戸川幸夫 とがわ・ゆきお(1912—2004)


 

本名=戸川幸夫(とがわ・ゆきお)
明治45年4月15日—平成16年5月1日 
享年92歳 
東京都港区元麻布1丁目2–12 賢宗寺(曹洞宗




小説家。佐賀県生。旧制山形高等学校中退。日本の動物文学の草分け。東京日日新聞で昭和30年まで記者生活を送る。長谷川伸の勧めで書いた小説『高安犬物語』で直木賞受賞し、作家生活に入る。その後も動物と人間の関わりを描いた作品を多く発表して動物文学の第一人者となる。37年『子どものための動物物語』 (全15巻) でサンケイ児童出版賞を受賞。ほかに『咬ませ犬』『山の動物たち』『王者のとりで』などがある。



 



 かわいそぅなチン。二度とかえってこないのです。
 わたしたちは、ちからなく長崎の町をでました。道が黒いたんぼのなかを白く走っています。
 木村屋さんのリヤカーがさき、わたしの自転車があとにつづきます。
 石の多い、いなか道です。リヤカーが、なんどもはねます。そのたびに、たましいのないはくせいが、こつけいなほどはねました。
 顔が、いっそうおどけてみえます。
 「どうする木村屋さん」
 わたしは、あとから声をかけました。
 「ウン」
 木村屋さんのへんじには、ちからがありません。
 「学校にや、やれねえべし」
 わたしがいいました。
 「そうよなア」
 リヤカーが、またはねます。チンもはねます。
 ひえびえとした景色が、どこまでもつづいていました。
 ペダルの、ギイギイという音が、いっそうものがなしくひびきます。
 「なあ、田沢君よ、おれヽそう思うんだス」
 しばらくして、こんどは木村屋さんがはなしかけてきました
 「このはくせいよ。吉ンとこの裏庭サうめたらいいんでねえか」
 わたしは、だまって聞いていました。
 「チン、よっぽど和田サ帰りたかったベもんなア、帰りたいの、ジッとがまんしてたのよ。それかんがえッと、ふびんでなんねえッ」
 木村屋は、なおもつづけてはなします。
 「いつだったかきみや尾関とよ、一度、蔵王につれていくべとはなしたことがあったッけ。とうとう、それもできなかったがよ」
 「そう、それがいいかもしれん」
 と、わたしが答えました。
 「それによ……」
 と、木村屋さんがいいます。
 「チンも、こだなすがた、のこしとくのざんねんだベもんなア」
 それは、わたしたちのこころでした。
 このはくせいは、地上にのこしておいてはいけない。それは、世間の人に、まちがった見かたをさせ、チンをいつまでもはずかしめることになるのです。
 チンが、帰りたくても、ジッとがまんしていたそののぞみを、いまこそ、わたしたちがはたしてやらなければなりません。
 支那沢に近い和田村では、いまごろ、あなごもりの準備にいそがしい秋グマが、えさをあさりに近づいているかもしれません。
  そのしのびを、チンはガラス玉の目の底から、ジッと見つめるにちがいありません。
トウモロコシ畑のすみにひそんだ吉の村田銃が、月の輪グマをいぬく音を、チンは、ほししいたけの耳で聞きとるにちがいありません。
 チンのいちばんすきだった土地に、いまこそチンをかえしてやることです。
 「そうだ、あす、はこぼう。そして、吉と三人でうめよう。山の見える、あの土手の杉の木の下のところに……」
 わたしは、じぶん自身にいいきかすように答えました。
 パアツとあかるくなりました。
 顔をあげると、なまり色の雨雲がやぶれ、そこから夕日がさしているのです。かまの刃のようにするどく見える雁戸の山の肩が、銀色にかがやきだしました。
 雁戸には雪がきたのです。


                                                              
(高安犬物語) 



 

 幼年期から自然と動物が好きで、動物学者を目指していた戸川幸夫は昭和30年、長谷川伸の勧めで書いた小説『高安犬物語』で直木賞を受賞、動物文学という新しい分野に足を踏み入れた。野生動物を求めて北海道知床半島、下北半島や奥羽山脈の奥深く分け入り、辺境の地で暮らす人々と動物の生活に寄り添い、多くの作品に反映させた。昭和40年には沖縄・西表島から持ち帰った野生ヤマネコの頭骨と毛皮が新種と判明、イリオモテヤマネコと命名された。海外の野生動物への保護活動にも目を向けるようになって、数十回におよぶアフリカ、インドへの歴訪も続けていたのだが、平成5年、脳梗塞で倒れてからは十年ほどの自宅療養を余儀なくされ、16年5月1日、急性腎不全のため帰らぬ人となった。


 

 動物の生態、習性などを人間との関わりを通じて忠実に描き、〈開発され、山奥へと逃げまどいながら不必要に殺されていく動物たち。彼らにも生きる権利はあるはず〉とのあつい想いは戸川幸夫の「動物文学」に存分に生かされているのであるが、佐賀藩士の家系であった父への意向かどうか、昭和29年、父益勇の七回忌に幸夫が建てた「戸川之墓」は、麻布十番から有栖川公園に向かう大黒坂の中程左側、長い石畳の参道を登り切ったところの佐賀鍋島藩歴代藩主の菩提寺・元麻布興国山賢宗寺にある。鍋島藩歴代藩主の墓々を背に、丸石や割石を二畳分ほどにも敷き詰めた墓庭、青緑がかった自然石の慎ましやかな小さな墓碑。幸夫の優しさがうかがい知れる。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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文学散歩 :住まいの軌跡


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