源国信 みなもとのくにざね 延久一〜天永二(1069-1111) 号:坊城中納言

村上源氏。父は右大臣顕房。母は美濃守藤原良任女。久我太政大臣雅実・白河皇后賢子・神祇伯顕仲の弟。待賢門院堀河上西門院兵衛の叔父。
応徳三年(1086)、正五位下に叙せられ、蔵人に補せられる。左中将・蔵人頭などを歴て、承徳二年(1098)、参議。康和二年(1100)、正三位。同四年、権中納言従二位。同五年、権中納言正二位。天永二年一月十日、薨。四十三歳。
嘉保二年(1095)の内裏歌合に参加したのを始め、堀河院歌壇で活躍。康和二年には自宅に源俊頼藤原基俊ら当代の著名歌人を集め歌合を主催した(宰相中将国信歌合)。康和四年(1102)、内裏艶書歌合に出詠。長治二年(1105)頃までに「堀河百首」を詠進。堀河院崩御ののち、「恋昔百首」(「源中納言懐旧百首」とも)を詠んで故院を追悼した。金葉集初出。勅撰入集三十七首。

  4首  1首  1首  3首  9首 計18首

堀河院の御時、百首の歌たてまつりけるときよめる

みむろ山谷にや春の立ちぬらむ雪の下水岩たたくなり(千載2)

【通釈】三室山の谷に春が訪れたのだろうか。積雪の下で融け出した水が、岩にしたたり、叩くような音が聞える。

【語釈】◇三室山 みもろ山とも。もともと三輪山を指したと思われるが(「味酒のみもろ山」など)、その後、奈良県生駒郡斑鳩町の神奈備山を指すと考えられるようになったらしい(古今集の「龍田川もみぢ葉ながる神奈備の三室の山に時雨ふるなり」など)。

堀河院御時、百首歌たてまつりけるに、残の雪のこころをよみ侍りける

春日野の下もえわたる草の上につれなく見ゆる春のあは雪(新古10)

【通釈】春日野はいちめん芽が萌え出しているのに、草の上にはそれを知らぬげに春の淡雪が消えずに残っている。

【語釈】◇つれなく見ゆる 「つれなし」の原義は「然るべき反応がない」。伸びようとする草木の芽に対して、思いやりがないように見える、ということである。

【補記】この歌は定家の『百人秀歌』に採られたが、『百人一首』では除かれた。

【他出】堀河百首、定家十体(有一節様)、定家八代抄、時代不同歌合、百人秀歌、歌枕名寄

【主な派生歌】
春日野や下もえわぶる思ひ草きみのめぐみを空にまつかな(藤原定家)
下もゆる春日の野辺の草の上につれなしとても雪のむらぎえ(後鳥羽院)

おなじ百首のとき、すみれをよめる

今宵ねてつみてかへらむ菫草をのの芝生は露しげくとも(千載108)

【通釈】今夜はここで野宿して、明日の朝摘んでから家に帰ろう。スミレが生えている野の芝生には、露がいっぱい降りるとしても、かまうものか。

【補記】摘んですぐに帰るのは惜しいから、一晩野宿してスミレ咲く野を堪能して行こう、というのである。万葉集の「春の野にすみれ摘みにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」(山部赤人)以来の趣向。堀河百首では第三句「すみれおふる」。

堀河院御時、百首歌たてまつりけるに

岩根こす清滝河のはやけれは波折りかくる岸の山吹(新古160)

【通釈】岩を越して流れる清滝川は、非常に急流なので、波が折り重なるように寄せるよ、岸の山吹の花に。

【語釈】◇清滝河 京都市北区の桟敷ヶ岳を源とし、保津川に注ぐ。特に右京区嵯峨清滝あたりの流れを指す。◇波折りかくる 波がすっかり引かないうちに次の波がやって来て、次々に折り重なるように寄せるさまを言う。

堀河院御時、后の宮にて、閏五月郭公といふ心を、をのこどもつかうまつりけるに

時鳥さ月みな月わきかねてやすらふ声ぞ空に聞こゆる(新古248)

【通釈】今は閏五月なものだから、ほととぎすは五月なのか六月なのか区別がつきかねて、里で鳴き続けるべきか、山へ帰るべきか迷い、ためらったように鳴いている。その声が空から聞えてくるよ。

歳暮の心をよみ侍りける

何事を待つとはなしに明けくれて今年も今日になりにけるかな(金葉304)

【通釈】これといって何を待つともなく、日を送り送りして、今年も大晦日の今日になってしまったなあ。

家に歌合し侍りけるに、逢ひて逢はぬ恋といふことをよめる

逢ふことも我が心よりありしかば恋ひは死ぬとも人は恨みじ(詞花262)

【通釈】あの人に逢ったことも、自分の意志からしたことなのだから、たとえ恋にやつれて死のうとも、人を恨むことはしないぞ。

【語釈】◇逢ふこと 単に出逢ったことでなく、情を交わしたことを言う。

恨みてもかひなかりけり今はただ人を忘るることを知らばや(堀河百首)

【通釈】恨んでみたところで、何にもならないや。今はただ、人を忘れることをおぼえたいものだよ。

【語釈】◇恨 恋の恨み。「人」は恋人。

百首歌中に別のこころをよめる

今日はさは立ちわかるとも便りあらばありやなしやの情け忘るな(金葉344)

【通釈】今日はこうしてきっぱりお別れするとしても、手づるがあったら、元気でいるかどうかくらいは知らせてほしい。それくらいの情けは忘れないでくれよ。

【語釈】◇立ちわかる 「たち」は動詞に接頭語的について「はっきりと…する」といったように、強調のはたらきをする。◇便りあらば この「たより」は伝(つて)・機会といった意味。◇ありやなしや 無事生きているかどうか。

堀河院の百首歌に

山路にてそほちにけりな白露の暁おきの木々の雫に(新古 924)

【通釈】明け方に起きて山道を歩いていると、びっしょり濡れてしまったよ。暁に降りた露が、木々からしずくになって落ちてくるのに。

【語釈】◇暁おき 「おき」は、(露が)置き・(私が)起き、の掛詞。

【補記】第五句「菊の滴に」とする本もある。「きゝ」の草書を「きく」と見誤ったものか。

【主な派生歌】
しきみつむ山ぢの露にぬれにけり暁おきの墨染の袖(*小侍従[新古今])
道のべの暁おきの白露にぬれてぞかへる花ぞめの袖(藤原為家)

堀河院百首歌たてまつりける時、山を

ひかげ這ふ繁みが下に苔むして緑のふかき山のおくかな(続後撰1010)

【通釈】ヒカゲノカズラがびっしりと這い纏わる下の岩には、苔が生えていて、山奥は深い緑色に染まっている。

ヒカゲノカズラ
ヒカゲノカズラ

【語釈】◇ひかげ ひかげのかずらの略。ヒカゲノカズラは常緑の羊歯植物。岩などに這いまつわる。美しい緑色を帯びる。◇繁みが下に この「繁み」は、ヒカゲノカズラが密生した状態を言う。「下に」とは、ヒカゲノカズラに覆われた岩の表面に、ということである。

【補記】堀河百首では題「苔」、第五句「山のかひかな」。

中々に浮世は夢のなかりせば忘るるひまもあらましものを(堀河百首)

【通釈】つらい世の中、なまじっか、夢なんてなければよいのに。気がかりなことは、夢の中にまで入り込んできて、目覚めたあとまで余計悩んでしまうことになるのだから。夢さえ見なければ、忘れていられる暇もあろうものを。

【語釈】「浮世」は世間という意味と、男女関係という意味がある。したがって恋の歌としても理解できるが、「堀河百首」では雑部に分類されているので、上のように訳しておいた。

まどろまで昔を恋ふるしののめに鳴く()をそふる鶯の声(恋昔百首)

【通釈】一晩中まどろみもせずに亡き人を恋うていた。そうして迎えた東雲(しののめ)に、鶯の声がする。まるで私の泣く声に合わせて鳴くかのような。

【語釈】◇昔を恋ふる 堀河院御在世の昔を恋い慕う。

題しらず

また来べき春をなにとて惜しむらんありし別れよいつか忘れむ(続拾遺1288)

【通釈】今日で春は終わるけれども来年になれば再び訪れる。それでもやはり、行く春は惜しいものだよ。まして、亡き人は二度と帰って来はしない。生きておられた頃の思い出は、ああ、いつまでも忘れることなどありはしない。

【補記】恋昔百首。万代集にも収録。
また来べき春をだにこそ惜しみけれありし昔よいつか忘れむ(恋昔百首)
また来べき春をだにこそ惜しみけれありし別れよいつか忘れむ(万代)

款冬

彼の岸にこがね色に咲く山吹はこの世のほかの花にやあるらむ(恋昔百首)

【通釈】むこう岸に、黄金色に咲く山吹の花。あれは、この世とは別の世界の花なのだろうか。

つくりおける罪を蛍のこの世にて尽くす炎を見るぞ悲しき(恋昔百首)

【通釈】蛍は、積み重ねた罪を、地獄でなくこの世で焼き尽くそうと燃えているのか。その炎を見るのは悲しい。

【語釈】◇この世にて尽くす炎 現世で犯した罪は地獄の業火で焼かれるが、蛍はこの世にあってそれを己が炎で焼き尽くそうとしている、と見た。

題しらず

あはれてふ人もとひこぬ古郷の木の葉の上に時雨をぞ聞く(続後拾遺418)

【通釈】以前、私の住む荒れた里を訪れた人は「なんと物悲しいところだろう」と言ったものだが、その人も今や捨てて顧みず、この地を訪ねて来てはくれない。ただ冬枯れた木の葉の上に時雨がおとずれ、ぱらぱらと音をたてるばかりだ。

【補記】恋昔百首。万代集にも収録。
あはれてふ人も捨ててし故郷の木の葉が上に時雨おとなふ(恋昔百首)
あはれてふ人もとひこぬ古里の木の葉が上に時雨おとなふ(万代)

はかなしと思ひ知るとも今はただ命は夢にかかるなりけり(恋昔百首)

【通釈】現世は夢のようにはかないと思い知った。思い知ったけれども、今はただ、夢に寄りかかって生きるよりほかない私なのだ。

【補記】堀河院は崩後、近臣たちの夢にたびたび現れた。藤原宗忠の日記『中右記』は、国信の打ち明け話として、彼が夢で先帝に会い、御製一首を見せられたと伝えている。目が覚めて国信は昔を追想し、「落涙千行」したという。


最終更新日:平成15年10月16日