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 「映画が終って明るくなると、周りの人たちは皆笑顔。良い映画を観たと満足した顔。『のど自慢』(井筒和幸監督)は、さまざまな境遇、さまざまな思いで『NHKのど自慢』を目指す人々のドラマだ。ラストの本番に向かって物語は次第に熱をおび、心地よいハッピーエンドが用意されている。『学校3』のような大人のユーモアと深刻さを抱えた深い余韻があるわけではないが、これほど爽やかな人間賛歌もまた貴重だ」

 「室井滋演じる売れない演歌歌手が大ホールの舞台に立つために『のど自慢』に挑戦するというストーリーを中心にしながら、失敗を繰り返してもめげない40歳の男性、複雑な家族関係に悩む女子高生、失語症の孫を励まそうとしている老人、その他歌好きの人たちを巧みに配した群像劇。すべてがかみ合っている訳ではないが、脚本は工夫されている」「井筒和幸監督は、日本の大衆文化を描く切り口として『のど自慢』を取り上げたというが、カラオケとの関係をもう少し掘り下げると文化論的な厚みが出ただろう。しかし娯楽作品としては、これで十分だ」

 「『おもちゃ』(深作欣二監督)は、売春防止法施行前後の昭和30年代の京都が舞台。新藤兼人の脚本は、時代の様子や登場人物を手際良く描いていく。芸妓を目指す見習いの時子(宮本真希)の青春映画と見ることもできるが、時代背景への深作監督や新藤兼人の複雑な思いが込められているように感じた」「芸妓は一つの文化ではあるが、女性の商品化の側面を否定することができない。人権が自覚されていくにつれて消え去っていく運命にある。『みずあげ』の差別性は歴然としている。ただ、香を聞く場面での時子の切り返しは見事だった」「私には、その辺の葛藤が伝わってこなかった。よくも悪くも深作監督らしいアクの強さがない。監督が自分の青春時代と重ねあわせているだけなら、あまりにも平凡だ」「終り方を見ると、当然そういう批判はあると思う」

 「『人間合格』は、『CURE キュア』で不気味な世界をかいま見せた黒沢清監督の新作。10年間眠り続けていた青年が奇跡的に目覚め、解体した家族を再生しようとするが、果たせずに死ぬ。あっさりし過ぎていて、あっけにとられた」「何かとてつもないことが起こるかなと思っていたら、主人公が突然死んで終ってしまった。『人間合格』という題も、井上ひさしの芝居みたい。あれよりもひねりがなかったね」「不満だ」

 「『ロスト・イン・スペース』(スティーブン・ホプキンス監督)は、『宇宙家族ロビンソン』のリメイク。懐かしい。しかし、そのことを抜きにしても娯楽映画として十分に楽しめる水準にある。まず宇宙服、宇宙船の細部のデザインがいい。機能性に加え気品か感じられるセンスだ。日常の小道具を巧みに使いながら、2058年らしい雰囲気をただよわせていく。そして、性格俳優をそろえて家族の亀裂と再生を描きつつ、SF的な事件やアクションも切れ目なく盛り込んでいる」「つまり人間と機械の双方に説得力がある。これはなかなか困難な仕事だ」

 「おびただしいCGもこれ見よがしではなく、自然に組み込まれている。本当に見たこともないシーンがふんだんに登場した。ただ、まだ『石油』に頼っているような時代設定には古さを感じた。また、素晴らしいデザインの中で珍妙なサル『ブラープ』のCGだけは、全体とマッチしていなかった」「過酷な状況での安らぎのために必要だったのだろうが、ハイクオリティな映像にうまく調和しているとは思えなかったね」

 「宋三姉妹は、アメリカに留学した後、長女は財閥の御曹子と、次女は孫文と、三女は蒋介石と結婚した。政治に翻弄されながらも、姉妹の絆を保ち、協力し合って中国の歴史に影響を与えた。『宋家の三姉妹』(メイベル・チャン監督)は、なんとドラマチックでスケールの大きな三姉妹のドラマだろう」「政治に深く関わっているために映画化は難しかったはず。香港返還の機会をとらえ、制約にもめげずに作品を完成させた努力を、まず評価したい。

 三姉妹の一人ひとりが、紋切り型に陥らずに生き生きとしている。それぞれに魅力的だ。父親のチャーリー宋も、印象に残る。メイベル・チャン監督は、戦争やイデオロギー問題に深入りせず、歴史の中で生きる人間を描くことに専念していた。大作だが、重さよりも優しさが映像を支配する。ワダ・エミの衣装、喜多郎の音楽が確実に物語を盛り上げていた」

 「『In & Out』(フランク・オズ監督)は、故・淀川長治さんが推薦した最後の作品として有名。パロディ感覚に満ちたオスカーのシーンから物語が始まり、同性愛のカミングアウトと周囲の温かな支援という結末。観終って、温かな気持ちになった」「両親も教え子も、その親たちもあまりにもすんなりとゲイの先生を受け入れてしまうので、差別の深刻さ、カミングアウトの重さが分っていないという批判は当然あるだろう。しかし、小さな村での共感の広がりに、素直に感動した」

 「公の場で、ゲイと名指しされたハワード・ブラケット役のケビン・クラインは、絶妙の演技。あたふたし、じたばたしながらも自分の性的指向を見つめ、ついに結婚式の場で同性愛者であることを明らかにする。あっと思わせながら、納得してしまう展開。クラインのうまさと脚本の良さが、爽やかな傑作を生み出した」「笑いながら、心が豊かになる」

 「『CUBE』(ヴィンチェンゾ・ナタリ監督)は、初長篇作品で、製作費は5千万円足らず。『ロスト・イン・スペース』の200分の1だ。監督は『6面体と半分の3面のセットに部屋から抜ける通路が一つずつあるだけ。壁は特殊ガラスにし、いろいろな色のジェルを流して変化をつけた』と、映像づくりの工夫を明らかにしている。低予算を意識させない端正で重厚な映像、緊密なストーリーに感心した」

 「連続し移動する正6面体に閉じ込められた6人が、部屋に仕掛けられた殺人トラップを見破りながら脱出を試みる。極限の緊張で人々は対立し憎しみ合う。数学的な法則が貫かれた部屋、無機的なワナ、そして人間たちの殺りく。スプラッター的な始まりで観るものをひきつけながら、シンメトリカルなデザインの中で繰り広げられるのは、赤裸々な人間の葛藤だ。それが古典的な味わいを醸し出す」「SFからミステリー、ホラーまで、密室に多様なジャンルを詰め込んだ傑作。カフカ的な寓意性も持たず、悪が亡び無垢な者が生き延びるゲーム感覚のラストを用意したナタリ監督は、デビッド・クローネンバーグとは異なる感覚のカナダ新世代といえるだろう」

 「『スモール・ソルジャーズ』(ジョー・ダンテ監督)は、『ドラえもん』の世界に近いものを想像していたが、『トイ・ストーリー』よりも毒があった」「善が生き残るというラストは子供向けの配慮だが、それまでの徹底した破壊や改造されたバービー人形たちのエロティシズムは、子供の世界を逸脱し大人が遊んでいる。精悍なコマンド・エリートが無慈悲な戦闘集団で、怪物的なゴーゴナイトが自由と平和を愛しているというジョー・ダンテ監督らしい皮肉な設定も効いている」

 「『インタビュー・ウイズ・バンパイア』で12歳にして少女と女性の感情の振幅を演じ切った早熟なキルスティン・ダンストが、成長して普通の美少女を好演しているのを見るのは複雑な思い。子役の時のオーラが消えているが、今後どのように変化していくのか、注目したい」「ダンテ監督は『おもちゃを人間のように見せ、人間をおもちゃのように見せる』と言っていたが、そこまでの逆転はなかった。またその必要もないだろう。人形と人間の逆転はクエイ兄弟に任せておけばいい」

 「『ビッグ・リボウスキ』(ジョエル・コーエン監督)は、どうだった」「前作の『ファーゴ』は、コーエン・マジックに酔いきれなかったが、『ビッグ・リボウスキ』は大胆にして繊細な『ほら話』に仕上がり、おおいに楽しむことができた。登場人物の個性が絡み合い、絶妙などたばた喜劇に発展していく。中でも、デュードとウォルターの掛け合い漫才は、あまりにも見事だ。コーエン兄弟としては珍しく本格的なCGも使っているが、そのキッチュぶりも決まっている」

 「ボウリング仲間ドニーが死に、コーヒーの缶に入れた遺灰を海にまこうとするシーンがとりわけ秀抜だね。ウォルターは大演説の後に灰をまくが、風が吹いて後にいたデュードの顔が真っ白になる。このブラックなユーモア。同じようなシーンを感傷的に撮った『ジャンク・フード』とは対照的だ」「最後にボウリング場にいたカウボーイがカメラに向かって話す。『人間のコメディは、そうやって未来永劫続いていく。世代から世代へ。楽しんでくれたかい』。なんと上品な悪意だろう」

 「『メリーに首ったけ』( ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー監督)は、過激で下品なギャグという点では「キカ」(ペドロ・アルモドバル監督)と肩を並べる水準。一見差別や虐待につながりかねないギャグを連発しながら、嫌味にならないバランス感覚と根底に優しさを持っているのがファレリー兄弟の強みだ。B級に徹することで一級のコメディに仕上がった」

 「メリー役のディアスは、いつもながらキュート。その魅力が、いかれたギャグの毒気を中和していることは否定できない。下ネタの危ないギャグをチャーミングに変えてしまう。マット・ディロンも調子のいい詐欺師ヒーリーを軽妙に演じている。そして愛すべきテッド役のベン・スティラーが、ドジの限りを尽くして場を盛り上げる」「不死身のギブス犬の大活躍も忘れずに指摘しておこうよ」


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 「『ラブ&デス』(リチャード・クウィートニオスキー監督)は、クウィートニオスキー監督長篇第1作。慎ましやかで、ほのぼのとしたラブ・コメディでありながら、根底にアメリカ、イギリス両文化への鋭い批評を含んでいる。『美少年と老芸術家』という共通点でビスコンティ監督の『ベニスに死す』と比較する評論が目立つが、両者の味わいは全く違う。死が漂う退廃的な耽美ではなく、知的だが滑稽でもある切なさが、この作品の持ち味だ」

 「映像文化を理解していなかった堅物の作家が、ひょんなことからB級映画のアイドルに一目ぼれし、雑誌を買い漁って彼の写真を切り抜いたり、初めてビデオデッキを買って作品をレンタル、さらに『追っかけ」までする変身ぶりが笑える。重たい役が多かった知性派ジョン・ハートが、軽妙なコメディを演じている。うまいものだ。代表作の一つと言えるだろう。ジェイソン・プリーストリーも悪くない。ひょっとしたら、この作品の結末のように俳優として飛躍するかもしれない」

 「『リング2』(中田秀夫監督)は、失敗作。恐がらせてやろうというこけおどしばかりで、『リング」のような、じわじわと染み込んでくる怖さがない。中田監督は『細部にこだわり、くせになるホラー映画を目指した』と言っているが、怖くなければすべてが水の泡だ。前作の思い切りの良さが失われてしまった」

 「ストーリーも行った来たりして、核心に迫る緊張感が乏しい。登場人物各人の恐怖は描かれるが、それだけにとどまっている。貞子が核として存在しなければ、恐怖は広がらない。川尻医師のキャラクターも薄っぺらだ。深田恭子の大口開けた死に顔が話題だが、彼女は案外ホラー向きの女優かもしれない。本当は貞子なんかが適役ではないか。

 「『死国』(長崎俊一監督)は、まったり系の恐怖映画を狙ったのだろうが、もう少しどろどろとしたけれん味がほしい。この種の物語は濃密な愛憎が背後にあってこそ、いきてくる。日浦照子役の根岸季衣だけが、濃い演技をしていたが、周りがついこない。明神比奈子を演じた夏川結衣は、表情に『GONIN2』のようなハリがない。もっと喜怒哀楽を表面に出すべきだ」

 ただ、恐怖を育てていくと言う意味では、『リング2』よりは基本に忠実。日浦莎代里が生き返り、池から這い出てくるシーンはべたべたしていて期待させたが、後が続かない。結局力のない結末へと進んでしまった。長崎俊一監督らしい切れが感じられない」

 「『ヴアンパイア最期の聖戦』(ジョン・カーペンター監督)は、西部劇スタイルの吸血鬼もの。魔鬼はむちゃくちゃ強いが、あとのヴアンパイアは弱い。武装した人間たちに丸腰でどんどん殺されていく。すべての設定は、お遊びのために用意されている。CG多用の時代に、あえて古典的なスタイルにこだわったのもジョン・カーペンター監督らしい。最後まで後味の悪いB級テーストを残していた」

 「『生きたい』は、『午後の遺言状』に続き、80代の新藤兼人監督が自らの経験を通して『老い』の問題に取り組んだ作品。ボケ始め失禁もする老人を三國連太郎が、辛らつな言葉を放つ躁鬱病の娘を大竹しのぶが演じ、火花を散らす。大竹のハマリにはいつもながら舌を巻く。状況があまりに深刻なので、親子の会話が醸し出す笑いは、時に観ている者を辛くする。その笑いは『カンゾー先生』などの今村昌平作品に近い。ただ、世代間の意識のすれ違いを強調しながら、最後は親子の愛に希望を託さざるをえなかったところが新藤監督らしい」

 現代の老人問題と過去の『姥捨て』の話を組み合わせているが、効果的な対比が生み出されていない。捨てられる老婆役の吉田日出子は、若々しさが残りふけ切れていない。何度もカラスを死の象徴として登場させているが、あまりにも直接的で面白味に欠ける。ラストシーンも死と立ち向かう姿勢を表したものだろうが、かえって浮いた感じになったと思う」

 「日常の風景を淡々と描きながら情感を高めていく市川準監督が、新しい世界を模索し始めた。『たどんとちくわ』は、サイコ・アクション・コメディ・ファンタジーとでも名付ければいいのだろうか。タクシー運転手、作家という孤独な中年男性二人を主人公に、物語は暴走していく。タクシー運転手の『たどん』は、まだ市川準ファンがついていけそうな展開だが、作家の『ちくわ』はシュールな惨劇へと雪崩れ込み、観ているものを驚愕させる。ただ、最後は綺麗にまとめてしまうところが、市川流だ。もっとスパッと終っても良かった」

 「『たどん』のタクシーの客たちの会話も面白いが、小粒な笑いだ。私は断然『ちくわ』を評価する。作家がつぶやく『世の中なんて始めっから、みっともないおとぎ話なんだから』『自分を裏切らなければ』という言葉に、監督の本音がのぞく。思いっきり世界を壊したいという欲望がみなぎっていた」「真田広之の狂気は凄みがある。眼がすごい。『D坂の殺人事件』を上回る切れの良さだ」

 「『まひるのほし』(佐藤真監督)は、知的障害者の創作活動をとらえたドキュメンタリーだが、障害者の現状を訴えた社会派の映画でない。独創的なアートが生み出される過程をカメラにおさめた作品だ。その意味では、一面『美しき諍い女』につながると言ってもいい。ただし、アートの特権性を無化するとともに、自己実現、コミュニケーションの手段としての創作活動という原点があらわになる点が大きく異なる。映像はけっして重くない。笑いを誘うエンターテインメントでもある。井上陽水の曲が、映像と実によく響き合って心地良い」

 「それぞれのアートは力強い。監督に映画を撮る決意をさせた西尾繁氏の作品は、もっともポップ。青春の滑稽さと切なさが胸にしみる。川村 紀子さんの作品はまねのできないような独自の配色が光る。人間への愛憎を塗り込めた伊藤喜彦氏の焼き物『人間独特の顔』もインパクトがある。中でも舛次崇氏の『幸福な植物たち』は、対象の生命力をダイレクトにつかみ感動的だ。彼等を障害者という枠にとらわれないで紹介するつもりなら、『シュウちゃん』『シゲちゃん』というただし書きは不要だったのではないか」

 「『ワイルドシングス』は、くすんだ質感の殺人映画『ヘンリー』を監督したジョン・マクノートンらしからぬトーン。ハリウッドスタイルの色彩感覚だ。しかし、セクシーな展開の裏に乾いた悪趣味をたっぷりと盛り込んでいる。ストーリーは、学園の風景から徐々に加速し、裁判へ、相次ぐ殺人へと進んでいく。しかし、『数えきれないどんでん返しに、あなたはついてこられるか?』と予告編で宣言されていたので、かなりの深読みをしながら映像を追った。テンポは早いがサスペンスものの基本を押さえているので、予想外の驚きは少なかった。ただし、絶対に途中でトイレに行ってはいけない。エンドクレジットで立ち上がってもいけない」

 「マッド・ディロンが、いい味を出している。最近は『In & Out』『メリーに首ったけ』と、個性的な役をこなし、なかなかの性格俳優ぶりだ。演技の下手なデニース・リチャーズも、今回はその下手さ加減が物語を助けている。『スクリーム』などで真直ぐな役が多かったネーヴ・キャンベルは見事にイメージ・チェンジした。考えてみると、この3人をキャスティングしたこと自体が観客への罠だった」

 「ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭99に行ってきた。ことしは、10周年なので、2月20日から22日までの3日間、朝から夜まで、どっぷりと映画に浸かってきた。幸せな時間」「招待作品での最大の収穫は、誰が何と言おうスティーブ・ノリントン監督の「『ブレイド』だな。いわゆるヴァンパイアものだが、映像のセンスがずば抜けて良い。最初のタイトルはおとなしいが、クラブでの血のシャワーからヴァンパイアーの殺りくに次ぐ殺りくシーンで、一気に引き込まれる。カイル・クーパー率いる『イマジナリー・フォーセス』が全編にわたって協力した意味は大きい。CGを巧みに駆使し、多彩なアクション、スプラッターにギャグも盛り込む極上のおいしさ。会場から盛んな拍手がわき起こった」

 「塚本晋也監督・主演の『バレット・バレエ』は、日本で最初で最後のプレミア版の上映。重たい直球のようにびしびしとキマる。ワンカット、ワンカットに血が通い、渾身の力が込められている。暴力を見つめ、演じてきた監督の思いと技量が一体なったストイックな内容。持ち味のブラックなユーモアは乏しいが、今を呼吸する切実さがストレートに伝わってきた」

 「ヒロイン千里役の真野きりなさんは、多面的な思春期の少女を好演。ナイフのようなまなざしには将来性をかんじる。舞台挨拶では『この映画に参加して、物があふれている都市では、命などの大切なものが忘れられていると感じた。ロケは東京じゃないみたいな場所だったが、東京がロケ地』と話していた。塚本監督の印象は『仕事をされている眼と普通の眼が、こんなにも違う人は初めて』だったね」

 「『交渉人』(F・ゲイリー・グレイ監督)は、前評判通りの緊密な脚本。知的なゲームを堪能できる。人質を取った犯人を説得するプロ・交渉人が殺人事件の犯人として罠にはめられ、無実を証明するために人質を取って交渉人を指名するという展開だが、139分の間、ずっと緊張が持続し飽きさせない。サミュエル・L・ジャクソンとケビン・スペイシーの息詰まる駆け引きが見事だ」

 「『8月のクリスマス』(ホ・ジノ監督)は、さり気ない映像に映画的なセンスが詰まっている。病に冒され死に行く者にとって、日常のささやかな出来事がいかに掛け替えのない意味を持つかを、寡黙な主人公に代わって映像が語りかける。唯一笑える幽霊のおならの話を主人公が少女を語る場面は、「主人公が死を受け入れる場面」(ホ・ジノ監督)として、笑いと怖さを合わせもつ見事なシーンだった。『8月のクリスマス』という題名も、熱さと寒さがぶつかり合った雰囲気を意味しているそう」  

 「シャンカーン監督の『ジーンズ』は、インド娯楽映画のノリで、好き嫌いが分かれるだろう。ありきたりの物語に、着せ替え人形のように衣装が変わる群舞の連続。しかし、今回はCGを取り入れ、最後は『踊る世界観光旅行』までしてしまう。大胆不敵」「インド映画のヒロインはぽっちゃり系が多いが、アイシュワイヤ・ライの美貌と美体型はミス・ユニバースの世界標準。名作ではないが、気楽に笑えて楽しめる。ハリウッドとインド映画の合体という歴史的な意味も大きい」

 「クロージング上映の『エバー・アフター』(アンディ・テナント監督)は、おとぎ話のシンデレラを脚色したファンタジックなストーリー。レオナルド・ダ・ビンチをあんなに人間クサイじいさんとして描いた映画は初めてだろう」「情熱と可憐さを合わせ持つヒロインをドリュー・バリモアが演じ切った。映画祭を締めくくるにふさわしい、勇気と真心に満ちた作品だったね」

 「さて、本命のヤング・ファンタスティック・クランプリ部門6作品は、勿論すべて観たね」「審査員特別賞と南俊子賞をダブル受賞したのは、『月光の囁き』(塩田明彦監督)。掛け値なしの傑作。いわゆるフェティシズムやサディズム・マゾヒズムを描いているが、心の襞を細やかに描き真直ぐな映画に仕上がっている」「塩田監督が目指したように『青春映画』特有の、爽やかでかつ狂おしい緊張の糸がピーンと張っている。拓也役の水橋研二の瞳の切なさ、紗月役つぐみの表情の変化も見物」「真野きりなさんがヤング・ファンタで『最も注目していた』作品であり、会場には佐伯日菜子さんも顔を見せていた」

 「グランプリを獲得した『バンディッツ』(カーチャ・フォン・ガルニエ監督)は、4人の女囚が刑務所内でロックバンドを結成するところから始まる。力強くテンポの良い出だし。音楽も魅力的で、キャラクターもバランスが取れていて期待が膨らんだ。しかし、脱走後はストーリーがやや平板になり、映像の力も落ちてしまう」

 「『ザ・ソウルガーディアンズ-退魔録-』(パク・カンチュン監督)は、悪魔払いの活劇。プロデューサーのキム・ソンボンさんは『韓国のCG、特殊撮影の水準をみてほしい』と挨拶していたが、単純なレベルの比較ではハリウッドにかなうはずがない。『ドーベルマン』(ヤン・クーネン監督)のように、ハリウッドとは違うセンスを発揮すれば新鮮に見えるが、『ザ・ソウルガーディアンズ-退魔録-』にはあまり独創性を感じなかった」

 「フランソワ・オゾン監督の『ホームドラマ』は、父親が持ち込んだペット用の一匹のネズミをきっかけに、家族の欲望が露わになっていくブラックなコメディ。ネズミが嫌いな人には、耐えられないような展開だ」「平和な家庭という偽善を笑い飛ばすのが監督のねらいだと思うが、機知に走り過ぎて、わざとらしい。ただ、キワモノ的になりやすいテーマに扱いながら、下品になっていない点は才能だろう」

 「『バリスティック・キス』は、監督・主演のドニー・イェンを一目みたいという観客が目立った。追っかけだな」「確かにハンサム。でも映画の出来は良くない。最初のアクションシーンはまだ新鮮にみることができたが、そのうち笑うしかないようなドタバタな銃撃シーンが続く。音楽の使い方も紋切り型だった」

 「アレックス・デ・ラ・イグレシア監督の『パルディータ』は、アクが強い背徳的な作品。主人公の濃さは半端でない。でも、何もかにもがどぎつい設定なので、効果も薄れがち。化粧品のためにトラック一杯の胎児を運ぶという設定は、気味悪さを狙ったのだろうが、少し古い」「ラストで懐かしの西部劇のシーンを使った素敵な場面があるものの、作品としての完成度は高くない」


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 「『セントラル・ステーション』(ヴァルテル・サレス監督)は、1998年第48回ベルリン映画祭金熊賞(グランプリ)、 銀熊賞(主演女優賞)受賞作品。ブラジル映画が国際映画祭でグランプリを受賞するのは初めて。派手さはないが熟成された脚本を、手堅い映像が人間ドラマへと肉付けしている」「過酷なブラジルの現在を背景にしながら、映画と人間性への確かな信頼がある。往年の作品を彷佛とさせる素直な感動を運んでくる。久しぶりに『珠玉の名作』という言葉を思い出したよ」

 「代書屋をしているドーラは、人々の切実な手紙を嘲笑し出さずに捨ててしまうほど心が荒んでいる。母親が交通事故で死んだ少年ジョズエをいったんは売り飛ばすが、臓器として売られることを知り、助け出して少年の父を訪ねる旅に出る。少年の純真さに触れるうちに、都会で荒れた心と過去のトラウマから解放されていく。ユーモアをちりばめながら、その過程が実に自然」「ドーラ役フェルナンダ・モンテネグロの貫禄のある演技は賞賛に値するが、ジョズエを演じたヴィニシウス・デ・オリヴェイラには天賦の才能を感じた」「この作品の製作に日本が関わったことを嬉しく思う」

 「『女と女と井戸の中』(サマンサ・ラング監督)。ジェーン・カンピオンに続くオーストラリアの女性監督が誕生した。すでに確固とした自分のスタイルを持っている。ブルーに統一された色調が多くを語らない主人公たちの内面を写し出す。中でもへスター役のパメラ・レイブは、自分の性を抑圧し続けている女性の寒々とした心境を好演している」

 「井戸というと『夏の庭』(相米慎二監督)や『リング』の貞子を連想してしまうが、ここでは女性たちの隠された欲望を象徴している。ただ、ラストで種明かしされるので、余韻は少ない」「カンピオン監督の作品に比べダイナミックさに欠ける面はあるが、今後が楽しみな一人である」

 「『ガメラ3 邪神イリス覚醒』(金子修介監督)が公開になった。『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95年)『ガメラ2 レギオン襲来』(96年)と続いたシリーズの完結編。『私はガメラを許さない』というコピーや予告編を見て、公開前からわくわくしていた」「今回のガメラは凶暴な風貌。私は、ガメラが「人間の味方」過ぎる点や、教育映画になっている点を批判してきたが、完結編は一転してガメラの恐怖と被害者の憎しみを描いて新鮮だった」「渋谷の破壊シーンは、ハリウッドの手法も取り込み、かつてない迫力。美しい翼を広げるイリスのデザインも独創的だ。特撮の樋口真嗣監督のセンスが冴える。クライマックスの直前で映画を閉じる思い切った終り方は、悲劇的な展開を予感させつつ圧倒的な余韻を残す」

 「『2』でハンサムになったガメラの顔が、再び変わった。渋谷を容赦なく壊滅させる無慈悲な表情は、悪くない。 「ええかっこしい」の片鱗がのぞくものの、苦悩しつつ闘いに臨む、悲愴美漂うラストシーンは感動的だ」「ガメラとギャオスの闘いで両親を失いガメラを憎む少女比良坂綾奈を、前田愛が凛として演じている。『トイレの花子さん』の時から注目してきたが、今後が楽しみな女優だ。なんで出てきたのか、釈然としないけれど山吹千里、手塚とおるの怪演も嬉しい」

 「『鮫肌男と桃尻女』(石井克人監督)。オフビート感覚で畳み込んでくる映像と会話を堪能させてもらった。文句なく楽しい日本映画は貴重だ。とりわけ、銀行強盗のシーンの最初と最後のノリにはウキウキさせられた」「物語自体は単純なのだが、登場人物の造形が魅力的。音楽、衣装ともハイセンス、映像のテンポもすこぶる快調だ」

 「鮫肌黒男役の浅野忠信は、相変わらず柔軟に役を自分のものにしている。その他、鶴見辰吾、寺島進ら濃い俳優たちを集め、一人ひとりがそれなりに個性を発揮していた。しかし我修院達也(若人あきら)は、その中でも飛び抜けた存在感を放っていた。そのコミック的なキャラクターは他を寄せつけない。突然の大ブレークだ」「小日向しえの初々しさと真行寺君枝の貫禄ある美しさも拾い物だった。ただ、パンフレット1,200円は高すぎる、作品とは関係ないけれど」

 「前作の『ベイブ』(クリス・ヌーナン監督)は、農村ののどかな雰囲気の中でベイブの活躍を描いたが、新作『ベイブ/都会へ行く』(ジョージ・ミラー監督)は都会の騒々しさ中で物語が進む。登場する動物たちが格段に増え、動きも個性も豊かになっている。前向きで心優しいベイブが利己的な動物たちを団結させ、危機を乗り越えるストーリーだが、動物を管理しようとする都会の怖さが伝わってこないので、素朴な感動は少なく、どたばた劇で終ってしまった」

 「今回は、ベイブよりも都会の動物たちの名演技が印象的。とりわけズーティーら猿たちのCGでは描けない内面的なしぐさに驚かされた。病んだ後ろ足を台車に乗せて活躍する犬のフリーリックには泣かされた。堂々たる体格ながらエズメ夫人の予想を上回るアクションシーンも迫力十分」「人間と動物の共生を願うホテルの女主人がもう少し描けていたら、農村に移るハッピーエンドがより生きたと思う」

 「サム・ミラー監督の初長篇作品『マイ・スウィート・シェフィールド』は、北イングランドのシェフィールドが舞台。同じシェフィールドを舞台にした『フル・モンティ』は、失業した鉄鋼労働者たちの悪戦苦闘の物語だったが、『マイ・スウィート・シェフィールド』は、アウトサイダーである個性豊かなロック・クライマーたちの危険な鉄塔塗装の物語だ」「使われなくなった巨大なガスタンクや工場の冷却塔が重要な役割を果たす野心的な展開。しかし、映像は実直なスタンスを崩さず、時には壮大な自然をゆっくりと俯瞰する。高所恐怖症の人には、辛い映画かもしれない」

 「ピート・ポスルスウェイトは、『ブラス!』の頑固者から一転して、若き美貌のクライマー・ジェリーとのラブロマンスを演じている。渋い役の多かったこれまでの彼を知っている者にとって、冷却水を浴びながらの激しいラブシーンは、水を全身に浴びるほど新鮮な驚きだった」「ジェリー役のレイチェル・グリフィスもまずまずの演技。互いを思いやりながら別れていくラストは、クライマーたちの生き方を象徴しているのだろう。ピンクに塗られた1基の鉄塔が心に残る」

 「『トイ・ストーリー』から、3年。ピクサーが再びフルCGアニメを完成した。この3年間のCG技術の進歩は凄まじく、フルCGというだけでは誰も驚かない。しかし『バグズ・ライフ』(ジョン・ラセター監督)は、確かな感動を与えてくれた」「アイデアがワイドスクリーンいっぱいに詰め込まれている。何気ない草のそよぎ、背景の虫たちの動き、ちょっとしたしぐさから、スタッフのわくわくしながら創っている喜びが伝わってくる。躍動感あふれる宮崎アニメのセンスもしっかり学んで、クライマックスを盛り上げている」

 「登場する虫たちのキャラクターが鮮明。一匹一匹に命が吹き込まれている。とりわけ悪役ホッパーのCGと性格づけは見事だ。」「『トイ・ストーリー』ほどの毒はない。サーカス団の悲哀をもう少し描いてほしかった」「おっちょこちょいだが創造的なフリックが旅をして新しい状況を切り開き、弱い蟻たちが協力してバッタに立ち向かう。子供向けながら、個性と友愛を大切にするメッセージにも共感した。そして、エンドクレジットの後に用意された抜群の「お楽しみ」」「登場した虫たちのNG集には、心底笑わされた。次はどんな作品を見せてくれるのか、とても楽しみだ」

 「『レ・ミゼラブル』 (ビレ・アウグスト監督)は、ビクトル・ユーゴーの大河小説を大胆に圧縮し、133分にまとめあげた。原作の持つ重厚さは薄れたけれど、慈愛と法律というテーマは、くっきりと浮かび上がった。ジャン・バルジャンとジャベール警部の迫真のドラマは、現代的な意味を失っていない。丁寧な時代考証と品格のある映像が、映画的な魅力を高めている」「『ああ無情』は、母ファンテーヌと娘コゼットの悲惨さがとりわけ印象に残っているが、涙なしでは観られないこの部分を思い切ってカットした脚本は、一つの見識といえるだろう」

 「ジェフリー・ラッシュが素晴らしい。『シャイン』でも熱演していたが、無慈悲な法律を守ることで自己を保とうとするジャベール警部には、説得力があった。ジャン・バルジャン役のリーアム・ニーソンは、逞しさと繊細さを合わせ持つ主人公にぴったり。薄倖のファンテーヌを演じたユマ・サーマンも、意外なほどはまっていた」「超名作にあえて挑戦したビレ・アウグスト監督の賭けは、ほぼ成功した」

 「『鳩の翼』(イアン・ソフトリー監督)には、惑わされた。撮影はパトリス・ルコント映画の常連エドゥアルド・セラ。まず端正で魅惑的な映像に引き込まれる。なんと神秘的なヴェニスだろう。その映像の中で、複雑な心理劇が進む」「新聞記者のマートンと結婚するため策略をろうしながら、嫉妬に負けるケイト。間近に迫った死を感じながら、マートンを愛し、ケイトの策略を知りつつ二人を結び付けようとするミリー。1910年代を舞台にしているが、その三角関係はあまりにも生々しい。ラストの寒々としたベッドシーンは現代に通じている」「ヘンリー・ジェイムズ原作の映画では、『ある貴婦人の肖像』(ジェーン・カンピオン監督)をしのぐ名作だ」

 「アリソン・エリオットは、『天使はこの森でバスを降りた』以上に魅力的。死の恐怖を胸に隠しつつ明るく快活に振る舞うミリーを好演した。ケイト役のヘレナ・ボナム・カーターは、悪女ながら弱さも持つ女性の振幅を表現。シャーロット・ランプリングは、脇に回って作品を引き締める。もっとも複雑な性格なのが、マートン。『司祭』(アントニア・バード監督)で強烈な印象を残したライナス・ローチは、偽善的であり誠実でもあるマートンの揺れを寡黙に演じた」「彼の切なさと悲しみに共感できるかどうかで、この作品から受ける印象は、かなり違ってくるだろうね」


kinematopia1999.04


「 札幌市南区澄川のまるバ会館で、自主製作映画の第1回上映会が4月9-11日の三日間行われた。しまだゆきやす監督の8ミリ4作品は、いずれも道内初公開。10日には上映後にしまだ監督と伊藤隆介道教育大助教授のトークも実現した。『連歌』シリーズは、監督の個人的な思いとフィクションが混ざり合ったユニークな作品。伊藤助教授は、ウディ・アレンの『アニー・ホール』に似ている。新しいタイプのエンターテインメントに近いと評価。しまだ監督は、個人映画と劇映画の面白さを足してみたかった。日本人の個人映画は暗い方に行ってしまうが、第3者に見せるなら面白いもの、印象に残るものをと考えたと、話していた」「しまだ監督が影響を受けた山田勇男監督の『青き零年』も併映された。この作品は、7年前にイメージ・ガレリオの『ラストショー』最終日に上映された。今回の上映は、とても象徴的なつながりだと思う」

 『連歌-つらなるうた-』(1993年、26分)は、監督自身の片思いにこだわったプライベートフィルムだが、その切実な思いから果敢に距離を置き、フィクションを持ち込んで笑いを取る姿勢は見事。大坂出身の芸人気質、サービス精神といえようか。『連歌2-さらにつらなるうた-』(1994年、24分)は、迷いながら自身の過去に立ち帰っていく。逃避することを隠さない誠実さが伝わってくる。『トランタ(連歌30)』(1995年、26分)は、技術的な水準、映画的な構成力が確実に向上していた。たえず過去にとらわれながらも、未来に進んでいこうという決意に満ちている」「後味は良いが、その分きれいにまとめたといった感じも受けた」

 『ケガレハライタマエ』(1996年、17分)は、自身の思い出から離れた虚構の作品。カメラの技術はうまく、映像に力がある。青春の狂おしさが映像に焼き付いている。しかし、実験映画の枠に回帰した印象で、しまだ作品のオリジナリティが薄れたように思う」「監督は個人的な映画はもう撮らないと言っていたが、長いスパンで現在と思い出を反復する『連歌』シリーズを続けてほしいと思う」

 「人間は死ぬと施設に送られ、人生の中で一番大切な思い出を選ばされる。施設の職員はその思い出を映画にし、7日後死者たちはその思い出だけを胸に抱いて天国に行く。『ワンダフルライフ』(是枝裕和 監督)は、かなり大胆な設定。古びた建物の中で物語はゆっくりと進み、観ている者も自分の大切な思い出を考え始める。俳優たちに混じって一般の人たちが実際の経験を話すという構成が、不思議な現実感を醸し出している」「前作の『幻の光』は作為が鼻についたが、『ワンダフルライフ』は、さりげない映像に高いセンスを感じた」「遊びに満ちていながら、CGなどの特殊効果を使わないのも清清しい。ハリウッドなら、どんどん使うんだろうけれど」

 「ほのぼのとした雰囲気ではあるが、作品の問い掛けはある意味で恐ろしい。その後の人生を変えたような切実な経験があるのか、人生の核となるような記念碑的な思い出を持っているか。年輩者の思い出を聞きながら、日本の歴史、状況の変化と自分の生きざまをたどり直した。そして物語は『愛する人の大切な思い出になる』ことのかけがえのなさへと、静かに展開していく」「ARATAと小田エリカの透明で時代を感じさせない美しさも収穫だった。意外とアベック向けの作品だね」

 「同窓会で30年ぶりに再会した45歳の浦山達也(小林薫)と早瀬直子(風吹ジュン)。浦山達也は早瀬直子から、ずっと思っていたと告白され、気持ちを抑えながらも不倫へと進んでいく。つかの間の一夜をともにした後、直子は自ら身を引き、やがて交通事故で死ぬ。こう『コキーユ』(中原俊監督)を紹介すると、中年男性の都合の良い妄想映画と思われてしまうだろう。しかし、さり気ないシーンの積み重ねによって、静かに燃え上がっていく二人の恋愛に『失楽園』(森田芳光監督)のような不自然さはない」「こういうファンタジックな夢に浸れる作品も捨てがたい」

 「小林薫、風吹ジュンというキャスティングがいい。時代や家族の姿をさりげなく盛り込みながらも、二人の恋愛は中学生の初々しさを漂わせている。風吹ジュンの代表作は『無能の人』(竹中直人監督)だと考えてきたが、これからはこの作品が女優としての勲章になる。幼さの残る笑顔と年輪を重ねた淋し気な表情が抜群に美しい」「小林薫は真面目で誠実で最後は情けない男を演じた」

 「『隣人は静かに笑う』(マーク・ペリントン監督)は、「やられた』という快感の後に、ハリウッド作品には珍しい後味の悪い、現実を直視させるような重たい問いが残される。強引な展開で、どんでん返しに次ぐどんでん返しという映画は珍しくない。最近では、『ワイルドシングス』(ジョン・マクノートン監督)がそうだった。さり気なく伏線を忍ばせておいて、あとで効いてくるという『愛と死の間で』(ケネス・ブラナー監督)などでは、脚本のうまさに唸った。しかし、「隣人は静かに笑う』は、本筋でしっかりとヒントを示し続けながら、予想できない結末に連れていくという離れ業をやってのけた」「カイル・クーパーのネガを多用したタイトルは、安全なはずの住宅街が暗転するというイメージそのままで、やや物足りない」

 「FBIのテロ捜査で妻を殺されたマイケル・ファラデーは、大学でテロリズムの歴史を教え、安易に自爆による単独犯行と決めつける警察と、それで安心してしまう世論に鋭い批判を投げ掛け、真相に迫ろうとしている。怪我をした隣人の子供を助けたことを契機に、隣家族との交際を始めるが、隣人が偽名を使っており、かつて爆弾犯として逮捕されたという経歴を隠していることを突き止める。彼等は新しいテロを計画しているらしい...。そして、人間の心理に巧みに利用した企みが動き出す」「テロ事件が続く限り長く記憶に残る、サスペンス・スリラーの結末だ」

 「アメリカは、好戦的な国ゆえに、まだ戦争の不毛さと残酷さを正視することができない。テレンス・マリック監督が、20年ぶりに『シン・レッド・ライン』を撮ったのは、そんな状況への苛立ちからなのだろうか。『プライベート・ライアン』(スティーブン・スピルバーグ監督)が、戦争の惨劇を臨場感あふれる演出で見せながら、結局アメリカ人の正義を持ち上げたのに対し、『シン・レッド・ライン』は戦争の空しさ、人間の脆さを大自然の息吹と対比させてみせた」「誰もが心うたれた兵士が隠れた草むらでおじき草にそっと触れるシーンは魅力的。しかし、その視線は神のごとく高い」

 「メラネシアの人々を無垢な存在として描き、戦争によって彼等がどれほど生活と文化を破壊されたかという史実を示さない。日本人の描き方が中途半端過ぎる。いっそ、人間性を無視され方が筋が通っていた。」「美しい自然と目的を失った戦争の映像を観続けた私は、兵士のように疲れ切った」

 「『バスキア』(ジュリアン・シュナーベル監督)は、その感傷的な甘ったるさに閉口したが、『愛の悪魔 フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』 (ジョン・メイブリィ監督)は、独創的な絵画の地平を切り開いたフランシス・ベイコンのアーティストとしての残酷なまでのエゴイズムを無慈悲に描いていた」「ベイコン絵画の痙攣的イメージを律儀に取り込み、史実を丹念にたどりながら構成しているのだが、あまりに遊びがなく、ときに息苦しく感じた」「坂本龍一の無機質な音楽は、スタイリッシュな映像をさらに美しく凍らせていたね」

 「ジョン・メイブリィ監督の前作『リメンバランス』は、コンピュータグラフィックスを多用し映像的な技巧を凝らしていたが、全体に平板な印象か残った。『愛の悪魔』は画家のイメージに沿う形でダイレクトに迫り、それなりの効果を上げている」「しかし、画家との格闘が感じられず、創作の内面にまでは届いていない。ただ、名優サー・デレク・ジャコビを得て、ベイコンの多面的な性格を浮かび上がらせることには成功した」

 「H.R.ギーガーがクリーチャー・デザインしたということで話題になったドイツのB級映画『キラーコンドーム』(マルティン・ヴァルツ監督)。しかし、『エイリアン』(リドリー・スコット監督)の卓越したデザインに比べればお遊びようなもの。全体にテレビの深夜に放映されるようないかがわしい雰囲気の作品」「何といってもニューヨークを舞台にしながら、大統領候補まで皆ドイツ語を話しているのがいい。こういう無茶はハリウッドだけにさせて置く必要はない」

 「キリスト教原理主義者とマッドサイエンティストによる仕業というお決まりの線でストーリーは進むが、キラーコンドームが可愛らしい動きをしながら突然牙をむいてペニスを食いちぎる豹変ぶりがナイス。とりわけバスタブでアヒルちゃんの背中に乗っていたコンドームが大統領候補に襲い掛かるシーンが素敵だ」「ゲイの刑事マカロニ役のウド・ザメールはいい味出していた。ゲイ・テーストが全体を包み、名作のパロディも随所に盛り込んでいるが、最後に説教をしてしまうのはドイツ映画の真面目さか。最後までオバカに突き抜けてほしかった」「スキンのような箱に入ったスキン状につながったパンフは笑える」

 「今どき『原色パリ図鑑』(トマ・ジル 監督)というセンスのカケラもない邦題も珍しい。失業中の青年がユダヤ人が多く住むサンティエ地区で、ユダヤ人に間違われ、職を得て頭角を表し、社長の娘と結婚するという、良くあるサクセスストーリー」「ただ、パリのユダヤたちの活気に満ちた生きざま、価値観の微妙な違いを描いていく点が新しい」

 「主人公のエディを演じるリシャール・アンコニナは、若きダスティ・ホフマンを彷佛とさせる風貌。ハンサムとは思えないが、美貌の社長の娘サンドラと恋に落ちる。サンドラ役のアミラ・カサールは確かに美しいが、そのほかの女性たちも皆魅力的だった」「ユダヤ人の文化を扱ってはいるが、軽めの青春映画といえるだろう」


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Visitorssince1999.02.01