新後拾遺和歌集 秀歌選

【勅宣】後円融天皇

【成立】将軍足利義満の執奏により、永和元年(1375)六月二十九日、後円融天皇の勅命が二条為遠に下る。永徳元年(1381)八月二十七日、撰者為遠が急逝し、同年十月二十八日、為重に撰者継承の勅命が下る。永徳二年(1382)三月十七日、四季部奏覧。同三年十月二十八日、返納。翌至徳元年(1384)十二月、再返納。

【撰者】二条為遠(完成前に没)・二条為重

【書名】後拾遺集の下命された承保二年乙卯(1075)を佳例とし、干支を同じくする永和元年奉勅の本集を後拾遺集に倣って新後拾遺集と名付けたもの。

【主な歌人】二条良基(29首)・二条為定(28首)・後円融天皇(24首)・二条為重(23首)・近衛道嗣(19首)・足利義詮(19首)・足利義満(19首)・藤原定家(18首)・足利尊氏(18首)・藤原為家(15首)・藤原為氏(15首)・二条為世(14首)・二条為冬(13首)・伏見院(12首)・宗尊親王(12首)・藤原家隆(11首)・九条良経(11首)

【構成】全二〇巻一五五四首(1春上・2春下・3夏・4秋上・5秋下・6冬・7雑春・8雑秋・9離別・10羇旅・11恋一・12恋二・13恋三・14恋四・15恋五・16雑上・17雑下・18釈教・19神祇・20慶賀)

【特徴】(一)構成 太政大臣良基執筆の序がある。二条家の勅撰集は為家の続後撰集に倣ってか序を置かないのを通例としたので、この点は前例を破るものであった。
雑春・雑秋両巻を置いたのは拾遺集に倣ったものであろう。全体的な構成としては続拾遺集によく似ている。慶賀巻で全巻を締めくくったのは、続後撰集以来の中世勅撰集によく見られる構成法である。
なお、巻六までと巻七以降とで作者名表記に相違があり、同一作者が二通りの作者表記を持つなどの杜撰さが指摘されている。先行勅撰集との重出歌も他の勅撰集に比較して多い。
(二)取材 上代から当代まで各時代から選んでいるが、前代の新拾遺集に比べると当代歌人の占める比率が高い。主な撰歌資料は、永和百首・延文百首・文保百首・貞和百首・嘉元百首・弘安百首・弘長百首などの応製百首歌である。
(三)歌人 入集数上位を占めるのは、太政大臣二条良基・関白近衛道嗣ら顕貴、為世・為重ら二条家歌人、義満・尊氏ら武家といった面々である。天皇では当代の後円融天皇が最多で、伏見院・崇光院・順徳院が次ぐ。
前集から十一年の歳月を隔てており、おのずと新顔の歌人が多くなっている。その大半は比較的身分の低い武士や僧侶たちであり、作者層の拡大が指摘されている。
(四)歌風 伝統的な二条派の詠風を踏襲しつつも、新千載集・新拾遺集を通じて瞥見された、新古今的な優艶さ(言わば、思わせぶりな美しさ)への志向は引き継いでいるように見える。穏健な詠みぶりながらも趣向の新味に工夫を凝らした歌も少なからず見られる。そうした傾向は殊に最多入集歌人である二条良基の作風によく窺えるところである。過去の歌人では伏見院の佳詠が目立つが、京極風の歌は殆どなく、やはり新古今風の優艶な歌が多く選ばれている。

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『新後拾遺和歌集(正保四年版本)』


     雑春 雑秋 離別 羇旅   釈教 神祇


 上

延文二年、後光厳院に百首歌奉りける時、霞を
                     太政大臣

春といへばやがて霞の中におつる妹背(いもせ)の川も氷とくらし(4)


応安六年仙洞にて廿首歌講ぜられしついでに
                   後光厳院御製

なほさゆる雪げの空のあさ緑わかでもやがてかすむ春かな(10)


貞和二年、光厳院に百首歌奉りける時    太政大臣

降りかかる梢の雪の朝あけにくれなゐうすき梅の初花(22)


文保三年百首歌奉りけるとき      前大納言為定

かつきゆるをちかた野べの雪まより袖みえ()めて若菜つむなり(29)


梅夕薫心をよませ給うける        伏見院御製

木の間よりうつる夕日の影ながら袖にぞあまるむめの下風(43)


春の歌あまたよみ侍りける中に     藤原為冬朝臣

梢をばさそひもあかず梅が香のうつる袖まで春風ぞふく(44)


梅を                  式子内親王

袖の上に垣ねの梅はおとづれて枕にきゆるうたたねの夢(51)


春の歌の中に                源家長

春雨に野沢の水はまさらねどもえ出づる草ぞふかく成り行く(61)


霞間花といふ事をよませ給うける     伏見院御製

桜花さけるやいづこみ吉野のよしのの山はかすみこめつつ(77)


 下

題しらず                源俊頼朝臣

桜ばなさきぬる時は三吉野の山のかひより浪ぞこえける(82)


百首歌めされしついでに         順徳院御製

花の色になほ折しらぬかざしかな三輪の檜原の春の夕暮(104)


暁庭落花といふことを          伏見院御製

木ずゑには花もたまらず庭の(おも)の桜にうすき有明のかげ(111)


題しらず            皇太后宮大夫俊成女

つもりぬる別れは春にならへどもなぐさめかねて暮るる空かな(159)




百首歌めされし次に、五月雨      後光厳院御製

五月雨はあやめの草のしづくより猶落ちまさる軒の玉みづ(209)


嘉元百首歌奉りけるに         前中納言為相

湊川うは波はやくかつこえて潮までにごる五月雨の比(236)


正治百首歌に              式子内親王

水くらき岩まにまよふ夏虫のともしけたでも夜を明かすかな(255)


延文二年百首歌奉りけるに、納涼      太政大臣

(すず)しさはいづれともなし松風のこゑのうちなる山の滝つせ(273)



 上

百首歌たてまつりし時、初秋の心を     太政大臣

朝戸あけの軒ばの荻に吹きてけり一葉のさきの秋の初風(285)


延文二年、奉りける百首歌に     宝篋院贈左大臣

見るままに門田の(おも)はくれはてて稲葉に残る風の音かな(321)


題しらず             入道二品親王覚誉

をちかたの霧のうちより聞き()めて月にちかづく初雁のこゑ(340)


月前風といふことをよませ給うける    伏見院御製

むら雲も山のは遠くなりはてて月にのみふく峰の松風(352)


 下

人々に廿首歌めされしついでに         御製

天の河雲のしがらみもれ出でてみどりの瀬々にすめる月かげ(378)


百首歌めされしついでに、潟月         御製

夕塩のさすにはつれし影ながら干潟に残る秋の夜の月(387)


山路月を                伏見院御製

誰にまた月より外はうれへまし馴れぬ山路の秋の心を(401)


暁月の心を              前大納言為世

西になる影は木の間にあらはれて松の葉みゆる有明の月(413)


題しらず           後京極摂政前太政大臣

ことし見る我がもとゆひの初霜に三十(みそぢ)あまりの秋ぞふけぬる(421)


題不知                 伏見院御製

行く秋のすゑ葉のあさぢ露ばかりなほ影とむる有明の月(457)




初冬の心を             中務卿宗尊親王

秋よりも音ぞさびしき神無月あらぬ時雨や降りかはるらん(459)


百首歌めされしついでに         順徳院御製

清滝や岩間によどむ冬河のうへは氷にむすぶ月影(496)


百首歌たてまつりし時、水鳥         左大臣

薄氷なほとぢやらで池水の鴨のうきねをしたふ浪かな(513)


題しらず               権大僧都経賢

月はなほ雲まに残る影ながら雪にあけ行くをちの山のは(535)


千五百番歌合に               小侍従

跡つけしその昔こそ恋しけれのどかにつもる雪をみるにも(558)


海辺雪を                 元可法師

うづもれぬ煙をやどのしるべにて雪に塩くむ里のあま人(561)


おなじ心を              権中納言為重

わたつ海の浪もひとつにさゆる日の雪ぞかざしの淡路島山(562)


雑春

五十首歌奉りけるに、花下送日と云ふ事を
                 後鳥羽院宮内卿

花にふる日数もしらずけふとてや古郷人の我を待つらん(618)


題しらず                道元法師

山のはのほのめくよひの月影に光もうすくとぶほたるかな(699)


雑秋

百首歌の中に           後九条前内大臣

河上に里あれ残るみなせ山見し物とては月ぞすむらん(745)


題しらず                藤原満親

風さむき入江の芦の夕霜に枯れてもさやぐ音ぞ残れる(787)


離別

旅にまかりける人に        中務卿宗尊親王

さらぬ世のならひをつらき限りにて命のうちは別れずもがな(850)


羇旅

題しらず              後鳥羽院御製

駒なべて打出の浜をみわたせば朝日にさわぐ志賀のうら波(872)


百首歌奉りし時             崇賢門院

有明の影をしるべにさそはれて夜ぶかくいづる須磨のうら舟(911)



 一

恋歌の中に             後鳥羽院下野

最上川いなとこたへていな舟のしばしはかりは心をも見ん(998)


 二

題しらず                素性法師

恋しさに思ひ乱れてねぬる夜のふかき夢路をうつつともがな(1015)


寄篠恋              等持院贈左大臣

夜をかさねうきふし見えてささの葉におく初霜といかで消えなん(1022)


 四

題しらず              権中納言為重

思ひ出でよ野中の水の草がくれもとすむ程の影はみずとも(1192)


 五

人をうらみんといふ言葉をよませ給うける
                   伏見院御製

つらしとて人をうらみむ(ことわり)のなきにうき身の程ぞしらるる(1265)



 上

題しらず              後嵯峨院御製

八雲たつ出雲やへがきかきつけて昔がたりをみるぞかしこき(1266)


雑御歌中に              光厳院御製

山里は明け行く鳥の声もなし枕の峰に雲ぞわかるる(1296)


題しらず              権大僧都経賢

さびしさは思ひしままの山里にいとふ人めのなどまたるらん(1340)


 下

貞和百首歌に            前大納言公蔭

秋の月こたへばいかにかたらまし心にうかぶ代々のあはれを(1380)


貞和百首歌めされけるついでに     光厳院御製

十年(ととせ)あまり世をたすくべき名はふりて民をしすくふ一事(ひとこと)もなし(1419)


題しらず                僧正永縁

我ならで物思ふ人を世の中に又ありけりとみるぞかなしき(1431)


題しらず               光厳院御製

見し人は面影ちかきおなじ世に昔語りの夢ぞはかなき(1433)


後深草院の御事おぼしめし出て、七月十六日、月のあかかりけるによませ給うける
                   伏見院御製

かぞふれば十とせあまりの秋なれど面影ちかき月ぞかなしき(1463)


釈教

釈教歌とて               夢窓国師

雲よりも高き所に出でてみよしばしも月にへだてやはある(1486)


神祇

題しらず              藤原敏行朝臣

住吉の松の村立いくかへり波にむかしの花さきぬらん(1531)





最終更新日:平成15年8月1日

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