日本の政治・経済の不調の原因
形式知優先社会は暗黙知を失い国は亡ぶ
追補ー1 政治家、官僚、学者について
政治家
戦後の長期自民党政権にガタがきて非権威主義的な民主党に政権に移り、理系が首相になったりしたが、理系の思考・行動様式を理解できない官僚
を使いこなすことができず、同じく理系の思考・行動様式を理解できない売文業のマスコミを敵に回し、文系リーダーに交代するころは国民に飽きられて自民
党が
政権に返り咲いた。自民党は無論ほとんど旧式の文系である。選挙による権力の交代は必要悪だが、自民党に交代することはよしとしてそのリーダーの安倍晋三
(成蹊大学法)
が12年
も前にクルーグマン
が提唱した日本が陥った「流
動性トラップ」
から脱するためのインフレターゲットという金融政策を、国の借金が更に積みあがったこの時期に採用しようとするなど、かなりアナブナイ。当時
宮沢喜一(東大法)大蔵や速水優日銀総裁(東京商科大)の時なら良かったかもしれないが、彼らオールドボーイは後ろ向きであったのだ。また安倍総裁の主張
する日銀(新発国債)引受は1932年の大恐慌の折り時の高橋是清蔵相(医師ヘボンの私塾、現・明治学院大)がはじめたものだが。戦
後の超インフレの元となった。2012年の自民党をみているとなにか博物館に入り込んだような錯覚に陥る。投資家はアベノミックスを歓迎しているがこれは
バブルとなりやがてはじける運命だろう。
1989年の日本のバブ
ル崩壊の時に一旦株を買いに行って、日本国内投資家の追随買いを誘ってから売りぬけ、空売りに転じて巨万の富を稼いだロスチャイルドやヘッジファ
ンドは好機到来と日本売りで暴利をむさぼろうと情報を集めているとソロスのファンド運営チームにいたフジマキはいっている。2006
年サブ・プライムローンバブル(リーマン・ショック)に起因する金融不安で各種通貨から逃げた資金が日本円に集まり、超円高に振れ輸出産業に大きなダメー
ジを与えたわけで、これで日本財政に疑惑が生ずればこのヘッジファンド資金が逃げ出すため、国債が高金利となりハイパーインフレが始まる。
自民党に投票した人々はさすが安倍と思っているのかもしれないが、敵は騒がしい中
国ではなく、音もなく資金をかっさらうヘッジファンドではないか?すでに米帝国はなく、世界のトップに君臨しているのはこういう国境を自由に越えて金の流
を制御
する連中ではないか?安倍さんしっかりしてください。
こうい
うプアな人間が長く政権にとどまり、憲法を改悪されては困る。
こういう弱い人はすぐ愛国心とか右翼的なもので自分の権力を維持しようとする。企業と同じく、我が日本をミスリードしそうだ。こういう自民党の二代目ボン
クラ政治家共は国民が選んだと言っても困っ
たものだ。なにが恐ろしいというかというと自民党の憲法改正案を作っている西田昌司(滋賀大経)と片山さつき(東大
法)が「主権は国民にな
い」とか「天賦人権論はやめよう」といって基本的人権条項さえ抹殺しているという。西田昌司のお友達で安倍チルドレンの稲田朋美(早稲田法)などはほとん
どネトウヨだ。参院戦で自民がかてば彼らはナチのように権力をふるう可能性がある。そしてみな文系だ。これがこうなったのも衆愚の結果なのかもしれない。
エリート官僚は権力維持に異論はないだろうから困ったものだ。
中国に対抗するには戦争はできないのだから国際協定しかない。いまのところ米国議会は日本側にたってくれている。これは中国にとって手ごわいことだ。私は
憲法改正しなくとも自然法にしたがう集団的自衛権を解禁すれば米国への借りは返せると思う。石頭の内閣法制局の解釈を変えさせればよいだけのことではない
かと、これは外務省の役人だった岡崎元大使の見解の受け売りだ。無論、自衛隊の諸君には覚悟をしてもらわねば。
シリコンバレーのベンチャーキャピタルKPCBのサイトを覗くと米国は今のままでは2025年までに破産すると予言している。農業などへの無駄な補助金、
軍事費、年
給、医療保険をすべて削って国民皆で痛みを分かち合わなければ、米国は持たないと警告している。むろん日本は負債が大きいだけ、もっと早く破綻するという
こ
とになる。政治家に求められている資質はどういうものかわかるだろう。
戦後世界で日本的ロビー活動をしたのは戦前の指導層の生き残りである。満州国を専横した「二キ三スケ」( 東條英機 、 星野直樹 、 鮎川義介 、
岸信介
、松岡洋右 )に加え、後藤隆之助
、橋本清之助、古野伊之助などの浪人タイプを「三ノスケ」とよぶ。岸信介などはどういうわけか極東裁判をすりぬけて戦後政治を我がものにしたが、橋本清之
助も電力業界のロビーとして強大なる力をふるった。東電の社内にあったトラの絵をかかげた事務所に陣取り、原発導入の全体を指揮した。橋本は米国で研究し
ていた嵯峨根遼吉を呼び戻して赤の思想に染まっているとされた研究者を抱える日本原子力研究所の所長に据えた。しかし導入技術選定に関し、しばしば意見を
変えるのは民を惑わすとして更迭し、後任に文系のトップを据えるということをした。彼ら文系的政治屋にとって「武士に二言はない」が唯一の力の源泉なの
だ。以後、日本原子力研究所は新型炉を生むわけでもなく、ただ録を食んでいるだけである。橋本清之助は「われわれ原子力関係者は社会とファウスト的契約
を結んだ。すなわち、われわれは社会に原子力という豊富なエネルギー源を与え、それと引きかえに、これが制御されないときに、恐るべき災害を招くという潜
在的副作用を与えたのである」という 言葉を残している。彼は原子力の怖さを知っていたのだ。ただ「武士に二言はない」の文系的魔術に拘泥したのである。
経済学者
日本の製造業を破壊し、空洞化させた犯人は貨幣供給量を欠乏状態にした金融政策にあるから日銀は国際を多量に買い込んでデフレをだっきゃくすればよいと主
張する浜田宏一のような学者もいる。無論、貨幣供給量を増やせば輸出産業は助かる。しかしそれでも物の過剰供給は価格を下げる。貨幣と物の需給バランスで
きまるわけでから、浜田氏は物事の半分しかみていないのだ。
経済学は文系のなかでも最も理系的と言われてきたが、どうも似非科学ということが分かってきた。クルーグマンはケインズの一般理論を変動為替相場制に拡張
したマンデル・フレミング定
理に従ってインフレターゲットという金融政策を提言したのだが、ケインズの「一般理論」の前提になっている需要と供給は等しいということはエマニュエル・トッドの
指摘の通り、貿易の自由化により世界規模で拡大した労働所得の縮小は増大する生産を吸収する力を失わせるだけで最早成立していないのだ。実態はグローバル
化によって供給は需要を上回っているわけで、近代経済学の前提条件は崩壊している。だからクルーグマンの処方箋にしたがってもだめなのだろうと察しがつか
なければいけない。実態は総需要停滞による景気後退を防ぐためにアメリカは世界経済にとってのケインズ的国家になっている。こうしてアメリカはグローバル
化された経済の調整機関として世界に感謝されながら略奪者になりおおせたのである。古代ローマが地中海を包含することにより、各地からローマに流入する豊
富な産品によりローマの農民と職人の仕事を奪って無産化してしまったとおなじことが今アメリカで発生している。パンとサーカスの時代に入りつつある。
TPPなどはますます日本を米国帝国と一体化させることになる。太平洋は既に地中海化したのだ。中国はさしずめその背後にいるペルシャだろう。ただこ
れも長続きするものでもない。
スティーヴン・D・レヴィト(経済学)、スティーヴン・J・ダブナー(ジャーナリスト)が「超ヤバい経済学」
で指摘しているように、文系経済学がアダムスミに始まって人は神のような視点をもたなくとも合理的に行動するという前提で構築されていたが、じつはまった
く違う。人は見える範囲の情報に基づき行動を決めている。だからかマクロ経済学はバブルやサブプライム問題を予測できないし、原子力村という村が出現して
原発
バブルが発生することも防止できない。
ナ
シーム・ニコラス・タレブ(理系)は「ブラック・スワン」
で「私たちは起こってしまったことを心配し、起こるかもしれないが起らなかったことは心配しない。だからこそ私たちは『プラトン化』する。知ってい
る図式やよく整理された知識を好む。そうやって現実を見るのに不自由になる。だからこそ私たちは
『帰納の問題』に陥り、『追認の誤り』を犯す。だからこそ。よく『お勉強』して学校の成績がよかった連中ほど、『お遊びの誤り』のカモになる。プラトン的
とは、天下りで、型にはまっていて、凝り固まっていてご都合主義で、陳腐化した考え方だ。非プラトン的とは、たたき上げで開かれていて、懐疑的
で実証的な考え方だ。
われわれが『プラトン化』しがちなのは『コルモゴロフ複雑性』の次元を抑制したいからなのだ。自分自身が間違いを犯すことがあることを認め、それを掲げて
も、権威を認めてもらえたりはしない。人はただ、知識で目をふさがれないと気がすまないのだ。
私たちは、人を惹きつけるリーダーの後を追うようにできている。集団の中にいることのメリットが、一人でいることのデメリットに追い討ちをかけるからだ。
みんなと一緒に間違った方向に進むほうが、たった一人で正しいほうへ向かうよりも得るものは大きい」という。タレブは「未来を予測する確率を論ずるツール
としてガウス分布(左右対称のベルカーブを描く正規分布)を前提としたモダン・ポートフォリオ理論でノー
ベル経済学賞を受賞した文系のおばかさんに惑わされるな」という。19世紀ではさながら「正規分布万能主義」といったものがまかり通っていたが、20世紀
以降そういった考え方に修正が見られた。今日においては社会現象、
生物集団の現象等々、種別から言えば、正規分布に従うものはむしろ少数派であることが確認されている。例えば、フラクタルな性質を持つ物はガウスの正規分
布よりも、マンデルブロが提唱したフラクタル分布になることが多い。人間は自然界の事象とはちがって自分の意思をもっているため、決して正規分布にはなら
ない。何らかの事象について法則性を捜したり理論を構築しようとしたりする際、その確率分布がまだ分かっていない場合にはそれが正規分布であると仮定して
推論することは珍しくないが、誤った結論にたどりついてしまう可能性がある。タレブは「このことはすでに1998年に発生したロングタームキャピタルマネ
ジメントの倒産劇で学ぶべきものであった。人間社会は『マンデルブロ的ランダ ム性』=拡張可能=スケールフリー(ス
ケール不変)=スケール則=ベキ乗則(power law)=パレートの法則=ジップの法則=ユール分布=安定パレート分布(stable
pareto distribution)=レヴィ過程(レヴィ分布Levy distribution)=フラクタル分布にしたがう。
したがってガウス分布を前提にするブラック・ショールズ式などは全く
信用できない代物でロングタームが倒産したのも2008年の金融危機も当然おこるべくして、おこったのだ。ノーベル経済学賞はノーベル財団の正規な賞で
はないがガウス分布を前提にするようなインチキ理論は百害あって一利なし。学会の腐敗を物語る以外のなにものでもない」という。
気象学者
気象学者は無論理系だ。しかし同じ理系のサッチャー英国首相が人為的温暖化を研究する国際組織IPCCを作ってから、この利権に群がる気象学者達は潤沢な
資金と権力に汚染されて、1964年の古い真鍋論文の一次元放射対流モデルを金科玉条に奉った宗教と化し、全ての懐疑論をpeer
reviewという常套手段で葬り去っている。まさにローマ法王庁につかえる天動説学者のごとき存在になっている。これは真正理系がもっとも忌み嫌
う行動で、ほとんどの御用学者は文系的になってしまっている。仲間が信奉する以外の一切の説をこれで排除する。その目的は巨大な研究費を失いたくないから
だ。ここらへんに関
しては我が「グローバル・ヒーティングの黙示録」の第一章「懐疑論と懐疑論批判の総括」に譲るが東京工業大学の応用科学者渡辺正教授が「地球温暖化」神話 終わりの始まり」で、木
本協司氏が「CO2温暖
化論は数学的誤りか」できっちりと議論されている。彼らのおかげで日本が失った金は20兆円である。
原子力工学者
原発が実用化されたこと、機械工学、化学工学、材料工学者を集めて泥縄式に発足した原子力工学者は他の工学のように汎用性を持たない。そのためか狭い領域
で自分
の城をまもるために政治的な行動に走っている。すなわちほとんど文系的、思考・行動をしているわけで、もはや理系とはいえない存在である。そうして福島事
故は10兆円の直接被害をもたらし、使えない原発の廃炉、や使用済み燃料の今後人類が生存するかぎり管理しなければならない保管費を知る人はいないのであ
る。安全に員会にしろ規制委員会にしろ、集められた学者は裏方の役人に繰られる人間と化し、単なるパペット化するというのも日常みられる現象だ。恥を知
れ。
官僚
2009
年の映画「チャーチル 第二次大戦の嵐」に描かれるジョージ6世は高潔な人でダンケルク救出部隊の艦船への乗り組みをチャーチルに要求する場面が出てく
る。
日本でこれに匹敵する人は天皇だけである。これは「その立場がそうさせる。皆立ち位置で考え、行動するから」か「教育の差」なのか?はたまた「昭和天皇が
うけた教育が良かっただけだ」か。たしかに当時の軍部は海軍兵学校と陸軍士官学校出ばかり。官僚は東大出だ。しかし天皇は優れた指導者による個人指導を受
けているのは確かだ。海軍兵学校と江田島は消えたが、東大を筆頭にする国立大学は戦後も生き残った。だから戦後の企業も政府機関も蛸壺の権益追及ばかりの
人間があふれ、国を見ている人はだれも居ないということになった。そういえば、英国と米国は私立大学が社会のリーダー養成学校となっている。フランスもナ
ポレオンが作ったグランド・ゼコール(Grandes Ecoles)なかんずくエコール・ポィテクニック(Ecole
Polytechnique)が最高、ドイツも国立大学。
日本の科挙制度は文系優位とされ、1871年の工部省の報告書に「事務官僚に比べて技術官僚の
地位を低くすべきだ」とされて以来の日本の悪しき伝統である。上級公務員試験の合格者の55%は理系にもかかわらず局長では13%、次官で3%である。恐
ろしいまでの差別があるのだ。民主党はなにも是正できなかった。維新の会はどうしようとしているのか?
朝鮮の李氏王朝に仕える諸官は科挙を通じて、文官は文科、武官は武科によって選抜され、武官は文官に比べて常に地位が低く置かれていた。また中人階級が付
担当できる技術職は更に下に位置し、雑科によって選抜された。これは中国にならったもので明治政府もその影響下にあった。
朝鮮半島が日本の侵略を許した根底にこの文理カースト制があったとしても、言い過ぎではないだろう。
この私の見解は理系の方々は皆賛同してくれる。人種差別的見解だと非常に嫌がる人こそ差別を容認しているわけだ。差別は江戸時代の武士階級の伝統を引き継
いだ明治政府の文系優位という身分制度を戦後も残したのが今日の閉塞感の底流にある。中央官庁のキャリア制や巨大企業の中枢が文系の牙城になっていること
が理系差別になっている。このくびきからを是正しなければ日本の理系は文系の顔をうかがうようになり、野卑になり、スポイルされ、力をだせない。
したがって産業は衰退し、日本社会は崩壊する。これは私の差別撤廃を求める権利回復運動なのだ。文系の学者は「理系ー文系の争いをしている暇はな
い・・・」という。しかしこれは江戸時代より古い聖徳太子の時代の「和を持って貴しとする」時代に逆戻れということに等しい。この言葉こそ、文系優位維持
の無意識な呪文のように私には聞こえる。台湾の
文武廟では武人よりも文人のほうが格が上として崇めら
れていることからも儒教の差別的な教えが今に残っているのである。孔子の軛から逃れ得た国のみが栄えるのであろう。欧米で「文民統制」という考えがある
が、こ
れは市民の代表である政治家が軍を指揮するという意味で防衛省の文官が武官を指揮するという意味ではない。中央官庁の役人が勝手に我田引水しているにすぎ
ない。
中央官庁は殆ど法学部出だが法律の専門家とはならず、ゼネラリストとして2年毎に部門を渡り歩くため、一生何も学ばない素人で終わる。建設省、農水省、厚
生省は技官が半分位だが、こちらは
理系は小悪人になるように仕向けられて悪いことしかしなくなる。宮本政於著「お役所の掟」に活写されたように相成る。日本には江戸時代から面々と続く、隠
れ身分制があるということを指摘したい。昔はそれでも特権階級の武士に切腹というペナル
ティーがあった。ノブレス・オブリージということ。しかし最近ではそれも無くなり、悪いほうに流れている。
松下電器が発見したZnOバリスタを改良して、直列ギャップの不要な画期的な電力用ギャップレス避雷器を明電舎の小林三佐夫氏が開発し、結果的に世界の避
雷器は全てこのギャップ
レス避雷器に
切り替えたのだが、通産省の技術課長の一存では明治期から積み上げてきた”規則”・”告示”を迅速にを変えることはできない。専門の新JEC規格がで
きるまで10年以上費やした例など文系官僚中心組織の弊害の氷山の一角にすぎない。同じことは厚生省の新薬承認や、新日鉄で述べたように彼らの利益のため
につくることを提案したパイプライン規制にもみ
られる。
外務省も
文系の溜まり場だ。核融合がどういうものか分かりもしないくせに、核融合実験を日本でと1兆円の予算を確保してフランスと争った。結局誘致できな
くて良かったのだが、これなど悪い科学者が自分のメシのために物事が分からぬ文系を騙しているに過ぎないということが分からぬらしい。
外務省の文系がほしいのは実は原爆であろう。ならば六ヶ所村にある使用済み核燃料から兵器用プルトニウムを抽出する能力だけは維持して原爆製造能力を維持
しつつ、脱原発するという手があるだろう。こうすれば日本は米国の核の傘に依存せずとも、親米路線を維持しつつ、独自外交が可能になる。この発想はウィキ
リークスを分析した学者の報告書をよんでいて発想したものだ。原爆は信管さえ抜いておけば原発よりよほど安全。浜岡原発が直下型の地震で制御棒挿入不能に
陥るのが最も怖いシナリオだ。チェルノブイリ以上の惨状となるであろう。だから「原発は自国に向けた核兵器である」と言われるのだ。
さてここまで文系をくさす文を書いてきたのは「理系は出世もおそく、給与も低いため、若者は理系を嫌って文系を選ぶ」といわれていることに関し警鐘をなら
すためもあった。ところが京都大学と同志社が調べたところ、年代別でも大学の難易度別に差なく、理系出身の収入が上廻ったと2010年8月に発表した。特
に差
が
大きいのは難易度Aであるという。意外や社会は正当に評価していることになる。ではなぜ文系は給与が高いと思われているのか?察するところ、金融業一般の
給与が高いこと、適任でない文系が経営トップについて高給を得ていること、官僚の質が低下したにもかかわらずその給与が高止まりしていることが目立つため
かもしれない。2010年になって1億円以上の年収を得ている経営者の名前を公表することになった。調べたわけではないが、彼らのうちかなりは文系ではな
いかとおもう。金しか野望を満足させるものがないからだろう。
誰が言ったのか記憶にないが、「外に仮想敵を作り出して内部を団結させるという戦略は一時的には良いが長い目では結局失敗する」その最も典型的なものが資
本家を敵と認定したマルクスの共産党宣言であったという。私はそのような意味で文系を敵といっているのではない、逆も真である。
文系、理系と枠をはめて対立しても何の利益もない。いいたいことは理系はつぶしがきいて文系に適応することは可能であるが、アジア大の教授がしみじみと
言っていたように文系は訓練不足で理系にはなれない。一方通行なのだ。使い物にならなくなった研究所長は経理部長や営業部長に配置転換が可能だが、経理部
長や営
業部長は研究所長にはなれないのだ。日本は米国のようにもっと文系の教育枠を減らさねばいけないし、企業は文系の採用枠を減らさねば将来はないだろう。
このように文系的生き方の弊害が多いことを指摘したかっただけである。もし不快の念を懐かれたらご容赦ねがいたい。
日本が外国からNewly Declining
Country入りしたと揶揄されるのもムべなるかな。東大話法の安冨歩氏の原発事故を「論語で読み解く」を引用すると「日本社会のありとあらゆる局面に
おいて、閉ざされた小人の集団が決定権を独占しているからである。学習過程の閉じた小人に指導された社会が、安寧に到達することなど決してありえない。君
子が「仁」よって心を開くとき、社会に秩序がもたらされ、民は手足の措くところを得る」である。ここで「仁」とは学習の回路が開いている状態をいう。自ら
の実践から学び、どこまでも成長してゆくことができる人間が君子である。理系はこの行動原則をもっている人間という意味だ。理学とは実践から学ぶ過程だか
らである。実践で学べない、すなわちトライ・アンド・エラーで学べない原子力などは技術とは言えないしろもので、敬して遠ざけなければならない。そもそも
原子力のように後始末ができないものは資源とはよべない。これがわからない学習過程の閉じた小人が文系である。私が本小論で定義する文系とは別の言葉で表
現すれば認識閾に達した人で頭を使わない人とでも言えばよいか。個としては認識できないから確信をもって判断できない。だから仲間内で内緒で決め、決めた
ら死ぬまで変えない。なぜならそれしか権力を行使する根拠がないからである。
ルネッサンス以降の西洋の勃興は古代ローマの法学書を研究する人文主義者(humanitiesまたはhuman
nature)がフィレンツェ共和国の財政と外交を司る中枢の幹部(カンチェリエージ)となって選挙などの変動する政治権力の諸局面から独立に20-30
年共和国に奉仕するという制度、人間性を知る知性がヘゲモニーを握るという伝統ができたことに負うという面があった。これが官僚制だ。その代表的な人物が
マキアヴェッリである。彼が書いた主著は「ディスコルシ」である。ハンニバル・スキピオ・カエサル・アレクサンドロス…古代ギリシア・ローマ世界
の傑出した人物たちの果断な行動に政治・外交・軍事の理想型を求めたマキァヴェッリの代表作である。
日本の官僚機構は機能していない。その原因は人文主義が狭い範囲に固まって自然科学が達成した成果を利用できていないからではないか。こうして人文科学と
いう語は揶揄的に用いられるようになり、官僚への信頼は地に堕ちた。といって選挙で選ばれる政治家の劣化はさらにはげしい。
歴史をさらにさかのぼれば身体障碍者であり、名門出身とはいえ皇帝になるとは全く想定していなかったクラジウスが消去法でロー
マ帝国第4代の皇帝になったとき、当然ながら身の回りに補佐役を用意していなかった。そこで家で使っていた開放奴隷(といってもギリシア人であるが)を抜
擢して官房長などの秘書官とした。これが当時の官僚組織である。これは非常によく機能したが、腐敗もし、人々の恨みを買ったのである。人間は誘惑に弱い。
子曰く、君
子は義に喩り、小人は利に喩る
役人は委員会を開催して対策を講じるという手法をとる。しかし役人が選ぶ委員には会社の役
員が背負う善管注意義務が課されない。政治家は無論その責任があるが刑事責任にはなりにくい。無責任極まりないものでしたがって、委員は役人が作文した対
策に意義をとなえようが賛同しようが議事録すらとられないで無視される。私も一回だけ海部総理大臣に任命されてバイオ資源委員会委員になったことがある
が、バカみたいな会であった。原発の規制委員会も善管注意義務が課されないという。そもそも役人がしばられるのは秘守義務だけだから政府が機能しないのは
この役人が無責任に作成した法体系にある。政治家は議員立法で一つ一つ撃破しなければならないから時間がかかる。いっそ憲法改正で善管注意義務の網をかけ
たらどうか。維新の会に担がれた石原慎太郎は作家だからから、下世話な話を理解していない。だから彼が政権をとってもなにも出来ないだろう。
開成高校卒業後、東大工学部で学び日本ユニバックに入ったが環境問題にめざめ、大学院に入り直し、ハーバード大兼任教授になった
柳沢幸雄氏は朝日のインタビューで「身分保障と給与保証がないことがエリートの証し」と言っている。これは言
い換えればノブレス・オブリージ。武士もかっては苛酷な切腹という掟に生きた。
理系官僚を増やす必要性
英国と米国がナチの侵略に勝てたのは、適切なる兵器開発に優先的に資源を投入したためである。このような判断は文系官僚が理系のアドバイスを聞いては不可
能である。なぜなら理系というものは何らかの自分の玩具をもっているものである、聞く人間をまちがうとそればかり薦められてもそれがまちがいだということ
もわからず資源と時間を浪費してしまうからだ。若いとき理系の研究者は技術管理的な仕事はやりたがらない。しかし歳とって創造性も失い、特に自分が開発し
た玩具を持っていない人間はえてして技術の可能性とともに問題を見抜き、公平な目で事のよし悪しを判断できるようになる。文系はいくら齢をかさねても基礎
知識がかけているため、そのような判断はできにくい。そこで理系に相談するのだが、その人選を間違うととんでもない判断ミスをすることになる。
『二つの文化と科学革命』(The Two
Cultures)の著者として有名なスノーはケンブリッジで物理を学んだあと、イギリスの政府におけるいくつかの上級職(労働
省の技術部長(1940年 - 1944年)、イギリス電力会社重役(1945年 - 1960年)、科学技術大臣の議会秘書(1964年 -
1966年))を務めた後、1957年にナイト爵を授けられて一代貴族となった人であり、小説家でもある。この人が英国をドイツの空襲からすくうことに
なるレーダーの開発を委員長として指導したひとであるチザード卿とチャ―チルの個人的科学アドバイザーとなったリンデマンとという二人の葛藤をハーバード
大のゴドキン講話でくわしく語った講義録「科学と政府」から紹介しよう。
二人の主人公ティザードとリンデマンは若き頃、一緒にドイツで学んだ。ティザードはネルンストに化学を学んだ。英国にかえって志願して空軍のテストパイ
ロットになった。その後オックスフォードで化学を教えていた。ラザフォードを尊敬していたが、50才台になって自分にはそのような才能がないことは分かっ
ていた。自然科学の管理者的な分野にはいり、1914-18年の第一次大戦時は政府の予算配分に有能な才を示した。1929年にインペリアルカレジの学長
になってもこの政府組織を去らなかった。1934年、ボールドウン首相のときドイツとの戦争の機運が生まれ防空のために、科学をどう適用するかの委員会の
長に抜擢された。そして採用したのがレーダーの開発である。ヒルやブラケットが委員として支えた。ヒルはレーダー、ブラケットはORを開発、のちにノー
ベル賞もらう。チャーチルが野党としてうるさく批判するので委員会にチャチルの技術顧問のリンデマンを加えるが、リンデマンがすべてに反対するので、ヒル
やブラケットが辞任してしまう。そこでリンデマンを外して委員会を再編してレーダー開発を続行し、ドイツ空軍の空爆に間にあった。しかしチャーチルが首
相になるとティザードは追われ、リンデマンが全て仕切ることになる。ティザードはやむを得ず、チャーチルに掛け合い、レーダーの心臓部となるマグネトロン
を米国にも作らせることと原爆開発を薦める使節団の団長となり、ヒルらを連れて米国に行き、説得する。これが功を奏し、2年後の米国の参戦には間に合い、
連合国の勝利のきっかけとなっ
た。リンデマンに地位を奪われていてもマグダレン・カレッジのプレジデントにしてもらい感謝している。このときナイトの称号をもらう。戦後チャーチルが失
脚するとティザードは前の地位に帰り咲いた。しかし1951年にチャーチルが政権に戻るとティザードは即辞任。1959年にティザード死去。
リンデマンはドイツ生まれの裕福な家の生まれで、父はもしかしたらユダヤ系かもしれない。教育は全てドイツで受けた。英国にきてティザードと同じく空軍の
テストパイ
ロットをしている。オックスフォードでは仲良く子の名付け親になっている。リンデマンはチャーチルの友人になる。この友情はチャーチルが野にあった
1929-39年の10年間一層強くなった。ティザードの後釜となったリンデマンは最終的には唯一の理系閣僚となり、戦略爆撃の指揮をとる。リンデマンは
爆撃の効果を最大にするため、労働者階級の住宅に爆撃するように内閣に進言した。この提案書をみたティザードは被害推定が過大であると批判したが敗北主義
と批判され、予定通り、爆撃は決行された。爆撃後の評価ではティザードが正しいことが証明されたが、意味はなかった。リンデマンは害をもたらしたが、あま
り良いことはしなかった。これはルーズヴェルトの技術顧問のヴァネバー・ブッシュの功績に劣るものであった。1957年にリンデマン死去。
以下英国政府と科学の関係の分析が始まる。戦争は科学力の勝負だから政治が様様な科学技術のどれを武器にするかの決定はその開発のための資源の配分ひいて
は
勝ち負け重要な影響を及ぼす。この政策決定法にはオープンポリティックスとクローズポリティックスがある。オープンポリティックスとはいわば大衆の前で全
てさらけ出して議論し、決定する方式であるが、これは衆愚制となって戦争にまけてしまう。クローズポリティックスには、委員会方式、階層方式、宮廷方式の
3つが独立にまたは組み合わせて使われる。チザード委員会は委員会方式の典型で数人のできる科学者が方針を決定し、政府は膨大な予算と人材を投入した。日
本
式の事務局が裏で画策することは一切なかった。チャーチル=リンデマン組は宮廷方式である。官僚機構や一般企業は階層方式である。チャーチルの人気でかき
消さ
れているが、リンデマンのような超自信家が宮廷方式にはまると多大な害を国家にもたらす。連合軍が勝てたのはチザード委員会が初期の頃、正しい判断を下
し、適切な指 導 をしたからである。
さてスノウは最後にもっとも重大な提案をするのである。すなわち政府機関には理系官僚を多数配置し、正しい技術に優先順位をつけないと
戦争には負け、経済は上向かないという。理系人間は一つのことを深く考えないと成功しないから、おおかれ少なかれ、深いが広い視野で選別できない人間にな
り
やす
い。特にジェット機とか原爆などという玩具を持っているものはそれを手にするまでにそれなりに苦労しているのでこれに固執する過ちをしやすい。それでも理
系官僚を増やせという理由は、若い理系は創造的仕事をしているときな管理的仕事に興味をもたない。しかし年取って理系から管理的仕事には容易に転換できる
が、文系でながく管理的な仕事に従事しても、技術を深いところで理解できず、玩具を持った理系に相談することになり、重大なミスジャッジする人間になって
しまうからである。このような文系人間に舵をとられると西洋の東洋に対する優位はいずれ失われてしまうだろうと予言している。
日本の原子力政策は政治家や高級官僚は殆ど文系であるため、原子力専門家を相談相手にしてしまった。結果、彼らの玩具を押し売りされたという構図が見て取
れる。被害者は住民である。いらぬ戦争をして負けたわけで、これは「原発敗戦」なのだ。
July , 2011
Rev. February 7, 2018