M20.裸地上の極小低温層(特別講義)

ご質問など、ご意見をお寄せください。
	著者:近藤純正
		20.1 はしがき
		20.2 気温分布に関する予備知識
		20.3 極小低温層が再現できた!
		20.4 精密計算では顕著に出ない
		20.5 続きの研究
		20.6 30年後の病室―極小低温層の出現!
		参考文献
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私の研究手法について、一例を取りあげて紹介しよう。
常識では、夜間の地表面上の気温鉛直分布は、地表面でもっとも低温で、 高さと共に高温になると考えるのだが、晴天微風夜の極小の気温は、地上 数cmから20cm程度の高度にできる、という論文が1956年にイギリスの 気象学会誌に発表された。 これは、極小低温層(raised minimum; elevated minumum)と呼ばれ、 裸地面上に現れる現象である。この現象を解明するために、私がどのような 準備研究を行い、どのような経過をたどったか、振り返ってみたい。 (2007年10月14日完成)

これは2007年10月26日、法政大学文学部地理学科の2 年生に行った特別講義の内容である。
大きな四角で囲んだ記述(注釈)は、専門的な内容 であり、読み飛ばしても話の大筋は理解できる。

本章について出された質問とその回答は「M22. 裸地 上の極小低温層(Q&A)」に掲載されている。


20.1 はしがき

晴天夜間の地表面上、とくに裸地面上に極小低温層がなぜできる? という 話です。

実は、今からおよそ半世紀前の1956年のこと、イギリスの気象学会誌に レイク(Lake, 1956)という研究者が、裸地面上数cmから 20cm程度の 高さに極小低温層ができるという論文を発表しました。つまり、 「極小低温層の地面離れの現象」です。

気象学の常識では、「夜間に温度がもっとも低いのは地表面である」と 考えていたので、この発表は多方面に影響を及ぼしました。

この論文を発表したレイクによれば、この極小低温層のできる原因は不明で、 通常の常識では考えられない。もしかして、大気放射の作用によってできる かもしれない、という問いかけを含んでいました。

大気放射(目に見えない波長の長い赤外線)は隣接する大気の影響 (近接作用)(注1)と、遠方の大気の影響(遠隔作用)の両方の性質をもつため、 地面付近の気温分布に対してどう影響するのか、学者の間でもよく 理解できていなかったのです。

当時、私の指導教官・山本義一(1909-1980)先生は1949年から大気放射に 関する論文を発表し、1952年には計算が非常に複雑な大気放射の計算を 図式に行う論文、 "On a radiation chart" を発表し、世界的に知られる ようになっていました。

1957年の秋、山本先生は大学院1年生であった私に対して、この極小低温層 が仙台でも観測できるかどうか、そうして大気放射の作用から説明できないか どうかを検討するようにと、課題を与えたのです。

きょうは、私の研究手法についての話を聞きたいというご希望がありました ので、そのご希望に沿うべく、例として、この極小低温層にまつわる問題を 選びました。

(注1) 放射の作用
赤外放射(長波放射)による熱伝達は、地表面から大気上端までに含まれる 水蒸気や二酸化炭素など温室効果ガスの影響を受ける。これら水蒸気などは 赤外放射を吸収すると同時に自らも赤外放射を射出する。その影響は、近接 する層からは強いが、遠方になるにしたがってしだいに弱くなる。 これを近接作用(後述の模式図20.9参照)と遠隔作用の2つに分けて考える と理解しやすい。

近接作用:
ある層の温度が周囲より凸状に高温な分布形をしていれば、その 層は周囲からもらう熱が自ら射出する量よりも少なく、 気温が下降する。 逆に温度が凹状に低温な分布形をしていれば、その層の気温は 上昇する。 つまり、気温分布は滑らかな分布形に変えられてしまう。これは、熱伝導 の作用に似ている。 近接作用は、吸収・射出の強い波長範囲の働きによるものである。

遠隔作用:
遠方の温度が対象とする層と違っている場合、その遠方の層の厚さが薄く 水蒸気量が少なければ影響はほとんどないのだが、遠方の層が厚く 温度が高ければ対象とする層の気温は相対的に加熱作用を受ける。逆に 遠方の層の温度が低ければ相対的に冷却作用を受ける。
夜間の地表面が放射冷却する場合、上空が冷たく水蒸気が少ないとき に放射冷却は大きいのだが、上空に雲があれば、雲は水蒸気量が無限にある ことに等しく、より多くの赤外放射を地面に向けて射出する。そのため地面の 放射冷却は弱められる。 遠隔作用は、吸収・射出の弱い波長範囲の働きによるものである。

20.2 気温分布に関する予備知識

本論に入る前に、気温分布に関する予備知識を示しておきましょう。 図20.1は気温の鉛直分布であり、縦軸は高度、横軸は気温です。日中は、 地表面の温度が最高となり、高さと共に気温は低くなっています。高度100m 程度から上空では、平均として、高さ100mごとに0.6℃程度の割合で 低くなっていきます。

気温分布模式図
図20.1 気温の鉛直分布の模式図、日中(赤線)と夜間(青線)。

夜間は、地面付近が冷却されて、地面が最低温度となり、気温は高度と ともに高くなります。気温が極大になる高度から下層のことを逆転層と 呼びます。逆転層の上では、気温は日中の分布にほぼ等しくなっています。


次に林地や草地における気温分布を見てみましょう。

林地の気温分布
図20.2 林地や草地における気温の鉛直分布、日中(赤線)と夜間(青線)。 気温分布は時刻その他によって変わり、この図はその1例である。

図20.2は、林地や草地における気温の鉛直分布です。日中、もっとも気温が 高くなるのは、梢の少し下、草地なら草の先端より少し下がった高度です。 梢に近い高度では日射の吸収が大きく、また、風が少し弱められるために、 気温が高くなります。

林の下の林床では日射がほとんどこないので、裸地面のように高温には なりません。

夜間は逆に、梢付近の葉が放射で冷却され、その層が最低気温になり、 その下層は少し暖かになります。この最低気温の層は、いわゆる極小低温層 に相当します。

したがって、裸地面上でも、近くに草地など冷えやすい所があれば、そこから の冷気が流れてきて、極小低温層が観測されるのです。ところが、 レイクの論文では、広い裸地面で観測されたというのです。


次に、大気層の安定、不安定のことを学んでおきましょう。
図20.3は地表面温度と気温の日変化を示してあります。横軸は1日の時刻を 表し、0時から24時までです。

安定・不安定の時間
図20.3 地表面温度と気温の日変化、大気の安定・不安定の時間の説明図。 注:不安定(安定)となる時間は風速などの気象条件のほか地面の湿り、粗 度などの条件による(本ホームページ「身近な気象」の 「M11. 入門2:境界層の日変化」の図11.14; 「研究の指針」の「基礎1: 地表近くの風」の図1.7に同じ)

地表面温度が気温より低い夜間は、大気は安定であり、逆に地表面温度が 高温になる日中は不安定です。なぜ、安定・不安定かを次の図で説明 しましょう。


図20.4の左は不安定な場合です。地面の直ぐ上に高温空気があり、その上に 低温空気が重なっている場合を想定します。空気は高温になれば軽いので、 重い低温空気との間で対流が起きやすく、不安定です。

安定・不安定の説明
図20.4 大気の安定(右図)と不安定(左図)の説明。

一方、右図のように、軽い高温空気が重い低温空気の上に乗っていれば、 上下混合が起き難く、安定です。安定な大気では鉛直混合が弱いので、 極小低温層のような、へんな温度分布ができても、壊れ難くなります。

以上で基礎知識について勉強しました。


20.3 極小低温層が再現できた!

本論に入ります。次の順序で話を進めます。
(1) Lakeの報告
(2) 仙台でも観測できるか?
(3) 放射の作用で説明できるか?

図20.5は1965年に発表されたレイクさんの観測結果です。
横軸は気温、-10℃から0℃まで、縦軸は地表面から高度60cmまでの グラフです。

レイクによる極小低温層の観測
図20.5 裸地面上の極小低温層の観測(Lake, 1956: QJRMS, 82, 187-197) (一仕事二十年、図5.1より転載)

19時の観測では、裸地面の温度は-2.8℃、高度5~10cmでは-4.6℃、 高度46cmで-3℃であり、5~10cmの低温層は地面温度に比べて1.8℃ も低温です。

22時の観測では、地面温度は-5.1℃、極小低温層はそれよりも約2℃低い -6.3℃です。


仙台でも、裸地面上に極小低温層ができるのかどうか、観測してみることに しました。

ごく地表面に近い層で気温を測ることはとても難しい問題です。
放射の影響を除去しなければなりません。日中なら太陽光で温度センサーが 加熱し、逆に夜間は、上空の温度が地上に比べてかなり低温なためセンサーは 放射により冷却されて、実際より低く観測されます。

放射の影響を防ぐために、気温センサーに放射除けを付けたいのですが、 高さ方向に数個も並べると、それがあたかもキャノピー層(物体の群落構造) を形成することになります。つまり、放射冷却される物体をたくさん置けば、 その付近一帯が冷却され、自然の状態を変えてしまいます。

また、強制的に空気を引いて気温を測ればよいのですが、その吸気が自然の 場を乱してしまうので、やむなくセンサーには何もせず、露出したまま測る ことにしました。

そうすると、放射の影響を受けるので、その観測誤差を知っておく必要が あります。

放射による観測誤差を小さくするには、センサーを小さくすればよいのです。 イギリスのレイクは小さいビーズ型のサーミスタ温度計で測ったのですが、 それより小さなセンサーを用いるほうがよいと考えました。

銅とコンスタンタン線は値段が安いので、銅・コンスタンタンの熱伝対を 作りました。当時、銅線は直径が0.05mm(50ミクロン)が最少 サイズで市販されていたのですが、コンスタンタン線は0.1mmでした。

東北大学の金属材料研究所で、細いコンスタンタン線を作ってもらいました。 細線は、コンスタンタン線を小さな穴に通して引き伸ばす方法で作ります。

熱伝対の作り方
図20.6 熱伝対の接点の作り方、(a):電気溶接の場合、(b)2~3回ネジってはんだ 付けした場合、(c)半ひねりしてはんだ付けした場合の模式図。

通常の熱伝対の作り方は、電圧をかけて電気溶接しますが、接合部 つまり感部となる部分が少し大きくなります(図a)。普通の手造りの方法は 図bに示すように、接合部を2~3回ねじってハンダ付けします。 この方法だと、ハンダを含めれば、感部は元の素線の3倍ほどの直径に太く なります。

私は図cのように、1回の半分だけねじり、微小な接触部分だけハンダ付け する方法を考案しました。この構造は壊れやすいですが、有効な半径が小さく なります。 図示された枝は切らないで、そのまま残せば、接合部が放射で冷却された ぶん、枝への熱伝導により放射の影響が小さくなり、観測誤差は小さくなり ます。

各高度間の温度差が測れるように熱伝対群をつくりました。出力はガルバノメータ の振れをランプ・スケールに表示させました。当時は、現在のような測器は 無かったので、この方法で細かな温度差を測定することができました。


気温センサーに及ぼす放射の影響を理論的・実験的に求めました。 次の図20.7は温度計に及ぼす放射の影響(観測誤差)と風速の関係です。 ただし、有効入力放射量が1平方m当たり70ワットの場合です。これは、 日中なら直射光を防いだ場合に相当します。気温の観測誤差は縦軸( 対数目盛)に表しました。

放射の誤差
図20.7 球(実線)と円柱(破線)の温度上昇(縦軸)と風速(横軸)の関係。
ただし、R-σT=70 W/mの場合、 R は外部から物体の単位表面積当たりに供給されるエネルギー、 σTは気温 T(絶対温度)に対する黒体放射量。 日中なら直達光を防いだ場合、夜間なら天空放射を防がず温度計を露出 した場合に相当する(大気境界層の科学、図3.4より 転載; 本ホームページ「研究の指針」の「K16.気温の観測方法」の図16.3 に同じ)

夜間の晴天日の有効入力放射量は1平方m当たり、-70ワット程度です ので、誤差はこの縦軸の目盛にマイナスをつけて読みとります。センサーの 形状が球(破線)と円柱(実線)の場合について示しました。

センサーの直径が1mmだとすれば、微風の0.1~1m/sの風速範囲で誤差は 1℃前後になりますが、50ミクロンなら誤差は0.1℃程度になります。


こうした準備研究ができたので、微風晴天の夜には、あちこちで観測しま した。

大学構内のテニスコートや野球場
近くの高等学校の運動場
で観測しました。

すると、極小低温層が観測されたり、されなかったりです。野外の裸地面上で 観測準備が終った頃、風がでてきて何度も中止したこともあります。

延べ、何日間なのか、数え切れないほど出かけました。裸地の野球場 でも、必ず周囲には草地があり、そこからの冷気の流入があることを疑いま した。

松島の東のほうに広い埋立地があることを聞き、その遠方へも出かけ ました。


一方、極小低温層は放射の作用によって再現されるのか、計算によって 検討することにしました。

昼間は理論的な計算を行いました。当時、山本の放射図があり、 それに気温と水蒸気量の関係をプロットし、閉曲線で囲まれた面積を測れば、 各高度における上向きと下向きの放射量が求まります。 放射図はB3の大きさですが、地面付近について詳細に計算するために、 数mほどの紙の大きさに拡大した図を作り、それで計算しました。

部屋一面に用紙を広げて計算していたのですが、そのうちに、拡大した 放射図を使わずに数値表を作って、それで数値計算する方法を考えま した。つまり、図式面積計算から数値積分の方法としました。

数ヶ月間、毎日毎日計算を続けました。当時はパソコンなどはなく、 手回しのタイガー計算機を回しました。そのうちに、電動式のドイツ製の 計算機が市販されるようになり、毎日、モーターの回転音とともに過ごし ました。

図20.8は計算結果です。右図は普通の目盛で縦軸(高度)を表した温度 分布図です。左図は縦軸を対数目盛の高さで表した気温分布図であり、下層の 分布を見やすくしてあります。地面温度は横軸上にプロットしてあります。

放射だけを考慮したときの温度鉛直分布
図20.8 放射だけによる大気と地表面の冷却、初期条件から4時間まで (大気境界層の科学、図5.61より転載)

注意すべきは、地表面温度とその直上の空気(地表面に接する空気)温度は 一致せず、1℃弱の温度ギャップができています。これは放射伝達の性質 によって生じる現象です。すぐあとで説明するように、必ず温度ギャップが できるのです。

計算では、気温は地面温度より低くなりません。つまり、極小低温層は 再現されませんでした。なぜなのか、その理由を次の図で説明しま しょう。


準放射平衡の説明
図20.9 左図:日中の地表面上の空気が赤外放射で冷却されることの説明図、 実線は実際の温度分布、横向き矢印は赤外放射の加熱・冷却作用を示す。 右図:放射だけの作用しかなかったときの準放射平衡の温度分布 (水環境の気象学、図4.13より転載)

まず気温分布が単純な日中を説明します。図20.9の左図に示すように、日中の 温度分布を実線で表すとします。この温度分布に対して、放射の作用は、 分布が尖ったところで冷却作用を受け、少し上の窪んだ温度分布のところで は加熱作用を受けて、温度分布は破線のようになろうとします。これは放射 の近接作用であり、熱伝導と同じで、曲がった分布は滑らかにされます。

実際の地面付近では熱伝導も作用して実線の分布になっているのですが、 放射だけしか作用しなければ、温度分布は右図のような平衡状態に近い 分布となります。この場合、地表面温度は矢印で示してあり、放射について 地面は、大気が無限の深さまで等しい温度で存在することに相当します。 つまり、放射による平滑作用から取り残された地表面温度とその直上の気温 の間には、温度ギャップができます。 これが放射の作用だけによってできる分布です。


放射の作用だけの場合の温度分布がわかったので、こんどは放射のほか熱伝導 や対流の作用(空気が動いて熱を伝える作用)が働く場合、どうなるかを 考えてみましょう。

準放射平衡、日中と夜間
図20.10 地表面付近の気温鉛直分布の模式図。
実線は準放射平衡の分布、破線はそれに熱伝導・対流の効果が含まれる 場合の分布、●印は地表面直上の気温。左図:日中、右図:夜間 (地表面に近い大気の科学、図4.17より転載)

左図の実線は先ほど説明した放射だけの作用で平衡になる温度分布です (注2)。 地表面直上の気温は地表面温度と不連続になり、必ず地面温度より低温に ならねばなりません。 破線は、それに熱伝導や対流が作用する場合、つまり実際の温度分布です。

右図は夜間の温度分布であり、放射の作用だけなら実線となり、地表面と 最下層の気温は不連続になり、温度ギャップができます。つまり地面直上 の気温は地表面温度より高くなります。これに熱伝導や対流が作用すると、 温度は破線の分布となります。

(注2) 放射平衡
大気中には水蒸気など温室効果ガスが含まれ、赤外放射(長波放射)が 吸収されると同時に射出される。一方、地球には太陽からの放射(日射、 短波放射)が注がれている。このように、大気中の熱輸送が放射のみで行わ れるときに形成される温度分布を放射平衡の温度分布と呼ぶ。 放射平衡の温度分布では、地表面温度とその直上の気温の間には20℃ほどの 温度ギャップができ、上空ほど低温な分布となり、地表面付近の気温の高度 に対する低下の割合(気温減率)は大きい。
この放射平衡の温度分布は、地球の気温分布を近似的に表している。これを 現実的な気温分布(対流圏での気温減率は高度100mにつき0.65℃程度)に する作用は対流の働きである。対流によって地面から上空へ潜熱と顕熱が 運ばれ、上空で雲が発生するとき潜熱が開放されて大気は温められる。

準放射平衡の温度分布:
放射平衡の温度分布は長時間(極限としては無限時間)にわたり維持される分布形で あるが、10分~1時間程度の短時間の間、温度がほぼ同じ分布形を持続できる とみなされる場合、「準」をつけて準放射平衡の温度分布という。

参考: 「大気境界層の科学」p.6-p.11



以上をまとめると、放射の計算では地表面は黒体、つまり「その温度で最大の 放射エネルギーを出す」 という仮定が暗に含まれており、その結果として、 極小低温層は決して再現されないのです。

実際には100%の黒体というものは存在しなく、地表面は黒体放射の 例えば、90%に相当する赤外放射を出します。

そうだとすれば、放射の計算では、地表面の放射温度は実際より低温 とすればよく、極小低温層が再現できることに気づいたのです。

これを発見したときの感動は、今でも忘れません。私は山本先生のところへ 駆けつけて、極小低温層ができる理由を説明しました。

極小低温層ができることを次の図20.11によって説明しましょう。

地表面が100%の黒体でなく、不完全黒体だとすれば、放射温度は黒矢印となり、 放射の作用で気温分布は実線のようになります。温度ギャップは、先ほど 説明したように、必ずできます。

極小低温の説明
図20.11 地表面が不完全黒体の場合に極小低温層ができる説明図。

実際の地面温度は緑の矢印で表され、これに伝導や対流が作用すると、 赤の破線の分布となります。

この場合、地面直上の空気は熱伝導により実際の地面温度(青矢印)と連続に ならなければならない。その上の空気は地面からの熱伝導で加熱されるが、 冷たい放射温度(黒矢印)からは放射で冷却される。 これら加熱と冷却のバランスによって極小低温層ができてくるのです。

こうして、微風時には極小低温層が形成されるわけです。大気は安定なので、 鉛直混合は弱く、長時間にわたり極小低温層の分布が裸地面上で続くことに なります。

20.4 精密計算では顕著に出ない

そうこうしているうちに、また別のことに気づきました。すなわち、計算 では放射のスペクトルで大きな仮定をしていることに気づいたのです。 つまり地面の放射条件が精密ではなかったのです。

その説明をするために、大気放射のスペクトルを勉強しておきましょう。

大気放射のスペクトル
図20.12 大気放射のスペクトル(地上の気温が15℃の場合の例) (地表面に近い大気の科学、図2.12、より転載;  本ホームページ「研究の指針」の「基礎3:地表面の熱収支と気象」の 図3.5に同じ)

図20.12は、大気から地表面に入る赤外放射のスペクトルの例であり、実線で 示す複雑な分布となっています。エネルギーが欠損した部分、つまり波長が 8~13ミクロンの範囲は大気の窓(注3) と呼ばれる部分があります。ここは、大気による吸収が少ない 範囲です。

破線は黒体放射のスペクトルであり、すべての波長範囲で最大のエネルギー を出すことを示しています。

放射の精密計算では、正しい地表面条件は次の ようにしなければなりません。

(1)「地面放射」: 地表面を90%の黒体とすれば、地表面は黒体放射の90% 相当の赤外放射を出す。これは図20.11の計算でも用いていた条件です。
(2)「反射成分」: 地表面は黒体ではないので、大気放射の10%を反射する。 つまり、天空からくる大気放射のスペクトル(前の図で示した窓領域が 欠損した形)の10%を反射する。

したがって、
(3)地面からは「地面放射」+「反射成分」の赤外放射が上向きに出る
という条件のもとに、スペクトル形を考慮した計算をするのが精密な方法 です。

精密計算では、波長範囲を20ほどに分け、各範囲ごとに計算しなければ ならないので、時間は余計にかかることになります。

その計算を実行してみると、極小低温層は地面のすぐ上ではなく、高度 数mの高さにでき、しかも地面との温度差は1桁小さい0.1~0.2℃程度と なりました。つまり、観測される2℃ほど低温の極小低温層は 放射の作用では起きない、という結論を得たのです(注4)

結論: 裸地の観測地の周辺には必ず冷えやすい場所、例えば草地や 地物が存在する。夜間の冷却が大きい草地などからの冷気が高温の裸地面上 に移流してきて極小低温層が形成される。

そのように考えて、あちこちで観測してみると、極小低温層は、
(1) ビルの屋上
(2) 窓を開けた室内
(3) 広い運動場

など、どこでも観測される、ごくありふれた現象であることがわかりました。

(注3) 大気の窓
大気からくる大気放射(赤外放射)のスペクトルでは、波長が8~13μm付近 のエネルギーが少ない。この波長範囲では、大気はわずかしかエネルギーを 射出しない。同時にこの範囲では地表面から上向きに向かって出る赤外放射 もほとんど吸収されることなく透過されて宇宙へ放出される。このことから、 この波長範囲は大気の窓(atmospheric windouw)と呼ばれている。
例えば波長11μm付近を使って人工衛星から地球を観測すると、その エネルギーは近似的に地表面から出た(雲があれば雲頂付近から出た) 放射に等しいので、地表面温度または雲頂温度を知ることができる。
一方、窓領域以外の吸収が強い波長を利用すれば、上空の温度を知ること ができる。これが衛星からの地球観測の原理である。

(注4) スペクトルの違いの意味
観測で得られるような極小低温層が再現できた計算(図20.11)では、 地表面から上向きの「地面放射」+「反射成分」の全エネルギー (スペクトルを全波長で積分したエネルギー)は精密計算におけるそれと 同じであった。だが、スペクトル形は実際の地面温度より低温の黒体放射 のスペクトル形(図20.12の破線のような形)を仮定したものであった。
つまり放射図は、地表面の温度(または見かけの温度)がいくらであろうとも 地表面の上向き放射は黒体放射のスペクトル形をもつ、という仮定のもとに つくられたものである。

精密計算では、反射を含む地面から上向きの放射量の全量は同じだが、 スペクトルは複雑な形(一部に欠損部をもつような形)を用いた。その結果、 観測されるような顕著な極小低温層は再現されなかった。 なぜ精密計算では顕著な極小低温層が再現されなくなったのか? その理由 は、次の通りである。
大気の窓領域(波長8~13μm)の両側には水蒸気などによる吸収・射出の 強い部分がある。精密計算では、この吸収・射出の強い部分が地面から 反射されてくる。吸収・射出が強いことは気温分布を滑らかにする働き (近接作用)が強いことであり、極小低温層を解消させようと加熱が 大きくなるからである。

短波放射と長波放射の違い
太陽放射(短波放射;日射)は波長0.15~3μmの範囲にその99%のエネルギー が含まれている。短波放射は散乱吸収によって減衰する。
一方、地球・大気系の温度は300K前後であり、大気が出す放射は波長10μm 付近を中心としたスペクトルをもち、大部分のエネルギーは3~100μmの 範囲に含まれる。これを長波放射、赤外放射、または大気放射と呼ぶ。
大気中には容積比で約0.5%の水蒸気、約0.04%の二酸化炭素、微量の オゾンなどがある。これら少量の気体が、大気全層としては、黒体 放射の60~90%相当の放射を射出する。
長波放射は射出吸収 の両過程があることで、短波放射に比べて放射伝達が複雑となる。

20.5 続きの研究

これらの研究によって、私はだれよりも放射の影響・効果について理解を 深めることができました。

(a) 地表面に近い大気層(大気境界層)における温度分布に及ぼす放射の作用
(b) 盆地冷却

などについて、研究が進むことになります。

ここでは、盆地冷却の話をしておきましょう。

図20.13は東北新幹線の福島駅の近くから西に見える吾妻小富士の望遠写真 です。 吾妻小富士の望遠
図20.13 東北新幹線福島駅の近くから西方に見える吾妻小富士、望遠写真 (2004年6月5日朝)。

吾妻小富士は噴火口の直径が450mの理想的な盆地地形をしており、盆地冷却 の基礎研究を行うのに適しています。


図20.14は吾妻小富士で観測した夏の夜の気温断面図です。盆地の 底と頂上の標高差は70mです。頂上の気温は21℃に対し盆地の底では14℃ となり、わずか70mの標高差で7℃の温度差ができています。

盆地の冷却過程
図20.14 晴天微風夜の盆地における冷気層(冷却湖)の形成過程 (地表面に近い大気の科学、図8.13、に加筆;  「研究の指針」の「基礎2:気温・地温と局地循環」の図2.7に同じ)

斜面で冷却された冷気が盆地の底に、次々と重なるように堆積し、冷気層 が形成されます。発煙筒の煙を斜面で流してみると、最初は盆地の底まで 流れて行きますが、ある程度の冷気層が形成されると、煙は等温層に沿って、 途中で流れを水平方向に変え、冷気が堆積する様を肉眼でみることができ ました。

20.6 30年後の病室-極小低温層の出現

極小低温層のことを忘れかけていた30年後のことです。1988年10月12日 のこと、私は急性心筋梗塞で死ぬかと思ったことがあります。幸運にも、 救急車で病院に運ばれ、応急処置後、絶対安静の状態を続け70日目に胸 を切り開いて行うバイパス手術を行いました。

手術では輸血により肝炎となり、さらに70日間も入院生活を続けることに なりました。入院は、生れて初めてのことなので、いろいろ新しいことも あり、次のことに興味を持ちました。

(1)ヒトのエネルギー収支と質量収支
急病で緊急入院すると、看護師が体重や排泄物の重さを測ります。体の質量 バランスの計測であることを理解しました。つまり、飲食量よりも少ない 量しか排出しなければ、体はむくんでくるので、病院はこのような計測 を行うのだと思いました。

危篤状態を過ぎると、これらの計測は中止されます。ある程度体力が回復し、 歩くことができるようになったので、計測は私が引き続いて行いました。

私のこどもたちが高校生にとき使った参考資料「食品分析表」などがあった ので、食品ごとのカロリーや水分量がわかります。それを利用して、私は ヒトのエネルギー収支と質量収支の計算を行いました。発汗量のみ直接的に 計測できないので、収支式の残差として汗による水分放出量を求めました。

(2)ヒトは何℃の変化を感じるか?
病室は温度コントロールされており、私は安静状態で二重毛布を掛けて寝て います。室温が上がると、体が熱くなって毛布を外します。温度が下がれば 毛布を掛けます。

ベッドの横には私物を入れるボックスがあります。そのボックスの横に、 寝たままで見える高さに寒暖計を取り付け、空調の入・切に伴う室温変化を 記録し、寒暖にともなう私の行動を観察しました。

4日間の観察の結果、日中の安静時において、体が熱くなって二重毛布を 外す温度は平均23.8℃でした。ばらつきは小さく、最大値はプラス・マイナス 1℃以内であることがわかりました。もちろん、この温度は患者の下着の 厚さなどによります。つまり、安静患者は、室温の1~2℃の違いが わかります。

(3)病室内の気温鉛直分布
気温鉛直分布を測ることになったのは、次のことによります。
140日も入院していれば、患者の状態により病室の移動があります。 手術後しばらくして北側の病室に移ったときのことです。朝方、私は寒くて 電気アンカを入れてもらいましたが、私とは反対側の窓際のベッドにいた 患者は暑いと苦情を言っています。

その部屋は4人部屋で、私のベッドは高さが50cmの低床、他の3人のものに 比べて20cmも低いものでした。これが問題なのかも知れないと考えま した。私のベッドは窓から離れた入り口側に置かれていました。

夜間は各ベッドの間にカーテンが張られるので、他人には気づかない 朝方に室温の鉛直分布をこっそり測ってみました。


図20.15にエネルギーの流れを表しました。太陽光エネルギーの1%程度を 利用して行われる作物の光合成エネルギー、つまりブドウ糖で代表すれば C6H12O6 をヒトが食料として摂取し、 ヒトは活動エネルギーとしています。

太陽・植物・ヒトへのエネルギー循環
図20.15 太陽・作物・ヒト・大気間のエネルギーの流れ (身近な気象の科学、図4.17; 水環境の気象学、 図1.2より転載; 本ホームページ「身近な気象」の「7.地球温暖化の話」 の図7.15に同じ)


人体におけるエネルギーと質量の収支を図20.16に示しました。これは私が 入院中に計測した結果です。

熱放出は1日平均100ワットです。2週間単位で測った1日当たりの発汗量 は724グラムでした。この発汗量は地球に当てはめれば、地表面の蒸発量 に相当します。

ヒトへの質量収支
図20.16 人体における質量収支と熱収支 (水環境の気象学、p.3-p.4)

病室は晴天が続けば高温になります。低温のときに比べると高温時の発汗量 は多くなりました。皆さん、それは当然のことと思うでしょう。

それを気象学の立場から考えてみましょう。世界各地について、地表面に 注がれる放射エネルギーが顕熱と蒸発にともなう潜熱に分配されるのですが、 その分配のされ方は、「ボーエン比の気温依存性」と呼ばれる法則に 従います。ボーエン比は気候を表す重要なパラメータであり、熱帯など 高温気候では蒸発量が大きいのに対し、寒冷地では同じ量の放射エネルギー が注がれたとしても、その大部分は地表面を気温より高温にして、顕熱が 多くなり、大気の加熱率は高温気候におけるよりも大きくなります。

地球も人体も、あるいは植物も同じ熱収支式を満たす関係にあり、気象学と いう狭い学問をしていても、人体生理学も考えながら研究すれば、面白く なってしまいます。原理は共通であり、量的に違うところが発見できれば、 それも楽しいでしょう。


先ほど話したように、同じ病室で、私は寒いと感じているのに、 他の方は暑いと言っていまいたね。

そこで、病室の気温鉛直分布を測った結果を次に示しましょう。

病室の温度分布
図20.17 病室内の温度鉛直分布、青線はエアコンの入る直前、赤線は温風が 噴出してから20分後の分布である。

図20.17の青線は、朝6時の暖房が入る直前の温度分布です。天井から床面まで の温度分布です。この温度分布を知りたいへん驚きました。私が学生のとき 取り組んだ極小低温層が病室の床の上にできているではありませんか。

この極小低温層は次のようにしてできたものです。夜間のガラス窓には カーテンが張られています。夜間は窓ガラスから熱が外へ逃げていきます。 これはガラス面が外の冷気で冷やされることと、天空の放射冷却によるもの です。窓ガラスの内壁では薄い冷気流が発生し、盆地で見たと同じように 冷気流はガラス内壁に沿って下降し、床にぶつかったのち、 床面上を水平にゆっくりと広がります。床面はその冷気流よりも高温です。

天井も高温であるため、極小低温層ができるのです。低いベッドの私が もっとも寒く感じるわけです。

朝6時になると暖房が入り、天井付近の暖気排出口から30℃以上 の空気が出てきます。温風開始20分後に測ってみると、赤線で示すような 鉛直分布となりました。高いベッドと20cm低い私のベッドのレベルでは 1.6℃も低温です。

先ほどの「(2)ヒトは何℃の変化を感じるか?」で述べたように、 1℃の差は安静にしている患者にとっては明確な違いです。


私は歩いて四国遍路をしたことがあります。年寄りで、しかも心臓の 悪い私でも、平均して1日につき30kmを歩きます。朝は日の出前に出発し、 日出を見れば感動します。

大方町入野
図20.18 高知県大方町入野松原の東側、2002年2月1日撮影。

図20.18は2002年2月1日の朝、高知県大方町の入野松原の東側で陸の方向を 撮影したものです。私の背中側には太平洋があり、日の出があります。 私は遊歩道を歩いています。左方に見える橋を渡ると入野松原の遊歩道に 入ります。そこにはキャンプ場があります。私は、日本一の散歩道だと思い、 そのことを地元の高知新聞に書きました (本ホームページの「所感」の「1.歩こ う地球環境のために」を参照)。

山麓に見える平地には煙が棚引いています。晴天ですので、夜間の放射 冷却によって地面付近が低温となり、大気は安定で、煙はほとんど混合されず に流れています。こんな風景や自然を眺めながらの遍路は楽しいのです。


図20.19は昨年(2006年)の9月13日の朝、北海道寿都から見た写真です。内陸で 発生した放射霧が暖かい海面上に流れ出ています。霧の帯は数kmの 距離にわたり、ほとんど拡散されずにいます。

放射霧
図20.19 北海道寿都から北東方向に見えた放射霧、2006年9月13日6時30分撮影 (霧の形状を見やすくするためにコントラスト強調)。
陸地内の霧の一部が港のクレーンの陰に入っているが、霧の上端の 背丈は陸上で高く、海に流出すると、流速が増して背丈が低くなると思う。 7時13分には海上を流れる霧はそのまま存在したが、陸地の盆地出口付近 では薄くなり、その数分後には海上、陸上ともに見えなくなった (「研究の指針」の 「25.北海道寿都の気温ジャンプ問題」の写真5に同じ)。

裸地面上にできる極小低温層も、他所で発生した冷気がほとんど消滅する ことなく、裸地面上に現れてくる現象であると、考えてよいでしょう。

以上は、私が50年前に行った極小低温層の研究と、その後の経過について 紹介させていただきました。

参考文献

近藤純正、1982:大気境界層の科学.東京堂出版、pp.219.

近藤純正、1987:身近な気象の科学.東京大学出版会、pp.189.

近藤純正(編著)、1994:水環境の気象学-地表面の水収支・熱収支. 朝倉書店、pp.348.

近藤純正、1997:一仕事二十年.退官記念最終講義、pp.116.

近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学-理解と応用-.東京大学出版会、 pp.324.

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