中山兼宗 なかやまかねむね 長寛元〜仁治三(1163-1242)

摂政太政大臣師実の裔。内大臣中山忠親の長男。母は権右中弁藤原光房女。藤原重家女を娶り、忠定をもうける。
仁安二年(1167)、叙爵。侍従・右少将・左右中将を経て、建久四年(1193)、蔵人頭。同六年、参議(兼左中将)。正治二年(1200)、権中納言。元久元年(1204)、正二位。同二年、権大納言(兼中宮大夫)。承元五年(1211)、大納言(兼中宮大夫)。建保六年(1218)正月、同職を止め、代りに息子の忠定を参議に就かせた。
文治二年(1186)の吉田経房主催歌合をはじめ、六百番歌合・守覚法親王家五十首・千五百番歌合・新宮撰歌合など、当時の主要な歌合・歌会に出詠した。自邸でも定家・寂蓮等を招いて歌合を催している。千載集初出。勅撰入集計二十一首。

後京極摂政家歌合に、遅日をよみ侍りける

斧の柄もかくてや人はくたしけむ山路おぼゆる春の空かな(新勅撰118)

【通釈】から国の故事にいう斧の柄も、このようにして人は朽ちさせてしまったのだろか。かの王質が永い時を過ごしてしまったという山道が想い浮かべられる、いくら眺めても眺め飽きない春の夕空であるよ。

【語釈】◇斧(をの)の柄(え) 『述異記』に描かれた故事――王質が木を伐りつつ仙境に入り、童子が碁を打つのを見ている内に、気がつけば永い時が経ち、手にしていた斧の柄が朽ちてしまっていた――を踏まえる。

【補記】建久三年(1192)頃出題の「六百番歌合」。

梅花薫暁袖といへる心を

しのびづま帰るなごりのうつり香を袖にあらそふ窓の梅が枝(玉葉1860)

【通釈】ひそかに通う恋人が、暁、帰ってゆく――その名残の移り香とあらそうように、私の袖に匂ってくる、窓辺の梅の花。

【語釈】◇しのびづま 忍び夫。「つま」は、性別を問わず、契りを交わした相手を呼ぶ称。

【参考歌】寂然「玄玉集」
忍び妻おきゆく床に匂ひきて軒ばの梅ぞ名残がほなる
  藤原定家「新古今集」
梅の花にほひをうつす袖のうへに軒もる月のかげぞあらそふ


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成23年11月19日