31.日蓮ゆかりの宝物
近藤 純正
日蓮上人(にちれんしょうにん、1222~1282)は1282年9月8日、病気療養
のために身延山(みのぶさん、現在の山梨県身延町)から常陸の国
(ひたちのくに、現在の茨城県)に向かう途中、現在の神奈川県平塚市の
要法寺に9月16日一泊の後、二十数日を経た10月13日に武蔵の国の池上
(現在の東京都大田区)で、その61年の生涯を閉じたといわれている。
平塚の要法寺に日蓮ゆかりの寺宝があると教えられ、2004年10月3日に見学
してきた。
要法寺は「平塚の塚」の隣にある。要法寺の庭には樹齢700年といわれる
サルスベリの木がある。
平塚の塚と要法寺
言い伝えとして、昔、桓武天皇の孫・高見王の娘・政子(真砂子)が
東国への旅の途中の857年、平塚の地で逝去し埋葬され、墓として塚が
築かれた。その塚が平らになったので里人はそれを「ひらつか」と呼んで
きた。これが平塚という地名の起こりだといわれている。
要法寺記念誌「法燈」(1991年)によれば、
次のように解説されている。
1282年に日蓮が平塚に一泊されたころ、平塚の塚は北条泰知
の屋敷内にあった。泰知は鎌倉幕府の第3代執権・泰時の次男であった。
その11年前の1271年9月12日、日蓮が龍の口(藤沢市)で処刑されようとした
とき、江の島のほうから光り物があらわれ、処刑人の刀が折れ、処刑人が
失神するという不思議な現象を見聞した泰知は、以来、深く法華経を信じ
日蓮に帰依(きえ、服従)するようになった。そうして世人の尊敬を集める
ところとなり、平塚左衛門尉泰知と呼ばれるようになった。
上述の1282年9月16日、日蓮が泰知の屋敷に一泊した日に行なわれたご説法に
深く感動した泰知は「北条氏に背こうとも、法華経のためならば」と
日蓮の直弟子となり、自らの館を献上して寺とすることを誓ったという。
日蓮より「要法寺」の山号をいただいて開山し、開祖・日蓮上人、
開基・松雲院日慈上人(平塚左衛門泰知)となった。
平塚の塚緑地(中に平ら塚がある) |
平ら塚(奥の赤屋根建物は七面堂) |
要法寺本堂 |
要法寺庭にある樹齢700年のサルスベリの木 |
要法寺の寺宝
寺宝は要法寺住職・守屋宣明氏(智心院日秀上人)に見せていただいた。
ここでは、多くの寺宝のうち、4品を紹介する。ほかに日蓮の手紙の
ひと切れ(長い手紙を切り、没後の形見分けにしたもの)もある。
曼荼羅(まんだら)とは、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれん
げきょう)」を中心とした諸尊の悟りの世界を表現したもの。多くの
表現方法があり、文字や色彩画、彫刻などで表したものがある。
赦免状は、日蓮が1271年10月に佐渡へ流罪となり、1年余のちの
1274(文永11)年2月に流罪を許されたときの書状である。
本ホームページでの写真公表は住職から許可を得たもの
である。
日蓮聖人真筆の曼荼羅(まんだら) |
日蓮聖人佐渡流罪を許す赦免状(1274年2月16日) |
真砂子愛用の桧扇(約1200年前) |
開基・平塚左衛門愛用のほらがい(約700年前) |
鎌倉時代の新仏教と蒙古襲来
高等学校の教科書「日本史」によれば、平安時代の空海(くうかい、774~835)
や最澄(さいちょう、767~822)は真言宗・天台宗をひらき、これが平安時代
の仏教の主流となった。真言宗は密教にもとづくものである。天台宗は
法華経(ほけきょう)の信仰を説いたものだが、同時に密教もとりいれた。
時代が下って、源平の争乱、さらに鎌倉時代の将軍・実朝の暗殺事件(1219)、
承久の乱(じょうきゅうのらん、1221)などがつづき、社会的変動が
すすんでゆくと、人々は不安におののくようになった。
こうした時代に生まれたのが鎌倉仏教である。それらの開祖は浄土宗の法然
(ほうねん、1133~1212)、浄土真宗の親鸞(しんらん、1173~1262)、
時宗の一遍(いっぺん、1239~89)、臨済宗の栄西(えいさい、1141~1215)、
曹洞宗(そうとうしゅう)の道元(どうげん、1141~1215)、そして日蓮宗
(法華宗)の日蓮(にちれん、1222~82)である。
日蓮は、法華経をもっとも正しい教えとして信仰し、「南無妙法蓮華経
(なむみょうほうれんげきょう)」をとなえることによってすべての人々
が救われると説いた。1260年、日蓮は39歳のとき「立正安国論」を著し、
国家に対して正しい仏教による世情の安泰を進言した。
第8代執権・北条時宗(1251~84)の時代、文永の役(1274)と弘安の役
(1281)の2度にわたり蒙古襲来にみまわれたが、大暴風によって元軍は
敗退した。しかし蒙古襲来から、鎌倉幕府は衰退へと向かうことになる。
総本山と大本山
日蓮宗総本山は山梨県身延山にある久遠寺(くおんじ)である。その下に
6つの大本山があり、東京都大田区の池上本門寺は大本山の一つである。
大本山の下には約30の本山が、さらに下には一般の寺があり、ピラミット
状の階層構造になっているという。