伝統ゲーム紹介


投壺

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名称投壺(とうこ)
概要  つぼうちとも呼ばれる。投扇興のルーツと言われる二人対戦の遊び。

中国・朝鮮の投壺

 周の時代には既にあり、四書五経の一つ「礼記(らいき)」には、紀元前500年頃に遊ばれたことが記載されている。 三国、晋の時代にも投壺の記録があり、宋代には司馬光が「投壺格」「投壺新格」「投壺儀節」を著した。明代にも書籍が出されたようだが、 現在ではほとんど見られない。
朝鮮半島にも百済、高句麗の時代には伝わっていたと考えられる。現在、韓国では公園や寺社などが道具を出して遊ばせていることがある。 旧1000ウォン札には投壺が描かれている。

日本の投壺

 奈良時代に日本に伝来したといわれ、正倉院の宝物の一つとして収蔵されており、正倉院展に出展されることがある。 信西が12世紀中頃に編纂したと言われる『本朝世紀』には、鳥羽法皇が正倉院の投壺具についてこれは何かと聞いたので信西が投壺と答えたことが記載されている。『和名類聚抄』に”つぼうち”と表記があるほか、江戸時代中期まで記録がなく、江戸時代まではまったく遊ばれなかったと考えられる。
茶道家の大枝流芳が随筆『雅遊漫禄』(18世紀半ば頃刊行)の中で投壺について書いている。また組香の一つとして投壺香というものを考案した。医師で儒学者の田中江南が投壺の復興を試み、『投壺指南』『投壺説』など複数の本を出し、江戸や京都で教えたりした。一時期流行ったという記録もあるが、大きな流行ではなくすぐに廃れたと考えられる。医師の都賀大陸、儒学者の皆川淇園や田辺楽斎、落合正暢も投壺に関する本を出している。いずれも正倉院のものを見たのではなく、中国の書籍を見て書いたものと考えられる。

詳しくは拙論「中国・朝鮮・日本の投壺遊戯の盛衰」(『大阪商業大学アミューズメント産業研究所紀要 第19号』2017年)を参照されたい。

遊び方

 壺と投者が三角形になるように位置する。矢を持って投げる。  矢の落ちた位置で点数が決まり、勝敗を競う。

遊び方(『礼記』によるもの。資料に寄り内容は異なる)

1.道具は矢と壷を用いる。壷の大きさは。矢は室、堂、庭によって長さが異なり、室は2尺(約60cm)、堂は2尺8寸(約84cm)、庭は3尺6寸(約1m8cm)である。 2.対戦者2人(主人と客)は壷から離れた所に位置する。対戦者と壷の間は矢2本半空ける。
3.審判は8本または12本の算(点数の単位)の合計により判定される。 4.勝者に賞品を贈る。

投壺の役と点数

販売状況国内では入手不可。韓国で販売している。当会斡旋可。

投壺の道具

中国の漢の遺跡・石に描かれた投壺

「雅遊漫録」挿絵

「和漢三才図絵」挿絵

「投壺式」挿絵

市販の「投壺」


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