26.鎌倉五山とハイキング

近藤 純正

流鏑馬(やぶさめ)があった日(2004年4月18日)に、見物人のひとりから、 「鎌倉には寺はたくさんありますが、その中で『鎌倉五山』と呼ばれる寺が あります」と教えていただきました。 鎌倉五山を訪ねるうちに、鎌倉を取り巻く山の尾根伝いにハイキングコース があることも知りました。

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鎌倉五山
鎌倉五山を調べることにしました。境内の案内板を読んだり、 高等学校日本史の教科書から勉強しました。日本史の教科書は 歴史的な関係が簡潔に書かれています。源氏、平氏、北条氏、足利氏など の系図もあります。現代の仏教の代表的な宗派である浄土宗(開祖:法然)、 浄土真宗(開祖:親鸞)、日蓮宗(開祖:日蓮)ほかは、鎌倉時代= いまから800年ほど昔=に新仏教としてうまれたものです。

鎌倉時代に、執権であった北条氏は中国の五山制度を導入し、鎌倉の主な 禅寺を五山と呼ぶようになりました。

観光客の少ない朝の時間帯に境内を散策すると心が清浄な気分になります。 これが寺の存在意義のように思いました。 境内・外で写生をする人も見かけます。 彼らは、静かな雰囲気できっと幸せな心で過ごしているように思いました。

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備考「平氏と源氏の略系」(中世の歴史)

建長寺
鎌倉五山の第一位

臨済宗建長寺派の大本山。 第5代執権・北条時頼が1253年に創建したわが国最初の禅寺。 創始者の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう、1213~78)は、中国から 33歳の時に来日した。一時は千人を超える修行僧を指導した。 境内奥の山の中腹に半僧坊があり、その上の展望台からはハイキング コースにつながる。

三門(三解脱門の略):下を通ると心が清浄に


梵鐘(国宝)、1255年の鋳造

柏槙(ビャクシン)、樹齢750年、胸高周囲6.5m


半僧坊大権現に寄進された天狗像、12体ある

半僧坊の上の展望台から見下ろした建長寺

円覚寺
鎌倉五山の第二位

時頼の子である第8代執権・北条時宗が1282年、文永・弘安の役(蒙古軍 の来襲)に戦死した敵味方両軍の菩提をとむらうために創建した。 国宝の舎利殿は中国から 伝えられた「唐(から)様式」を代表する建造物である。また、国宝の 洪鐘(おおがね)は鎌倉時代の代表的な梵鐘である。

円覚寺三門、奥に仏殿


舎利殿への道、方丈脇で写生する人

中国から伝えられた唐様式の舎利殿(国宝)


国宝洪鐘へ上る木立の道

洪鐘(おおがね、国宝)、北条貞時1301年寄進

寿福寺
鎌倉五山の第三位

源頼朝の妻・北条政子が1200年に創建。最初は密教系寺院であったが、 その後宋風の禅寺となって発展した。この裏山には北条政子とその子・ 源実朝(第3代将軍)の墓がある。この墓の上の尾根道はハイキングコース となり、源氏山公園を経て浄智寺(鎌倉五山第四位)へ、あるいは分岐して 大仏へ至る。

写生する人と、修学旅行の山梨の小学6年生


寺の裏山にある墓地

北条政子の墓、右方約10mに源実朝の墓

浄智寺
鎌倉五山の第四位

北条時頼(第5代執権)の孫・師時(もろとき、第10代執権)が1281年に創建。 境内には鎌倉十井の一つ・甘露(かんろ)の井がある。1356年の火災で 初期の伽藍を失うが、室町時代には主要な堂、庵、院が建ちそろっていた。 この寺から南へ尾根伝いにハイキングコースがあり、第3位の浄智寺へ、 あるいは分岐して大仏方面へ行くことができる。

二階に鐘をさげた楼門(石川丈山は下の注参照)


散策しているうちに心が和む

布袋(ほてい)に参る人たち

(注)寺の案内人に尋ねたところ、写真に写っている「山居幽勝(さんきょ ゆうしょう):山の住居はいいところ」を書いた石川丈山(1583~1672) は徳川家康に仕えた武将でありましたが、のちに文人となり京都に詞仙堂を 構え風流三枚の生活をおくった人だと教えていただきました。

浄妙寺
鎌倉五山の第五位

源頼朝の忠臣・足利義兼(よしかね)が1188年に創建。 はじめ東の極楽寺と呼ばれていたが、のち浄妙寺と改められた。 他の四山が北条氏と関係が深いなかで、本寺は足利氏の保護にあった。 本堂うらの墓地に足利貞氏(さだうじ、1277~1331)の墓がある。 (注)足利8代目の尊氏(たかうじ、1305~58)は室町幕府の 初代将軍であり、貞氏は尊氏の父にあたる。

本堂と庭園、写生する人が見える


本堂前でぼたんの花を写生する人

足利貞氏(尊氏の父)の墓



ハイキングコース
「鎌倉五山」を訪ねるうちに、素適なハイキングコースがあることを知り ました。鎌倉は山に取り囲まれた地形であるがゆえ、それが自然の障壁 となるので、源頼朝はここに幕府を開いたのでしょう。 ハイキングコースは山の尾根伝いにつくられています。 「鎌倉五山」の第四位・浄智寺から南の方向へ向い、源氏山公園を経て 第三位・福寿寺、あるいは分岐して大仏・長谷寺方面へ通じるコースが あります。この一帯は鎌倉の西の障壁となっていたことでしょう。
「鎌倉五山」の第一位・建長寺の半僧坊の上の展望台からは、東の方向へ向い、 天園ハイキングコースを経て瑞泉寺や「鎌倉五山」の第五位・浄妙寺へと つながります。この一帯は鎌倉の北の障壁となっていたのでしょう。

(Ⅰ)大仏コース
まず、西の障壁となっていたハイキングコースから紹介しましょう。 北鎌倉駅から浄智寺、源氏山公園を経て福寿寺の裏山まで歩きます。 そこから源氏山公園まで引き返して、ふたたび南へ尾根伝いに歩きます。 途中で、樹木の間を飛び渡るリスに出会いました。やがて、平地へ下りて 鎌倉大仏、光則寺、長谷寺を過ぎます。コースには所々に道案内板があり、 安心して歩くことができました。江ノ島電鉄長谷駅の南で、西進して 極楽寺坂の成就院を経て、江ノ島電鉄極楽寺駅に至ります。 このコースの距離は約6km、高いところの標高は約90mです。


執権政治を後醍醐天皇の親政にすべきとして、幕府に捕らわれた 日野俊基を祀る葛原岡神社

魔が去るように願いを込めて盃(100円)を当てれば幸せを勝ち取れる という石「魔去ル石」

源氏山に座して相模湾を見る将軍・源頼朝の像

ハイキングコースから見下ろした寿福寺の裏山

大仏への途中、鎌倉市街と相模湾を望む

林間のハイキングコース

極楽寺坂の成就院から見下ろした由比ヶ浜

関東の駅100選、江ノ島電鉄極楽寺駅


(Ⅱ)天園コース
次に鎌倉アルプスとも呼ばれているコースを歩いてみました。 北鎌倉駅から、円覚寺前を経て、建長寺の境内を北進し 半僧坊の上の展望台に登ります。そこから東へ走る尾根伝いに歩き、 太平山から進路を南にとり、天園(六国峠)を経て瑞泉寺の近くに下り ます。瑞泉寺の庭園を見たのち、平地にある鎌倉宮を経て、源頼朝の 墓所に至ります。このコースでもリスに出会いました。そこから鶴岡八幡宮 を経て鎌倉駅に至ります。尾根沿いのハイキングコースにも、平地にも 道案内板があり、迷うことなく歩くことができました。 コースの距離は約9km、高いところの標高は約140mです。


尾根に横たわる岩、シルト岩と砂岩の互層か
太平山の岩場のコースを登る小学生

天園(六国峠)から眺めた鎌倉市街と稲村ヶ崎
横須賀からきた約300人の高校2年生

尾根の岩に掘った横穴内の墓
江戸時代から知られた黄梅の古木、瑞泉寺境内

足利尊氏に捕らえられた護良親王が1334年11月から9ヶ月間 幽閉されていた土牢の入り口(内部は深さ4m、広さ4m四方)、 鎌倉宮本殿裏
源頼朝の墓。右方に見える小石は、同母弟・希義の墓所(高知市介良)に あった土と石を1994年に交換したもので、死後の兄弟を再会させている

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