皇嘉門院別当[千載])
難波なる身をつくしてもかひぞなき短き蘆の一夜ばかりは(藤原定家[続後拾遺])
身をつくしいざ身にかへて沈みみむおなじ難波の浦の浪風(藤原定家)
せきわびぬ今はたおなじ名取川あらはれはてぬ瀬々の埋木(〃)
難波人いかなるえにか朽ち果てむ逢ふことなみにみをつくしつつ(藤原良経)
さてもなほいかなるえにて難波なるみをつくしても世にしづむらん(藤原雅経)
わびぬればいまはたおなじ山桜さそふ風をや花も待つらん(平親清五女)
難波潟かへらぬ波に年くれて今はたおなじ春ぞ待たるる(鷹司冬平[新千載])
難波江のみをつくしても仕へきぬ深き心のしるしあらはせ(二条教頼)
わびぬれば見てもかひなき思ひ寝に今はた同じ夢ぞ待たるる(祝部行直[新後拾遺])
荒れ果てし難波の里の春風にいまはたおなじ梅が香ぞする(慶雲[新続古今])

兼茂(かねもち)宰相のむすめに

あまたには今も昔もくらぶれどひと花筐そこぞ恋しき(元良親王集)

【通釈】今の女も、昔の女も、たくさんの女とあなたを較べるけれど、花筐のように可愛いのはそなた一人だけだ。

【語釈】◇兼茂宰相 参議藤原兼茂。利基の子。◇ひと花筐(はながたみ) 「あまた」に対して「一(ひと)」と言い、「人」を掛ける。「筐」は籠。

元良親王、兼茂朝臣のむすめに住み侍りけるを、法皇の召して、かの院にさぶらひければ、え逢ふことも侍らざりければ、あくる年の春、花の枝にさして、かの曹司に挿し置かせける

花の色は昔ながらに見し人の心のみこそうつろひにけれ(後撰102)

【通釈】花のような美しさは昔のままに見えた人であるが、その心だけは移ろってしまったのだなあ。

【補記】足繁く通っていた恋人を宇多法皇に召し取られ、逢うこと叶わなくなった親王が、翌年花の枝に挿して女の曹司に置かせた歌。

【参考】劉希夷「代悲白頭翁」
年年歳歳花相似、歳歳年年人不同
  小野小町「古今集」
花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに

しのびて通ひ侍りける女のもとより、狩装束送りて侍りけるに、摺れる狩衣侍りけるに

逢ふことは遠山ずりの狩衣きてはかひなき音をのみぞなく(後撰679)

【通釈】あなたと逢うことは、遠い山を隔てたように困難だ。(この遠山摺りの狩衣を着るではないが)来ては甲斐もない、声をあげて泣いてばかりいるよ。

【語釈】◇遠山ずり 「衣などのすりには、おほく遠山をすれるものなればよめるにこそ」(僻案抄)。◇きては 「着ては」「来ては」の掛詞。「来て」は相手の立場で言うので、自身としては「行きて」の意。

【補記】第二句を「遠山鳥の」とする本もある。

【他出】時代不同歌合、定家八代抄、近代秀歌、詠歌大概、六華集

【主な派生歌】
逢ふことは遠山鳥のおのれのみながき恋路のためしとぞみる(後鳥羽院御集)
逢ふことは遠山鳥のおなじ世に心長くてねをのみぞなく(実兼[続千載])


公開日:平成12年07月30日
最終更新日:平成16年02月28日