飛鳥井雅縁 あすかいまさより 正平十三〜正長元(1358-1428) 道号:宋雅

従三位中納言雅家の子。雅世・雅永の父。
応永四年(1397)、参議。同五年三月、祖父雅孝の従二位中納言を請うて許され、その直後に剃髪。二条家衰滅後の歌壇にあって歌道師範として足利義満の信頼篤く、公武権門にも信任された。応永十三年(1406)閏六月、有栖川殿(栄仁親王)五十番歌合に判者として招かれるなど、応永末年頃には和歌宗匠として活躍した。同十四年十一月、内裏九十番歌合に出詠。正長元年十一月、薨。七十一歳。
新後拾遺集に雅幸の名で初出。息子の雅世が撰した新続古今集では巻頭歌人にして最多入集歌人。勅撰入集計三十首。『宋雅集』は大半は雅世の作と見なされる父子二代の家集である。

遠山霞といふ事を

春さむみ猶ふきあげの浜風にかすみもはてぬ紀路の遠山(新続古今29)

【通釈】春と言ってもまだ寒く、吹上の浜の浜風が吹きつけて、すっかり霞みきることもない、紀の国の遠山よ。

【語釈】◇ふきあげの浜 紀伊国の歌枕。紀ノ川河口に近い海浜という。風が「吹き上げ」る意を掛ける。◇紀路(きぢ)の遠山 遠くに見える紀伊の国の山。「紀路」は紀伊に同じ。東国を「東路(あづまぢ)」と言った類である。

【参考歌】元明天皇「万葉集」
これやこの大和にしては我が恋ふる紀路にありといふ名に負ふ背の山
  菅原道真「古今集」
秋風の吹きあげにたてる白菊は花かあらぬか浪のよするか

河上落花といふことを

雪とのみさそふもおなじ河風に氷りてとまれ花の白波(新続古今162)

【通釈】桜を誘って雪のように散らすばかりの川風――この冷たい川風に、どうせなら氷りついて止まってくれ、花の白波よ。

【本歌】凡河内躬恒「古今集」
雪とのみふるだにあるを桜花いかに散れとか風の吹くらむ

【補記】川面に散った桜の花びらを波と見なして「花の白波」と言う。「すでに雪のように散っている桜の花であるのに、どんなふうに散れと風は吹くのか」と風を恨んだ本歌に応答する形を取る、洒落た趣向。

水郷月を

水無瀬山玉をみがきし跡とめて忘れぬ郷と月やすむらん(新続古今458)

【通釈】水無瀬山――玉を磨くように秀歌を競い合った離宮の跡をとどめて、風雅を忘れることのない里であるよと、月も澄んだ光を投げているのだろうか。

【補記】水無瀬は後鳥羽院の離宮のあった土地。後鳥羽院を中心とした新古今時代を偲ぶ。

新玉津島社にたてまつりける歌の中に、山朝霧といふ事を

今朝はなほ(ははそ)の色もうす霧のしたに待たるる佐保の山風(新続古今546)

【通釈】今朝はまだ雑木林の黄葉の色も薄く、薄霧の中、心待ちにされる佐保の山風よ。

【語釈】◇柞(ははそ) 里山の雑木の類、すなわちクヌギやナラなどの総称。植物学上の分類ではブナ科の落葉高木。晩秋、赤褐色や黄褐色、濃淡さまざまに色づく。

【補記】山風が吹くことにより、紅葉の色が濃くなると考えられた。佐保は平城京の東北郊の丘陵地で、紅葉・黄葉の名所。

【本歌】坂上是則「古今集」
佐保山のははその色はうすけれど秋は深くもなりにけるかな


最終更新日:平成15年09月21日