古今和歌集 仮名序

原文 注釈付きテキスト(工事中) 貫之の歌論について(未作成)

訳文付きテキスト

古今集仮名序を便宜的に九節に分け、各節に適当な題を付けると共に、本居宣長『古今集遠鏡』の口語訳を附しました(筑摩書房『本居宣長全集 第三巻』に拠る)。
『古今集遠鏡』は、寛政九年(1797)出版。宣長が初学者のために、古今集の仮名序・短歌を当時の口語(京都あたりの言葉遣いを標準としたらしい)で訳したものです。原書の表記は片仮名なのですが、ここでは読みやすさを考慮し、平仮名に改めました。仮名遣いは底本通りにしましたが、旧字体の漢字は新字体に改め、特に意味がわかりづらいと思える部分は仮名を漢字に改めるなどしています。読みづらい漢字には()でルビを入れ、また意味のつかみにくいと思われる語句には{}内に語意を補足しました。
(注釈は後日付加する予定です。)

 一、はじめに―和歌とはどういうものか
 二、和歌のみなもと
 三、和歌の父母
 四、和歌の六分類
 五、和歌の本来のあり方とは
 六、二人の歌聖―人麻呂と赤人
 七、六歌仙
 八、古今集ができるまで
 九、むすび―和歌の未来


一、はじめに―和歌とはどういうものか
やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。

【宣長訳】歌と云物は人の心がたねになつて、いろいろの詞になつたものぢやわい。世の中にかうして居る人と云ふものは、いろいろと事の多いものぢやによつて、そのなにやかやの事につけて、心に思ふことを、その時見る物や聞く物につけて、云ひだしたのぢや。花の枝へきて鳴く鶯や水にすんである蛙やなどの声をきけば、それぞれに面白いところは皆歌ぢや。すれや生きてあるほどの物は、何が歌をよまぬぞ。鳥類畜類まで皆めんめんにそれぞれの歌をよむぢやわいの。ちからも入れずに天地をうごかしたり、目に見えぬ鬼や神を感じさしたり、男と女とのあひだをむつましうなるやうにしたり、あらくましい{荒々しい}武士の心をやはらげたりなどするものは歌ぢや。


二、和歌のみなもと
このうた、あめつちのひらけはじまりける時より、いできにけり。[あまのうきはしのしたにて、め神を神となりたまへる事をいへるうたなり。]しかあれども、世につたはることは、ひさかたのあめにしては、したてるひめにはじまり[したてるひめとは、あめわかみこのめなり、せうとの神のかたち、をかたににうつりて、かがやくをよめるえびす哥なるべし、これらはもじのかずもさだまらず、うたのやうにもあらぬことども也。]

【宣長訳】さて此の、歌と云ふものは、天地のはじまつた時から出来(でけ)たわい。[それはかの伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみ)の尊が、天の浮橋の下で、御夫婦の神におなりなされた事をおよみなされた歌の事ぢや。]さうぢやけれども、しつかりと歌と云て世の中につたはつてきたのは、天では下照姫と云ふ神からはじまり、[下照姫と云ふ神は、天若彦と云た神の御内証{妻}であつた。その歌と云ふは、下照姫の兄ごが、殊の外うつくしい神で、その身の光りがそこらの岡や谷へうつつて照りかがやいた事をよんだえびす歌と云ふがあるが、其の事であらう。これらは文字の数なども定まつた事も無(な)うて、歌のやうでもないことどもぢや。]

あらかねのつちにては、すさのをのみことよりぞ、おこりける。ちはやぶる神世には、うたのもじもさだまらず、すなほにして、事の心わきがたかりけらし。ひとの世となりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける。[すさのをのみことは、あまてるおほむ神のこのかみ也、女とすみたまはむとて、いづものくにに宮づくりしたまふ時に、その所にやいろのくものたつを見てよみたまへる也、やくもたついづもやへがきつまごめにやへがきつくるそのやへがきを。]

【宣長訳】此の国土では、素盞嗚尊(すさのをのみこと)からはじまつたわい。神代の時分には、歌の文字の数もまだ定まつた事もなし、ことのほか古風な事で、どう云ふ事をよんだものやら、その歌の心が、今見ては、わかりにくい事であつたさうな。さて人の代になつてから、かの素盞嗚尊から始まつた歌のとほりに、三十一字によむ事にはなつたわい。[すさのをの尊は、天照大神の御兄ご様ぢや。してその御歌と云ふは、女と一所に御住みなされうとて、出雲の国へ御殿をおたてなさるる時に、そのあたりへ八色の雲が立つたを御覧なされて、およみなされた御歌の事ぢや。《あれ幾重の雲がたつた、あの出る雲の八重垣わいの、吾が妻を入れる宮のために、あれ雲が八重垣を作つた、あの八重垣わいの。》]

かくてぞ、花をめで、とりをうらやみ、かすみをあはれび、つゆをかなしぶ心、ことばおほく、さまざまになりにける。とほき所も、いでたつあしもとよりはじまりて、年月をわたり、たかき山も、ふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとくに、このうたも、かくのごとくなるべし。

【宣長訳】さうして、花を賞翫したり、鳥をうらやんだり、霞を感じたり、露を愛したりするやうな心(こころ)詞(ことば)が多うさまざまになつたものぢやわい。きつう遠い所でも、たつた一足ふみだす足もとから始まつて幾月も何年もかかるほどの所までもゆき、又きつう高い山でもふもとの塵ほこりほどの土から段々つもつて、雲のたなびくほど高うなるやうな物で、此の歌もそのとほりな物であらう。


三、和歌の父母
なにはづのうたは、みかどのおほむはじめなり。[おほさざきのみかどの、なにはづにてみこときこえける時、東宮をたがひにゆづりて、くらゐにつきたまはで、三とせになりにければ、王仁といふ人のいぶかり思て、よみてたてまつりけるうた也、この花は梅のはなをいふなるべし。]

【宣長訳】さて難波津の歌は天子の御事をよんだ歌のはじめぢや。[難波津の歌と云ふは、仁徳天皇の難波津に御座なされて、皇子と申した時に東宮宇治の若郎子(わきいらつこ)と御たがひにゆづりあふて、御位に御つきなされいで三年になつたによつて、王仁(わに)と云た人が、まちかねてしんきに思ふて、仁徳天皇へよんで上げた歌ぢや。其の歌にこの花とよんだは、梅の花を云たものであらう。]

あさか山のことばは、うねめのたはぶれよりよみて[かづらきのおほきみをみちのおくへつかはしたりけるに、くにのつかさ、事おろそかなりとて、まうけなどしたりけれど、すさまじかりければ、うねめなりける女の、かはらけとりてよめるなり、これにぞおほきみの心とけにける、あさか山かげさへ見ゆる山の井のあさくは人をおもふのもかは。]、このふたうたは、うたのちちははのやうにてぞ、手ならふ人のはじめにもしける。

【宣長訳】あさか山の歌は奥州の采女のたはむれからよんだ歌で、[これは葛城王と云ふを御用で奥州へつかはされた時に、国の守(かみ)などが御馳走申したけれども、あしらひが麁末(そまつ)なとて、葛城王がきつうぶけうに{非常に不興に}思はれた時に、其の国の采女であつた女が、盃を持て出てよんだ歌ぢや。ところが此の歌で、葛城王のきげんがなほつたわい。]此の難波津と安積山と二首の歌は歌のてて親はは親のやうで。子供の手習の始めにもまづ是れをならうことぢやわい。


四、和歌の六分類
そもそも、うたのさま、むつなり。からのうたにも、かくぞあるべき。
そのむくさのひとつには、そへうた。おほささきのみかどを、そへたてまつれるうた、

なにはづにさくやこの花ふゆごもりいまははるべとさくやこのはな

といへるなるべし。

【宣長訳】さてまづ歌に六つのわけ{区別}があるぢや。唐の詩にも大かた此の六つのわけがあるであらう。
その六いろと云ふ一つには、そへ歌。かの仁徳天皇をおよそへ申した歌、
《難波津にさくこの花が、さあもうは春さきぢやと云てさくこの花が。》
と云ふやうなが、さうであらう。

ふたつには、かぞへうた、

さく花におもひつくみのあぢきなさ身にいたつきのいるもしらずて

といへるなるべし。[これは、ただ事にいひて、ものにたとへなどもせぬもの也、このうたいかにいへるにかあらむ、その心えがたし。いつつにただことうたといへるなむ、これにはかなふべき。]

【宣長訳】二つには、かぞへ歌。
《咲いてある花に、うつかりと思ひ入れて居る者のさてもいらざる事わいの。身に心労なことの出来(でけ)てくるも知らずにさ。》
と云ふやうなが、さうであらう。[此のかぞへ歌と云ふは、其の事をただことに云て、物にたとへなどもせぬものぢや。それに此の咲く花にと云ふ歌をかぞへ歌に出したは、どう云ふ心ぢややら、がてんがいかぬ。五番めのただことうたと云ふ所へ出した歌が、此のかぞへ歌には叶うであらう。]

みつには、なずらへうた、

きみにけさあしたのしものおきていなばこひしきごとにきえやわたらむ

といへるなるべし。[これは、ものにもなずらへて、それがやうになむあるとやうにいふ也。この哥よくかなへりとも見えず。たらちめのおやのかふこのまゆごもりいぶせくもあるかいもにあはずて。かやうなるや、これにはかなふべからむ。]

【宣長訳】三つには、なずらへ歌。
《おまえがけさ、別れて、起きていなしやつたなら、わしは今から、恋しう思ふたびごとに消えるやうに思ふてたてるでかなあらう。》
と云ふやうなが、さうであらう。[此のなずらへ歌と云ふは、物になぞらへて、其の物のやうなと云ふやうによんだを云ふぢやが、此の君にけさと云ふ歌は、よう叶うたとも見えぬ。
《養蠶(かいこ)のまゆにこもつてあるやうに、親のひざもとに居て外へ出ぬ娘なれば、どうにもえあはいで{どうにも逢えなくて}、さてもさてもしんきな事かな。》
此のやうな歌が、此のなずらへ歌と云ふには叶うであらうか。]

よつには、たとへうた、

わがこひはよむともつきじありそうみのはまのまさごはよみつくすとも

といへるなるべし。[これは、よろづのくさ木、とりけだものにつけて、心を見するなり。このうたは、かくれたる所なむなき。されど、はじめのそへうたとおなじやうなれば、すこしさまをかへたるなるべし。すまのあまのしほやくけぶり風をいたみおもはぬ方にたなびきにけり、この哥などやかなふべからむ。]

【宣長訳】四つには、たとへ歌。
《たとひ海の浜の砂の数はよみつくすと云ても、おれが恋のしげい数はよみつくされまい。》
と云ふやうなが、さうであらう。[此のたとへ歌と云ふは、いろいろの草木や鳥けだものなどによせて思ふ心を見せたものぢや。それに此のわが恋はと云ふ歌はかくれた所がない。たとへ歌は物にたとへて云て、あらはには云はぬぢやによつて、かくれた所がなうてはすまぬ。ぢやけれども、始めのそへ歌と云ふと同じやうな事なれば、すこしもやうのかはつた歌を出したものであらう。
《すまの浦の海士が鹽をやく烟が風のはげしさに、思ひもよらぬ方へなびいていたわい。》
此の歌などがたとへ歌には叶うでもあらうか。]

いつつには、ただことうた、

いつはりのなき世なりせばいかばかり人のことのはうれしからまし

といへるなるべし。[これは、ことのととのほり、ただしきをいふ也。この哥の心、さらにかなはず、とめうたとやいふべからむ。山ざくらあくまでいろを見つる哉花ちるべくも風ふかぬよに。]

【宣長訳】五つには、ただこと歌。
《偽りと云ふ事がない世の中であらうなら、どれほど人の云てくれる詞がうれしからうぞ。》
と云ふやうなが、さうであらう。[此のただこと歌と云ふは、ことのととなうてただしいのを云ふぢや。此のいつわりのと云ふ歌の心はねから叶はぬ。此の歌はとめ歌と云ふ物であらうか。
《山桜を腹一ぱい十分に見た。さてもありがたい事かな。花のちるくらゐのあらい風もふかぬ、けつかうな御代でさ。》
此の歌などが、ただこと歌と云ふには叶うであらうか。]

むつには、いはひうた、

このとのはむべもとみけりさき草のみつばよつばにとのづくりせり

といへるなるべし。[これは、世をほめて神につぐる也。このうた、いはひうたとは見えずなむある。かすがのにわかなつみつつよろづ世をいはふ心は神ぞしるらむ。これらや、すこしかなふべからむ。おほよそ、むくさにわかれむ事はえあるまじき事になむ。]

【宣長訳】六つには、祝ひ歌。
《此の御屋形はげにも御繁昌な事ぢやわい。御殿御殿のつまづまが段々と、三つも四つもつづいて、さてさてけつかうな御普請ぢや。》
と云ふやうなが、さうであらう。[此のいわひ歌と云ふは、御代をほめて、其の事を神へ申すのぢや。それに此の此の殿はと云ふ歌は、どうもいわひ歌とは見えぬていぢや。
《春日野にわかなつみつつ万代をいはふこころは神ぞしるらむ》
これらなどの歌が、いわひ歌と云ふには、すこし叶うでもあらうか。まあたいてい、歌のしなの六いろに分れう事は、どうもさうはわけられぬ事でござる。]


五、和歌の本来のあり方とは
今の世中、いろにつき、人のこころ、花になりにけるより、あだなるうた、はかなきことのみいでくれば、いろごのみのいへに、むもれ木の人しれぬこととなりて、まめなるところには、花すすきほにいだすべきことにもあらずなりにたり。

【宣長訳】さて今の世の中は、人の心が花々しい事について、うはきになつたからして、あだなきつとせぬ歌ばつかり出来(でけ)るによつて、大切な歌が、色事しの家の内証事になつて、かたいところへは、あらはしてだされぬやうになつてしまうた。

そのはじめをおもへば、かかるべくなむあらぬ。いにしへの世々のみかど、春の花のあした、秋の月の夜ごとに、さぶらふ人々をめして、ことにつけつつ、うたをたてまつらしめたまふ。あるは、花をそふとて、たよりなき所にまどひ、あるは、月をおもふとて、しるべなきやみにたどれる心々を見給て、さかし、をろかなりとしろしめしけむ。

【宣長訳】ほんたいのところを思うて見れば、かうあらうことではない。昔は御代々の天子様が、春の花の時分や、秋の月夜など云ふ時には、いつでも、つめて居さつしやる衆を御前へめして、なんぞれかぞれ事につけては、歌を上げるやうに仰せ付けられた。さうして或いは花を見たう思ふて、よりつきもない所などまで尋ねまはつてあるいたり、或いは月に執心して見に行つては、まだ出ぬさきや、入つてしまうたあとやなど、闇(くら)いのに、案内もしらぬ所をあちらへこちらへとしてあるいたりするやうな風流な心々を、そのよんだ歌で考へて御覧なされて、その歌によつて、あれはかしこい者ぢや、あれはおろかな者ぢやと云ふ事を、御存知なされたもやうぢや昔はさ。

しかあるのみにあらず。さざれいしにたとへ、つくば山にかけてきみをねがひ、よろこび身にすぎ、たのしび心にあまり、ふじのけぶりによそへて人をこひ、松虫のねにともをしのび、たかさご、すみの江のまつも、あひおひのやうにおぼえ、をとこ山のむかしをおもひいでて、をみなへしのひとときをくねるにも、うたをいひてぞなぐさめける。

【宣長訳】さて又さうばかりでなしに、さざれ石にたとへたり、筑波山につけたりして君を御祈り申し、又身に過ぎたよろこびのある時や、心にあまるほどおもしろい事のある時やなど、あるいは又富士の山のけむりによそへて人を恋しう思ふ事を云たり、松虫の声をきいて友だちをなつかしう思うたり、きつう年がよつては、高砂や住の江のあの久しい松と、相追(あひおひ)なやうに思はれたりする時にもよみ、又年よつては、男はをとこざかりであつた昔の事を思ひだし、女は、わかざかりの早うすぎたことを愚痴にくよくよと思ふやうな時もみな歌をよんで心をはらした事ぢやわい。

又、春のあしたに花のちるを見、秋のゆふぐれにこのはのおつるをきき、あるは、としごとに、かがみのかげに見ゆる雪と浪とをなげき、草のつゆ、水のあわを見てわが身をおどろき、あるは、きのふはさかえおごりて、時をうしなひ世にわび、したしかりしもうとくなり、あるは、松山の浪をかけ、野なかの水をくみ、秋はぎのしたばをながめ、あかつきのしぎのはねがきをかぞへ、あるは、くれ竹のうきふしを人にいひ、よしの河をひきて世中をうらみきつるに、今は、ふじの山も煙たたずなり、ながらのはしもつくるなりときく人は、うたにのみぞ、心をなぐさめける。

【宣長訳】又春のころ朝花のちるのを見たり秋のゆふがた木の葉のおちる音をきいたり、或いは鏡の影に見えるわが白髪や面(かほ)のしわの毎年多うなるのを見て歎いたり、草の露や水の沫のきえるを見て、我が身もあのとほりぢやと云ふ事を知つて驚いたり、あるいは昨日までは繁昌して何の思ひごともなかつた者が、にはかに不仕合せになつてなんぎをしたり、又もとしたしかつた中が、そゑんになつたりしたとき、或いは又末の松山の浪や野中の清水をたとへにしたり、萩の下葉をながめたり、暁の鴫(しぎ)の羽根がきする数をかずへたり、或いは身のうい事を人にはなし、吉野川をたとへに引いて世の中を恨んだり、又今ではもう富士山も煙のたたぬやうになり、長柄の橋も又新しう出来たと聞く人などは別して歌よむばつかりで、心をはらした事ぢやわい。


六、二人の歌聖―人麻呂と赤人
いにしへより、かくつたはるうちにも、ならの御時よりぞ、ひろまりにける。かのおほむ世や、うたの心をしろしめしたりけむ。かのおほむ時に、おほきみつのくらゐ、かきのもとの人まろなむ、うたのひじりなりける。これは、きみもひとも、身をあはせたりといふなるべし。秋のゆふべ、龍田河にながるるもみぢをば、みかどのおほむめに、にしきと見たまひ、春のあした、よしのの山のさくらは、人まろが心には、くもかとのみなむおぼえける。

【宣長訳】ずつと昔から右の通り伝はつてきたうちにも奈良の御時代から、別してひろまつたわい。其の御時代には定めて歌のわけをよう御存知であつたものでかなあらう。其の御世に正三位の柿本の人麿は歌の聖人であつたわい。これはまことに君臣合体と云ふものであらう。秋のゆふぐれに立田川に流れる紅葉をば、その奈良の帝の御目には錦のやうに御覧なされ、春の朝吉野山の桜をば、人麿の心には雲かとばつかり思はれたわい。

又、山のべのあかひとといふ人ありけり。うたにあやしく、たへなりけり。人まろはあかひとがかみにたたむことかたく、あか人は人まろがしもにたたむことかたくなむありける。[ならのみかどの御うた、たつた河もみぢみだれてながるめりわたらばにしきなかやたえなむ。人まろ、梅花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべてふれれば。ほのぼのとあかしのうらのあさぎりに嶋がくれ行舟をしぞ思。赤人、春ののにすみれつみにとこし我ぞのをなつかしみひと夜ねにける。わかの浦にしほみちくれば方をなみあしべをさしてたづなきわたる。]

【宣長訳】又山のべの赤人と云ふ人があつたわい。これも歌に妙(めう)な名人であつたわい。人まろは赤人の上に立つ事はなりにくからうし、赤人は人まろの下へおきにくいくらゐなことであつたわい。
奈良のみかどの御歌、
 たつた川紅葉みだれて流るめりわたらば錦なかやたえなむ

〔立田川は紅葉がちりみだれて今最中(さいちう)流れるやうすに思はれる。それで今渡つたならば、あつたら錦がまん中からきれるであらうかい。〕
人まろ、
 梅の花それとも見えずひさかたのあまぎる雪のなべてふれれば

〔雪がおしなめてどこもかもふつたれば、梅の花が梅の花とも見えぬ。同し白さぢやによつて。〕
 ほのぼのとあかしの浦の朝霧に島がくれゆく船をしぞ思ふ
〔夜のうすうすとあけてくる時分に、海上から見れば、あの向ひな明石の浦が、朝霧でかくれて見えぬやうになつていくあのけしきを、遠うよそに見て過ぎていく、此の船中の心は、さてもさても心ぼそい物がなしい事ぢや。〕
赤人、
 春の野にすみれつみにとこし我ぞ野をなつかしみ一よねにける

〔春の野へすみれをつまうと思うておれは来たが、あまりのどかで面白さに、此の野で一夜寝たわいの。〕
 わかの浦にしほみちくればかたをなみ蘆辺をさしてたづなきわたる
〔若の浦へしほがみちてくれば干潟が無さに、蘆原の方を指(さ)いて、鶴が鳴いてわたるあれ。〕

この人々をおきて、又すぐれたる人も、くれ竹の世々にきこえ、かたいとのよりよりにたえずぞありける。これよりさきのうたをあつめてなむ、万えふしふとなづけられたりける。

【宣長訳】此の二人の外にも又すぐれた人は、御代々、時々たえずあつたわい。さて此の奈良の御時代までの歌どもを集めて、万葉集とさ、題号をつけられたわい。


七、六歌仙
ここに、いにしへのことをも、うたの心をもしれる人、わづかにひとりふたり也き。しかあれど、これかれ、えたるところ、えぬところ、たがひになむある。

【宣長訳】其の間に昔の事も歌のわけもよう知つた人よんだ人は、たくさんにはない。わづかに一人か二人と云ふほどの事であつた。ぢやがそれも、たがひに得たところと得ぬところがあつて、かの人麻呂や赤人ほどに十分難のない名人とはいはれぬ。

【注】宣長は次節にある文「いにしへの事をも、うたをもしれる人、よむ人おほからず」の「いにしへの事をも、うたをもしれる人」を衍文とし、「よむ人おほからず」の句を上の「うたの心をもしれる人」に続く位置に移している。すなわち、上の宣長訳の原文は次のようになる。「ここにいにしへの事をも歌のこころをもしれる人よむ人おほからずわづかにひとりふたりなりきしかあれどこれかれえたるところえぬところたがひになむある」。

かの御時よりこのかた、年はももとせあまり、世はとつぎになむ、なりにける。いにしへの事をも、うたをもしれる人、よむ人おほからず。いま、このことをいふに、つかさ、くらゐ、たかき人をば、たやすきやうなればいれず。そのほかに、ちかき世に、その名きこえたる人は、すなはち、僧正遍昭は、うたのさまはえたれども、まことすくなし。たとへば、ゑにかけるをうなを見て、いたづらに心をうごかすがごとし。[あさみどりいとよりかけてしらつゆをたまにもぬけるはるの柳か。はちすばのにごりにしまぬ心もてなにかはつゆをたまとあざむく。さがのにてむまよりおちてよめる、名にめでてをれるばかりぞをみなへしわれおちにきと人にかたるな。]

【宣長訳】其の時代からこちらへ年は百年あまり御代は十代になるわい。〈いにしへの事をも、うたをもしれる人、よむ人おほからず。〉さて今其の人々の事を云はうぢやが、其の内に官位の高い人の事は云ふのは慮外なやうな物ぢやによつて、それやのけておいて、その官位の高い衆ではなしに其の外に近い代に歌の名の聞えた衆は、まづ僧正遍昭は、歌のていは得てあつたけれども、まことがすくない。物にたとへていはうなら、絵にかいてあるおやまを見て、せんのない事に心をうごかすやうなものぢや。
 浅みどり糸よりかけて白露を玉にもぬける春のやなぎか
〔あれあの柳を見れば、うすもえぎ色の糸をよつてかけて、きれいな白い露をまあ、玉にしてつないで、さてもさても見事な春の柳かな。〕
 はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく
〔蓮は世の中の濁りにそまぬ譬へに御経にといてあるが、さう云ふ清浄な心で、なぜにあのやうに葉に露を玉と見せて、人をばだますことぞい。〕
 嵯峨野にて馬よりおちてよめる
 名にめでてをれるばかりぞ女郎花われおちにきと人にかたるな

〔女郎花と云ふ名がよさに、ちよつと馬からおりて見たばかりぢやぞ。かならずおれが女におちたと人に云ふではないぞよ。〕

【注】「かの御時よりこのかた、年はももとせあまり、世はとつぎになむ、なりにける」を宣長は第六章の終り「これよりさきのうたをあつめてなむ、万えふしふとなづけられたりける」に続く文章としている。その方が文脈として通りが良いとも思われるが、ここでは暫く文の順番を入れ替えることはしなかった。恐れ多いが、宣長の訳文の順序は、仮名序本文の底本(伊達本古今集)に従って改めた。

ありはらのなりひらは、その心あまりて、ことばたらず。しぼめる花の、いろなくて、にほひのこれるがごとし。[月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして。おほかたは月をもめでじこれぞこのつもれば人のおいとなるもの。ねぬるよのゆめをはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな。]

【宣長訳】在原の業平の歌は、こころがあまつて、詞がたらぬ。てうどしぼんだ花の、色はなうなつて、にほひの残つてあるやうな。
 月やあらぬ春やむかしの春ならぬわがみひとつはもとの身にして
〔今夜ここへ来て居てみれば、月がもとの去年の月ではないかさあ。月はやっはり去年のとほりの月ぢや。春のけしきがもとの去年の春のけしきではないかさあ。春のけしきも梅の花さいたやうすなども、やっはりもとの去年のとほりで、さうたいなんにも去年とちがうた事はないに、ただおれが身一つばつかりは、去年のままの身でありながら、去年逢うた人にあはれいで、其の時とは大きにちがうた事わいの。さてもさても去年の春が恋しい。〕
 大かたは月をもめでじこれぞこのつもれば人のおいとなるもの
〔たいがいな事ならもう月もあまり賞翫すまいぞ。この見る月がさ、あのだんだんとつもれば人の年のよる年月の月ぢや。〕
 ねぬる夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさる哉
〔ゆふべ逢うて寝たのは、どうであつたやら夢のやうであまりはかなさに、せめてはほんの夢になりともまいちど見やうと存じて、眠つてみれどねられも致さねば、夢にさへ見いで、さてもさてもいよいよはかない事になりまする事かな。〕

ふんやのやすひでは、ことばはたくみにて、そのさま身におはず。いはば、あき人の、よききぬきたらむがごとし。[吹からによもの草木のしをるればむべ山かぜをあらしといふらむ。深草のみかどの御国忌に、草ふかきかすみのたににかげかくしてる日のくれしけふにやはあらぬ。]

【宣長訳】文屋康秀は、詞はたくみで、歌の体がその詞と相応せぬ。いはばあきんどの良(え)いきる物を着たやうなものぢや。
 吹くからに野べの草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ
〔ふくとそのまま、秋の草や木があのやうにしをれれば、尤なことぢや、それで山の風をあらしとは云ふであらう。〕
 深草のみかどの御国忌に
 草深きかすみの谷にかげかくしてる日のくれしけふにやはあらぬ

〔さいちうと照る日中の日が、深い霞にかくれて、にはかに闇(くら)うなつたやうに、先帝様はまださかりの御年で、俄に崩御なつて、草のふかい深草山の谷へをさめ奉つたが、ほどなう御一周忌になつて、今日はその去年の御崩御の日ではないかいまあ。あああ其の時は悲しい事であつたが、去年のけふであつたと思へば又其の時のやうに思はれて、さてもさてもかなしい事ぢや。〕

宇治山のそうきせんは、ことばかすかにして、はじめ、をはり、たしかならず。いはば、秋の月を見るに、あかつきのくもにあへるがごとし。[わがいほはみやこのたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり。]よめるうた、おほくきこえねば、かれこれをかよはして、よくしらず。

【宣長訳】宇治山の僧喜撰は、詞がおくふかうて、そして始めと終{はて}とつりあいがしつかりとせぬ。いはば秋の月を見るのに暁の雲のでてきたやうなものぢや。
 わが庵はみやこのたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり
〔わが庵室は京から辰巳の方遠からぬ宇治山と云ふ処ぢや。外(ほか)の人は此の山に住んでみても、京が近いゆゑやっはり世のうい事があつてどうもすまれぬ山ぢやと云ふぢやが、拙僧は、これ此の通りに、年久しう住んで居る。〕
此の人はよんだ歌が多うは伝はらぬによつて、あれやこれや見合す事がならねば、とくとはしれぬ。

をののこまちは、いにしへのそとほりひめの流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よきをうなの、なやめる所あるににたり。つよからぬは、をうなのうたなればなるべし。[思つつぬればや人の見えつらむゆめとしりせばさめざらましを。いろ見えでうつろふものは世中の人の心の花にぞありける。わびぬれば身をうきくさのねをたえてさそふ水あらばいなむとぞ思。そとほりひめのうた、わがせこがくべきよひ也ささがにのくものふるまひかねてしるしも。]

【宣長訳】小野小町は昔の衣通姫の流(りゅう)な歌ぢや。あはれなやうで、つようない。いはば良(え)い女のなやむ所のあるに似た物ぢや。つようないのは女の歌ゆゑであらう。
 思ひつつぬればや人の見えつらむ夢としりせばさめざらましを
〔思ひ思ひ寝るゆゑにやら、恋しい人が夢に見えた。其の時に夢ぢやと知つたなら、さまさずにおかうであつたものを、をしい事をしてさましてのけた。〕
 色見えでうつろふ物はよの中の人のこころの花にぞありける
〔草や木の花は、色があるゆゑにうつろうぢやが、色はあるとも見えずに、うつりかはるものは、世の中の人のはなばなしい心の花でござりますわい。〕
 わびぬれば身をうき草の根をたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ
〔わたしはもう憂(う)いつらい身で、難義を致してをりますれば、浮草の根が無(な)うて、どちへでも水のゆく方へさそはれてゆくやうに、誰でもさそうてくれる人があらうなら、どつちへなりとも参らうと存じまする。〕
そとほりひめの歌
 わがせこがくべきよひなりささがにのくものふるまひかねてしるしも

〔こよひは必ず御出でがあらうと思はるる夜ぢや。あれあの蛛(くも)のする事で、さうぢやと云ふ事が、さきへようしれるわまあ。〕

おほとものくろぬしは、そのさま、いやし。いはば、たきぎおへる山人の、花のかげにやすめるがごとし。[思ひでてこひしき時ははつかりのなきてわたると人はしらずや。かがみ山いざたちよりて見てゆかむとしへぬる身はおいやしぬると。]

【宣長訳】大友黒主はおもしろい所があつて、歌のていがいやしい。いはば薪を負うてゐる山家爺(やまがおやじ)が、花の木の下で休んで居るやうなていぢや。
 思ひ出て恋しき時ははつかりの鳴きてわたると人はしらずや
〔思ひだして恋しい時は、あの雁の鳴いてわたるやうに、我も此のとほりに此の門を泣いてとほると云ふ事を、此の家の内の思ふ人は知らうかや、かうぢやとはしりはすまい。〕
 鏡山いざ立ちよりて見てゆかむとしへぬる身はおいやしぬると
〔鏡山と云ふ山なら、人の影がよううつるであらうほどに、久しうなつた此の身は、年がよつたかと、どれやたちよつて見てゆかうぞ。〕

【注】宣長は原文「くろぬしは」と「そのさまいやし」の間に脱落があったと見て、「おもしろい所があつて」の訳を補っている。横井千秋の細注には「眞字序に、頗有逸興とあるによりて、補はれたるなるべし、此序には、これにあたる詞の有しが、落たる也」とある。


八、古今集ができるまで
このほかの人々、その名きこゆる、野辺におふるかづらの、はひひろごり、はやしにしげきこのはのごとくにおほかれど、うたとのみ思ひて、そのさましらぬなるべし。

【宣長訳】此の外にも名のある人々は、野にはひひろがつてある葛(かづら)の林に繁(しげ)うはえてある木の葉やなどのごとくにたんとあるけれども、皆自分に歌ぢやと思うて居るばかりで、実に歌と云ふもののくはしいやうすをば知らぬものぢやと見える。

かかるに、いま、すべらぎのあめのしたしろしめすこと、よつの時ここのかへりになむなりぬる。あまねきおほむうつくしみのなみ、やしまのほかまでながれ、ひろきおほむめぐみのかげ、つくば山のふもとよりもしげくおはしまして、よろづのまつりごとをきこしめすいとま、もろもろのことをすてたまはぬあまりに、いにしへのことをもわすれじ、ふりにしことをもおこしたまふとて、いまも見そなはし、のちの世にもつたはれとて、延喜五年四月十八日に、大内記きのとものり、御書のところのあづかりきのつらゆき、さきのかひのさう官おふしかうちのみつね、右衛門の府生みぶのただみねらにおほせられて、万えふしふにいらぬふるきうた、みづからのをも、たてまつらしめ給ひてなむ。

【宣長訳】さて右の通りであつたところに、御当代上様(うへさま)の天下を治めさせらるるのも、今年で九年になるが、どこからどこまでももれた所のない御慈悲が、日本の外までいきわたつて、いづくのうらまでもみなその御蔭をかうむらぬ者はない難有(ありがた)い時節で、いろいろの御政事をとり行はせらるる御ひまひまに、其の外の一切の事までを御すてあそばされぬあまりに、古へあつた事をも御忘れあそばさるまい、年久しうなつた事をも御取り立てあそばさうと云ふ思し召しで、今も御覧遊ばされ、又後々へも伝はれと思し召して、当年延喜五年四月十八日に、われら四人の者へ仰せ付けられて、万葉集に入らぬふるい歌并(ならび)に自分自分の歌をも集めて差し上げまするやうにと仰せ付けられてさ。

それがなかに、むめをかざすよりはじめて、ほととぎすをきき、もみぢををり、雪を見るにいたるまで、又、つる、かめにつけて、きみをおもひ、人をもいはひ、秋はぎ、夏草を見て、つまをこひ、あふさか山にいたりて、たむけをいのり、あるは、春夏秋冬にもいらぬ、くさぐさのうたをなむ、えらばせたまひける。すべて、千うた、はたまき。名づけてこきむわかしふといふ。

【宣長訳】その中にも春梅の花をかざす歌から打つ立つて、郭公をきく歌、紅葉を折る歌、雪を見る歌まで四季の部、又鶴亀につけて君の御寿命を長かれと思ふて御祝ひ申したり、其の外の人をも祝ふた歌、又秋の萩の花や夏の草を見ては妻を恋しう思ふた恋の歌、逢坂山まで旅立ちて行(い)て手向の神を祈る歌など、あるいは四季恋などの部にもいらぬ、いろいろの雑(ざう)の歌までを撰みませいと仰せ付けられて其の通り撰んで集めた。其の歌数、都合千首、巻の数が二十巻。題号は古今和歌集とつけた。

かく、このたび、あつめえらばれて、山した水のたえず、はまのまさごのかずおほくつもりぬれば、いまは、あすかがはのせになる、うらみもきこえず、さざれいしのいはほとなる、よろこびのみぞあるべき。

【宣長訳】かやうに此の度此の集が出来たで、昔の撰集の跡も断絶せず、よい歌が数おほくあつまつた事なれば、もうこれからは歌の風(ふう)のわるう変はるきづかひもなうて、次第に此の道の末長う繁昌するめでたい事ばかりがあらう。


九、むすび―和歌の未来
それ、まくらことば、春の花にほひすくなくして、むなしき名のみ秋の夜のながきをかこてれば、かつは人のみみにおそり、かつはうたの心にはぢおもへど、たなびくくものたちゐ、なくしかのおきふしは、つらゆきらがこの世におなじくむまれて、このことの時にあへるをなむ、よろこびぬる。人まろなくなりにたれど、うたのこと、とどまれるかな。たとひ時うつり、ことさり、たのしび、かなしびゆきかふとも、このうたのもじあるをや。あをやぎのいとたえず、まつのはのちりうせずして、まさきのかづら、ながくつたはり、とりのあと、ひさしくとどまれらば、うたのさまをもしり、ことの心をえたらむ人は、おほぞらの月を見るがごとくに、いにしへをあふぎて、いまをこひざらめかも。

【宣長訳】さて我々どもが義は、よみ歌はおもしろいところもないのに、実でもない歌ばかり上手なやうに云ひはやされる事なれば、世間の人の聞くところもなんとあらうかと思はれ又一つには歌の思ふ心も恥かしけれども、拙者どもが此の世に同しやうに生れあはせて、かやうな仰せ付けられのある時節に逢うたことをさ、たつても居ても寝てもさめても悦びます。かの人麻呂はとう無くなつてしまうたけれども、歌の道はのこつてある。さてさて難有いことかな。これから後たとひ時代が段々かはつて、どのやうになりゆくと云ても、此の集が若し世間にたえうせずに末長う久しう伝はつてさへあつたならば、末代に至つて、歌のやうすをもよく知り、物を心得てあらう人は、此の集を、さてさて結構な集ぢやと云て、天(そら)な月を見るごとくに仰ぎたつとんで今此の御当代をしたはぬと云ふ事はあるまいわさて。


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