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七色の里
著者:近藤純正
成山の概要 『新之丞あわれなりけり春の山』 『梅雨晴れ間 朝日さしくる成山に 靄(もや)わき立ちて 天にとどけり』紙芝居「御用紙物語」にもあるように、新之丞祭り は、毎年3月5日に仏が峠の記念碑の前で行なわれていたが、 近年は過疎化により中止されている。 成山小学校は現在廃校となっているが、明治~昭和初期の時代、 成山村は児童生徒数も多く、村祭りも賑やかに行なわれていた。 施設と公園 「土佐七色の里」には自炊する設備もあり宿泊することができる。 ただし、寝袋等の寝具は利用者が持参することになっている。 前もって伊野町ほけん福祉課に連絡すれば利用できる (電話 088-893-3811)。 なお、「土佐七色の里」の現地管理人は西内チエコさん (電話 088-892-3807)。 仏が峠は「成山和紙の里公園」として整備されている。 そこには新之丞記念碑があり、その脇には伊野町作成の案内板がある。 うばが森(高森山、449m)は養甫尼が仁淀川から運んだ小石 を供えたと言われている。仏が峠より歩いて15分ほど で行ける。頂上からの眺めは素晴らしい。 成山の歴史 成山村(横藪、成山本村、北成山)についての資料(「七色の里= 成山小学校史」、昭和61年9月13日発行、編集委員長・岡尾昭生) によれば、1680~1720年の戸数は60余戸である。 1743年の戸数は103戸、人口は478名、耕地面積は収穫量で 表わすと97石余(コメに換算して14トン余)である。 小学校児童在校生の人数は明治43~昭和14(1910~1939)年には 61~86名、昭和21~31(1946~1956)年には41~54名、 戸数は53~58戸、人口は312~344名であった。 昭和14年の児童在校生77名から昭和15年に42名に激減したのは 横藪と陰地区の校区が伊野小学校に転じたためである。 昭和59(1984)年には児童数は1名となり、その1名が3月31日卒業し、 現在は廃校となっている。 昭和3(1928)年、成山村は神谷(こうのたに)村へ編入。 昭和29(1954)年、神谷村は伊野町へ併合。2003年現在の成山 (成山本村と北成山)の戸数は23戸である。 |
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