32.池上本門寺お会式
近藤 純正
日蓮上人(にちれんしょうにん、1222~1282)は1282年10月13日午前8時、
武蔵国池上(現在の東京都大田区)の郷士・池上宗仲の館で、61年の
生涯を閉じたといわれている。日蓮の歿後、池上宗仲が約7万坪の寺域を
寄進し、本門寺の礎が築かれ、以来「池上本門寺」と呼ばれるように
なったという。
2004年10月11日~13日に池上本門寺において日蓮の命日の法要が行なわれた。
この法要はお会式(えしき)とよばれる。
お会式初日(10月11日)
10月11日午前、お会式の前、境内に屋台が広げられる前、参拝者の少ない
時間に池上本門寺と大坊本行寺、及びその周辺を写真撮影した。
全5回の法要は大堂で行なわれる。11日11時の「歴代先師聖人並びに池上
法類・池上護山会先師報恩法要」に始まり、13日午前8時の「宗祖御入滅
(第723回)御正当報恩法要」まで続く。
五重塔の近くに「力道山墓所」の案内標識があり、五重塔から真っ直ぐ
北のほうへ行ったところに「力道山墓所」があった。
力道山(1924~1963)は朝鮮の生まれ、本名・金信洛、
日本名・百田光浩。
相撲界に入り関脇まで昇進したが1950年突然の廃業。
プロレスラーに転向。「空手チョップ」を武器に外国レスラーを倒し、
戦後の荒廃した時代に、日本人としての誇りと勇気を与え国民を熱狂させた。
当時の少年達は「空手チョップ」の真似をして憧れた。
池上本門寺の三門 |
大堂(法要が行なわれた堂) |
日蓮聖人像と文字板の拡大写真
(我 日本の柱とならん。我 日本の眼目とならん。
我 日本の大船とならん。) |
五重塔(1608年建立、重要文化財) |
本殿(1945年の空襲消失、釈迦堂の再建) |
御廟所(宗祖日蓮の御灰骨を奉安) |
歴代墓所(第四世以後の歴代貫首をまつる) |
宝塔(日蓮御入滅の折の荼昆所) |
お会式の法要(大堂の内部) |
大坊本行寺(日蓮御入滅之霊場) |
力道山墓所 |
三門下の参道、池上駅に至る |
お会式二日目(10月12日)
午後7時~11時に行なわれた万灯練り行列
(まんとうねりぎょうれつ)は、
日蓮臨終の時に桜が咲いたという言い伝えにちなんだもので、桜の花で飾った
万灯を掲げて、うちわ太鼓をたたき、纏(まとい)を振りながらねり歩く
イベントである。
この日は雨降りの天気であった。三門前に張られた無料休憩所のテントの中で
万灯練り行列の始まりを待っていた時、日蓮の臨終の時に咲いたという桜が大
坊本行寺の庭に咲いていると教えられた。行ってみるとほんとうに咲いて
おり、立札にお会式桜と説明されていた。
暗くなってから、うちわ太鼓の音が聞こえ始め、万灯練り行列の一行が次々と
階段を登ってきた。一行は三門をくぐり、お題目「南無妙法蓮華経(なむ
みょうほうれんげきょう)」と高らかに唱えながら、大堂に進む。
参拝グループの衣装の配色、均整のある隊列、一心に唱えるお題目。こうした
グループの姿には感動を覚える。大堂内の赤じゅうたん、朱の柱、桜の飾り
なども美的である。
以下に掲げた万灯と纏(まとい)の写真は、多数の中のほんの一部である。
総門下の寺院、桜花で飾った万灯 |
大坊本行寺の日蓮「御臨終之間」、法要中 |
お会式桜(右手奥が御臨終之間) |
お会式桜の花 |
うちわ太鼓をたたき南無妙法蓮華経を唱える |
雨の中で経を高らかに唱える参拝人一行 |
万灯A |
万灯B |
万灯C |
万灯D |
まといを振りかざす人たち |
大堂内で太鼓に合わせて経を唱える参拝人 |
お題目「南無妙法蓮華経」
この題目は日蓮宗(法華宗)三大秘法の一つである(広辞苑による)。
日蓮は、法華経の功徳(くどく)すべてが南無妙法蓮華経の七文字に
こめられていると考え、この題目を唱えることが何よりも重要な修行とした。
つまり、法華経の内容をすべて信じ、この教えに従うことである。