シルバーバーチの霊訓(十)
パム・リーバ(編)
1987年11月 近藤 千雄(訳)

Light from Silver Birch
Edited by Pam Riva
Psychic Press Ltd. (1983)
London England

目 次
まえがき
第1章 シルバーバーチの挨拶
第2章 何のために生まれてくるのか
第3章 生きがいある人生を送るには
第4章 死ぬと言う事はどういうことか
第5章 死んだ後、どうなるのか
第6章 音楽を語る
第7章 再生問題を語る
第8章 背後霊の仕事
第9章 人生は霊的巡礼の旅
第10章 質問に答える
第11章 シルバーバーチの祈り
第12章 シルバーバーチと私(モーリス・バーバネル)
訳者あとがき

まえがき
人間は何のために生まれてくるのだろうか。
死んだらどうなるのだろうか。
もっと幸せで生き甲斐のある生活を送るにはどうすればよいのか。

天地万物の背後には知的な〝こころ〟が存在するのだろうか。
物的宇宙に、そして人間に、何か〝計画〟というものがあるのだろうか。

知性の芽生えとともに、人類はこうした謎を追求しつづけてきた。そして今その解答が、かつて同じこの地球で生活し今は一段と次元の高い世界へ進化して行っている人類の先輩霊の一人によってもたらされつつある。

その霊は人間の無知の暗闇を照らす松明の持ち手としての使命を引き受け、地上で語るための霊媒としてモーリス・バーバネルを選んだ。

間もなくそのバーバネルを通して語るメッセージに耳を傾ける小さなグループができた。そしてそのうちの一人で〝フリート街の法王〟(英国ジャーナリズム界の御意見番)の異名をもつハンネン・スワッハーの名を冠して〝ハンネン・スワッハー・ホームサークル〟を正式の名称とした。

そのメンバーのうちの三人は世襲的にはユダヤ教徒であり、さらに三人はキリスト教徒だった。が、シルバーバーチと名のるその霊は「我々が忠誠を捧げるのは一つの教義でもなく、一冊の書物でもなく、一個の教会でもなく、生命の大霊とその永遠不変の大自然の摂理です」と語るのだった。

一人の人間が人類全体の命運を左右することは現実に有りうることである。イエスがそうだったし、ヒトラーがそうだった。このモーリス・バーバネルとシルバーバーチという二つの世界にまたがるコンビは、以来、数え切れないほどの人々の人生を変え、悲しむ人には慰めを、絶望の淵に沈む人には希望を与え、今や世界のすみずみまでその愛好者が増えつつある。

ところで、そのシルバーバーチとはいったい何者であろうか。

それについては、最も身近かな存在である霊媒のバーバネルも、1920年に始めて入神させられてシルバーバーチのマウスピースとなった時に何も知らなかったことは、間違いない事実である。

そしてそれから61年後に他界するまで、もしかしたら知っていたかも知れないが、ひとことも口にしていない。が、彼はその61年の歳月を支配霊シルバーバーチの語るメッセージを世界中に広めることに献身した。

他界する当日まで倦むことなく忠実にその使命を全うし続けた。本書には彼による最後の交霊会の霊言が収録されている。

私はこの霊言集を次の三人の先達に捧げたい。すなわち優れた編集者であり、ジャーナリストであり、作家であり、また実業家としての才も見せた霊媒のモーリス・バーバネル、49年間にわたってその地上での良き伴侶であった奥さんのシルビア、そしてサークルのメンバーであり同時に霊言の速記者でもあったフランシス・ムーア女史である。
パム・リーバ


第1章 シルバーバーチの挨拶
私たち霊団の者は、一種名状しがたい暗闇に包まれている地上各地において、大々的救済活動に従事しております。霊の光がその暗闇を突き破り、人間が全生命の根源・・・物質的に精神的に霊的に豊かにする崇高な霊力の恩恵にあずかれるようにしてあげなければならないのです。

進歩は遅々たるものです。克服しなければならない障害が山ほどあります。が、着実に進展しつつあります。各地に新しい橋頭堡が築かれつつあります。霊力はすでに地上に根づいております。それが、幾百万とも知れぬ人々に恩恵をもたらすことでしょう。

私をはじめ、私を補佐してくれる霊団の者、そして地上にあって私たちの道具となってくれるあなた方は、この気高い事業に奉仕する栄誉を担っているわけです。それ故にこそわれわれは、双肩に託された信頼をいかなる形にても汚すことのないように心掛ける責任があると言えます。

あなた方は霊力を活用する立場にあります。私も同じです。そして必要とあれば私は、こうして私たちがあなた方のために尽力しているように、あなた方が他人のために自分を役立てるための霊力を、さらに余分に引き出すこともできます。

これまでに啓示していただいた知識のおかげで、われわれは背後に控える力が地上のいかなる霊力よりも強大であるとの認識によって、常に楽観と希望をもって臨んでおります。敗北意識を抱いたり意気消沈したりする必要はありません。

すべて神の計画どおりに進行しており、今後もそれは変わりません。人間が邪魔することはできます。計画の進展を遅らせることはできます。が、宇宙最高の霊が地球救済のために開始した計画を台なしにしてしまうことはできません。

われわれが有難く思うべきことは、地上的なものが提供してくれるいかなるものにも優る、物質の領域を超えた、より大きくより美しい生命の世界を垣間見ることを可能にしてくれる霊的知識を手にしていることです。

その世界には、地上に豊かな恩恵をもたらす霊力の道具としての人間を援助し鼓舞し活用することを唯一の望みとしている、進化せる高級霊が存在することをわれわれは、信仰ではなく事実として認識しております。

その霊力は病気を癒やし、悲しむ人を慰め、道を失った人を導き、無知を知識に置きかえ、暗闇を光明に置きかえ、生きる意欲を失った人には元気を与え、真理に渇いた人の心をうるおし、真の自我を見出そうとする人には神の計画に基づいたガイドラインを提供してあげます。

援助を求める祈りが聞かれないままで終わるということはありません。人のために何か役立つことをしたいという願いが何の反応もなしに終ることはありません。霊界においては、自分より恵まれない人のために役立てる用意のある地上の人間を援助せんとして万全の態勢を整えております。

ただ単に霊感や啓示を手にすることができるというだけではありません。霊力という具体的なエネルギーの働きかけによって、受け入れる用意のできた魂にふんだんに恩恵がもたらされるのです。

その道具として、内部の神性をより多く発揮すべく、進化と発達と開発のために不断の努力を怠らないというのが、われわれの絶対的な義務です。生命に死はありません。墓には生命を終わらせる力はありません。愛にも死はありません。

なぜなら愛は死を超えたものだからです。この生命と愛こそ、われわれが所有しかつ利用することのできる大霊の絶対的神性の双子(ツイン)です。それを発達させ開発させることによって、われわれより恵まれない人々のために、他の資質とともに活用することができます。

今の地上は大霊すなわち宇宙の神よりも富の神マモン(Mammon)を崇拝する者の方が多くなっております。本来ならば人間的生活を豊かにする霊的知識を携えた霊的指導者であるべきはずの宗教家がまずもって無知なのです。

霊的真理とは何の関係もない、人間が勝手にこしらえた教義や信条やドグマを信じ、それに束縛されているからです。洞察力に富んでいなければならない立場の人みずからが、悲しいかな、一寸先も見えなくなっているのです。

そのために、霊の力を地上に顕現させ、生命と愛とが永遠であるとの証拠を提供し、医者に見放された患者を治してあげることによって霊力の有難さを味わわせてあげるためには、いろいろとしなければならないことがあるわけです。

霊力の機能はそれ以外にもあります。日常の生活において他のすべての策が尽きたと思えた時の支えとなり、指示を与え、導きます。

宇宙機構の中における地上の人生の目的を認識することによって、各自がその本性を身体的に精神的に霊的に発揮できる道を見出し、かくして、たとえわずかな間とはいえ、この地上での旅によって、これ以後にかならず訪れる次のより大きい生命の世界に備えて、大自然の摂理の意図するままに生きられるように導いていきます。

自分はこれからどうなるだろうかという不安や恐怖を抱く必要はどこにもありません。霊は物質に勝るのです。大霊はいかなる地上の人間よりも強大な存在です。いつかは必ず神の計画どおりになるのです。

そのためには、あなた方人間の一人ひとりに果たすべき役割があります。いま住んでおられるところを、あなたがそこに存在するということによって明るく豊かにすることができるのです。そのための指針はあなたが霊的に受け入れる用意ができたときに授けられます。

いったん宇宙の最大の力とのつながりができたからには挫折は有り得ないことをご存知ならば、いつも明るく信念と希望に燃えてください。あなたを愛する霊たちがいつでも援助に参ります。

あなたと地上的な縁によってつながっている霊だけではありません。霊的知識を地上全体に広めるためにあなたを霊的通路として活用せんとしている上層界の霊である場合もあります。

私からのメッセージはいつも同じです。・・・くよくよせずに元気をお出しなさい、ということです。毎朝が好機の訪れです。自己開発のための好機であると同時に、あなた自身ならびに縁によってあなたのもとを訪れる人々の地上での目的が成就される、その手段を提供してくれる好機の訪れでもあります。


シルバーバーチの祈り
私ども一同は、暗黒と無知と迷信と利己主義と暴力、そのほか地上のガンともいうべき恐ろしい害毒を駆逐することによって、神の永遠の創造活動にわれわれならではの役目を果たすことができますよう祈ります。

私どもの仕事は、そうした害毒に代わって、神の子等が内部にその可能性を宿している燦爛たる光輝を発揮させる崇高な知識を授けることです。

これまでに私どもが授かった恩恵への感謝の表明として、私どもは今後ともその崇高な叡智と霊力の通路たるにふさわしい存在であり続け、恵まれない人々を救い他の人々に救いの手を差しのべ、生き甲斐ある人生の送り方を教える、その影響力の及ぶ範囲を強化し、そしてますます広げていく上で少しでもお役に立ちたいと祈る者です。

ここに、常に己を役立てることのみを願うインデアンの祈りを捧げます。

第2章 何のために生まれてくるのか
地上生活の目的は人間の霊性の発現を促すことです。

地球という天体上に住む人間の一人一人に生きる目的があります。なのに大半の人間がその生活の基盤となっている霊的実在に気づいていないのは悲しいことです。まるで穴居人(ケッキョニン)のように、ガランとした暗がりの中で暮らしております。視角がズレているのです。焦点が狂っているのです。

ビジョンが間違っているのです。人生がもたらしてくれる莫大な豊かさをまったく知らずにいます。霊的真理に気がつけば自分がいま何をしなければならないかを自覚して、そこに人間革命が生じます。

われわれはみんな人間的存在です。ということは、内部に不完全であるが故の欠点を宿しているということです。もしも完全であれば、あなた方は地上に存在せず私は霊界に存在しないでしょう。宇宙における唯一の完全な存在である大霊に帰一してしまっていることでしょう。

私には皆さんの人間であるが故の弱点がよく理解できます。しかし、一つ一つの問題を自分への挑戦(チャレンジ)として平然と受け止めると同時に、内部の霊性を強化し、開発し、発展させて霊性を高めるための触媒として、それを克服していかねばなりません。

地上的環境の中に置かれている以上あなた方は、地上ならではのさまざまな条件が生み出す幸福の絶頂と不幸のドン底、いわゆる人生の浮き沈みというものに直面しないわけにはまいりません。

しかし、そこにこそ皆さんが地上に生を受けた意味があるのです。つまりそうしたさまざまな浮き沈みの体験が皆さんの霊、真実の自我に潜在する資質を顕現させることになるのです。困難と逆境とに遭遇してはじめて発揮されるものなのです。

魂が真の自我に目覚めるのは太陽が光り輝いている時ではありません。バラ色の人生の中では霊性は発揮されません。危機、挑戦、困難、障害、妨害の中にあってこそ発揮されるのです。それが魂に潜在する神性を自覚する唯一の触媒を提供してくれるのです。

これは、霊的叡智を求める求道者のすべてに言えることです。断腸の思い、悲痛、苦痛を体験しないことには、そのあとに訪れる恩寵の有難さが十分に理解できません。人のために役立とうとする人間は試練を覚悟しなければなりません。時には力の限界までしごかれることもあります。

人間一人一人に神の計画があるのです。偶然の事故、偶然のチャンス、偶然の一致というものはありません。すべてが大自然の摂理によって動いており、そこには奇跡も摂理への干渉も有り得ません。摂理そのものが完璧にできあがっているのです。なぜなら完全な叡智によって生み出されているからです。

神の法則に例外というものはありません。存在するものすべて・・・地上の森羅万象だけでなく、無辺の大宇宙のあらゆるもの・・・が神の配剤にあずかっているのです。どちらへ目をやっても、そこに神の法則の働きがあります。

小さすぎて見落とされたり、大きすぎて法則のワクからはみ出たりすることは有り得ません。それと同じ法則があなたにも働いているのです。もちろん私にも、そして他のすべての人にも働いております。

これで、作用と反作用とが正反対のものであると同時に相等しいものであることがお分かりでしょう。幸福の絶頂に至るにはドン底の苦しみを味わわねばならないこともお分かりでしょう。そして又、皆さんが自分ではドン底を味わったつもりでいても、まだまだ絶頂を極めてはいらっしゃらないこともお分かりでしょう。その証拠に、心の奥のどこかにまだ死後の世界についての疑念をおもちです。

しかし人間は生き続けます。地上で永遠に、という意味ではありません。地上的存在に不滅ということは有り得ないのです。物的なものには、その役割を終えるべき時期というものが定められております。分解して元の成分に戻っていきます。

大自然の摂理の一環として物的身体はそのパターンに従います。が、あなたそのものは存在し続けます。生き続けたくないと思っても生き続けます。自然の摂理で、あなたという霊的存在は生き続けるのです。

ある種の教義や信条を信じたものだけが永遠の生命を与えられると説いている宗教がありますが、永遠の生命は宗教や信仰や憧れや願いごととは無関係です。生き続けるということは変えようにも変えられない摂理であり、自動的にそうなっているのです。

そもそも人間は死んでから霊となるのではなくて、もともと霊であるものが地上へ肉体をまとって誕生し、その束の間の生活のためではなく、霊界という本来の住処へ戻ってからの生活のために備えた発達と開発をするのですから、死後も生き続けて当たり前なのです。

元の出発点へ帰るということであり、地上のものは地上に残して、宇宙の大機構の中であなたなりの役目を果たすために、霊界でそのまま生き続けるのです。

その無限の宇宙機構の中にあって神の子は、一人の例外もなく必ず何らかの役目があります。そして、それを果たそうとすると、いろいろと困難が生じます。が、それは正面から迎え撃って克服していくべき挑戦と心得るべきです。困難と障害は、霊性を発達させ進化させていく上において必要不可欠の要素なのです。

地上というところはバイブレーションが重く鈍く不活発で、退屈な世界です。それに引きかえ霊の世界は精妙で繊細で鋭敏です。その霊妙なエネルギーを地上に顕現させるには、各自に触媒となる体験が必要です。

太陽がさんさんと輝いている時、つまり富と財産に囲まれた生活を送っているようでは霊的真理は見出せません。何一つ難門が無いようでは霊的真理は理解できません。困苦の真っ只中に置かれてはじめて触媒が働くのです。

霊性の開発には晴天よりも嵐の方がためになることがあるものです。鋼が鍛えられるのは火の中においてこそです。黄金が磨かれてそのまばゆいばかりの輝きを見せるようになるのは、破砕の過程を経てこそです。人間の霊性も同じです。何度も何度も鍛えられてはじめて、かつて発揮されたことのない、より大きな霊性が発現するのです。

黄金はそこに存在しているのです。しかしその純金が姿を見せるには原鉱を破砕して磨かねばなりません。鋼は溶鉱炉の中で焼き上げねばなりません。同じことが皆さん方すべてに言えるのです。

霊に関わるもの、あなたの永遠の財産であり、唯一の不変の実在である霊に関わるものに興味を抱くようになるには、それを受け入れるだけの用意ができなくてはなりません。そこで鋼と同じように試練を受けることが必要となるのです。

苦を味わわねばならないということです。不自由を忍ばねばなりません。それは病気である場合もあり、何らかの危機である場合もあります。それがあなたの魂、神の火花に点火し、美しい炎と燃え上がりはじめます。それ以外に方法はありません。

光を見出すのは闇の中においてこそです。知識を有難く思うのは無知の不自由を味わってこそです。人生は両極です。相対性といってもよろしい。要するに作用と反作用とが同等であると同時に正反対である状態のことです。

魂はその琴線に触れる体験を経るまでは目覚めないものです。その体験の中にあっては、あたかもこの世から希望が消え失せ、光明も導きも無くなったかに思えるものです。

絶望の淵にいる思いがします。ドン底に突き落とされ、もはや這い上がる可能性がないかに思える恐怖を味わいます。そこに至ってはじめて魂が目を覚ますのです。

ですから、私たち霊界の者は魂にその受け入れ準備ができるまで根気よく待つほかないのです。馬を水辺につれていくことはできても水を飲ませることはできない、という諺があります。本人がその気にならなければどうしようもないのです。

私には皆さんのどなたよりも長い経験があります。そのおかげで、われわれのすべてを包摂し全存在に配剤した自然法則の完璧さについて、皆さんよりも深く理解しております。

時おり私は地上の同志のもとを訪ねてみることがありますが、霊的知識をたずさえているはずの人が悩み、そして心配しているのを見て、不可解でならないことがあります。霊的知識は、永遠の霊にはいかなる危害も及ぼさないことを保証する基盤であるはずです。

霊的知識を手にした者は常に霊の光の中に生き、明日を思い煩うことがあってはなりません。

地上には人間が思い煩う必要のあることは何一つありません。あなたの内部には霊的兵器・・・非常事態や危機に際して活用できる霊的資質が宿されているのです。その潜在力を呼び起こし待機している霊に訴えれば、解決できない問題は何一つありません。

第3章 生きがいある人生を送るには
われわれ一同は神の道具です。神の道具として役立つと言うことは光栄なことです。人の為に役立つことをすることほど立派な宗教的行為はありません。それこそ霊の正貨(コイン)です。人の為に自分を役立てることは崇高なことです。

それは人の生活を豊かにすることと同時に自分の生活をも豊かにします。また、この世には自分のことを思ってくれる者はいないと思い込んでいる人々に慰めをもたらします。

人の為に役立っていると思う時、私達の心の奥に安らぎと静けさと満足感を覚えます。宇宙の絶対的な支配力への全幅の信頼、神へ向けて一歩また一歩近づかんとする努力の支えとなる堅忍不抜さは、人の為に尽くしている中でこそ得られるのです。

目標の頂点は宇宙の大霊すなわち神です。われわれが生活するこの果てしない宇宙を創造し、ありとあらゆる存在に配剤するための摂理を考案した無限の愛と叡智の粋です。

大霊と離れて何ものも存在しません。大霊が全てなのです。大なるもの、小なるもの、複雑なもの、単純なもの、生命現象のありとあらゆる側面に対して神の配剤があるのです。

霊の働きがあってこそ、全てが存在出来ているのです。神の霊が全てに潜在している以上、神との縁は切ろうにも切ることが出来ないのです。人間がいかなる説を立てようと、神が全てに宿り給い、したがって神は全てであり、全てが神であるという説は変えることは出来ません。

無限なる創造主であり、その愛と叡智によって壮大な宇宙を経綸し、その完全なる知性によって摂理を考案して、壮大と言えるほど大きいものから顕微鏡的に小さいものまでの、ありとあらゆる存在を包摂し、その一つ一つに必要な配剤をしてくださっている大霊を超えた存在は誰一人、何一つありません。

その摂理の作用は完全無欠であり、その支配の外に出られるものはありません。

小さすぎるからと言うことで無視されたり、見落とされたり、忘れ去られたりすることはありません。それは大霊の一部が生きとし生けるものすべてに宿っているからです。言いかえれば神がその一部を各自に吹き込んだからこそ存在しているのであり、その霊性が神とわれわれとを結びつけ、また、われわれお互いをつないでいるのです。

その絆を断ち切ることの出来る力は地上にも死後の世界にも存在しません。その絆があるからこそ、叡智と真理と啓示の無限の貯蔵所を利用することも可能なのです。

生命力すなわち霊が全ての存在、全ての人間に宿っているのです。その最高の形が他ならぬ人類と言う存在に見られます。人類の一人一人の中に、永遠に神と結び付け、また人間同士を結び付けている霊性が宿っているのです。その絆こそ万全の宇宙的ネットワークの一環なのです。

皆さんより永い経験を持つ私達霊団の者も、この果てしない大機構を生みだされた神の叡智の見事さに感嘆せずにはいられないことばかりです。

また私達の心の視野を常に広げ、自分が何者であり、いかなる存在であるかについての認識を増やし続けてくれる真理と叡智とインスピレーションの絶え間ない流れ、私たち一人一人に宿る霊の力、わがものとすることが出来るにも関わらず、霊の豊かさと神と同胞とのつながりについて何も知らずにいる地上の人たちの為に活用すべき才能を授かっていることに、私たち霊団の者は改めて感謝の意を表明せずにはいられません。

大自然の法則は、我々の一人一人に生命を吹き込んでくださった創造神と常に一体関係にあるように、そして地上世界はおろか霊の世界のいかなる力によってもその絆が断ち切られることが無いように配慮してあるのです。

さらにその霊の機構を愛と力が導き管理し常に調和を維持して、受け入れる用意のある者が霊力と叡智と真理とインスピレーションとを授かるための手段を用意しております。

その上我々自らが道具となって、地上の人間生活を豊かにし、病める者を癒し、喪に服する人を慰め、人生に疲れた者に力を与え、道を見失える者に導きを与える、全存在の始源からの崇高な霊力の恩恵をもたらすことが出来るのです。

われわれはそのための才能を授かっているのです。それを発達させることによって、我々が手にした掛けがいのない知識の恩恵にあずかれずにいる不幸な人たちの為に活用することが出来ます。

要するに、この荘厳な霊力の流れる通路として一層磨きをかけ、受け入れる用意の出来た人々に惜しみなく恩恵をもたらしてあげられるようになることが、我々の大切な務めなのです。

さてここで人生体験が霊的に見てどのような意味を持っているかをご説明しましょう。地上の人間は、何故苦しみがあるのか、病気には何の目的があるのか、何故危機、困難、障害と言ったものに、遭遇しなければならないかと言った疑問を抱きますが、これらはみなそれに遭遇することによってまずカタルシス(*)を起こさせ、続いてカタリスト(**)として霊的真理を学ばせる機会を提供してくれる、魂が是非とも体験しなければならない挑戦課題なのです。

(*語源的には〝浄化する〟それが精神医学において、無意識の精神的抑圧を洗い流す作用を意味する。**精神的革命の触媒となるもの)

魂は低く落ち込むことが可能であるだけ、それだけ高く向上することも出来ます。それが両極の原理です。すなわち作用と反作用は相等しいものであると同時に正反対のものであると言う法則です。憎しみと愛、光と闇、嵐と静けさ、こうした対は同じコインの表と裏の関係にあるのです。

私の好きな諺がバイブルの中にあります。〝信仰に知識を加えよ〟と言うのですが、私はこれを〝知識を得たら、それに信仰を加味せよ〟と言い変えたいところです。所詮全ての知識を手にすることは出来ません。あなた方は人の子であり、能力に限界があるからです。人生の嵐に抵抗し、何が起きようと盤石不動であるためには、その土台として霊的知識を必要としますが、限られた知識では全てを網羅(カバー)することは出来ません。その足らざる部分は信仰心で補いなさいと私は言うのです。

本来の住処である霊界から地上へこうして戻ってきて皆さんの賛同を得るのに私たち霊団が愛と理性に訴えていることを、私は誇りに思っております。

有無を言わせず命令することはしません。

ああしてほしいとか、こうしてくれとかの要求もいたしません(*)。あなた方の判断によって自由におやりになられるが宜しい。そして霊の世界から申し上げることがあなた方の理性を納得させることが出来ず反発を覚えさせる時、知性が侮辱される思いをなさる時は、遠慮なく拒絶なさるがよろしい。

(*この姿勢は頭初からの方針として徹底しており、例えば霊言を公表すべきか否かについてさえバーバネルとスワッハーとの間で意見が対立し激論を闘わせたこともあったのに、シルバーバーチはそのことに一言も口をはさんでいない。これは霊界の計画だから早く公表するように、といった助言があっても良さそうに思えるのであるが、それすらなく、実際にサイキックニューズ紙に掲載され、やがて霊言集として出版されるまで十数年の歳月が流れている―訳者)

私達としては皆さんが自発的に望まれた上で協力と忠誠心を捧げて下さるように、皆さんの内部から卑俗なものではなく最高の判断力に訴えなければならないのです。と言って私達の方からは何もしないと言うのではありません。それぞれの活動の分野、日常の仕事において援助を受けていらっしゃることに気づかれる筈です。そしてそれとは別の分野において、人のために役立つことをするように導かれているのです。

私も私なりに皆さんのお役に立ちたいと願っております。気付いていらっしゃらないかも知れませんが、これまで味わったことのない精神的ないし霊的な豊かさをきっと手にされることになる生き方に沿って導かれていらっしゃいます。

そうした中にあってさえ皆さんの心の中には次々と悩みが生じ疑問を抱かれるのも、地上の人間としてはやむを得ないこととして私は理解しております。がしかし、どう理屈をこねたところで、全宇宙の中にあって唯一の実在は〝霊〟であることを改めて申し上げます。

物質はその本性そのものが束の間の存在であり移ろいやすいものです。物的に顕現している形態そのものには永続性はありません。それが実在を保っているのは霊によって生命を与えられているからです。

原動力は霊なのです。霊こそがあなたを、そして他の全ての人を地上に生かしめているのです。霊が引っ込めば物質は崩壊します。あなたの身体は元の塵に戻りますが、本当のあなたである霊は永遠の旅の進化を続けます。

あなた方は霊を携えた身体ではありません。身体を携えた霊なのです。ほんとうのあなたは鏡に映る容姿ではありません。それは霊が地上で自我を表現するための物的な道具、複雑な機械に過ぎません。霊は物質に勝ります。霊が王様であり、物質は召使です。

こうした事実を追及して行くうちに、あなたの視野と焦点の置きどころが変わっていくことに気づかれます。自分がなぜ地上にいるのか、真の自我を発揮するにはどうすべきか、そうしたことを理解し始めます。どういう種類のことであっても結構です。自分の能力を伸ばして他人への援助を啓発の為に活用する。それがあなた方の為すべきことです。

忘れないで頂きたいのは、皆さんは不完全な世界に生きている不完全な存在だと言うことです。もしも完全であれば神はあなた方を地上へ送らなかったでしょう。その不完全な世界においてあなた方は、持てる才能をいかに活用するかについて、自由な選択権が与えられております。

地上世界の特異性は対照的、ないしは両極性にあります。美点と徳性を具えたものと、それらを欠いたものとが同じ地上に存在していることです。これは霊界ではあり得ないことです。各界が同じ性質の霊で構成されていて、対照的なものは存在しません。

地上生活の目的は善悪様々な体験を通じて魂が潜在的霊性を発揮して、強くたくましく成長するチャンスを提供することです。それで悪事があり、罪があり、暴力があるわけです。進化は一直線に進むものではありません。スパイラルを描きながら進みます。表面的には美しく見えてもその底はあまり美しくないものがあります。

私が霊界の界層の話をする時、それは必ずしも丸い天体のことを言っているのではありません(*)。さまざまな発達段階の存在の場のことを指しており、それらが地理的に平面上で仕切られているのではなくて、低いレベルから高いレベルへと、段階的に繋がっているのです。

(*〝必ずしも〟と言っていることから察せられるように、地球と同じ丸い形をした界層も存在する。それがとりもなおさず自縛霊の世界で、地球圏の範囲から抜け出られないまま地上と同じような生活の場を形成している。同じことが各天体についても言えると考えて良い―訳者)

それが無限に繋がっており、これでおしまいと言う頂上が無いのです。霊性が開発されるにつれて、さらに開発すべきものがあることに気づきます。知識と同じです。知れば知るほどもっと知るべきものが存在することに気づきます。

各界層にはほぼ同等の霊的発達段階にある者が集まっております。それより高い界層へ進むにはそれに相応しい霊格を身につけなければなりません。それより低い界層へはいつでも行くことが出来ます。現に私達は今こうして低い界層の人々を啓発する使命を担って地上へ降りてきております。

向上とは不完全さを洗い落し、完全へ向けて絶え間なく努力して成長していくことです。それには今日一日を大切に生きるということだけで良いのです。毎朝の訪れを性格形成のための無限の可能性を告げるものとして迎えることです。それが自我を開発させ、人生に目的性を持たせることになります。残念ながら今の地上の余りに大勢の人たちが人生に対する目的意識を忘れております。

神の心をわが心とするように心がけることです。霊力と一体となるように心がけることです。皆さんの一人一人が神愛の御手が触れるのを感じ取り常に守られていることを知り、明日が何をもたらすかを恐れないようにならないといけません。そして人のために自分を役立てる機会をいただいたことを喜ぶことです。

私達は大きな戦いに参加しております。小競り合い、大規模な戦争がいくつもありましたが、本当に戦っている相手は貪欲、怨念、利己主義と言う、地上を蝕んでいる物質中心主義の副産物です。

そこで私達は全存在の始源は、無限の創造主から発せられる聖なる霊力であることを実証し、死が言語に絶する素晴らしい霊の世界への扉に過ぎないことをお教えするのです。

それがあなた方も参加しておられる戦いです。その将校や指揮官は、戦闘のあまりの激しさに退却することが無いよう、厳しい試練を受けねばなりません。

あなた方の進むべき道は霊界からあなた方を愛している大勢の霊が必ず示してくれます。それは地上で血縁関係にあった者だけではありません。霊的な近親関係にある者もいます。その霊たちがあなた方を使って恵まれない人々の為に影響力を行使するのです。

われわれはみな同じ霊的巡礼の旅を続ける仲間です。神への巡礼の道は無数に存在します。いかなる知識も、それがわれわれの視野の地平線を少しでも広げ、この宇宙についての理解を深める上で役立っていることを感謝いたしましょう。

智識には責任が伴います。それなりの代価を支払わねばなりません。知識を手にしたと言うことは、それを手にしていない人よりも責任が大きいと言うことです。しかし私たち霊界の者は、私達の道具として協力してくれる地上の人々を見棄てるようなことは決していたしません。

本当ならここで、あなた方地上の人たちも決して私達を見棄てませんと言うセリフをお聞きしたいところですが、残念ながらそれはあり得ないことのようです。

皆さんは御自分で気づいていらっしゃる以上に霊界からいろいろと援助を受けておられます。いずれ地上を去ってこちらへおいでになり、地上でなさったことを総合的に査定なされば、きっと驚かれることでしょう。私達は魂の成長に関わったことで援助しているのです。それが一番大切だからです。

それに引き換え、地上の各分野での混乱ぶりはどうでしょうか。宗教は本来の目的を果たせ無くなっております。科学者は自分たちの発明・発見が及ぼす被害の大きさを十分に認識しておりません。

唯物思想の袋小路に入り込んでしまった思想家たちは、誰一人救えないどころか自分自身すら救えなくなっております。その点我々は光栄にも神の道具として大切な仕事を仰せつかり、一人一人に託された信頼を自覚しております。

私たち霊界の者は、縁あって皆さんのもとを訪れる人たちに霊と精神と身体に真実の自由をもたらす崇高な真理を理解させる真の自我を見出させてあげるべく、皆さんを導き、勇気づけ、元気づけ、鼓舞する用意が出来ております。本当の自分を見出すこと、それが人生の究極の目的だからです。

地上には霊的進歩を計るものさしがありませんから、そうした協力関係の中で皆さんがどれほどの貢献をなさっているかがお分かりになりません。しかし、たった一人の人の悲しみを慰め、たった一人の人の病気を治し、たった一人の人に真の自我に目覚めさせてあげる事が出来たら、それだけであなたの全人生が無駄でなかったことになります。私達はひたすら〝人のために役立つこと〟を心がけております。

不安を抱いたり動転するようなことがあってはなりません。不安は無知の産物です。知識を授かった人は、それによって不安を追い払えるようでなくてはなりません。皆さんは宇宙最大のエネルギー源とのつながりが持てるのです。これまでに知られた物的世界のいかなるエネルギーより壮大です。崇高なエネルギーです。それをあなた方を通して流入させ、恵み深い仕事を遂行することが出来るのです。

落胆したり悲観的になったりしてはなりません。幸いにして不変の基本的な霊的真理を手にした者は、いかなる事態にあっても霊は物質に勝るとの信念を忘れてはなりません。解決策はきっと見つかります。ただ、必ずしもすぐにとはいきません。

暫く待たされることがあります。(別のところで、忍耐力と信念を試すためわざとギリギリのところまでまたせることもする、と述べてる―訳者)

自分より恵まれない人のための仕事に従事することは光栄この上ないことです。我々が人の為に尽くしている時、われわれみずからも、より高い、進化せる存在による働きかけの恩恵を受けているのです。自分のことは何一つ望まずただひたすらわれわれを鼓舞して、暗闇のあるところに光を無知のはびこっているところには真理を、窮地に陥っている人には援助をもたらすことに精励しているのです。

そうした強大な霊団・・・生き甲斐のある人生を模索している人のために、我々を道具として尽力している高級霊・・・の存在をますます身近に感じることが出来るように努力いたしましょう。

その崇高なる霊力がますます多くの人間を通じて地上へ注がれ、恩恵を広め、悲しむ人々を慰め、病の人を癒し、道に迷うもはや解決の手段は無いものと思い込んでいる人々に導きを与えることが出来ていると言うことは、本当に有り難いことです。

霊力がどこかで効を奏すると、そこに橋頭保が敷設強化されます。続いて新たな橋頭保の敷設と強化を求めます。かくして次第に霊力が地球を取り囲み、ますます多くの人々がその莫大な恩恵にあずかることになります。

われわれはこれまでに存在の始源から勿体ないほどの多くの恩恵を授かってまいりました。それによって同志の多くが霊的に豊かになりました。なればこそ、我々より恵まれない人達が同じ豊かさと美と栄光を分かち合えるように、我々の奉仕的精神を一段と堅固に、そして強力にすることが出来るように神に祈りたいと思います。

知識がもたらすところの責任も片時も忘れないように致しましょう。われわれはもはや、知らなかったでは済まされません。精神的自由と霊的解放をもたらす真理を手にしているからです。人間の一人一人に神性の一部を植え付けて下さった宇宙の大霊とのより一層の調和を求めて、人のために自分を役立てる機会をますます多く与えて下さるように祈ろうではありませんか。

そうした生き方の中においてこそ、全てが良きにはからって下さるという内的な安らぎ、静寂、悟り、落ち着きを得ることが出来ます。そして無限の創造活動を促進する上でわれわれも役目を担っていることになるのです。

・・・あなたは人類全体が霊において繋がっているとおっしゃっていますが、大半の人間はそのことに気づいておりません。その霊性を発見するために何故目覚めなければならないのでしょうか。そこのところが良く分かりません。

表面をご覧になって感じる程不可解な謎ではありません。理解していただかねばならないのは、人間は肉体を携えた霊であって霊を携えた肉体では無いと言うことです。

物質が存在出来るのは霊による賦活作用があるからであり、その霊は神性の火花として存在の全て、生命を表現しているあらゆる形態の根源的要素となっているのです。

改めて申し上げる迄もなく、地上へ誕生してくる目的は各自の魂の成長と開発と発達を促進するような体験を積み、肉体の死後に待ち受ける次の段階の生活に相応しい進化を遂げることです。

地上は幼稚園であり、霊界は大人の学校です。今この地上においてあなたは教訓を正しく身につけ、精神を培い、霊性を鍛えて、神から頂いた才能を心霊治療その他の分野で人のために使用できるまで発達させることを心がけるべきです。

・・・この世的なものをなるべく捨てて霊的なものを求める生き方が理想なのでしょうか。それとも出来るだけ多くの地上的体験を積むべきなのでしょうか。

物質と言うものを霊から切り離して、あたかも水も通さない程に両者が仕切られているかに思ってはいけません。両者には密接な相互関係があります。地上にいる間は、霊が物質を支配していて物質がその支配の程度を規制しております。物質を霊から切り離して考えてはいけません。

地上生活の目的は、いよいよ霊界へ旅立つ時が来たときに霊に十分な備えが出来ているように、さまざまな体験を積むことです。まずその地球へ来るのはその為です。地上はトレーニングセンターのようなものです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整えるための学校です。

あなた方にとっていやな体験こそ本当は一番為になるのですよと、繰り返し申し上げるのは、そういう理由からです。魂が目覚めるのは呑気な生活の中ではなく、嵐のような生活の中においてこそです。雷鳴が轟き、稲妻が走っている時です。

酷い目に遭わなくてはいけません。しごかれないといけません。磨かれないといけません。人生の絶頂と同時にどん底も体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる体験を積まないといけません。かくして霊は一段と威力を増し強化されて、死後に待ち受ける生活への備えが出来るのです。

(ベトナムから訪れた青年が質問する)

・・・私は余暇を利用して人の為に何かしたいと思っているのですが、何をしたらよいかわかりません。何かアドバイスを頂きたいのですが。

距離的にも霊的にもあなたはずいぶん長い旅をしてこられましたね。しかし今こうしてこの交霊界に出席していると言う事実が、霊力と言うものがイザと言う時に導いてくれることの証明です。

人のために何かをなさりたいと言う願望に対しては、いずれそのチャンスが用意されます。但し急いてはことを仕損じます。地上の大勢の方々に苦言を呈すれば長い迷いの末に霊的実在に目覚めた方は、とかく何でもいいから心霊的能力を発揮したいと言う気持ちに駆られすぎます。

道はそのうち示されます。導きを祈ることです。あなたもこれまでの人生で、もう少しで人間への信頼を失いそうになるほどの精神的打撃を受けてこられました。しかし信頼を地上の人間にのみにおいてはいけません。神すなわち愛と叡智と知識の権化である大霊が存在します。

疑念が生じた時は精神を統一して物質界の喧騒から逃れるのです。すると霊的理解が得られます。統一状態が深まれば深まるほど内的な安らぎ、静寂、安心感、決意と言ったものが深まり、自分にとって最善のものが授けられるとの確信を持つことができるようになります。

私からお答えできるのはそれだけです。あなたは今素晴らしい御手に抱かれております。決して一人ぼっちにはされません。時がたつにつれて人のために仕事をするチャンスが背後霊によってもたらされてまいります。

(もう一人の招待客が尋ねる)
・・・心霊治療を体験したあと、私自身もグループを結成して心霊治療を開始したのですが、その後、私だけ独立して一人で治療を続けております。人のためになるのであればどういう形でやっても同じと考えてよろしいでしょうか。

あなたご自身はどうお考えですか。

・・・私は霊的な観点から言うと同じではないと思います。私なりの出来るだけの努力はしているつもりですが、次々と難しいことが生じてくると、私のとった態度が霊界側に迷惑をかけたのではないだろうかと思うことがあるのです。

奉仕は霊の正貨です。奉仕に勝る宗教はありません。人のために自分を役たてることは尊い行為です。あなたの望み通りの分野で仕事ができなくても人の為になると思うことを、その時その時に行えばよろしい。ドアを押してみてすぐに開けば、その道を行けばよろしい。鍵のかかったドアをしつこく叩いてはいけません。時間とエネルギーの無駄です。

次々と生じる難問に動じてはいけません。困難は挑戦すべき課題です。困難もなく難問もなく、障害を妨害もないようでは、潜在する能力を発揮するチャンスがないことになります。

人間は危機に直面して初めて自分の奥に思いもよらなかった力があることに気付きます。普段はその貯えの表面をひっかいている程度に過ぎません。その潜在力と背後霊との導きをもってすれば、克服できないほどの大きな困難はありません。

私達霊界の者は地上で仕事をしなければならないのです。したがってその限界と言うものを弁えております。つまり私達が使用する道具は人間的煩悩を具えており、もろく、かつきまぐれです。しかし、私達としては差し当たって使用出来るものを最善を尽くすしかありません。

このサークルに来られる人々に何時も申し上げていることですが。信念に迷いが生じた時は、かつて自分がドン底にあった時に立ち返ってみることです。もう絶対に救われる見込みはないと思われた奈落の底に居たのです。

そしてその絶体絶命のピンチで道が開かれたのです。これからも道は必ず開けてまいります。あなたはあなたなりに最善を尽くしておればよいのです。所詮あなたは完全な存在ではありません。地上においても霊界においても完全と言うものは達成できないのです。

完全への道は永遠に続くのです。このことは、サークルのメンバーの方は耳にタコができるほど聞かされております。しくじってもまた立ち直ることが出来るのです。

(ここでその質問者はシルビア・バーバネルに向って「私はあなたがお書きになったWhen a Child Dies<子供の死後>を読んでいろいろと慰められました。私も娘を二人亡くしているものですから。つい最近も男の子を亡くされた方にお貸ししたばかりです。私と同じように大きな慰めを得てくださればと期待しているところです」と述べると、シルバーバーチはこう述べた)

パン種が発酵するのです。これからも発酵し続けることでしょう。この大規模な戦いにおいて、我々は勝ち組の方に属しております。最後は必ず勝利者となります。敗者とはなりません。背後に控える勢力は全宇宙でも最大のものです。

大霊の力なのです。地上で知られているいかなる力よりも強大です。これまでこの力が成就してきた数々の驚異をこの目で見てきている私は、その力に全幅の信頼を置いております。私の眼には何一つ心配すべき理由は見当たりません。

(霊的指導者としても人生相談にものっている人が述べる)
・・・自分自身、霊的指導者として恥じない生活をしているだろうかという疑問を抱くことがよくあります。人には自信を持って霊的真理を説きながら自分では時折、ふと、疑いの念を抱くことがあるのです。

あなたのお名前はまさか(トマス*)ではないでしょうね。疑ってはなりません。霊的現象をその目でご覧になりその耳で聞くことの出来た人は幸いです。すぐ身の回りに存在する驚異的生命の世界を垣間見ると言う大変な光栄に浴されたのです。

その世界には自分のことは何一つ求めず、寄る辺ない身の上をかこつ人々の救済の為に献身している霊がひしめいているのです。それが私達の仕事でもあるのです。

(*トマス=イエスの弟子の一人で非常に疑い深い性格で、イエスの復活についても実際に手と足の釘跡を見るまで信じなかった。8日目にイエスが物質化して出現してトマスにその跡を見せて信じさせた。その時の有名なセリフが〝見ずして信じることの出来る者は幸いである〟現代人にも通じる名言と言うべきであろう)

私には人間のもろさ、疑念や取り越し苦労はよく理解できます。しかし、これまで荘厳と美観と光輝と威力と指導力とを見せ付けてくれた霊力に全幅の信頼を置けば、その霊力は絶対にしくじることがないと言うことを、徐々にではあっても理解していかれることでしょう。

人間の方が私達を裏切ったことはたくさんありますが、私達がその人達を裏切ったことは一度もありません。

繰り返しますが、あなた方にはご自分がどれほど貢献していらっしゃるかが推し量れないのです。絶体絶命と思いこんだ魂が本当の自我を見出す上で、あなた方もずいぶん手助けをしていらっしゃいます。
自分がいったい誰なのか、何者なのか分からず、霊的実在に目も耳も塞がれている無数の人を見るのは悲しいことです。道を見失い、沼地に足を取られ、もがきながら生きております。これだと確信できる道が見いだせないのです。
幸いにしてそれを見出しているわれわれは、その責任の重大さを自覚して、われわれを頼ってくる人々を喜んで迎え、暗闇の中で光明を見出させてあげようではありませんか。

第4章 死ぬと言う事はどういうことか
死ぬと言うことは霊が肉体から脱皮して姿を現す過程のことです。何一つ怖がる要素はありません。死はありがたい解放者です。死は自由をもたらしてくれるのです。

地上では赤ん坊が生まれると喜びます。ところがいよいよ地上へ誕生しようとする時こちらでは泣いて別れを惜しむ霊が大勢いるのです。それと同じく、地上で誰かが死ぬと泣いて悲しみますが、こちらではその霊を出迎えて喜んでいる人たちがいます。

死とは地上生活がその目的を果たし、霊がこれから始まる霊的生活が提供してくれる圧倒的な豊かさと美しさとを味わう用意が出来たことを意味します。少なくとも本来はそうあらねばならないのです。

皆さんにも霊が宿っております。生命を与えている霊的本性です。肉体もお持ちですが、それもその霊によって生命を付与されて初めて存在しているのです。霊が最終的に引っ込めば・・・〝最終的に〟と申し上げるのは一時的には毎晩のように肉体から引っ込み、朝になると戻ってくるからです・・・肉体に死が訪れます。生命活動が切れたからです。

霊視能力者が見れば、霊体と肉体とをつないでいるコードが伸びて行きながら、ついにぷっつりと切れるのが分かります。その時に両者は永久に分離します。その分離の瞬間に死が発生します。そうなったら最後地上のいかなる手段をもってしても肉体を生き返らせることは出来ません。
(近似死体験と言うのがあるが、これは医者が〝ご臨終〟ですと宣告しても玉の緒がまだ切断していなかった場合である)

・・・臓器移植の技術的進歩によって新たな問題が生じております。医師たちは死者の心臓と腎臓を取り出すために死の瞬間を待ちうけております。問題は〝果たしてほんとに死んだと言えるのか・・・もう臓器を取り出してもよいか〟と言う点です。

臓器移植についてはよく存じております。そしてまた、その動機が立派な場合があることも承知しております。しかし私としては人体のいかなる部分も他人に移植することに反対であると申し上げます。

・・・死者はある一定期間そっと安置しておいてあげる必要があると信じている人がいます。それと言うのも、最近では人体を使って実験をするために死体をかっさらうように実験室へ持っていくことがよくあるのです。こうしたことは魂ないし霊にとって害があるのでしょうか。

それはその死者の霊が霊的事実についての知識があるかどうかによります。もしも何の知識もなければ一時的に害が生じる可能性があります。と言うのは、霊体と肉体とをつないでいるコードが切れた後も、地上での長い間の関係によって相互依存の習性が残っているからです。

その意味では一般的に言って埋葬または火葬迄に死後三日間は間を置いた方がよいでしょう。それから後のことは、どうなさろうと構いません。死体を医学的な研究の材料として提供したければ、それも結構でしょう。そちらで判断なさることです。

ただ一言わせていただけば、誰にも生まれるべき時があり、死すべき時があります。もしも死すべき時が来ていれば、たとえ臓器移植によってもその肉体を地上へ永らえさせることは出来ません。

・・・飛行機事故で即死するケースがありますが、その場合は霊的にどういう影響があるのでしょうか。

今申し上げたこととまったく同じです。霊的事実についての知識がある人は何の影響もありません。知識のない人はそのショックの影響があるのでしょうが、いずれにせよ、時の経過とともに意識と自覚を取り戻します。

・・・偶発事故による死があるとなると再生の事実を受け入れたくなります。

偶発事故と言う用語は感心しません。私は因果律の働きしか知らないからです。偶発のように思えることも、ちゃんとした因果律の働きの結果なのです。再生の問題ですが、これは大変複雑な問題で、今ここで十分な説明をする余裕がありません。

(訳者注-原書をお持ちの方のために参考までに付言すれば、本章のここのところまでSilver Birch Speaks)

(質問者が代わる)
・・・私はテレビで<人類発達史>を見ておりますが、見ているうちに人類の霊魂の起源のことを考え始めました。その当初において人類の霊魂は何らかの動物の種から発生したのでしょうか。

いいえ。

・・・と言う事は、動物界は我々人類と別個の存在と言うことでしょうか。

いいえ。

・・・では人類の霊魂はどこから発生したのでしょうか。

何処からも発生しておりません。霊魂に起源はありません。

・・・これまでずっと私は、人類の霊魂は徐々に進化してきたものと思っておりました。

そうではありません。進化してきたのは身体の方です。霊は大霊の一部であり、無始無終です。霊は無窮の過去から存在しています。それが人間の身体に宿った時に個別性を具えるのです。霊には始まりも終りもありません。

バイブルに〝アブラハムが生まれる前から私は存在している〟と言うイエスの言葉があります。霊は常に存在しているのです。霊は人間的形態に宿って初めて個別性を持つことになるのであり、霊ないし魂は常に存在していたのです。

(質問者が代わる)
・・・霊魂の永遠性についてお伺いしたいことがあります。年配の霊と若い霊と言う言い方をする人がいますが、霊が新たにこしらえられることがあるのでしょうか。私達はどこから来たのでしょうか。全ての霊が再生されたものなのでしょうか。それとも大霊から新しい霊が産み出されてくるのでしょうか。

霊はこしらえられるものではありません。過去も未来もなく常に存在しております。先ほど私は〝アブラハムが生まれる前から私は存在している〟と言うイエスの言葉を引用しました。霊としてはあなたも無始無終に存在しているのです。

霊を新たにこしらえなければならなかったことは一度もありません。霊が無になる段階と言うものはこれまで一度もありません。

生命の原動力、精髄、活力、そのものである霊は過去も未来もなく常に存在しております。霊はあらゆる生命現象が生まれるエネルギー源です。植物も小鳥も樹木も動物も、人間も、全てそうです。霊は存在の大原動力です。

母体に子供が宿された時、それは新しい霊でも新しい魂でもありません。無始無終に存在している永遠の霊の一部です。それが人体に宿って個別性を獲得し、その個体がしばらくの間地上で機能するわけです。

しかし霊は様々な側面を持つことができます。その幾つかが地上に再生して本霊であるダイヤモンドに新たな光沢を加えることはあり得ます。その意味では〝年配の霊〟〝若い霊〟と呼べる霊は存在します。しかし〝新しい霊〟と言うものはこしらえられません。地上での自我の表現機関として、新しい身体が提供されるだけです。

胎児が無事に宿り、地上生活の為の身体が用意されると、霊は個別的存在として地上へ誕生してきます。霊そのものは別に新しいものではありません。個別的形態を具えたと言うだけです。一個の人物となったと言うだけです。その男性また女性が成長してやがて地上を離れると、大きい自我の一個として新しい要素を加える事になります。

・・・各自に生まれるべき時があれば、同じく死ぬべき時もあることになりますが、帝王切開で生まれた場合はどうなるのでしょうか。決っていた誕生の日時を変えることになりませんか。

「それは地上へ生まれ出る日時を変えるだけです。母胎に宿って個としての表現を開始した日時を変えることにはなりません。また地上的生命に自ら終止符を打つ自由も与えられておりますが、その時はその時で自動的に報いがあります」

・・・出産を医師が人為的に早めたりすることがあります。するとその子は定められた時期より早く生まれることになりますが、これは占星学的になにか影響を及ぼしませんか。

「出生の時期が良く良く気になると見えますね!地上への誕生に関して唯一大切なことは、いつから自我を表現し始めるかと言うことです。それは受胎した瞬間からであって、生まれ出た時ではありません。占星学については私は何の関心もありません。受胎と共に地上生命が始まります。受胎なしには地上的生命はありません」

・・・ブラジルに来られたローマ法王が民衆の貧しさに嘆かれ、一方、家族計画(産児制限)は許されるべきではないことを強調されましたが、その矛盾をどう理解すればよいのでしょうか。

法王はとても立派な方ですが、宇宙の全知識を貯えられているわけではありません。家族計画は人類自身で解決すべきことですから、これからも続く問題です。ただ、一個の霊が人間界へ誕生することになっている時は、いかなる計画を立てても必ず生まれてきます。

(質問者が代わる)
・・・死後の生命なんかほしくないと、本心からそう思っている人がいます。そういう人たちにどう説かれますか。

地上なんかに二度と生まれたくないと本心から思っている霊がいますよ。しかしそれは、いかんともしがたいことなのです。自然の摂理との縁を切ることは出来ません。あなたがどう思うかに関係なく摂理は働きます。開け行く大自然のパノラマが人間の小さな欲求や願望、あるいは反坑にもお構いなく展開していく姿をご覧になれます。

・・・と言うことは、私達は地上へ来たくなくても無理やりに来させられるということでしょうか。私はその点は自由な選択が許されると思っていました。

必ずしも強制されるわけではありません。地上から此方へ来るのにも自由選択が許されるように、此方から地上へ行くのにも選択の余地が与えられています。

是非とも為さねばならない仕事があることを自覚して地上へ誕生する霊がいます。行きたくはないけれど、どうしてもしなければならない用事があるので止むを得ず誕生する霊もいます。あるいは償わねばならない業(カルマ)があって誕生してくる場合もあります。

・・・自殺するとこまで計画されていることがあると言うのは本当でしょうか。
とんでもありません。計画と言うのは母体に宿る以前に霊自身によって立てられるのです。

・・・自殺行為によって学べるものは何一つないと言うことでしょうか。

あるわけがある有りません!。生命は宇宙の大霊が授けるのです。それを縮める権利は人間にはありません。

・・・死んで霊界入りした人間は自分が死んだことを自覚できるのでしょうか。

みんながみんな自覚できるとは限りません。大半の者が自覚できますが、完全な自覚(悟り)に到達するまで相当な時間がかかります。

・・・霊界の人たちは何もしてくれないのでしょうか。

いえ、いろいろと指導しております。本人は気付かなくても陰から手助けをしております。霊界は全てが知れるように組織されております。上層界には高級霊による政庁が組織されており、その中には一度も物質界に誕生したことのない霊(天使)がいます。

その霊達が神の計画推進に当たっているのです。大規模な総合計画があって、有意識・無意識の区別なく、あらゆる存在を包摂しております。その宇宙的規模の摂理から外れて存在できるものは何一つありません。

・・・人間が死ぬと肉親や愛する人たちが出迎えて手引きしてくれるそうですが、それらの霊は他界者と同じ霊格の同じものばかりでしょうか。

そうではありません。なぜなら、その霊達は死後も霊的に進化しているからです。他界してきた者のレベルに合わせて交信するために、いわば階段を下りてくるのです。霊的成長とは成熟していくことであることを理解しないといけません。

地上の年齢とは一致しません。では、さっき述べた完全な悟りに到達できるのはどの段階においてかと言うことですが、これはお応えしくくい問題です。と申しますのは、悟りと言うのは固定した限りあるものではなく、いつまでも成長し続ける状態だからです。

悟りには無限の奥行きがあります。これでおしまいと言う終点がないのです。深まれば深まるほど、さらにその奥に悟るべきものがあることを自覚するものです。

それは事実上永遠に続く過程です。無知の状態からいきなり悟りが開かれると言う、そういう突然の変化ではありません。段階があり、魂がより高い段階への準備が整うにつれて、少しずつ開けて行くのです。

・・・例え生活水準が今より向上したところで不老不死と言うことはあり得ないのはいうまでもないのですが、もしも完全な生活条件が整ったら百五十歳までは生きられるのではないかと思うのですが。

肉体的年齢と霊的成熟度とを混同してはいけません。大切なのは年齢の数ではなく、肉体を通して一時的に顕現している霊の成長、発展開発の程度です。

肉体が地上で永らえる年数を長引かせることは神の計画の中にはありません。リンゴが熟すると木から落ちるように、霊に備えが出来ると肉体が滅びると言うことで良いのです。ですから、寿命と言うことは忘れることです。長生きすること自体は大切ではありません。

地上生活の一番肝心な目的は、霊が地上を去ったのちの霊界生活をスタートする上で役に立つ生活、教育、体験を積むことです。もしも必要な体験を積んでいなければ、それはちょうど学校へ通いながら何の教育も身につけずに卒業して、その後の大人の生活に対応できないのと同じです。

(永年スピリチュアリズムの仕事に努力した夫に先立たれた女性にシルバーバーチが次のような励ましの言葉を述べた)

本日あなたをここへお迎えして、苦労と試練の時の力となった基本的な霊的真理の真実性を改めて確認して差し上げることを、とてもうれしく思います。

地上に籍を置く人間にとって、たとえ死後にも生命があるとの知識を手にしている方でも、身近な者が宇宙の別の次元の世界へ連れていかれて時に平然としていることは、容易なことではありません。死と言う身体上の別離には悲しみが伴うものであるという事実を軽視するのは、愚かでもありましょう。

しかし、それはあくまでも身体上の別離であって霊的には少しも別れてはいないことを御認識すべきです。

地上に生を受けた人間にとって死は避けられません。いつかは地上に別れを告げなければならない時が参ります。それは、もはや地上生活がそれ以上その霊に与えるものがなくなり、完全へ向けての進化の不可欠の要素として、次の冒険へ旅立つ用意が出来たということです。

その死別と言う試練に直面した時に自分をどう慰められるかは、各自が考えるべきことです。それが容易でないことは私も理解しております。

しかし,死は愛によって結ばれた者を引き裂くことは出来ません。愛は、生命と同じく不滅です。また愛は、生命と同じく、条件さえ整えば望み通りのことを叶えさせる強烈な威力を秘めております。もとより、心ひそかに声もなく流される涙もあることでしょう。しかし、うなだれてはいけません。霊の力は決して見捨てません。必ずや援助の手が差し伸べられます。

悩んではいけません。悩みの念はその援助の通路を塞いでしまいます。あなたはご自分ではそうは思えないかもしれませんが、ある意味ではとても幸せな方です。と申しますのは、悲哀のどん底を味わうことによって霊的真理を受け入れる資格を身につけられたからです。

そのどん底から這い上がるのは容易ではありませんでしたが、道は間違いなく啓示されました。今あなたは愛する方が身近な存在そして実在していることを確信なさっておられます。

私はいつも思うのですが、地上の人々、なかでも特に霊的知識を手にされた方が背後霊の存在を実感を持って認識してくだされば、どんなに有難いことでしょう。地上の愛する者へ無益な害が及ばないように庇い、守り、導いている霊の姿をひと目ご覧になる事が出来れば、と思うのです.

その影響力の大きさを知ることが出来たら、明日のことを思い煩うようなことは絶対にしなくなることでしょう。それで私はここに集まる同志の方にいつも申し上げているのですが、新しい一日の訪れを素晴らしい霊的冒険の到来として喜んで迎えることです。

あなたの人生は手にされた証拠によって一変いたしました。そこであなたは今、ご自身が有難く思われた同じ思いを人にも体験させてあげようと、いろいろと努力をなさっておいでです。私は実際にその様子を拝見して、良く存じております。

他人がどう思うと気になさらぬことです。まったく下らぬことばかり言っております。大切なのはあなたの人生をどう生きられるかです。出来る限りの最善を尽くして人の為に力になってあげることです。

ご主人は肉体の束縛から解放されました。晩年に嫌な思いをされたあの痛みと不自由はもう二度と味わうことはありません。これからは今なお〝わが家〟とされているあなたの住居での生活の中で、ご自分の死後の存在の事実をあなたに実感させてくれることでしょう。

ですから、気を強くお持ちになり堂々と胸を張って、愛する者を失っても霊的知識があればこれだけ立派に生きていけるのだという、一つに手本を示して頂きたいのです。

別離と言っても身体上のことであり、霊的には別れていないのです。愛によって結ばれた者どうしを引き裂く力は地上にも霊界にも何一つありません。愛は、生命と同じく、死よりも強いのです。愛は、生命と同じく霊に属するものであり、霊は決して滅びないのです。

第5章 死んだ後、どうなるのか
(われわれはいつかは肉体を捨てて次の世界へ行く。そこでの生活はどのようなものなのか、何をして過ごすのか、こうした疑問にシルバーバーチが答える)

こちらには昼も夜もありません。地軸の回転に依存していないからです。太陽の周りを回転しているのではありません。こちらには永遠の光が存在します。したがって地上のような時間と言うものはありません。
こちらへ来てからも仕事がありますが、それは自分がやりたいと思う仕事であって、お金を稼ぐためとか家賃を払うためとか衣服や食料を買うためにするのではありません。

地上で発揮されることのなかった能力や才能や技能を持つ人が次々と霊界へやって参ります。そういう人たちはこちらでそれを存分に発揮して、霊界の住民としての全体の豊かさの向上に寄与することが出来ます。

みんな自分がしたいと思うことにたずさわっております。霊界には無限の種類の楽しみがあります。音楽が好きであれば地上と霊界の名曲を鑑賞することが出来ます。コンサートも開かれております。文学が趣味の人は地上と霊界の名作を読むことが出来ます。絵画に興味ある人も地上と霊界の傑作の全てを鑑賞することが出来ます。

子供が好きな人間は両親に先だってこちらへ来た子供の世話をすることが出来ます。魂に病の有る者に関心を寄せる人は、そうした霊の為の更生施設で看護し介抱して霊的健康を取り戻させる仕事に携わります。それぞれの種類に応じた無限の種類の仕事があります。その上に更に私のように地上世界の為の仕事に従事する者もいます。

とにかく地上を去ってこちらへおいでになれば、言葉では言い尽くせない程の豊かさが待ち受けております。例えば音楽であれば、地上にない音階が存在します。絵画であれば、地上に存在しない色彩があります。そのすべてをお話しすることはとても不可能です。

・・・霊界へ行っても地上と同じようになんらかの形態を具えるのでしょうか。

幽霊や妖怪になるのではありませんよ。首のないお化けになるのではありませんよ。立派な胴体と、他人との区別のつく容貌を具えた、実在の個的存在です。また他人を認識するための感覚もちゃんと備えております。霊の世界で生きて行く上で必要な霊的器官が全部そろっています。

ちゃんと姿があります。形態を具えております。個人的存在を有しております。具えていないのは肉体的器官だけで、それに代わって、霊界で機能していく上で必要な霊的器官を具えています。

よく理解して頂きたいのは、あなた方人間にとって物質は個体性があり、実感があり、霊と言うとなんだか影の様で実態がないかに思えるのでしょうが、私達霊界の者にとっては霊こそ実在であり、実感があり、反対に物質の方が影のようで実態感がないということです。

と言っても、人間がしゃべるに必要な器具は霊にはありません。しゃべる必要がないからです。こちらの世界では思念で通じ合っています。お互いに思念を出し合い、それだけで通じ合えるのです。霊界では思念は実体のある存在なのです。

存在するものすべてが思念でこしらえられているのです。ですから、必要と思えるものはどんなものでも手に入れることが出来るのです。

(訳者注-別のところで、言葉でしゃべる必要があると思い込んでいる間はまだ幽質の発声器官が残っていて実際にしゃべり合っていると述べている。いわゆる地縛霊として地球圏内で自分が死んだことにも気づかずに生活している霊には地上時代に使用した器官がすべて残っていて、同じように食べて飲んで寝るという生活を繰り返しているのが実情である)

海もあれば山もあり、湖もあり、花も樹木もあり、動物も小鳥もいます。その美しさの中には実際にこちらへ来ないことには分からない種類のものがあります。ある程度の霊性に目覚めた者なら、もはや物質界の愉しみ(飲食欲・性欲等)を求めなくなります。仮にいても、それは例外に属します。

もう一つの霊界の有難い点は、地上の様な〝生きるための必需品〟を得る為の苦労が要らないことです。食料品や衣類を買う必要がありません。お金を払ってまでして家を求める必要がありません。全部揃っているのです。

・・・物的財産と言うものがなくなれば、貪欲とか、権力欲とかも無くなりますか。

いわゆる霊界でも低級な境涯にはまだ貪欲とか権力欲とかが存在します。忘れてならないのは、死んだ人間は霊的には死ぬ前と全く同じであることです。地上と違って霊界は思念が実在の世界です。心に思うことに実体が伴い実感があるのです。

私たちから皆さんを見ると、身体は影のように見え、皆さんが心に思っておられることの方が実態があります。このことはなかなか説明が難しいのですが、例えばみなさんが夢を見ているのと同じだと思えばよろしい。夢の中に現れるものは夢を見ている間は実在です。

もしも永遠に目覚めなかったら夢の世界がその人にとって実在の世界となります。乗る船も飛行機も、訪れる国も、夢の中ではみな実在です。

こちらの世界では思念が全てのものをこしらえる素材です。ですから心に思うことがみな存在するわけです。貪欲と権力欲を持ったままこちらへやってくれば、それがこちらでは無用のものであることに気づくまで、それを持ち続けます。

そうした自縛的状態から解放される段階まで成長すると、ようやく救われることになります。(これが本当の意味で成仏するという事―訳者)

困ったことに、権力欲や強欲は霊を地上へ縛り付けます。身体的に死んでいますが、同時に霊的にも死んだも同然です。波長が私達より人間の方に近い状態です。そこで同じ欲に燃えた地上の人間と感応しあって、その欲望を増幅してまいります。

・・・と言う事は、地上をうろつく霊がますます増え、同時にそれが地上問題の解決を難しくしているということでしょうか。

その通りです。というのは、こちらの世界は地上からの他界者で構成されていることを知らねばなりません。地球からの渡来者しかいないのです(*)。何の用意も身支度も出来ていない霊をそちらから送り込んでいる限り、地上と霊界双方の問題を増幅するばかりです。

そこで私達が地上人類の啓発の為にこうして働いているのです。暴力・貪欲・唯物思想・利己主義・強欲等々、要するに世界各地での戦争と不協和音と分裂の元凶である恐ろしいガンの発生を防ぐためです。

(*同じく〝霊界〟と言う言い方をしても地球圏の霊界、太陽系の霊界、銀河系の霊界、そして宇宙全体の規模の霊界がある。ここでは地球に限っての話である)

・・・霊界はこの地球からの他界者で占められているとおっしゃいましたが、その世界は地球を取り巻くように存在しているのでしょうか。それともずっと遠くまで広がっているのでしょうか。霊界も沢山あるのでしょうか。

神は無限です。生命は無限です。あなた方の小さな天球は宇宙の中の一個の豆粒の様な存在でしかありません。

・・・地球の様な世界が沢山あって、それぞれに霊界があると言うことですね?

霊の住む世界は無数に存在します。あなた方はこの宇宙の孤児(ミナシゴ)ではありません。

・・・となると〝死後の世界〟はどこにあるかという問い合わせにはどう答えたらよいのでしょうか。明確に答えるのは困難だと思いますが。

死後の世界とは、要するに今生活している世界の目に見えない側面、耳に聞こえない側面のことです。死んでからではなく今の時点で霊の世界に住んでいるのです。死んでからそこへ行くのではありません。今いる場所に霊界があるのです。

その世界の波長ないし振動、その他どう呼ばれても結構ですが、それをキャッチするための霊的感覚を発揮しない限りそれが認識できないと言うに過ぎません。別個の世界ではないのです。宇宙全体を構成する不可欠の側面であり、地球もその小さな一側面にすぎません。

・・・その見えない世界の存在を認識するために霊的感覚を養成することも、地上に生活している我々の義務と言ってよいでしょうか。

おっしゃる通りです。物質の世界の裏側に霊的側面があることを認識して初めて本当の意味で生きていることになります。霊的実在に気づかない限り、悲しいかな、霊的な意味で目と耳と口を塞がれているようなものです。

・・・霊界から地上へ戻ってくると地上が陰鬱に感じられるとおっしゃました。するとあなたはどこか別の場所からやってくることになりますが・・・。

自我の表現形態が変わるのです。霊界でのいつもの振動の速度を落とす操作をするのです。地上の低いオクターブをキャッチするために高いオクターブの振動に属する要素を霊界に預けてこなければなりません。

(質問者が代わる)
・・・何故霊界と物質界とが存在するのでしょうか。何故霊界一つだけではいけないのでしょうか。

それに対する答えは〝なぜあなた方はお子さんを学校へ通わせるのですか〟と言う答えと同じです。学校を出た後の生活で直面する様々な状況に備えて、勉強させるためです。物質界へ来るのも同じ理由からです。地上を去った後に訪れる生活に備えるために学習の一過程です。

物質界、霊界、そして果てしなく広がる宇宙は、あなた方の言う神、私が大霊と呼んでいる絶対的なエネルギーが顕現したものです。宇宙に存在する最高の力です。それは無限です。始まりも終りもありません。その叡智も無限です。その愛も無限です。その貯倉庫も無限です。

大霊の意思の表現である自然法側の働きは絶対です。かつて宇宙間に生じた現象、あるいはこれから生じるであろう現象で、その働きによる配慮が為されていないものは何一つありません。

人間界の法律は予期せぬ事情が生じて絶えず改正が行われます。しかし自然法則は完璧です。その働きの及ばないものは存在しません。誰一人、何一つ、極大、極小、複雑、単純に関係なく、その働きからはみ出るものはありません。

宇宙間のあらゆる事物、あらゆる環境、あらゆる事情、あらゆる現象が不変、不滅の法則によって規制されているのです。

私が何よりもまず、その絶対的な大霊に崇敬の念を捧げるのはその為です。荘厳さと深遠さにおいて、これに勝るものは何一つ、誰ひとり、存在しないのです。その知性の壮大さは到底地上の言語では表現できません。

皆さんのどなたよりも永い間顕幽にまたがる生命の旅を続けている私は、今なお、あらゆる存在の次元において働いている自然の摂理の完璧さに驚くことの連続です。

そこで申し上げますが、宇宙に存在するものは何らかの役目があるからこそ存在しているということです。自然の法則と調和して生きていれば、健康・幸福・霊的明るさ・精神的特性と言う形でその恩沢を受けます。それは、内在する神性を発揮しているということに他ならないからです。

あなたは有限の知性で持って無限なるものを理解しようとなさっていることを認識しておくことが大切です。

・・・あなたはその〝大霊〟と交信なさるのですか。

あなたの理解しておられる〝交信〟(コミュニケーション)の意味では〝ノー〟と言う答えになります。人間が交信するには口でしゃべるか、書くか、とにかく何か道具を使用しなければなりません。

自分の言いたいことを伝えるには言語を使用しなければなりません。しかし言語は有限なものであり、したがって無限なるものを表現することは出来ません。いかなる文章の達人も宇宙の無限性と、そこに存在するものすべてを、言語によって表現することは不可能です。

霊界では界層が高くなると意思の伝達が心と心との直接的なものとなります。そこで私が大霊と交信し合うのかとのご質問ですが、交信が言語の使用を意味するのであればノーです。私達は直接意思を通じ合うのです。大霊の無限の力にチャンネルを合わせて、できるだけ多くの力を頂戴するように努力するのです。

・・・あなた達霊の方が私たち人間より大霊と密接な関係にあるとお考えですか。

あなた方も同じように大霊と密接な関係にあります。何故なら大霊はあなた方の内部に存在するからです。大霊の火花が一人一人に宿っているからこそ生きていられるのです。

それとも〝密接〟とおっしゃったのは大霊とのより大きな調和、より強い一体関係が得やすいという意味でしょうか。それならば〝イエス〟です。なぜならば霊には無限の可能性と完全性が秘められていて、こちらの方がそれを発揮しやすいからです。しかし地上においても霊界においても、その完全性を全て発揮できる段階は来ません。

(質問者が代わる)
・・・完全性は永遠に達成できない・・・完全を目指しての絶え間ない努力の連続であるとおっしゃるのですが、それは完全性が二重性の一面だからでしょうか。二重性の原理を超えたところの別の意識の界層ないし状態があるのでしょうか。もしあるとすれば、それは理解を超えたものであるに相違ありません。

〝完全〟と言うものは、その本質ゆえに達成できません。〝これで完全です〟という段階、もうこれ以上目指すものがないという段階があるとしたら、ではその先はどうなっているのかという問題が生じます。
完全とは無限に続く過程です。霊の純金を磨き出すために絶え間なく不純なものを取り除いていく過程です。知識と同じです。知れば知るほど、また先に知るべきものが存在することを知ります。全知識の頂上に到達することは出来ません。意識には無限の次元、レベル、界層があるのです。

それが霊の属性の一つであり、無限であるがゆえに絶え間なく発展していくことを意味します。
ところであなたは〝二重性〟と言う言葉を用いておられますが、どういう意味ですか。

・・・〝対照性の原理〟のことです。

私の言う〝両極性〟のことですね。無限の知性と叡智によって案出され、ありとあらゆる可能性に配剤した自然法則があります。これには改正とか破棄とかの必要性は絶対に生じません。本質そのものが無限の知性の働きの証なのです。

もうこれでおしまいという限界がない・・・何処まで言ってもまだその先があると言うのは、これは素晴らしいことです。いわゆるニルバーナ・・・霊的進化のゴールとしての至福の境涯はないということです。

・・・いわゆる因果律の次元を超えて、現在の我々に理解できない別の次元の摂理が存在しますか。

摂理は無限に存在しますが、いかなる摂理も因果関係を律している総合的摂理の一部です。

・・・このサークルから離れている時のあなたは、どういうレベルの意識で機能しておられるのでしょうか。

人間の理解力を超えた境涯へ戻っております。霊の世界では地上的言語を超越し内的直覚を必要とする状態となります。私がこの地上を去って本来の次元の住処に引き返している間は、地上でこうして交信している時には出すことの出来ない高いレベルの意識を表現しております。それは皆さんに理解して頂けるような言語では全く用をなさない、霊的実感の世界です。

(初めてサークルに招待した人が質問した)
・・・死後の生命の存在を立証しようとすると、いろいろと不可解に思えることが生じてきます。どう証拠立てたらよいか思案しているのですが、存続すると言うのは一種のエネルギーとしてでしょうか。思念としてでしょうか。それともそれは今の我々と同じような、何らかの身体を具えたものなのでしょうか。

死後の生命とおっしゃいますが、私は時折地上世界を見渡して、果たして死ぬ前に生命があるのかと、疑わしく思う事さえあります。全く生きているとは思えない人、あるいは、仮に生きていると言えても、これ以上小さくなれないほどお粗末な形でしか自我を表現していない人が無数におります。

霊界での生活がどのようなものであるかを伝えるのは、とても困難です。なぜかと言えば、私達は人間のその五感に限られた状態で理解できる範囲を超えた次元で生活しているからです。言語と言うのは、あなた方の三次元の世界を超えたものを伝えるには全く無力です。

死後の世界の豊かさをお伝えしようにも、それを例えるものが地上にはないので、うまく言い表せないのです。しいて言えば、本来の自我の開発を望む人達の憧憬、夢、願望が叶えられる世界です。発揮されることなく終わった才能が存分に発揮されるのです。

経済問題がありません。社会問題がありません。人種問題がありません。身体ではなく魂が関心の全てだからです。魂には白も赤も黄も黒もないのです。

界層ないしは境涯と言うものがあり、そこに住む者の進化の程度に応じて段階的な差が出来ています。あなたが他界後に落ち着く先は、あなたが地上で身に付けた霊的成長に似合った界層であり、それより高い処へはいけません。行きたくても行けません。

またそれより低いところでもありません。行こうと思えば行けますが、何らかの使命を自発的に臨む者は別として、好んで行く者はいないでしょう。

霊的意識が深まるにつれて、自分に無限の可能性がある事、完全への道は果てしない道のりであることを認識するようになります。と同時に、それまでに犯した自分の過ち、為すべきでありながら怠った義務、他人に及ぼした害悪などが強烈に意識されるようになり、その償いをするための行いに励むことになります。

埋め合わせと懲罰の法則があり、行為の一つ一つに例外なく働きます。その法則は完全無欠です。誰一人としてそれから逃れる者はいません。見せかけは剥ぎ取られてしまいます。全てが知れてしまうのです。と言う事は、正直に生きている人間にとって何一つ恐れるものはないということです。

難しい問題がなくなってしまう分けではありません。解決すべき問題は次から次へと生じます。それを解決することによって魂が成長するのです。何の課題も無くなったら、いかなる意味においても〝生きている〟と言うことにはならなくなります。魂は陽光の中ではなく嵐の中にあってこそ自我を見出すものなのです。

もしも私があなたの悩みは全部こちらで引き受けてあげますと申し上げたら、それは嘘を言っていることになります。私にできることは、問題に正面から対処して克服していく方法をお教えすることです。いかに大きな難題も障害も、霊の力の協力を得れば、人間にとって克服できないものはありません。

霊は今の私の様に人間の口を借りてしゃべらなくても、いつまでも援助の手を差し伸べることが出来ます。時間と空間と言う厄介なものがないからです。あなたがいつどこにいても援助できます。その時の条件下で出来る限り援助し続けましょう。

・・・埋め合わせと懲罰があると言うことは、たとえば立派な行いには褒賞があると言うことになりますが、そういうことを裁定する神様は何処にいるのでしょうか。

もし埋め合わせと懲罰がなかったら、神の公正はどうやって発揮されるのでしょう。罪深い人間が聖者と同じ霊格を具えることがあっても良いでしょうか。もちろん、良いはずはありません。いかなることにせよ、良いことをすればそれだけ霊性が向上し、自己中心的なことをすれば、それだけ霊性を損なうのが道理です。

良きにつけ悪しきにつけ、あなたの霊的命運を定めて行くのは、あなた自身です。あなた自身のことに関して最後に責任を負うのはあなた自身です。もしも死の床にあって罪を告白し特別の信仰を受け入れればたちどころに罪が赦されて潔白の身になれるとしたら、それはまさにお笑いものであり、茶番劇と言うべきです。

・・・最後に責任を負うのは私であるとしても、それは生まれる時に思い通りの才能を選ばせてくれていたならば、の話です。私には選択の余地はありませんでした。

そう言い切れる根拠は何処にありますか。

・・・自分でそう自覚しているはずですが・・・

その自覚は本来の自覚のひと欠片に過ぎません。あなたはこの地上に誕生するに際して今の意識よりはるかに大きな意識によって、そう決断なさったのです。ですから、それを最大限に活用しないといけません。

(別のところで、このことは大半の人間について言えることだが、それは人間にはなかなか得心の行かないことでしょう。とも言っている。インペレーターもそれは高級霊でも同じであると言い、唯一その自覚を取り戻せたのはイエスだけでだと言っている―訳者)

・・・その小さな意識を活用しろと言うことでしょうか。

いえ、あなたが選んだ地上人生を、です。でもあなたは幸せな方です。一番必要とする時に霊的な啓示を受けられたのですから、現在のあなたはどうなっていたか分かりません。人生における最大の危機にもし霊があなたの進むべき道を指示してくれなかったら、現在のあなたはどうなっていたか分かりません。

あなたは地上のどこのマーケットでも買うことのできない知識を手にされました。本当に恵まれた方です。霊的実在についての知識を手にされたのです。バイブルにも〝汝の信仰に知識を加えよ〟とありますが、私は反対に〝汝の知識に信仰を加えよ〟と申し上げておきます。

(よく指摘される問題として、来生についての通信の食い違いがあることがあげられる。その点に付いて質されてシルバーバーチがこう語った)

霊の世界は無辺であること、従って当然そこに住む者による体験の多様性もまた無限であることを知らなければいけません。霊界の生活には霊的に上下の階段があり、従ってそれぞれに体験の相違と言うものが生じるわけです。

あなたと交信している霊は、その時の段階での自分の体験を述べているだけです。その後進歩してもう一つ上の次元の存在の場へ行けば、かつて抱いていた意見を改める可能性があるわけです。

このように霊界についてどう言う内容のことが伝えられるかは、中心霊の進歩の程度によって違ってくるわけです。ここで忘れてならないのは、地上近くで生活している霊ほど、これから体験することになっている上層界の高度な霊的事実を伝える能力が限られていると言うことです。

その霊が今生活している界層については何でも入手できますが、それより高い界層のことは理解出来ませんから、伝えてくることは必然的にその霊にとって明白なことに限られることになります。低い界へ降りることは出来ますが、高い界へは上がれないのです。

私から申し上げる忠告はいつも同じです。霊からの通信はことごとく理性で持って判断しなさいと言うことです。常識的に考えてどうしても受け入れ難いものは拒否なさることです。私達とて絶対に間違いを犯さない分けではありません。まだまだ完全からは程遠い存在です。

完全に到達するには無限の時を要するのです。何度も申し上げているように、それは永遠に続く過程なのです。

サークルのメンバーの方にも、あるいはご招待した方にも、私は決して〝こうしなさい〟とか〝これを信じなさい〟とかは申しません。独裁的指導者ではないからです。私達は協力者なのです。

皆さんの愛さえ獲得すれば仕事は成就したも同然であるとの認識のもとに私達は、真実と叡智と理論と理性と愛を持って皆さんの協力を得なければならないと考えているのです。

私達の宗教は真理の宗教です。私たちから提供するのは真理のみです。私達が真実であると理解した限りの真理、私達および皆さんに啓示された通りの真理です。その表現の仕方は拙劣(セツレツ)かもしれません。何故なら私達霊団の者もあなた方と同じ人間味を残している存在であり、過ちも犯します。欠点もあるからです。

しかしこれからも私達は、人生のすべての基盤となっている永遠にして不変の霊的原理であると信じるものを皆さんに説き続けます。その霊的摂理に忠実に生きている限り、絶対に危害は被らないことを断言します。

と言って、地上生活に付きものの困難と苦難と面倒なことから逃れることは出来ません。何故なら、それは魂の進化にとって必須のものだからです。光明を味わうには闇黒を体験しなくてはなりません。太陽の有難さを知るには雨の日を体験しなくてはなりません。

人生は両極性を体験しなくてはなりません。一方だけでは他方の存在価値が分からず、物質的にも精神的にも霊的にも啓発が得られないからです。

無限の叡智を具えた大霊はあなた方に理性と言う才能を賦与なさっています。何事にもそれを使用することです。例え霊界からのものであっても理性が反発を覚えるものは恐れずに拒否なさるがよろしい。

・・・私は地上はいずれまた戻ってくる学校だと考えているのですが正しいでしょうか。

学ぶべき教訓を学ばずに終われば、それは学ぶ為にまた戻って来なければならないでしょう。しかし、これまであなたの人生を振り返ってごらんになれば、万事休すと思われた時に霊の道標があなたの進むべき方向を教えてくれていることがお分かりになるはずです。

霊の力はそういう形で働いているのです。あなたは決して一人ぼっちではありません。いつもあなたと血族関係にあった霊だけでなく、血縁とは別の霊的近親関係によって結ばれている霊によって導かれております。神の子を導くことによって神に奉仕する。その手段として人間を導いているのです。

(質問者が代わる)
・・・霊界でピアノを習いたいときはやはり練習が必要なのでしょうか。

勿論です。何もしないで身に付くものはありません。霊界には各自の才能に応じて指導してくださる立派な先生が大勢います。地上において経済的理由や社会的環境の為に発揮できなかった才能を持つ新参者は、霊界へ来てから驚くほど素晴らしい機会を与えられる事が良くあります。霊界では、なにものにも束縛される事がなくそれを最高度に発揮することが出来ます。

・・・睡眠の必要がないそうですが。終息とか寛ぎの時間はありますか。

あります。寛ぐ必要を感じたら寛ぎます。

・・・霊体はどうやって養い、維持するのでしょうか。

食べ物によって養う必要のある物質的身体ではありません。

・・・霊的な栄養はありますか。

あります。摂取すべき霊的エネルギーが全て揃っています。霊は無限です。

・・・こうしたことは無論そちらへ行くまでは理解できないことなのでしょうね。

その通りです。こちらへおいでになれば、今度は私と同じように、それを地上の人に説明する難しさを知ります。

・・・ここにいる私が、死後はあなた方と同じ世界へ行くことは疑う余地もなく理解しております。あなたのお陰でその事実に途方もなく大きな意味があることを知りました。その意義を地上にいる間に実現しなければなりません。
また私たち人間には何らかの霊的才能が宿されていて、それを地上において発達させるのが私達の義務であることも知りました。私達は地上では大たい以上のように理解するのが精一杯であると考えてよろしいでしょうか。

非物質的な霊の世界のことを物質界の言語で表現できないのは、あなた方の思考そのもの、あなた方の精神的概念の全てが、その言語によって規制され、意識がその三次元の地上界だけに縛られているからです。
五感もそれ自体は素晴らしいものですが、現実にはそれが外界から摂取するものを制限しまた摂取したものを制約しています。霊覚者は表面の生命活動の裏側にある大きな実在を霊覚によって認識しますが、それを伝えようとすると言語の無力さを痛感します。言語は人間がこしらえたものであり、インスピレーションはその言語を超越したものだからです。

・・・霊界の各界層間の連絡はどのようにして行われるのでしょうか。

今も申し上げた通り、そうした質問にお答えする上で問題なのは、言語を超越した実在を言葉によって表現しなければならないと言うことです。〝界層〟という用語自体がまず問題です。皆さんは地球の表面の様な所を想像なさるのでしょうが、実際はただの〝状態〟であり、〝階段〟の一つです。

霊界は段階的に上下の差があります。一つの段階はすぐ上と下の段階と融合してつながっており、それが限りなく続いております。明確な境界線が引かれているわけではありません。地理的な区域と言うものはないのです。

ある界からそれより高い界へ一方的に通信を送ることは出来ませんが、高い界から低い界へ向けて通信を送ることは出来ます。その方法は以心伝心によります。言葉はしゃべりません。音声を発する器官がないからです。思念対思念による交信です。

・・・すると霊界には思念のプライバシー(秘密)はないわけですか。

ありません。私達の世界では何一つ隠す事は出来ません。全てが知れてしまうからです。だからと言って、別に恥ずかしく思うことはありません。地上ではごまかし、嘘をつき騙すことは出来ます。名前を合法的に変えることも出来ますが、本性を変える分けには参りません。

(招待客が自分のホームサークルに出てくる霊の中には歴史上の著名な人物の名を名乗る人物がいることを述べると)

私達の世界では名前は何の意味もありません。地上時代の名声はなんの価値もありません。魂の価値は地上時代の肩書ではなく、何を為したかによって自らを裁き、それが現在の個性を形成しているのです。霊界での唯一のパスポートは魂の発達程度です。それが赤裸々にされるのです。

ごまかすことは出来ません。嘘をつくことも出来ません。見せかけも通じません。こちらへ来ると地上時代の仮面が剥ぎ取られ、あるがままの姿が知れてしまいます。魂の霊的発達程度が誰の目にも分かります。
名声が何になりましょう。子供のおもちゃの様なものにすぎません。なんの価値もありません。そもそも名声はどうやって得られるのかを考えてごらんなさい。お金があるとか世間的に出世したと言うことで名が知れたに過ぎません。イエスはそうした名声は一切求めませんでした。先師、聖者、先駆者、改革者と言われる人は名声を求めたでしょうか。

大切なのはどれだけ人の為になることをしたかであって、その人の名前ではありません。ですから、いわゆる有名人の名前を名乗って出る霊には気をつけた方がよろしい。判断の基準はなんと名乗っているかではなくて、どういう態度でどんなことを説いているかです。

何時もお願いしているように、もしも私の言っていることにあなた方の知性を侮辱し理性を反発させるようなところがあったら、遠慮なく拒絶なさってください。愛の心で接し真理の核印を押されたものを説きながら、それで皆さんの魂に訴えることが出来なかったら、それは私達霊団の努力は失敗に終わったことを意味します。

(親密な間柄だった親戚の霊がどうしても出てくれないのはどう言う事情があってのことかとの質問に対して)

自由意思の問題です。地上へ無理に引き戻そうとする強制力は一切働きません。こちらの世界へ来て、たとえようもない楽しさと美しさと光輝を少しでも味わった者にとって、地上と言うところは、戻ってみたいと思うほど魅力のある世界ではありません。薄暗くて、じめじめして、これほど面白くない雰囲気はありません。こうした世界へ戻ってくるのは大変な犠牲を強いられるのです。

・・・テレパシーによって霊との交信ができた場合、それは霊にとって苦痛なのでしょうか。自分の所属界にいるままでは交信できないものでしょうか。

それは十分可能なことです。私達としてはそちらとこちらとがお互いに半分ずつ歩み寄る形で交信できれば有難いのですが、残念ながらそう希望どおりには参りません。私達の方から地球の大気圏、地上的環境、地上界のバイブレーションの中へ降りて行かねばならないのです。

つまり霊的なものを物的なものへ近づけなければならないのです。本当は物的なものを霊的なものへ近づけてほしいのですが・・・

(質問者が代わる)
・・・人間が幽体で旅行する話を聞くことがありますが、私にも同じ体験があるみたいです。どう言う現象なのでしょうか。

至って簡単なことです。幽体が肉体から抜け出て、時には私達の世界へ、時には地上の遠隔の地まで旅行するのです。実は睡眠中は一人の例外もなく幽体で旅行しております。一時的に肉体を離れて私達の世界を訪れ、縁のある人たちと会っているのです。

これは死後の環境の変化がショックにならないように、あらかじめ準備させるための神の配慮なのです。

死の現象(二つの身体をつないでいるコードの切断)を経てこちらの住民となれば(意識の中枢が幽体へ移って)地上時代の睡眠中の体験を思い出し、それから始まる素晴らしい霊界生活への準備が整います。皆さんは毎晩死んでいると言ってもいいのです。

・・・誰しも夢を見ます。その中で親しい人と会ったことを思い出すことがありますが、本当に会っているのでしょうか。それともただの想像にすぎないのでしょうか。あるいは会いたいと言う願望がそういう夢となって現れるのでしょうか。

いえ、実際にその人と会っておられるのです。と言っても想像力を見くびってはいけません。厄介な面もありますが、豊かな創造性も秘めております。純粋にして最高の形態で発揮された時の想像力は驚異的な働きをします。未開発の能力を花開かせていく創造的な力となります。

夢の全てが霊的体験と言うわけではありません。潜在意識に蓄積した観念の反映にすぎないこともありますし、夜遅く食べたものの反応にすぎないこともあります。

・・・その違いは分かるものなのでしょうか。

分かります。食べたものや潜在意識のせいである場合は霊的な効用がありません。実際に霊界の愛する人にあった場合は精神的ならびに霊的な温もり、充足感を覚えます。その違いは明確に分かります。

もっとも、その違いを見分けるには能力の発達が要請されます。物質的な印象にすぎない場合は肩にずっしりと重たさを感じますが、霊的な体験の場合は蝶に口づけをされたみたいな気分が致します。

(質問者が代わる)
・・・霊界では一個の霊が数か所で同時に仕事をすることが出来ると聞いております。これはグループ・ソールの原理と関係したことなのでしょうか。つまり一個のダイヤモンドの複数の相の一つ一つ行うことが、あたかも一つの相が同時に行っているように思えるのでしょうか。

霊界では様々な霊相を表現することが出来ますが、一個の霊が複数の相を別々の場所で同時に表現することは出来ません。一度に一つの場所にしか存在できません。

ただ地上の人間の様に物的条件による距離の制約は受けません。例えば地上の距離にして何マイルも離れたところへでも、行きたいと思えば一瞬の間に行くことが出来ます。
それはダイヤモンドの一側面、つまりグループ・ソールの一個の単位であることは何の関係もありません。その側面が全体としての進化に寄与する為の体験を獲得するために地上へ誕生します。

・・・その結果ダイヤモンドが全体としてより立派なものとなる分けですね。

そういう事です。一段と深い霊的覚醒と発展が得られるからです。各側面が地上での体験によって霊性を高めるのです。地球も本質的には霊的進化の場としての存在価値を有しているのです。そうでなかったら存在しないはずです。

・・・地上で意識しているような時間はないのでしょうか。

ありません。地上の時間と言うのは昼と夜と四季を生じさせている地球の自転と公転によって支配されております。私達は地球の回転の影響は受けません。したがって昼と夜とか春夏秋冬の区別がありません。時間は私達にとっては存在しません。強いて言えば〝永遠の現在〟の中に生きております。

・・・永遠の過去でもあるわけですね。

私達にとっては過去も未来も、ともに永遠の現在です。皆さんの睡眠中のことをお考えなれば、さほど理解の困難な話ではないと思います。睡眠中は一時的に物的束縛から解放されています。

ですから夢の中ではそういう束縛を受けないで、途方もない距離を行き来出来ます。いつもの時間の観念が無視されています。永い夢の出来事も数分の内に起きております。

・・・この世では時間に縛られているかに思えても霊界では時間と言うものが存在しないのですね。

時間そのものには過去も未来もありません。時間は永遠の現在の中に存在しています。過去と未来はあなたと時間との関わり方一つによって生じているに過ぎません。

(別のところで時間を無限に回転する輪に例え、今触れているところが現在で、すでに触れたところが過去、これから触れるところが未来ですと言っている―訳者)

皆さんは三次元の世界に生きておられます。私達は地軸の回転、つまり昼と夜を生じさせる回転する球体とは無縁です。永遠の光の中で生活しております。これをどう説明すればよいのでしょう。

肉体の様な物質身体がありませんから眠る必要がありません。睡眠を必要とする身体を持っていないのです。休息を必要とする時は、元気が回復するまで休止するだけです。

私達の世界は、皆さんには到底想像できないほど豊かで美しい世界です。皆さんの聴覚を超えたオクターブの世界、みなさんの視覚を超えたスペクトルの世界がどうして説明できましょう。どうにもならない程説明が難しいのですが、それでも実在しているのです。

物質の世界へ生まれてきた以上は物質の法則によって制約を受けざるを得ませんが、皆さんも霊なのです。魂が宿っているのです。それはいかなる物質なものよりも上です。霊が主人であり物質は召使いです。霊は不変の実在であり、物質には永遠性はないのです。

その霊が去ると肉体はもろく崩れてチリと化します。形体を変えてしまいます。そして二度と同じ形体には戻りません。一方真実のあなたである霊は生き生きと輝いた姿を見せております。心臓だの肝臓だの肺だのによって生かされているのではないのです。肉体に生きるエネルギー、あるいは生命を維持する上で必要なものすべてを供給しているのは霊なのです。

第6章 音楽を語る
(神の計画の中で音楽は一種名状しがたい役割を演じているようである。ある日の交霊会でシルバーバーチは英国の音楽界で指導的地位にある音楽家に次のように語りかけた)

あなたが音楽を通じて世の中の為に貢献していらっしゃるその実態は、あなたご自身にはまず理解できないことです。音楽、なかんずくインスピレーション的な曲はあなた自身はごく自然な形で作曲しているつもりでも、魂を癒し慰め刺激し鼓舞する特質を具えているものです。

それはそれなりに魂に琴線に触れて、五感を通じて得られるより遥かに偉大な生命の荘厳さがあることを認識させます。

これから先どこで演奏なさる時も、あなたは偉大な目的の道具であること、あなたに感謝の気持ちを伝えられない大勢の人々に心の調和と同情と激励と幸福と健康をもたらす一助となっていることを思い出して下さい。

こちらの世界へおいでになれば、大変な楽しみがあなたを待っております。と申しますのは、霊界には今のあなたには理解できない性質と卓越性を持った音楽が存在するからです。地上でまだ一度もお聞きになったことのないオクターブがあります。シンフォニ―もあります。コンチェルトもあります。最高の作曲家や演奏家が無数にいます。地上にはほんのわずかしかおりません。

地上で大作曲家と言われている人の全てがこちらへ来ているわけですが、その巨匠がその後更に向上進化しているのです。観賞力を持った人なら立派な音楽をいくらでも聞くことが出来ます。

ミュージックホールは霊界が誇る財産と言っても良いほどです。地上のいかなる楽器でも表現できないオクターブの音楽をあなたも聞くことになるのです。

それからもちろん地上を豊かにする音楽はみな霊界を始原としております。人間がこしらえているのではありません。演奏家も作曲家もみな一種の霊媒なのです。

・・・本日こうして出席させていただきましたこと大変光栄に存じます。あなたの教えが私の人生において素晴らしい啓示となっていることを是非とも申し上げたいと思っておりました。

そのことを私と一緒に神へ感謝しようではありませんか。・・・私は神の使いとなったことの光栄とその好機を与えて頂いたことを、そしてあなたと奥さんはその真理を授かることが出来たことを、です。

何十年か前、私は同志もなく、たった一人でこの地上へやって参りました。是が非でも地上人類に霊的実在の存在を教え、霊力の働く場を設立する必要があるとの理由から、私が霊界においてそれまで獲得したものをお預けして、(次元が異なるが故の)困難な条件のもとで、この地上へ戻ってくれないかとの要請を受けたのです。それを私は挑戦のつもりでお引き受けしました。

今夜あなたから、私が光栄にも伝達させていただいた教訓・・・私が考え出したものではないのです。・・・が、あなたの人生で大きな啓示となっていることをお聞かせくださいました。そのことに私は感謝したいと思います。

と申しますのは、そのことは私に愛念を覚えさせて下さる方がまた一人増えたことを意味するからです。それは私にとって大変うれしいことなのです。

これより先あなたには、ご自身がこれまでに恵みを受けられたように他の人々に恵みを施す機会が次々と与えられることでしょう。その機会を逃さないことです。と言って私は、あなたを始め私の同志のどなたにも、熱狂的な伝道者になってほしいと思っているわけではありません。

しゃにむに他人を信じさせようとなさることは期待しておりません。後で平静を取り戻した時にはもう忘れているような、一時的な興奮状態の群集心理につけこむ非理性的手段で真理を説いて下さることは望みません。

私が申し上げているのは、あなたにはあなたのご縁を通じて援助の手を差し伸べるべき機会が与えられることになると言うことです。その時にあなたなりの最善を尽くせばよいのです。地上世界には為さねばならないことが山ほどあります。

物的財産は一時的な所有物にすぎません。所有物と言っても真に自分のものではなくただの一時的保管物にすぎません。一方霊的財産はさびることも色あせることもありません。永続性があります。

人の為に自分を役たてることほど立派な宗教的行為はありません。それが霊の通貨(コイン)なのです。自分より恵まれない人の為に手を差し伸べれば、そのうち自分の生きるべき道がきっと啓示されます。あなたが窮地にあって啓示を受けられた様に、窮地に置かれた人があなたの手の届くところまで導かれてくるようになるでしょう。

(別の招待客が耳障りな現代音楽の話を持ち出して、インスピレーションが形態を変えた結果なのかと尋ねた。すると―)

インスピレーションが変わることはありません。インスピレーションは片時も休むことなく送られております。ただそれを受け取る用意の出来た者だけが受け取っているにすぎません。波長がそれに合わなければ受け取れないと言うことです。インスピレーションは休みなく送られております。霊力と同じく、地上へ顕現する通路を求めております。

要するに波長の一致の問題です。地上には音楽、絵画、その他あらゆる芸術分野に先駆者がいます。その人達は時代に先んじ過ぎている為に、在世中は一般から理解してもらえないことがありますが、時代がすすむにつれて理解力の水準が上がり、その先駆者たちに正しい評価が為されるようになります。

しかしそのことは地上で良く生じる音楽の俗悪化には当てはまりません。それはむしろ今日の地上を蝕んでいる凶暴化の傾向と結びついた問題です。

・・・現代と言う世代が音楽に影響しているのではないかと思っておりました。

物質を霊から切り離すことは出来ません。物質的なものが霊的なものへ、霊的なものが物質的なものへと、たがいに反応し合い影響し合っているからです。あなたの身体は霊に影響を及ぼしております。両者は隔絶したものではありません。

・・・(スイスの精神医学者の)ユングは内部にあるものは必ず外部に出るものであると述べています。現代の気違いじみた音楽にはその例証と言える要素があるのでしょうか。内部にあるより外部へ発散してしまった方が良いのでしょうか。それが凶暴性を発散させることになるのでしょうか。

いえ、残念ながらそれは、ごく当たり前の反応にすぎません。物的なもの、一種の利己性、つまり他人の幸せに対する完全な無関心の現れです。貪欲が幅を利かしているのです。自分たちの地上生活を自ら蝕んでいる凶暴性の原因はそこにあるのです。それが素行の面のみならず音楽や芸術、その他ありとあらゆる生活面に表れているのです。

第7章 再生問題を語る
(前にも一度招待されたことのある熱心なスピリチュアリストが再度招かれた。霊的なことに全く理解を示してくれない夫が重病の床にあって、今夫人はかつてない厳しい精神的試練に立たされているからだった。死の布陣に向かってシルバーバーチが語る)

今あなたが人生の最大の試練に立たされていることは私から改めて指摘するまでもないことと思います、しかしいかなる困難に取り囲まれていようと、あなたはきっと切り抜けていかれることでしょう。背後に控える力が実に強力だからです。決してあなたを見捨てるようなことはいたしません。

いかなる人生にも、赤裸々な現実に直面させられる時期が必ずあるものです。その時こそあなたの信念が確固たる知識の上に築かれていることを確認しなくてはなりません。

つまりその現実に直面することによって自分の存在価値を試され、いかに身近で切実な問題であろうと、それによってあなたがこれこそ実在であると信じているもの・・・絶対に裏切ることのない霊的原理から気をそらされることがない(迷わない)ことを立証させられているのです。

その点あなたは、こうした危機において砦となるべき知識へ導かれてその用意が出来ていたことは幸せと言うべきです。
ですから、あなたは決して首をうなだれてはなりません。表情と振る舞いによってあなたが霊的自由をもたらしてくれた真理をいささかも忘れていないことを示すように努力してください。

・・・子供達もこの逆境によく耐えてくれておりますが、それとは別の問題があるのです。末の子がスピリチュアリズムや心霊的なことにとても興味を抱いているのですが夫はまったく理解なく、私がその子にそれをやめさせようとしないことを咎めるのです。
夫にしてみれば自分の信仰とことごとく対立することばかりなので、そのことで心を痛めております。私はどちらの気持ちを優先させるべきか分からずに悩んでいるところです。

私は年輩の者の信仰よりも若者にとって必要性の方が大切であると考えます。
一方は地上生活のコースを殆ど終えた段階にあります。他方はこれからという段階であり、全コースが前途に横たわっております。これまでと同じように、あなたの才覚と臨機応変の知恵を探ってください。ただし、あなたの信じる霊的原理から外れた行為は絶対にしてはなりません。

自然に備わっている心霊的能力を抑え付けることが望ましいことでないことは、あなたも理解しておられるはずです。万一抑え付ける様なことをすれば、お子さんの全人的構造に歪みを生じさせることになります。自然に具わっているものを出させないようにするよりも、全人的健全さを身につけさせる方が好ましいことは言うまでもありません。是非そこのところは、あなたなりの才覚と知恵によって、これまでと同じように、ご主人の為にもなるよう工夫してみてください。

・・・その息子は再生と言うものを信じているらしいのです。しかし、今自分の父親が死に掛っているのを見て不安を抱いております。父親が死んで家族が別れ別れになった後、父親がどこかに再生してしまえば、果たしてうまく再会できるかどうか心配だと言うのです。

そういう心配はご無用です。再生するまでには永い永い年月を要することがあるからです。あなた方の世界の諺で私もなかなか良いことを言っていると思うものに〝橋のたもとに来るまでは橋を渡ってはいけない〟(余計な取り越し苦労をするな)と言うのがあります。

再生は確かにあるのですが、これにはいろんな要素が絡んでおります。その為にそれが理解できない人に説明することは容易ではありません。

私は再生が事実であることを、いささかの躊躇もなく断言します。ただ私は、全ての人が再生するとは言っておりません。私が言っているのは、人間の個性と言うのはそれ自体が独立した存在ではなくて、大きなダイヤモンドの無数の側面の一つにすぎないこと。

その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによって得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って一段と光輝と輝きを増すことになると言うことです。

それは支払うべき霊的借金とでも言うべき宿業(カルマ)を持った人が因果律の働きで戻ってくる場合もありますし、進化した高級霊が特定のグループ、時には特定の国家のために貢献する必要だからです。

これはとても複雑な問題です。私がダイヤモンドに例えているインディビジュアリティと言うものがあり、(厳密に言うと両者は異なる。その違いを8章で説明している―訳者)それは、たった一回の地上生活で発揮されるパーソナリティ(人物像)よりも遥かに大きなものであると言うことが理解できるようにならなければ、この問題は扱えません。

そのパーソナリティとインディビジュアリティとを混同している方が多い様です。一個のインディビジュアリティがいくつもの分霊を出して地上に沢山のパーソナリティを持つことが出来ます。

インディビジュアリティの物的表現ないしは顕現です。数は沢山ですが同じインディビジュアリティから出ているのです。

パーソナリティと言うのは仮面を意味するラテン語のパーソナからきた言葉で、物的身体にまつわる者を意味します。インディビジュアリティが五つの物的感覚を通して自我を表現するための道具であり、氷山に例えれば水面上に出ているほんの一部に過ぎません。

パーソナリティは地上でつけているマスクです。インディビジュアリティ、つまり本当の自我はめったに顔を出しません。(五感に邪魔されて)出そうにも出せないのです。死によって肉体から分離した時に自覚される大きな自我に比べると実にお粗末なものでしか表現しておりません。

このようにインディビジュアリティはパーソナリティよりは遥かに大きなものです。死後に生き続けるのはパーソナリティではありません。パーソナリティはインディビジュアリティによって投影された影にすぎません。

そのインディビジュアリティが肉体の死後、地上で発揮されなかった潜在的な可能性を少しずつ発揮していきます。

地上での特別な使命が託されている場合はインディビジュアリティの比較的大きい部分・・・多くの側面・・・がまとまって一個の肉体に宿ります。この場合にもダイヤモンドの光沢を増すための体験を積むと言う目的も兼ねているのです。

二人の人間がアフィニティ(霊的親族)であることがあります。別々の人間でありながら一個の魂の半分ずつなのです。地上でそういう関係の人と一諸になれた時は、物的な富では測れない豊かさがもたらされます。アフィニティは同じダイヤモンドを構成している部分的側面です。こう申し上げても理解できないでしょうが。こうした霊的な問題は言語による説明がとても難しいのです。

一つの大きな魂(インディビジュアリティ)があって、それにいくつもの部分的側面があります。それらが別々の時代にパーソナリティとして地上に生を受けます。が、寿命を終えて霊界へ戻ってきた時も一個のインディビジュアリティの側面であることには変わりません。

一つの家族が霊界へ来ても、自動的に合流するわけではありません。家族のメンバーが自然な霊的親和性を持っている場合のみ、それがあり得ます。親和性がなければ再会はあり得ません。霊的のレベルが違うからです。

夫婦の場合であれば、身体上の結婚だけでなく魂と精神においても結ばれていなければ、霊界での再会は不可能です。再会を決定づけるのは霊的親和性です。死後しばらくは血縁によるバイブレーションが残っていますが、それは永続性がありません。

霊は物質に勝ります。霊に関わるものは死後にも残り続けますが、物質に関わるものはそのうち消えます。お子さんにそのことをよく説明してあげないといけません。

なかなかうまく説明できないかもしれませんが、とにかく全ては不変の法則によって支配されているのです。その法則の根本にあるものは愛です。愛は大霊の表現です。神・創造主・どう呼ばれても結構です。

首をうなだれてはいけません。あなたはしっかりと導かれ援助を受けておられます。きっと乗切ることが出来ます。一瞬たりとも挫折の心配を抱いてはなりません。このたびの経験はあなたの霊性を強化し、前途に横たわる未来において大きな豊かさをもたらしてくれる貴重な教訓を植え付けてくれることでしょう。

私は地上の同志の方に気楽な人生、何の障害のない人生をお約束することが絶対に出来ません。私から言えることは障害も困難もその一つ一つが挑戦すべき目標だと言うことです。一つ克服するごとに、あなたは霊的に成長するのです。

地上の人間はいつかは死ななくてはなりません。物的身体を携えて永遠に生きると言うことは、自然法則上、不可能なことです。

無知と迷信から生まれる死の恐怖さえ克服すれば、地上の人間にとって死が暗闇から光明へ導いてくれる天使であり、地上で活用されることのなかった才覚と能力とを発揮する好機を与えてくれるものとして歓迎するようになることでしょう。

・・・霊(スピリット)と魂(ソウル)の違いについて教えて頂けませんか。スピリチュアリズムの中の七つの綱領の中で私達は死後の個性の存続を知っておりますが、次に生まれ変わる時、実際に再生するのは最初の霊の個性とは別のものでしょうか。

これはまた厄介な質問をしてくださいました。問題は用語にあります。言語を超えたものを説明する為の用語を見つけなければならないので厄介なのです。

魂と霊の違いがその好例です。使用する際にはどういう意味で使用するかを明確にしないといけません。ここでは単純に、魂とは無限なる宇宙の大霊から出た分子、粒子、神性と言うことにしましょう。そして霊とはその魂の媒質*です。

それが肉体から分離すると地上時代より遥かに自由自在に機能を発揮するようになります。肉体は物質でできています。それが霊の表現を制約しているのです。
(*現象界においてはこの二者が一体となって初めて存在できるもので、切り離すことが出来ない。日本語の類魂と言う言い方はその意味で当を得ているが、問題はその理解である。しかし厳密にいえば違いはあっても、実際にはシルバーバーチも置き換えて使用することが多い。

次元が異なるので、やむを得ないことであろう。それはちょうど太陽は厳密にいえば東から昇ってもいないし西に沈んでもいないが、地上から見る限りはそういう表現するよりほかに方法がないのと同じであろう。第二巻〝霊〟と〝魂〟についての解説参照)


それ故、あなた方は霊を携えた魂であり、それが肉体を通して自我を表現しているのです。パーソナリティというのはその肉体を携えた地上生活において表現されている側面のことでしかありません。それは本当の自我であるインディビジュアリティの極一部に過ぎません。肉体に包まれている為に存分に自我を発揮できないのです。

・・・次に生まれ変わるのはその地上生活で発揮したパーソナリティ(人物像)では無くて、その奥の霊または魂なのですね。

その通りです。前回の地上生活の時と同一人物がそっくり再生してくることはあり得ません。人物像は肉体の死と共に消滅します。それはインディビジュアリティの物的表現に過ぎません。

・・・私の考えでは、われわれは皆、かつてはもっと大きな意識を持っていたのを、今こうして地上に存在している間はそれを放棄し、死後霊界へ行ってからそれを取り戻すのだと理解しております。そう考えるといろんな疑問が解けるのです。

あなたは今歩んでいる道を地上に来る前に選択されたのです。その時はその大きな意識で自覚しておられたのです。それが肉体に宿り脳を通して意識するようになって曇らされているのです。脳の意識では潜在意識の深奥は探れないのです。

その誕生前の意識を目覚めさせるためには、その触媒となるべき危機的体験を積まねばなりません。いつかは明瞭に意識する日が来ます。

・・・地上へ誕生しようとするのは何か特別やりたいことがあるからでしょうか、それともより多くの知識を得る為でしょうか。

(両方ともそうですが)それ以外にも何か奉仕的な仕事を行い、その中で神から授かった霊的資質を開発するための場合もあります。

・・・私にとって霊的知識こそ神からの授かりものです。

無限なる叡智を持つ神があなたに授けられたのです。

・・・ある書物に、我々は同時に二つの場所に生まれることが出来ると書いてありました。事実でしょうか。

私は真の自我であるダイヤモンドには無数の側面があり、それが様々な体験を持ち帰ってダイヤモンドの光沢を増す、という考えです。ダイヤモンド全体が一度に生まれてくることはありません。いかなる身体もインディビジュアリティの全てを宿すことは不可能だからです。

パーソナリティとインディビジュアリティの違いを理解しないといけません。パーソナリティと言うのは物的身体を通して顕現した地上だけの人物像です。インディビジュアリティと言うのは魂の全体像です。その全体像を地上で70年や80年、あるいは90年の間に発揮することは到底不可能です。

〝われわれ〟とおっしゃった同じダイヤモンドの仲間の別の側面が同時に地上へ誕生することはある得ることです。が全ては法則と秩序によって規制されております。その時期が来るまでは心配なさらぬことです。

もう一度生まれ変わりたいと言う願望を持つようになる人がいます。奉仕的活動をしたいと言う場合もあります。成し遂げたい仕事がある場合もあります。償わねばならないカルマ的な借金が残っている場合もあります。そういう人たちが地上へ再生するのです。

二度三度と繰り返す事もありますが、いずれの場合も再生してくるのは真の自我すなわちインディビジュアリティの側面の一つです。

再生したくないのであれば、何もこの暗いじめじめした陰鬱な世界へ戻ってくる必要はありません。真の自我に目覚めた人は再生してくる必要はありません。

・・・何故再生して来ない人がいるのでしょうか。そういう人はそれから先どうなるのでしょうか。

支払うべきカルマの負債もなく、やらねばならなない仕事もないからです。地上での用事がすっかり終わったと言うことです。もう地上へ戻ってきてすることがないのです。地上との一切の縁を切って、霊界での進化向上に専念することが出来ます。

・・・もう下層界へ降りることがないわけですね。ひたすら向上へ向けて進歩し下降することがないのですね。

進化は常に向上です。下降であれば退化となります。もっとも、進化は必ずしも直線的なものではありません。渦巻状(スパイラル)に同じことを繰り返しているようなもので、実際には着実に向上しています。

そこには因果律と言う自然の摂理が働いており、完全な公正が支配しています。人間の法律はごまかせますが、神の摂理はごまかせません。因果律が生み出すものには絶対的に従わねばなりません。あなたが心配なさる必要はありません。

ここでぜひ指摘しておきたいのは、地上の人間は再生と言うものを、今の自分にない一種の栄光に憧れる気持ちから信じている場合が多いと言うことです。人間界で言うところの〝劣等感〟(コンプレックス)です。現在の自分の身の上がいくら惨めでも、かつて前世では高貴な身の上だったのだと信じることによって慰めを得ようとするのです。

しかし再生とはそういうものではありません。(前世では〇〇という人物だったと言うのはナンセンスです。と別のところで述べている―訳者)自然の摂理によってきちんと公正が行きわたっております。必ずしも地上生活中にそうなるとは限りませんが。その場合は霊界において清算されます。そういうものなのです。

・・・霊界へ行ってからでもカルマの清算が出来るのでしょうか。

無論です。それが普通です。

・・・ではなぜ地上へ戻ってくるのでしょうか。

地上でしか支払えない借りがあるからです。地上の危機存亡の時にあたって何らかの貢献をしたいと言う願望から、再生の道を選ぶのです。みんな何らかの貢献をするために再生してくるのです。全てに計画があるのです。

・・・私だったらこの地上よりそちらで償いをしたいですね!

選択の自由は与えられています。が、忘れないで頂きたいのは、その自由意思も相対的なものであることです。やりたくても出来ないことがあり、またどうしても選べないコースと言うのがあります。最終的にはあなたがそれまで到達した霊的進化の程度が次にとるべき手段を決定づけるからです。

(スイスからの招待客が質問する)
・・・地上へ再生するまで霊界で何年位、あるいは何世紀くらい待つのでしょうか。1060年という説があり、男性だったものは女性に生まれ変わると言うのですが。本当でしょうか。

その数字はどなたが計算されたのでしょうか。

・・・ある大学の講演で聞きました。

地上に戻ってくる人間がいることは事実です。再生してくるわけですが、それまでの間隔は別に一定の年数は決められているわけではなく、あくまでも一つの計算に基づいてそうなるのです。

カルマによる義務の遂行のために戻ってくる人もいれば、自発的に途上での貢献を目的として戻ってくる人もいます。男性として戻ってくるか女性として戻ってくるかは、格別に重大なことではありません。私達の世界には性別差別防止条例はありませんので!。

霊的進化の程度が唯一の基準です。男性であるか女性であるかは問題ではありません。大切なのはその人の行為です。

また男性と女性にはそれぞれに果たすべき役目があり、双方が一体となって完全な全体が出来上がるように、互いに補完し合うようになっているのです。互いにアフィニティであることを見つけ合うことがあるのはそのためです。そうなったら二度と別れ別れにはなりません。

・・・戻ってくることもあり、戻って来ないと言うこともあると言うことですね。

為すべき仕事があればそれをしに戻ってきます。仕事が未完のまま残されていればそれを仕上げに戻ってきます。全ては法則と秩序の問題です。ともかく地上で表現する自我は大きなインディビジュアリティのごく一部に過ぎません。

・・・前世を思い出すのに催眠術を使用するのがブームになっております。あのような体験で教訓が学べるものでしょうか。

学べることが皆無というわけではありませんが、そうした体験には、単に現在の自分が立派でないことから、潜在意識が立派でありたかった願望を描こうとする、一種の虚栄心の現れであることがあります。

別のケースとして、それにカルマが絡んでいる場合があり、過去世において大きな影響を及ぼした苦難または悲劇を現世で呼び戻し、それを意識することでカルマが消滅することがあります。

これは良い結果をもたらす例ですが、それがただの取りとめもない想像にすぎないことが多いのです。もう一つのケースとして、催眠状態における憑依霊の仕業である場合もあります。

・・・普通だったらとっくに死んでいる筈の患者が医術によって何カ月も生き続けている場合があるように思うのですが、こういう場合はどうなるのでしょうか。

死ぬべき時期がくれば、いかなる医師も生かし続けることは出来ません。

・・・でも、そう思えるケースが良くあります。例えば最近ではアメリカの少女の例があります。

その子の場合、意思が死期を伸ばしているという証拠は何処にあるでしょう。私が理解している限りでは、地上の医師はまだ死期について確定的なことは分かっておりません。正確な死の瞬間について論争が続いておるではありませんか。

死の過程は生命の糸(シルバーコード)が切れて霊体が肉体を離れた瞬間をもって終了します。その時初めて〝死んだ〟と言えるのです。いったんその分離がすすんだら最後、いかなる医師も肉体を蘇生させることは出来ません。

・・・催眠術による遡及によって過去世の証拠が得られるものでしょうか。実際にはただの霊の憑依ないしは支配に過ぎないでしょうか。

いわゆる遡及によって前世とコンタクトできるという事実は否定しません。しかし、必ずしもそうでないところに問題があるのです。それと言うのも、人間の精神には莫大な可能性が秘められており、地上の人間には到底その深奥まで掘り下げることは出来ないからです。

想像力もありますし、潜在的願望もありますし、霊によって憑依される可能性もあります。

こうした要素を全て考慮しなくてはなりません。催眠中に体外遊離(幽体離脱)が起きて、その間の一連の記憶が印象付けられることもあります。こうした場合は過去世を思い出していることには成りません。

・・・生れ変わる時は知り合いの霊の仲間ないしは高級霊団による指示と助力を受けると言うことを米国の心理学者が催眠術による遡及を通じて明らかにしているのですが、これについてどう思われますか。

地上で奉仕的な仕事に献身したいという自覚をもった霊は自発的に再生しますが、霊的真理に目覚めるまでに相当な期間を要することがあり、そうした霊の場合は守護霊や指導霊が手助けをします。

私はそうした問題については、いわゆる催眠術による遡及は頼りにならないと考えます。催眠術者は、せいぜい、前世とおぼしきものを引き出そうとしているに過ぎません。

・・・その米国の心理学者は被術者に再生する時に痛みとか恐怖心とかがなかったのかを聞いております。

催眠術の動機がいかに真面目であっても、催眠術による前世への遡及はよくよく用心して掛らないといけません。催眠術の基本は〝暗示性〟にあります。したがって施術者が述べていることは控えめに受け取らないといけません。被術者は必ずしも施術者の暗示通りに反応しているとは限らないからです。

訳者注―此処で催眠術がテーマとなっているが、基本的には霊能者や審神者(サニワ)についても言えることである。見当違いのことを大まじめにやっていることがあるので用心が肝要である。その弊害に陥らない為の最大の武器は、やはり、しっかりとした心霊学の知識である。

心霊学は霊的なことについての学問であるから、霊的なことに関わる人の全てが心得ておくべきものであるはずなのに、神道や仏教の当事者はもとよりのこと、霊能者、霊媒及びその審神者が基本的な知識すら持ち合わせていないことに呆れることがあるし、何と危険なことだろうと恐ろしさを覚えることすらある。
こうした事実を考慮して私は『霊訓』の続編である『インペレーター霊訓』の冒頭で霊的通信の入手経路について概略を述べておいた。またインペレーターの霊言及び自動書記通信の中には霊媒及び霊能者に対する忠言、特に邪霊・悪霊・いたずら霊の存在について言及しているものが多くみられので、ぜひ参考にして頂きたい。

見た眼に清潔そうに見えてもバイ菌がうようよしているように、平凡な日常生活の背後にバイ菌の様な霊がうようよしている。問題はそうした霊に操られた霊能者や霊媒が多すぎることである。それは最近の書店の心霊コーナーを見れば一目瞭然であろう。嘆かわしいことこの上ないが、これも凡人には測り知れない神の計画の一端なのかもしれないと思って諦めつつも、せめてそれが真実でないことを指摘することだけはすべきと言う考えから、あえて付言させていただいた。

ことのついでであるが、私が親しくしている米国人のスピリチュアリストに最近の米国の心霊事情を尋ねたところ、英国に比べて精神的なものよりも現象的なものが多く、しかもいかにも米国らしくスケールの大きい催しがあるが、いかがわしいものが多いので自分は久しくそういう催しに出席していないと言い、個人的には英国のスピリチュアリズムの方が性分に合っている、とのことだった。

その英国のサイキックニューズ紙の最新号(1987・8・22)で主筆のオーツセンが編集手帳のようなコラムの中で面白い話を持ち出して、それに厳しい批判を加えている。

あらましだけを拾って紹介すると、ある日オーツセンに電話で良い霊媒を紹介してほしいという依頼があった。分けを聞くと、エルビスプレスリーの十周忌の記念情事としてプレスリーの霊を呼び出すための〝国際的交霊会〟を催したいと言う。アメリカとオーストラリアの方はすでに話がついているがイギリスからも参加してもらいたいと言う。オーツセンは無論それを断ったと述べてから次のように警告している。

「正直言って私はジャーナリストやテレビ局からのこの種の依頼にうんざりしている。名前を呼べば簡単に出てきてしゃべって来てくれると思っているらしいが、霊との交信はそういう調子にはいかない。

いかなる霊媒も、こちらから霊を呼び出すことは出来ない。あくまで霊の方から親近性と愛を懸け橋として戻ってくるのである。依頼されればどんな霊でも呼び出してあげられると豪語する霊媒は今すぐ霊能養成会へ行って一からやり直すしかない」


第8章 背後霊の仕事
・・・一般的に言って指導霊と言うのは人間のパーソナリティの規模を拡張した、その延長と考えてよろしいでしょうか。それともまったく別個の存在でしょうか。

とても複雑な問題です。今おっしゃったパーソナリティはインディビジュアリティに置き換えた方が良いと思います。私は物的身体から派生する人物像であるパーソナリティとその人物像と言う仮面の背後霊の実像であるインディビジュアリティとを区別しております。

地上ではあなたと言う存在はあくまでも独立した一人物ですが、霊的なインディビジュアリティは必ずしもそうではありません。例えばアフィニティと言うのがあります。これは一個の魂が半分に分かれた存在で、二つが同時に地上へ誕生することがあるのです。

それから私がダイヤモンドの側面に例えている〝霊相〟とでも呼ぶべきものがあります。一個のダイヤモンドがあって、それに沢山の〝相〟facetがあります。それぞれが地上に誕生して体験を持ち帰り、ダイヤモンドの光沢を増します。

さらにそのダイヤモンドがいくつか集まって一個のインディビジュアリティを構成しております。例えばこの霊媒(バーバネル)と奥さん(シルビア・バーバネル)と私(シルバーバーチ)とは一個のインディビジュアリティに所属しております。一人の支配霊がいくつかの類魂を従えていることがあるわけです。

それを〝延長〟と呼びたければそう呼ばれても結構です。が、結局は同じことに帰一します。つまり地上で肉体を通して顕現するのはインディビジュアリティの極々小さな一部と言うことです。

(これまでインディビジュアリティとダイヤモンドが同一であるような表現で説明していたのを、ここで初めて霊側からみた場合の違いを解説している。
要するに意識の中枢であるインディビジュアリティがあって、その分霊を受けた魂の集団いわゆるグループ・ソールがある。その魂の一つにも相facetがあり、その相が地上へ誕生してくることもある。一つだけのこともあれば二つ、三つ、あるいはもっと多くの相が一度に一個の人間として誕生してくることもあり、全部が、つまり一個のダイヤモンドがそっくり誕生してくることもある。魂が大きいと言うのは相が数多く携えていると言うことである。使命が大きいほど多くの相を携えている。

ダイヤモンドに例えられているのは一個の魂のことであり、その魂がたくさん集まって一個のインディビジュアリティを構成している。地上で〝自分〟として意識しているのは脳を中枢として顕現している地上特有の人物像であって、その中において霊的自我の占める要素は極めて少ない。よほどの切実な試練でも体験しない限り目覚めない。そこでシルバーバーチは、安楽な生活より苦難の生活の方が有難いのです。と言うわけである。
なお以上の説明は〝霊側からみた場合の違い〟であって、それを人間側からどう理解するのかは、例えや用語の受け止め方によって各人まちまちであろう。シルバーバーチがたびたび言っているように、用語にはあまりこだわらない方が良い)-訳者


・・・霊の導きを受けていることは私にも分かりますし、そのレベルの高さも分かるのですが、分からないのは、その導きの源が普遍的な始源なのか、それとも特定の指導霊なのかと言う点です。祈りまたは瞑想によってその出所を確かめる方法はあるのでしょうか。

よく引用される諺をまた使用させて頂きましょうか。〝師は弟子に合わせて法を説く〟と言います。これがご質問の答えにならないでしょうか。このようなことに拘ってはいけません。全ての導きは宇宙の大霊すなわち神から来ます。神庁から派遣される霊、及びあなたと親近関係にある高級霊が、あなたが地上へ誕生する前からついてくれているのです。

必ずしも姿を見せるとは限りませんが、霊によってはきちんと姿を見せて地上での仕事について相談し、よく納得してから誕生させる場合もあります。その霊を何と呼ばれても結構です。今もちゃんと控えて下さっています。側を離れることはありません。(九巻の解説<〝霊がすぐ側にいる〟ということの意味>参照)その仕事は聖書(詩篇)にある通りです・・・・・・〝神は天使を遣わして汝を守り、すべての面倒を見させ給う〟

いずれも光り輝く存在です。それぞれの受け持ちの人間を取り囲み、保護と指導と援助と言う、自ら課した責任の遂行にあたります。その最後の目標は霊的発達を促すための道へ導くことです。それは容易なことではありません。岩や石ころだらけです。しかも見慣れた景色を後にするにつれ、ますます困難さを増していくものです。

(同じ事を別のところで〝霊的理解が深まるにつれて、ますます孤独感が増していくものです〟と表現している―訳者)

しかし、低く沈むだけ、それだけ高く上がることも出来るのです。志は無限に高く持つことが出来ます。完全と言うのは、何時も何処かで達成される性質の過程ではありません。到達線とする過程の無限の連続です。

霊の褒章を手に入れたければ、それなりの犠牲を払う覚悟がなくてはなりません。しかし一旦手に入れたら二度と失うことはありません。
私達には人間世界の困難な事情、問題、そして欲求の全てをよく理解しております。物的な世界に住んでおられるのだと言うことを充分認識しております。

そこで、奉仕的な仕事に打ち込んでおられる方が食べるものや飲むものにこと欠くことのない様に、その供給源との連絡を取っております。必要最小限のものは必ず手に入ります。

皆さんだけでなく、お会いする人すべてに申し上げていることは、人間として最善を尽くしてさえいればよろしいと言うことです。それ以上のものは要求しません。例え倒れてもまた立ちあがることが出来るのです。

・・・支配霊にはレッド・インデアンが多いようですが、霊媒が次々と他界して行ったあと、それを継ぐ人がいないようです。もっと多くのインデアンの支配霊の働きを期待したいのですが。

情けないことを言ってはいけません。時が来れば必ず手段は見つかるものです。もとより霊媒も生身である以上は、いつかは霊界へ来なくてはなりません。神は肉体が永遠の生命を持つようには計画されていません。地球と言うのはほんの束の間に生活の場です。永遠の住処ではありません。

(招待客の一人で心霊治療家として活躍している女性が述べる)
・・・霊媒のバーバネルさんが他界なさる時がきたらどうしようかと心配でなりません。

心配はお止めなさい。心配してもなんの解決にもなりません。不安を抱いてはいけません。私は時折、私がこの霊媒たった一人を道具として使命を開始した時のことを振り返ってみることがあります。

英語を一言も話すことが出来なかったのです。それが今ではこうして大勢の方とお話ができるようになった幸運をしみじみと味わっているところです。

後のことは後の者が面倒を見ます。ますます発達していく科学技術のお陰で私達が成し遂げた以上の規模の人々に真理を普及する手段が活用されるようになります。

あなたが治療家としてどれほどの貢献をなさっておられるかは、あなたご自身にはお分かりになりません。地上的なものさしを超えたものだからです。身体を癒しておられるのは事実ですが、もっと大切なことは魂の琴線に触れることです。

眠ったままの小さな神性の種子が目を覚まし、芽を出し、花を開く、その端緒をつけてあげるのです。最終的には個としての存在価値を成就させてあげることになる、そのスタートとなります。

そうした意義のある仕事をするチャンスを多く与えられていることを喜んでください。あなたは病人の人を癒す為に生まれてきておられます。

・・・でも、時たまですが、がっかりさせられることがあります。

分かっております。半世紀近くも地上で仕事をした私が、人間の煩悩に気が付いていないと思われては心外です。あなたにも莫大な霊的潜在力が宿されております。いざという時に頼りにできる霊的な武器です。
しかし万一そこから充分なものを引き出すことが出来ない時は、私達を頼りにしてください。決して見放すようなことは致しません。

もしもうんざりしたり困惑したり悲観的な気持ちになったりした時は、地上の喧騒から逃れて魂の静寂の中へ引っ込むことです。そうしてそこに溢れる豊かな光輝に馴染み、美しさに思い切り浸り、そこから得られる静けさと落着きと安らぎと自信を味わうことです。こうして気分を一新してから再び地上界へ戻り、はつらつと仕事を始めるのです。

とかく前向きに進むほかありません。引き退がってはなりません。何処にいても人の為になることを心掛けるのです。援助を求めてあなたのもとを訪ねる人を決して拒絶してはなりません。

かと言って、そういう人を求めて歩いてはいけません。向こうからやってくるものなのです。〝病気を治してほしい人はいませんか〟などと町を触れて回るようなことをしてはなりません。あなたの援助を求めて先方から駆け付けるものなのです。(そういう風に霊界の方でとりはからってくれる。と言うこと)

無限なる叡智を具えた神によって霊的才能を賦与された人間は、導かれるところは何処へでも出向き、いかなる人にでも救いの手を伸ばしてあげるべきです。その行為が蒔く種子が肥沃な土地に落ちて魂を豊かにすることになることを期待しながら、どしどし種子をまいていくことです。

人間には霊の道具として為し遂げつつある仕事の大きさを測り知ることは出来ませんし、その価値を評価することも出来ません。

・・・私には二人の指導霊がついて下さっていると聞いております。一人はエジプト人で、もう一人は北米インデアンです。本当かどうか、確認して頂きたいのですが・・・

なぜそのようなことに拘るのかが理解できません。その二人がしっかりした霊であることはお認めになっているのでしょう?

・・・その点は疑問の余地はございません。

だったら、その二人が地上で何処に住んでいたかなどと言うことはどうでもよいことではありませんか。大切なのは霊の威力です。間違いなく霊の世界からのものであることを示してくれる力です。あなたを愛し、そして援助してくれる背後霊に密かな信念をお持ちなさい。あなたを迷わせるようなことは致しません。いざという時は必ず道を示してくださいます。

第9章 人生は霊的巡礼の旅
(シルバーバーチの交霊会へ招待される人たちは、男女の別、社会的地位の上下を超えて、人生が霊的進化のための巡礼の旅であることに目覚めた人ばかりである。本章ではそうした人達を招待した交霊会の中から〝新人〟を招待したもの三つと、サイキックニューズ紙の〝ベテランスタッフ〟二人を招待したもの、さらにドイツへの移民に失敗した英国人ジャーナリストを招待したものを特集した。

まず最初は二十年間もシルバーバーチの霊言集を愛読していると言う男性を相手にシルバーバーチがこう述べた)


この交霊会においでになる同志の方に私が必ず申し上げていることは、霊的巡礼の旅に立たれた方はみな、同じパターンの人生を体験なさると言うことです。困難、難題、危機、逆境、失望、挫折、こうしたものを体験させられます。

時には失望のどん底に落とされ、あたかも全ての望みが断たれ、奈落の底の暗闇の中に置かれたような、一条の光も見出せない状態となることもありましょう。

しかし、そうした時こそ魂が目を覚まし、真理を受け入れる用意が整うものなのです。奈落の底からの霊的向上が始まります。ゆっくりとして遅々たる歩みです。それも、必ずしも着実とは限りません。時には逆戻りすることもあります。が、光明へ向けて向上し続け、ついに暗黒から抜け出ます。

さて、あなたはただの信仰でなく証拠に基づいた素晴らしい霊的知識をお持ちです。道が示され、導きを受け、そこから生まれた理解が人生の視野を一変させました。

・・・本日はお招きいただいて大変光栄に存じております。私はあなたの霊訓を20年間も愛読致しております。本日こうして出席できるのも、あなたの霊的知識のお陰です。苦しい時は何時も霊言集を開いております。
そこで私はいまその霊的知識を集大成したいと考えております。テープも書物もかなりの数になりました。それを若い世代の為に人生の指針として教えていくためのグループを組織したいと考えているのですが・・・・・・

人類の為の予定表と言うものがあります。私の世界の高級な神霊によって考え出されたものです。その目的は、受け入れる用意の出来た地上の人間を霊的に、精神的に、そして身体的に真に自由にしてあげることです。国家単位の計画があり、個人単位の計画があります。少しずつ着実に運ばれており、決して先を急ぎません。

われわれ全部を包み込んだその崇高な計画に参加しておられる以上、あなたもせっかちな行為は許されません。関わっている問題が余りに多くて、先走りするわけにはいかないのです。私達が提供するのは、まず証拠です。それから各自が自らの霊的新生を成就するための知識です。

私達があなたに代わって救ってあげるわけには参りません。自分で自分を救うのです。その手段をどう活用するかは、その人の自由に任されております。

あなたが霊的存在であると言うことは、あなたも内部に無限なる宇宙の大霊すなわち神の一部を宿していると言うことであり、同時に、霊的武器(能力)と霊力を宿していると言うことです。

それを進化しながら発揮していくことが出来るのです。私達の仕事はこうした霊的真理を一度に一つずつ、受け入れる準備の整った魂に教えていくことです。この点を特に強調しておきます。それが偽らざる事実だからです。

諺にも〝馬を水辺まで連れていくことは出来ても、水を飲ませることは出来ない〟と言うのがあります。イエスはこれを豚と真珠と言う、きつい譬えで表現しました。(豚に真珠を投げ与える勿れ-マタイ)

受け入れるにはその準備が出来ていなければならないと言うことです。あなたも暗い影の谷間を通り抜けるまでは、真理を受け入れる用意は出来ておりませんでした。その間の体験が、こうした基本的な永遠の霊的真理を理解し始める端緒となる決定的な手段ないし触媒となったのです。

今ではあなたは他の人々を救ってあげる立場になられましたが、あなたの厚意が受け入れられなくても落胆してはいけません。その人はまだそれを受け入れる用意が出来ていなかったということです。そういう時は、私がいつも申し上げているように、掛けがいのないチャンスを失った人として、ひそかに涙を流しておあげなさい。

あなたのようにここぞと言う時に素晴らしい道が示されたように、これからも大切な時には必ず指示が頂けます。人生の視野の基盤を提供してくれる霊的知識を土台として信念を持つと同時に、あなたの背後には、真理普及の為のチャンスさえ提供してくれれば何時でも援助に駆けつけてくれる高級霊の大群が控えているという事実を忘れてはなりません。

恐れるものは何一つありません。あなたには人の為に自分を役たてることができると言う喜びがあります。それが何より大切です。その機会を与えられることに感謝しなくてはいけません。

明日の事を案じてはいけません。困難には遭遇することでしょう。が、それは太陽を一時的に遮る雲のようなものです。太陽は少しの間見えなくなりますが、常に存在しているのです。その太陽がもたらしてくれる力と光の存在を片時も忘れてはなりません。

(次はナイジェリアの一部の族長が招待された時の問答である。まずシルバーバーチの方から〝本日はどういうご用で来られたのですか〟と尋ねると―)

・・・私たちは誰しも自分たち自身ならびに同胞の為に何か役に立つことがしたいと言う霊的な欲求を持っているものなのですが、物的世界ではその意図を遅れさせ邪魔をする事情が生じます。そういう立場に置かれている人たちに何かアドバイスをお願いしたいのです。

イエスも同じ趣旨の質問を受けました。それに対してイエスは〝シーザーのものはシーザーに神のものは神に納めるがよい〟と答えました。(ここでのシーザーは俗世の権力のことを意味している)

問題が生じるのは当然の成り行きです。地上は困難と挫折と障害と逆境に遭遇させられる場所なのです。地上生活のそもそもの目的は、伸びゆく魂が、危機において初めて呼び覚まされる潜在的資質を発現する為に、様々な事態に遭遇することにあるのです。

そうした問題を克服していかない限り霊性の向上は望めません。が、実は克服できないほど大きな問題は決して背負わされないのです。忍耐強く導きを祈り求めることです。

時が熟せば必ずドアが開かれ、道が示されます。私はそのことを同志の方にいつも申し上げております。締め切られたドアを忙しく叩いてはいけません。と、

・・・地上はいつの時代にも、いずこにおいても、因果律という基本摂理のみが働いていると考えて宜しいでしょうか。もしそうだとすると、何故因果律によって営まれている自然が正しく理解されなかったり、ひどい扱いを受けたりするのでしょうか。

因果律は全法則の基本的原理であり根底であり、永遠不変のものです。自分が蒔いた種が産み出すものを自分が刈り取るという原理です。一つの原因に対して数学的正確さを持って結果が生じます。

その結果がまた原因となって新たな結果を生み、それがまた次の原因となって行きます。この過程が絶え間なく続きます。種に宿っているものが正直に花を咲かせるのです。

千変万化の大自然の現象は、極大のものも極小のものも、単純なものも複雑なものも、一つの例外もなくこの因果律に従っております。いかなる人物も、いかなる力も、その連鎖関係に干渉することは出来ません。

万が一にも原因に対してそれ相当の結果が生じない事があるとしたら、地球も太陽も、あるいは宇宙全体も大混乱に陥ることでしょう。大霊、神、宇宙の大精神に愛もなく叡智もなく、完全ではないことになります。

宇宙は完全な公正によって支配されております。もしも宗教的ないし霊的な意味があるかに信じられる文句を唱えることによって、それまでに犯した過ちの結果が一挙に取り消されるとしたら、それは大自然の摂理の働きが完全でなく不公正であることを意味します。

大自然は人間の願望にはお構いなく、定められた通りのパターンに従わなければならないのです。果たさなければならない役割があり、それを果たし続けます。人間がその大自然の摂理と調和して生きれば、幸福感を生み出すような結果がもたらされます。

時には、こんな幸せでよいのだろうか、と思うほど豊かな幸せをもたらしてくれることもあります。

反対に自然を搾取し、その摂理に逆らったことをすれば、それは神の無限の創造活動に干渉していることになり、その愚行には必ずや神のお咎めがあります。大自然は定められた目的を成就し続けます。

摂理はあくまでも摂理です。完全な普遍性を持って、人間の願望にお構いなく作用します。つぼみ・・・開花・・・満開、これが自然の摂理のパターンです。原因と結果の不変の連鎖関係、それが大自然の根本原理です。

間違ったことをすればその償いをしなくてはなりません。正しいことをすればその分だけ幸福感を味わいます。理屈は簡単なのです。私達は可能な限りの力を動員して皆さん方を正しい道から逸れない様に努力いたします。問題は人間の方が必ずしも私達の思い通りに働いてくれないことです。

所詮、私達が扱っているのは不完全な人間です。地上には誰一人として完全な人間はおりません。完全性は神の属性です。ですから、あなた方に一点の非の打ちどころがないものを要求するつもりはありません。よく間違いを犯すものであることを承知しております。人間であるが故の煩悩によって過ちを犯しがちであることは十分承知いたしております。

私達は皆さんに対する愛念を覚えるがゆえに最善を尽くして援助しております。時には傍観して為すがままにさせることもありますが、霊的発達を阻害するような過ちを犯しそうな時には、それを阻止するために、可能な限りの手段を尽くして、そのことを皆さんに印象付けることを致します。

ですが、人類の大部分の人について言えることは、今では邪なことより善なるものの方が、悪徳より美徳の方が、不正直より実直の方が、不親切より親切の方が、そして利己心よりも愛他心の方がはるかに多くなっていると言うことです。

(夫婦でスピリチュアリストチャーチを運営している米国人が教会内部の不協和音の悩みを携えて出席した)

・・・現在の混乱状態はもはや手の施しようのないところまで来ております。そこで我々夫婦はそこを撤退しようと考えております。そうすれば事態は変わってくると思うのです。

それが一番賢明です。この世には偶然も偶発事故も奇跡も存在しないと私が申し上げているのはご存じでしょう。全てが自然法則の相互作用から生じていることです。言いかえれば、原因と結果とが交互に所を変えながら連鎖関係を続けていると言うことです。

あなたが遭遇しておられる事態も同じパターンです。かつてあなたは、もはやこれ以上為す術がないと思えた時に啓示を受けられて、人生に一大変革がもたらされました。今日のあなたを導いてきたのは背後霊の働きです。

私の説いている霊的真理の世界へ案内されてきました。そこであなたは魂の幸福と人の為に自分を役たてる機会を見出されました。

それは、このたびあなたが地上へ生まれてきたそもそもの目標だったのであり、それだけはいかなる事態も阻止することは出来ません。霊の力は最高の力です。地上にはこれ以上の偉大な力は存在しません。それは愛であると言えます。

愛が霊力を動かしているからです。愛こそ宇宙最大の力です。バイブルにも愛は摂理を成就することであると述べております。

あなたは大変豊かな恵みを受けておられます。奥さんとは地上で不可能と思っておられたアフィニティの関係でいらっしゃいます。お仕事はこれからもずっと続きます。霊力は地上に根付いております。

本来ならば同志であるべき人達からの反抗は気になさらぬことです。発達、開発、成長、要するに人間の本性に関わる問題です。

同じ霊的知識を携えている人たちから必ずしも意見の一致が得られるとは限らないものです。ですから不協和音に耐えかねる時は撤退なさることです。いずこにいても霊の力は機能し続け、これまで通りあなた方を導き指示を与えてくれることでしょう。

(続いてサイキックニューズ紙のスタッフの二人が招かれた時の交霊会の様子を紹介する。まずシルバーバーチから述べる)

お二人さんには印刷された文字(霊言集)がどれほど素晴らしい結果を生んでいるかは測り知ることが出来ません。しかし現実にはこれまで霊的真理が見いだせなかった多くの場所において徐々に突破口が形成されつつあり、私はそれを心強く思っております。

霊界から見ると地上と言う世界は実に陰鬱で無気味な様相を呈しております。しかし、そうした突破口が灯台の如く地球上の各地に点在しているおかげで、私達がこうして地上を訪れる際の勇気づけとなっております。

その一つ一つが確固とした橋頭保となって、霊的巡礼の旅で道に迷ってしまっている人達を引きつける役目を果たしております。と言っても私達が救ってあげられるのは、差し出した私達の手を捕まえてくれる人だけです。霊的真理、その崇高な力を受け入れる用意の出来ていない人は私達にも為す術がないのです。

受け入れ準備の整った魂は、霊的真理の灯台の光に引き寄せられます。そして模索と無知と迷信の闇から、広がりゆく知識と確実性の光の中へと通じる道を見出してまいります。

あなた方はそうした魂が真の自我を発揮していくのを手助けしておられるのです。内部に秘められた莫大な霊的可能性を理解していく、その端緒をつける役目を果たしておられるのです。

多くの場合それは自分に具わっていた霊的能力を活用することによって人を喜ばせてあげることから始まります。それが、かつては不毛の土地だったところに少しずつ霊力を根付かせてまいります。

お二人も人間としての弱点をお持ちである以上、時には嫌気がさし無力感に襲われることもあることでしょう。そのような時はいったん張りつめた思いをほぐしてから、改めて自分が今地上で実現されつつある大きな霊的事業の一端を受け持っていることの光栄を思い出して下さい。

霊力はすでに地上に根付いております。それを駆逐できる者はいません。都会も、教会堂も礼拝堂も寺院も、僧侶も牧師も、霊力が地上に顕現していくのを阻止することは出来ません。

あなたがもしたった一人だけでも霊的真理に目覚めさせることに成功したら、それだけであなたの全人生が生き甲斐のあるものとなります。幸いなことにわれわれは、たった一人でなく大勢の人たちに永遠の財産として何よりも美しい宝石である霊的真理を授けてあげることに成功しているのです。

以上でささやかながら私からの説教は終わりです。

・・・説教の主題となる聖句(テクスト)は何も用意なさらないのでしょうか。

ありますよ。私のテクストは〝神は愛なり〟です。私達の世界に比べて魅力らしい魅力に欠けるこの地上へ戻って来るのは、あなた方に対して私達が強い愛念を覚えているからです。同時にまた、霊力があなた方を通じて他の大勢の人々の為に使用される、その通路となっていただきたいからでもあります。地上にはもはや霊力の働きかけによる救済しかない人々が無数にいるのです。

現代の宗教は今やその影響力をすっかり失っております。無能と不毛の中であがいております。神学だの教義だの、ドグマだの信条だの、儀式だの習慣だので反目し合い、それが足枷となっております。実在は〝霊力〟なのです。条件の整っているところなら何処にでも顕現する生命の根源なのです。

我々の仕事はあなた方が想像なさる以上に進展しております。地上においてこうした形で永い間貢献できたことを、私達霊団の者は光栄に思っております。振り返ってみると大変成果が上がっていることを知ります。これは私にとって大いなる喜びの源泉です。

こうして他に類のない方法で大霊の通路として働くことは、組織にせよ個人にせよ、霊力の援助なくしては叶えられるものではありません。既成宗教の中にも真摯に最善を尽くしている人が大勢いることは認めます。しかし、霊界からの援助なくしては、それは暗闇の中で手探りしている子供の様なものです。

(訳者注-真面目な気持ちであっても、それが意味のない儀式や慣習に縛られた中で行われている限り霊的な援助の入る余地はないことを言っている)

聖職者を相手にした説得がもしも失敗に終った時は(事実これまでは数々の失敗がありました)あるいはもしもうまく捗らない時は(事実なかなか思うにまかせないものです)あるいはもしも手を取り合うべき同志の中で分裂が生じた時は、せっかくのチャンスを目の前にしながらそれをうまく手にすることが出来なかったその相手の為に涙を流してあげることです。

すでに種はまかれております。芽を出すのもあれば出さずに終わるものもありましょう。我々は宗教界に身を置きながら真理の普及よりも己の地位の確保の方が大事と思う、その人間ならではの煩悩とも戦わねばならないのです。

天使が時折涙を流しておられることがありますと申し上げるのは、そういう事情からです。宗教とは無縁な人なら弁解の余地もありましょうが、神に仕える身であることを自覚している筈の聖職者が人の為より先にわが身の安泰を考えるようでは、一体どこに弁解の余地がありましょう。

しかし、計画は着実に進行しております。すでに地上に堅実な足場が築かれております。私達はただの通行人ではありません。少しの間だけ地上に逗留しているのではありません。永遠に影響力を行使しているのです。人間が自分とはいったい何者なのか、いかなる存在なのか、

憎しみといがみ合いをなくするにはどうすべきかを知り、肌の色、階級、宗教及び国家の違いはあっても霊性において一つであり、霊的団結はそれを分裂させるあらゆる相違点よりも強力であることを知ることによって、自らの力で自らを救う方法をお教えしようとしているのです。

私達の計画はきっと達成します。撤退するようなことは断じてありません。遅れることはあります。邪魔されることはあります。しかし、例え教会、法王、高位聖職者、主教、尊師、牧師と言った宗教界のお偉方が何とおっしゃろうと、私達を追い返すことは出来ません。彼らこそ道を見失っているのです。

我々もパブテスマのヨハネの如く、これから訪れる世界・・・暴力が忘れられ、全ての人が人の為をモットーに助け合い、地上世界をさながら天国に変えていく為の地ならしをしているところです。そういう世界は実現可能ですし、きっと実現します。

お二人は背後から抱擁し導いてくれる偉大な霊力と、危機に際して必ず盾となってくれる愛の存在に気づいていらっしゃいます。あなた方は自覚しておられる以上に人々の為に役たっていらっしゃいます。ご自分ではその努力のもたらす結果が測れません。しかし活字は実に大切です。今こうして私の生の声を聞いて頂いております。これが、有難いことに、活字に一層の価値を付加することになると聞いております。

皆さんと私達とが一丸となって地球浄化の重大なキャンペーンに携わる霊の大群の一翼を形成しております。地上の悪を懲らしめ、暗闇を減らし、より多くの愛をもたらし、人間同士、そしてまた人間と共にこの天体を共有している動物に対しても慈悲の心を向けさせるようにする仕事です。

お互いの協力によってこれまでに成し遂げた成果を私達は心から喜び、これからさらに多くの魂に自由をもたらしていく仕事にも臨んでおります。それが自分の住む世界へ貢献をさせてあげるゆえんとなるからです。

数からいえば私達は比較的少数かもしれません。しかし背後に控えて下さっている力は宇宙最強の力です。これに刃向かえるものはいません。これを打ち負かせる者はいません。

その働きを阻止できる者はいません。いかなる団体も組織も、霊力が地上の人々に光明をもたらすという計画の成就を阻止することは絶対に出来ません。

私はたった今、私の本来の住処である上層界から戻ってきたところです。こうして地上的手段で交信している時の次元よりもはるかに高い次元で気分一新と元気回復を求めてまいりました。

同時に、神の意志の地上への顕現と言う大業を担当する神庁の高級神霊による審議会に出席してまいりました。計画が首尾よく進捗しており、見通しも明るいとのお言葉を頂戴すると、とても元気付けられます。

そうして新たな気持ちでこれまで通りの仕事に戻ってくるわけです。それは地上に美と荘厳さを少しでも増すために、霊こそ実在であること、その霊に無限の神の資質が宿されていることを教えることです。

その結果として貪欲と利己心と分裂と暴力・・・要するに地上天国の建設の妨げとなっているものすべてを地上から駆逐することです。

この暗くわびしい地上世界、あすはどうなるかと言う不安に満ちた世界に戻ってきて私達に断言できることは、この地上にも序々に霊の光が差し込み、その力がすみずみまで浸透しつつあり、明日のことで取り越し苦労するには及ばないと言うことです。

幸いにして霊的実在につての知識を手にした者は、いかなる程度であっても悲観の念を心に宿すことがあってはなりません。霊力は地上世界のいかなる力よりも強力です。それを人間が遅らせることは出来ます。邪魔することは出来ます。妨害することは出来ます。しかし定められた計画の成就の為の霊力の地上への降下を阻止することは出来ません。

すでに可能な限りの数の橋頭保が地上各地に敷設(フセツ)されており、地盤はしっかりと固められております。霊力の灯台にも例えられるべきものも築かれており、道を失った人々の為に間断なく光を発射しております。

その霊力の通路であるあなた方および他の大勢の人々のもとの、その灯台の明かりを頼りにした人達がこれからも訪れてくることでしょう。

霊に秘められた力、生命力、エネルギーの大きさをどう表現したら分かって頂けるか、その言葉が見当たらないのが残念です。人間に正しく理解して頂くための用語がないのです。本日お話したことでも、出来ればお伝えしたことのホンの一欠片に過ぎません。

霊力は無限です。が、そこからどれだけのものを受け取るかは、あなたが現在までに到達した霊格の程度によって決まります。その受容力を少しでも増すことに心掛けることです。そうすれば、それだけ多くの霊力が流入し、その驚異、その美しさ、その安らぎ、その治療力を発揮してくれることになります。

(ドイツへの移民に失敗した英国人ジャーナリストにシルバーバーチがこうアドバイスした)

あなたは教訓を学ぶ為に地上世界に来ているのです。例え判断の誤りから挫折することがあっても、そこから数多くの教訓を学ぶことが出来ます。挫折から絶望へと進んで何も学べずに終われば、それはその人の責任です。あなたの場合は大丈夫です。そのうち道が開けます。

・・・私はかつて住みなれた国(ドイツ)へもう一度行きたいと思ったのです。しかし、同じ川に同じ水は流れていないことを知りました。仕事がどうしても見つかりませんでした。結局私は、思いが叶い快適な場所に落ち着きながら、なおかつ惨めな思いをさせられることがあり得ることを思い知らされました。

問題は、あなたほどの霊的知識を携えた者は霊的砂漠の中では生きていけないと言うことです。砂漠ではオアシスを見つけることはとても困難です。しかし事態は決して取り返しがつかないと言うほどのものではありません。

あなたが巻き込まれた事態は今日の一般的な自体より遥かに困難なものでした。そうした中であなたは霊的な導きを得て、無事切り抜けてこられました。そして、かつては不可能だった自由の中で自我の開発を志す場を見出されました。

元気をお出しなさい。くよくよしてはいけません。取り越し苦労はお止しなさい。心配しても何にもなりません。心配の念は霊界から届けられる援助の通路を塞ぎます。自信を持つのです。

道はきっと開けるという確信を持つのです。何時の日か、苦い体験だったがお陰で精神的ならびに霊的に成長したから悔いはない、と言える日が来る事でしょう。

・・・確かに大変勉強になりました。

同志の方にはいつも申し上げていることですが、信仰に知識を加えることから出発して最後は知識に信仰を加えることで終わります。地上はおろか霊界においてすら、存在する知識の全てを手にすることは不可能です。知識は大霊と同じく無限であり、何時まで経っても蓄えを増やし続けることの連続です。

首をうなだれてはいけません。後ろを振り向いてはいけません。前を見るのです。過去の頁はすでにめくられ、二度と同じページには戻せないのです。生命の書は常に新しいページをめくるのです。その日その日の為に生き、昨日の為に生きてはいけません。あす刈り取る収穫の種を蒔くのは今日なのです。

・・・国外へ出ることによって私はそれまでの流れの外へ出てしまったわけです。元の流れに戻るのは容易ではありません。霊的知識を広めると言う、私が望んでいる仕事を始める方法があるでしょうか。

あなたには果たしきれない仕事が用意されております。ただ、前にも一度申し上げたことで、改めてここで繰り返させて頂きたいことがあります。皆さん方でも霊的知識を手にされた方でもうっかりすると忘れがちなことですが、私達霊界の者はあくまでも私達にとって都合のよいタイミングで私達の方法でしか仕事が出来ないと言うことです。

言いかえれば、あなた方の都合に合わせてあなた方の方法でする分けにはいかないと言うことです。地上へ働きかけるには、極めて微妙で繊細な影響力、この上なく複雑な取り扱いを必要とするバイブレーションを行使しなくてはならないからです。

ところが人間は何かとせっかちである為に、往々にしてその性急さが、本来ならもっと楽に叶えられる筈の条件を阻害して、結局は実現を遅らせることになります。

私たちから要請したいのは受容性に富み、確信に満ち、冷静でのどかな精神、それに、とにかく自分にとって一番良いものがもたらされるのだ・・・但しその機が熟した時に、と言うことを一点の疑念もなく洞察できる能力です。

それにしがみつくことです。焦ってはなりません。地上世界の一番困った点は、何かにつけてせっかちであることです。

私達が皆さんを目覚めさせるまでにどれだけの時間を費やしたかご存じでしょうか。霊に関わることは〝早く片付ける〟と言うことが不可能なのです。無限なる叡智が案出した摂理に従わねばならないのです。
もう一度繰り返します。真理は何度繰り返し述べても良いでしょう。私達は私達のやり方で私達のタイミングで事を運びます。あなた方の都合に合わせて行うわけにはいかないのです。

霊的に見てどうなることが自分にとって一番良いかは、人間自身には正しく判断できません。人間の祈りを聞いておりますと、その願いどおりにしてあげたら霊的にはとんでもないことになると思われるものが良く見られます。そこで私達の判断に基づいて皆さんにとって一番よい形で援助します。指導します。決して裏切りません。見放しません。見捨てる様なことは致しません。

霊の威力についてはこれまで数々の証拠をおみせしてきました。私達と歩みをともにしてこられた方には、霊力がどれほどのことを為し得るかをよくご存じの筈です。

(訳者注-『霊訓』のインペレーター霊団と同じように、シルバーバーチ霊団も高等な思想を説く前に霊の威力を見せつける為の手段として、物理的心霊現象を演出して見せている。これはスピリチュアリズム思想の歴史的な発展全体についても言えることで、最初は目に見える現象的なものが盛んに行われ、それが次第に精神的なものへ移行し、そして現在では思想的教訓が主流となっている)

私達は地上世界の為の仕事を請け負っております。数からすれば決して多いとは言えませんがこの仕事の為に私達を派遣したのは上層界の霊団なのです。その高級神霊は幾億と知れぬ人間に、慈愛に満ちた影響力を行き亘らせる為に、私達を通じて霊力を行使し続ける任に当たっております。

地上には闇黒と疑念と当惑と絶望の中で生きている魂が多すぎます。私達はそうした人たちに手を差し伸べねばならないのです。神の愛の存在を教えてあげなければならないのです。精神的に生まれ変わって豊かな生きがいある人生を送る、その原動力となる霊力の存在を知らしめなくてはならないのです。

しかし私達は着実に困難を突破し、新たな地点に橋頭保を築きつつあります。これ迄に成就しえた成果を喜び、皆さんの援助があればこれからもそれ以上のことが為し得ることを知ってください。

霊的知識を携えた者に楽な仕事はありません。知識が増えれば増えるほど、ますます困難に遭遇するものと覚悟してください。こんなことを言うから私は人気が出ないのでしょうね。

しかし内在する霊的資質を顕現せしめるためには、いくつかの困難を克服し、それを挑戦目標として歓迎し克服していかねばならないのです。もしも霊的知識を授かった者が安易な仕事しか授からないとしたら、それは神の公正を愚弄することになります。

ですから、いかなる困難にであっても絶望してはなりません。自分の内部にも背後にも、それを克服するだけの力が存在することを確信して、それを一つの挑戦として迎え打つのです。

われわれが従事している仕事は実に重大な意義があります。数こそ少数派ですが、背後に控える力は絶大です。それが地上に顕現するにつれて神の計画に組み込まれた役割を果たしてまいります。現時点でそれがどれほどの成果を上げているかは、皆さんにはお分かりになれません。

地上にはそれを計量する道具がないのです。しかし、魂が感動を覚え、精神が開かれて行く人が着実に増えつつあります。

地上の先輩の一人が〝子供は無限の可能性の宝庫である〟と述べています。皆さんも無限の可能性を秘めていらっしゃるのです。が、地上では普通そのホンの一欠片しか発揮させていません。

もしも高級界との波長が合い、霊力をふんだんに受け取ることが出来れば、思いもよらなかったことが成就されるのですが・・・

私は霊的知識に照らして楽観的な福音を説いております。霊的知識を携えた者には悲観的になる根拠はどこにも見当たりません。人生の目的には一つ一つ目的があります。幸運、偶然、奇跡と言ったもので動いているのではありません。改正も廃止もない永遠不変の摂理によって動いているのです。

神は完全です。その神の無限の叡智と愛を超える者は、この宇宙には存在しません。その叡智と愛をあなたも頂けるのです。全てではありません。受け入れ能力が増すにつれて、それだけ多くの叡智と愛を頂くことができ、それだけ生活が豊かで、雄大で高潔なものとなって参ります。

私がお届けするのは永遠の実在を基本とした崇高な真理です。神は決して裏切りません。大自然の摂理はこれからも作用を止めることはありません。いかなる危機が迫りつつあっても、いかなる問題に遭遇してもあなたの内部にそれを克服する力が秘められていることを忘れてはなりません。

同時に、それ以上の強力な力が背後に控えているのです。それを呼び寄せることも出来るのです。

困難に悩まされた時は・・・それは人間としては避けがたい宿命です・・・地上の喧騒から身を引いて瞑想の世界へ入ることです。そこで霊的意識を広げ、あたりに漂う光輝を存分に吸い込むのです。
私は何一つ新しいことは申し上げておりません。真理には真新しいものはないのです。その表現の仕方がいろいろあるだけです。

・・・決断に迷った時は導きを求めるべきでしょうか。それともあくまで自分の意思で判断すべきでしょうか。私達は時として大きな決断を迫られることがあります。そんな時に思い切って突進すべきか、自然に道が開けるのを待つべきかで迷うのです。とても難しいことがあります。

閉め切られたドアを忙しく叩いてはいけません。自然に開くのを待つのです。宇宙全体だけでなく一人一人の人間にも、きちんとした計画があります。そのプランが実行に移されて行くのです。

ここにおいでの皆さんには何度も申し上げていることですが、私達はそのプランのもとに、私達のやり方で私達のタイミングでことを運ぶしかないのです。人間側の都合に合わせるわけにはいかないのです。

その理由の一つは、人間には自分にとってどうなることが一番良いかが判断できないからです。物質的に、精神的に、そして霊的にあなたに何が一番望ましいかを判断する時には、私達の方が有利な立場にあります。
待つのです。きっとドアは開かれます。これまでも幾度となく開かれてきております。

第10章 質問に答える
・・・私がこれまでに会った人の中には、自分はスピリチュアリストであると言いながら相変わらず何かの既成宗教に属している人がいます。スピリチュアリズムを信じるようになったら、それまでの宗教は捨てるべきではないでしょうか。

私はそうした名称には拘りません。実はこの私自身が果たしてスピリチュアリストであるとの認証を頂いた訳ではないからです。ご自分のことをどうお呼びになるかではありません。大切なのは毎日をどう生きるかです。

いったい宗教とはいったい何なのでしょう。教会や礼拝堂や寺院へ通うことでしょうか。人間のこしらえた教義を受け入れることでしょうか。私はローマカトリック教徒ですとか、プロテスタントですとか、仏教徒ですとか、ユダヤ教徒ですと名乗ることでしょうか。

宗教とは宇宙の大霊すなわち神の御心に一歩でも近づくことになるような生き方をすることです。あなたの行為の中に神の御心が表現されることです。要するに宗教とは人の為になる行いをすることです。

もしも霊界との交信の事実を信じてその恩恵を受けている人が相変わらず神学的教義に拘り続けている時は、その人のことを気の毒に思ってあげることです。密かに祈りの気持ちを送ってあげることです。その人はまだ梯子の下の方、せいぜい中途までしか上がっていないからです。

精神が従順で感化されやすく、与えられた者は何でも吸収していく幼少時に教え込まれた教義を捨てることは容易ではありません。それがいつしか潜在意識の縦糸となり横糸となって、その深層を形成します。そうなると、自らその誤りに気付いて取り除くと言うことは、殆ど不可能に近いと思わないといけません。

ですから、我慢してあげることです。われわれだって、かつては間違った考えを抱いていたのを、その後の叡智の発達のお陰で捨て去ったことがあるではありませんか。所詮人間の誰一人として完全の極致まで到達した人はいないのです。それには永遠の時を必要とするのです。

我慢してあげるのです。議論しあってはいけません。議論からは何も生まれません。詩人が言っております。“議論しても、入ってきたのと同じドアから出ていくだけである〟と、(英国の詩人Edward Fitzgerald)

自分の宗教の教義より先が見えない人のことは辛抱強く見守ってあげなさい。時がたてばあなたの場合もそうであったように、きっと機が熟します。

・・・分けもなく塞ぎこんでいる人間が多いのですが、若者にいったい何が起きているのでしょうか。霊的に飢えているのでしょうか。

道を見失っているのです。彼ら若者は暴力の支配するこの時代に生を受けました。彼らの気持ちの中には大人は自分たちを裏切ったという考えがあります。また、従来の宗教では救いは得られないとも考えております。

・・・その考えは大人に責任を負わせ過ぎだとは思われませんか。誰しも自分なりの道がある筈です。

私はそうした若者の考えに賛成であると言っているのではありません。私は現代の若者の心理を説明しているだけです。いずれは彼らも先輩になるのです。

・・・体験と言うものは掛けがいのないものです。

苦々しい体験ほど薬になるのです。楽な体験は往々にして毒になるものです。サークルのメンバーの方なら私が何度も申し上げているのでよくご存じでしょうが、しくじると言うことの効用は、やり直しがきくと言うことです。

・・・(旧約聖書の天地創造の話を持ち出して)ある人たちはその創造活動に宇宙人が参加したと言っておりますが、いかがでしょうか。

申すまでもないことでしょうが、あなたは今、大気圏外から来た生物へ質問していらっしゃるのですよ。創世紀その他の話に惑わされてはいけません。あなたの理性に照らして受け入れ難いものは拒絶なさることです。要するにあなたがお知りになりたいのは、地球はどうして誕生したかと言う、その事実なのですから。

・・・その説が沢山あるのです。どれが事実なのか分からないのです。

生意気を言うようですが、私はそうした〝説〟を超えたものを手にしております。この問題に関しては少しばかり知識があるのです。地球は無窮の過去から存在し続けております。始まりも終りもありません。*バイブルにもイエスが言ったとされる名文句があります。〝アブラハムが生まれる前から私は存在している〟と。

(*これは最後に引用されているバイブルの文句から察せられるように、地球と言う惑星を物的天体としてではなく霊的存在として考えた上でのことである。地上の万物に霊が宿っているように、地球そのものにも霊が宿っている・・・と言うよりは地球の霊が顕現したのが生きとし生きるものであると考える方が順序であろう。日本の古神道ではその生成過程を寓話風に物語っている-訳者)

霊は無窮の過去から存在しております。ある時ひょんな時から創造されたのではありません。それが地球に宿り、数えきれないほどの年数をけみして、やっと生命として顕現し始めたのです。生命は霊であり、霊は生命です。永遠の過去から無限の可能性を秘めているのです。

その生命の誕生に大気圏外からの存在(*)が参加した事実はありません。内在していた生命力が無限の知性によって考案された進化の法則に従って顕現し、発達し、進化してきたのです。

(*天地創造についての質問に対する冒頭でシルバーバーチは自分のことを〝大気圏外から来た生物〟という冗談めいた表現をしているが、これはもちろん〝霊界からやってきた霊〟と言う意味で言っている。ここで言っているのは他の惑星からのいわゆる宇宙人の参加はなかったという意味であって、霊界からの働きかけは大々的に行われたものと想像される。生命の誕生はそれなくしては考えられないことで、今後の研究にまたれる面白く重大なテーマであろう―訳者)

・・・最近ではダーウィンの進化論がいろいろと批判を浴びております。ダーウィンはいろいろな事実を見落としているようです。

いかなる発達段階にあっても全知識を手にすることが出来ない以上、見落とされる事実があるのは仕方のないことです。完全のみが全知識を含むことになるのですが、その完全性はおろか霊界において誰一人として達成したものはいないのです。

進化について明言できることは、物的進化も精神的進化も霊的進化も、全て大自然の摂理によって営まれていると言うことです。

・・・私は人間が猿から進化したという説はあまり嬉しくないのですが・・・。

もしかしたら猿の方も嬉しく思っていないかもしれませんよ!。神の目から見れば猿は大切な存在である点では人間とまったく同等なのですから。

(シルバーバーチがイエスの偉大さを述べ、地上において開始した地球浄化の大事業も死後もずっと続けており、シルバーバーチ自身もイエスの指揮のもとで働いていることを述べると)

・・・イエスの名のもとに行われた数々の歴史上の行為を見るのは、イエスにとって心の痛む思いだったに相違ありません。

おっしゃる通りです。何度涙を流されたか知りません。もとよりそれはイエスの責任ではありません。スピリチュアリズムの七つの綱領の中には、各自が各自の行為に責任を持つとうたった条文があることをご存知でしょう。

・・・イエスはどういうお顔の方だったのでしょうか。

地上の画家が描いている肖像画とは似ていません。伝導時代に行動を共にした人達とよく似ておりました。もし似ていなかったら使命は果たせなかったでしょう。

(原文から受けるニュアンスとしてはズバリ容貌を述べるのを避けている節が窺える。それは多分、とかくイエスが神格化され、神々しくて近づきがたい存在だったように想像されがちなので、実際はいたって人間味を具えた、その意味で平凡なユダヤ人だったと言いたいのであろう)

・・・霊界通信によっては、宇宙的キリストと人間としてのキリストの二つの言い方をしているのがあります。同じ存在の二つの側面を言っているのでしょうか。

あなたは名称に惑わされています。まずイエスと言う人物がいました。その人物の性はキリストではありません。一方キリスト的生命力、つまり霊力が存在します。人間イエスとそのイエスを動かした霊力とを区別してお考えになればすべてがすっきりします。

・・・イエスが述べた正確な言葉を自動書記か何かで入手することは可能でしょうか。

何とも申せません。問題は当時イエスの言葉を記録した人物が一人もいなかったことです。ですから、それを伝えるには記憶に頼らなければならないわけですが、しかし、イエスの教えの肝心要は〝愛〟です。〝己を愛する如く隣人を愛せよ。汝に敵対する者にも優しくすべし〟です。

愛とは摂理(神の心)の通りに行うことです。人類の救済にとってこれ以上の必要なものがあるでしょうか。愛は霊性の最高の表現です。大霊からくださるのです。それを私たちがあなた方にお届けしているのです。

イエスの使命は霊的実在を証明して見せることでした。もしも今の時代にイエスが出現して二千年前と同じことを説いたら、果たして耳を傾ける人がいるかどうか、私はきわめて疑問に思います。

・・・間違った教えを携えて霊界入りする者が多すぎるとおっしゃいましたが、ヨハネの福音書にはイエスを信じることによって永遠の生命を授かると述べられています。

それは間違いです。人間は一人の例外もなく死後も生き続けるのです。何かの教義や信条、あるいはドグマを信じることによって永遠の生命を授かるのではなく、不変の自然法則によって生き続けるのです。

いま引用なさった文句は地上に多くの混乱の種をまき人類を分裂させてきた言葉の一つです。一冊の書物、それも宗教の書、聖なる書が、普通の書が起こそうにも起こせない程の流血の原因となってきたという事は、何と言う酷い矛盾でしょうか。

宗教の目的は人類を不変の霊的関係による同胞性において一体とならしめることにある筈です。

・・・イエスは本当に磔にされたのでしょうか。

そんな事について私の意見をご所望ですか。どうでもいいことではないでしょうか。大切なのはイエスが何を説いたかです。磔にされた時にどう言うことが起きたかは、いくら議論してもらちが明かないでしょう。私にもその立証は出来ません。

ですから、そのことについてはお応えしません。無意味に人を断罪するのは私の趣味ではないからです。それは私の使命ではありません。

(訳者注-イエスの処刑についてはいろんな説がある。一般には聖書の通りにその場で死亡して何日か後に蘇ったことになっているが、実は処刑されたのはイエスキリストという名の弟だったとか、完全に死亡して埋葬したが本当は死んでいなくて、生き返って国外へ逃げたとかの説がありそれぞれにもっともらしい論拠を揃えている。国外へ逃亡したという説にも、ローマへ行ったという説と日本へ来たという説、そして最近ではインドへ行ったという説があり、いずれの場合もかなりの高齢で他界したことになっている。

むろんシルバーバーチはそのことについての真実を知っている筈であるが、人間がとかくこだわる〝証拠〟となると何も提示できないからといって返答を断っている。むろんこれは言い訳であって、本心はやはり最後で述べている通り、自分が述べることによって右の諸説のどれかを、あるいは全部を否定することになるのを避けたのであろう。どうでもよいことだからである。シルバーバーチはイエスの出生についても死についても途中の実績についても、あまり深入りしたことをいっていない。使命ではないからであろう)


私の使命は人生の基本である霊的原理に関心を向けさせることです。人間はどうでもよいことに拘りすぎるように思います。イエスが本当に処刑されたかどうかは、あなたの魂の進化にとって何の関係もありません。

肝心なことに関心を向けなさい。あなたは今あなたなりの役割・・・人を助け霊性を開発し悟りを深める為のチャンスを提供してくれる、この地上と言う生活の場に来ていらっしゃるのです。火星にも人間の様な存在がいるのだろうかとか、一千年後に間違いなく復活するだろうかとか、そんなことを心配してはいけません。

大切なのは日常生活での身の処し方です。あなたなりの最善を尽くせばよいのです。それによって大霊とのより大きい調和が得られます。それは晴れやかさ、静けさ、安らぎ、自信と言う形をとります。神の心をわが心と心掛ける者すべてに必ず訪れるものです。

・・・人類はいつかは戦争のない平和な暮らしができるようになるのでしょうか。

これは難しい問題です。まず理解して頂かねばならないのは、神は人間に自由意思と言うものを授けられていると言うことです。自由意思のない操り人形にしても良かったのです。が、自由意思による選択の余地を与えられる事によって、人間も永遠の創造過程に参加する機会が持てるようになったのです。

人間は地上をエデンの園、楽園、天国にすることも出来れば、暗く荒涼とした、恐ろしい悪の園にすることも出来ます。そこに選択の余地が残されているのです。

戦争、暴力、貪欲、利己主義がはびこる物質中心の考え方をするからです。そういう考え方をするのは、これほど多くの宗教が存在しながら大半の人間が肉体が死ねば全ておしまいと思っているからです。

死後にも実感を伴った生活・・・地上生活の賞罰が清算される世界が存在すると言う事実が信じられず、地上生活が唯一の生活の場であると考えます。すると当然、物質がすべてなら今の内に思い切り欲望を満足させておこう、と言うことになります。それが戦争を生み、憎み合い、征服し合い、殺し合うことになります。

もっともこれは真相の一面を申し上げたまでです。有難いことに他方では、人間のわがままによる混乱を抑制する為の摂理も間違いなく働いております。その一環として私達は地上に霊的実在についての知識をもたらすための大事業に携わっているのです。

霊媒の活用によって人間が霊的天命を背負った霊的実在であることを証明することが出来ます。その天命を全うするも損なうも、日常生活における身の処し方一つに掛っております。因果律、すなわち種まきと刈り取りの摂理は絶対に狂いません。

善い行いをすればそれだけ幸せを味わいます。利己的な行いをすればそれだけ苦い思いをさせられます。摂理はごまかせません。死の床でいくら懺悔の言葉を述べても、すでに始動している因果律の働きを止められるものではありません。

こうした摂理を理解する人が増すにつれて戦争が減り、平和な地域が広がっていきます。これは一朝一夕(イッチョウイッセキ)に出来ることではありません。

私には以上のようなお答しか出来ません。自分の役目を果たすのです。自分なりの最善を尽くすのです。縁あって近づく人の力になってあげることです。親切に、寛容にそして慈悲の心をもって接するのです。機会さえあれば、どこでも人の為に役たつことを心掛けることです。それが世の中に貢献するゆえんとなります。

・・・時折味わう精神的苦悩は外部から来るのではなく、内部から湧いてくるのでしょうか。

どちらからでもあります。よく理解して頂きたいのは、地上生活は霊界の生活と違って両極性(相対性)からなっていることです。霊界では同じ発達段階の者が同じ界層で生活しておりますが、地上では様々な発達段階の者が混ざり合って生活しております。

と言うことは、対照的なものを見たり体験したりする機会が得られると言うことです。かくして光があれば闇があり、温かさがあれば冷たさがあることになります。そこに地上生活の存在価値があるのです。そうした両極の体験を通じて魂が真の自我に目覚めていくのです。

言いかえれば地上は学校です。そこでいろいろと学ぶことによって、いつかは住むことになる霊の世界での生活に必要な教訓を身につけるのです。苦悩を味わうと言うことは、その反対である喜びを味わえると言うことです。

たびたび申し上げておりますように、地上での出来事は正反対であると同時に相等しいと言うことがあります。つまり同じコインの表と裏の関係です。魂が自我に目覚めるのは様々な体験においてこそです。それは鋼を鍛える過程、あるいは原鉱を砕いて黄金を磨きだす工程と同じです。

・・・多くの人間の間で精神的革命とも言うべきものが進行しているのを感じます。これは霊界からの働きかけの当然の結果で、今それが現実化されつつあるのだと思います。

地上世界は今るつぼの中にあります。バイブルの中の説話のような善と悪との戦いがあります。富の神マモンの崇拝、あくなき貪欲と強欲と権力欲、高尚なものや霊的なものの抑圧・・・要するに私が地上のガンと呼んでいる利己主義が生み出す不幸があります。

それと同時に、世俗的な意味での宗教はその威力、影響力、指導力を失っております。いやしくも知性を具えた者には到底信じ難い教義に今なお忠誠心を尽くしているようでは、既成の宗教に背を向ける者がますます増えていくのは当然の成り行きです。

それに加えて、科学が間違った方向へ進みつつあります。果たして人類に益をもたらすのか、地球を破滅へ陥れるのではないかと思える、恐ろしいものを次々とこしらえております。人類は今まさに危機の十字路に立たされております。私達が総力を挙げて救済活動に乗り出したのもその為です。

それは平和と調和と親善と和合と協調を達成する唯一の方向を示して指導しているところです。その唯一の方向とは、地上の一人一人が霊的な一大家族の一員であり、その親にあたるのがあなた方の言う神、私の言う大霊であると言う認識です。

私達は何としてもこの仕事を成し遂げる覚悟です。此処にお集りの皆さんを始めとして、スピリチュアリズムの仕事に携わっている方はみな、霊的大軍勢の一翼を担っておられるのです。だからこそ試され鍛えられて、割り当てられたこの重大な仕事が万が一にも挫折のないようにしなければならないのです。

霊は物質に勝ります。物質の世界には霊力よりも強力な力は存在しません。例え時間は掛ってもかならず勝利を収めます。真理を手にした者は悲観主義も絶望も入る余地はありません。

神が人間の頭を身体の一番高い処におかれたのは、見上げることが出来るようにと言うことからです。見下ろすようにと言うことであったら足もとに頭が付いていることでしょう。

人間の霊的解放の仕事に携わる者は試練と挑戦を受けなくてはなりません。それが霊的発達の不可欠の要素なのです。それ以外には方法がないのです。いずれ霊界へ来られて地上時代を振り返ってご覧になれば、苦しい体験ほど大切な意義を持っていたことを知って神に感謝なさることでしょう。

遠い昔から人間は地球の悲劇の予言を幾つもしてきました。地球の終末の日時まで告げているものもあります。そこへキリストが再臨して人類を救うと言うのがキリスト教の信仰のようですが、そういうことにはなりません。キリストは二千年前に地上での使命をきちんと終えています。

今は私の住んでいる同じ霊界においての使命に精励しておられます。それが今我々の携わっている霊的真理普及の活動の指揮・命令です。

地球が一夜の内に破滅することはありません。宇宙の大霊が無限の愛と叡智を持って摂理を案出し、それによって巨大なもの、微細なもの、複雑なもの、単純なものの区別なく、存在のあらゆる側面を経綸しているのです。

それは一歩一歩進化と言う形で働くのであって、大変革によって一挙に行われるのではありません。人間の力にも制限が加えられています。人間に出来ないことがあると言うことです。自由意思が与えられていますが、それにも限界があります。

・・・地球の将来はどうなるのか教えて頂けませんか。

たった一人の人間によっては無論のこと、何人の人が一緒になっても、地球を破壊する力は持てませんから、地球はこれからも永遠に存在し続けます。地球にもたらす害にも、それを引き起こす手段にも、地球の存在自体に終止符を打たせるほどの規模にはならないように一定の限界と言うものが設けられています。

怖がってはいけません。神の意思は必ず成就されるのです。将来への展望には自信と楽観と積極性をもって、ご自分の役目を果たすことに専念なさることです。恐怖心、心配、不安、こうした霊力の働きかけを止め無気力にさせるようものは、一切棄て去ってください。

私たちから要求するのはそれだけです。出来る限りのことをなさっていればよいのです。それ以上のことは出来るわけがないのですから。

明日はどうなるかを案じてはいけません。明日は、潜在する神性を開発し、人生を物質的・精神的・霊的に存分に楽しみ、周りに存在する素晴らしい霊的光輝をますます意識するようになる、その絶好の機会を告げてくれるものなのです。

・・・凶暴な犯罪は死刑制度によって解決できると思われますか。

そうした報復手段では何一つ解決できないでしょう。愛は摂理を成就することであると言います。いかなる手段にせよ、それによってその魂が救われることになるように工夫すべきであって、復讐心を抱かせてはなりません。

人を殺した奴だから殺してよいという理屈は許されません。国家による法的殺人では問題の解決にはなりません。暴力に暴力で対処することは善性、慈愛、優しい心を生み出すことになりません

処罰は矯正と救済を目的としたものであらねばなりません。何の用意も出来ていない魂を霊界へ送り込むことは問題を大きくするばかりです。地上においても霊界においても犯罪を減らすことにはなりません。それに、人間はとかく過ちを犯しがちなものであることも考慮してやらないといけません。

・・・そうした魂の病める霊を何故そちらの方で看護して、地上に人間を同じ道へ誘わないようにして頂けないでしょうか。

そう簡単にはいかないのです。未熟な霊が次から次へと地上から送り込まれてまいります。それは霊界にとって迷惑なことです。そこで地上の人間が地上にいる間に霊界の生活に備えてもらおうと、今、霊的真理の普及に全力を挙げているわけです。

一言でいえば、私達が地上へ戻ってきた目的はイエスが説いた愛の福音を説くことにあります。人間は互いに愛し合うべきであり、憎み合ったり復習し合ったりしてはいけません。

(刑事をしている人が初めてサークルに出席して質問した)

・・・職業柄、私は多くの人間が恐ろしい行為によってあたら生命を失っていくのを見てきました。そして、しばしば思ったことですが、そうした犯罪が二度と起きなくするために、そちらで復讐心に燃えている霊達を説得して頂けないものでしょうか。

残念ながらそういう人たちはみな自縛霊となっており、自らこしらえた牢獄に光が差し込むまでは大変な時間を要します。これは大変難しい問題でして、時間さえあればいろいろと敷衍(フエン)をお話しできるのですが、結論だけ申し上げれば、

彼らへの対処の仕方は報復ではなく矯正を目的としたもの、つまり、精神的リハビリテーションでなくてはならないと言うことです。やられたらやり返すのが公正ではありません。

・・・私は阻止することこそ公正であると考えておりました。

しかし現実には報復が優先されているのがほとんどです。旧約聖書では〝目には目を歯には歯を〟でしたが、新約聖書ではイエスが隣人への愛を説いただけでなく、自分を憎む者をも愛せよ、と述べています。何事にも最後は動機が問題となります。動機さえ正しければ、全てが上手く収まります。

(代わってジャーナリストが質問する)

・・・霊界及び他の世界から人類へ向けて様々な警告が届けられております。ある者は原子力は悪であるから阻止せよと言い、またある者は人類の独善主義について警告しています。そうした警告めいた予言を総合的に検討して記事を書くようにとの依頼を受けているのですが、ご意見を承りたいのです。もしも何か特別に警告すべきことがありましたら明確に述べて頂きたいのですが・・・

私は原子力が悪だとは思いません。その使用法が邪悪になることはあり得ます。しかし反対に計り知れない恩恵をもたらすことも出来ます。そのカギを握るのは、その途方もないエネルギーを管理する、あるいは管理を誤るかもしれない立場にある人達です。

警告めいた予言の言ですが、霊界にカッサンドラ(ギリシア伝説の凶事の予言者)のような霊がいて、何か大変なことが地球に迫りつつあるということで大げさに嘆いているような図を想像してはなりません。

そんな単純なものではないのです。大霊は子等に一定限度内の自由意思を与えておられます。その自由意思による選択によって地上を光輝と美と豊かさに満ちたところにすることも出来れば〝生き地獄〟とすることも出来ます。その選択をするのがあなた方人間なのです。

科学技術の発達とともに途方もないエネルギーの存在が明らかにされて、それをいかなる目的に使用するかの責任が大きくなって参ります。正しい進化の方向を選ぶことになる唯一の道は、私の理解している限りでは、無限の神性を宿している子等がそれを出来るだけ多く発揮して地上世界を美しく飾り、大自然がその豊かな恩恵を実らせるようにする以外にありません。

それが人間が選択すべき唯一の道です。それを無視して富の神マモンを崇拝し、欲望に走り、利己的になり、他人のことはどうでもよいと考えるようになったら最後、自分の国だけでなく地球全体が闇黒と困難と悪と疫病と言う、自由意思の選択の誤りが生み出す結果で埋め尽くされることになります。

しかしそう申し上げながらも尚かつ私は、人間がいかに驚異的なエネルギーを手にしようと、それによって起こす破壊や荒廃を一定程度で食い止める無限の力には到底太刀打ちできないことを断言しておきます。地球全体を、あるいは宇宙そのものを完全に破壊する力は持てません。

・・・あくまでも神の持ち物と言うわけですね。

そうです、あくまでも大霊の持ちものであり、大霊が支配しなければならないのです。大霊は無限です。無限なる愛であり、無限なる叡智であり、全ての子等に、地上を天国となしてそこに共存するために手段を提供してくださるのです。それを受け取るか否かの選択は自由ですが・・・

自由だからいいのです。もしも人間が操り人形かロボットの様なものだったら人生は何の意味も持たない事になるでしょう。完成へ向けての進化も成長もありません。永遠の虚無の世界となってしまいます。それは神の意図するところではありません。

皆さん方のどなたよりも永き宇宙人生を送ってきた私は、神の完全が生み出した宇宙の見事な機構を畏れと驚嘆と敬意と感嘆もって眺めるようになりました。無限の知性が考案した摂理の働きを阻止できるものは何一つ存在しません。

人生の全ての相を支配している永遠の霊的真理を垣間見ると言う光栄に浴した者は、明日はどうなるかと言う不安を抱く必要は微塵もありません。驚異的な科学技術の発達、科学的業績は善にも悪にも使用できますが、いくら悪いことに使っても、それがもたらす破壊にも限界があります。

地球全体、及びそこに住む人類をもろとも破滅させてしまうほどの無制限、無束縛の自由が許されるわけではありません。

愛は憎しみに勝ります。霊は物質に勝ります。その宇宙最大の力は生命の大霊から出ているのです。無限の知性によって考案され、無限の叡智によって支配されている宇宙の摂理は、今住んでおられる世界が少しでも良い世界へ向けてゆっくりと着実に進歩するように配慮してあるのです。

(話題が動物愛護の問題へと発展するとシルバーバーチがこう述べた)

悲しいかな、霊的発達の未熟さゆえに人間は、自分をいかしめている霊力が地球を共有している他の全ての生命全体を生かしめている霊力と同じであることに理解がいかないのです。動物も人間と同じく物的身体を具えた霊であることが理解できないのです。

われこそは万物の霊長であると信じているのであれば、それゆえにこそ動物に対する責務がある筈なのに、人間はそこが理解できないのです。上の者は下の者を手助けするのが当たり前です。しかるに現実は、罪もない動物に無用の残虐行為を情け容赦なく行っております。しかもそれは人間の健康増進の為と信じてのことなのですが、それは間違いであり、そういう手段から健康は得られません。

そうした邪悪で悪魔的でさえある実験を完全に阻止するためにも霊的真理の普及が急務なのですが、これは永い時間のかかる問題です。今自分達が行っていることが間違いであることに気づいて良心の呵責を覚えるようになるまで、霊性が発達するのを待たねばならないのです。

・・・何故動物は人間の手によって苦しめられねばならないのでしょうか。人間の霊的成長の試金石となる為に地上に置かれているのでしょうか。もっと高い進化の段階に達している別の天体へおかれていれば、そこの住民に可愛がられて霊的進化も促進できるはずですが・・・

それと同じ疑問が人間についても言えませんか。つまりなぜ人間は地上で同じ人間の手で苦しめられねばならないのかと言うことです。何故苦しむことのない、どこか別の世界へ置いてもらえないのでしょうか。
理解しなければならないのは、地上と言うところは予備校ないしトレーニングセンターであって、その目的は内部の神性を可能な限り発揮する機会を提供することである、と言うことです。

人間には、ある一定限度内での話ですが、自分の行為を決定する自由意思が与えられています。その自由選択の結果として地上あるいは霊界における進歩を促進もすれば阻止もするという、そういう体験の繰り返しの中で霊性が発達し、少しずつ不完全な部分を捨てていくことになるのです。

自由意思があると言うことは、その当然の可能性として、それを間違ったこと、愚かしいこと、報復的なことに使用する者もいると言うことになり、その結果として苦しむ人も出てくることになります。

もしも神が動物も人間も申し分ない状態であることを臨まれたならば、地上にもあるいは霊界にも存在していないでしょう。とっくに完全に頂上を極めていることでしょう。しかしそれはあり得ないことです。何故なら、完全とは永遠に続く過程のことだからです。

動物への虐待を阻止することには、いろいろとしなければならないことがあります。善の勢力と悪の勢力との戦い、真理を知った者と無知な者との戦いが延々と続いております。

また、動物にも地上で果たしている役割があること、人間が住む権利があるのと同じ意味において動物にも地上に住む権利があると言うことが、どうしても理解できい近視眼的な人種もいます。これからも戦いは続きます。が、真理は必ず勝利を収めます。

・・・人間とともに進化を続けている鳥類や魚類は次は何になるのか教えて頂けないでしょうか。それは、いわゆる〝精霊進化〟に属するのでしょうか。昆虫は次は何に進化していくのでしょうか。昆虫の中にはとても進化していて独自な複雑な〝文明〟すら持っているように思えるのが多くいますが・・・。

まず〝文明〟と言う用語はここでは適切ではないと思います。いかなる生活にせよ、文明とは社会及び生活様式に適応していくための手段のことです。

さてご質問の意味ですが、一羽の鳥がやがて一人の人間になっていくのかと言うことであれば、答えはノーです。精霊進化と言うのは妖精及びそれに類する存在に関わる自然生命の進化のことです。自然界の成長の中で果たす役割があるのです。

進化とは全生命に関わる自然法則の一環であって、それは神の愛の証しでもあります。低い次元から高い次元へ向けての不断の向上のことです。

進化の法則は全ての生命、すなわち昆虫類、鳥類、動物、そして人類の全てを包摂しています。それぞれに果たすべき役割があり、しかもお互いに関連しあっております。

孤立しているものは一つもありません。全体として完全な複合体を形成しているのです。あなた方人間も動物の進化に関連した法則と同じ法則によって支配されているのです。

その自然法則によって生活していれば、言いかえれば自然法則と調和していれば、あなたは天命を全うできると同時に他の生命の進化を助けることにもなります。各自が協調的要素としての役割を果たすように宇宙の全機構が出来上っているのです。

協調とは反対に自然に逆らった行為に出る者は、その逆らった対象だけでなく自分自身に対しても酷い仕打ちをすることになります。自然と協調するものは自然の発達を助けると同時に、自分自身の霊性の開発をも助長することになるのです。

・・・と言うことは、我々人類として特別の存在ではなく、大自然の進化の過程の一部にすぎないと言うことになるのでしょうか。

人類も生命の永遠の営みの一部に過ぎません。その中にあってもし人間が俺達は他の生命よりも特別に高等なのだと自負するのであれば、ちょうどあなた方が霊界の高級霊からの援助を求めるように、他の下等な生命を援助してやる義務がある筈です。

・・・動物の世界には〝高等な生命〟と言うものがあるのでしょうか。

ありません。それぞれの種にそれぞれの進化のコースが割りあてられているのです。生命として存在しているものは、霊であるからこそ存在出来ているのです。霊は生命であり、生命は霊です。それゆえ、生きとし生けるものすべてが・・・小鳥も魚も花も木も果実も、みな霊なのです。

高等とか下等とか言うのは、その無数の生命現象の中にあって、他の生命に比べた場合の進化の到達程度を言っているに過ぎません。人類は魚類いに比べれば高い発達段階にあるかも知れませんが、私達の世界の神庁に所属する神霊に比べれば低いことになります。

・・・動物保護運動がなかなか思うに任せません。むしろ悪化の一途をたどっているように思えます。

それは人間に自由意思が与えられていることから生じる当然の結果です。もしも何一つ問題がなく闘争もなく犠牲が強いられることもなく困難も生じなかったら、人間は進歩しません。

進歩は困難に遭遇した時に得られるのであって、気楽な生活の中では得られません。それぞれの魂が内在する力を引き出すための努力をするように何らかの試練の時に遭遇すると言うのが、進化における不可欠の過程の一つなのです。

進歩の速い面もあれば遅い面もあります。とにかく同じ地球を共有する他の全ての存在と仲良くすると言うことが人間の責務です。が、どっちへ転んだところで自然の摂理による埋め合わせがあります。動物が動物なりの進化のコースをたどるように配慮するのは人間の責務です。

それを怠れば、人間はそれなりの代償を払わねばなりません。動物に残酷な仕打ちをしている者は、いずれその行為の一つ一つに霊的代償を払わねばなりません。

悲しいかな、苦しめられるのは何時も罪のない側です。が、自然の摂理は曲げられません。殺人を犯せば殺した方はその償いをしなければなりませんし、殺された方にはその犠牲の埋め合わせがあります。埋め合わせの原理は間違いなく働きます。神は一人一人の人間にきちんと賞罰が計算されるように公正の原理を定めておられます。

・・・自然界では〝強い者〟が生き残っているように思えるのですが、そうなるとその原則は人間界や霊的なことにはどう適用されるのでしょうか。

相利共生(二種類の生物が相互に利益を得ながら生活すること)と言う言葉をお聞きになったことはありませんか。これが自然界の原則ではないでしょうか。互いに協力し合うことによって自然界がその目的を果たしていく、と言うのが基本原理ではないでしょうか。

樹木が大気中の炭酸ガスを吸収してそれを酸素にして排気する。それを人間が呼吸して生命を維持する。これが調和、協調、つまりは自然の力の働きではないでしょうか。

・・・私はとくに動物のことを念頭において質問したのですが・・・

有史以前の動物の中で現在まで生き残っているのはどの種類でしょうか。例えば象がいます。象は獰猛な動物だったでしょうか。そうではありません。草食動物であり他の動物を襲ったりしませんでした。なのに生き残っており、他の肉食動物は滅びています。どっちが〝強い者〟でしょうか。

あなたも庭をお持ちなのでご存じでしょうが、自然の摂理を大切にすれば立派な庭になり、摂理を無視すれば台無しになります。人間だけでなく動物に対しても情愛を向けないといけません。他の人間を搾取してはいけません。動物を搾取してはいけません。大自然を搾取してはいけません。

そういう心掛けで生きれば、人間だけでなく地上に生きている全ての存在が、宇宙最大の力、神によって考案された進化の法則の究極の目的である平和と秩序と調和を手にする上であなたも貢献していることになるのです。

第11章 シルバーバーチの祈り
(シルバーバーチの祈りを載せずに霊言集を閉じるわけには行かない。何時の交霊会も必ず開会の祈りInvocationインボケーションで始まり感謝の祈りBenedictionベネディクションで閉会となる。その内容はいつも同じ霊的真理を述べるだけであるが、その表現一つ一つに味わいがある。これから紹介するのはその中でも特に平凡に真理を語るだけの祈りの典型である)

第1節 インボケーション
これより霊的世界に属する摂理の一端を啓示させていただくに当たり、その成功を宇宙の大霊にお祈りいたします。
大霊について、また大霊と宇宙間の全生命現象及びそこに住まう大霊の子等とのつながりについて、より明確な理解を得えしめることが出来ますよう、お祈りいたします。

幾世紀もの永きにわたって大霊はあまりにも誤解され、小さく見くびられ、制約されて参りました。そこで私どもは完全なる法則の働きとしての大霊の真の姿を啓示せんとしているところでございます。
大霊は全ての生命現象の背後に存在するものでございます。宇宙間に存在するものは全て大霊の活力と栄養を得ているからこそ存在出来ているのでございます。

進化のあらゆる段階にある創造物がその摂理に絶対的に従っております。雄大なるものも、慎ましきものも、強きものも弱きものも、小鳥も花も、木も風も、海も山も、丘も谷も、晴天の日も雨の日も、嵐も稲妻も、およそ大霊の表現でないものは無いのでございます。

私どもは全てが大霊の霊的イメージに似せて創造されていること、その存在を通して大霊の神性が表現されていること、動き呼吸し生きていられるのは大霊が内部に宿っているからであり、また大霊の内部に存在しているからであることを啓示せんといたしております。

その親と子の関係に割って入れる者は誰一人いません。なぜなら、無限なるその貯蔵庫に納められている全インスピレーション、全真理、全叡智、全摂理、全知識は、子等が向上心と謙虚さと奉仕的精神を持ってその道具となることを望みさえすれば、誰にでも手にすることが出来るものだからです。

また私どもは人間の魂の中に例外なく潜在している偉大さ、誤解によって閉じ込められ、使用されることを待ち望んでいる強大な力、日常生活の中で身体を通して勢いよく顕現して霊的高揚を覚えさせる力をお見せしたく思っております。

すべての子等が充実した生活美にあふれた生活、地上に生を受けた目的を得心した生活を送り、望みさえすれば得られる地上ならではの豊かさと愉しさと利点を手にして欲しく思うのでございます。

要するに私どもは大霊を子等に近づけ、また子等を大霊に近づけ立ちはだかる障害を克服し制約と限界を無くして、子等が大霊の存在を知り仕事の中でその御心を顕現して行けるようにしてあげることを目的としているのでございます。
ここにひたすら人のために役立つことのみ願うあなたの僕インデアンの祈りを捧げます。

第12章 シルバーバーチと私(モーリス・バーバネル)
私と心霊との関わりあいは前世にまで遡ると聞いている。勿論私には前世の記憶はないが、エステル・ロバーツ女史の支配霊であるレッドクラウドは死後存続の決定的証拠を見せつけてくれた恩人であり、その交霊会において『サイキックニューズ』紙発刊の決定がなされたのであるが、そのレッドクラウドの話によると、私は、今度生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げると約束したそうである。

私の記憶によればスピリチュアリズムなるものを始めて知ったのは、ロンドン東部地区で催されていた文人による社交クラブで無報酬の幹事をしていた十八歳の時のことで、およそドラマチックとは言えないことがきっかけとなった。

クラブでの私の役目は二つあった。一つは著名な文人や芸術家を招待し、さまざまな話題について無報酬で講演してもらうことで、これをどうにか大過なくやりこなしていた。それは多分にその名士たちが、ロンドンで最も暗いと言われる東部地区でそう言うシャレた催しがあることに興味をそそられたからであろう。

私のもう一つの役目は、講演の内容のいかんに係らず、私がそれに反論することによってデスカッションへと発展させていくことで、いつも同僚が、なかなかやるじゃないかと、私のことを褒めてくれていた。

実はその頃、数人の友人が私を交霊会なるものに招待してくれたことがあった。勿論初めてのことで、私は大まじめで出席した。ところが終わって初めて、それが私をからかうための悪ふざけであったことを知らされた。そんなこともあって、たとえ冗談とは言え、十代の私は非常に不快な思いをさせられ、潜在意識的にはスピリチュアリズムに対し、むしろ反感を抱いていた。

同時にその頃の私は他の多くの若者と同様、すでに伝統的宗教に背を向けていた。母親は信心深い女だったが、父親は無心論者で、母親が教会での儀式に一人で出席するのはみっともないから是非同伴してほしいと懇願しても、厳として聴かなかった。二人が宗教の是非について議論するのを、小さい頃から随分聞かされた。理屈の上では必ずと言って良いほど父の方が母をやりこめていたので、私は次第に無心論者に傾き、それから更に不可知論へと変わっていった。

こうしたことを述べたのは、次に述べるその社交クラブでの出来事を理解して頂く上で、その背景として必要と考えたからである。

ある夜、これと言って名の知れた講演者のいない日があった。そこでヘンリーサンダースと言う青年がしゃべることになった。彼はスピリチュアリズムについて、彼自身の体験に基づいて話をした。終わると私の同僚が私の方を向いて、例によって反論するように合図を送った。

ところが、自分でも不思議なのだが、つい最近ニセの交霊会で不愉快な思いをさせられたばかりなのに、その日はなぜか反論する気がせず、こうした問題にはそれなりの体験が無くてはならないと述べ、従ってそれを全く持ち合わせない私の意見では価値がないと思う、と言った。これには出席者一同、驚いたようだった。当然のことながら、その夜は白熱した議論のないまま散会した。

終わるとサンダース氏が私に近づいてきて、〝調査体験のない人間には意見を述べる資格はないとのご意見は、あれは本気でおっしゃったのでしょうか。もし本気でおっしゃったのなら、ご自分でスピリチュアリズムを勉強なさる用意がおありですか〟と尋ねた。

〝ええ〟私はついそう返事をしてしまった。しかし結論をだすまで六か月の期間がいると思いますと付け加えた。日記をめくって見ると、その六か月が終わる日付がちゃんと記入してある。もっとも、それから半世紀たった今も尚研究中だが・・・。

そのことがきっかけで、サンダース氏は私を近くで開かれているホームサークルへ招待してくれた。定められた日時に、私は、当時婚約中で現在妻となっているシルビアを伴って出席した。行って見るとひどくむさくるしいところで、集まっているのはユダヤ人ばかりだった。若い者も老人もいる。余り好感は持てなかったが、真面目な集会であることは確かだった。

霊媒はブロースタインと言う中年の女性だった。その女性が入神状態に入り、その口を借りていろんな国籍の霊がしゃべるのだと聴いていた。そしてそう言う現象が起きた。が、私には何の感慨もなかった。少なくても私の見るかぎりでは、彼女の口を借りてしゃべっているのが、〝死者〟である、と言うことを得心させる証拠は何一つ見当たらなかった。

しかし私には六ヶ月間勉強すると言う約束がある。そこで再び同じ交霊会へ出席して同じような現象を見た。ところが会が始まって間もなく、退屈からか疲労からか、私はうっかり〝居眠り〟してしまった。目を覚ますと慌てて非礼を詫びた。ところが驚いた事に〝居眠り〟をしている間私がレッド・インデアンになっていたことを聴かされた。

それが私の最初の霊媒入神だった。何をしゃべったかは自分には全く分からない。が、聴いたところでは、シルバーバーチと名のる霊が、ハスキーで喉の奥から出るような声で、少しだけしゃべったと言う。その後現在に至るまで、大勢の方々に聞いて頂いている。地味ながら人の心に訴える(と、皆さんが言ってくださる)響きとは似ても似つかぬものだったらしい。

しかしそのことがきっかけで、私を霊媒とするホームサークルが出来た。シルバーバーチも、会を重ねるごとに私の身体のコントロールがうまくなっていった。コントロールすると言うことは、シルバーバーチの個性と私の個性が融合することであるが、それがぴったりうまくいくようになるまでには、何段階もの意識上の変化を体験した。

始めのうちは私は入神状態に余り好感を抱かなかった。それは多分に、私に身体を使っての言動が私自身には分からないのは不当だ、と言う生意気な考えの性であったろう。

ところが、ある時こんな体験をさせられた。交霊会が終わってベットに横になっていた時のことである。眼前に映画のスクリーンのようなものが広がり、その上にその日の会の様子が音声つまり私の霊言と共に、ビデオのように映し出されたのである。そんなことがその後もしばしば起きた。

が、今はもう見えなくなった。それは他ならぬハンネン・スワッハーの登場の性である。著名なジャーナリストだったスワッハーも、当時からスピリチュアリズムに彼なりの理解があり、私は彼とは三年ばかり、週末を利用して英国中を講演して回ったことがある。延べにして二十五万人に講演した計算になる。一日に三回も講演したこともある。こうしたことで二人の間には密接不離なものになっていった。

二人は土曜の朝ロンドンを何時も車で発った。そして月曜日の早朝に帰ることもしばしばだった。私は当時商売をしていたので、交霊会は週末にしか開けなかった。もっともその商売も一九三二年に心霊紙「サイキックニューズ」を発行するようになって、事実上廃業した。それからスワッハーとの関係が別な形をとり始めた。

彼は私の入神現象に非常な関心を示す様になり、シルバーバーチをえらく気に入り始めた。そして、これほどの霊訓を一握りの人間にしか聞けないのは勿体ない話だ、と言いだした。元来が宣伝好きの男なので、それを出来るだけ大勢の人に分けてあげるべきだと考え、『サイキックニューズ』紙に連載するのが一番得策だという考えをしめした。

始めは反対した。自分が編集している新聞に自分の霊現象を載せるのはまずい、と言うのが私の当然の理由だった。しかし随分議論した挙句に、私が霊媒であることを公表しないことを条件に、私もついに同意した。

が、もう一つ問題があった、現在シルバーバーチと呼んでいる支配霊は、当初は別のニックネームで呼ばれていて、それは公的な場で使用するには不適当なので、支配霊自身に何か良い呼び名を考えてもらわねばならなくなった。そこで選ばれたのが「シルバーバーチ」Silver Birchだった。不思議なことに、そう決まった翌朝、私の事務所にスコットランドから氏名も住所もない一通の封書が届き、開けてみると銀色(シルバー)の樺の木(バーチ)の絵はがきが入っていた。

その頃から私の交霊会は、「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」と呼ばれるようになり、スワッハー亡き後今なおそう呼ばれているが、同時にその会での霊言が『サイキックニューズ』紙に毎週定期的に掲載されるようになった。当然のことながら、霊媒は一体誰なのかと言う詮索がしきりに為されたが、かなりの期間秘密にされていた。

しかし顔の広いスワッハーが次々と著名人を招待するので、私はいつまでも隠し通せるものではないと観念し、ある日を期して、ついに事実を公表する記事を掲載したのだった。

ついでに述べておくが、製菓工場で働いていると甘いものが欲しくなくなるのと同じで、長い間編集の仕事をしていると、名前が知れると言うことについて、一般の人が抱いている程の魅力は感じなくなるものである。

シルバーバーチの霊言は、二人の速記者によって記録された。最初は当時私の編集助手をしてくれていたビリー・オースチンで、その後フランシス・ムーアと言う女性に引き継がれ、今に至っている。シルバーバーチは彼女の事をいつも、the scribe(書記)と呼んでいた。

テープにも何回か収録されたことがある。今でもカセットが発売されている。一度レコード盤が発売されたこともあった。いずれにせよ会の全てが記録されるようになってから、例のベットで交霊会の様子をビデオのように見せるのは大変なエネルギーの消耗になるから止めにしたい、のとシルバーバーチからの要請があり、私もそれに同意した。

私が本当に入神しているか否かをテストするために、シルバーバーチが私の肌にピンを突き刺してみるように言ったことがある。血が流れでたらしいが、私は少しも痛みを感じなかった。

心霊研究家と称する人の中には、われわれが背後霊とか支配霊とか呼んでいる霊魂(スピリット)のことを、霊媒の別の人格に過ぎないと主張する人がいる。私も入神現象にはいろいろと問題が多いことは百も承知している。

問題の生じる根本原因は、スピリットが霊媒の潜在意識を使用しなければならないことにある。霊媒は機能的には電話器のようなものかもしれないが、電話器と違ってこちらは生き物なのである。従ってある程度はその潜在意識によって通信内容が着色されることは避けられない。霊媒現象が発達すると言うことは、とりもなおさずスピリットがこの潜在意識をより完全に支配できるようになることを意味するのである。

仕事柄、私は毎日のように文章を書いている。が、自分の書いたものを後で呼んで満足できたためしがない。単語なり句なり文章なりを、どこか書き改める必要があるのである。ところが、シルバーバーチの霊言にはそれがない。

コンマやセミコロン、ピリオドなどこちらで適当に書きこむ他は一点の非の打ちどころもないのである。それにくわえてもう一つ興味深いのは、その文章の中に私が普段まず使用しないような古語が時折混ざっていることである。

シルバーバーチが(霊的なつながりはあっても)私と全く別人であることを、私と妻のシルビアに対して証明してくれたことが何度かあった。中でも一番歴然としたものが初期のころにあった。

ある時シルバーバーチがシルビアに向かって、〝あなた方が解決不可能と思っておられる問題に、決定的な回答を授けましょう〟と約束したことがあった。当時の私達夫婦は、直接談話霊媒として有名なエステル・ロバーツ女史の交霊会に毎週のように出席していたのであるが、シルバーバーチは、次のロバーツ女史の交霊会でメガホンを通してシルビアにかくかくしかじかの言葉で話しかけましょう、と言ったのである。

無論ロバーツ女史はそのことについて何も知らない。どんなことになるか、私達はその日が待ちどうしくて仕方がなかった。いよいよその日の交霊会が始まった時、支配霊のレッドクラウドが冒頭のあいさつのなかで、私達夫婦しか知らない筈の事柄に言及したことから、レッドクラウドは既に事情を知っているとの察しがついた。

交霊会の演出に天才的うまさを発揮するレッドクラウドは、そのことを交霊会の終わるぎりぎりまでかくしておいて、わざとわれわれ夫婦を焦らさせた。そしていよいよ最後となってシルビアに向かい、次の通信者はあなたに用があるそうです。と言った。暗闇の中で、蛍光塗料を輝かせながらメガホンがシルビアの前にやってきた、そしてその奥から、紛れもないシルバーバーチの声がしてきた。間違いなく約束した通りの言葉だった。

もう一人、これは職業霊媒ではないが、同じく直接談話を得意とする二―ナ・メイヤー女史の交霊会でも、たびたびシルバーバーチが出現して、独立した存在であることを証明してくれた。

私の身体を使ってしゃべったシルバーバーチが、今度はメガホンで私に話しかけるのを聞くのは私にとっては何とも曰く言い難い、興味ある体験だった。

他にも挙げようと思えば幾つでも挙げられるが、あと一つで十分であろう。私の、知り合いにある新聞社の編集者が世界大戦で御子息を亡くされ、私は気の毒でならないので、ロバーツ女史に、交霊会へ招待してほしいとお願いした。名前は匿しておいた。が、女史は、それは結構ですが、レッドクラウドの許可を得てほしいと言う。

そこで私は、では次の交霊会で私からお願いしてみますと言っておいた。ところがすぐその翌日、ロバーツ女史から電話がかかり、昨夜シルバーバーチが現れて、是非その編集者を招待してやってほしいと頼んだと言うのである。ロバーツ女史はその依頼に応じて、編集者夫妻を次の交霊会へ招待した。戦死した息子さんが両親と〝声の対面〟をしたことは言うまでもない。

訳者付記
ここに訳出したのは、モーリス・バーバネル氏の最後の記事となったもので、他界後に、週刊誌『サイキックニューズ』の1981年7月下旬号、及び月刊誌『ツーワールズ』の8月号に掲載された。

訳者あとがき
本書は原題をLight from Silver Birchといい、そのまま訳せば、シルバーバーチからの光、ないしは光明ということになる。これまでの霊言集の表題は〝シルバーバーチの教え〟〝シルバーバーチの導き〟〝シルバーバーチの叡智〟〝シルバーバーチの哲学〟といったパターンになっているが、意味するところは皆同じである。

編者パム・リーバ女史とは二度会っている。最初はバーバネルの秘書をしていたときで、社長室のある三階から降りてきて私を迎え、折り返し三階まで案内してくれた。その時の東洋人的な、いかにも貞淑な物腰が印象に残っただけで、顔は後で思い出せるほどはっきり覚えていなかった。

二度目に会ったときはバーバネル亡き後で、サイキックニューズ社のスタッフの一人として働いていた。私のことを覚えてくれていて、私が来ていることを知ってわざわざ二階の編集室から降りてきてくれた。その時初めてとても美しい方であることを知った。派手な美しさではなく、奥に何かを秘めて清楚な美しさで、才色兼備とはこういう人に使う言葉であろうと思ったりした。

私が「今シルバーバーチを訳しているけど、そのうちあなたの編集したものも訳しますよ」と言ったらOh, lovely(まあ、素敵)といってまるで童女のようなあどけないしぐさで、嬉しそうにしたのが印象的だった。

本文の136ページでシルバーバーチが「この霊媒と奥さんと私とは一個のインディビジュアリティに属しております」と述べている。つまり霊的な親族(アフィニティ)、いわゆる類魂同士であるという意味であるが、私は永年バーバネルの秘書を務めたこのリーバ女史もアフィニティの一人として計画の推進のために生まれてきていると思う。スワッハーもしかり、速記録のムーア女史も然りである。

話を戻して、続いて私が「その後バーバネルから何か通信がありますか」と尋ねたところ、自動書記とか霊聴という形ではないけれど、霊感的に近くにバーバネルの存在を感じることはよくあるといった主旨のことを語ってくれた。バーバネルは今でもサイキックニューズ社をはじめとしてスピリチュアリズム関係の仕事を霊界から援助してくれていることは、当然想像できるところである。

さて本書にはバーバネルが他界する直前の霊言もおさめられており、1938年に始まった原典シリーズも本書が最後となる。日本語シリーズとしてはオーツセンのMore Philosophyの残り半分を主体として構成したものを次の第十一巻とし、最終巻は全霊言集のほかにサイキックニューズ紙やツーワールズ誌に引用されている珠玉の言葉や祈りをもれなく集めて〝総集編〟としたいと考えている。

もちろんそれでシルバーバーチの霊言がすべて出尽くすわけではない。分量としてはむしろ残されているものの方が多いのではないかと推測している。現に最近の情報では、すでに次のシリーズを企画中のようである。シルバーバチフアンにとってはうれしい限りであるが、それはそれとして、本シリーズは全十二巻をもって完結としたい。

実は二年ほど前に別々の機会に二度〝この後シルバーバーチを新たに出す予定はあるのか〟と尋ねたことがあるが、二度ともその予定はないと言っていた。それが今になって新しい企画がされたということは、シルバーバーチの霊言がその後も世界的にますます注目されていることのあらわれであり、それは言い替えれば、現代人がこうした霊的な叡智を要求し始めているということであろう。

「古代霊は語る」がきっかけとなってついに十二巻もの霊言集が出せることになった。振り返ってみると、これまでの展開ぶりは私自身にとっても〝まさか〟の一語に尽きるもので、これも潮文社の理解なくしては不可能なことだったことは言うまでもないが、その背後に大規模な霊界からの働き掛けがあることを痛切に感じている。私も一個の道具としてその計画の中に組み込まれているのであろう。

今後の計画がどう進展するかは知る由もないが、〝すべては良きに計られる〟とのシルバーバーチの言葉を信じて地道に歩んでいきたいと思っている。

1987年11月 近藤千雄