飛鳥井雅世 あすかいまさよ 明徳元〜享徳元(1390-1452) 法名:祐雅

新古今集撰者飛鳥井雅経を祖とし蹴鞠・和歌で名高い飛鳥井家の出。従二位権中納言雅縁の子。初名は雅清。雅親雅康の父。
右衛門督などを経て、応永三十二年(1425)、参議に任ぜられる。永享二年(1430)、権中納言に進む。嘉吉元年(1441)七月八日、正二位に至るが、同月十日、出家。享徳元年二月一日、六十三歳で薨じた。
幼少より父に和歌を学び、応永九年(1402)には早くも自邸歌会で講師を勤めた。応永十四年(1407)の内裏九十番歌合に出詠したのを始め、宮廷の歌会で活躍。将軍足利義教の信任を得るなど、二条家衰滅後の歌壇に和歌宗匠として重きをなした。永享三年(1431)六月、義教を自邸に招いて歌会を開催し、同四年九月には、富士御覧に供奉して『富士紀行』を草した。同五年、義教勧進の北野法楽百首で題者・読師となる。永享五年(1433)八月二十五日、後花園天皇より勅撰集撰進の下命を受ける。同九年には妻を事故で亡くし(洪水見物に赴いて橋から落ちたという)、同十年には子の一人を失うなど不幸に見舞われたが、同十一年(1439)六月二十七日、撰集を完成し、新続古今集二十巻を返納。宝徳元年(1449)頃、後崇光院の仙洞歌合に出詠。「永享百首」作者。家集『雅世集』、雅縁との父子二代の家集『宋雅集』等がある。勅撰入集は新続古今集のみ十八首。二条派の堯孝と親交があった。

  4首  1首  2首  2首  2首  2首 計13首

霞を

難波がた塩やく(けぶり)立ちそひて霞もなびくうら風ぞふく(新続古今24)

【通釈】難波潟では、塩を焼く煙が立ちのぼり、霞と一緒に靡かせる浦風が吹いていることよ。

【補記】難波潟は大阪市中心部に広がっていた水深の浅い海。葦などの繁る侘びしい海辺の風景がよく歌に詠まれたが、掲出歌では物寂しい煙をめでたい春霞・春風と取り合わせたところに一節の興趣がある。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
すまのあまのしほやく煙風をいたみおもはぬ方にたなびきにけり

春雪

天の河春行く水のあはゆきやおちても袖にきえんとすらん(雅世集)

【通釈】天の川の春流れゆく水の泡――いや淡雪が、はかない風情で降ってくる。我が袖に落ちても、たちまち消えてしまおうとするのか。

【補記】初二句は「水のあは(泡)」から「あはゆき」を起こす序。天上の川を思い、その水が淡雪になって地上に落ちてくるかと幻想しているので、有心の序である。

尋花

春をへてなほ分け入らむ山桜わがことのはの花にあふまで(雅世集)

【通釈】春も時を経たが、さらに奥深く山桜を求めて分け入って行こう。我が歌の花に出逢えるまで。

【補記】「ことのはの花」は、「和歌の精華」「美しい和歌」ほどの意。山桜に秀歌を触発されるまでは山の奥深く分け入ろう、ということ。

【参考歌】宇都宮景綱「蓮瑜集」
おなじくはなほわけいらむ吉野山おくにも花の色をのこさで

夕落花

山風の限りのみかは散るを惜しみ暮るるをしたふ花の木かげは(宋雅集)

【通釈】山風が吹く時が花の終りと言うが、それだけだろうか。散るのを惜しみつつ暮れてゆく日を慕う桜の木蔭では、日の沈み果てる時が花の終りなのだ。

【補記】『宋雅集』は雅縁・雅世の父子二代を核とした家集。

百首歌奉りし時

言の葉の花橘にしのぶぞよ代々のむかしの風の匂ひを(新続古今281)

【通釈】和歌に詠まれた花橘によって懐かしく偲ぶことだ。遠い時代時代の風の匂いを。

【補記】和歌では「花橘」の匂いは昔を思い出すよすがとされた。王朝和歌への憧憬を詠む。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

暮山雲

初瀬山檜原(ひばら)の嵐うづもれて入相(いりあひ)の鐘にかかる白雲(雅世集)

【通釈】初瀬山の檜林に吹きつける嵐は雲の下に埋もれ、くぐもった響きをたてている――その白雲は、山寺の入相を告げる鐘にまで棚引いているのだ。

【語釈】◇初瀬山 奈良県桜井市初瀬、長谷寺のある山。◇入相の鐘 日没時につく鐘。

【補記】永享九年六月、広田社百首続歌。雲玉集は作者名定家とする。

【参考歌】法守親王「延文百首」
初瀬山ひばらの嵐おとさえて雪にこもれる入相の鐘

紅葉出牆

立ちのぼる霧より下のまがきより又あらはるる庭のもみぢ葉(雅世集)

【通釈】立ちのぼる霧の下に、次第に垣根が現われ、再び姿を見せる、庭に散り敷いた紅葉よ。

【補記】永享十一年十月二十九日、石清水法楽和歌。

【参考歌】三条西実清「新続古今集」
うづもれし庭の落葉に霜消えてまたあらはるる秋の色かな

冬の歌の中に

木の葉のみ散りしく頃の山河にくれなゐくぐる(にほ)の通ひ路(新続古今633)

【通釈】木の葉ばかりが散り敷く頃の、山中を流れる川――そこでは、紅葉の下を潜って往き来する、カイツブリの通い路であるよ。

【補記】百人一首にも採られた古今集業平の名歌「ちはやぶる…」の末句は、中世には「水くぐるとは」と解するのが普通だった。この歌を踏まえ、潜水が上手なカイツブリが紅葉の下を「くぐる」様を詠んだ。

【本歌】在原業平「古今集」
ちはやぶる神世もきかず龍田河唐紅に水くくるとは

初雪

白妙の真砂のうへにふりそめて思ひしよりも積もる雪かな(新続古今686)

【通釈】真っ白な砂の上に降り始めて、見分けがつきにくかろうと思っていたけれども思ったよりもたくさん積もった雪であるよ。

【補記】庭に敷き詰めた白砂に降り始めた初雪。砂と見分けがつかない程度で降り止むだろうと思っていたところ、予想以上に降り積もることよ、という歌。驚きという程の発見でもなく、喜びという程の感情でもない。取るに足らない感懐とも言えようが、しんしんと雪の降り続ける静かな庭を虚心に見つめていた眼差しに、ほのかな嬉しみの色が萌すようにも見える。古今集以来の「まぎらわしさ」の趣向を受け継ぎながら、知的な技巧だけの歌に終わらず、「思ひしよりも積もる雪かな」という率直な感動につなげているところに新味がある。近世の「ただごと歌」の詠風を先取りした一首である。

寄緒恋

心のみなほひく琴の緒をよわみ()にたてわぶる身とは知りきや(雅世集)

【通釈】心の中だけは、なお諦めきれず、この恋に玉の緒はやつれ、今にも緒が切れてしまいそうな琴のように、声をあげる力さえなくしてしまった我が身です。あなたはそうと知っていましたか。

【語釈】◇ひく琴の緒 「ひく」は「(思いを)引き延ばす」「(琴を)奏でる」の掛詞。また琴の緒に玉の緒を響かせる。◇たてわぶる 動詞連用形について「〜する気力を失う」意となる。

【参考歌】作者不明「万葉集」巻十一
片糸もて貫(ぬ)きたる玉の緒をよわみ乱れやしなむ人の知るべく

寄枕恋

いとせめて我が手枕の玉ゆらも見る夜をしたふ夢の契りぞ(雅世集)

【通釈】腕枕をしてする独り寝――ほんの束の間でもあの人に逢えた夜を、ひどくまあ恋慕することだ。夢での逢瀬を。

【語釈】◇いとせめて 極度に。第四句の「したふ」に掛かる。

【参考歌】小野小町「古今集」
いとせめて恋しき時はぬばたまの夜の衣をかへしてぞぬる

左大臣富士見侍らんとてあづまにくだり侍りし時、おなじく罷りくだりしに、宇津の山をこえ侍るとて、参議雅経「ふみ分けしむかしは夢かうつの山」とよみける事をおもひ出でて

昔だに昔といひし宇津の山こえてぞしのぶ蔦の下道(新続古今952)

【通釈】昔の雅経卿の時でさえ「昔」と言った伊勢物語の宇津の山――その山を今越えつつ偲ぶ、蔦の細道よ。

【補記】足利義教の富士遊覧に同行しての作。「宇津の山」は今の静岡市宇津ノ谷(うつのや)あたり。東海道の難所として名高く、伊勢物語第九段によって歌枕となる。

【参考】「伊勢物語」第九段
ゆきゆきて、駿河の国にいたりぬ。うつの山にいたりて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、蔦、楓はしげり、もの心ぼそく…
  飛鳥井雅経「続古今集」
ふみわけし昔は夢かうつの山あとともみえぬ蔦のした道

日吉社に奉りし歌の中に

見るままに鐘のね遠くなりにけり雲もかさなる峰の古寺(新続古今2013)

【通釈】見ているうちに、雲が幾重にもかさなり、峰の古寺を覆い隠して、鐘の音は遠くなってしまった。

【補記】家集では題「古寺鐘」。


更新日:平成15年09月18日
最終更新日:平成21年01月05日