K132.東京の都市化と湧水温度―熱収支解析(2)


著者:近藤純正・松山 洋
湧水温度は、その周辺の地表面における熱・水蒸気交換の環境パラメータによって決まる。 前報では2月と10月の湧水温度の平均値を年平均値とみなして地表面の熱収支式を解き、 東京都内の湧水の水温・気温差(=水温-気温)が地中水の涵養域(周辺の0.1km2 ~1km2の範囲)の都市化率とともに大きくなることを示した。 その後、湧水温度の季節変化を観測してみると、2月と10月の観測だけでは不十分な地点や、 その他の問題点もわかってきた。それら湧水地点については詳しい観測を継続すること とし、今回は湧水9地点について他の年代も解析した。都市化率が大きいほど地表面の 蒸発効率が小さくなる関係を確認した。(完成:2016年6月24日、7月6日:ママ下湧水と 子安神社の水温を追記)。

本ホームページに掲載の内容は著作物である。 内容(新しい結果や方法、アイデアなど)の参考・利用 に際しては”近藤純正ホームページ”からの引用であることを明記のこと。

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更新の記録
2016年6月11日:素案の作成
2016年6月23日:「まとめ」に水温観測に必要な精度などを加筆
2016年6月24日: 湧水名のミスプリントを訂正

  目次
      132.1 はじめに
      132.2 湧水の問題地点
       ママ下湧水
       子安神社
   132.3 解析方法
   132.4 湧水の水温・気温差の経年変化
   132.5 水温・気温差の計算方法
   132.6 都市化率と蒸発効率
   まとめ
      引用文献



132.1 はじめに

湧水の涵養域における環境変化は、湧水温度の変化として現れる。環境変化として地球 温暖化、都市乾燥化、土地被覆状態の変化の3つがある( 「K130.東京の都市化と湧水温度―熱収支解析」)。

湧水温度と気温の差(=水温・気温差)は、温暖化とともに小さくなり、さらに乾燥化と ともに小さくなるが、地表面の被覆状態が都市化(舗装化・ビルの増加)すると大きく なる。

宮野ほか(2013)は、鉛直一次元の地中水の移動に関する計算に基づき、各湧水の涵養域 の面積として0.1km2~1km2(300m平方~1km平方)であることを 推定している。それゆえ、この面積内の環境変化が湧水温度に現れることになる。

水温は化学的物質の溶解を引き起こすなど水質にも影響を与えるので、湧水温の長期的 観測・解析・将来予測は重要な課題である。

湧水温度は地表面の年平均気温とほぼ同じであり、地表面温度は地表面の熱収支によって 決まる。それゆえ、湧水温度の観測からその地域の熱交換速度ChUと蒸発効率βを知ること ができる。

ChUとβは、地域の地表面温度と顕熱輸送と蒸発散量を決める熱・水蒸気交換のパラメータ であり、重要な気候パラメータとも言える。βが小さい砂漠・都市ビル街では、βの大きな 水面・植生地に比べて高温になる。

通常、地域のChUとβを決めるには、高い観測塔の上で顕熱と潜熱の乱流フラックスを 観測する方法がある。この観測を長期間行なうことは困難であり、観測データの品質管理 の作業は容易ではない。これに比べて、湧水温度の観測は労力・予算の面で桁違いに楽で、 高い精度も得られるので、環境変化をモニターする方法として推奨したい。

前報「K130.東京の都市化と湧水温度―熱収支解析」では、 蒸発効率βがマイナスと評価された地点(ママ下湧水)があった。β<0はありえなく、 次のいずれかであることを指摘した。

(1)年平均水温または水温・気温差の推定値は1℃ほど過大である。
(2)一律にChU=0.02m/sを用いたが、ママ下湧水のみChU=0.01m/sの可能性がある。
(3)人為的な熱として30W/m2程度が加算されている可能性がある。

本論では、これら問題点を明らかにするための調査を行うとともに、問題点のない湧水に ついては、前報で対象としなかった別の年代について追加解析を行い、前報の結果をより 確実なものとしたい。


132.2 湧水の問題地点

上記の(1)~(3)に注意して、ママ下湧水のほか、その他の全湧水について現地調査を 行った。

ママ下湧水
この湧水の涵養域を歩き、他と著しく異なる状況はないか観察した。また2月と10月以外の 他季節の湧水温度も測ってみると、次のことがわかった。

最近の湧水温度について、2015年2月は18.0℃、10月は19.2℃、2016年2月は18.2℃である。
その後の2016年の湧水温度は、
17.2℃(5月8日)、17.1℃(6月12日)、17.37℃(7月6日)、・・・・

この結果から明らかなように、これまでの2月と10月の平均値は実際の年平均水温よりも 高く観測されている。年平均水温が明確になるまで、当分の期間について湧水温度の観測 を続けることにし、ママ下湧水は今回の解析では除外する。

子安神社
ママ下湧水と同様に調べた。

最近の湧水温度について、2015年2月は16.9℃、10月は17.3℃、2016年2月は17.0℃である。
その後の2016年の湧水温度は、
5月16日:16.6℃(東方の湧き出し口)と17.1℃(北方の湧きだし口)
7月06日:16.61℃(東方の湧き出し口)と17.03℃(北方の湧き出し口)


子安神社の湧水は、長い石垣の下端から湧き出しており、数m離れただけで水温が0.5℃ (5月17日)、0.43℃(7月6日)
ほど異なることがわかった(図132.1を参照)。

子安神社の湧水
図132.1 子安神社の湧水、石垣の下端から湧き出している。矢印の「東」と「北」で 湧水温度が異なる。


地中水の「水みち」は複雑であり、途中に住宅の下水管の近くを経由していれば人工熱の 影響が含まれる。あるいは、途中に地表面に近い層を経由していれば、数日前までの気温 の影響を受けて水温が変わる、などのことが考えられる。

この湧水についても当分の期間について観測を続けることとし、今回の解析から除外する。

132.3 解析方法

解析方法は前報「K130.東京の都市化と湧水温度―熱収支解析」 で説明した。ここでは要点のみ述べる。

本研究で対象とする湧水点
今回の対象とする湧水は、(1)明治神宮、(10)稲荷山憩いの森、(11)親水公園、 (12)竹林公園、(14)真姿の池、(15)貫井神社、(16)野川公園、(22)黒川清流公園、 (29)芹ヶ谷公園の9地点である(図132.2)。

前報の湧水11地点から(27)ママ下湧水と(28)子安神社を除外してある。また、前報と 同様に、豊水期と渇水期の水温差が大きく年平均水温の推定値に誤差を含む可能性のある (9)大泉井頭公園、(20)矢川緑地、(21)拝島公園、(24)白滝神社の湧水について も今回の解析から除外する。

東京湧水地点の分布図
図132.2 本研究で対象とする湧水の分布。番号は観測地点に対応する。 星印は東京の大手町露場、□印は府中アメダスを示す(宮野ほか, 2013の 図1に加筆)。(「K130.東京の都市化と湧水温度―熱収支解析」 の図130.1に同じ)


用語の略称
都市化率:都市的土地利用率の略称として用いる(%)
水温・気温差:湧水の水温と気温の差、プラスは水温が気温より高温

熱収支解析の方法
湧水点は都内の広範囲に分布しているので、各点の年平均気温は大手町露場と府中アメダス の観測値から推定する。

大手町露場の気温は、明治神宮や代々木公園、新宿御苑、北の丸公園にある広い芝地上の 気温とほとんど同じで、東京都心部を十分に代表することが確認されている (「K116.東京都心部の代表気温-大手町露場の代表性(完結報)」)。 図132.3は南関東~静岡県のアメダスデータによる2011~2015年の5年間平均気温を用いて 作成した標高ゼロ面に換算した年平均気温の分布図である。気温の高度減率として 0.0065℃/mを用いてある。図132.4は都内の湧水地点周辺の拡大図である。

東京周辺気温分布図
図132.3 東京周辺の年平均気温の分布、標高ゼロの換算値、単位℃(2011~2015年の平均) (図130.5に同じ)。

気温分布拡大図
図132.4 前図の拡大図、標高ゼロの換算値、単位℃(2011~2015年の平均) (図130.6に同じ)。
 +印はアメダス
 *印は気象官署の露場(大手町、北の丸、横浜、千葉)
 〇印は湧水地点。


湧水地点の多くは府中アメダスの周辺に、(1)明治神宮は大手町  に近く、(10)稲荷山憩いの森と(11)親水公園は両気象観測所の中間に位置している。

各湧水地点の各年の平均気温は次式によって推定する。
2011~2015年の大手町・府中の平均気温の標高ゼロ面換算値=16.2℃である。それゆえ、

(各湧水点の気温-16.2℃)=標高ゼロ面における気温地域差補正量
各湧水点の各年気温=(大手町・府中の各年平均気温)+(標高ゼロ面における気温地域差 補正量)

例えば(1)明治神宮の気温=16.5℃、ゆえに補正量=+0.3℃であり、(10)稲荷山憩いの 森の気温=15.95℃、ゆえに補正量=-0.25℃となる。各湧水地点の補正量は後掲の表132.1 に他の資料とともにまとめてある。

以下では、湧水温度も標高ゼロ面に換算した値を図示する。

132.4 湧水の水温・気温差の経年変化

湧水温の年平均値は豊水期と渇水期の観測値の平均値とする。その際、渇水期(2月測定) は湧水量が少ないこともあって、観測値のばらつきが大きいので、豊水期に重みをつけて 次式を用いる。

年平均水温=豊水期水温/2+(当年渇水期水温+翌年渇水期水温)/4

当年渇水期水温が欠測の場合は、当年豊水期水温と翌年渇水期水温の平均値とする。

図132.5は湧水9地点の豊水期と渇水期の水温および年平均水温の経年変化である。黒丸印 で示す年平均水温を以下の解析で用いる。

図132.6は標高ゼロ面換算の水温と気温および水温・気温差の経年変化である。

9湧水の水温
図132.5 湧水9地点における水温の経年変化(現地標高における観測値)。
 青印:豊水期観測値
 赤印:渇水期観測値
 黒塗り印:平均


9湧水の水温気温差
図132.6 湧水9地点における水温、気温、水温・気温差の経年変化(標高ゼロ面の 換算値)。
各湧水地点について、
上段:水温(丸印)と気温(小赤四角印)
下段:水温・気温差


132.5 水温・気温差の計算方法

湧水の水温・気温差は地表面の蒸発効率βによって変わる。地表面の被覆状態が都市化 (舗装化・ビルの増加)するとβは低下する。そこで、あらかじめ熱収支の計算により βをパラメータとした年平均気温と水温・気温差の関係をグラフに作っておく(後掲の 図132.7)。そのグラフに気温と水温・気温差の観測値を当てはめて各湧水地域のβを 求める。

熱収支の計算方法の要点:地表面の熱収支式を逐次近似の方法で解き、顕熱輸送量、 潜熱輸送量および地表面と気温の差(Ts-T )の3要素を求め、(Ts-T)を気温の関数と して表す。計算式などは近藤、1994、「水環境の気象学」の6.2.1節の(1)厳密解法に 示されていて、計算プログラムは近藤、2000、「地表面に近い大気の科学」の付録Fの プログラムを基に少し改変したものによる。

東京都内の計算には次の条件を与える。
気温:T=12~19℃
相対湿度:rh=0.62
地表面の交換速度:ChU=0.02m/s
地表面の蒸発効率:β=0~0.2
有効入力放射量:(R↓-σT)=70W/m2

ここに、
入力放射量:R↓=(1-ref)S↓+L↓
S↓:日射量
L↓:大気放射量
ref:日射に対する地表面アルベド
ここでは簡単化のために、地表面は長波放射に対して黒体とみなす(ε≒1)
T:日平均気温
σ:ステファン・ボルツマン定数(=5.67×10-8W m-2K -4)である。

地表面の交換速度ChU=0.02m/sは、森林(0.03m/s)と芝地など低い植物や都市(0.01m/s) の平均的な交換速度の中間値である。参考までに、風速観測高度=10~15mのときの 芝地ではChU=0.006m/sである(「K131.気象観測露場(芝地)の交換 速度」)。

地表面の蒸発効率β=0.2は森林(夏にβ=0.3、冬にβ=0.07程度)の年平均状態を想定 した値である(「K123.東京都心部の森林(自然教育園)における 熱収支解析」)。

132.6 都市化率と蒸発効率

宮野ほか(2013)では、東京都内の26の湧水の涵養域について都市的土地利用変化率 (1994年~2000/2001年)、および都市化率(2000/2001年)の一覧表が示されている。 それゆえ、1994年時点の都市化率が求められる。1994年から2000/2001年の短期間に都市化 率が10~20%ほど増加した地点がある(表132.1)。前報では2000/2001年に対する蒸発効率 を得たが、本論では1994年に対する蒸発効率を求める。そして、両結果をまとめる。

蒸発効率βをパラメータとして、水温・気温差と気温の関係を図132.7(ChU=0.02m/s)に 示した。この図を利用して、水温・気温差の観測値をあてはめて蒸発効率βを推定する。

ChU0.02水温気温差
図132.7 水温・気温差と気温の関係、パラメータは蒸発効率β(ChU=0.02m/s) (図130.15に同じ)。


図132.7から推定した蒸発効率βと都市化率を図132.8と表132.1に示した。
明治神宮の湧水の涵養域の蒸発効率β=0.25前後に対して、都市化率が80%地点では β=0.1前後である。蒸発効率は都市化率の増加にしたがって減少する傾向にある。

都市化率と蒸発効率
図132.8 都市化率(都市的土地利用率)と蒸発効率βの関係。

表132.1 都市化率(都市的土地利用率)と蒸発効率β、その他の資料一覧。
湧水地点の緯度経度など一覧表

参考のために、草地など他の地表面に対する蒸発効率として、 β=0.3~0.4(草地など)、0.5~0.7(水田:日中)もプロットしてある。

Moriwaki and Kanda(2006)は東京久が原の住宅地に設置した高さ29mの観測塔に おいて、乱流の渦相関法によって観測した顕熱・潜熱輸送量からβ(≒0.04~0.1)を 求めている。今回のβ(年平均値として有効)は草地・牧草地や都市住宅地で得られて いる値と矛盾していない。


まとめ

地中温度に数年間なじんで湧出する湧水温度は、地中の深度数m~10mの温度に近い。 人為的な熱が無視できる場合、地中温度は境界条件の地表面温度によって決まり、地表面 の年平均温度に等しくなる。それゆえ、地表面熱収支式を解いて得られる地表面温度と気温 の差(温度差の計算値)の年平均値は湧水の水温・気温差に相当する。

年平均の有効入力放射量、気温、湿度および地表面の交換速度ChU(=0.02m/s)を与え、 蒸発効率βをパラメータとして湧水の水温・気温差が表される(図132.7)。 地中水の涵養域(周辺の0.1km2~1km2の範囲)の地表面状態が 都市化(建築物の増加・舗装化)すると、湧水の水温・気温差は上昇する。

東京都内の湧水9地点について都市化率とβの関係を求めた。都市化率ゼロでは β=0.2~0.3であるが、都市化率が増加するにしたがってβは0.1前後に減少することが わかった(図132.8)。

注意:
本論文では交換速度ChUとして、森林(ChU=0.03m/s)と芝地など低い植物や都市 (ChU=0.01m/s)の平均的な交換速度の中間値としてChU=0.02m/sを仮定したが、 厳密には都市化率や住宅・ビルの詳細分布などによって変わる。

それゆえ、正しくは、湧水の水温・気温差の観測値から得られるのはChUとβが組み 合わさったパラメータ(ChU、β)である。たとえば、ある湧水地点について、 (0.02m/s、0.2)(0.025m/s、0.15)・・・・という曲線で表されるパラメータが得ら れる。この曲線パラメータが時代とともに都市化率の変化によって変形していくことに なり、図132.8は3次元の図で表されることになる。

3次元の図では複雑になるので、本論では、代表値ChU=0.02m/sとした場合のβを2次元の 図に表したのである。

今後の課題:
(1)湧水温度の2月と10月の平均値が年平均値と大きく違う「ママ下湧水」などについて は、湧水温度は年に6回程度測定しなければならない。「ママ下湧水」などについては 今後、頻度の高い観測から別途の解析を行いたい。

(2)東京都内は都市化の進んだ地域である。これとは異なる地域の湧水についても水温の 観測を行い、環境の違いが蒸発効率として得られるかどうか確認したい。埼玉県熊谷の 田園地帯、神奈川県秦野市の湧水数か所において観測を開始している。

湧水には、まちおこし・観光用に加工されたものがあることに注意しよう。加工とは、 湧水源泉から駐車場の下を通したパイプでひいてきたものなどがあり、水温観測に適して いないものも少なくない(例:秦野市「まいまいの泉」など)。例えば、晴天日中の 数時間後に水温を測ってみると、0.2~1℃ほど変化する。あるいは数日後に測ると異なる 水温が得られることから本物か、加工湧水かに気づくことがある。加工の有無については 地元の人々に訊ねて、湧水の観測点を決めることができる。

水温観測の精度:
環境変化による水温の変化幅は最大2℃である。それゆえ、環境変化を知るために必要な 水温の精度は0.1℃である。5千円程度、1万円以下で市販されているサーミスタ- 温度計の精度は、多くの場合、1℃とされており、検定しても0.2℃前後の不安定性を含む ことがある(今後、さらに確認する予定)。

参考までに、
筆者は、較正表付き0.1℃目盛の金属ケース入りの水銀水温計(吉野計測社製:約8,000円) と検定表付きフース型水銀温度計、およびPt1000の水温計センサー (立山科学工業社製、約2万円)+おんどとり(T&A社製、TR-55i-Pt, 約18,000円)を 標準温度計で検定したものを使っている。


引用文献

近藤純正(編著)、1994:水環境の気象学―地表面の水収支・熱収支―.朝倉書店、 pp.350.

近藤純正、1998:種々の植生地における蒸発散量の降水量および葉面積指数への 依存性.水文・水資源学会誌、11、679-693.

近藤純正、2000: 地表面に近い大気の科学. 東京大学出版会、pp.324.

宮野 浩・泉 岳樹・中山大地・松山 洋、2013:東京都内の湧水温の長期変化に関する 研究-土地利用との関係に着目して-.地学雑誌、122、822-840.

Moriwaki, R. and M. Kanda, 2006: Scalar roughness parameters for a suburban area. J. Meteor. Soc. Japan, 84, 1063-1071.

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