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 「スター・トレック・フリークにとって、今回のデヴィッド・カーソン監督による劇場版『ジェネレーションズ』は、どうでした」 「テレビの方がいい。データが感情を持っちゃうのはいいけれど、コメディになってしまった」「私ははっきり言ってスター・トレックのキリスト教的なおしつけが苦手でね。今回の理想世界ネクサスにも閉口した」

「予想に反して同時上映の『クルーレス』が良かった。エイミー・ヘッカリング監督は10代の思春期の少年、少女たちを優しく、しかしシビアに見つめながら気持ち良くストーリーをまとめ上げていた」「主人公シェール役のアリシア・シルヴァーストーンは、嫌味さがなくてとってもキュート。いわばビバリーヒルズの上流階級の娘なんで、実際鼻持ちならないところもあるけれど、それが可愛らしく見えるというところが見事なんだよね」「久しぶりにハチャメチャだった高校生時代を思い出しちゃった」

「遅ればせながら、『ゴジラ対デストロイア』(大河原孝夫監督)を観てきました。子供たちの歓声、奇声にはまいったけれど、ゴジラの最後は感無量だった」「貴方と同じ年なんだもの。心臓部の核エネルギーが暴走し始めたのも中年の病気かしらね」「おいおい。この映画は、子供も楽しめるように作ってはいるけれど、第一作の記念碑的な暗い『ゴジラ』(本多猪四郎監督)と同じく、相当深刻なメッセージが込められていると思う。ゴジラがメルト・ダウンし、東京は死の街になるのだから」

「さて、『二十才の微熱』で注目された橋口亮輔監督の新作『渚のシンドバッド』は、17才の高校生たちの切実で滑稽な日々を描いた作品。前作よりも自伝的な要素が強いように思う。そして、何かセラピー的な雰囲気が強くて、素直に受け入れられなかった」「前作の暴力的なふっきれがなくなったのは残念。同性愛って、周りの目がきついから、どうしても包み込みたくなる。しかたがないのかな」「クライマックスの夜の海のシーンも、新しい青春映画の記念すべき一場面なのだけれど、妙に冷めてしまう」「才能は認める。小さくまとまらず、どんどん試行錯誤してほしいな」

「その点、香港映画の『君さえいれば 金枝玉葉』は、同性愛を描きながら吹っ切れたコメディに仕上がっていた。監督のピーター・チャンは、橋口監督と同い年なんだよ」「深刻な状況を笑い飛ばす香港パワー。このバイタリティはすごい。脚本も良くできている。レスリー・チャンの役者としての幅の広さを痛感。同性愛に悩む彼とアニタ・ユンの可愛らしさ、カリーナ・ラウの妖艶さが巧みに絡み合って映画を盛り上げていく」「最初は、なんか安っぽい印象だけれど、だんだん引き込まれていく。性差を超えつつ、差異を認め会う関係。さりげなく新しい関係性を提示している。でも、川口敦子さんが書いているけど『野心のない映画』だ」

「最後に昨年12月28日のさっぽろ映画祭で上映された『勝手に死なせて!』(水谷俊之監督)を是非紹介したい。これ、95年邦画ベスト1になってもおかしくない傑作。日本の深刻な現状を踏まえた上で、死をテーマにした超ドタバタコメディ。アルモドバルもびっくりだ」

『エリザ』(ジャン・ベッケル監督)は、バネット・パラディの主演映画。衝撃的な始まりから、引き込まれていく。場面転換が抜群にうまい」「しかし母親を自殺に追い込んだ男を殺そうとして、逆に恋してしまうという、いかにもという展開が引っかかった。ゲンズブールの歌詞に乗せられたラストも出来すぎの感じ」


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 「『セブン』(デビッド・フィンチャー監督)は、すごい人気だったね。あんなに長い待ちの列は久しぶりだった。映画のクレジット・シークエンスが始まった時、そのハイパー・パンクなセンスに痺れた。こんなことはここ数年なかった。とんでもない傑作、という予感が身体を突き抜けていく。そして、どしゃぶりの雨が降り続けるくすんだ映像。フィンチャー監督は『エイリアン3』の時よりも、さらに独自の映像美を創りあげていた」

 「フィンチャー監督は写真家のジョエル・ピーター・ウィットキンの作品を参考にしたと言う。グロテスクを突き破った崇高美。たしかにウィットキンが基調になっていた。その上で、計算された色彩がテーマを冴え立たせている」

 「映画を観ずにこの文章だけを読んだ人はきっと傑作だと思うだろうね。しかし、すべてを脚本が裏切ってしまった。そもそも中世キリスト教的な七つの大罪は、入り口であって、映画の展開はそこから逸脱していくべきはずだった。あれだけ、凝った殺人を企画した犯人とは思えない、最後の計画の陳腐さ」「最後に観客を安心させるためだけに、あんな結末を用意したのだろうか。犯人の意図が隅々まで分かって、すっきりするために」「犯人の意図が理解不能であってこそ、作品としてのインパクトが生まれるのにね。惜しい作品だった」

「キャスリン・ビグロー監督の『ストレンジ・デイズ』、期待していたんだ。ビグロー監督の天才的な映像センスは『ブルー・スチール』で証明されている。この作品も脚本がぶちこわした。なんとも古臭いヒューマニズムと純愛の映画になってしまった。図式的な黒人差別への抗議とともに」「他人の記憶をリアルに追体験できるデジタルディスクというアイデアが、全く生かされていない。女性の筋肉とだらしない男性は製作のキャメロンの好みだろうか」

 「ただ、ジュリエット・ルイスのハードロックには驚いた。彼女はあきれるほど芸達者だ。演技派をかんじさせない本当の演技派」 「驚いたと言えば,『Shallweダンス?』(周防正行監督)の清水美砂の歌も見事だった。最初、清水美砂とは分からなかった。すごい配役だよ」

 「からめ手からきましたね。この作品は今年の邦画ベスト3間違いなしでしょう。周防正行監督ほど、笑いのポイントをおさえている監督はいない。娯楽作品としては超一流。必見だ」「ヒロインの草刈民代と監督の結婚も映画の延長なのだろうか。なにか出来過ぎている」

「やや地味だが、横山博人監督の『眠れる美女』もなかなかの出来だった。川端康成の原作も相当に深いが、横山博人監督は女・性を全面に押し出す事で、従来の狭いモラルを打ち倒した新しい地平を静かに、しかし確かに提示している」「男の老いという点でも、なかなか示唆に富んでいた。原田芳雄は70代の不良長寿をあきれるほどかっこよく演じていた」

『メフィストの誘い』(マノエル・デ・オリベイラ監督)は、フランス映画の良き伝統を感じさせる作品。ゲーテの『ファウスト』を下敷きに修道院という閉鎖空間のなかで静かに官能が高まっていく」「シニカルでウイットに富む会話。男女の駆け引き。忘れかけていた味だ。カトリーヌ・ドヌーブの悪女は惚れ惚れするほどの貫祿だ」

「最後に映画ではないけれど、劇団フライングステージの札幌初公演『夜のとなり』に触れておこう。等身大のゲイを巧みな会話で表現していく関根信一(作・演出・主演)の手腕はたいしたものだ。押し付けがましくないセンスの良さ。昔『ハーベイ・ミルク』を観た後で、カインドという言葉を思い出したけれど、今回も通底するものがあった」


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『コピーキャット』(ジョン・アミエル監督)は、脚本の勝利だね。アン・ビダーマンとデビッド・マドセンは、初めての脚本の映画化なんだ」「サイコ・スリラーものがブームだけれど、この作品は結構出来が良かった。過去の猟奇殺人事件を再現する犯人というアイデアに溺れずに、ストーリーを練り上げている。登場人物も良く描かれていた」「犯人が次の殺人対象をモーフィングを使った電子メールのCGで知らせてくる場面は、実に巧みで効果的なシーンだった」

「連続殺人犯に襲われたショックで屋外恐怖症になった犯罪心理分析医の役を演じたシガニー・ウィーバーは、すごい迫力だった。極限的な恐怖にうちひしがれながらも、現実に立ち向かっていくヒロインをやらせたら、右に出る者はいないな」「『ピアノレッスン』で見事な存在感をみせた刑事役のホリー・ハンターですら、かすんでしまったのだから」「ただ、映像にもう一工夫ほしい。屋外恐怖症の描写はうまかったけれど。僕としては『セブン』の映像で『コピーキャット』の脚本を撮ってほしかった」

『青いドレスの女』(ジョナサン・デミ監督)は、前半やや間延びしているが、後半に入り映像が緊張を増した。市長選をめぐる政治の裏の世界を手堅くまとめたというレベル」「予想外の展開はみせるが、観終わって物足りなさが残った」

『キルトに綴る愛』(ジョセリン・ムーアハウス監督)は、不思議な映像。メリハリのある色彩構成は心地よかった。それぞれのストーリーがキルトのようにバランス良く配置されている」「作品自体がキルトなんだね。ただ、カラスに導かれていく結末はやや安易。老境映画としても楽しめるが、皆若いときがあまりに美しすぎて、それが不自然だけれど」

 「『バスケットボール・ダイアリーズ』(スコット・カルバート監督)は、注目のレオナルド・ディカプリオ主演。親友が白血病で死に麻薬に溺れていく青年を熱演した」「青春していて悪くないけれど、同性愛者の描き方には問題があると思う」

 「さて、話題作『ザ・インターネット』(アーウィン・ウィンクラー監督)に移りますか」「コンピューター社会における独占の危険性とセキュリティの重要さを訴えた作品なのでしょうか」「コンピューター・ウイルスを使った最後のどんでん返しは、流行りそうだ」「しかし、敵を倒すにはやはり消火器を振り回さなければならないのが、辛いところだね」

『デスペラード』(ロバート・ロドリゲス監督)は、ド派手なバイオレンス映画というに尽きるね」「激しいが軽みのある映像。楽しませるセンスは認める。恋人を殺された男の復讐劇だが、追い詰めた相手が兄弟だったというオチは何とかならなかったのだろうか」

 「いわゆる金八先生もの『デンジャラス・マインド』(ジョン・N・スミス監督)は、月並な作品」「ボブ・ディランの詩で悪ガキたちの心をつかんだまでは良かったのだけれど。教師の奮闘を描いた作品は結末が難しいね」

 「ジム・ジャームッシュ監督の新作『デッドマン』は、どうでした」「前作『ナイト・オン・ザ・プラネット』の線を期待していた人は、驚いたのではないかな。『ナイト・オン・ザ・プラネット』は分かりやすくて、とても楽しめる映画だったから。今回は途中で席を立った人達もいた。白黒の映像に、相当にブラックなユーモアを込めた作品だからね」「19世紀のアメリカの原像。西部劇の深層を描いているので、僕たちには理解しにくいと思う。ウイリアム・ブレイクとネイティヴ・アメリカンの結び付きも、唐突に感じる」 「そんな事はないよ。ブレイクの詩には、原神話的な深みがある。大江健三郎が影響を受けて小説を書いたように」

「ネイティヴ・アメリカン間の混血でイギリスにも居たことのあるノーボディという人物が、この作品を支えている。彼に誘われて、ジョニー・デップ演じるブレイクは、生と死が溶け合った深層の世界に入っていく」「ニール・ヤングの音楽を忘れてはいけない。彼の魂に触れる音楽とジム・ジャームッシュの映像が共振しながら、不思議な世界に引き込んでいく」「相棒の殺し屋を射殺して食ってしまうシーンは、あまりにも淡々として自然なので、『コピーキャット』より怖かった」

『ベイブ』(クリス・ヌーナン監督)、見たんだって。珍しいね、動物ものは」「動物映画は苦手なんだけれど。今回は、その擬人化のテクニックに興味があった。あまりの自然さに感心しました。物語は単純なハッピーエンドだけれど、憎めない作品だ」 「食べられる豚の立場に立って世界を眺めること。徹底するとかなり深刻な問題を孕んでいるけれど、特権的に賢い豚の成功譚で、めでたしめでたし、でした」

 「『ジュテーム・モア・ノン・プリュ』(セルジュ・ゲンズブール監督)は、いかにも70年代といった感じ。ごみ捨て場から始まる」「しかし70年代が切り開いた血兵の広さと深さをあらためて再認識した。ゲイ、ヘテロ、バイセクシャルの対立を描いた先駆的な作品だ」

 「最後に各方面から絶賛された『幻の光』(是枝裕和監督)について、どうぞ」「この映画について批判的な映画評は読んだことないけれど、私はそれほど評価しない。原因不明の夫の自殺に傷付き、やがて自然の中で癒されていく。その過程をゆっくりと追う。しかし映像はタルコフスキーのような強度を持っていないので、たびたび退屈する。またヒロインが 『私は夫の自殺の原因をずっと考えてきた』など、言葉にすべきでない事をしゃべり過ぎる。結局最後まで監督と呼吸が合わずに、イライラした。果敢な試みである事は認めるけれど」


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「総メモリー五百ギガ・バイトの『トイ・ストーリー』(ジョン・ラセッター監督)は、良くできていた。世界初の3Dフル・コンピューター・グラフィックス・アニメーションという話題性に溺れずに、全編を通じてディズニー映画の職人芸と優しさがあふれている」「ラストに向かって徐々にスピードを上げていく演出も巧み。『ベイブ』は動物の視点から人間を見つめていたが、『トイ・ストーリー』はおもちゃの視点で子供たちの移り気や残酷さを見つめている。おもちゃを破壊するシド少年が作り上げたフリーク・トイのデザインは、子供の無邪気さと悪意を象徴していて、秀抜だ」

「アルモドバル監督の『私の秘密の花』は信じられないくらい普通の映画でした」「前作の『キカ』が、悪趣味に徹した映画だったから意識して人間の苦悩を描いたのだろうか」「しかし、やはり絶妙の配色感覚と人生の苦しみを笑い飛ばすスラプステックなまでのパワーが、彼の魅力だと思うよ」

 「『メランコリー』(エル・シュラキ監督)は、フランス映画らしい苦い恋愛もの。人間をつき動かすパトスと、どう折り合いを付けていきていくかという普遍的なテーマ。ただラストは甘めかな」「名優たちの共演だね。それにしてはいま一つ物満足感がない」

 「『ジュマンジ』(ジョー・ジョンストン監督)は、最近珍しい子どもの視線に沿った幻想冒険映画だ。SFXの迫力がすごい」「荒唐無稽なストーリーを淀みなく運ぶ、ちょっと古いジェットコースターの快感」「たまにはこういうのもいいね」

 「『ため息つかせて』(フォレスト・ウイティカー監督)は、配偶者のいない4人の女性たちの友情の物語」「大晦日から大晦日までの1年間の波瀾の日々を描きながら、男たちの身勝手さと女たちのしぶとさを見つめている。ハッピーエンドは用意されていないけれど、元気づけられるね」

 「森田芳光監督の新作『(ハル)』は、中途半端な作品だった。森田監督は『家族ゲーム』や『キッチン』などで新しい人間関係を描いてきた。しかし、今回はパソコン通信という新しいテーマを選びながら、古めかしい結末に導いてしまった。映画フォーラムで知り合った(ハル)と(ほし)は、自分の気持ちを率直に打ち明けていくうちに親密になり、やがて直接会いたくなる。これでは、二昔前のペンフレンドと同じでしょう」「映画フォーラムにしては、会話のレベルが低すぎる」

「インターネツトを舞台にすれば、違う展開になったのではないだろうか。(ハル)はアメフト、(ほし)はコンパニオンや図書館員など様々な職業の体験談やおかず紹介、ローズはHな女の子のページを公開して人気を集めている。共通の趣味である映画のページに張られていたリンクをきっかけにメールの交換が始まる」「スクリーンで延々とチャットやメールのテキストを見せられるよりも、各自の個性的なホームページを写しだし、交際や仕事の変化とともに、ホームページが変わっていく姿を追う方が、ずっと映画的に面白かったはずだよ」「ただ、個々人の孤独を静かに表現した映像センス、配役の妙は認める。また、新幹線と地上で一瞬出会った時にお互いがビデオを撮るシーンやそのビデオ映像の挿入の仕方はうまいね」

『東京フィスト』、やっと観ることができたよ」「塚本ファンとしての感想は」「塚本晋也監督は、確立した独自の映像文体を持った監督。ボクシングを中心に据えながら、身体破壊=身体再生をめぐる塚本美が全編を支配している。テンションの高いシーンが、静的な映像をはさみつつ、ラストに向かって爆走していく」「いつもは、客体だった女性が、珍しく前面に出ていたね」

「痛みを媒介にしながら、身体を実感するというテーマは、それほど目新らしいものではないけど、石井忠の音楽と共振しながら針のような映像が深部まで刺さり込んでくる」「男女の三角関係とボクシング、ピアッシングを結び付ける発想は面白いね。しかし、ピアッシングの方がボクシングほど突き詰められていないのは残念だ。ファキール・ムサファーのように、あるいはさらに極限まで身体を変形していく試みがほしかった」「最後に、いくぶん自虐的な演出を加えたコミック・スプラッター的な遊びを用意しているところが、また魅力だよ」「同感」


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『ビフォア・ザ・レイン』(ミルチョ・マンチェフスキー監督)は、今年のベスト1最有力だ。映像、音楽、ストーリー、どれをとっても圧倒的な出来ばえ」「マケドニアの民族紛争を見据えながら、巧みな構成で観る者の心を奪う」「あまりにも巧い。その魅力を語りはじめたら止まらなくなる」

『蒼い記憶』(スティーブン・ソダーバーグ監督)は、『ビフォア・ザ・レイン』を観た後では、なんとも安直に見える」「ソダーバーグ監督は、人間の深層心理とコミュニケーションの問題にこだわり続けてきたが『蒼い記憶』には、その切実な問いかけが希薄。テクニックに走りすぎ、底の浅い映画になってしまった」「記憶の断片や不安な意識の流れを表現しようという意図は理解できる。しかし、人間造形が甘い平凡なストーリーの中では魅力も半減する」

『セラフィムの夜』(高橋伴明監督)は、アイデンティティを求める壮絶なドラマ。母親役の高橋恵子が抜群にいい」「境界に位置して苦悩する者どおしが、互いに理解しえない悲しみが全体を覆っている」「両性具有者のリアリティにやや問題はあるが、力作であることは間違いない」

 「『でべそ』(望月六郎監督)は、掘り出し物だった」「軽いコメディかと思っていたが、やくざの支配から自立しようとするストリップ劇団の壮絶なドラマ。戦争の傷を色濃く引きずる50年代の世相を取り込み、見応えのある作品に仕上がっている」

「村上龍の映画には、いつも期待を裏切られてきたが『KYOKO』は予想をはるかに上回る作品だった。監督村上龍の誕生と言っていい」「これまでの映画につきものだった冗長さがなく、すっきりと仕上がっている。HIV感染者の取り上げ方をはじめ、さりげない一つひとつのエピソードにも、豊かな海外経験と鋭い時代感覚が出ていた」

『フェア・ゲ−ム』(アンドリュー・サイプス監督)は、シンディ・クロフォードの映画デビュー作という話題だけの作品。告訴社会、カード社会に対するかすかな皮肉をにじませた以外は、娯楽に徹し、理不尽なまでの破壊シーンの連続」「しかし『そんな動機でここまでやるか』という疑問は、派手な爆破シーンでもふき飛ばなかった」

『ロスト・チルドレン』(ジャン・ピエール・ジュネ監督)は、前作の皮肉なカニバリズム映画『デリカテッセン』に比べ、ファンタジックなイメージがより鮮明になり、登場人物の輪郭もすっきりし、キッチュな色彩も確立されたように思う」「しかし、おとぎ話とはいえ、無垢な醜男と美少女が子供たちを救出するというストーリーは、あまりにも紋切り型過ぎるのではないか。また『夢を見る力』、イマジネーションの大切さというメッセージは、ミヒャエル・エンデの焼き直しでしかないだろう」「だが映像の魅力は否定されるものではない。随所に散らばっている悪ふざけは健在。クランク役のダニエル・エミルフォルクは、ワン役のロン・パールマンを完全に超えた怪演ぶりを見せた。さらに実写とCGの合成も見事。夢のシーンで使われるモーフィングは実に効果的だ」

 「マーティン・スコセッシ監督の新作『カジノ』は、ラスベガスのカジノを舞台にした『グッド・フェローズ』といった味わいだ」「サム・エース・ロススティーンが自動車のキーをひねると大爆発が起こり、バッハのマタイ受難曲が響く冒頭のシーンは、わくわくさせられたが、見終わってそれほどの深い感動は得られなかった。タルコフスキー監督の遺作『サクリファイス』の冒頭に流れるマタイ受難曲は映画のテーマを見事に表現していたが、スコセッシ監督の意図は良く理解できなかった」「シャロン・ストーンも、演技派というにはあと一歩だった」 

『クロッカーズ』(スパイク・リー監督)のオープニングは死体写真。ドラッグと差別と殺人のやりきれない世界を描きながら、奇妙な軽さが全体を包んでいる」「軽さではなく軽みだ。現実凝視と諦念がせめぎあっているのだろうが、距離感がある」「ちょっと他に真似の出来ない味だ」

 「『モルグ』(オーレ・ボールネダル監督)は、デンマーク映画。1994年のローマ国際フアンタスティク映画祭グランプリを受賞している。屍姦というテーマを扱いながら、若者群像を巧みに取り込み、単純なミステリーとはなっていない」「ラストの結婚式のシーンの粋な処理は、本当ににくいね」


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「北海道立近代美術館企画の『アート・ドキュメンタリー映画祭』は、なかなか面白かった。森に囲まれた家の下から表情豊かな滝が流れ落ちるー。ライトの落水荘は、アメリカ建築史上最も美しい住宅と言われている。『フランク・ロイド・ライトの落水荘』(93年。ケネス・ラブ製作・監督・脚本・録音)は、27年間その家に住み、ライトの弟子でもあるエドガー・カウフマンJr.が、建築当時を回想する形で、この家の素晴しさを紹介している」「落水荘は、息を飲むほど美しい。自然の一部としての建築というライトの思想が結実した住宅だ」「エドガー・カウフマンJr.が明かす数々の逸話が散りばめられている。当時の専門家の『このような住宅は不可能で壊れる』という報告書を受けたエドガー・カウフマンが、家の壁にその報告書を塗込めたという話は、特に楽しい」

『ジョエル・ピーター・ウィトキン−消し去れぬ映像』(93年。ジェローム・ド・ミソルツ監督・脚本)も、貴重な記録だ。1994年第12回モントリオール国際アート・フィルム・フェスティバル最優秀創造賞を受賞した」「ウィトキンは、死体、フリークを配しながら神話的な世界を撮り続けているが、写真家の製作現場に踏み込む監督の執念を感じさせる」「彼のファンとしては、撮影現場の雰囲気を知ることができて大変にうれしい。しかし、平凡な自作の解説をはじめ、全体に単調な印象が残った。彼の生い立ち、戦争体験などウィトキンを多面的に分析するまでには至らなかった」「彼が、あまりに卑俗で驚いたよ」

『ヴィヴィアン・ウエストウッド』(93年。ナターシャ・ドゥフォンテーヌ監督)は、70年代のロンドン・パンク・ムーヴメントを作り出したファッション・デザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドへのインタビューを中心に構成している。20世紀を『操作された精神の世紀』と言い切る彼女は、90年代も時代への反抗を続けている」「彼女はすごく元気だよね。セックス・ピストルズとともに歩んだ彼女のその後の変遷は見事だ。言葉ではなく、ファッションだからこそ可能だった」「とても勇気づけられた」

『アンリ・カルティエ=ブレッソン』(94年。サラ・ムーン監督)は、インタビュー嫌いのブレッソンを86歳で初めて正面から撮影した感動的な作品。ブレッソンの含蓄があってしかもユーモラスな会話には笑った」「今世紀最高の写真家と言われる巨匠の彼が『写真家はスリみたいなもの』と話すんだからね。映像的な工夫もこらしているが、彼が話しているだけで引き込まれる。自然な編集のうまさだろう」

『ボルタンスキーを探して』(90年。アラン・フイッシャー監督)は、あたかもフランスの美術作家クリスチャン・ボルタンスキーの失われた資料を探すような構成になっている。ボルタンスキーは『政治的な闘争のない所では芸術が活性化しない』と発言するなど、極めて真摯に時代と面しながら、常に死を意識した作品を生み出している」「おびただしい古着を展示するシーンは印象的だった。古着が全く違って見えはじめた」「さりげない終わり方も素敵だった」

『マネー・マン』(92年。フィリップ・ハース監督)は、紙幣とそっくりの作品をつくり、それを実際に使うことで貨幣の問題性を浮き彫りにするJ・S・G・ボックスの行動を追った作品」「日本でも赤瀬川原平が紙幣とそっくりの作品をつくって社会問題化したけれど、ボックスは実際に使用して人々にインパクトを与えた」「笑いながらも貨幣の無根拠さを再確認させられたよ」

『レベッカ・ホルン』(93年。ハインツ=ペーター・シュヴェルフェル監督)は、ドイツの女性アーティスト、レベッカ・ホルンをオーソドックスに紹介したドキュメント。彼女の製作する機械は、無意味を追求した明和電機のオブシェを連想させるものもあるが、より切実な問いと孤独感に裏打ちされている」「『犀のキス』などの放電芸術には、とりわけ感動した。激しいエロティシズムが見事に表現されていた」

『ラララ・ヒューマン・ステップスinベラスケスの小さな美術館』(94年。ベルナール・エベール監督)は、息もつかせぬ官能的なダンスに圧倒させられた」「構成がまた、凝っていて一瞬も眼を離せない。これほどテンションの高い作品は稀だ」「一方、『ダニエル・シュミットの大野一雄』(95年。ダニエル・シュミット監督)は、大野一雄の舞踏の力をひたすらにカメラに収めようとしている」「何もしていないようでいて、実はシュミットにしか撮れない作品だ。大野一雄の魅力を余すところなくとらえていた」

『ワンス・ウオリアーズ』(リー・タマホリ監督)は、都市で生活する等身大のマオリ族の人々を骨太に正面から描いている。94年モントリオール国際映画祭で、グランプリを獲得した。タマホリ監督はマオリ族の父とヨーロッパ系の母を持つ」「先住民族問題、女性差別問題などをひとつの家庭の崩壊という視点で見つめた作品。ベスの苦しみ、ジェイクの悲しみが伝わってきて、いたたまれない気持ちになる」「マオリ族の文化、とりわけ葬儀のシーンは印象に残った。複雑に問題が絡み合った過酷な現実に肉薄しようとする監督の気迫が伝わってきた」

『ブルー・イン・ザ・フェイス』(ウェイン・ワン監督)は『スモーク』の製作過程で生み出された作品。撮影はわずか3日間。しかし、不思議な味わいのある佳品に仕上がっている」「『スモーク』は、しみじみとした深みのある全体に静かな雰囲気のストーリーだったが、『ブルー・イン・ザ・フェイス』は騒々しくエネルギーに満ちたコメディ・タッチ。とりわけ、罵り合う時のマシンガンのような言葉の連射には圧倒される。トラブルと喧嘩ばかりの映画だが、見終わると人の温かさが印象に残って後味がよい」

『白い嵐』(リドリー・スコット監督)は、61年5月2日の『アルバトロス号』沈没事故を映画化したもの。スコットは、光と影を巧みに演出する監督だが、今回はドキュメンタリー・タッチで随所に美しい風景を盛り込み、少年たちの争いと友情、海の脅威を描いている」「嵐のシーンは、とてもセットとは思えない迫力。マルタ島のウオーター・タンク・ステージを使用し、250万ガロンの水槽で時速650マイルの風を起こした。シェルダン・スキッパー役のジェフ・ブリッジスが『生きて帰れるかだけが心配だった』と語っていたのが納得できた」

『かぼちゃ大王』(フランチェスカ・アルキブジ監督)は、シアターキノ4周年記念の一日だけの公開。人間が本当に好きでなければ表現できない優しさが印象的。しかしけっして甘くはない」「距離感が巧み。辛辣なユーモアがあり、ラストの鮮やかさには目を見張った」

「実話をもとにしたという『誘う女』(ガス・ヴァン・サントス監督)は、語るに値しない。どこがセクシーなんだ」「ニコール・キッドマンは既存のイメージから脱皮しようとしているのだろうか。あそこまでコミカルに悪女を演じることはないだろうに。『冷たい月を抱く女』の方が似合っていると思う」

 「『ヒート』(マイケル・マン監督)は迫力ある銃撃戦とデニーロとパチーノの対決が見物だった。しかし構図はいかにも古典的な男のドラマだ」「171分もあるのに、こういう映画って、何で女性の描写が浅いんだろうね」

 「フィリップ・リドリーの初作品『柔らかい殻』を、92年のベスト1に選んだ私としては、札幌で未公開の『聖なる狂気』を取り上げない訳にはいかない。厳格な宗教の教えで育ったため性的な欲望を抑えてきた青年が、偶然出会った女性に恋をし、次第に錯乱していくというストーリー。『アンダルシアの犬』の蟻をはじめ、さまざまな作品へのオマージュで満たされている。大きな靴が川を流れてきた時には、寺山修司へのオマージュかと思ったくらいだ」「あるいは本当にそうかもしれないよ。でも、サイコスリラーとしては、評価できない。いろいろなアイデアをちりばめているものの、うまくかみ合っていない」

「札幌未公開といえば、富田靖子主演の『南京の基督』(トニー・オウ監督)はどうでした」「富田靖子は確かに体当りの熱演をみせてくれる。しかし、神を疑うことを知らない敬虔な信仰を持つ娼婦・金花と神を疑い続ける小説家・岡川のラブストーリーのどこに現代性があるのだろう」「金花は梅毒で死に、岡川は自殺する。大昔に流行った悲恋物のパターンだ」

 「利重剛監督の新作『BeRLiN』もしっくりこなかった。ドキュメンタリー番組の製作という設定にリアリティがない。『壁』のかけらをお守りにしているというキョーコのこだわりも生かし切れていない」「もったいぶった凡庸な作品と見るか、新しい少女像を追った切実な作品と見るか、意見が分かれるところ。性風俗で仕事をしながら、けっして社会に妥協しない自由な女性たちを描いた『愛の新世界』などの作品と通じるものがあるが、手触りはかなり違う。利重剛監督は、自分の感性とは明らかに異なるキョーコに迫ろうとしている。それは、現代の『新少女』と呼ばれる新しいタイプの少女の登場に対応するものだ。その存在を、あからさまに肯定するのではなく、キョーコに魅せられた男性たちの視点を中心に物語は進んでいく」「最大限好意的に観れば、そうだね。中谷美紀は、ピュアでとらえどころのない彼女を好演した。永瀬正敏は、相変わらず自然体でうまい。しかし、ラストがあまりにも平凡だったので、作品的に損をしている」

 「『カナカナ』(大嶋拓監督)は、ナカナカだった。脚本はよくまとまっていた。手作りの味を残しながら、同時代ではとらえることが難しい時代の雰囲気をつかもうとしている」「会話が自然で淀みない。しかしこういう風に裸形にされると、辛いものがあるね」

 「『ラストダンス』(ブルース・ベレスフォード監督)は、シャロン・ストーンが性格俳優への確かな歩みを始めた1作。ロブ・モローの一途さもいい」「作品の完成度は別にして、説教臭くない清い作品で好感が持てた」「リリカルなタイトルも忘れがたいな」


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『ユージュアル・サスペクツ』(ブライアン・シンガー監督)は、96年のアカデミー賞オリジナル脚本賞などを受賞した話題作。確かに観客を煙に巻くことには成功したが、映画としてはかなりきわどい技といえる」「映像編集は実にシャープで雄弁だが、ストーリーの基本が尋問されたヴァーバル・キントの作り話だったというオチは、賭けに近い」「個性的な俳優をそろえて現実感を醸し出し、しかも火傷した船員の証言という動かし難い事実を置くことで、絶妙なバランスを保っている」「タランティーノ監督は映画への熱い思いを無邪気なまでに直接映像に込めるが、ブライアン・シンガー監督は、直接的な感情を抑制し、冷静に計算しながら映画を構築していく。時に、それが息苦しく感じることもあるが、映像の底に流れる独自のユーモアが映画を救っている」

『12モンキーズ』は、テリー・ギリアム監督4年ぶりの新作。20世紀末にウィルスで人類のほとんどが死滅した後の21世紀初頭が舞台。その原因を探ろうとタイムトラベルが行なわれる。『未来世紀ブラジル』を思い出させる屈折したSF映画だが、ストーリーも映像も小さくまとめていて物足りない」「随所に監督らしさはあるものの、十分独自性を発揮できていない」「ブラッド・ピットの切れた演技とブルース・ウィリスの無念さをかみしめた最後だけは、収穫だった」「『ミッション・インポッシブル』(ブライアン・デパルマ監督)は、最初のメンバーが全滅するという予想を裏切る展開で、はらはら。でも後半は予想通りの流れだった」「アクロバットのようなヘリコプターアクションがなければ、全体の印象はもっと落ち着いたものになっただろう。この作品は知性が売りもののはず。スーパーマンは似合わない」「カイル・クーパーにしては、抑えた映像ながら1分間の中にストーリーを凝縮した密度の濃いタイトルは見ごたえがあった」

 「『狼たちの街』は、『ワンス・ウオリアーズ』で注目を集めたリー・タマホリ監督の新作。ここにも権力に対する怒りが込められているが、FBIとロス市警、国家と地域の対立の図式が型にはまっている」「テーマは壮大だが、消化不良に終わった感じ。しかしラストで夫の浮気を許さない妻を登場させたところは、タマホリらしい」

 「『ガメラ2 レギオン襲来』(金子修介監督)のガメラは前回の『ガメラ 大怪獣空中決戦』に比べてかなりハンサムになった」「集合体レギオンというアイデアは、悪くない。CGの活用で特撮も邦画としては高い水準にある。札幌が最初の対決の場になったのもうれしい。しかし見終わって、どうも釈然としない」「様々なアイデアが、うまく生かされていない。金子監督は戦争状態での人間ドラマを強調していたが、参考にしたという『戦争と人間』の片鱗さえない。ただただ自衛隊が、前面に登場していただけではないか」「レギオンの生態は、ひねりを利かせればかなり面白いものになったはずだが、『エイリアン2』を連想させるだけにとどまった」「ガメラが孫悟空ばりの『元気玉』を使うのには、閉口した」「生態系への配慮を呼びかけるラストシーンも蛇足だ。ガメラが人間の味方ではなく、地球の生態系の守護神だという解説はいかにも嘘臭い」「生態系の守護神というのは、記念碑的な傑作アニメ『風の谷のナウシカ』(宮崎駿監督)に登場したオウムのように厳しいもののはずだ。ガメラは、人間がこれほどまでに生態系を破壊し続けるにもかかわらず、理由なく人間の味方なのだ」「最近の怪獣映画は、かつてのいかがわしさを失い、『ゴジラVSモスラ』のモスラといい、今回のガメラといい、妙な教育映画になってしまっている」

「ニュー・バイオ・パンク・ムービーと銘打った『オルガン』(不二稿京監督)は、血生臭さくグロテスクなシーンのてんこ盛り。スプラッター丼だ」「執拗なまでの内臓露出、殺戮の連続だが、観終わると思ったほど腹にたまらない」「どこかヘルシーに逃げている」

『ナヌムの家』(ビョン・ヨンジュ監督)は、従軍慰安婦問題をテーマにしたドキュメンタリーだが、紋切り型のプロパガンダに終わっていない」「こういう映画で生の人間性を記録する事は、とても困難だ。『ゆきゆきて神軍』(原一男監督)ほどではないが、それでも一人ひとりの女性を通じて現状のやりきれなさは伝わってくる」

『PiCNiC』(岩井俊二監督)は、94年の夏に撮られながらオウム真理教の一連の事件の影響で上映が延期され、しかも一部シーンを削除した上で、やっと公開された」「『ラブレター』は洗練された幸せな青春映画だったが、『PiCNiC』には岩井監督の屈折した危機感が赤裸々に出ている」「もちろん、映像センスの良さは卓越している。しかしここまで人間の暗部を描ける監督とはね」「殺された教師がクローネンバーグばりのクリーチャーとして登場した時は、劇場がどよめいた」

「同時上映の『フライド・ドラゴンフィッシュ』(岩井俊二監督)も完成度が高い。高級熱帯魚ブームを背景に、さまざまな要素を生かしながら巧みなコメディに仕上げた。あれだけの話を急いだ印象もなく50分にまとめるとは、まさに驚異だ」「魚を食べるシーンが、オチとしてあれほど生かされた映画は見当たらない」「皆好演しているが、特に浅野忠信の存在感がすごい。赤丸急上昇中の俳優だ」

 「『スーパーの女』(伊丹十三監督)は、なかなかの水準。最高傑作かもしれない」「スーパーが人々にドラマを提供する場という指摘には、なるほどと思った。久々に発見がある作品だった」「あざとい作為が感じられないのが、いいね。もっとも、最後に大型トラックと冷凍車のカーチェイスを持ってきてしまう過剰なサービス精神は健在だけれど」

 「『憎しみ』(マチュー・カソヴィッツ監督)は、フランス・バンリュー地区の閉塞状態にある失業中の若者の姿を追った。最初の暴動シーンとラストの主人公たちのあっけない死に様が印象的」「僕は、トイレでの老人のシベリアの話が面白かった。白黒の映像に鬱屈した感情が乗り移っていた」

 「『パンサー』(マリオ・バン・ピーブルズ監督)は、徹底してアメリカ社会の腐敗を描いている。ブラック・パンサーの側に立つことで、深く刺さってくる映画だ」「変に客観的になるよりも、数段いい。黒人を分裂させるために使った麻薬が、アメリカ全体に広がったという解説は、同性愛者の抹殺のためにエイズを野放しにしたという史実を連想させる。共通する政治家の名は、レーガンだ」

 『3人のエンジェル』(ビーバン・キドロン監督)は、いかにもハリウッド的な脳天気さ。ドラック・クイーンが田舎町を活性化していくだけのお話」「流行を追ったのだろうけれど、『プリシラ』(ステファン・エリオット監督)の足下にも及ばない」


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『デッドマン・ウォーキング』(ティム・ロビンス監督・製作・脚本)は、シスター・ヘレン・ブレイジョーン役を演じるスーザン・サランドンが、原作に感動しパートナーのティム・ロビンスに映画化を勧めた作品。原作は明確に死刑廃止を打ち出しているが、ロビンスは死刑囚の美化を避け被害者の家族にスポットを当てる。被害者の家族の喪失感や苦しみを丹念に描く一方、死刑囚の内面や犯罪の動機には無頓着だ。それゆえに、見方によっては、死刑肯定ともとられかねない展開になっている」「とはいえ、観客に死刑制度を考えさせる事には成功している。死刑は社会と国家を問い返すには、またとないテーマだ」

『ツイスター』(ヤン・デ・ボン監督)は、竜巻とのアクション巨編。ジェット・コースター的な映画の典型といえる」「映画は不安定な空の様子から始まる。説明を排した導入はなかなかいい。そして、すさまじい竜巻のシーンに圧倒される」「ただ、死を恐れずに幾度も竜巻に向かうジョーの姿は、尋常ではない。トラウマとして説明するのにも無理がある。ランボーすら彷彿とさせる向こう見ずさが異様だ」「人物を分析するのはよそう。この映画の主人公は、あくまで竜巻なのだ。こういう映画があってもいい」

「『野性の夜に』もそうだったが、主人公が若くして死んでいる映画を観るときは、複雑な思いに襲われる。『イル・ポスティーノ』(マイケル・ラドフォード監督)も、マリオ役のマッシモ・トロイージが撮影終了の翌日に41歳で急死している。トロイージは製作にも深くかかわり、心臓病と闘う自身の苦痛さえも映画に利用しているかのようだ」「チリからイタリアに亡命してきた詩人パブロ・ネルーダに、詩を教えられた郵便配達人マリオが、憧れたベアトリーチェと結婚し、社会にも目を向けていく。女性の描き方がやや男の身勝手な気がするものの、ナポリの美しい風景の中で輝き始める言葉の力を味わった」

『上海ルージュ』(張芸謀監督)は、30年代の上海ギャングの非情な世界を、12歳の少年シュイションの眼を通じて描いた作品。ナイトクラブやタンの豪邸などきらびやかで華やかな世界の裏で、陰謀術策と殺人が繰り広げられるが、監督の意図はその暗部を描くことにはないと思う。前半の上海の華やかさや抗争シーンは、どこかしっくりこない。映像に監督らしい力がない。むしろ後半の島の風景に移ってから、監督らしさが戻ってくる」「コン・リーも、前半は身勝手で挑戦的な女性を演じるのに精一杯だったが、島で出会った少女の童謡によって、自分を見つめ直すあたりから彼女らしさがにじみ出てくる。大地に根差した生活の貴重さを体現する」「もっとも、チャン・イーモウ監督はそういう素朴な生活が、金と暴力の力で破壊されていく過酷な現実を描くことも忘れない。映画製作を通じて現実と格闘し続ける監督の切実な思いが込められているのだろうか」

「話題の『天使の涙』(ウォン・カーウァイ監督)は、殺し屋、金髪、フェティシズムと、監督の嗜好をストレートにぶつけた新作だ。超広角レンズを使った映像が、夢のように浮遊した時代を官能的に写し出す。少し歪んだ若者たちの生き方を、即興を生かしながら映像化する手法は、一つの頂点を極めたといえるだろう」「ただ、主人公が殺し屋という設定は無理があるけれどね」

 「『ビリケン』(阪本順治監督)は、大阪を舞台にした奇妙な味の作品だが、思いつきの域を出ていない」「もう少し構想を膨らませてほしかった。ただ山口智子はあいかわらず『むっちゃ元気』だ」


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『司祭』(アントニア・バード監督)は、同性愛者の司祭というタブーに挑戦しただけでなく、生活の中からにじみ出てくるユーモアや多彩な人物を配しつつ、教会の権威主義、近親相姦・児童虐待というシリアスなテーマを巧みに折り込んだ傑作。観終わったあと、確かな手応えが残る」「主人公のグレッグ司祭は、貧しい人々の中に入り差別や搾取などの社会問題を説教に取り上げるマシュー司祭に対して、個人の罪を社会のせいしていると批判する。いかにも保守主義、形式主義。その真面目な彼が、僧衣を脱ぎ皮ジャンを着るシーンから映画はがぜん緊張の度を増していく」「グレッグ役のライナス・ローチはまさに適役。端正な顔だちが苦悶の表情を引き立たせる。そして、父親に強姦される娘リサ役のクリスティーン・トレマルコ。せつない感情を眼にためた演技が見事だ」

 「『アンダーグラウンド』(エミール・クストリッツァ監督)は、旧ユーゴスラビアの50年の歴史を、ブラック・ユーモアいっぱいのストーリーで描いた大作。あらゆる正義や価値を笑いとばすパワーは衝撃的だ。現在の深刻な内戦状況を思うとき、このハチャメチゃな喜劇の悲劇性がひときわ痛々しい。監督は複雑な民族関係に敏感で、あらゆる歴史の美化を批判し人間のずるさと弱さを暴き出しながらも、人間への限りない愛を隠さない」

「監督の奇抜な映像的アイデアのほか、さまざまな古典的な映画のシーンが引用され、タペストリーのように楽しい。全編、バロック的で猥雑なシーンの連続だが、それらを多彩な要素を取り込んだロマ民族の音楽が包み込んでいる。その明るくて悲しい響きは容易に耳を離れない」

 「繰り返される民族的な悲劇を、アイロニカルな視点で描いた作品として思い出されるのは『ブリキの太鼓』(フォルカー・シュレンドルフ監督)だ。これは、27年から45年間のポーランドの歴史を、成長することを拒否した少年オスカルの目を通して描いた傑作。ノイズに満ちた音楽を響かせて『ブリキの太鼓』は最後まで辛辣だった。しかし『アンダーグラウンド』は最後に死者をよみがえらせて『ホテル・ニューハンプシャー』(トニー・リチヤードソン監督)のラストシーンのような幸福な場面を用意し、そして『ひょっこりひょうたん島』のようにさまようコミューンへと向かった。分離が、けっして解決にはならないことを知っていながら」

「りんたろう監督の『X』は、『スレイヤーズ・リターン』との同時上映で、劇場の大半は小学生。中に中高生が少しいるくらい。ただ、『X』は容赦のない破壊の連続、スプラッターのように身体の破壊が繰り返される殺戮シーン、そして希望のない悲劇的展開と子ども向けとは思えない水準」「映像の密度、アニメ的な実験性、美意識の徹底という点でも『攻殻機動隊』を上回る出来といえる」

『ACRI』(石井竜也監督)は注目作だが、人類が進化の過程で一度海に戻り人魚はその時枝分かれした種だとする『ホモ・アクアレリウス』のアイデアが生かせず、リアリティの乏しいギクシャクした映画になってしまった。オーストラリアの海の美しさも、物語がしっかりして初めて活きてくる。脚本の練り込み不足は否めない」「特に、ストーリーの柱となる海原密が人魚に変身していくという展開は、論理的に無理がある。人間と人魚の両者に引き裂かれる密の苦悩を描くのなら、人魚ではなく『半魚人』的な設定が必要だ」「『人間には見てはならないものがある』というメッセージも、それだけでは古くさい。人間の好奇心が結果として多くの生物の生態系や先住民族の文化を破壊した事実を説明した上で、禁欲ではなく繊細な選択、謙虚さを提示すべきだろう」

『GONIN2』(石井隆監督)は、前作『GONIN』が中途半端な出来だったのに対し、完全にふっきれた石井ワールドを築き、色気のある映像美も冴えている。予算をつぎ込んだ大作ではないが、映画的アイデアがつまった作品だ」「今回の主人公はサユリ(大竹しのぶ)、ちひろ(喜多島舞)、早紀(夏川結衣)、志保(西山由海)、蘭(余貴美子)の女性5人。『ヌードの夜』で最も名美らしい名美を演じた余貴美子が、貫祿の演技をみせる。大竹しのぶも『死んでもいい』で石井ワールドの一員になった。もっとも愛しいキャラクター。名作『夜がまた来る』で墜ちていく名美を熱演した夏川結衣は、ますます石井世界にはまっていく。そして喜多島舞の成長ぶりに目を見張った」

 「猫目石をめぐって、2つのストーリーが次第に絡み合っていく。暴力団に妻を奪われた緒方拳の復讐は、これまでの石井映画の延長にあるが、切れた5人の女性がたまたま居合せた宝石店で強盗から宝石を奪って逃走するという展開は新しい地平だ」「ディスコで踊ったあとに5人が床に寝そべって話しをするシーンは『Go fish』(ローズ・トローシュ監督)を連想させる。ラストに向けて、やや現実離れしていくものの、厨房での銃撃戦など新しいアクション映画として十分楽しめた」

 「『女人、四十』(アン・ホイ監督)は、重くなりがちなテーマをコミカルにさばいていた。アルツハイマーに犯される義父をロイ・チャオが好演した」「さらに彼を世話するメイ役のジョセフィーヌ・シャオが、ほれぼれするほどたくましい」


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