野口米次郎 のぐち・よねじろう(1875—1947)


 

本名=野口米次郎(のぐち・よねじろう)
明治8年12月8日—昭和22年7月13日 
享年71歳(天籟院澄誉杢文無窮居士)
神奈川県藤沢市本町4丁目5–21 常光寺(浄土宗)



詩人。愛知県生。慶応義塾大学中退。彫刻家イサム・ノグチの父。明治26年単身渡米。詩人ホワキン・ミラーを知り詩作を始める。29年第一詩集『Seen and Unseen』を刊行した。37年帰国。38年慶応義塾大学教授となる。ほかに詩集『From the Eastern Sea』『二重国籍者の詩』などがある。






 

空を破る花火の音、
闇を一層黒くする閃光。

空を破る花火の音、いな瞬間の光、
生命が死と変ずる瞬間の歌。

瞬間でも顔を空に向け、陸を忘れ、
風と雲の騎者となつてみたい。
人生の混乱からすつかり離れ、
星の間に歌を見出すことは喜ばしい。

花火の音、
ばつと消える閃光。

ああ、私の魂の音だ閃光だ、
死の苦痛で下界の人間を喜ばす私の閃光だ、
いな、私の魂の破れる音だ。
                                
(両国の花火)



 

 「国際詩人」として評価された野口米次郎(ヨネ・ノグチ)は戦後まもなくの昭和22年7月13日、疎開先の茨城県結城郡豊岡村(現・常総市豊岡町)で胃がんのため死去した。
 17歳にして渡米、英語で書かれ「東洋のこころ」をもった詩は英米人を驚かせ、その名は波状となって世界に広がっていったが、帰国してからの彼の思いにはつねにジレンマがあったのだろう。昭和10年に刊行された日本語詩集『二重国籍者の詩』自序にこう記した。——〈実際をいふと、僕は日本語にも英語にも自信が無い。云はば僕は二重国籍者だ…… 日本人にも西洋人にも立派になりきれない悲しみ…… 不徹底の悲劇…… 馬鹿な。そんなことを云ふには時既に遅しだ。笑ってのけろ、笑ってのけろ!…〉。



 

 米次郎には在米中に知り合ったアメリカ人女性レオニーとの間に生まれた子があったが結婚せず、その子が生まれる前に帰国、別の家庭を持った。レオニーと2歳になった子は来日し茅ヶ崎に住んだが、米次郎は一切会うことをしなかったという。その縁薄い子は長じて彫刻家イサム・ノグチとして世界に名を成すのだが。
 ——16歳の時に四日市から上京、一時下宿勉学した縁筋の常光寺、足跡をつけるのが躊躇されるほど清掃された参道を歩いて行く。枝を切られた大銀杏を背後に三個の矩形石を組み合わせた磨き石に「Yone Noguchi」、台座碑に辞世の詩〈鐘が鳴る かねがなるこれを即ち 警鐘と言うのです これがなると皆ねます さあみんな 眠りましょう〉の刻。因縁の子イサム・ノグチの設計である。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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