冷泉為尹 れいぜいためまさ 康安元〜応永二十四(1361-1417)

正四位下中将為邦の子。祖父為秀の猶子となるが、十二歳の時祖父を失った。子に為之・持為がいる。御子左家系図
右中将などを経て、応永六年(1399)、従三位に叙される。同八年、参議。九年には権中納言に昇る。この頃から後小松院を中心とする宮廷歌壇で活躍した。同二十二年三月、正二位権大納言に至るが、翌年十一月、辞職した。同二十四年正月十五日、薨。五十七歳。
父の指導を受けて歌道に励み、永和元年(1375)後円融院が召した永和百首(散逸)に十五歳で詠進。新後拾遺集には二首入集した。二条家衰滅後は冷泉家の宗匠として歌壇で殊に重んぜられた。弟子に正徹がいる。応永十四年(1407)十一月、内裏九十番歌合に出詠。同十六年・十七年の菊亭歌会では判者を務める。同年八月二十四日、将軍足利義持の命によって千首歌を詠じ、十月八日に詠進した(『為尹卿千首』。以下「千首」と略称)。『為尹卿集』の名で伝わる家集は別人の集と言う(父為邦の集との説もある)。新後拾遺集初出。勅撰入集は計八首。

「天骨の歌ざま有て、毎歌あなめづらし、かゝる風情の残りたりけるよと、聞驚歌のみこそよまれたれ」(了俊歌学書)。

  4首  1首  1首  2首  1首  2首 計11首

夕春雨

遠近(をちこち)の入相の声のうちおもりのどけき空ぞ雨になりぬる(千首)

【通釈】遠く近く聞えてくる入相の鐘の音がひどく重く感じられ――と思えば、のどかな空が雨になったことよ。

【補記】湿気によって重くなった鐘の声。鋭い感覚的把握に京極派の影響が窺える。

【参考歌】伏見院「玉葉集」
山のはもきえていくへの夕霞かすめるはては雨になりぬる
  伏見院「御集」
春さめの夕ぐれしほる花のうへにひびきもおもき入相のかね

雲雀を

かすみつる空こそあらめ草の原おちてもみえぬ夕雲雀かな(新続古今182)

【通釈】夕暮――すっかり霞んだ空では見えないのも無理はないが、草の原に落ちてもまだ姿の見えない雲雀であることよ。

【補記】鳴きながら空へ昇る雲雀は、地上では薮に隠れ、滅多に姿を見せない。為尹にしては平明穏和な詠風で、二条派風に近い。

【参考歌】安嘉門院四条「夫木和歌抄」
ながめやる野べのかすみのおち草に声かすかなる夕ひばりかな

岡花

花見つつことたりぬべき夕暮に月もむかひの岡のべの里(千首)

【通釈】岡のほとりの里で、花を見ては、それだけでもう心満ち足りそうな夕暮――そこへ月も向かいの岡に昇った。

【補記】「むかひの岡」はここでは普通名詞と思われるが、『小町集』には「むさしののむかひの岡の草なればねを尋ねてもあはれとぞ思ふ」と見え、武蔵国の歌枕として用いる例もあった。文京区上野の向岡とも、多摩市の向ヶ丘遊園付近とも言う。とまれ武蔵野に孤立する丘の景を思い描くのも一興。

花枝

枝はみな枝にかかりて咲きおもり庭にうづまぬ花の白雪(千首)

【通釈】満開の桜の枝はどれも重たげに下の枝にかぶさって――枝に積もった白雪のような花は、庭を埋めることなく樹に留まっている。

【語釈】◇庭にうづまぬ 庭に(花びらを降らせて)うずめない。「うづむ」は「物をいっぱいに満たして覆う」意の他動詞。

【補記】「咲きおもり」は他例を見ない。このように複合動詞による新鮮な感覚表現は冷泉家や京極派歌人の好んで用いたところ。

盧橘薫風

むかしとて遠くはゆかぬ夢なれや匂にさむる風のたち花(千首)

【通釈】昔へ誘うと言っても、さほど遠くまでは行かない夢であったか。その匂いに目を醒まされた、風吹く橘の花よ。

【補記】新古今風を受け継ぐ浪漫的な趣向、華麗な詠みぶり。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
さ月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

野鹿

有明の月のほそみちほのぼのと小野よりいづるさをしかの声(千首)

【通釈】有明の月にほのぼのと照らされた細道――野を出て山へと帰って行く鹿の声がほのかに聞えるよ。

【補記】「ほのぼのと」は前後の句にかかり、月光の薄明るさ(視覚)、鹿の声のほのかさ(聴覚)を同時に言い表している。鹿は野の草むらに隠れて夜を過ごし、朝になると山に帰って行く。

後小松院位におはしましける時、題をさぐりて三十首歌つかうまつりけるに、故郷寒草を

しほれふすまがきの霜の下荻や音せし風の秋の故郷(新続古今647)

【通釈】籬の下に萎れ伏した荻の葉――ここが、風が真っ先にその到来を告げた秋の古び果てた故郷なのだろうか。

【補記】秋風はいち早く荻の葉を吹き鳴らし季節の訪れを告げるとされた。それゆえ下荻を「秋の故郷」と呼んでいる。「ふる」には「古る」を掛ける。

【参考歌】「風葉和歌集」(「夜の寝覚」の散逸部分にあった歌)
しをれわび我がふるさとの荻の葉にみだるとつげよ秋の夕風

路歳暮

年の暮さもいそがしとあふ人のただ一言に行きわかれぬる(千首)

【通釈】年の暮、「全く忙しいね」と、道で逢う人はたった一言つぶやいて別れて行ってしまうよ。

【補記】華麗な修辞の作が多い為尹であるが、このように平俗な生活感を率直に歌い上げた作もしばしば見られる。小沢蘆庵の「ただこと歌」を早くも予感させるかのような詠みぶり。

寄河恋

いとけなきそのかたらひになぐさみぬつらきゆくへの中河の宿(千首)

【通釈】中川のほとりの家で、睦まじく語り合い、あの人の世慣れしていない様子に心を慰められた。将来は辛い我々の仲ではあるが。

【補記】「いとけなき」は「幼い」「年端もゆかぬ」程の意。ここでは恋人の男慣れしていない様を言うか。「中河」は賀茂川の分流。鎌倉時代には今出川と呼ばれ、今は寺町通りの暗渠がその名残かとも言う。「中」に男女の「仲」を掛け、中川の水がしばしば途絶えがちだったことから、障害があって疎遠となった恋人の仲を暗示する場合が多い。また源氏物語の、鬱屈した光源氏が中川に花散里を訪ね、慰められるエピソード(「花散里」)も連想される。

海眺望

雲の浪八重たつ方のおくの海も今あらはるる朝なぎの空(千首)

【通釈】雲の波が幾重にも立つ方――その奥に隠れていた海も、夜が明けてゆく今、次第に姿をあらわすよ、朝凪の空のもと。

【参考歌】藤原定家「拾遺愚草」
雲の浪霞のなみにまがへつつ吉野の花の奥をみぬかな
  九条左大臣女「玉葉集」
かへりみるわがふる郷の雲のなみけぶりもとほしやへの塩風

寄雪述懐

おもひでの心にとまる数なれやうす雪ふりて明ぼのの空(千首)

【通釈】心にとまる思い出の数もちょうどこれ程だろうか、薄雪がはらはらと降り、明るくなってゆく空よ。

【補記】数多くの思い出のうち心に残ったものはどれほどあるか。その数を、空から消えずに落ちてくる雪の数に喩えた、粋な趣向。


最終更新日:平成15年11月04日