鈴木真砂女 すずき・まさじょ(1906—2003)


 

本名=鈴木まさ(すずき・まさ)
明治39年11月24日—平成15年3月14日 
享年96歳 
静岡県駿東郡小山町大御神888–2 冨士霊園13区2号2360番



俳人。千葉県生。日本女子商業学校(現・嘉悦大学)卒。久保田万太郎の春燈に入門。万太郎死後は安住敦に師事した。二度目の離婚後、銀座に小料理屋「卯波」を開店、「女将俳人」となる。『都鳥』で読売文学賞、『柴木蓮』で蛇芴賞を受賞。句集に『夏帯』『卯波』などがある。







羅や細腰にして不逞なり         

罪障のふかき寒紅濃かりけり       

あはれ野火の草あるかぎり狂ひけり    

柚味噌練って忽然と来る死なるべし    

恋いを得て蛍は草に沈みけり       

戒名は真砂女でよろし紫木蓮

恋のこと語りつくして明易き  



 

 丙午生まれとはいえ恋の女は気性も相当に激しい。二度結婚して二度離婚。51歳で不倫の恋を貫くために鴨川の実家、「吉田屋旅館」の女将の座を捨て去り、女手一つで銀座に小料理屋「卯波」を開店するなどという離れ業をやってのける。以後の40年、「卯波」は真砂女の立ち位置となり、句は「卯波」となった。
 「老いてますます華やいだ」生涯現役の俳人鈴木真砂女。腰痛のため療養生活を強いられてなお4年余り、96歳の春、強靱な生命力を持ち続けたさすがの真砂女も平成15年3月14日夕刻、東京・江戸川区の老人保健施設で老衰のため逝く。
 〈来てみれば花野の果ては海なりし〉——。
 恋を追ってここまでやって来た。目の前には果てしない海。さあ今こそ飛び立とう。



 

 紡ぎ綿を敷きつめたような空、梅雨の中休みにしてもとにかく暑い。何回目かの訪問で慣れているとはいえ、幹線道路のような広く長い坂道をのぼりきると汗がどっと噴き出てくる。眼下に大パノラマを展開する霊園の背後から、遥か前方の山稜にかすみゆく高圧線と鉄塔のつながりを何となく眺めながら、ふと、そういえばいつもはあのあたりには富士の顔が見えていたはずだがとぼんやり思い出していた。
 ゆるゆると深呼吸した足許に、湿気を含んで黒ずんだ火山灰土に据え置かれた碑〈芽木の空浮雲一つゆるしけり〉——。
 亡くなる20年前、喜寿の年に建立した真砂女の墓である。句碑ともいえる矩形の石塊に閉じこめられたのは、美しい思い出ばかりであろうはずもない。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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