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「梶間俊一監督の『修羅場の人間学』は、あまりにもふやけ切ったヤクザ映画だった。以前『ちょうちん』などで新しい感覚を見せてくれたのに、何か大きな勘違いをしているとしか思えない」

「滝田洋二郎監督の新作『眠らない街−新宿鮫』は、田中美奈子にしろ、奥田英二にしろ最後までミスキャストの印象が残った。新宿の雰囲気を良く捕らえているという評価があるが、僕は若松孝二監督の『我に撃つ用意アリ』の方が、独特の猥雑さ、開かれた閉塞感を、より表現できていたと感じた。きれいにまとめすぎている」「しかし『病院へ行こう』の1、2や『ぼくらはみんな生きている』と矢継ぎ早に撮りながら、ある水準を保っている力量は大したものだ」

 「93年に人気を集めていたのは『ラスト・オブ・モヒカン』と『幸福の条件』。『ラスト・オブ・モヒカン』は確かにしっかり作っているし、感動の巨編なんだけれども、わざとらしさが鼻についた。ヒーローが超人的すぎたし」  「モヒカン族の位置づけも、現在の先住民族観からみると、ひどく古いんだよね。93年は国際先住民年だから」「『幸福の条件』(エイドリアン・ライン監督)は、どこがいいのかわかりません。いまさら、愛とお金、どっちを選ぶはないでしょう」「こういう荒唐無稽なストーリーが、あるリアリティをもってしまう不幸な時代に生きているって事だよ」

 「僕の93年邦画ベスト1は、相米慎二監督の『お引越し』だな。驚くべき高み。日常と非日常が陸続きであることを、軽々と表現している。少女が傷つき、やがて癒されるストーリーだけれども、それぞれの核となるシーンは、象徴的というよりは、原神話的ともいうべき深みから描かれている」  「北野武の『ソナチネ』も、傑作だよ。いかがわしさが減ったという評価もあるだろうけれど、これほど映像と監督の息づかいがピッタリ重なった映画は珍しい。死の偏在というテーマが、沖縄という異空間の中で映像から立ち上がってくる」「『病院で死ぬということ』は、各方面が一致して高く評価していた。ドキュメンタリー的でありながら、極めて映画的な配慮に基づいていた」

 「洋画では『めぐり逢う朝』。あまり騒がれなかったけれど、毎日新聞の回顧で野島孝一氏がベスト3に挙げていたので、とてもうれしかった。音楽と映像がこれほどまでにデモーニッシュに闘い、かつ溶け合った作品はそうないだろう」  「最近は穏やかな至福が主流だからね。『マルメロの陽光』『オルランド』などは、その典型だ」


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 「日本のアニメを中心に感想を出し合ってみようか」  「まずは『ぼのぼの』。いがらしみきおが自ら監督を手掛けた作品だ。正直言って『ぽのぽの』が長編のアニメになるとは思わなかったな」  「あの独特の『間』は、人それぞれのものかと思っていたけれども、案外普遍的なんだという事を認識させられた。落語みたいなのものなんだね」

 「絶妙の『間』はうまく生かされているけれど、しかし原作に比べて信じられないくらい論争的な作品になっている。この点は評価が分かれるのではないか。渋谷陽一氏が言うように『スナドリネコもヒグマの大将も饒舌である。まるでディスカッション・ドラマのように自らの主張を語り合う。マンガでは一種のタブ−とされ、それを語り合わないことによって独特のム−ドが作りだされている観念的なテ−マが、実に生々しくアニメでは登場している』」

 「それがアニメの分かりやすさであり、ある意味ではマンガとしての後退でもある」「しかしヒグマの大将が、生き物は生きていることがすべてと主張し、『なにか目的がなければ生きられねえバカな生き物』を批判する深い人間洞察には、改めてハッとさせられた」「スナドリネコが、最後にぼのぼのに向かって語る『見るために生きている』という傍観者宣言も心に残ったな」  「原作者が監督してアニメにする場合、どうしても説明的になってしまいがちだ。大友克洋の『アキラ』もそういう傾向があった。 『風の谷のナウシカ』にも、同じような面がみられた。アニメというのは、そういう側面を持つ媒体なのかもしれない」

 「共通面ばかりを強調したけれど、『ぼのぼの』の独自の表現は、日本のアニメにとって、一つの事件と言ってもいいのではないかと思うよ」「事件と言えば、押井守の『パトレ−バ−2』も、忘れがたい。最近の邦画で、これほどシニカルな作品はなかったのではないか。乾ききった美意識に貫かれていた。日本の虚ろな平和を問い、冷徹に東京の脆さを見つめている」「含蓄のある会話と精緻な映像。何一つ無駄がない。そして、確かな希望も」「こういうク−ルな姿勢というのは、極めて今日的なものだと思うが、評価する反面何か物足りなさも感じる」

「名状し難い反発。やはり世代の差なのではないかと思う。『ナウシカ』なんかも、甘いと言われれば、その通りだからね」「いや、都市をどう捕らえるかということだよ。『アキラ』における都市とも違う。とことん閉塞的なんだ。現実的に見えながら、実はそれこそが一つの幻想なのではないか」  「『アキラ』や『ナウシカ』と比較していくと、いろいろ発見があって、なかなか楽しめるね」

 「パトレ−バ−2』に比べると『遠い海からきたCOO』(今沢哲男監督)は、何ともおめでたい。脳天気だなあ」「けっして駄作というわけではない。スト−リ−もそれなりに壮大だし、COOも可愛いし。テンポが少しもたつくものの、めりはりもそれなりにある。それに水が信じがたいほど輝いていたのには、驚いた」「よくも悪くも影山民夫らしい。でも『ぼのぼの』には、完璧に負けてしまっている」


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「君が評価しているピ−タ−・グリ−ナウェイの新作『ベイビ−・オブ・マコン』の酷評から始めなければならない」「今回は仕方がない。彼らしいバロック的な映像美は変わっていないが、緊張の糸が完全に切れている」「倉林靖氏が『誰が何といおうと私はこのような映画を絶対に認めることが出来ない』と断言している。『何が面白くてこんなくだらない映画を作ってしまったのだろうか』と嘆き、『B級スプラッタ映画として作ってくれたら』と悔やんでいる。正しい指摘だ」

「倉林氏はかねてからグリ−ナウェイを高く評価していただけに、その無残な出来にショックを受けたのだろう」  「これまでのグリ−ナウェイは、自身の説明できない禍々しい欲動と、華麗に命懸けの戯れをしていた。今回のように、ただ概念で組み立てるのでは『こけ脅し』になってしまう」「教会権力の批判という挑発性も、ニュ−ジ−ランドの超B級スプラッター『ブレイン・デッド』の方が上だ」

 「ニュ−ジ−ランドといえば、ジェ−ン・カンピオン監督の『ピアノ・レッスン』が注目されている」「女性初のカンヌ映画祭の大賞受賞だからね。純粋で剥だしの情念がぶつかり合っているが、不思議な静謐さも漂っている」  「グリ−ナウェイの映画では、神経を逆撫でする音を響かせていたマイケル・ノイマンは、ここでは官能の高まりを繊細に奏でている。出色の映画音楽だ。しぶきを上げる荒れた海など、自然描写も圧倒的に美しい」

 「話すことを断念した主人公と9歳の娘の関係、新しい夫と先住民との関係。言葉ではほとんど説明していないが、それらは細部にさりげなく表現されている。最後のシ−ンも『死と再生』の通過儀礼として意味付け可能だが、意味付け以前の原−欲望として受け止めたほうがいい」  「前作の『エンジェル・アット・マイ・テ−ブル』には、死ぬほど驚いたけれど、今回はショックは少なかった。しかし、はるかに美しく根源的だ。見終わったあとから、じわじわ効いてくるタイプの映画だと思う」

 「マ−チン・スコセッシ監督の『エイジ・オブ・イノセンス』は、どうだった」「新しい挑戦かと思って期待していたけれども、裏切られた。ヴィスコンティ監督をかなり意識しているようだが、重厚な華麗さには遠く及ばない」  「なぜ、あんなにどこもかしこもナレ−ジョンだけで物語を進めていってしまったのだろう。細切れでどんどん展開していくので、主人公に感情移入できない。グリ−ナウェイのように、始めから感情移入を拒否しているわけでもない。不器用さだけが目立った」

 「欲求不満の解消には『トゥル−・ロマンス』はうってつけだね。タランテ−ノの巧みな脚本をトニー・スコット監督が職人芸で娯楽作に仕上げた。久しぶりに観客全体が一体となって映画を堪能した」  「邦画に移ろう。原田真人監督の『ペインテッド・デザ−ト』『ラストソング』は、60年代的な青春映画を狙い、それなりに成功していた。本木雅弘は、多面的なロッカ−役を、のびのびと熱演。吉岡秀隆があんなに歌がうまかったのにも驚かされた」        


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「スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』がアスデミー賞の作品、監督賞を取ったね」「女性初の受賞を狙っていたカンピオン監督は、今後も候補に上る作品を生み出していくと思う。スピルバーグはこの作品でなければ、一生受賞できないような気がした」  「ユダヤ人虐殺という重いテーマを扱いつつ三時間の長丁場をとにかく見せる展開は、スピルバーグの力量を示している。いつもの大げさな演出は影を潜め、このところ目立つ説教臭さもない。虐殺シーンの冷徹さは、ロッセリーニを連想させる」

 「一人のドイツ人が千二百人のユダヤ人の命を救う、というヒューマニズムのドラマに終わっていない。ユダヤ人経理士の圧倒的な影響もしっかり描いていた。シンドラーが最後に『このナチスの勲章を売れば、もう一人救えた』と叫ぶシーンがある。ユダヤ人たちは『こんなに救ったのですよ』と慰めるが、このシンドラーの後悔は『何故、ファシズムを許してしまったのか』という問いへと発展していかざるをえない。この映画が、シンドラーがその後事業と結婚に失敗した、という所で終わっていたら、もっと凄かった」

 「民族排外主義を何ら教訓化していないイスラエルによって英雄に祭り上げられ、シンドラーの墓に多くの人が列を作るシーンが最後に置かれるのは不満が残った」「ファシズムの問題は、個人の良心では解決しない。1万人の死体を積み上げて焼くシーンがあるが、この意味を剥奪された現実から、我々は自由ではありえない。レヴィナス的な問いとして今も切実さを失っていない」

 「シンドラーが己の欲望に素直だったが故に、ナチズムの底に流れる虚無主義と対峙することができた。資金が底を突いたときに終戦になったという幸運もあった。まっ、改めてあの歴史を教訓化するという意味でも多面的な問題を孕んでいる作品といえるだろう、たぶんスピルバーグの意図を超えて」

 「チェン・カイコー監督の『さらば、わが愛ー覇王別姫』、通俗的なストーリー展開のなかで、別の意味で差別問題を掘り下げていた。差別されている者が身近な者を差別することで自分の差別から逃れようとする。この深刻な現実を、歴史に翻弄される京劇の変遷、華麗な王朝の人々を演じつつ基本的には差別されつづけている役者たちを通じて描いていく。その人間凝視は凄まじい」「見事な映像美とともに、悲惨な役者たちの物語を中国の民衆は圧倒的に支持し、大ヒットする。この事実も考えようによっては、なんともやり切れない役者の役割を象徴しているともいえる」

 「この2作品に比べると見劣りはするものの『月はどっちに出ている』(崔洋一監督)も、日本の差別をコミカルに描くという困難な試みに挑戦し、ある程度成功している」「在日日本人には、なかなか撮れない映画だ。特に在日朝鮮人がフィリピン出稼ぎ者を差別するシーンを、とてもあのようにさらりとは描けない。普通に撮っているようで、とても非凡な演出に満ちていた」  「石井隆監督の『ヌードの夜』は、カチッとした映像感覚で、堕ちていく男女を描いているが、男性に都合のいい反時代的なストーリーだった。それが魅力でもあるけれども」


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 「本邦初公開のアイスランド映画『春にして君を想う』 (フリドリック・ト−ル・フリドリクソン監督)は、どうだった」「人口25万人の国で、映画制作の黎明期。映画に対するナイ−ブな情熱と出演者の家族的雰囲気が漂っている。しかし、施設を逃げだして故郷に帰ろうとする老人たちのロ−ドム−ビ−という設定は、世界的な普遍性を持っている。ただ、キリスト教的な調和へと回収していく姿勢には、共感できなかった」「最後に、ブル−ノ・ガンツが天使役で登場する場面は、ちょっと良かったね。近く続編が公開される『ベルリン天使の詩』、ヴィム・ヴェンダ−ス監督への敬意が、静かに伝わってきた」

「フリドリックの映画はナイ−ブだったけれど、同じように映画制作の歴史が浅いニュ−ジ−ランドのジェ−ン・カンピオン監督は今最も屈折した想念と鋭すぎるほどの映像感覚を持っている。まさにカンピオン的としか表現できない独自性を持つ。 『ピ−ル』『キツツキはいない』『彼女の時間割』という初 期短編集は、なかなか楽しかった」  「ごく短い10話のオムニバス『キツツキは いない』(84年)は、日常的なちょっと間の 抜けた思いや行為を、丹念に収集した作品。 そんな何気ない瞬間、すぐに消え思い返すこ ともない瞬間への慈しみに満ちていた」  「『ピ−ル』(82年)の色彩感や乾いてい ながら妙に優しいユ−モア感覚も、捨てがた い。『彼女の時間割』(84年)は『エンジェ ル・アット・マイ・テ−ブル』(90年)の少 女たちにつながる。現実への違和感を抱えな がら、演技と本心とのあわい境で揺れる気持 ちが映像化されている」

 「田中千世子と小口詩子の対談のなかで、 女グリ−ナウェイ、女デビット・リンチとい う評価に対して『もっと大きくなるんじゃな いかしら』と結論づけていた。僕も、今後ま すます新しい世界を創造していくと思う」

 「ジョナサン・デミ監督の『フィラデルフ ィア』は、はっきり言って駄作だった。『羊 たちの沈黙』の監督だから、エイズ問題にも 鋭く切り込んでいくだろうと期待していたが エイズ問題も、同性愛差別も、極めて中途半 端にしか描いていない」  「法曹界という、特権的な世界の中での話 だし。エリ−トほど社会防衛的な意識が強い からね。その辺も掘り下げが不足している。 主人公の家族が、最初からこぞって応援する というのも出来すぎだ」  「輸血による感染か、性交による感染かと いう感染原因によるエイズ患者の選別化とい う根強い傾向に対する批判も、あいまいなま ま終わっている」

 「エイズという重いテ−マを描きながら、 時には笑えるエンタ−テインメントを目指し たというけれど、それにしてはパワ−が不足 していた。エイズに感染した友人がいたとし ても、自分が安全な位置にいては、エイズ問 題には切り込めない」  「その点では、距離感を失うほど切実さに 満ちた『野性の夜に』の方がはるかに共感で きる。エイズ問題と同性愛問題は、はっきりと区別しなければならない」


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 「アメリカ・インデペンデント・フィルムの鬼才グレック・アラキの『リビング・エンド』は、いかにも90年代的な作品だ」「エイズ・キャリアの同性愛2人の逃避行。細部に偏在する死のイメージと映像と絡み合う破壊的な音楽。ゴダールの『気違いピエロ』を常に意識しながら、ラストでピストル自殺を思い止まって生き残るという選択が、極めて今日的だと感じた」  「ゲイやレズビアンの監督によって製作された映画は『クィーア・フイルム』と呼ばれている。自らの在り方を肯定した上で、現実の困難を引き受ける力強さは、異性愛、同性愛を問わず、貴重なものだ」

 「83年に製作された『傷ついた男』(パトリシア・シエロー監督、エルヴィ・ギベール脚本)が、10年ぶりに公開された。ゲイを巡る状況が大きく変わってしまったことを、あらためて実感させられた。エイズの影もない。『リビング・エンド』と対照的な作品だ」「ジャン・ユーグ・アングラードが、この映画で脚光を浴びた。青春の狂おしさを、全身で表現していたからね。つかみ所のない登場人物たちも、揺れ動く青年の目を通じて見つめられているからだろう。無自覚なままに野性的な男性を好きになり、最後は殺されてしまう。いかにも、80年代的な結末だ」

 「デ・パロマ監督の『カリートの道』は、懐かしいギャング映画だった。70年代のニューヨークが舞台。麻薬王だったカリートは、30年の刑期を終えて外に出、足を洗ってバハマでレンタカー屋を営もうと決意する。しかしカリートは仁義や友情を重んじる古いタイプの人間なので、次第に麻薬に絡むいざこざに巻き込まれ、最後には殺される。グランドセントラル駅構内のエスカレーターでの銃撃戦は圧巻だ。突出した名作というわけではないが、職人芸で飽きさせない」

 「デ・パロマというと、かつては異端的な監督だった。しかし、今ではすっかり巨匠になった。ギャング映画の伝統をぶち壊したタランテーノ監督の『レザ・ボア・ドッグス』とは対照的に、伝統に回帰したとも取れる。その点が、すこし残念な気がする。もう一度『キャリー』のような、いつまでもシーンが残るサイコ・スリラーが観たい。『キャリー』は、差別され抑圧された少女が、切れて破壊し始める場面が忘れられない。あの瞳が」

「相米慎二監督の『夏の庭』は、現代邦画の水準をクリアした美しい作品ではあるが、各方面で聞かれる最高傑作との評価は当たらない。テーマ自体は重いが、前作の『お引越し』のあまりにも鮮烈な再生のイメージに比べると、安直な印象を受ける。『お引越し』の火や水は、何かを象徴するというよりも、意味付け以前の剥き出しの自然力そのものだった。それに対して『夏の庭』の花や蝶は、お手軽な象徴になっている」

 「相米慎二監督も認めているように、井戸の中にすべてがすっぽりと納まってしまった。かつての相米映画は、悪ふざけと紙一重の、何を意味しているか分からない、ドキリとするブキミさがあった。最近の作品は、まとまりよく映像も深みを増しているものの、閉じているように感じる」「少年の夏休みといえば『ションベンライダー』(83年)が、連想される。少年の冒険を描いた、みずみずしくて粗暴な作品。私はこちらの無茶苦茶さが、好きだな」「この頃は、映画に限らず、自由を願いつつ結局は癒しを求める傾向が強まっている。逃れようとすればするほど、巻き込まれていく」「カリートと同じだね」


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「イザベル・アジェンデ『精霊たちの家』 を原作とした『愛と精霊の家』(ビレ・アウ グスト監督)は予想以上に手応えがあった。 スケ−ルの大きなスト−リ−をうまくまとめ 映像も冴えわたっている」  「激動の20世紀を生き抜いた女性3代の物 語だから、2時間19分はあまりにも短い。テ ンポが早すぎて『印象が散漫』『余韻がない 』『急ぎすぎ』との批評があった。しかし、 失敗作とはいえないだろう」  「このテ−マならベルトルッチの『190 0年』のように5時間はほしいね」

 「そのベルトルッチの『リトル・ブッタ』 は、子供だましかと思っていたが、極めて具 体的な説得力があった。映像の力だろうな」  「一人のチベット僧が女性、西洋人など3 人に転生するという着想も、微妙なズレを孕 んだ輪廻転生譚として興味深かった」  「これまでのベルトルッチは歴史のなかで の人間の葛藤を描きつづけてきた。しかし、 この映画は葛藤なき静けさが支配している」  「それを批判的にみる人は多い。ベルトル ッチ自身、『ラストエンペラ−』以降を、は っきりと『東洋への逃走』と言っている。こ の自覚はさすがだと思う。問題は今後だ」

 「ベルトルッチは西洋の限界につき当たっ て東洋にのめり込んでいった。その横断の冒 険に対し、彼はゴダ−ルの不動性、閉鎖性を 批判する発言を行っていた。ベルトルッチは ものすごくゴダ−ルを意識している。『暗殺 の森』でも、暗殺すべき人の電話番号をゴダ −ルの番号するという悪戯をしていた」

 「ベルリンの壁崩壊後の欧米の混乱時の、 ゴダ−ルの確固とした姿勢は見事だったね」  「劇場公開は日本が初めてという『ゴダ− ルの新ドイツ零年』(91年) でしょう」  「ヘ−ゲルの『哲学史』を中心に、おびた だしい数の音楽、絵画、写真、文学を引用す ることで、多面的に現状を見据えていた」

 「『歴史の終焉』が叫ばれていた当時の状 況を、まさに歴史の中で相対化してみせた。 しかも、悲愁に満ちながらも凛した映像の美 しさはどうだろう」  「その凝縮された孤独な映像を通じて、ゴ ダ−ル自身の孤独にも触れたように思う」  「この内容でわずか62分だからね。軽やか さ、深さ、静けさの調和は奇蹟的だ」

 「ゴダ−ルに比べ、ヴィム・ウェンダ−ス の狼狽ぶりはどう思う」  「『時の翼にのって』は、各方面から絶賛 されていたけれど、現代の混乱を描いている のではなくて、どうみても映画自体が混乱し ている。それは『夢の崖までも』の前向きの 失敗とは別のものだ。前半には、ある切実さ が感じられたが、後半は安物の展開。結末も 釈然としない。とても後味が悪かった」

 「撮影者が皆死んじゃう『ありふれた事件 』(レミー・ベルボー、ブノワ・ポールブールド、アンドレ・ボンセン監督)の結末も後味悪い。これでは教育映画だ」  「殺人犯に同行して次々に殺人のシ−ンを 撮っていくという設定。徐々に撮影者が被写 体にまき込まれていく過程を描いている。全 編即興にみせた演出が、いかにもわざとらし い。意味のない殺人を冷徹に撮り続けた『ヘ ンリ−』の不気味さは乏しい。『ゆきゆきて 神軍』のような被写体との緊張関係もない」  「数々の賞を取ったが、納得できないな」


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 「2月19日に死去したデレク・ジャ−マン の追悼上映会が行われ、若い人た ちを中心に超満員となった。死の直前のイン タビュ−映画『記憶の彼方へ』は、淡々と過 去の作品について話すデレクを静かに映し続 けた。死を覚悟しながら、最後までユ−モア を失わないデレクの姿が胸に迫った。詩的で 耽美的な映像と暴力的でノイズに満ちたパン ク的な映像が巧みに融合したデレクの作品。 晩年にはコメディ・タッチも目立った」  「同性愛者であることを宣言し、晩年はエ イズに感染していることも明らかにしながら 差別と闘いつづけた」

 「『ヴィトゲンシュタイン』は、同性愛者 で若くして単独で死んでいったヴィトゲンシ ュタインと自分を重ねている。冷たく鋭利な ヴィトゲンシュタインの哲学の核心を紹介し ながら全てを独自のユ−モアで包んでいる」  「遺作となった『ブル−』は、青一色のス クリ−ンに音楽と朗読が重なる。映像は一切 ないのだけれど、音楽と朗読によって、スク リ−ンが雄弁に語りはじめる。自らのエイズ 体験を、ブル−に託したデレクの思いが伝わ ってくる。死を前にして自らを突き放す姿は ただ者ではない。こんなに心を動かされる映 画は久しぶりだった。希有の体験だった」  「デレクはインタビュ−の中で『ブル−が 遺作になれば幸運だ』と語っていた。若くは あったが、見事な生涯といっていいだろう」

「大林宣彦監督の新作『女ざかり』は、丸谷 才一の予定調和的な小説を、大林流にどう思 い切って再構築するのか、楽しみにしていた が、文芸大作の枠を越えることができなかっ た」  「吉永小百合のシワを撮ると強調していた のに、あまり肉薄していなかった。おびただ しい断片化の試みも、中途半端に終わってい る。原作の哲学者の役を動物学者にしてしま ったのも、疑問だった。津川雅彦なら仕方な い気もするけれど」  「大林の映画には、どうしても切ない叙情 を期待してしまうからね。その点では藤谷美 紀の生々しい内臓幻想は大林的。田丸夫人役 の松坂慶子の幽玄さは拾いものだった」

 「『RAMPO』に続き、乱歩ブ−ムを機に『屋根裏の散歩者』(実相寺昭雄監督)と『押絵と旅する男』(川島透監督)が公開されたの収穫だった。実相寺の 作品は、確かにうまいのだけれども、乱歩的 な屈折が弱い。どこかシャイで観念的な匂い が強い。予告編のほうがゾクゾグしたな。そ の点、田中登監督の『江戸川乱歩猟奇館−屋 根裏の散歩者』(76年)の方が、乱歩的な質 感をより表現していたように思う」  「『押絵と旅する男』は、見事に原作を再 構築し、独自の世界を切り開いていた。大正 時代の家並みをはじめ、映像の凝り方も並で はない。鍵となる押絵の女性の美しさも際立 っていた」

 「田壮壮監督の『青い凧』は大躍進時代、 文化大革命と政治に翻弄される人々の悲劇を 子供の眼の高さで描いた作品。全体的に熱量 の高い傾向がある中国映画の中にあって、そ の映像の『冷やかさ』は目立つ。人々は多く を語らずに死んでいき、残された者は黙々と 生き抜いていく」  「この映画の製作自体が、政治に翻弄され 続け、幾度も撮影中止となった。その中で完 成させた監督の思いの強さが分かる。淡々と した映像から静かな怒りとともに、懐の広さ が伝わってくる。名作といっていい」


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 「ペドロ・アルモドバル監督の『キカ』はこれまでの作品の中で、最も下品で悪趣味だ ろう。しかし、本筋の物語自体はヒッチコッ ク的な展開。ポランスキーの『赤い航路』も すぐに連想される。すこしとまどった」  「本筋はあまり気にしなかった。むしろ登 場人物の性格とファッションを楽しんだほう がいい。関係を喪失した人間たちの関係とい う根底に流れるテーマさえ、付け足しのよう なものだ。一人ひとりの切実でしかも滑稽な 生きざまを楽しんだ方がいい」

 「脳天気な性格で全体が暗くなるのを救っ ている主人公のキカよりも、テレビ番組『今 日の最悪事件』を担当している女性リポータ ー・アンドレアの迫力がすごい。頬傷からフ ァッションまでキッチュの極み。血が滴った ようなドレスや動く金物屋のような取材服と いう衣装を担当したジャン・ポール・ゴルチ エは『コックと泥棒、その妻と愛人』の時も 感じたけれど、監督の個性をつかむのが実に うまい」  「常連のロッシ・デ・パロマは、相変わら ずイイ味出している。不幸な人生を真剣に生 きている姿が笑えるというキャラクターは、 貴重だ。パンフで『ピカソの絵を思わせる特 異な風貌』なんて書かれてしまうのだから。 馬面で鼻が曲がっているより、いいか」

 「ジェーン・カンピオンの長編第一作『ス ウィーティー』を観た感想は」  「危なくてコミカルで悲しい物語。この作 品で『女デビッド・リンチ』と呼ばれたそう だけれど、全然質感が違う。リンチは、本当 に得体の知れない感覚を持っているが、カン ピオンは現実の細部を美化せずに直視してい るだけだ。最後まで自分を、世界を把握して いる。危ない領域ぎりぎりまでは行くけれど も、最後は優しく見つめている」

 「彼女の作品は、男が描けていないという 批判がある。『ピアノ・レッスン』で特に目 立った。しかし、従来の男性監督が女性を描 けていたか、と問われればハッと気づくはず だ。しょせんは男性という小さな節穴から女 性や世界を観ていたということを。カンピオ ン監督の作品を観ていると、痛切にそう思い 知らされる。彼女は、堂々と女性という節穴 から観た男性像を打ち出しているから」  「同感だな」

 「邦画に触れなくいいの?。『平成狸合戦 ぽんぽこ』とか『毎日が夏休み』とか」  「『ぽんぽこ』はおろく婆のキャラクター と多摩ニュータウンでの妖怪大作戦が秀抜。 生きる場を奪われていく狸たちの悲壮な闘い は、人間の歴史と重ね合わされてかなり重い が、ラスト近くの『気晴らし』の境地は、最 後の月並みな説教よりも深い意味がある」  「三種類の狸の書き分けは、成功したと思 う。これはかなり高度な配慮だった」

 「金子修介監督の『毎日が夏休み』も、出 社拒否ー失業、登校拒否と重いテーマなのに 展開が実にすがすがしい。会話のテンポも見 事。代表作の一つになるのではないか」  「主人公のスギナ役の佐伯日菜子が、例え ようもなくさわやかだった。閉塞的でしかも 内部解体している日本の家族の中で、今後の 希望を提示していると思う」


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  「ラッセ・ハルストレム監督の『ギルバー ト・グレイプ』は、久々に文句の付けようが ないアメリカ映画だった。不幸だけれど暗く ならないユーモア。それぞれが歪みを持ちな がら、絶妙の距離と一体感を持った家族」  「スウェーデン映画の良き伝統がアメリカ の風景と溶け合っている。前作の『マイ・ラ イフ・アズ・ア・ドッグ』の見事さとは、ま た別の味わい深さがある」

 「絶妙のバランス感覚を持つ職人的な演出 ぶり。そして俳優たちが皆好演している。家 族を養う責任を一手に引き受け、町から外に 出た事がないグレイプ。感情を表に出さない 彼の心理を、眼の表情で演技したジョニー・ ディプ、感情の起伏の激しい知的障害者アー ニーを演じたレオナルド・ディカプリオの熱 演、そして夫の自殺のショックで過食症にな った母親役のダーレーン・ケイツの存在感」  「彼女は、実生活でも5年間家から出なか ったという。家の中心にいる彼女の巨体が、 ブラック・ホールのように家族を引きつけて いた。だから彼女の死によって、残された家 族はそれぞれの道を歩いていく」

 「家とともに火葬するシーンは象徴的だっ たね。重層した思いが込められていて」  「ベッキー役のジュリエット・ルイスにも 注目。『カリフォルニア』(ドミニク・セナ 監督)ではネジのはずれた恋人役を演じた」  「『カリフォルニア』は、最近のアメリカ 映画を代表するような作品だ。内省すること がない凶悪犯の暴力が、繰り返される。セナ 監督のテンポの良さと映像の切り取り方には 才能を感じる。薄汚れた役をこなしたブラッ ド・ピットの実力は認めるが、屈折した欲望 を持つ登場人物に、もう少し厚みがほしい」

 「ロジャー・エイヴァリー監督の『キリン グ・ゾーイ』も、同じような感触。ジャン・ ユーグ・アングラードが凶暴な銀行強盗役を している。ただ、こちらには屈折が見える」  「ベッドシーンに、テレビの古い吸血鬼映 画をダブらせる趣向は、さすがタランティー ノ監督のバイト仲間だと思った」

「アベル・フェラーラ監督の『スネーク・ア イズ』は、70年代のマイナー映画の匂いがす る。今どき、ここまで個人の苦悩、内面の矛 盾を掘り下げようと試みる作品は珍しい。マ ドンナとハーヴェイ・カイテルが登場するだ けの映画ではない」  「内面なんてない、というのが流行りだか らね。現実と虚構の交錯というテーマも、現 実を信じていなければ意味がない。ラストで 観客から不満いっぱいのブーイングが起こっ たように、作品としては失敗だと思うが、そ の反時代的ないかがわしさは評価したい」

 「同時上映の『冷たい月を抱く女』(ハロ ルド・ベッカー監督)は、どんでん返しが決 まっていて、けっこう楽しめた。とりわけニ コール・キッドマンの豹変ぶりは見事」  「しかし、大金のためとはいえ自らの卵巣 を詐欺の道具に使う女性がいるだろうか」

 「邦画では『800』(廣木隆一監督)が 印象的。同性愛あり近親愛ありの青春ストー リィを独自のセンスで描いた。エロティックで頽廃美あふれる『魔王街』『夢魔』とはまた別の魅力があった。今後が期待される」  「阪本順治監督の『トカレフ』は、相変わらずうまさは見せるものの、トリックのアイデアに頼りすぎるきらいがあった。これまでの作品が順調だっただけに惜しい」「不思議なムードはいいと思うよ」


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 「カンヌ映画祭グランプリを受賞したタラ ンティ−ノ監督の『パルプ・フィクション』 は、スピルバ−グやキャメロンとは全く違う 意味でアメリカ的な映画だった。アメリカの 無国籍性、日常な空虚さとともに、切実な悩 みを抱えている現実が描かれていた」  「僕は、わざとらしさと気負いのようなも のを感じて好きになれなかった。ラストも、 『おいおい、説教する気かよ』と驚いたね。 スト−リ−を断片化し時間を組み換えるアイ デアも、先が読めてしまうと興ざめする」

 「安物のスト−リ−に見せて、結構手が込 んでるんだぞ、という匂いはするけれど。人 物造形が独創的でスタイリッシュだけれど、 あまりにも決まりすぎている。『レザボア・ ドッグス』『トゥル−・ロマンス』を観て ない人には、新鮮に写るかもしれないが、フ アンには不満が残ると思うな」  「たしかに音楽のセンスは今回も冴えわた っている。幾分冗長な部分もあるが、会話も それなりに決まっている。でも、変化球が多 すぎるような気がする」  「タランティ−ノの中で、アメリカの可能 性と限界性がせめぎあっている」

 「それに対してクシシュトフ・キェシロフ スキの『トリコロ−ル』3部作は、まだ『青 の愛』と『白の愛』しか観ていないが、いか にもヨ−ロッパ的な屈折を抱え込んでいる。 音楽、映像のセンス、ユ−モアの質が、タラ ンティ−ノとまるで違う」  「『青の愛』には打ちのめされたな。『ふ たりのベロニカ』とともに、音楽と映像の高 みを見せられた。映像と音楽の見事な融合な どという月並みな表現では足りない。夫は欧 州統合祭のための協奏曲を作曲中に死亡し、 主人公もその作曲に深く関わっていた。夫の 記憶は音楽と緊密に結びつき、主人公を悩ま せる。心理の内面をえぐる音楽のすさまじい 響きが、数日耳に焼きついていた」

 「主人公役のジュリエット・ビノシュが、 また素晴らしかった。これまでで最高の作品 と断言していいだろう」  「そして、ブル−の色調。さまざまな思い が込められた多様なブル−。デレク・ジャ− マンの遺作『ブル−』を連想しても、場違い じゃないよね。深い痛苦も共通していた」  「最後は、少々押しつけがましかったが、 間違いなく秀作と言える出来ばえだった」

 「ジュリ−・デルピ−の『白の愛』は、コ ミカルで淡々としていながら、フランスとポ −ランドの複雑な関係を踏まえ、恐ろしく屈 折した愛の姿を描いていた」  「どちらも、死を媒介にした愛の姿を描い ているが『白の愛』は距離を置き、傷つけ合 う形の愛の物語。デルピ−がはまっていた」  「複雑な歴史を抱えつつ統合に向かうヨ− ロ−パの軋みが底に流れているような気がす る。アメリカとは異質の痛みがある」

 「トラン・アン・ユン監督の『青いパパイ ヤの香り』は、ベトナムとフランスの出会い から生まれた新しい可能性を感じさせる。快 い肌触りの映像とみずみずしい少女の表情。 虫や動物たちへの眼差し。徹底した美意識に 支えられた展開は、才能を感じさせる」  「ただし、美意識によって東洋の家父長的 な伝統を結果的に肯定してしまった。後半の 凡庸な展開とともに、この点は不満だ」


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『ショート・カッツ』(ロバート・アル トマン監督)は、『ギルバート・グレイプ』 よりもシニカルで『パルフ・フィクション』 よりも脚本が数段いい映画だ。22人の人物を 見事にパッチ・ワークしている。夫婦や親子 の屈折した関係を距離置いて描きながら、そ れぞれが何処かでつながっている不思議さ。 アルトマンらしい切れ味をみせた」  「破滅の予感に包まれ、皮肉に満ちた作品 なのだけれど、その物語の中心に交通事故で 死にゆく少年がいる。無垢な少年が全体を支 えている。無垢というのは、所詮幻想なのだ けれども、アルトマンも無垢には弱い」

 「すべての価値が崩壊した中で、幻想とし ての無垢が中心にある。『日本的な』中空構 造ともいうべき、神話的な構造がせり出して くる。これは注目すべきことだ。『パルフ・ フィクション』の結末でキリスト的な寛容が 登場したように、人々は無意識のうちに古層 に還える」  「歴史は過ぎ去っていくのではなく、積み 重なっているということだよ。激震があると 古い層が露出してくる」

 「アレクサンドル・ソクーロフ監督の『ロ シアン・エレジー』もロシア的な伝統に帰ろ うとしている。ただ、観客に考えさせようと しているが、映像に緊張感がないので、すぐ にあきてしまう。アクションの連続で観客に 考えさせない傾向に対し、アンゲロプロスも 観客に考える時間を与える映画を目指してい る。しかし、それは映像が緊張に満ちた美し さを放っているから可能なのだ。ソクーロフ 監督の映像には、それだけの力はない」  「方法論は分かるのだが、映像に対する繊 細さが足りない。あるいは、ロシア人には十 分理解可能なのかもしれないが」  「常に『待機』しているロシア人と『甘え を含んだ断念』が得意な日本人の違いか」

 「ヘンリー・セリック監督の『ナイト・メ ア・ビフォア・クリスマス』は、まぎれもな くリチャード・バートンの世界だ。あの異形 者たちの切なさに満ちたファンタジ−は、大 好きだな。人形アニメの方が伝わってくる」  「キャスパ−・ノエ監督の『カルネ』のぎ くしゃくしたいかがわしい展開が、行儀の良 く映画に飽きたフランスの若者を喜ばせたの は分かる。しかし、馬といえば『走る』と連 想する私たちには、馬肉の味や屠殺され解体 されるインパクトが伝わりにくい」

 「『豚鶏心中』(松井良彦監督)の延々と 続く豚の屠殺・解体シ−ンの衝撃性とは異質 だ。ただ観終わった後の、べっとりとした後 味の悪さは印象的だった」  「『薔薇の素顔』(リチャード・ラッシュ 監督)は、スト−リ−が破綻しているものの とにかく最後までみせるサイコ・スリラー。 多重人格ものだけれども、十分に痛みが伝わ ってこない。個人的には『ラ・マン』のジェ ーン・マーチの成長ぶりを観ることができた ので満足」

 「『苺とチョコレート』(トマス・グティエレス・アレア監督)は、キューバ・メキシコ・スペインの合作。共産主義と同性愛というテーマを正面から取り上げている」「同性愛者と芸術家を同一視する姿勢に限界はあるもの、重い一石を投じた力作だ」「ラストの抱擁は美しい」「女性の立場がやや弱い点が気になったけれど」

 「『ナイト・ヘッド』(飯田譲治監督)は 結構人気を集めていた。SFXを使わなくて も、エスパ−ものを違和感なくみせる編集の テクニックはさすがだ。超能力者の苦悩とい う古典的なテーマだが、こちらは痛みが素直に伝 わってくる」「小島聖も痛々しくって」


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