S・フィリップス(編)
1986年9月 近藤 千雄(訳)
Silver Birch Speaks Again
Edited by S.Phillips
Psychic Press Ltd.
London, England
目 次
編者まえがき
第1章 神への祈り
第2章 心霊治療・・・その本当の意義
第3章 自分の責任・他人の責任
第4章 ジョン少年との対話
第1節 人間の目と霊の目
第2節 霊に年齢は無い
第3節 死は悲しいことではない
第4節 考えることにも色彩がある
第5節 スピリチュアリズムはなぜ大切か
第6節 原子爆弾は善か悪か(本書の出版は1952年)
第7節 幽霊と霊との違い
第8節 真理普及は厳粛な仕事
第5章 老スピリチュアリストとの対話
第6章 婚約者を不慮の事故で失って
第7章 難しい質問に答える
第8章 真理には無限の側面がある
第9章 良心の声
第10章 あらためて基本的真理を
第11章 みんな永遠の旅の仲間
第12章 苦難にこそ感謝を
解説〝霊〟と〝幽霊〟訳者
編者まえがき
ハンネン・スワッハー・ホームサークルの指導霊としてあまねく知られているシルバーバーチの霊言集はすでの数冊出版されているが、読者の要望にお応えして新たにこの一冊が加えられることになったのは有難いことである。これが六冊目となる。他に小冊子が二冊、教えを要約したものと祈りの言葉を精選したものとが出ている。
もとより活字ではシルバーバーチの温かい人間味が出せないし、ほとばしり出る愛を伝えることはできない。シルバーバーチは実に威厳のある霊であり、表現が豊かであり、その内容に気高さがあり、しかし喜んで人の悩みに耳を傾け、何者をも咎めることをしない。単純素朴さがその訓えの一貫した性格であり、真理の極印を押されたものばかりである。
交霊会を年代順に追ったものとしては本書が最初である。一章の中に一回の交霊会の始めから終りまでそっくり引用したものもあるが、他の二、三の交霊会から部分的に引用して構成したものもある。
私はなるべく同じ霊訓の繰り返しにならないようにしようと思ったが、それはしょせん無理な話だった。シルバーバーチの霊訓の真髄は基本的な霊的真理をさまざまな形で繰り返して説くことにあるからである。内容的には同じことを言っていても煩をいとわず、その時の言葉をそのまま紹介しておいた。
これまでの霊言集の中でも説明されているように、シルバーバーチの霊言は速記者によって記録されている。が、シルバーバーチは英語を完璧にマスターしているので、引用に際してはただコンマやセミコロン、ピリオドを文章の流れ具合によって付していくだけで良く、それだけで明快そのものの名文が出来上がる。これは驚くべきシルバーバーチの文章能力の為せる業である。
さらに付け加えておきたいことは、シルバーバーチはその文章をスラスラと淀みなく口に出しているということである。質疑応答となると、質問が言い終わるとすぐに答えが返ってくる。
その余りの速さに、初めて出席した人は、その会が打ち合わせなしのぶっつけ本番である事が信じられないほどである。
古くからシルバーバーチフアンは本書を大歓迎してくださるであろうし、初めての方も、本書を読まれることによってきっとシルバーバーチを敬愛する数多くの読者の仲間入りをされることであろう。
第1章 神への祈り
何時の日の交霊会でもシルバーバーチは必ず祈りの言葉で開会する。延べにして数百を数える祈りの中には型にはまった同じ祈りは一つもない。しかしその中味は一貫している。次はその典型的なもののひとつである。
「神よ、いつの時代にも霊覚者達は地上世界の彼方に存在する霊的世界を垣間見ておりました。ある者は霊視状態において、ある者は入神(トランス)の境地において、そしてまたある者は夢の中においてそれを捉え、あなたの無限なる荘厳さと、神々しき壮麗さの幾許かを認識したのでした。
不意の霊力のほとばしりによる啓示を得て彼らはこれぞ真理なり・・・全宇宙を支配する永遠にして不変、不動の摂理であると公言したのでした。
今私どもは彼らと同じ仕事に携っているところでございます。すなわちあなたについての真理を広め、子等があなたについて抱いてきた名誉棄損という誤った認識を正すことでございます。
これまであなたは神として当然のことである如く憎しみと、嫉妬心と、復讐心と、差別心を有するものとされてきました。私どもはあなたに代わってあなたのあるがままの姿、愛と叡知と慈悲を持って支配する自然法則の背後に控える無限なる知性として説いております。
私どもは地上の人間一人ひとりに宿るあなたの心的属性に目を向けさせております。そしてあなたの神威が存分に発揮されるにはいかなる生き方をすべきかを説こうと努めているものでございます。
そうすることによって子等もあなたの存在に気付き、真の自分自身に目覚め、さらにあなたの摂理の行使者として、彼らを使用せんとして待機する愛する人々ならびに高級界の天使の存在を知ることでございましょう。
私どもは全ての人類を愛と連帯感を絆として一体で在らしめたいと望んでおります。そうすることによって協調関係を一層深め、利己主義と強欲と金銭欲から生れる邪悪の全てを地上から一掃することができましょう。
そしてそれに代わってあなたの摂理についての知識を基盤とした地上天国を築かせたいのです。その完成の暁には人類は平和の中に生き、全ての芸術が花開き、愛念が満ち溢れ、全ての者が善意と寛容心と同情心を発揮し合うことでしょう。地上を醜くしている悪徳(ガン)が姿を消し、光明がすみずみにまで行きわたることでしょう。
ここに己を役立てることのみを願うあなたの僕インデアンの祈りを捧げます」
第2章 心霊治療・・・その本当の意義
「これまでに成し遂げられてきた事は確かに立派ですが、まだまだ頂上は極めておりません」
世界的に知られる心霊治療家のハリー・エドワーズ氏が助手のジョージバートン夫妻と共に交霊会を訪れた時シルバーバーチはそう語りかけた。(訳者注-今は三人ともこの世にいないが、〝ハリー・エドワーズ心霊治療所〟Harry Edwards Healing Sanctuaryはその名称のままレイ・ブランチ夫妻が引き継ぎ今も治療活動を続けている)
シルバーバーチは続けてこう語る・・・
「あなた方はこれまでの努力がまさに花開かんとしております。これまでのことは全てが準備でした。パステスマのヨハネがナザレのイエスの為に道を開いたように、これまでのあなた方の過去は、これから先の仕事のため、つまりより大きな霊力が降りてあなた方と共に活動していく為の準備期間でした。
ほぼ完璧の段階に近づいているあなた方三人の信頼心と犠牲的精神とそれを喜びとする心情は、それ自らが結果をもたらします。霊の力と地上の力との協調関係がますます緊密となり、それがしばしば〝あり得ぬこと〟と思えることを成就しております。条件が整った時に起きるその奇跡的治療のスピードに注目して頂きたいと思います」
エドワーズ「何度も目の当たりにしております」
「大いなる進歩が為されつつあること。多くの魂に感動を与え、それがさらに誘因となって他の大勢の人々にその次元での成功(単なる病気治療にとどまらず魂の琴線に触れさせること)を修める努力が為されつつあります。常にその一つに目標をおいて下さい。
すなわち魂を生命の実相に目覚めさせることです。それが全ての霊的活動の目標です。他は一切構いません。病気治療も、霊的交信を通じての慰めも、さまざまな霊的現象も、究極的には人間が例外なく神の分霊であること、即ち霊的存在であるというメッセージに目を向けさせて初めて意義があり、神から授かった霊的遺産を我がものとして宿命を成就する為には、ぜひその理解が必要です。
それが困難な仕事であることは私も良く承知しております。が、偉大な仕事ほど困難が伴うものなのです。霊的な悟りを得ることは容易ではありません。とても孤独な道です。それは当然のことでしょう。
もしも人類が昇るべき高所がいとも簡単に辿りつくことが出来るとしたら、それは昇ってみるほどの価値はないことになります。安易さ、呑気さ、怠惰の中では魂は目を開きません。刻苦と奮闘と難儀の中にあって初めて目を覚まします。これまで、魂の成長が安易に得られるように配慮された事は一度たりともありません。
あなた方が治療なさる様子を見て、いとも簡単に行っているように思う人は、表面しか見ていない人です。今日の頂上に到達するまでには、その背後に長年の努力の積み重ねがあったことを知りません。治療を受ける人が満足しても、あなた方が満足してはなりません。
一つの山頂を極めたら、その先にまた別の山頂がそびえている事を自覚しなくてはいけません。如何でしょう。私の話は参考になりますでしょうか。あなた方は既に良くご存じのことばかりでしょう」
エドワーズ「分っていても改めて認識する事は大切なことです」
「こうした会合の場は、地上の人間でない私どもがあなた方地上の人間に永遠の原理、不滅の霊的真理、顕幽の区別なく全ての者が基盤とすべきものについての認識を新たにさせることに意義があります。物質界に閉じ込められ、物的身体に関る必要性や障害に押しまくられているあなた方は、ともすると表面上の物的なことに目を奪われて、その背後の霊的実在のことを見失いがちです。
肉体こそ自分である、今生きている地上世界こそ実在の世界であると思いこみ、実は地上世界は影であり、肉体はより大きな霊的自我の道具に過ぎない事を否定することは実に簡単なことです。
もしも刻々と移り行く日常生活の中にあって正しい視野を失わずに問題の一つ一つを霊的知識に照らしてみる事を忘れなければ、どんなにか事が楽に治まるだろうにと思えるのですが。残念ながら現実はそうではありません。
こうした霊界との協調関係の中での仕事に携っておられる人でさえ、ややもすると基本的義務も忘れ、手にした霊的知識が要求する規範に叶った生き方をしていらっしゃらない事があります。知識は大いなる指針となり頼りになるものですが、手にした知識をどう生かすかと言う点に大きな責任が要請されます。
治療の仕事に携っておられると、さまざまな問題・・・説明できないことや当惑させられること・・・に遭遇させられることでしょうが、それは当然のことです。私どもは地上と霊界の双方の人間的要素に直面させられどおしです。治療の法則は完全ですが、それが不完全な道具を通じて作業しなければなりません。
人間を通して働かねばならない法則がいかなる結果を生み出すかを、数学的正確さを持って予測する事は不可能と言う事になります。
たとえ最善の配慮を持って拵えた計画さえも挫折させるほどの事情が生じることがあります。この人こそと思って選んで介した何年にもわたる準備計画が、本人の自由意志による我がままによって水の泡となってしまうことがあります。しかし全体としてみれば霊の地上への投入が大幅に増えていることは喜んで良いと思います。
現実にあなた方が患者の痛みを和らげ、あるいは治療してあげることが出来ていると言う事実、苦しむ人を救うことが出来ていると言う事実。お仕事が広がる一方で衰えることが無いと言う事実。たとえ藁をも掴む気持ちからであっても、大勢の人々が救いを求めて来ていると言う事実。こうした事実は霊力がますます広がりつつあることの証拠です。
霊力によって魂が一旦目を覚ましたら、その人は二度ともとの人間には戻らないと言う考えがありますが、私もそう考えている一人です。言葉には説明し難い影響、本人も忘れようにも忘れなれない影響を受けているものです」
エドワーズ「その最後の段階で病気の治癒と真理の理解との兼ね合いがうまくいってほしいのですが、霊的高揚と言うのはなかなか望めないように思います」
「見た目にはそうですが、目に見えない影響力が常に働いております。霊力と言うには磁気性を持っており、一旦出来上がった磁気的な繋がりは決して失われません。一個の人間があなたの手の操作を受けたと言う事は・・・〝手〟と言うのは抽象的な意味で用いたまでです。
実際には身体に触れる必要はありませんから・・・その時点でその人と磁気的なつながりが出来たと言う事です。つまり霊の磁力がその人の〝地金〟を引きつけたと言うことで、その関係は決して切れることはありません。
その状態を霊の目すなわち霊視力で見ますと、小さな畑の暗い土の中で小さな灯りがともったようなものです。理解力の最初の小さな炎でしかありません。種子が芽を出して土中から頭をもたげたようなものです。暗闇の中から初めて出てきたのです。
それがあなた方の為すべき仕事です。身体を治してあげることは結構なことです。それに文句をつける人はいません。が、魂に真価を発揮させること、聖書流に言えば魂に己を見出させること、それより遥かに大切です。魂を本当の悟りへの道においてあげることになるからです」
ここでサークルのメンバーの一人が述べた…「心霊治療で治った人の中には魔術的なものが働いたと考える人がいます。つまり治療家を一種の魔術師と考え、神の道具とは考えません」
「それは困ったことだと思います。何故かと言えば、そう言う受け取り方はせっかくのチャンスによる最も大切な悟りの妨げになるからです。霊的な力が治療家を通して働いたのだと言うことを教えてあげれば、病気が治ったと言うことだけで全てが終わらずに、それを契機にもっと深く考えるように成るのですが」
エドワーズ「治療後も霊的な治癒力が働き続けている証拠として、時折、その時は効果が見えなかった人から一年もたってから〝あれから良くなってきました〟と言う手紙を受け取ることがあります」
「当然そうあってしかるべきです。霊的な成長だけは側からどうしようもない問題なのです。
このことに関しては以前にも触れたことがありますが、治療の成功不成功は魂の進化と言う要素によって支配されております。いかなる魂も、治るだけの霊的資格が具われない限り絶対に治らないと言うことです。身体は僕です。主人(アルジ)ではありません。」
エドワーズ「未発達の魂は心霊治療によって治すことが出来ないと言う意味でしょうか」
「そういうことです。私が言わんとしているのは、正にそのことです。ただ〝未発達〟と言う用語は解釈の難しい言葉です。私が摂理の存在を口にする時、私はたった一つの摂理のことを言っているのではありません。宇宙のあらゆる自然法則を包含した摂理のことを言います。
それが完璧な型(パターン)にはめられております。ただし法則の裏側に又別の次元の法則があると言うふうに、幾重にもなっております。然るに宇宙は無限です。誰にもその果てを見ることは出来ません。それを支配する大霊(神)と同じく無窮なのです。すると神の法則も無限であり、永遠に進化が続くと言うことになります。
物質界の人間は肉体の宿った魂です。各自の魂は進化の一つの段階に在ります。その魂には過去があります。それを切り捨てて考えてはいけません。それとの関連性を考慮しなくてはなりません。肉体は精神の表現器官であり、精神は霊の表現器官です。
肉体は霊が到達した発達の段階を表現しております。もしもその霊にとって次の発達段階に備える上での浄化の過程としてその肉体的苦痛が不可欠の要素である場合には、あなた方治療家を通じていかなる治療エネルギーが働きかけても治りません。いかなる治療家も治すことは出来ないと言うことです。
苦痛も大自然の過程の一つなのです。摂理の一部に組み込まれているのです。痛み、悲しみ、苦しみ、こうしたものは全て摂理の中に組み込まれているのです。話はまた私が何時も述べていることに戻ってきました。日向と日陰、平穏と嵐、光と闇、愛と憎しみ、こうした相対関係は神の摂理なのです。一方なくしては他方も存在しえません」
メンバーの一人「苦しみは摂理を破ったことへの代償なのですね」
「〝摂理を破る〟と言う言い方は感心しません。〝摂理に背く〟と言って下さい。確かに人間は時として摂理への背反を通して摂理を学ぶ他ないとこがあります。あなた方は完全な存在ではありません。完全性の種子を宿してはおりますが、それは人生がもたらすさまざまな境遇に身をおいて見ることによってのみ成長します。痛みも嵐も困難も苦しみも病気もないようでは魂は成長しません。
摂理が働かないことは絶対に在りません。もし働かないことがあるとしたら、神ではなくなり、宇宙には調和もリズムも目的も無くなります。その自然の摂理の正確さと完璧さに全幅の信頼をおかねばなりません。なぜなら人間には宿命的に知ることのできない段階があり、それは信仰心で持って補うほかないからです。
私は知識を論拠として生れる信仰は決して非難しません。私が非難するのは何の根拠もないことでもすぐに信じてしまう浅はかな信仰心です。人間は知識の全てを手にすることが出来ない以上、どうしてもある程度の信仰心でもって補わざるを得ません。
と言って、其の結果として同情心も哀れみも優しさも敬遠して〝ああ、これも自然の摂理だ。仕方がない〟等と言うようになって頂いては困ります。それは間違いです。あくまでも人間としての最善を尽くすべきです。そう努力する中に置いて本来の霊的義務を果たしていることになるからです。」
幾つかの質問に答えた後、さらに・・・
「魂は自ら道を切り開いていくものです。その際、肉体機能の限界がその魂にとっての限界となり制約となります。しかし肉体を生かしているのは魂です。この二重の関係が常に続けられております。しかし優位に立っているのは魂です。魂は絶対です。魂はあなたと言う存在の奥に宿る神であり、神が所有しているものは全てあなたもミニチュアの形で所有している以上、それは当然しごくのことです」
エドワーズ「それはとても基本的なことであるように思います。先ほど心霊治療によって治るか治らないかは患者自身の発達程度に掛っているとおっしゃいましたが、そうなると治療家は肉体の治療よりも精神の治療に力を入れるべきであると言うことになるのでしょうか」
「訪れる患者の魂に働きかけないとしたら、他に何に働きかけられると思いますか」
エドワーズ「まず魂が癒され、その結果肉体が癒されると言うことでしょうか」
「そうです、私はそう言っているのです」
エドワーズ「では私達治療家は通常の精神面を構う必要はないと言うことでしょうか」
「精神はあくまで魂の道具に過ぎません。従って魂が正常になればおのずと精神状態も良くなる筈です。ただ、魂がその反応を示す段階まで発達していなければ、肉体への反応も起こりません。魂がさらに発達する必要があります。つまり魂の発達を促すためのいろんな過程を体験しなければならないわけです。それには苦痛を伴います。魂の進化は安楽の中からは得られないからです」
エドワーズ「必要な段階まで魂が発達していない時は霊界の治療家も治す方法は無いのでしょうか」
「その点は地上も霊界も同じです」
メンバーの一人「クリスチャン・サイエンスの信仰と同じですか」
「真理は真理です。その真理に何と名を付けようと、私達霊界の者には何の違いもありません。要は中味の問題です。仮にクリスチャン・サイエンスの信者が霊の働きかけを得て治りそれをクリスチャン・サイエンスの信仰のお陰だと信じたとしても、それはそれでよいのです」
エドワーズ「私達治療家も少しは役に立っているとは思うのですが、治療家を通じて患者の魂にまで影響を及ぼすと言うのはとても難しいことです」
「あなた方は少しどころか大いに貴重な役割を果たしておられます。第一、あなた方地上の治療家がいなくては私達も仕事になりません。霊界側から見ればあなた方は私達が地上と接する為の通路であり、一種の霊媒であり、言ってみればコンデンサーのような存在です。霊波が流れる、その通路と言うわけです」
エドワーズ「流れると言うのは何に流れるのですか。肉体ですか、魂ですか」
「私達は肉体には関知しません。私の方からお聞きしますが、例えば腕が曲がらないのは腕の何が悪いのでしょう」
エドワーズ「生理状態です」
「では、それまで腕を動かしていた健康な活力はどうなったのでしょう」
エドワーズ「無くなっています。病気に負けて病的状態になっています」
「活力が再びそこを流れ始めたらどうなりますか」
エドワーズ「腕の動きも戻ると思います」
「その活力を通わせる力は何処から得るのですか」
エドワーズ「私達の意志ではどうにもならないことです。それは霊界側の仕事ではないかと思います」
「腕を無理やり動かすだけではダメでしょう?」
エドワーズ「力ではどうにもなりません」
「でしょう。そこでもしその腕を使いこなすべき立場にある魂が目を覚まして、忘れられていた機能を回復すれば、腕は自然によくなると言うことです」
メンバーの一人「治療家の役目は患者が生まれつき具わっている機能にカツを入れると言うことになるのでしょうか」
「そうとも言えますが、それだけではありません。と言うのは、患者は肉体をまとっている以上当然波長が低くなっています。それで霊界からの高い波長の霊波を注ぐには一旦治療家と言うコンデンサーにその霊波を送って、患者に合った程度まで波長を下げる必要があります。
そう言う過程を経た霊波に対して患者の魂がうまく反応を示してくれれば、その治癒効果は電光石火と申しますか、いわゆる奇跡の様なことが起きる分けですが、患者の魂にそれを吸収するだけの受け入れ態勢が出来ていない時は何の効果も生じません。たとえまがった腕をまっすぐにするのはあなた方ではありません。患者自身の魂の発達程度です」
列席者の一人「神を信じない人でも治ることがありますか」
「あります。治療の法則は神を信じるか信じないかにお構いなく働くからです」
先ほど治療は魂の進化の程度と関係があると言われましたが・・・
「神を信じない人でも霊格の高い人があり、信心深い人でも霊格の低い人がいます。霊格の高さは信仰心の高さで計れるものではありません。行為によって測るべきです。良いですか。あなた方は治るべき条件の整った人を治しているだけです。ですが、喜んでください。あなた方を通じて知識と理解と光明へ導かれる人は大勢います。
みながみな治せなくても、そこには厳とした法則があってのことですから、気になさらぬことです。と言って、それで満足して努力することを止めてしまわれては困ります。何時も言っているように、神の意思は愛の中だけでなく憎しみの中にも表現されています。晴天の日だけが神の日ではありません。
嵐の日も神の法則が働いております。成功にも失敗にもそれなりの価値があります。失敗しなければ成功もありません」
信仰心が厚く、治療家を信頼し、正しい知識を持った人でも以外に思えるほど治療に何の反応も示さない人がいますが、なぜでしょう。やはり魂の問題でしょうか。
「そうです。必ず同じ問題に帰着します。信仰心や信頼や愛の問題ではありません。魂の問題であり、その魂が進化の過程で到達した段階の問題です。その段階で受けるべきものを受け、受けるべきでないものは受けません」
エドワーズ「治療による肉体上の変化は私達にも分るのですが、霊的な変化は目で確かめることが出来ません」
「霊視能力者を何人集めても、全員が同じ治療操作を見ることは無いでしょう。それほど(患者一人一人に違った)複雑な操作が行われているのです。かりそめにも簡単にやっているかに思ってはなりません。物質と霊との相互関係は奥が深く、かつ複雑です。
肉体には肉体の法則があり、霊体には霊体の法則があります。両者ともそれぞれにとても複雑なのですから、その両者をうまく操る操作は、それはそれは複雑になります。無論全体に秩序と調和が行きわたっておりますが、法則の裏に法則があり、そのまた裏には法則があり、それらが複雑に絡み合っております」
バートン夫人「肉体上の苦痛は魂に影響を及ぼさないとおっしゃったように記憶しますけど・・・」
「そんなこと言った覚えはありません。肉体が受けた影響は必ず魂にも及びますし、反対に魂の状態は必ず肉体に表れます。両者を切り離して考えてはいけません。一体不離です。つまり肉体も自我の一部と考えてよいのです。肉体なしに自我の表現は出来ないのですから。本来は霊的存在です。肉体に生じたことは霊にも及びます」
バートン夫人「では肉体上の苦痛が大きくて見るに見かねる時、もし他に救う手が無いと見たら、魂への影響を防ぐために故意に死に至らしめると言うこともなさるのでしょうか」
「それは患者によります。実際は人間の気まぐれから自然法則の秩序を踏まずに無理やりに肉体から分離させられていることが多いのですが、それさえなければ、霊は摂理に従って死ぬべき時が来たら自然に離れるものです」
バートン夫人「でも明らかに霊界の意思が故意に死なせたと思われる例がありますけど」
「あります。しかしそれはバランス(埋め合わせの)法則に則って周到な配慮の上で行っていることです。それでも尚魂にショックを与えます。そう大きくはありませんが」
バートン夫人「肉体を離れるのが早すぎた為に生じるショックですか」
「そうです。物事には必ず償いと報いとがあります。不自然な死を遂げると必ずその不自然さに対する報いがあり、同時にそれを償う必要性が生じます。それがどう言うものになるかは個人によって異なります。あなた方治療家の役目は患者の魂に、それだけの資格が出来ている場合に、苦痛を和らげてあげることです。その間に調整が為され、言わば衝撃が緩和されて、魂が然るべき状態に導かれます」
エドワーズ「絶対に生きながらえる望みなしと判断した時、少しでも早く死に至らしめる為の手段を講じることは許されることでしょうか。許されないことでしょうか」
「私はあくまで〝人間は死すべき時が来て死ぬべきもの〟と考えています」
エドワーズ「肉体の持久力を弱めれば死期を早めることになります。痛みと苦しみに見かね、治る可能性もない時、死期を早めてあげることは正しいでしょうか」
「あなた方の辛い立場はよく判ります。又私としても好んで冷たい態度を取るわけではありませんが、法則はあくまでも法則です。肉体の死はあくまで魂にその準備が出来た時に来るべきです。それはちょうど柿が熟した時に落ちるのと同じです。熟さない時にもぎ取ってはいけません。私はあくまでも自然法則の範囲内で講ずべき手段と指摘しております。例えば薬や毒物ですっかり身体を壊し、
全身が病的状態になっていることがありますが、身体はもともとそんな状態になるようには意図されておりません。そんな状態になってはいけないのです。身体の健康の法則が無視されているわけです。そう言う観点から考えていけば、どうすればよいのかはおのずと決まって来ると思います。何ごとも自然の摂理の範囲内で処理すべきです。本人も医者も、あるいは他の誰によってもその摂理に干渉すべきではありません。
勿論良いにせよ悪いにせよ、何らかの手を打てばそれなりの結果を生じます。ですが、それが本当に良いことか悪いことかは霊的法則にどの程度まで適っているかによって決まることです。つまり肉体にとって良いか悪いかではなくて、魂にとって良いか悪いかという観点に立って判断すべきです。魂にとって最善であれば肉体にとっても最善であるに違いありません」
同じくエドワーズ氏とバートン夫妻が出席した別の日の交霊会で、シルバーバーチはこう強調した。
「霊力の真の目的は(病気が縁となって)あなた方のもとを訪れる人の魂を目覚めさせることです。自分が本来霊的存在であり、物的自分ではないことに気付かない限り、その人は実在に対して全く関心を向けないまま地上生活を送っていることになります。言わば影の中で幻を追いかけながら生きていることになります。
実在に直面するのは真の自我即ち霊的本性に目覚めた時です。地上生活の目的は、帰するところ自我を見出すことです。なぜなら、一旦自我を見出せば、それからと言うものは(分別のある人であれば)内部に宿る神性を進んで開発しようとするからです。残念ながら地上の人間の大半は真の自分と言うものを知らず、従って不幸や悲劇に遭うまで自分の霊的本性に気付かないのが実情です。
光明の存在に気付くのは人生の闇のなかでしかないのです。あなた方がお会いになるのは大半が心身に異常のある方たちです。治療を通じてもしその人達に自分が霊的存在であるとの自覚を植え付けることが出来たら、もしその人達に霊的本性を目覚めさせることが出来たら、魂の内部に神の火花を点火させることが出来たら、やがてそれが炎となってその明りが生活全体に輝きをもたらします。
もとより、それは容易なことではありません。でも、たとえ外れた関節を元どうりにするだけのことであっても、あるいは何となく不調を訴えた人がすっきりした、と言うだけのことであっても、そうした治療を通じてその人に自分が肉体を具えた霊的存在であり霊を具えた肉体的存在でないことを理解させることに成功すれば、あなた方はこの世で最大の仕事をしていることになるのです。私どもが肉体そのものよりもその奥の霊に、より大きな関心を向けていることを理解していただかねばなりません。
霊が正常であれば肉体は健康です。霊が異常であれば、つまり精神と肉体との関係は一直線で結ばれていなければ、肉体も正常ではありえません。この点を良く理解して頂きたいのです。なぜなら、あなた方がご苦労なさっているお仕事において、あなた方自身にも測り知ることのできない側面だからです。
完治した人、痛みが和らいだ人、あるいは回復の手応えを感じた人があなた方へ向ける感射の気持ちも礼も、魂そのものが目覚め、内部の巨大なエネルギー源が始動し始めた事実に較べれば、物の数ではありません。あなた方は容易ならざるお仕事に携っておられます。犠牲と献身とを要求される仕事です。困難の最中に置いて為される仕事であり、その道は容易ではありません。
しかし先駆者の辿る道は常に容易ではありません。奉仕的な仕事には障害はつきものです。かりそめにも楽な仕事、障害のない道を期待してはなりません。障害は一つ一つ、困難の一つ一つがそれを乗り越えることによって霊の純金を磨きあげる為の試練であると心得て下さい」
エドワーズ「魂の治療の点では私達治療家の役割よりも霊界の治療家の役割の方が大きいのですか」
「当然そうなりましょう」
エドワーズ「そうすると私達が果たす役割は小さいと言うことでしょうか」
「小さいとも言えますし大きいとも言えます。問題は波長の調整に在ります。大きく分けて治療には二通りの方法があります。一つは治療エネルギーの波長を下げて、それを潜在エネルギーの形で治療家自身に送ります。それを再度治療エネルギーに還元してあなた方が使用します。
もう一つは特殊な霊波を直接患者の意識の中枢に送り、魂に先天的に具わっている治癒力を刺激して、魂の不調和すなわち病気を払いのける方法です。こう述べてもお分かりにならないでしょう」
エドワーズ「いえ、理屈はよく分ります。ただ現実に適応するとなると…」
「では説明を変えて見ましょう。まず、そもそも生命とは何かという問題ですが、これは地上の人間にはまず理解できないと思います。何故かと言うと、生命とは本質において物質とは異なるものであり、
いわゆる理化学的研究の対象とはなり得ないものだからです。で、私はよく生命とは宇宙の大霊のことであり、神とはすなわち大生命のことだと言うのですが、その意味は、人間が意識を持ち、呼吸し、歩き、考える力、その樹木が若葉をまとい、鳥がさえずり、花が咲き、岸辺に波が打ち寄せる、そうした大自然の脈々たる働きの背後に潜む力こそ、宇宙の大霊すなわち神だと言うのです。同じ霊力の一部であり一つの表現なのです。
あなた方が今そこに生きておられる事実そのものが、あなた方も霊であることを意味します。ですから同じである患者の霊的進化の程度に応じた様々な段階で、その霊力を注入すると言うのが心霊治療の本質です。ご承知の通り病気には魂に起因するものと純粋に肉体的なものとがあります。肉体的なものは治療家が直接触れる必要がありますが、霊的な場合は今述べた生命力を活用します。が、この方法にも限界があります。
あなた(エドワーズ)の進化の程度、協力者のお二人(バートン夫妻)の進化の程度、それに治療を受ける患者自身の進化の程度が絡み合って自然に出来上がる限界です。また、いわゆる因縁(カルマ)と言うものも考慮しなくてはなりません。因果律です。これは時と場所にお構いなく働きます」
エドワーズ「魂の病にもいろいろあってそれなりの影響を及ぼしていると思いますが、そうなると病気の一つ一つについて異なる治療エネルギーが要るのではないかと想像されますが…」
「全くその通りです。人間は三位一体の存在です。一つは今述べたスピリットで、これが第一原因です。存在の基盤であり、趣旨であり、全てがそこから出ます。次にその霊が精神(マインド)を通じて自我を表現します。これが意識的生活の中心となって肉体(ボデイ)を支配します。この三者が融合し互いに影響しあい、どれ一つ欠けてもあなたの存在は無くなります」
エドワーズ「一方通行ではないわけですね」
「そうです。霊的ならびに精神的発達の程度に従って肉体におのずから限界が生じますが、それを意識的鍛錬によって信じられないほど自由に肉体機能を操ることが出来るものです。インドの行者などは西洋の文明人には想像も出来ないようなことをやってのけますが、精神が肉体を完全に支配し思いどおりに操るように鍛錬したまでのことです」
エドワーズ「心霊治療が魂を目覚めさせるためのものであり、霊が第一原理であれば、霊界側からの方がよほどやり易いのではないでしょうか」
「そうとも言えますが、逆の場合が多いようです。と言うのは、死んでこちらへ来た人間でさえ霊的波長よりは物的波長の中で暮らしている(自縛の)霊が多いと言う事実からお分かりの通り、肉体をまとった人間はよほど発達した人でない限り、大抵は物的な波長にしか反応を示さず、私達が送る波長には全く感応をしないものです。そこであなた方地上の治療家の存在が必要となってくるわけです。
霊的波長にも物的波長にも感応する連結器と言うわけです。治療家に限らず霊能者と言われている人が常に心の修養を怠ってはならない理由はそこに在ります。霊的に向上すればそれだけ仕事の範囲が広がって、より多くの価値ある仕事が出来ます。その様な法則が出来あがっているのです。ですが、
そう言う献身的な奉仕の道を歩む人は必然的に孤独な旅を強いられます。ただ一人、前人未踏の地を歩みながら、後の者の為に道標を立てていくことになります。あなたはこの意味がお分かりでしょう。すぐれた特別の才能にはそれ相当の義務が生じます。両手に花とは参りません」
エドワーズ「先ほど治癒エネルギーの事を説明された時、霊的なものが物的なものに転換されると言われましたが、その転換は何処で行われるのでしょうか。どこかで行われる筈ですが…」
「使用するエネルギーによって異なります。信じられない方がいらっしゃるかも知れませんが、古の賢人が指摘している〝第三の目〟とか太陽神経叢などを使用することもあります。そこが霊と精神と肉体の三者が合一する場なのです。これ以外にも患者の潜在意識を利用して健康な時と同じ生理反応を起こさせることによって失われた機能を回復させる方法があります」
エドワーズ「説明されたところまでは判るのですが、その〝中間地帯〟が何処に在るかよく分りません。どこで物的状態と霊的治癒エネルギーとが繋がるのか、もっと具体的に示して頂きたいのです。どこかで何らかの転換が行われているに違いないのですが・・・」
「そんなふうに聞かれると、どうも困ってしまいます。弱りました。分って頂けそうな説明がどうしても出来ないのです。強いて譬えるならば、さっきも言ったコンデンサーみたいなことをするのです。コンデンサーと言うのは電流の周波を変える装置ですが、大体あんなものが用意されていると想像してください。エクトプラズムを使用することもあります。ただし実験会での物質化現象や直接談話などに使用するものとは形態が異なります。もっと微妙な目に見えない・・・」
エドワーズ「一種の〝中間物質〟ですか」
「そうです。霊の念波を感じ易く、しかも物質界でも使用できる程度の物質性を具えたもの、とでも言っておきましょうか。それと治療家の持つエネルギーが結合してコンデンサーの役をするのです。そこから患者の松果体ないし太陽神経叢を通って体内に流れ込みます。その活エネルギーは全身に行きわたります。電気的な温みを感じるのはその時です。
知っておいて頂きたいことは、とにかく私達のやる治療法には決まった型と言うものが無いと言うことです。患者によってみな治療法が異なります。又霊界から次々と新しい医学者が協力に参ります。
そして新しい患者は新しい実験台に臨み、どの放射線を使用したらどう言う反応が得られたかを細かく検討します。なかなか渉(ハカド)らなかった患者が急に快方に向かい始めることがあるのは、そうした霊医の研究結果の現れです。
又治療家のところへ行く途中で治ってしまったりすることがあるのも同じ理由によります。実質的な治療と言うのは、あなた方が直接患者と接触する以前にすでに霊界側に置いて大部分が済んでいると思って差し支えありません」
エドワーズ「そうするともう一つの疑問が生じます。今霊界にも大勢の霊医がいると申されましたが、一方で遠隔治療を受けながら別の治療家の処へ行くと言う態度は、治療に携る霊医にとって困ったことではないでしょうか」
「結果を見て下さい。治ればそれで宜しい」
エドワーズ「なぜそれでいいのか、理屈が分らないと吾々人間は納得できないのですが」
「場合によってはそんなことをされると困ることもありますが、全く支障にならないこともあります。患者によってそれぞれ事情が違うわけですから、一概にいい切る訳には参りません。あなただって患者を一目見て、これは自分に治せる、とは判断出来ますまい。
治せるか否かは患者と治療家の霊格によって決まることですから、あなたには八分通りしか治せない患者も、他の治療家のところへ行けば全治するかもしれません。
条件が異なるからです。その背後つまり霊界側の複雑な事情を知れば知るほど、こうだ、ああだと、断定的な言葉は使えなくなる筈です。神の法則には無限の奥行きがあります。あなた方人間としては正当な動機と奉仕の精神にもとづいて、精一杯、人事を尽くせばよいのです。こうすれば治る、これでは治らないとかを予断出来る者はいません」
エドワーズ「細かい点は別として、私達が知りたいのは、霊界の医師は必要とあらばどこのどの治療家にも援助の手を差しのべてくれるかと言うことです」
「霊格が高いことを示す一番の証明は人を選り好みしないと言うことです。私達は必要とあらばどこへでも出かけます。これが高級心霊界の鉄則なのです。あなた方も患者を断るようなことは決してなさってはいけません。
あなた方はすでに精神的にも本質においても永遠の価値を持った成果をあげておられます。人間的な目で判断してはいけません。あなた方には物事の裏側を見る目が無いのです。従って自分のしたことがどんな影響を及ぼしているかもお分かりになりません。
しかし実際にはご自分で考えておられるより遥かに多くの貢献をしておられます。あなた方の貢献は地上で為し得る最上の最大のものの一つであることに自信を持って下さい。
一所懸命治療をしても何の反応も生じなくても、それはあなたの責任ではありませんし、あなたの協力者(バートン夫妻…例えばエドワーズ氏が患者の頭部に手を当ててバートン夫妻が左右の手を握って祈念すると言う形での協同治療の事で、エドワーズ氏に代わって夫妻が治療すると言う意味ではない)の責任でもありません。
全ては自然の摂理の問題です。ご承知のように奇跡と言うものは存在しません。全ては無限なる愛と無限なる叡知によって支配されているのです。あなたと協力者のお二人に申し上げます。常に霊の光に照準を当てるように心掛けて下さい。この世的な問題に煩わされてはなりません。(エドワーズ氏は治療費を取らずに自発的な献金で賄っていたために慢性的な資金不足の問題を抱え、借入金の返済も滞りがちで、運営の危機に直面したことが何度かある)
これまで幾つもの困難に遭遇し、これからも行く手に数々の困難が立ちはだかることでしょうが、奉仕の精神に徹している限り克服できない障害はありません。全てが克服され、奉仕の道はますます広がって行くことでしょう。あなた方のお仕事は人々の苦痛の除去、軽減、解放をもたらすだけではありません。あなた方の尊い献身ぶりを見てそれらを見習おうとする心を人々に植え付けています。
そしてそれがあなた方をさらに向上への道へと鼓舞することになります。私達はまだまだ霊的進化の頂上を極めたわけではありません。まだまだ先は遥かです。なぜなら霊の力は神と同じく無限の可能性を秘めているのです」
サークルの一人「患者はあくまで一人の治療家のお世話になるのが好ましいのでしょうか」
「一般論としてはお答えしにくい問題です。何故かと言いますと、大切なのはその患者の霊的状態と治療家の霊的状態との関連だからです。心霊治療にもいろいろと種類があることを忘れてはなりません。霊力を全く使用しないで治している人もいます。自分の身体の持つ豊富な生体エネルギーを注入することで治すのです。
霊の世界は全く関わっておりません。それは決していけないことではありません。それも治療法の一つと言うに過ぎません。ですから、患者の取るべき態度について戒律を設ける訳には参りません。ただし、一つだけ好ましくない態度を申せば、次から次へと治療家を代えていくことです。それでは治療家にちゃんとした治療を施すチャンスを与えていないことになるからです。
私達霊界の者は何とか力になってあげたいと臨んでいても、そう言う態度で訪れる人の周りには一種のうろたえ、感情的なうろたえの雰囲気が漂い、それが霊力の働きを妨げます。ご承知のように霊力が一番働き易いのは受身的な穏やかな雰囲気の時です。その中ではじめて魂が本来の自分になり切れるからです」
エドワーズ「一人の治療家から直接治療を受けながら別の治療家の遠隔治療を受けると言うのはどうでしょうか」
「別に問題はありません。現にあなたはそれを証明しておられます。他の治療家に治療してもらっている人をあなたが治されたケースが幾つもあります」
バートン氏「私は祈りの念が霊界へ届けられる経路について考えさせられることが良くあります。祈り方にもいろいろあり、特に病気平癒の祈願が盛んに行われています。その一つとして患者へ向けて祈念時間が永いほど効果があると考えている人がいます。
一体祈りは霊界でどういう経路で届いているのか知りたいのですが」
「この問題も祈りの動機と祈る人の霊格によります。ご承知の通り宇宙は隅から隅まで法則によって支配されており、偶然と奇跡とかは絶対に起こりません。もしその祈りが利己心から発したものであれば、それはそのままその人の霊格を示すもので、そんな人の祈りで病気が治るものでないことは言うまでもありません。ですが、
自分を忘れ、ひたすら救ってあげたいと言う心情から出たものであれば、それはその人の霊格が高い事を意味し、それほどの人の祈りは高級霊界にも届きますし、自動的に治療効果を生む条件を作り出す力も備わっています。要するに祈る人の霊格によって決まることです」
バートン氏「祈りはその人そのものと言うことでしょうか」
「そう言うことです」
バートン氏「大主教による仰々しい祈りよりも素朴な人間の素朴な祈りの方が効果があると言うことでしょうか」
「地位には関係がありません。肝心なのは祈る人の霊格です。大主教が霊格の高い人であればその祈りには霊力が具わっていますが、どんな立派な僧衣をまとっていても、筋の通らない教義に凝り固まった人間でしたら何の効果もないでしょう。
もう一ついけないのは集団で行う紋切り型の祈りです。案外効果は少ないものです。要するに神は肩書や数ではごまかされないと言うことです。祈りの効果を決定づけるのは祈る人の霊格です。祈りとは本来、自分の波長を普段以上に高めるための霊的な行為です。波長を高め、人の為に役立ちたいと祈る行為はそれなりの効果を生み出します。あなたが抱える問題について神は先刻ご承知です。
神は宇宙の大霊であるが故に宇宙間の出来ごとの全てに通じておられます。神とは大自然の摂理の背後の叡知です。従ってその摂理をごまかすことは出来ません。神をごまかすことは出来ないのです。あなた自身さえごまかすことは出来ません」
バートン夫人「治療の話に戻りますが、患者が信仰心を持つことが不可欠の要素だと言う人がいますし、関係ないと言う人もいます。どうなのでしょうか」
「心霊治療に限らず霊的なことには奥には奥があって、一概にイエスともノーとも言い切れないことばかりなのです。信仰心があった場合治り易いことは確かにあります。霊的知識に基づいた信仰心は魂が自我を見出そうとする一種の憧憬ですから、魂に刺激を与えます。あくまで自然の摂理に関する知識に基づいた信仰でして、魂が治る段階まで達しておれば、必ず治ります」
バートン夫人「神も仏もないと言っている人が治り、立派な心がけの人が治らないことがあって不思議に思う事があります」
「その線引きは魂の霊格によって決まります。人間の観察はとかく表面的で内面的でないことを忘れてはなりません。魂そのものが見えない為に、その人がそれまでにどんなことをしてきたかが判断できません。
治療の結果を左右するのはあくまでも魂です。ご承知の通り私も何千年か前に地上で幾ばくかの人間生活を送ったことがあります。そして死後こちらでそれより遥かに永い霊的生活を送ってきましたが、その間、私が何にもまして強く感じていることは、大自然の正確無比なことです。知れば知る程その正確さ、その周到さに驚異と感嘆の念を強くするばかりなのです。
一分の狂いも不公平もありません。地上だけではありません。私達の世界でも同じです。差引勘定をしてみればちゃんと答えが合います。何事も憂えず、ただひたすら心に喜びを抱いて、奉仕の精神に徹して仕事をなさることです。そして後のことは神にお任せすることです。
それから先のことは人間の及ぶことではないのです。あなた方は所詮、私たちスピリットの道具に過ぎません。そして私たちも又、さらに高い神霊界のスピリットの道具に過ぎません。自分より偉大なる力が全てを佳きに計らってくれているのだと信じて、全てをお任せすることです」
最後に、別の日の交霊会で再び心霊治療の話題が取り上げられた時の注目すべき霊言を紹介しておこう。パキスタンから招待された人が〝見たところ何でもなそうな病気がどうしても治らないことがあるのはなぜでしょうか〟と尋ねられたことに対して、シルバーバーチはこう答えた。
「不治の病と言うものはありません。全ての病気にそれなりの治療法があり」ます。宇宙は単純にして複雑です。深い奥行きがあるのです。法則の奥に又法則があるのです。知識は新しい知識へ導き、その知識がさらに次の知識へと導きます。摂理には際限がありません。叡知は無限です。
こう申し上げるのは、いかなる質問にも簡単な答えは出せないと言うことを知って頂きたいからです。全ては魂の本質、その構造、その進化、その宿命に関ることだからです。地上の治療家から良くこう言う言い分を聞かされます〝この人が治ったのになぜあの人は治らないのですか。愛と、治してあげたいと言う気持ちがこれだけあるのに治らなくて、愛も感じない、見ず知らずの人が簡単に治ってしまうことがあるのは何故ですか〟と。
そうしたことは全て法則によって支配されているのです。それを決定づける法則は魂の進化と関係しており、魂の進化は現在の地上生活によって定まるだけでなく、しばしば前世での所業が関っている事があります。霊的な問題は地上的な尺度では測れません。人生の全てを物質的な尺度で片付けようとすると誤ります。しかし残念ながら、物質の中に閉じ込められているあなた方は、とかく霊の目を持って判断することが出来ず、そこで、一見したところ不正と不公平なことばかり目につくことになります。
神は完全なる公正です。神の叡知は完全です。なぜなら完全なる摂理として作用しているからです。あなた方の理解力が一定の尺度に限られている以上、宇宙の全組織を極めることは不可能です。どうか〝不治の病〟と言う観念はお持ちにならないでください。
そう言うものは存在しません。治らないのは往々にしてその人の魂がまだそうした治療による苦しみの緩和、軽減、安堵、ないしは完治を手にする資格を身につけていないからであり、そこに宿業(カルマ)の法則が働いていると言うことです。
こんなことを申し上げるのは、あきらめる観念を吹聴する為ではありません。たとえ目に見えなくとも、何事にも摂理と言うものが働いているいと言う原則を指摘しているのです」
第3章 自分の責任・他人の責任
熱心なスピリチュアリストである実業家がある交霊会で質問した。
・・・背後霊や友人(の霊)に援助を要求するにはどの程度まで許されるのでしょうか
「生身の人間である霊媒との接触によって仕事をしている私どもは、地上生活における必要性、習慣、欲求と言ったものを熟知していなければなりません。物的必要性について無頓着ではいられません。現実に地上で生きている人間を扱っているからです。
結局のところ霊も肉体も神の僕です。霊の宿である肉体には一定の必需品があり、一定の手入れが必要であり、宇宙と言う機構での役割を果たす為の一定の義務と言うものがあります。
肉体には太陽光線が必要であり、空気が必要であり、着るものと食べるものが要ります。それを得る為には地上世界の通貨(コイン)であるお金が必要です。そのことはよく承知しております。(シルバーバーチは口癖のように〝奉仕は霊のコインである〟と言っている。それになぞらえている)
霊も肉体も神の僕と申し上げましたが、両者について言えば霊は主人であり肉体はその主人に仕える僕です。それを逆に考えることは大きな間違いです。あなた方は本質的には霊なのです。それが潜在的に神性を宿していると言われる所以です。つまり宇宙の大霊をミニチュアの形で宿していることになります。
宇宙と言う大生命体を機能させている偉大な創造原理があなた方一人一人にも宿っているのです。意識を持った存在としての生を受けたと言うことが、神的属性の全てが内部に宿っていることを意味します。
全生命を創造し、宇宙のありとあらゆる活動を維持せしめている力があなた方にも宿っており、その無尽蔵の貯蔵庫の中から必要なものを引き出すことが出来るのです。
その為には平静さが必要です。いかなる事態にあっても心を常に平静に保てるように成れば、その無尽蔵のエネルギーが湧き出てきます。それは霊的なものですから、あなたが直面するいかなる困難、いかなる問題をも克服することが出来ます。
それに加えて背後霊の愛と導きがあります。困難が生じた時は平静な受身の心になるように努力なさることです。そうすればあなた自身の貯蔵庫から・・・未だ十分に開発されていなくても・・・必要な解答が湧き出てきます。きっと得られます。
吾々はみな進化の過程に在る存在である以上、その時のあなたの発達程度いかんによっては十分なものが得られないことがあります。が、その場合も又慌てずに援助を待つことです。今度は背後霊が何とかしてくれます。
求めるものが正しいか間違っているかは、単なる人間的用語の問題に過ぎません。私達から見て大切なのは動機です。
いかなる要求をするにせよ、私達が第一に考慮するのはその動機なのです。動機さえ真摯であれば、つまりその要求が人の為に役立つことであり、理想に燃え、自分への利益を忘れた無私の行為であれば、決して、無視されることはありません。
それはすなわち、その人がそれまでに成就した霊格の表れですから、祈ると言う行為そのものがその祈りへの回答を生み出す原理を作用させております」
ここでメンバーの一人が、学識もあり誠実そのものの人でも取り越し苦労をしていることを述べると
「あなたは純粋に地上的な学識と霊的知識とを混同しておられるのではないでしょうか。霊的実在についての知識の持ち主であれば、何の心配の必要もないことを悟らねばなりません。人間としての義務を誠実に果たして、しかも何の取り越し苦労もしないで生きていくことは可能です。
義務に無頓着であっても宜しいと言っているのではありません。かりそめにも私はそんな教えは説きません。むしろ私は、霊的真理を知るほど人間としての責務を意識するように成ることを強調しております。しかし心配する必要などどこにもありません。霊的成長を伴わない知的発達もあり得ます」
・・・あからさまに言えば、取り越し苦労性の人は霊的に未熟と言うことでしょうか。
「その通りです。真理を悟った人間は決して取り越し苦労はしません。なぜなら人生には神の計画が行き渡っていることを知っているからです。真面目で、正直で、慈悲心に富み、とても無欲の人でありながら、人生の意義と目的を悟るほどの霊的資質を身につけていない人がいます。無用の心配をするということのそのことが霊的成長の欠如の指標と言えます。
例え僅かでも心配の念を抱くと言うことは、まだ魂が本当の確信を持つに至っていないことを意味するからです。もし確信があれば心配の念は出てこないでしょう。偉大なる魂は泰然自若の態度で人生に臨みます。確信があるからです。その確信は何ものによっても動揺することはありません。このことだけは絶対に譲歩する訳にはいきません。なぜなら、それが私達の霊訓の土台とあらねばならないからです」
・・・例えば50人の部下がいて、その部下たちが良からぬことをしたとします。その場合は気苦労の種になってもやむを得ないように思いますが・・・
「責任は個々において背負うと言うのが摂理です。摂理のもとにおいては、あなたは他人の行為に責任を背負うことはありません」
・・・文明社会においては責任を背負わざるを得ないことがあるでしょうか。
「文明は必ずしも摂理に叶ったものではありません。摂理は完全です。機能を中止することはありません。適確さを欠くこともありません。間違いを犯すこともありません。あなたには自分のすること、自分の言うこと、自分の考えることに責任があります。
あなたの成長の指標が魂に刻まれているからです。従って他人の魂のすることに責任を負うことは出来ません。それが摂理です。もしそうでなかったら神の公正が神の絶対性を欠くことになります」
・・・もし私がある人をそそのかし、その人が意志が弱くてそれを実行した場合、それでも私には責任が無いでしょうか。
「その場合はあります。他人をそそのかして悪いことをさせた責任があります。それはあなたの責任です。
一種の連鎖反応を起こさせたことになります。何事も動機が考慮されます。私は決して自分以外の人に無頓着になれと言っているのではありません。魂がある段階の偉大さを身につければ、自分の責任を自覚するようになり、やってしまったことはやってしまったこと・・・自分が責を負うことしかないと深く認めるように成るものなのです。
一旦その段階まで到達すれば、何事につけ自分にできる範囲で最善を尽くし、これで良いという確信を持つようになります」
・・・自分で理解している限りの摂理に従っておればのことですか。
「いいえ、(摂理をどう理解しているかに関係なく)原因と結果の法則は容赦なく展開していきます。その因果関係に干渉できる人はいません。その絶対的な法則と相容れないことが起きるかのように説く教説、教理、教訓は間違っております。原因と結果の間にはいかなる調停も赦されません。
あなた自身の責任を他人の肩に背負わせる手段はありませんし、他人の責任があなたの肩に背負わされることもあり得ません。各自が各自の人生の重荷を背負わねばなりません。そうあって初めて正直であり、道徳的であり、倫理的であり、公正であると言えます。それ以外の説はすべて卑劣であり、臆病であり、非道徳的であり、不公平です。摂理は完璧なのです」
・・・広い意味において人間は他の全ての人に対して責任があるのではないでしょうか。世の中を住みよくしようとするのは皆の責任だからです。
「おっしゃる通りです。その意味においては皆に責任があります。同胞としてお互いがお互いの番人であると言えます。なぜなら人類全体は〝霊の糸〟によって繋がっており、それが一つに結びつけているからです。しかし責任とは本来、自分が得た知識の指し示すところに従って人の為に援助し、自分を役立て、協力し合うと言うことです。然るに知識は一人一人異なります。従って他人が他人の知識に基づいて行ったことに自分は責任が無いことになります。
しかしこの世は自分一人ではありません。お互いが持ちつ持たれつの生活を営んでおります。全ての生命が混ざり合い、融合し合い、調和し合っております。その全てが一つの宇宙の中で生きている以上、お互いに影響を与えあっております。だからこそ知識に大きな責任が伴うのです。知っていながら罪を犯す人は、知らずに犯す人より重い責任を取らせます。
その行為がいけないことであることを知っていると言うことが罪を増幅するのです。霊的向上の道は容易ではありません。
知識の受容力が増したことは、それだけ大きい責任を負う能力を身に付けたことであらねばならないのです。幸と不孝、これはともに神の僕です。一方を得ずして他方を得ることは出来ません。高く登れば登るほど、それだけ低く落ちると言うこともあると言うことであり、低く落ちれば落ちるほど、それだけ高く登る可能性があることを意味します。それは当然のことでしょう」
その日の交霊会には二人の息子を大戦で失った実業家夫婦が招待されていた。その二人にシルバーバーチは次のような慰めの言葉を述べた。
「霊の力に導かれた生活を送り、今こうして磁気的な通路(霊媒)によって私どもの世界とつながりを持ち、自分は常に愛によって包まれているのだと言う確信を持って人生を歩むことが出来る方をお招きすることは、私どもにとって大いに喜ばしいことです。
お二人は神の恵みをふんだんに受けておられます。悲しみの中から叡知を見出されました。眠りの後に大いなる覚醒を得られました。犠牲の炎によって鍛えられ清められて、今尚二人の魂が本当の自我に目覚めておられます。
お二人は悲痛の淵まで下りられました。魂が謀反さえ起こしかねない厳しい現実の中で人間として最大の悲しみと苦しみを味わわれました。しかしその悲痛の淵まで下りられたからこそ喜びの絶頂まで登ることも出来るのです。〝ゲッセマネの園〟と〝変容の丘〟は魂の体験という一本の棒の両端です。一方がなければ他方もあり得ません。
苦痛に耐える力は深遠な霊的真理を理解する力と同じものです。悲しみと喜び、闇と光、嵐と好天、こうしたものは全て神の僕であり、その一つ一つが存在価値を持っているのです。
魂が真の自我に目覚めるのは、存在の根源が束の間の存在である物的なものに在るのではなく永遠に不変の霊的なものに在ると悟った時です。地上的な財産にしがみつき、霊的な宝をないがしろにする者は、いずれ、この世的財産は色褪せ錆つくものであることを思い知らされます。
霊的成長による喜びこそ永遠に持続するものです。今こそあなた方お二人は真の自我に目覚められ、霊界の愛する人々とのつながりが一層緊密になって行く道にしっかりと足を踏まえられました。
御子息がふたりとも生気はつらつとして常にあなた方のお側にいることを私から改めて断言いたします。昼も夜も、一時としてお側を離れることはありません。自ら番兵のつもりでお二人を守り、害が及ばない様に見張っております。
と言ってお二人のこれからの人生に何の困難も生じないと言う意味ではありません。そう言うことは有り得ないことです。なぜなら人生とは絶え間ない闘争であり、障害の一つ一つを克服していく中に個性が伸び魂が進化するものだからです。
いかなる困難も、いかなる苦難も、あなた方を包んでいる愛の力によって駆逐できないものはありません。それはみな影であり、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。訪れては去っていく影に過ぎません。
悲劇と悲しみをもたらしたものは全て、あなたのもとを通りすぎて行きました。前途に横たわっているのは豊かな霊的冒険です。あなた方の魂を豊かにし、今学びつつある永遠の実在に一段と近づけてくれるところの驚異に満ちた精神的探検です。
お二人がこれまで手を取り合って生きてこられたのも、一つの計画、悲しみが訪れて初めて作動する計画を成就するためです。そうした営みの中でお二人は悲しみと言うものが仮面を冠った霊的喜悦の使者であることを悟るという計画があったのです。悲しみは仮面です。本当の中味は喜びです。仮面を外せば喜びが姿を見せます。
どうかお二人の生活を美しさと知識、魂の豊かさで満たして下さい。魂を本来の豊かさの存在する高所まで舞い上がらせて下さい。そこにおいて本来の温もりと美しさと、光沢を発揮されることでしょう。魂が本来の自我を見出した時は、神の御心と一体であることをしみじみと味わい不動の確信に満たされるものです。
私達の述べることの中にもしあなた方の理性に反すること、叡知と相容れないように思えることがあれば、どうか受け取ることを拒否なさってください。良心の命令に背いてはいけません。自由意志を放棄なさってはいけません。私達は何一つ押し付けるつもりはありません。強要するものは何一つ有りません。
私達が求めるのは協調です。ご自分で判断されてこうすることが正しく且つ当然であるという認識のもとに、そちらから手を差しのべて協力して下さることを望みます。理性をお使いになったからと言って些かも不愉快には思いません。その挙句に魂の属性である知性と理性とがどうしても納得しないと言うことであれば、それは私達はあなた方の指導霊としては不適格であると言うことです。
私は決して盲目の信仰、無限の服従は強要いたしません。それが神が自分に要求しておられることであることを得心するが故に、必要とあらば喜んで身を捧げる用意の在る、そう言う協力者であることを望みます。
それを理想とする限り、私達の仕事に挫折はありません。ともに神の使い手として手を取り合って進み、神の御心を日常の中で体現し、吾々の援助を必要とする人、それを受け入れる用意の在る人に手を差しのべることが出来るのです」
そしてその日の交霊会を次の言葉でしめくくった。
「始まりも終りもない力、無限にして永遠なる力に見守られながら本日も又、開会した時と同じ気持ちで閉会致しましょう。神の御力の尊厳へ敬意を表して、深く頭を垂れましょう。その恵みをお受けする為に、一時の間をおきましょう。その栄光をわが身に吸い込み、その光輝で我身を満たし、その御力で我が身を包みましょう。
無限の叡知で私達を導き、自発的な奉仕の精神の絆の中で私達を結びつけようとなさる神の愛を自覚致しましょう。かくして私達は意義ある生活を送り、一段と神に近づき、その無限なる愛の衣が私達を、時々刻々、温かく包んでくださっていることを自覚なさることでしょう」
第4章 ジョン少年との対話
第1節 人間の目と霊の目
11歳のジョン君にとってこれが最初の交霊会だった。幼い時に妹を失い、今度は父親を不慮の事故で失って母親と二人きりとなったが、母親がシルバーバーチを通じて聞いた二人からのメッセージを何時もジョン君に語っていたので、11歳の少年ながら、すでに死後の世界の存在を自然に信じるようになっていた。
まずシルバーバーチからお父さんと妹がここに来ていますよといい、二人ともジョン君と同じようにわくわくしていると言うと、
ジョン「僕は妹のことをよく知らないんです」
「でも妹の方はジョン君のことをよく知っておりますよ」
ジョン「僕がまだちっちゃかった時に見たきりだと思います」
「いいえ、そのちっちゃい時から今のように大きくなるまで、ずっと見て来ております。ジョン君にはみえなくても、妹の方からはジョン君が良く見えるんです。同じように二つの目をしていても、ジョン君とは全く違う目をしています。壁やドアを突き通してみることが出来るんですから」
ジョン「そうらしいですね。僕知っています」
「ジョン君のような目を持っていなくても、よく見えるんです。霊の目で見るのです。霊の目で見るとはるか遠い先まで見えます」
第2節 霊に年齢は無い
ジョン「今妹は幾つになったのですか」
「それはとても難しい質問ですね。なぜ難しいかを説明しましょう。私達霊の成長のしかたはジョン君達とは違うのです。誕生日と言うものが無いのです。年が一つ増えた、二歳になった、と言う言い方はしないのです。そう言う成長のし方をするのではなく、霊的に成長をするのです、言いかえれば完全(パーフィクト)へ向けて成長するのです」
ジョン「パーフィクトと言うのは何ですか」
「パーフィクトと言うのは魂の中のものが全て発揮されて、欠点も弱点もない、一点非の打ちどころのない状態です。それがパーフィクトです」
ジョン「言いかえればピースですか」
(Peaceには戦争に対する平和と言う一般的な意味以外に、日本語で旨く表現できない精神的な意味が幾つかある。ここでは悟り、正覚と言った意味であるが、少年がその様な難解な意味で使うのはおかしいし、さりとて平和の意味でもないので、言語のままにしておいた。多分何の悩みも心配もないことを言っているのであろう)
「そうです。パーフィクトになればピースが得られます。しかし実を言うと〝これがパーフィクトです〟と言えるものは存在しないのです。どこまで到達しても、それは永遠に続く過程の一つの段階に過ぎないのです。何時までも続くのです。終りと言うものが無いのです」
第3節 死は悲しいことではない
ジョン「でもパーフィクトに手が届いたらそれで終わりになる筈です」
「パーフィクトには手が届かないのです。何時までも続くのです。これはジョン君には想像も出来ないでしょうね。でも本当にそうなのです。霊的なことは始まりも終りもないのです。ずっと存在してきて、休みなく向上していくのです。
ジョン君の妹も大きくなっていますが、地上のように身体が大きくなったのではなくて、精神と霊が大きくなったのです。成熟したのです。内部にあったものが開発されたのです。発達なのです。でも身体のことではありません。幾つになったかは地上の年齢の数え方しか言えません。
そんなことよりジョン君に知って欲しいことは、もう分ってきたでしょうけれど、妹とお父さんはいつも側にいてくれていると言うことです。これはまだまだ知らない人が多い大切な秘密です。何時も一緒にいてくれているのです。
ジョン君を愛し力になってあげたいと思っているからです。こんなことを人に話しても信じてくれませんよね? みんな目に見えないものは存在しないと思っているからです。このことを理解しない為に地上では多くの悲しみが生じております。
理解すれば死を悲しまなくなります。死ぬことは悲劇ではないからです。後に残された家族には悲劇となることがありますが、死んだ本人にとっては少しも悲しいことではありません。新しい世界への誕生なのです。全く新しい生活の場へ向上していくことなのです。ジョン君もそのことをよく理解して下さいね。妹のことは小さい時に見たことがあるからよく知っているでしょう」
ジョン「今この目で見て見たいです」
「目を閉じれば見えることがあると思いますよ」
ジョン「この部屋にいる人が見えるようにですか」
「全く同じではありません。さっきも言った様に〝霊の目〟で見るのです。霊の世界のものは肉眼では見えません。同じように霊の世界の音は肉体の耳では聞こえません。今お父さんがとても嬉しいとおっしゃっていますよ。勿論お父さんはジョン君のことを何でも知っています。何時も面倒を見ていて、ジョン君が正しい道から反れないように導いているからです」
第4節 考えることにも色彩がある
ジョン「僕に代わって礼を言って下さいね」
「今の言葉はちゃんとお父さんに聞こえていますよ。ジョン君にはまだちょっと理解は無理かな? でもジョン君がしゃべること、考えていることも、みなお父さんには分るのです。フラッシュとなってお父さんの所へ届くのです」
ジョン「どんなフラッシュですか」
「ジョン君が何か考えるたびに小さな光が出るのです」
ジョン「どんな光ですか。地上の光と同じですか。僕たちの目には見えないのでしょうけど、マッチを擦った時に出るフラッシュの様なものですか」
「いえ、いえ、そんなものじゃなくて、小さな色のついた明りです。ローソクの明りに似ています。でもいろいろな色があるのです。考えの中味によってみな色が違うのです。地上の人間の思念はその様に色彩となって私達のところへ届くのです。
私達には人間が色彩の固まりとして映ります。いろいろな色彩をもった一つの固まりです。訓練の出来た人なら、その色彩の一つ一つの意味を読み取ることが出来ます。と言うことは隠しごとは出来ないと言うことです。その色彩が人間が考えていること、欲しがっているもの、そのほか何もかも教えてくれます」
第5節 スピリチュアリズムはなぜ大切か
ジョン「スピリチュアリズムについて知るとどういう得をするでしょうか」
「知識は全て大切です。何かを知れば、知らないでいる時よりその分だけ得をします。知らないでいることは暗闇の中を歩くことです。ジョン君はどっちの道を歩きたいですか」
ジョン「光の中です」
「でしたら少しでも多くを知らなくてはいけません。知識は大切な財産です。なぜならば、知識からは生きる為の知恵が生れるからです。判断力が生れるからです。知識が少ないと言うことは持ち物が少ないと言うことです。分りますね。
ジョン君は今地球と言う世界に住んでいます。自分では地球と言う世界が広いと思っていても、宇宙全体から見ればほんのひとかけら程の小さな世界です。その地球上に生れたと言うことは、その地球上の知識を出来るだけ多く知りなさいと言うことです。それは次の世界での生活に備えるためです。
さてスピリチュアリズムのことですが、人生の目的は何かを知ることはとても大切なことなのです。なぜなら、人生の目的を知らないと言うことは何のために生きているのかを知らずに生きていることになるからです。そうでしょう。
ジョン君のお母さんは前よりずっと幸せです。なぜなら、亡くなったお父さんや妹のことについて正しい知識を得たからです。そう思いませんか」
ジョン「そう思います。前よりも助けられることが多いです」
「ほらジョン君の質問に対する答えがそこにあるでしょう? さて次の質問は」
第6節 原子爆弾は善か悪か(本書の出版は1952年)
ジョン「地上の人間が発明するものについて霊の世界の人達はどう思っていますか。例えば原爆のこと何かについて」
「これは大きな質問をされましたね。地上の人達がどう考えているかは知りませんが、私が考えていることを正直に申しましょう。
地上の科学者たちは戦争の為に実験と研究にはっぱをかけられ、その結果として原子エネルギーと言う秘密を発見しました。そしてそれを爆弾に使用しました。
しかし本当はその秘密は人間が精神的、霊的にもっと成長してそれを正しく扱えるようになってから発見すべきだったのです。もう後100年から200年後に発見しておれば地上人類も進歩していて、その危険な秘密の扱い方に手落ちが無かったでしょう。
今の人類はまだうっかりの危険性があります。原子エネルギーは益にも害にもなるものを秘めているからです。ですから、今の質問に対する答えは、地上人類が精神的、霊的にどこまで成長するかに掛っています。分りますか」
ジョン「最後におっしゃったことが良く分りません」
「では説明の仕方を変えてみましょう。原子エネルギーの発見は時期が速すぎたと言うことです。人類全体としてまだ自分たちが発見したものについて正しく理解する用意が出来ていなかったために、それが破壊の目的の為に使用されてしまったのです。もしも十分な理解が出来ていたら、有効な目的の為に利用されたことでしょう。
そこで最初の質問に戻りますが、もしも地上の科学者の全てが正しい知識、霊的なことについての正しい知識を持っていれば、そうした問題について悩むことも無かったでしょう。出てくる答えは決まっているからです。霊的な理解力が出来ていれば、その発見の持つ価値を認識し、その応用は人類の福祉の為と言う答えしか出てこないからです」
ジョン「それが本当にどんなものであるかが分ったら、ただしい道に使う筈です」
「その通りです。自分の発明したものの取り扱いに悩むと言うことは、まだ霊的理解力が出来ていないと言うことです」
第7節 幽霊と霊との違い
ジョン「幽霊と霊とはどう違うのですか」
「これはとてもいい質問ですよ。幽霊も霊の一種です。が、霊が幽霊になってくれては困るのです。
地上の人達が幽霊と呼んでいるのは、地上生活がとても惨めだったために何時までも地上の雰囲気から抜け出られない霊が姿を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって強い憎しみや恨みを抱いたその念がずっと残っていて、それが何かの拍子にその霊の姿となって見える場合の、いずれかです。
幽霊騒ぎの原因は大抵最初に述べた霊、つまり地上世界から抜け出られない霊の仕業である場合が多いようです。死んで地上を去っているのに、地上で送った生活、自分の欲望しか考えなかった生活がその霊を地上に縛り付けるのです」
ジョン「もう質問はありません」
「以上の私の回答にジョン君は何点をつけてくれますか」
ジョン「僕自身その答えが分らなかったんですから・・・」
「私の答えが正しかったか間違っているかがジョン君には判らない・・・宜しい!わからなくっても少しもかまいません。
大切なのは次のことです。ジョン君は地上の身近な人達による愛情で包まれているだけではなく、私達霊の世界の者からの大きな愛情によっても包まれていると言うことです。目には見えなくてもちゃんと存在しています。何か困ったことがあったら、私かお父さんか妹か。誰でもいいですから心に念じて下さい。きっとその念が通じて援助に参ります」
別の日の交霊会で同じ原爆の問題が取りあげられ次のような質問が出された。
・・・国家が、そして人類全体が原爆の恐怖に対処するにはどうすればよいでしょうか
「問題のそもそもの根源は人間生活が霊的生活によって支配されずに、明日への不安と貪欲、妬みと利己主義と権勢欲によって支配されていることにあります。残念ながらお互い助け合い協調と平和の中に暮らしたいと言う願望は見られず、我が国を他国より優位に立たせ、他の階層の者を犠牲にしてでも我が階層を豊かにしようとする願望が支配しております。
全ての制度が相も変わらず唯物主義の哲学を土台としております。唯物主義と言う言葉は今日ではかなり影をひそめて来ているかもしれませんが、実質的には同じです。
誰が何と言おうとやはり金と地位と人種がものを言うのだと考えています。そしてそれを土台として全てのものを拵えようとします。永遠の実在が無視されております。人生の全てを目で見、耳で聞き、手で触れ、舌で味わえる範囲の、つまりたった五つの感覚で得られるほんの僅かな体験でもって判断しようとしています。
しかし生命は物質を超えたものであり、人間は土塊やチリだけで出来ているのではありません。化学、医学、原子、こうしたもので理解しようとしても無駄です。生命の謎は科学の実験室の中で解かれる性質のものではありません。魂をメスで切り裂いたり、科学的手段で分析したりすることはできません。
いかなる物的手段によって解明しようとしても、生命を捉えることは出来ません。なのに物質界の大半の人間は(生命を物質と思いこんで)霊的実在から完全に切り離された生活を営んでおります。最も大切な事実、全生命の存在を可能ならしめているところの根源を無視して掛ります。
地上の生命は〝霊〟であるが故に存在しているのです。あなたと言う存在は霊に依存しているのです。実在は物質の中にあるのではありません。その物的身体の中には発見できません。存在の種は身体器官の中を探しても見つかりません。あなた方は今の時点において立派に霊的存在なのです。
死んでこちらへ来てから霊的なものを身につけるのではありません。母体に宿った瞬間からすでに霊的存在であり、どうもがいて見ても、あなたを生かしめている霊的実在から離れることは出来ません。地上の全生命は霊のお陰で存在しているのです。霊なしには生命は存在しません。なぜなら生命とはすなわち霊であり、霊とはすなわち生命だからです。
死人が生き返っても尚信じようとはしない人は別として、その真理を人類に説き、聞く耳を持つ者に受け入れられるように、何らかの証拠を提供することが私どもの使命の大切な一環なのです。
人間が本来は霊的実在であると言う事実の認識が人間生活において支配的要素とならない限り、不安の種は尽きないでしょう。今日は原爆が不安の種ですが、明日はそれよりさらに恐ろしい途方もないものとなるでしょう(水爆、さらにはレーザー兵器のことを言っているのであろう)が、地上の永い歴史を見れば、力による圧政はいずれ挫折することは明らかです。
独裁的政治は幾度か生れ、猛威をふるい、そして消滅して行きました。独裁者が永遠に王座に君臨することは有り得ないのです。霊は絶対であり天与のものである以上、初めは抑圧されても、何時かはその生特権を主張するようになります。
魂の自由性fredom(*)を永遠に束縛することは出来ないのです。魂の自在性liderty(*)を永遠に拘束しつづけることも出来ません。自由性と自在性は共に魂が決して失ってはならない大切な条件です。人間はパンのみで生きているのではありません。物的存在以上のものなのです。
精神と魂とを持つ霊なのです。人間的知性ではその果てを計り知ることの出来ない巨大な宇宙の中での千変万化の生命現象の根源的要素である霊と全く同じ不可欠の一部なのです。
(freedomとlidertyは英語において共通性の多い単語で、日本語訳でもその違いが曖昧であるが、私はここではfreedomとは外部からの束縛が無いと言う意味での自由性、lidertyとは内部での囚われが無いとの意味で自在性と訳した)
以上の様な真理が正しく理解されれば、全ての恐怖と不安は消滅する筈です。来る日も来る日も煩悶と恐れを抱き明日はどうなるだろうかと不安に思いながら歩む事が無くなるでしょう。霊的な生得権を主張するようになります。なぜなら霊は自由の陽光の中で生きるべく意図されているからです。内部の霊的属性を存分に発揮すべきです。
永遠なる存在である霊が閉じ込められ制約され続けることは有り得ないのです。何時かは束縛を突き破り、暗闇の中で生きることを余儀なくさせている障害の全てを排除していきます。正しい知識が王座に君臨し無知が迷走してしまえば、もはや恐怖心にかられることも無くなるでしょう。
ですからご質問に対する答えは、とにもかくにも霊的知識を広めることです。全ての者が霊的知識を手にすれば、きっとその中から、その知識がもたらす責務を買って出る者が出てくることでしょう。不安の種が尽きない世界に平和を招来する為には霊的真理、視野の転換、霊的摂理の実践をおいて他に手段はありません」
第8節 真理普及は厳粛な仕事
「ストレスと難問の尽きない世界にあっては、正しい知識を手にした者は真理の使節としての自覚を持たねばなりません。残念ながら、豊かな知識を手にし、悲しみの中で大いなる慰めを得た人が、その本当の意義を取り損ねていることがあります。霊媒能力は神聖なるものです。
いい加減な気持ちで携ってはならない仕事なのです。ところが不幸にして大半と言ってよい霊媒が自分の能力を神聖なるものと自覚せず、苦しむ者、弱きもの、困窮せる者の為に営利を度外視してわが身を犠牲にすると言うところまで行きません。
また、真理の啓示を受けた者・・・永い間取り囲まれていた暗闇を突き破って目も眩まんばかりの真理の光に照らされて目覚めた筈の人間の中にさえ、往々にして我欲が先行し滅私の観念が忘れ去られて行くものです。まだまだ浄化が必要です。
まだまだ精進が足りません。まだまだ霊的再生が必要です。真理普及の仕事を託された者に私が申し上げたいのは、現在の我が身を振り返ってみて、果たして自分は頭初のあの純粋無垢の輝きを失いかけていないか、今一度、その時の真摯なビジョンに全てを捧げる決意を新たにする必要はないか。
時の流れと共に煤けてきた豊かな人生観の煤払いをする必要はないか。そう反省して見ることです。霊力の地上への一層の顕現の道具として己の全生活を捧げたいという熱意にもう一度燃えて頂きたいのです」
第5章 老スピリチュアリストとの対話
英国のみならず広く海外でも活躍している古くからのスピリチュアリスト(*)が招待され、シルバーバーチは「霊的知識に早くから馴染まれ、その道を一途に歩まれ、今や多くの啓示を授かる段階まで到達された人」として丁重にお迎えした。
(名前は紹介されていない。推測する手掛かりも見当たらない。霊言集にはこの様に名前を明かしてもよさそうなのに、と思えるケースが良くあるが、多分、公表は控えてほしいとの本人の要望があるのであろう。これもシルバーバーチの影響かもしれない)
シルバーバーチ「思えば長い道のりでした。人生の節目が画期的な出来事によって織りなされております。しかし、それも全て、一つの大きな計画のもとに愛によって導かれていることをあなたはご存じです。暗い影のように思えた出来事も、今から思えば計画の推進に不可欠の要素であったことが分ります。あなたがご自分の責務を果たすことが出来たのは、あなた自身の霊の感じる衝動に暗黙のうちに従っておられたからです。
これより先、その肉体を大地にお返しになられるまでにあなたの課せられた仕事は、とても意義深いものです。これまで一つ一つの階段を追って多くの啓示に接してこられましたが、これから先さらに多くの啓示をお受けになられます。
これまではその幾つかをおぼろ気に垣間見てこられたのであり、光明の全て、啓示の全てが授けられたわけではありません。それを手にされるには、ゆっくりとした発達と霊的進化が必要です。私の言わんとするところがお分かりでしょうか」
「よく分ります」
シルバーバーチ「これは一体どういう目的があってのことなのか、あなたはよくそう自問してこられましたね」
「目的があることは感じ取れるのです。目的があること自体を疑ったことはありません。ただ、自分の歩んでいる道のほんの先だけでいいから、それを照らしてくれる光が欲しいのです」
シルバーバーチ「あなたは大人の霊です。地上へ来られたのはこの度が最初ではありません。それは分っておられますか」
「そのことについてはある種の自覚を持っております。ただ、今ここで触れるつもりはありませんが、それとは別の考えがあって、何時もそれと葛藤が生じます」
シルバーバーチ「私にはその葛藤が良く理解できます。別にむずかしい問題ではありません。その肉体を通して働いている意識と、あなたの本来の自我である、より大きな側面との間の葛藤です。有象無象のこの世的雑念から離れて霊の力に満たされると、魂が本来の意識を取り戻して、日常の生活において五感の水際に打ち寄せてしきりに存在を認めてほしがっていた、より大きな自我との接触が得られます。
先ほどおっしゃった目的のことですが、実は霊の世界から地上へ引き返し地上人類の為に献身している霊の大軍を鼓舞し動かしている壮大な目的があるのです。未知の海の知識を投入すること、それが目的です。暗闇に迷う魂の為に灯火を掲げ、道を見失える人々、悩める人々、安らぎを求める人々に安息の港、聖なる避難所の存在を教えてあげることです。私達を一つに団結させている大いなる目的です。
宗教、民族、国家、その他ありとあらゆる相違を超越した大目的なのです。その目的の中にあってあなたもあなたなりの役目を担っておられます。そしてこれまで多くの魂の力になってこられました」
「ご説明いただいて得心が行きました。お礼申し上げます」
シルバーバーチ「私達が何時も直面させられている問題が二つあります。一つは惰眠をむさぼっている魂に目を覚まさせ、地上で為すべき仕事は地上で済ませるように指導すること。もう一つは目覚めてくれたのは良いとして、まずは自分自身の修養を始めなければならないのに、それを忘れて心霊的な活動に夢中になる人間を迎えることです。神は決してお急ぎにはなりません。
宇宙は決して消滅してしまうことはありません。法則も決して変わることはありません。じっくりと構え、これまでに啓示されたことは、これからも啓示されて行く事がある事の証明として受け止め、自分を導いてくれている愛の力は自分が精いっぱいの努力を怠りさえしなければ、決して自分を見捨てることは無いとの信念に燃えなくてはいけません」
実はこの老スピリチュアリストは今回の交霊会に備えて三つの質問を用意していた。その解答を紹介しておく。
「私の信じるところによれば人間は宇宙の創造主である全知全能の神の最高傑作であり、形態ならびに器官の組織において大宇宙のミクロ的表現であり、各個が完全な組織を具え、特殊な変異は生まれません。しかし、その各個の明確な個性、顔つきの違い、表情の違い、性向の違い、その他、知性、身振り、声、態度、才能の差異も含めた一人一人の一見して区別出来る個性を決定づける要因は何なのでしょうか」
シルバーバーチ「これは大変な問題ですね。まず物質と霊、物質と精神とを混同なさらないでください。人間は宇宙の自然法則に従って生きている三位一体の存在です。
肉体は物的法則に従い、精神は精神的法則に従い、霊は霊的法則に従っており、この三者が互いに協調しあっております。かくして法則の内側に法則があることになり、時には見た目に矛盾しているかに思えても、その謎を解くカギさえ手にすれば本質的には何の矛盾も無いことが分ります。
法則の裏側に法則があると同時に、一個の人間の様々な側面が交錯し融合しあって、常に精神的、霊的、物的の三種のエネルギーの相互作用が営まれております。
そこには三者の明確な区別は無くなっております。肉体は遺伝的な生理的法則に従っておりますし、精神は霊の表現ですが、肉体の脳と五官によって規制されております。つまり霊の物質界での表現は、それを表現する物質によって制約を受けると言う事です。
かくしてそこに無数の変化と組み合わせが生じます。霊は肉体に影響を及ぼし、肉体も又霊に影響を及ぼすからです。これでお分かり頂けるでしょうか」
「大分分かってきました。これからの勉強に大いに役立つと思います。では次の質問に移らさせて頂きます。人間はその始源、全生命の根元から生まれてくるのですが、その根元からどう言う段階を経てこの最低次元の物質界へ下降し、物的身体から分離した後(死後)、今度はどう言う段階を経て向上し、最後に無限なる存在と再融合するのか、その辺のところをお教えいただけませんか」
シルバーバーチ「これもまた大きな問題ですね。でも、これは説明が困難です。霊的生命の究極の問題を物的問題の理解の為の言語で説明する事はとても出来ません。霊的生命の無辺性を完全に解き明かせる言語は存在しません。ただ単的に、人間は霊である、但し大霊は人間ではない、と言う表現しか出来ません。
大霊とは全存在の究極の始源です。万物の大原因であり、大建築家であり、王の中の王です。霊とは生命であり、生命とは霊です。霊として人間は始めも終りも無く存在しています。それが個体としての存在を得るには、地上に限って言えば、母体に宿った時です。物的身体は霊に個体としての存在を与える為の道具であり、地上生活の目的はその個性を発揮させることにあります。
霊の世界への誕生である死は、その個性を持つ霊が、巡礼の旅の第二段階を迎える門出です。つまり霊の内部に宿る全資質を発達、促進、開発させ、完成させ、全存在の始源により一層近づくと言うことです。
人間は霊である以上、潜在的には神と同じく完全です。しかし人間は神の生命の中に吸収されてしまうと言う意味での再融合の時期が到来するとは考えません。神が無限である如く(生命の旅も)発達と完全へ向けての無限の成長過程であると主張するものです」
「よく分ります。お礼申し上げます。次に三つ目の質問ですが。今おっしゃられたことがある程度まで説明して下さっておりますが、人間は個霊として機械的に無限に再生を繰り返す宿命にあると輪廻転生論者がいますが、これは事実でしょうか。
もしそうでないとすれば、最低界である地上へ降りてくるまでに体験した地上以外の複数の前世で蓄積した個性や特質が、今度は死後、向上進化していく過程を促進もし、渋滞もさせると言うことになるのでしょうか。私の言わんとしていることがお分かり頂けますでしょうか」
シルバーバーチ「こうした存在の深奥に触れた問題を僅かな言葉でお答えするのは容易なことではありませんが、まず、正直に申して、輪廻転生論者がどう言うことを主張しているかは私は知りません。が、私個人として言わせて頂けば・・・絶対性を主張する資格も無いからこう言う言い方をするのですが、・・・再生と言うものが事実であることは私も認めます。それに反論する人達と議論するつもりはありません。
理屈でなく、私は現実に再生してきた人物を大勢知っているのです。どうしてもそうしなければならない目的があって生まれ変わるのです。預けた質を取り戻すに行くのです。
ただし再生するのは同じ個体の別の側面です。同じ人物とは申しておりません。一個の人間は氷山のようだと思って下さい。海面上に顔を出しているのは全体のほんの一部です。大部分は海中にあります。地上で意識的生活を送っているのはその海面上の部分だけです。死後再び生れて来た時は別の部分が海面上に顔を出します。
潜在的自我の別の側面です。二人の人物となりますが、実際は一つの個体の二つの側面と言うことです。霊界で向上進化を続けると、潜在的自我が常時発揮されるようになって行きます。再生問題を物質の目で理解しようとしたり判断なさってはいけません。霊的知識の理解から生れる叡知の目で洞察してください。そうすれば得心が行きます」
第6章 婚約者を不慮の事故で失って
映画女優のマール・オペロンには婚約者がいた。そのフィアンセを空港で見送った数秒後にオペロンの人生に悲劇が訪れた。フィアンセを乗せた飛行機が爆発炎上したのである。事故の知らせを聞いて当然のことながらオペロンは茫然自失の状態に陥った。
その後まもなく、ふとしたきっかけでハンネンスワッハーのMy Greatest Story(私にとって最大の物語)と言う本を手に入れ、その中に引用されているシルバーバーチの霊言を読んで心を動かされた。たった一節の霊訓に不思議な感動を覚えたのである。
オペロンはさっそくスワッハーを訪ねて、出来ればシルバーバーチと言う霊のお話を直接聞きたいのですがとお願いした。その要請をスワッハーから聞いたシルバーバーチは快く承諾した。
そして事故からまだ幾日も経ないうちに交霊会に参加するチャンスを得た。その後さらに幾人かの霊媒も尋ねてフィアンセの存続を確信したオペロンは、その霊的知識のお陰で悲しみのどん底から抜け出ることが出来た。では、そのシルバーバーチの交霊会に出席した時の様子を紹介しよう。
当日スワッハーが交霊会の部屋(バーバネルの書斎)へオペロンを案内し、まずシルバーバーチにこう紹介した。
「ご承知と思いますが、この方は大変な悲劇を体験なさったばかりです。非凡な忍耐力を持って耐えていらっしゃいますが本日はあなたのご指導を仰ぎにこられました」
するとシルバーバーチがオペロンに向かってこう語りかけた。
「あなたは本当に勇気のある方ですね。でも勇気だけではだめです。知識が力になってくれることがあります。是非理解して頂きたいのは、大切な知識、偉大な悟りと言うものは悲しみと苦しみと言う魂の試練を通して初めて得られるものだと言うことです。
人生と言うのはこの世だけでなく、あなたがあの世と呼んでおられる世界においても、一側面のみ、一色のみでは成り立たないと言うことです。
光と影の両面が無ければなりません。光の存在を知るのは闇があるからです。暗闇が無ければ光もありません。光だけでは光で無くなり、闇ばかりでは闇で無くなります。同じように、困難と悲しみを通してはじめて魂は自我を見出していくのです。
勿論それは容易なことではありません。とても辛いことです。でもそれが霊としての永遠の身支度をすることになるのです。なぜならば地上生活のそもそもの目的が、地上を去った時に待ち受ける次の段階の生活に備えて、それに必要な霊的成長と才能を身につけることにあるからです。
あなたがこれまでに辿られた道も決して楽な道ではありませんでした。山もあり谷もありました。
そして婚約と言う最高の幸せを眼前にしながら、それが無慈悲にも一気に押し流されてしまいました。あなたは何事も得心がいくまでは承知しない方です。
生命と愛は果たして死後にも続くものなのか、それとも死を持って全てが終わりとなるのか、それを一点の疑問の余地も無い迄得心しないと気が済まないでしょう。そして今あなたは死が全ての終りで無いことを証明するに十分なものを手にされました。
ですが、私の見るところでは、あなたはまだ、本当の得心を与えてくれる事実の全てを手にしたとは思っていらっしゃらない。そうでしょう」
オペロン「おっしゃる通りです」
「こう言うふうに理解なさることです。これが私にできる最大のアドバイスです、吾々も生あるものの全ては、まず第一に霊的存在であると言うことです。霊であるからこそ生きているのです。霊こそ存在の根源なのです。生きとし生けるものが呼吸し、動き、意識を働かせているのは霊だからこそです。
その霊があなた方の言う神であり、私の言う大霊なのです。その霊の一部、つまり神の一部が物質に宿り、次の段階の生活に相応しい力を身につける為に体験を積みます。それはちょうど子供が学校へ行って卒業後の人生に備えるのと同じです。
さてあなたも他の全ての人と同じく一個の霊的存在です。物的なものはその内色褪せ、朽ち果てますが、霊的なものは永遠であり、何時までも残り続けます。物質の上に築かれたものは長続きしません。物質は殻であり、入れ物に過ぎず、実質ではないからです。
地上の人間の大半が幻を崇拝しています。キツネ火を追いかけているようなものです。真実を発見できずに居ます。こうでもない、ああでもないの連続です。本来の自分を見出せずに居ます。
神が愛と慈悲の心から拵えた宇宙の目的、計画、機構の中の一時的な存在として人生を捉え、自分がその中で不可欠の一部であるとの理解がいけば、たとえ身に降りかかる体験の一つ一つの意義は分らなくても、究極において全てが永遠の機構の中に組み込まれているのだと言う確信は得られます。霊に関るものは決して失われません。死は消滅ではありません。
霊が別の世界へ解き放たれる為の手段に過ぎません。誕生が地上へ入る為の手段であれば、死は地上生活から出る為の手段です。あなたはその肉体ではありません。その頭でも、目でも、鼻でも、手足でも、筋肉でもありません。
つまりその生物的集合体ではないのです。それはあなたではありません。あなたと言う別個の霊的存在があなたを地上で表現していく為の手段に過ぎません。それが地上から消滅した後も、あなたと言う霊は存在しつづけます。
死が訪れると霊はそれまで身につけたもの全て、あなたを他と異なる存在たらしめているところの個性的所有物の全てを携えて霊界へ行きます。意識、能力、特質、習性、性癖、さらには愛する力、愛情と友情と同胞精神を発揮する力、こうしたものは全て霊的属性であり、霊的であるからこそ存在するのです。
真にあなたのものは失われません。真にあなたの属性となっているものは失われません。その事をあなたが理解できるかできないかに関らず、そしてまた、確かにその真相の全てを理解することは容易ではありませんが、あなたが愛する人、そしてあなたを愛する人は、今なお生き続けております。得心がいかれましたか?」
オペロン「はい」
「物的なものは全てお忘れになることです。実在ではないからです。実在は物的なものの中には存在しないのです」
オペロン「私のフィアンセは今ここにきておりますでしょうか」
「来ておられます。先週も来られて霊媒を通してあなたに話しかけようとなさったのですが、これはそう簡単に行くものではないのです。ちゃんと話せるようになるには大変な訓練が要るのです。
でも諦めずに続けて出席なさっておれば、その内話せるようになるでしょう。ご想像がつくと思いますが、彼は今のところ非常に感情的になっておられます。まさかと思った最期でしたから感情的になるなと言う方が無理です。とても無理な話です」
オペロン「今どうしているのでしょう。どう言う処にいるのでしょう。元気なのでしょうか」
この質問にシルバーバーチは司会者のスワッハーの方を向いてしみじみした口調で
「この度の事故はそちらとこちらの二人の人間にとって、よほどショックだったようですな。まだ今のところ霊的な調整が出来ておりません。あれだけの事故であれば無理も無いでしょう」と述べてから、再びオペロンに向かって言った。
「私としては若いフィアンセがあなたの身近にいらっしゃることをお聞かせすることが、精一杯あなたの力になってあげることです。彼は今のところ何もなさっておりません。ただお側に立っておられるだけです。
これから交信の要領を勉強しなくてはなりません。霊媒を通じてだけではありません。普段の生活において考えや欲求や望みをあなたに伝えることもそうです。それは大変な技術を要することです。それがマスターできるまで、ずっとお側から離れないでしょう。
あなたの方でも心を平静に保つ努力をしなくてはいけません。それが出来るようになれば、彼があなたに与えたいと望み、そしてあなたが彼から得たいと望まれる援助や指導が確かに届いていることに得心なさるでしょう。よく知っておいて頂きたいのは、そうした交信を伝えるバイブレーションは極めて微妙なもので、感情によってすぐに乱されると言うことです。
不安、ショック、悲しみと言った念を出すと、たちまちあなたの周囲に重々しい雰囲気、交信の障害となる壁をこしらえます。心の静寂を得ることが出来れば、平静な雰囲気を発散することが出来るようになれば、内的な安らぎを得ることが出来れば、それが私達の世界から必要なものをお授けする最高の条件を用意することになります。感情が錯乱している状態では、私達は何の手だしも出来ません。受容性、受け身の姿勢、これが私達があなたに近づくための必須の条件です」
この後フィアンセについて幾つかのプライベートな質問が出された後、シルバーバーチはこう述べた。
「あなたにとって理解しがたいことは、多分、あなたのフィアンセが今はこちらの世界へ来られ、あなたはそちらの世界にいるのに、精神的には私よりもあなたの方が身近な存在だと言うことでしょう。理解出来るでしょうか。彼にとっては霊的なことよりも地上のことの方が気がかりなのです。問題は彼がそのことについて何も知らずにこちらへ来たと言うことです。
一度も意識にのぼったことが無かったのです。でも今ではこうした形であなたが会いに来てくれることで、彼もあなたが想像なさる以上に助かっております。大半の人間が死を最後と考え、こちらへ来ても記憶の幻影の中でのみ暮らして実在を知りません。
その点あなたのフィアンセはこうして最愛のあなたに近づくチャンスを与えられ、あなたも、周りに悲しみの情の壁を拵えずに済んでおられる。そのことを彼はとても感謝しておられますよ」
オペロン「死ぬ時は苦しかったでしょうか」
「いえ何も感じておられません。不意の出来事だったからです。事故のことはお聞きになられたのでしょう」
オペロン「はい」
「あっという間の出来事でした」
スワッハー「そのことはこの方も聞かされております」
「そうでしょう。本当にあっという間のことでした。それだけに永い休養期間が必要なのです」
オペロン「どれくらいかかるのでしょう?」
「そう言う質問にお答えするのがとても難しいのです。と申しますのは私達の世界では地上のように時間で計ると言うことをしないのです。でも、どのみち普通一般の死に方をした人よりは永く掛ります。急激な死に方をした人はみなショックを伴います。何時までも続くわけではありませんが、ショックはショックです。もともと霊は肉体からそう言う離れ方をすべきものではないからです。そこで調整が必要となります」
ここでさらにプライベートな質問があった後
オペロン「彼は幸せと言えるでしょうか。大丈夫でしょうか」
「幸せとは言えません。彼にとって霊界は精神的に居心地が良くないからです。地上に戻ってあなたと一緒になりたい気持ちの方が強いのです。それだけに、あなたの精神的援助が必要ですし、自身の方でも自覚が必要です。これは過度的な状態であり、彼の場合は大丈夫です。霊的に危害が及ぶ心配がありませんし、その内調整が為されるでしょう。
宇宙を創造した大霊は愛に満ちた存在です。私達一人一人を創造して下さったその愛の力を信頼し、全てのことはなるべくしてそうなっているのだと言うことを知らなくてはいけません。
今は理解できないことも、その内明らかになる機会が訪れます。決して口先で適当なことを言っているのではありません。現実にそうだからそう申し上げているのです。あなたはまだ人生を物質的な目で御覧になっていますが、永遠なるものは地上の尺度では正しい価値は分りません。
そのうち正しい視野をお持ちになられるでしょうが、本当に大事なもの、生命、愛、本当の自分、こうしたものは何時までも存在しつづけます。死は生命に対しても愛に対しても、全く無力なのです」
訳者注・・・「本章は不慮の事故死をテーマとしているが、普通一般の死後の問題についてもいろいろと示唆を与えてくれるものを含んでいる。その全てをここで述べる余裕はないが、一つだけ後半のところで〝霊的に危害が及ぶ心配がありませんし〟と述べている点に注釈しておきたい。
これは裏返して言えば霊的に危害が及ぶケースがあると言うことであり、ではその危害とはどんなものかと言うことになる。これを「ベールの彼方の生活」第四巻の中の実例によって紹介しておく。
通信霊のアーネルが何時もの仕事に携っていた時(霊界通信を送るようになる前)あるインスピレーション的衝動にかられて地上へ来て見ると、一人の若い女性が病床で今まさに肉体から離れようとしていた。ふと脇へ目をやると、そこに人相の悪い男の霊が待ち構えている。
アーネルにはその男がこの女性の生涯を駄目にした(多分麻薬か売春の道へ誘い込んだ)因縁霊であると直感し、霊界でも自分達の仲間に引きずり込もうと企んでいることを見てとった。そこで奪い合いとなったが、幸いアーネルが勝ってその身柄を引き取ることが出来、その後順調に更生して、今では明るい世界へ向上していると言う。そのインスピレーションを送ったのは守護霊で、波長が高すぎて返って地上のことには無力な為に、地上波長への切り替えに慣れているアーネルに依頼したのだった。
この実例でお分かりのように、いかなる死に方にせよ、死後無事霊界の生活に正しく順応していくことは必ずしも容易ではないのである。そこには本人自身の迷いがあり、それに付け込んで様々な誘惑があり、また強情を張ったり見栄を捨てきれなかったりして、何時までも地上的名誉心や欲望の中で暮らしている人が実に多いのである。
ではそうならない為にはどう言う心掛けが大切か、これは今さら私から言うまでも無く、それを教えるのがそもそもシルバーバーチ霊団が地上へ降りてきた目的なのである。
具体的なことはこうして霊言集をお読みいただいている方には改めて申し上げるのは控えるが、ただ私から一つだけ付け加えたいことは、あちらへ行って目覚めた時に、必ず付き添ってくれる指導霊の言うことに素直に従うことが何よりも大切だと言うことである」
第7章 難しい質問に答える
「今夜は招待客がいらっしゃらないようですので、一つこの機会に、皆さんが普段持てあましておられる疑問点をお聞きすることにしましょう。やさしい問題はお断りです。今夜に限って難問を所望しましょう」
やさしい真理を平易に説くことをモットーとしているシルバーバーチが、ある日の交霊会の開会と同時にこう切り出した。早速次々と質問が出されたが、その中から興味深いものをいくつか紹介してみよう。
最初の質問は最近ある霊媒による交霊会が失敗した話を持ち出して、その原因について質した。するとシルバーバーチは・・・
「それは霊媒としては修業不足、見知らぬ人を招待して交霊会を開くだけの力がまだ十分に具わっていない段階で行ったためです。あの霊媒は潜在意識に未だ十分な受容性が具わっておりません。霊媒自身の考えが出しゃばろうとするのを抑えきれないのです。支配霊が居ても肝心のコントロールがうまく行っておりません。
支配霊が霊媒をコントロールすることによって行う現象>(霊言ならびに自動書記通信)においては、よほど熟練している場合は別として、その通信には大なり小なり霊媒自身の考えが付着しているものと考えて宜しい。そうしないと通信が一言も出なくなります」
(この後に続く問答とともに、これは、今後ますます霊的な事が受け入れられていくことが予想される日本において極めて大切な警告と受け止めるべきである。
専属の支配霊にしてその程度なのである。ましてや、呼ばれてすぐに出てくる霊がそう簡単にしゃべったり書いたりできるものではないのである。すぐに身元を明かす霊は徹底的に疑ってかかるべきである。疑われて腹を立てるような霊は相手にしない方がいい。それが霊を見分ける一つの尺度である)
・・・潜在意識の影響を全く受けない通信は有り得ないと言うことでしょうか。
「その通りです」
・・・全てが脚色されていると言うことでしょうか。
「どうしてもそうなります。いかなる形式を取ろうと、霊界との交信は生身の人間を使用しなくてはならないからです。人間を道具としている以上は、それを通過する際に大なり小なり着色されます。人間である以上その人間的性質を完全に無くすることは出来ないからです」
・・・神が完全なる存在であるならば、なぜもっとよい通信手段を用意してくれないのでしょうか。
「本日は難しい問題をお受けしますと申し上げたら本当に難しい質問をして下さいましたね。結構です。さて私達が使用する用語にはそれをどう定義するかという問題があることをまず知って頂かねばなりません。
おっしゃる通り神は完全です。つまりあなたの内部に種子として存在する神は完全性を具えていると言うことです。ですが、それは必ずしも物質形態を通して完全な形で表現されてはいません。だからこそ無限の時間をかけて絶え間ない進化の過程を経なければならないのです。
進化とは内部に存在する完全性と言う黄金の輝きを発揮させる為に不純物と言う不完全性を除去し磨いていくことです。その進化の過程においてあなたが手にされる霊的啓示は、あなたが到達した段階(霊格)に相応しいものでしかありません。
万一あなたの霊格よりずっと進んだものを先取りされても、それは所詮あなたの理解を超えたものですから、何の意味も無いことになります」
・・・では人間がさらに進化すれば機械的な通信手段が発明されるかもしれないわけですか。
「その問題についての私の持論は既にご承知の筈です。私はいかなる機械が発明されても霊媒を抜きにしては完全とはなり得ないと申し上げております。そもそも何の為にこうして霊界から通信を送るかと言う、その動機を理解していただかねばなりません。
それは何よりもまず〝愛〟に発しているのです。肉親、知人、友人といったかつて地上で知りあった人から送られてくるものであろうと、私のように人類の為を思う先輩霊からのものであろうと、霊的メッセージを送ると言う行為を動機づけているものは愛なのです。
愛こそが全てのカギです。例え完全でなくても、何らかの交信がある方が何も無いよりは大切です。なぜなら、それが愛の発現の場を提供することになるからです。しかしそれを機械によって行うとなると、どう工夫したところで、その愛の要素が除去されることになります。いきいきとした愛の温もりのある通信は得られず、ただの電話の様なものになります」
・・・電話でも温かみや愛が通じ合えるのではないでしょうか。
「電話器を通して得られるかもしれませんが、電話器そのものには温かみはありません」
・・・大切なのはそれを通して得られるものではないでしょうか。
「この場合は違います。大切なのは霊媒と言う〝電話器〟とメッセージを受ける人間に及ぼす影響です。それに関る人全部の霊性を鼓舞することに意図があります」
・・・霊媒を含めてですか。
「そうです。なぜなら最終的には何時の日か人類も霊と霊とが自然な形で直接交信できるまで霊性が発達します。それを機械を使って代用させようとすることは進化の意図に反することです。進化はあくまで霊性の発達を通してなされなければなりません。霊格を高めることによって神性を最高に発揮するのが目的です」
・・・と言うことは、最高の(死後存続の)証拠を得たいと思えば霊性の発達した霊媒を養成しなければならないと言うことでしょうか。
「私は今、〝証拠〟の問題を念頭に置いて話しているのではありません。人類の発達と言うことを念頭に置いて話しているのです。人類は螺旋状のサイクルを画きながら発達するように計画させておりその中に一つの段階において次の段階の為に霊性を身につけ、その積み重ねが延々と続けられるのです。お分かりでしょうか」
・・・はい、分ります。
「最高の成果を得る為には顕幽両界の間にお互いに引き合うものが無ければなりません。その最高のものが愛の力なのです。両界の間の障害が取り除かれて行きつつある理由は、その愛と愛との呼びかけがあるからです」
・・・霊媒の仕事が金銭的になりすぎるとうまくいかないのはその為でしょうか。
「その通りです。霊媒は止むにやまれぬ献身的精神に燃えなければなりません。その願望そのものが霊格を高めていくのです。それが何より大切です。なぜなら、人類が絶え間なく霊性を高めていかなかったら、結果は恐ろしいことになるからです。
霊がメッセージを携えて地上に戻って来るそもそもの目的は人類の霊性を鼓舞するためであり、潜在する霊的才能を開発して霊的存在としての目的を成就させるためです」
・・・他界した肉親が地上へ戻って来る、例えば父親が息子のもとに戻ってくる場合、その根本にあるのは戻りたいと言う一念でしょうか。それとも今おっしゃった目的で霊媒を通じてメッセージを送りたいからでしょうか。
「戻りたいと言う一念からです。ですが一体なぜ戻りたいと思うのでしょう。その願望は愛に根ざしています。父親には息子への愛があり、息子には父親への愛があります。その愛があればこそ父親はあらゆる障害を克服して戻って来るのです。
困難を克服して愛の力を証明し、愛は死を超えて存続していることを示すことによって息子は、父親の他界と言う不幸を通じて魂が目を覚まし、霊的自我を見出します。かくして、単なる慰めのつもりで始まったことが霊的発達のスタートと言う形で終わることになります」
・・・なるほどそう言うことですか。言い換えれば神は進化の計画のためにありとあらゆる体験を活用すると言うことですね。
「人生の究極の目的は、地上の死後も、霊性を開発することにあります。物質界に誕生するのもその為です。その目的に適った地上生活を送れば霊はしかるべき発展を遂げ、次の生活の場に正しく適応できる霊性を身につけた時点で、死を迎えます。
その様に計画されているのです。こちらへ来てからもおなじ過程が続き、その都度霊性が開発され、その都度古い身体から脱皮して霊妙さを増し、内部に宿る霊の潜在的な完全さに近づいてまいります」
・・・人間の身体を見てもその人の送っている邪悪な生活が反映している人をよく見かけます。
「当然そうなります。心の思うがままがその人となります。その人の為すことがその人の本性に反映します。死後のいかなる界層においても同じことです。身体は精神の召使いでは無かったでしょうか。初めは精神によってこしらえられたのでは無かったでしょうか」
・・・霊界の視点からすれば心で犯す罪は行為で犯す罪と同じでしょうか。
「それは一概にはお答えできません。霊界の視点から、とおっしゃるのは進化した霊の目から見てという意味でしょうか」
・・・そうです。ある一つの考えを抱いた時、それは実行に移ったのと同じ罪悪性を持つのでしょうか。
「とても難しい問題です。何か具体的な例をあげて頂かないと、一般論としてお答えできる性質のものではありません」
・・・例えば誰かを殺してやりたいと思った時です。
「それはその動機が問題です。いかなる問題を考察するに際しても、真っ先に考慮すべきことは、それは霊にとっていかなる影響を持つか、と言うことです。ですから、この際も〝殺したいと言う考えを抱くに至った動機ないしは魂胆は何か〟と言うことです。
さてこの問題には当人の気質が大きく関わっております。と申しますのは、人をやっつけてやりたいと思っても手を出すのは怖いと言う人がいます。本当に実行するまでには至らない・・・いわば憶病なのです。心ではそう思っても、実際の行為には至らないというタイプです。
そこで、殺してやりたいと心で思ったら実際に殺したのと同じかと言うご質問ですが、勿論それは違います。実際に殺せばその霊を肉体から離してしまうことになりますが、心に抱いただけではそう言うことにならないからです。その視点からすれば、心に思うことと実際の行為とは罪悪性が異なります。
しかし精神的次元でとらえた場合、嫉妬心、貪欲、恨み、憎しみと言った邪念は身体的行為よりも大きな影響を及ぼします。思い切り人をぶん殴ることによって相手に与える身体的な痛みよりも、その行為に至らせた邪念が当人の霊と精神に及ぼす悪影響の方がはるかに強烈です。このように、この種の問題は事情によって答えが異なります」
・・・誰かを殺してやりたいと思うだけなら、実際の殺人行為ほどの罪悪ではないとおっしゃいました。でも、その念を抱いた当人にとっては殺人行為以上の実害がある場合があり得ませんか。
「あり得ます。これも又、場合によりけりです。その邪念の強さが問題になるからです。忘れないで頂きたいのは、根本に置いて支配しているのは因果律だと言うことです。
地上における身体的行為が結果を生むのと同じように、精神的及び霊的次元に置いてそれなりの結果を生むように仕組まれた自然の摂理のことです。邪念を抱いた人が自分の精神又は霊に及ぼしている影響は、あなた方には見えません」
・・・誰かを、あるいは何かを憎むと言うことは許されることでしょうか。あなたは誰かをあるいは何かを憎むと言うことがありますか。
「あとのご質問は答えが簡単です。私は誰も憎みません。憎むことが出来ないのです。何故なら私は神の子の全てに神性を認めるからです。そしてその神性が全く発揮できずにいる人を見て、何時も気の毒に思うからです。ですが、許せない制度や強欲に対しては憎しみを抱くことはあります。
残虐行為を見て怒りを覚えることはあります。強欲、悪意、権勢欲などが生み出すものに対して怒りを覚えます。それに伴って、様々な思いあまり褒められない想念を抱くことはあります。でも忘れないでください。私もまだきわめて人間味を具えた存在です。誰に対しても絶対に人間的感情を抱かないと言うところまでは進化しておりません」
・・・いけないと知りつつも感情的になることがありますか。
「ありますとも」
・・・別のメンバーが憎むと言うことは別の問題で、これは恐ろしい行為です。と言うと先のメンバーが、人を平気で不幸にする邪悪な人間がいますが、私はそういう人間にはどうしても憎しみを抱きます。と言う。するとシルバーバーチが―
「私は憎しみを抱くことは出来ません。摂理を知っているからです。神は絶対にごまかせないことを知っているからです。誰が何をしようと、その代償はそちらにいる間か、こちらへ来てから支払わせられます。いかなる行為、いかなる言葉、いかなる思念も、それが生み出す結果に対してその人が責任を負うことになっており、絶対に免れることはできません。ですから、いかにみすぼらしくても、いやしくても、神の衣をまとっている同胞を憎むということは私には出来ません。ですが、不正行為そのものは憎みます」
・・・でも実業界には腹黒い人間は沢山います。
「でしたらその人達のことを哀れんであげることです」
・・・私はそこまで立派になれません。私は憎みます。
別のメンバーが〝私はそれほどの体験はないのですが、動物の虐待を見ると腹が立ちます〟と言うとシルバーバーチが・・・・・・
「そういう行為を平気でする人は自らの進化の低さの犠牲者であり、道を見失える哀れな盲目者なのです。悲しむべきことです」
先のメンバーが〝そういう連中の大半は高い知性と頭脳の持ち主です。才能のない人間を食い物にしています。それで私は憎むのです〟と言う。(この人は腹黒い実業家を念頭に於いて述べている―訳者)
「そういう人は必ず罰を受けるのです。いつかは自分で自分を罰する時が来るのです。あなたと私との違いは、あなたは物質の目で眺め、私は霊の目で眺めている点です。私の目には、いずれ彼らが何世紀もの永い年月にわたって受ける苦しみが見えるのです。暗黒の中で悶え苦しむのです。その中で味わう悔恨の念そのものがその人の悪行に相応しい罰なのです」
・・・でも今現実に他人に大きな苦しみをもたらしております。
「では一体どうあってほしいとおっしゃるのでしょう。人間から自由意思を奪い去り操り人形にしてしまえば良いのでしょうか。自由意思と言う有難いものがあればこそ、努力によって荘厳な世界へ向上することも出来れば、道を間違えて奈落の底へ落ちることもあり得るのが道理です」
別のメンバーが〝邪悪な思念を抱いて実行した場合、それを実行に移さなかった場合と比べて精神にどう言う影響があるでしょうか〟と尋ねる。
「もしそれが激しい感情からではなく、冷酷非情な計算づくで行った場合でも、今申し上げた邪悪な人間と同じ運命をたどります。なぜなら、それがその魂の発達程度、と言うよりは発達不足の指針だからです。例えば心に殺意を抱き、しかもそれを平気で実行に移したとすれば、途中で思いとどまった場合に比べて、遥かに重い罪を犯したことになります」
・・・臆病であるが故に思いとどまることもあるでしょう。
「臆病者の場合は又別です。私はいま邪悪なことを平気で実行に移せる人間の場合の話をしたのです。始めに申し上げた通り、この種の問題は一つ一つ限定して論ずる必要があります。心に殺意を抱きしかも平気で実行出来る人と、〝あんな憎たらしい奴は殺してやりたいほどだ〟と思うだけの人とでは、霊的法則から言うと前者の方が遥かに罪が重いと言えます」
・・・あなたご自身にとって何か重大でしかも回答が得られずにいる難問をお持ちですか。
「回答が得られずいる問題で重大なものと言えるものはありません。ただ、私は良く進化は永遠に続く・・・何処まで行ってもこれでお終いと言うことはありません、と申し上げておりますが、なぜそういうお終のない計画を神がお立てになったのかが分かりません。いろいろ私なりに考え、又助言も得ておりますが、正直言って、これまでに得た限りの回答には得心がいかずにおります」
・・・神それ自体が完全でないと言うことではないでしょうか。あなたは何時も神は完全ですとおっしゃっていますが。
「随分深い問題に入ってきましたね。かつて入ったことのない深みに入りつつあります。
私には地上の言語を使用せざるを得ない宿命があります。そこでどうしても神のことを私が抱いている概念とはかけ離れた男性神であるかのような言い方をしています。
(〝大霊〟the Great Spiritを使用しても神Godを使用しても二度目からは男性代名詞のHe, His, Himを使用していることを言っている)
私の抱いている神の概念は完璧な自然法則の背後に控える無限なる叡智です。その叡智が無限の現象として顕現しているのが宇宙ですが、私はまだその宇宙の最高の顕現を見たと宣言する勇気はありません。これまでに到達した限りの位置から見ると、まだまだその先に別の頂上が見えているからです。
私が私なりに見てきた宇宙に厳然とした目的があると言うことを輪郭だけでは理解しております。私はまだその細部の全てに通暁しているなどとはとても断言できません。だからこそ私は、私と同じように皆さんも、知識の及ばないところは信仰心で持って補いなさいと申し上げているのです。〝神〟と同じく〝完全〟と言うものの概念は、皆さんが不完全である限り完全に理解することはできません。
現在の段階まで来てみてもなお私は、もし仮に完全を成就したらそれはそれにて休止することを意味し、それは進化の概念と矛盾する訳ですから、完全と言うものは本質的に成就できないものであるのに、なぜ人類がその成就に向かって進化しなければならないかが理解できないのです」
・・・こうして私達が問題を携えてあなたのもと(交霊会)へ来るように、あなたの世界でも相談に行かれる場所があるのでしょうか。
「上層界へいけば私より遥かに叡知を身につけた方がいらっしゃいます」
・・・こうした交霊会と同じようなものを催されるのですか。
「私達にも助言者や指導者がいます」
・・・やはり入神して行うのですか。
「プロセスは地上の入神と全く同じではありませんが、やはりバイブレーションの低下、すなわち高い波長を私達に適切な波長に転換したり光輝を和らげたりして楽にして下さいます。
一種の霊媒現象です。こうしたことが宇宙のあらゆる界層において段階的に行われていることを念頭において下されば、上えには上があってヤコブの梯子の無限の段が付いていることがお分かりでしょう。その一番上の段と一番下の段は誰にも見えません」
(ヤコブの梯子=ヤコブが夢で見た天まで届く梯子)
・・・霊媒を通じて語りかけてくる霊は吾々が受ける感じ程に実際に身近な存在なのでしょうか。それとも霊媒の潜在意識も考慮に入れなければならないでしょうか。
そんなに簡単に話しかけられるものでしょうか。私の感じとしては、想像しているほど身近な存在ではないような気がしています。少し簡単すぎます。
「何が簡単すぎるのでしょうか」
・・・思っているほど吾々にとって身近な存在であるとは思えないのです。多くの霊媒の交霊会に出席すればするほど、しゃべっているのは霊本人ではないように思えてきます。時には全く本人ではない、単にそれらしい印象を与えているだけと思われるものがあります。
「霊が実在する、このことを疑っておられるわけではないでしょうね? 次に、吾々にも個性がある。このことにも疑問の余地はありませんね? では吾々は一体だれか?、この問題になると意見が分れます。何故かと言えば、そもそも同一性(アイデンティティ)とは何を基準にするかという点で理解が異なるからです。私個人としては地上の両親が付けた名前は問題にしません。名前と当人との間にはある種の相違点があるからです。
では一体吾々は何ものなのかという問題ですが、これまたアイデンティティを何を基準とするかによります。ご承知の通り私はインデアンの身体を使用していますが、インデアンではありません。こうすることが私自身を一番うまく表現出来るからそうしているまでです。
この様に、背後霊の存在そのものには問題の余地はないにしても、物質への霊の働きかけの問題は実に複雑であり、通信に影響を及ぼし内容を変えてしまうほどの、様々な出来事が生じております。
通信がどれだけ伝わるか、その内容と分量は、そうした様々な要素によって違ってきます。まして、普段の生活における〝導き〟の問題はそう簡単には片付けられません。
何故かと言うと、人間はその時々の自分の望みを叶えてくれるのが導きであると思いがちですが、実際には叶えてあげる必要が全くないものがあるからです。一番良い導きは本人の望んでいる通りにしてあげることではなくて、それを無視して放っておくことである場合がしばしばです。
この問題は要約して片づけられる性質のものではありません。これには意義の程度の問題、つまり本人の霊的進化の程度と悟りの問題が絡んでいるからです。大変な問題なのです。人間の祈りを聞くことがよくありますが、要望には応えてあげたいのは山々でも、側に立って見ているしかないことがあります。
時には私の方が耐えきれなくなって何とかしてあげようと行動に移りかけると〝捨てておけ!〟と言う上からの声が聞こえることがあります。一つの計画の枠の中で行動する約束が出来ている以上、私の勝手は許されないのです。
この問題は容易ではないと申しましたが、それは困難なことばかりだと言う意味ではありません。時には容易なこともあり、時には困難なこともあります。ただ理解しておいて頂きたいのは、人間にとって影(不幸)に思えることが私達から見れば光(幸福)であることがあり、人間にとって光であるように思えることが私達から見れば影であると言うことです。
人間にとって晴天のように見えることが私達から見れば嵐の予兆であり、人間にとって静けさに思えることが私達から見れば騒音であり、人間にとって騒音におもえることが私達から見れば静けさであることがあるものです。
あなた方が実在と思っていることは私達にとっては実在ではないのです。お互い同じ宇宙の中に存在しながら、その住んでいる世界は同じではありません。あなた方の思想や視野全体が物的思考形態によって条件づけられ支配されております。
霊の目で見ることが出来ない為に、つい、現状への不平や不満を口にされます。私はそれを咎める気にはなりません。視界が限られているからです。やむを得ないと思うのです。あなた方には全視野を眼下に収めることはできないのです。
私達スピリットと言えども完全から程遠いことは、誰よりも真っ先にこの私が認めます。やりたいことが何でも出来るとは限らないことは否定しません。しかしそのことは、私達があなた方自身の心臓の鼓動と同じ位身近な存在であると言う事実とは全く別の問題です。
私達はあなた方が太陽の下を歩くと影が付き添う如く、いやそれ以上にあなた方の身近な存在です。私の愛の活動範囲にある人は私達の世界の霊と霊との関係と同じく親密なものです。
それを物的な現象によってお見せ出来ないわけではありませんが、何時でもと言うわけには参りません。霊的な理解(悟り)と言う形でも出来ます。が、これまた、人間としてやむを得ないことですが、そう言う霊的高揚を体験するチャンスと言うのは、そう滅多にあるものではありません。そのことを咎めるつもりはありません。これから目指すべき進歩の指標がそこにあると言うことです。
あなたのご意見はちょっと聞くと正しいように思えますが、近視眼的であり、全ての事実に通暁しておられない方の意見です。とはいえ、私達霊界の指導者は常に寛大な態度で臨まねばなりません。教師は生徒の述べることに一つ一つ耳を貸してあげないといけません。意見を述べると言う行為そのものが、意見の正しい正しくないに関係なく、魂が成長していることの指標だからです。
真面目な意見であれば私達はどんなことにも腹を立てませんから、少しもご心配なさるには及びません。大いに歓迎します。何方がどんなことをおっしゃろうと、またどんなことをなさろうと、皆さんに対する私の愛の心が些かでも減る気遣い入りません」
・・・私達もあなたに対して同じ気持ちを抱いております。要は求道心の問題に帰着するようです。
「今私が申し上げたことに批判がましい気持ちはみじんも含まれておりません。吾々はみんな神であると同時に人間です。非常に混み入った存在、一見単純な様で奥深い存在です。魂と言うものは開発されるほど単純さへとむかいますが、同時に奥行きをまします。単純さと深遠さは同じ棒の両端です。
作用と反作用とは科学的に言っても正反対であると同時に同一物です。進歩は容易に得られるものではありません。もともと容易に得られる様には意図されてはいないのです。吾々はお互いに生命の道の巡礼者であり、手にした霊的知識と言う杖が困難に際して支えになってくれます。その杖にすがることです。霊的知識と言う杖です。それを失っては進化の旅は続けられません」
・・・私達は余りに霊的知識に近すぎて、かえってその大切さを見失いがちであるように思います。
「私は常々二つの大切なことを申し上げております。一つは、知識の及ばない領域に踏み込む時は、その知識を基礎としたうえで信仰心に頼りなさいと言うことです。それからもう一つは、常に理性を忘れないようにと言うことです。理性による合理的判断力は神からの授かりものです。あなたにとっての合理性の基準にそぐわないものは遠慮なく拒否なさることです。理性も各自に成長度があり、成長した分だけ判断の基準も高まるものです。
一見矛盾しているかに思える言説がいろいろとありますが、この合理性もその一つであり、一種のパラドックス(逆説)を含んでおりますが、パラドックスは真理の象徴でもあるのです。
(この場合のパラドックスとは次章の〝真理には無限の側面がある〟と同じ意味に解釈すべきであろう)
理性が不満を覚えて質問なさる。それを私は少しも咎めません。私はむしろ結構な傾向として嬉しく思うくらいです。疑問を質そうとすることは魂が活動しているからこそであり、私にとってはそれが喜びの源泉だからです。
さて私は何とか皆さんのご質問にお答えできたと思うのですが、如何でしょうか。と言ってから、その日の中心的な質問者であったかつてのメソジスト派の牧師の方を向いて笑顔でこう述べた。
「私の答案用紙に〝思いやりあり〟〝人間愛に富む〟とでも書きこんでくださいますか」
第8章 真理には無限の側面がある
作家としても出版業者としても成功を収めている男性と、心霊知識の普及に健筆を握っている女性(両者とも氏名は紹介されていない。手掛かりになるものも無い)が招かれた時の様子を紹介する。
この男性は交霊会は今回が初めてであるが、スピリチュアリズムには早くから親しんでいた。そこでシルバーバーチがこう挨拶した。
「私はあなたを見知らぬ客としてではなく、待ちに待った友として歓迎致します。どうかサークルの皆さんと思い切り寛いだ気分になって頂き、お互いに学び合ってまいりましょう。
これまであなたも随分永い道のりを歩んでこられました。決して楽な道ではありませんでした。石ころだらけの道でした。其れをあなたは見事に克服してこられました。あなたご自身にとって、またあなたの愛する方達にとっても重大な決断を下さねばならなかった魂の危機を象徴する、忘れ難い出来事が数多くあります」
これを聞いてその男性は「少しピンとこないところがあるのですが」と述べてから、自分が霊的に飢えていたと言うのはどう言う意味かと尋ねた。すると・・・
「(通常意識とは別に)あなたの魂が切望していたものがありました。あなたの内部で無意識に求めていたものですが、あなたはその欲求を満たしてやることが出来なかった。永い間何かを成就したい、やり遂げたい、我がものにしたいと言う絶え間ない衝動、抑えようにも抑えがたい、荒れ狂った心の渇望を意識し、それがしばしば精神的な苦痛を生みました。
〝一体自分の心の安らぎはどこに求めればいいのか。自分の心の港、心の避難場所はどこにあるのか〟と心の中で叫ばれました。
次々と難問は生じるのに解答は見出しませんでした。ですが、良いですか、その心の動乱は実はあなた自身の魂の体質が生んでいたのです。水銀柱が急速に上昇するかと思えば一気に下降します。あなたは爆発性と沈着性と言う相反するものを具えたパラドックス的人間です。如何です、私の言っていることがお分かりになりますか」
・・・よく分ります。おっしゃる通りです。私なりに偉大な思想家から学ぼうと努力してきたつもりですが・・・・
「私にも真理の全てをお授けする事は出来ません。真理は無限であり、あなたも私も同様に有限だからです。
吾々も無限なるものを宿している事は事実ですが、その表現が悲しいほど不完全です。完全の域に達するまでは真理の全てを受け入れる事は出来ません。真理とは無限の側面を持つダイヤモンドです。無限の反射光を持つ宝石です。
その光は肉体に閉じ込められた意思では正しく捉え難く、その奥の霊の持つ自然の親和力によって手探り寄せられた部分をおぼろげに理解する程度です。私には〝さあこれが真理ですよ〟と言えるものは持ち合わせません。あなたが求めておられるものの幾つかについて部分的な回答しかお出しできません。
あなたは感受性の強いお方です。男性のわりには過敏でいらっしゃいます。其れはそれなりの代償を支払わされます。普通の人間には分らないデリケートで霊妙なバイブレーションを感知できるほどの感受性を持っておれば、当然他の分野でも過敏にならざるを得ません」
・・・その事を痛切に思い知らされております。
「感受性が強いということは喜びも悲しみも強烈になると言う事です。幸福の絶頂まで上がれると言う事は奈落の底まで落ちると言う事もあり得ると言う事です。強烈な精神的苦悶を味わらずして霊的歓喜は味わえません。
二人三脚なのです。私があなたのお役にたてる事と言えば、たとえ苦境にあってもあなたは決して泥沼に足を取られてにっちもさっちもいかなくなっているのではない事、何時も背後霊によって導かれていると言う事を理解させてあげることです。
一人ぼっちであがいているのではないと言う事です。幸いなことにあなたは度を越して取り乱すことのない性格をしていらっしゃいます。時には目先が真っ暗に思える事があっても、自分が望む事は必ず叶えられるとの確信をお持ちです。
どうぞ自信を持って下さい。あなたが生きておられるこの宇宙は無限なる愛によって創造され、その懐の中に抱かれているのです。その普遍的な愛とは別に、あなたへ個人的な愛念を抱き、あなたを導き、援助し、利用している霊の愛もあります。それはよくよくのことが無い限り自覚していらっしゃいません。私の申し上げた事が参考になりましたでしょうか」
・・・とても参考になりました。
話は前後するが、この交霊界より早く、女性の文筆家が二度招かれていた。この夫人はスピリチュアリズムの為にいろいろと書いておられる。が、最近ご主人に先立たれた。シルバーバーチは歓迎の言葉をこう述べた。
「あなたはペンの力で生甲斐を見出してから他界した大勢の人に代わって、私が歓迎の言葉と感謝の気持ちを述べる機会を持つことが出来て、とても嬉しく思います。私達はあなたから慰めを得た人々の心、あなたの健筆によって神の恵みに浴することが出来た魂が見えるのです。
道を見失える者、疲れ果て困惑しきってあなたのもとを訪れる人々に、あなたは真心をこめて力になってあげられました。自分を人の為に役立てること、これが私達にとって最も大切なのです」
・・・ご理解いただいているように、ともかく私は人の為にお役に立ちたいのです。
「私達の価値判断の基準は地上とは異なります。私達は出来ては消えて行く泡沫の様な日々の出来ごとを、物質の目でなく魂の知識で見つめます。その意味で私達は、悲しみの涙を霊的知識によって平静と慰めに置きかえてあげる仕事に関わっている人に心から拍手喝さいを送るものです。
地上の大方の人間があくせくと求めているこの世的財産を手に入れることより、たった一人の人間の魂に生甲斐を見出させてあげることの方がよほど大切です。
有為転変きわまりない人生の最盛期において、あなたはその肩に悲しみの荷を負い、暗い谷間を歩まねばならないことがありましたが、それも全ては、魂が真実なるものに触れて初めて見出せる真理を直接に学ぶ為のものでした。
大半の人間がとかく感傷的心情から、あるいは様々な魂胆から大切にしたがる物的なものに、必要以上の価値を置いてはいけません。そうまでして求めるものではないのです。いかなる魂をも裏切ることのない中心的大原理即ち霊の原理にしがみつかれることです」
さらにシルバーバーチはその文筆家が主人を亡くしたばかりであることを念頭に置きながらこう続けた。
「あなたが今こそ学ばなければならない大切な教訓は、霊の存在を人生の全ての拠り所とすることです。明日はどうなるかという不安の念を一切かなぐり捨てれば、きっとあなたもその後に訪れる安らぎと静寂と共に、それまで不安に思っていた明日が実は、これから辿らねばならない道においてあなたを一歩向上させるものをもたらしてくれることに気付かれる筈です。
非常に厳しい教訓ではあります。しかし全ての物的存在は霊を拠り所としていることはどうしようもない事実なのです。物的宇宙は全大宇宙を支配する大霊の表現であるからこそ存在し得ているのです。そしてあなたもその身体に生命と活力を与えている大霊の一部であるからこそ存在し得ているのです。物的宇宙に存在するものは全て霊に依存しております。言わば実在と言う光の反射であって、光そのものではないのです。
私達としては、あなた方人間に理想を披歴するしかありません。言葉をいい加減に繕うことは許されません。あなたがもし魂の内部に完全な平静を保つことが出来れば、外部にも完全な平静が訪れます。
物的世界には自分を傷つけるもの、自分に影響を及ぼすものは何一つ存在しないことを魂が悟れば、真実、この世に克服できない困難は何一つ有りません。かくして訪れる一日一日が新しい幸せをもたらしてくれることになります。いかに優れた魂にとっても、そこまでは容易に至れるものではないでしょう。
しかし人間は苦しい状態に陥ると、それまでに獲得した知識、入手した証拠を改めて吟味し直すものです。ほんとに真実なのだろうか、本当にこれでいいだろうか、と自問します。しかし、これまで何度も申し上げてきたことですが、ここでまた言わせていただきます。万事がうまく行っている時に信念を持つのは容易です。が、信念が信念としての価値を持つのは暗雲が太陽を遮った時です。が、それはあくまでも雲に過ぎません。永遠に遮り続けるものではありません」
(訳者注・・・この後に続く部分は第四巻の八章「質問に答える」の中で質問(四)として引用されている。次の問答はその続きとしてお読みいただきたい)
・・・最近の大規模な疎開政策によって家族関係が破壊され、それが責任意識に欠けた若者を生む原因になっていると私は考えるのですが、如何でしょうか。
「そう言うことも考えられます。が、それが全てと言うわけではありません。元来家族と言うのは子供の開発成長にとっての理想的単位であるべきなのですが、残念ながらこれにも大きな例外があります。私が思うに暴力行為を誘発すると同時に道徳基準を破壊してしまうという点において、やはり何と言っても戦争が最大の原因となっております。一方で相手を殺すことを奨励しておいて、他方で戦争になる前のお上品さを求めても、それは無理と言うものです」
・・・結局社会環境を改善するしか無いように思います。
「その為の霊的実在についての知識を普及する事です。自分が霊的存在であり物的存在ではないこと、地上生活の目的が霊性の開発と発達にあることを全ての人が理解すれば、これほど厄介な野獣性と暴力の問題は生じなくなることでしょう」
これにサークルのメンバーが「そうなれば当然戦争などは起こり得ないですね」と相槌を打つと、シルバーバーチが
「人類の全てが霊性を認識し、人類と言う一つの家族の一員としてお互いの間に霊と言う不変の絆がありそれが全員を家族としてたらしめていると言うことを理解すれば、地上方戦争と言うものが消滅します」
別のメンバーが「それがいわゆる不戦主義者の態度なのですね」と述べると、
「私はラベルには関心はありません。私はなるべく地上のラベルには関り合わないようにしております。理想、理念、動機、願望…私にとってはこうしたものが至上の関心事なのです。たとえば自らスピリチュアリストを持って任じている人が必ずしもスピリチュアリズムを知らない人よりも立派とは言えません。不戦主義者と名乗る人がおり、その理念が立派であることは認めますが、問題は結局その人が到達した霊的進化の程度の問題に帰着します。
不完全な世の中に完全な矯正手段を適用することは出来ません。時には中途半端な手段で間に合わせ得ないこともあります。世の中が完全な手段を受け入れる用意が出来ていないからです。
こちらの世界では高級な神霊はまず動機は何かを問います。動機がその行為の指標だからです。もしその動機が真摯なものであれば、その人の願望がまるまる我欲から出たものでないことになり、従って判断の基準も違ってきます」
(訳者注=最後に述べているまるまる我欲から出たものではない。と言うセリフは注目すべきであろう。前巻でも注釈しておいた事であるがシルバーバーチは〝利己性〟全てがいけないものとは見ていない。霊的なものに目覚めた当初はとかく完全な純粋性を求め、それが叶えられない自分を責めがちであるが、肉体と言う〝悲しいほど不自由な牢〟に閉じ込められている人間に、そのような完全性を求めるつもりは更々ないようである。だから動機さえ正しければ、と言う事になるのである)
ここで先ほどの女性が「立派な兵士と真面目な不戦主義者とが共に正しいと言う事もあり得るのですね」と述べると・・・
「その通りです。二人の動機は一体何かを考えればその答えが出ます。何事も動機がその人の霊的発達の程度の指標となります」
・・・こういう場合には自分だったらこうするだろうと言う事は予断できないと思うのです。
「そうなのです。なぜかと言えば、人間はその時点まで到達した進化の程度によって制約されていると同時に、地上生活での必需品として受け継いだ不可避の要素、(前世からの霊的カルマ、肉体の遺伝的要素などが考えられる・・・訳者)の相互作用の影響も受けるからです。ですから常に動機が大切です。それがどちらを判断するか単純明快な基準です。仮に人を殺めた場合、それが私利私欲、金銭欲、その他の利他的行為が絡んでいれば、その動機は浅はかと言うべきでしょうが、愛する母国を守るためであれば、その動機は真摯であり、真面目です。それは人間として極めて自然な情であり、それが魂を傷つけることにはなりません。ただ残念なことに、人間は往々にしてその辺のところが曖昧なことが多いのです」
別のメンバーが「でも、もちろんあなたは人を殺めるという事をよい事だとは思われないでしょう」と言うと
「もちろんです。理想としては殺し合う事は間違った事です。ですが、前にも述べたことがありますように、地上世界では二つの悪いことの内の酷くない方を選ばざるを得ないことがあるのです」
(訳者注・・・この後死刑制度についての問答は同じく第四巻の「質問に答える」の質問(四)の最後に引用されているが、これをカットすると脈絡が取れにくくなるので再度掲載しておく)
・・・死刑制度は正しいとお考えですか。
「いえ、私は正しいと思いません。これは二つの悪いことの酷くない方、とは言えないからです。死刑制度は合法的殺人を許していることでしかありません。個人が人を殺せば罪になり国が人を処刑するのは正当と言う理屈になりますが、これは不合理です」
・・・反対なさる主な理由は、生命を奪うことは許されないことだからでしょうか。それとも国が死刑執行心を雇うことになり、それは雇われる人にとって気の毒なことだからでしょうか。
「両方とも強調したいことですが、それにもう一つ強調しておきたいのは、いつまでも死刑制度を続けているということは、その社会がまだまだ進歩した社会とは言えないと言うことです。なぜなら、死刑では問題の解決にはなっていないことを悟る段階に至っていないからです。それはもう一つの殺人を犯していることに他ならないからであり、それは社会全体の問題です。それは処罰にはなっておりません。ただ単に別の世界へ突き落しただけです」
・・・その上困ったことに、そう言う形で強引にあの世へ追いやられた霊による憑依現象が多いことです。地上の波長に近い為にすぐに戻って来て誰かに憑依しようとします。
「それは確かに事実なのです。霊界の指導者が地上の死刑制度に反対する理由の一つにそれがあります。死刑制度では問題を解決したことになりません。さらに犯罪を減らす方策・・・これが方策と言えるかどうか疑問ですが・・・と、しても実にお粗末です。そのつもりで執行しながら、それが少しもその目的の為に役立っておりません。
残虐行為に対して残虐行為を、憎しみに対して憎しみを持って対処してはなりません。常に慈悲心と寛恕と援助の精神を持って対処すべきです。それが進化した魂。進化した社会であることの証明です」
・・・そこまで至るのは大変です。
「そうです大変なのです。しかし歴史のページを繙けば、それを成就した人の燦然たる輝きを持って記されております」
・・・憑依現象のことですが、憑依される人間はそれなりの弱点を持っているからではないかと思っています。つまり土の無いところに種を蒔いても芽は出ない筈なのです。
「そうです。それは言えます。もともと人間に潜在的な弱点がある。つまり霊によって身体と精神と霊の関係が調和を欠いているのです。邪霊を引きつける何らかの条件があると言うことです。アルコールの取り過ぎである場合もありましょう。薬物中毒である場合もありましょう。
度を越した猜疑心、ないしは利己心が原因となることもあります。そうした要素が媒体となって、地上世界の欲望を今一度満たしたがっている霊を引きつけます。意識的に取り憑く霊もいますし、無意識のうちに憑っている場合もあります」
その日の交霊会の終りに、最近一人娘を亡くしたばかりの母親からの手紙が読み上げられた。その手紙の主要部分だけを紹介すると・・・
〝私は19歳の一人娘を亡くしてしまいました。私も夫も諦めようにもあきらめきれない気持ちです。私たちにとってその子がすべてだったのです。私たちはシルバーバーチの霊言を読みました。シルバーバーチ霊はいつでも困った人を救ってくださるとおっしゃっています。(肢体不自由)だった娘は19年間一度も歩くことなく、酷しい地上人生を送りました。
その子が霊界で無事向上しているかどうか、シルバーバーチ霊からのメッセージがいただけないものでしょうか。地上で苦しんだだけ、それだけあちらでは報われるのでしょうか。私は悲しみに打ちひしがれ、途方に暮れた毎日を生きております〟
これを聞いたシルバーバーチは次のように語った。
「その方にこう伝えてあげてください。神は無限なる愛であり、この全宇宙における出来事の一つとして神の御承知でないものはありません。すべての苦しみは魂に影響を及ぼして自動的に報いをもたらし、そうすることによって宇宙のより高い、より深い、より奥行きのある、側面についての理解を深めさせます。娘さんもその理解力を得て、地上では得られなかった美しさと豊かさをいま目の前にされて、これからそれを味わっていかれることでしょう。
また、こうも伝えてあげてください。ご両親は大きなものを失われたかもしれませんが、娘さんは大きなものを手にされています。お二人の嘆きも、悲しみも、悼みも娘さんのためではなく実はご自分のためでしかないのです。ご本人は苦しみから解放されたのです。
死が鳥かごの入り口を開け、鳥を解き放ち、自由に羽ばたかせたことを理解なされば、嘆き悲しむことが少しも本人の為にならないことを知って涙を流されることもなくなるでしょう。やがてお二人も時が来れば死が有難い解放者であることを理解され、娘さんのほうもそのうち、死によって消えることのない愛に満ちた、輝ける存在となっていることを証明してあげることができるようになることでしょう」
こう述べてから次の言葉でその日の交霊会を結んだ。
「地上で死を悼んでいる時、こちらの世界ではそれを祝っていると思ってください。あなたがたにとっては〝お見送り〟であっても、私たちにとっては〝お迎え〟なのです」
さて次の交霊会にも同じ文筆家が出席した。シルバーバーチは開会早々こう述べた。
「今あなたを拝見して、前回の時よりオーラがずっと明るくなっているので嬉しく思います。少しづつ暗闇の中から光の中へ出てこられ、それと共にすべてが影に過ぎなかったという悟りに到達されました。
本当は今までずっと愛の手があなたを支え、援助し、守っていてくださったのです。同じ力が今なお働いております。
今のあなたには微かな光を見ることができ、それが暗闇を突き破って届いているのがお分かりになります。その光はこれから次第に力を増し、鮮明となり、度合いを深めていくことでしょう。あなたは何一つご心配なさることはありません。愛に守られ、いく手にはいつも導きがあるとの認識に満腔の信頼をおいて前進なさることです。
来る日も来る日もこの世的な雑用に追いまくられていると、背後霊の働きがいかに身近なものであるかを実感することは困難でしょう。常に周りに存在しているのです。あなたは一人ぼっちでいることは決してありません」
・・・そのことはよく分かっております。なんとかして取り越し苦労を克服しようと思っています。
「そうです敵は心配の念だけです。心配と不安、これはぜひとも征服すべき敵です。日々生ずる一つ一つにきちんと取り組むことです。するとそれをかたづけて行く力を授かります。
今やあなたは正しい道にしっかりと足を据えられました。何一つ心配なさることはありません。これから進むべき道において必要な導きはちゃんと授かります。私にはあなたの前途に開け行く道が見えます。勿論時には暗い影は過ることがあるでしょうが、あくまでも影にすぎません。
私たちは決して地上的な出来事に無関心でいるわけではありません。地上の仕事に携わっている以上は物的な問題を理解しないでいるわけには参りません。現にそう努力しております。しかし、あくまでも霊の問題を優先します。物質は霊のしもべであり主人ではありません。霊という必須の要素が生活を規制し支配するようになれば、何事が生じても、きっと克服できます。
少しも難しいことは申し上げておりません。きわめて単純なことなのです。が、単純でありながら、大切な真理なのです。
満腔の信頼、決然とした信念、冷静さ、そして自信…こうしたものは霊的知識から生まれるものであり、これさえあれば、日々の生活体験を精神的ならびに霊的成長を促す手段として活用していく条件としては十分です。
地上を去ってこちらへおいでになれば散々気をもんだ事柄が実は何でもないことばかりだったことを知ります。そして本当にためになっているのは霊性を増すことになった苦しい体験であることに気づかれることでしょう」
最後に同じく夫を悲劇の中に失った未亡人に対して次のように述べた。
「あなたからご覧になれば、私がこうして教訓やメッセージお伝えできることから、私はどんなことでも伝えられるかに思われるかも知れませんが、私には私なりにどうしても伝えられないもの、私に適性が欠けているものがあることを常に自覚しております。
なにしろ私たちには五感では鑑識できない愛とか情とか導きとかを取り扱わねばならないのです。こうしたものは地上の計量器で測るような具合には参りません。
それでもなお、その霊妙な力は、たとえ地上的な意味では鑑識できなくても、霊的な意味ではひしひしと鑑識できるものです。愛は情と霊の世界では人間の想像をはるかに超えた実在です。あなたが固いとか永続性があると思っておられるものよりずっと実感があります。
私が今ここで、あなたの御主人はあなたへの愛に満ちておられますと申し上げても、それは愛そのものをお伝えしたことになりません。言葉では表現できないものをどうしてお伝えできましょう。そもそも言葉というものは実在を伝えるにはあまりにお粗末です。情緒や感情や霊的なものは言語の枠を超えた存在であり、真実を伝えるにはあまりに不適切です」
ここで未亡人が「主人が今私に何を告げたいかは私の心の中で理解しているとお伝えください」というと。
「次のことをよく理解してください。これは以前にも申し上げたことですが、地上を去って私たちの世界へ来られた人はみな、思いもよらなかった大きな自己意識の激発、自己開発の意識に当惑するものです。肉体を脱ぎ捨て、精神が牢から解放されると、そうした自己意識のために地上での過ちを必要以上に後悔し、逆に功徳は必要以上に小さく評価しがちなものです。
そういうわけで、霊が真の自我に目覚めると、しばらくの間正しい評価ができないものです。こうすればよかった、ああすべきだったと後悔し、せっかくの絶好のチャンスを無駄にしたという意識に苛まれるものです。実際にはその人なりに功徳を積み、善行や無私の行為を施しているものなのですが、その自覚に到達するには相当な期間が必要です」
第9章 良心の声
More Wishdumdf Silver Bilrchを読んだ読者からサークルあてに長文の手紙がよせられた。その大要を紹介すると・・・
〝私の知っている人のなかには神を畏れ教会を第一主義とする信心深い人が大勢います。その人達は確かに親切心に富み喜んで人助けをする人達で、教会が善い事正しい事として教えるものを忠実に守っております。ところが何でも無い筈の霊的事実を耳にすると、それを悪魔の仕業であるとか邪悪なことを言って恐れます。その無知は情けなくなるほどです。
ところで、こうした人達及びこれに類する、言わば堅実に生きる善人は、私の考えでは、偏見のない良心と、何世代にもわたって教え込まれてきた幼稚な教説によって汚染された良心との区別がつかなくなって居るのだと思います。
たとえば日曜日に教会へ出席しなかっただけで悩んだりします。彼らにとっては礼拝に出席することが神の御心に適ったことであり、善であり、正しいことであり、従って欠席する事は間違ったことであり、罪み深い事であるかに思えるのです。
そうした思考形式が魂に深く植え付けられた場合、一体どうすれば正常に戻すことが出来るでしょうか。彼らが呵責を覚えているのは本当はシルバーバーチ霊がおっしゃる偏りのない良心ではありません。
一種の偏見によって本当の良心が上塗りをされております。そこでシルバーバーチ霊にお願いしたいのは、本当の良心は何か、それと見せかけの良心とを見分けるにはどうしたらよいかを教えて頂きたいのです〟云々・・・
この手紙の主旨を聞かされたシルバーバーチは次のように答えた。
「地上においても霊界においても、道徳的、精神的ないし、霊的問題に関連してある決断を迫られる事態に直面した時、正常な人間であれば〝良心〟が進むべき道について適確な指示を与える、と言うのが私の考えです。神によって植え付けられた霊性の一部である良心が瞬間的に全面に出て、進むべき道を指示します。
問題は、その指示が出た後、それとは別の側面がでしゃばり始めることです。偏見がそれであり、欲望がそれです。良心の命令を気に食わなく思う人間性があれこれと理屈を言い始め、何か他に良い解決方法がある筈だと言い始め、しばしばそれを正当化してしまいます。しかしいかに弁明し、如何に知らぬふりをしてみても、良心の声が既に最も正しい道を指示しております」
サークルの一人「この手紙にはスピリチュアリズムは間違いであると思いこんでいる実直で真面目な教会第一主義の信心家のことが述べられておりますが・・・」
「それはもはや良心の問題ではなく、精神的発達の問題です。問題が全く別です。それは間違った前提に立った推理に過ぎません。私の言う良心は内的な霊性に関る問題において指示を必要とする時に呼び出されるものです」
・・・でも良心は精神的発達と密接につながっていませんか。
「繋がっている場合と繋がっていない場合があります。私は言わば良心とは神が与えた霊的監視装置(モニター)で、各自が進むべき道を的確に指示するものであると主張します」
・・・一人の人間は正しいと言い、別の人間は間違いだと言う場合もあるでしょう。
「あります。が、そのいずれの場合においても、自動的に送られてくる良心による最初の指示が本人の魂にとって最も正しい判断であると申し上げているのです。問題はその判断を受けた後で、それに不満を覚え、他にもっと楽で都合のよい方法は無いものかと、屁理屈と正当化と弁解を始める事です。しかしモニターによって既に最初の正しい指示が出されているのです。この説はあまり一般受けしないかも知れませんが、私の知る限り、これが真実です」
・・・東洋の宗教は古くから人間の内部に宿る神を強調していますね。
「私なら神の内部に宿る人間を強調したいところです。私に言わせれば〝人間の中の大霊〟といっても〝大霊の中の人間〟と言っても全く同じ事です。神と人間とは永遠に繋がりがあります。神は絶対に切れる事のない愛の絆によって創造物と繋がっております。
進化の程度において最下等のものから最初の天使的存在に至るまでの全存在が神の愛と生命活動範囲の中に治まっています。程度が低すぎて神から見放される事もなければ、高すぎて神を超えてしまう事もありません」
・・・全てが大霊の一部だからですね。
「そうです。一部と言っても説明が困難ですが、人類の全てが神性の一部を有しております。これは大変な真理で、これさえ理解され生活の規範とされるようになれば、世界の全ての人間が霊的な威力を呼び覚まし、日々生じる問題について新しい視野で対処出来るようになるでしょう」
・・・神は全ての界層において平等に顕現しているのでしょうか。それとも地上の人間だけがそれを悟れないでいる、あるいは捉え損ねているのでしょうか。それとも人間が死後の界層を進化していくにつれて神の顕現の分量が増していくのでしょうか。
「それは要するに受容力の問題です。神は無限です。無限なるものに際限はありません。制限がありません。神の恵みは果てしなく広がっています。知りつくすと言う事は絶対に出来ません。人間とは何時までも進化し続ける存在です。進化するにつれて受容力がまします。受容力がますにつれて理解力が増し、かくしてその分だけ神を理解出来る事になります」
・・・ここに二人の人間がいて、一人は元気盛りでもう一人は死期を迎えて肉体との関係が希薄になっているとします。この場合、後者の方が霊的な影響を受け易いのでしょうか。
「必ずしもそうとは言い切れません。肉体から離れると言う事は必ずしも進化を決定づけるものではありません。私の世界にも地上の人間より進化の程度の低い霊がそれはそれは大勢います。確かに肉体はその本性そのものの為に人間の精神の表現をしておりますが、人類全体として言えば、地上のいずれにおいても霊性の発達の為の余地がふんだんに存在します」
・・・その発達の為に努力する事が霊の為になるのだと思います。そうでなかったら地上に存在する意味が無い事になるからです。肉体と言うハンディを背負いながら成長しようと刻苦することが魂にとって薬になるのだと思います。
「勿論ですとも、困難を克服しようと努力する時、次々と振りかかる障害に必死に抵抗していく時、不完全さを補い完全へむけて努力する時、その時こそ神性が発揮されるのです。それが進化の諸相なのです」
・・・地上と言う事は魂の修行場としていろんな面で有利であると言った趣旨の話をよく耳にします。地上的闘争をくぐり抜けねばならないと言うことそれ自体が、地上のよさでもあると言えると思うのです。
「おっしゃる通りです。当然そうあらねばなりません。もしそうでなかったら地上へ生れてくる事も無いでしょう。宇宙の生命の大機構の中にあって、この地上も其れなりの役割があります。地上は保育園です。訓練所です。いろいろな事を学ぶ学校です。身支度をする場です。
潜在している才能が最初に芽を出す場であり、それを人生の荒波の中で試してみるところです。そうした奮闘の中ではじめて真の個性が形成されるのです。闘争も無く、反抗も無く、困難も無く、難問も無いようでは、霊は成長しません。進化しません。奮闘努力が最高の資質、最良の資質、最大の資質、最も深層にある資質を掘り起こすのです」
・・・若くして他界した場合はどうなるでしょうか。
「そう来ると思っていました」
・・・これには二つのケースがあると思うのです。一つは、もしそれがその人の寿命であれば、それまでに霊的にはすでに他界する準備が出来ていた場合。もう一つは死後その埋め合わせのために物質界との接触を通じて進化を得る場合です。
「あなたは親切な方ですね。質問なさると同時に二つも答えを用意して下さいました。ご質問に対する答えは、古くからある恐怖の輪廻転生思想と、私の説く再生説即ち前回の地上生活での不足分を補う為の地上のどこかに誕生すると言う、この二つの説のうちのどちらかをお選びください。
あなたの気にいられた方をお取りになればよろしい。私の説はすでに良くご存じでしょう。しかし、ここで強調しておきたいのは次の点です。
よく分らない事が沢山あります。私達も所詮全ての知識は持ち合わせておりません。しかし同時に、矛盾を恐れずに申し上げれば、神は完全であるが故に摂理も完全です。(全ての知識は持ち合せないと言いながら神は完全あると断定するのは明らかに矛盾しているが、第十章の後半で、過去三千年の体験からそう信じるに足るだけの証を手にしているのだと述べている)
いかなる困難が生じても、そして、たとえそれに対して私達があなたに満足のいく解答をお授けする事が出来なくても、それは神の計画に欠陥があるというのではありません。〝愛〟が宇宙を支配しているのです。無限の範囲と適用性を持つ愛です。一旦その愛があなたを通して働くようになれば、あなたは一変し、あなたの生を与えた霊力と一体になります」(先に述べた矛盾を超越してなるほどと実感を持って得心できると言うこと=訳者)
・・・こうした問題は限られた人間的理解力を超えていると言うのは本当でしょうか。私達は宿命的に理解不可能なのでしょうか。
「無限の顕現を持つ宇宙を理解しようとする時、人間の肉体的構造が一つの限界となる事は、一般的に言って事実です(霊覚者は別ということ)。決して知識欲に水を差すつもりで申し上げているのではありません。が、
私達はあくまでも現実を見失ってはなりません。幾十億と言う人間が生活する地上に目を向けてみましょう。その大半がここにいらっしゃる方が当たり前と思っている霊的真理に全く無知なのです。その知識からあなた方が得ている喜びが彼らには保証されていないのです。
その生活は悲劇と哀しみに満ちております。しかも、いずこに救いを求めるべきかも知らずにおります。ならば、私たちこそ、これまでに得た知識を少しでもそうした人達に分けてあげることでお役にたつ事が出来るのではないでしょうか。そうする事が知識を獲得した者が担う責任、つまりそれをさらに他の人々にも分けてあげると言う責任を遂行することになるのではないでしょうか」
・・・それこそが、こうして私達がこの部屋に集まっているそもそもの目的だと思います
「そうです。それが目的でここに集まっているのです。それこそが私達の双肩に掛っている仕事です。あらんかぎりの力を尽くしてその遂行にあたらねばなりません。吾々にとって可能な限りの人数を達成するまでは気を抜いて安心してはなりません」
ここで話題が変わって、もう一人の招待客が「夜空に見える星はただの物体でしょうか。それとも生命が存在するのでしょうか」と尋ねた。
「どうやら少し深みに入ってきたようですね。地上世界の知識もまだまだ限界に達しておりませんが、私達の世界に至っては遥かに限界から程遠い状態です。宇宙には最高界の天使的存在から、意識がようやく明滅する程度の最低の魂に至るまでの、様々な意識的段階にある生命が無数に存在します。
意識的生命が地球だけに限られていると思ってはなりません。地球は数限りなく存在する天体の内の、たった一つに過ぎません。無限なる叡知を持つ大霊が、無限なる宇宙において無限なる意識的段階にある無数の生命に無限の生活の場を与えることが出来ない筈がありません。
有機的生命の存在する天体は無数にあります。ただし、その生命は必ずしもあなた方が見慣れている形態をとる訳ではありません。以上の説明が私としては精一杯です」
・・・それもやはり人間的存在でしょうか。
「今私は少し深みに入ってきたと申し上げました。ある種の形態、すなわち形と大きさと運動を持ち、環境に働きかけることのできる意識的存在ですが、例外があるにしても、そのほとんどがあなた方が親しんでおられる形態の組織体と同じではありません。どうやらこれ以上の説明は無理のようです」
・・・あなたはそうした存在を御覧になったり話を交わしたことがおありですか。
「私の方からその天体にまで赴いて話をしたことはありませんが、あなた方の死に相当する過程を経た後、霊的形態に宿って話を交わしたことはあります。ですが、忘れないで頂きたいのは、あなた方が地上の生命と全く類似性のない生命に言及されると、それをなぞらえるべき手段を見出すのが困難なのです」
(地球人類が他の天体上の意識的生命を云々する時、とかく人間的身体と同じ形態を具えたものを想像しがちであるが、各種の霊界通信から推察すると、むしろ地球人類の方が特殊な部類に属し、幾千億と知れぬ天体上には人間の想像を超える形態を具えた存在が躍如たる生命活動を営んでいるようである。
シルバーバーチが説明困難と言ったのは、なぞらえるべきものが見当たらないのも一つの理由であるが、うっかり説明し始めるとつい”深み”にはまりこんでしまって、にっちもさっちもいかなくなるという危惧がある様である。むろんそれ以上に、今の人類にそんなものは必要ないという配慮もあることであろう)
第10章 あらためて基本的真理を
シルバーバーチが霊媒を招待した時はいつも温かい歓迎の言葉で迎えるが、古くからの馴染の霊媒であればその態度は一層顕著となる。これから紹介する女性霊媒とご主人はハンネン・スワッハー・ホームサークルの結成当初からのメンバーで、最近は永らく自宅で独自の交霊会を催しておられ、今回は久しぶりの出席である。
夏休み後の最初の交霊会となったこの日もシルバーバーチによる神への祈願によって開始され、続いて全員にいつもと同じ挨拶の言葉を述べた。
「本日もまた皆さんの集まりに参加し、霊界からの私のメッセージをおとどけすることができることを嬉しく思います。
僅の間とはいえ、こうして私たちが好意を抱き且つ私たちに好意を寄せてくださる方々との交わりを持つことは、私たちにとって大きな喜びの源泉です。こうした機会に自然の法則に従ってお互いが通じ合い、お互いの道において必要なものを、喜びと感謝のうちに学びあいましょう。
もとより私は交霊会という地上界と霊界との磁気的接触の場をもつ希少価値はよく理解しており、私が主宰するこの会の連絡網の一本たりとも失いたくない気持ちですが、次の言葉が一般論としても私個人にとっても真実ですので、明確に述べておきます。
それは、私はしつこい教説によって説き伏せる立場にはないと考えていることです。面白みのない霊的内容の教えを長い説教調で述べることは私の望むところではありません。
そのやり方ではいかなる目的も成就されません。私が望むやり方、この交霊会で私がせめてものお役にたてることができるのは、ここに集われた全ての方に・・・例外的な人は一人もいません・・・ともすると俗世的な煩わしさの中で見失いがちな基本的真理を改めて思い起こさせてあげることです。物的生活に欠かせない必須性から問題を生じ、その解決に迫られたときに、言いかえれば日常生活の物的必需品を手に入れることに全エネルギーを注ぎ込まなければならないときに、本来の自分とは何か、自分はいったい何者なのか、なぜ地上に生活しているのかと言ったことを忘れずにいることは困難なことです。
・・・そこで私のような古い先輩・・・すでに地上生活を体験し、俗世的な有為転変に通じ、しかもあなた方一人ひとりの前途に例外なく待ち受けている別の次元の生活にも通じている者が、その物的身体が朽ち果てた後にも存在し続ける霊的本性へ関心を向けさせていただいているのです。それが基本だからです。
あなた方は霊的な目的の為にこの地上に置かれた霊的存在なのです。そのあなた方を悩まし片時も心から離れない悩みごと、大事に思えてならない困った事態も、やがて消えていく泡沫(ウタカタ)のようなものに過ぎません。
と言って、地上の人間として責務を疎かにしてよろしいといっているのではありません。その物的身体が要求するものを無視しなさいと言っているのではありません。正しいのは平衝感覚、正しい視点を持つこと、そして俗世的な悩みごとや心配事や煩わしさに呑み込まれてしまって自分が神の一部であること、ミニチュアの形ながら神の属性の全てを内蔵している事実を忘れないようにすることです。
そのことを忘れず、その考えを日常生活に生かすことさえできれば、あなた方を悩ませていることがそれなりの意義を持ち、物的、精神的、霊的に必要なものをそこから摂取していくコツを身につけ、一方に気を取られて他方を忘れると言うことは無くなる筈です。
こう言うと多分〝あなたにとってはそれは結構でしょう。所詮あなたは霊の世界の人間です。家賃を払う必要も無い、食料の買い出しに行く必要も無い、衣服を買いに行かなくてもよい、そう言うことに心を煩わせることが無いのですから〟とおっしゃる方がいるかもしれませんが。確かにおっしゃる通りです。
しかし同時に私は、もしもあなた方がそうしたことに気を取られて霊的なことを忘れ霊の世界への備えをするチャンスを無駄にして、身につけるべきものも身につけずに、こちらへ来られた時に果たしてどう言う思いをなさるか、それも分っているのです。こんな話はもうたくさんですか?」
「とんでもございません。いちいちおっしゃる通りです」とその女性霊媒が答えると、
「私の言っていることが間違いで無いことは私自身にも確信があります。地上の全ての人にそれを確信させてあげれば視野が広がり、あらゆる困難に打ち克つだけの力が自分の内部に存在することを悟って取り越し苦労をしなくなり、価値ある住民となることでしょうが、なかなかその辺が分って頂けないのです。
霊の宝は神の子一人一人の意識の内部に隠されているのです。しかしそうした貴重な宝の存在に気付く人が何と少ないことでしょう。あなたはどう思われますか」と言って、今度はご主人の方へ顔を向けた。
「まったく同感です。ただ、その事を何時も忘れないで居る事が出来ない自分を情けなく思っています」と御主人が答えると、
「それが容易でないことは私も認めます。しかし、もしも人生に理想とすべきもの、気持ちを駆り立てるもの、魂を鼓舞するものが無かったら、もしも目指すべき頂上が無かったら、もしも自分の最善のものを注ぎ込みたくなるものが前途に無かったら、人生はまったく意味が無くなります。もしもそうしたものが無いとしたら、人間は土中の中でたくる虫けらと大差ないことになります」
「本当に良い訓えを頂きました」
「そう思って頂けますか。私には、してあげたくてもしてあげられないことが沢山あるのです。皆さんの日常生活での出来事にいちいち干渉できないのです。原因と結果の法則の働きをコントロールすることは出来ないのです。またあなた方地上の人間は大切だと考え、私は下らぬこととみなしている事柄が心に重くのしかかっていることがありますが、その窮状を聞かされても私はそれに同情する訳にはいかないのです。
私にできることは永遠不変の原理をお教えすることだけです。物質の世界がすみずみまで理解され開拓され説明し尽くされても、宇宙にはいかなる人間にも完全に知り尽くすことのできない神の自然法則が存在します。それは構想においても適応性においても無限です。
もしも日常生活に置いて決断を迫られた際に、あなた方の全てが自分が霊的存在であること、大切なのは物的な出来事ではなく・・・それはそれなりの存在価値があるにしても・・・その裏側に秘められた霊的な意味、あなたの本性、永遠の本性にとっていかなる意味があるかと言うことです。
物的存在は何時かは朽ち果て、地球を構成するチリの中に吸収されてしまいます。と言うことは物的野心、欲望、富の蓄積は何の意味も無いと言うことです。一方あなたと言う存在は死後も霊的存在として存続します。あなたにとっての本当の富はその本性の中に蓄積されたものであり、あなたの価値はそれ以上のものでもなく、それ以下のものでもありません。
そのことこそ地上生活に置いて学ぶべき教訓であり、その事を学んだ人は真の自分を見出したと言う意味において賢明なる人間であり、自分を見出したと言うことは神を見出したと言うことになりましょう。
地上生活を見ておりますと、あれやこれやと大事なことがあって休む間もなくあくせくと走り周り、血迷い、やけになりながら、その一番大切なことを忘れ、怠っている人が大勢います。私達の説く教訓の中でもそのことが一番大切ではないでしょうか。
それが、いったん霊の世界へ行った者が再び地上へ戻って来る、その背後に秘められた意味ではないでしょうか。それを悟ると言うことによって生きる喜び・・・神の子として当然味わうべき生甲斐を見出してもらいたいと言う願いがあるのです。
それはいわゆる宗教あるいは教会、教義、信条の類、これまで人類を分裂させ戦争と混沌と騒乱を生んできたものより大切です。少しも難しいことではありません。自分と言う存在の本性についての単純きわまる真理なのです。なのに、それを正しく捉えている人はほんの僅かな人だけで、大方の人間はそれを知らずにおります」
再び霊媒である奥さんが、自分の支配霊も心霊治療を行うことがあると述べ、遠隔治療によって本人の知らないうちに治してあげていることもある事実を取り上げて、こう尋ねた。
「そう言う場合はなぜ治ったかを本人に知らせてあげるべきだと思うのです。つまりそれを契機として、自分が神の子であることを知るべきだと考えるのですが、私の考えは正しいでしょうか、それとも多くを望みすぎでしょうか」
「理屈の上では正しいことです。が、とりあえずあなたの治療行為が成功したことに満足し、そのことを感謝し、同時にその結果としてその人の魂を目覚めさせてあげるところまで行かなかったことを残念に思うに止めておきましょう。
大切なのは、まず病気を治してあげることです。その上に魂まで目覚めさせてあげることはなお一層大切なことです。が、一方は成就できても他方は成就出来ない条件のもとでは、その一方だけは成就して、後は〝時〟が解決してくれることを待ちましょう。魂にその準備が出来るまでは、それ以上のものは望めないからです。
肉体は治った。続いて魂の方を、と言うべきことになるべきところですが、そこから進化と言う要素が絡んできます。魂がそれを受け入れる段階まで進化していなければ無駄です。しかしたとえ全面的に受け入れてもらえなくても、何の努力もせずにいるよりは何とか努力して見る方が大切です。それは私達すべてが取るべき態度です。ともかくも手を差しのべてあげるのです。受け入れてくれるかどうかは別問題として、ともかく手をさしのべてあげることです。努力の全てが報われることを期待してはなりません。
病気が治り魂も目覚める、つまり治療の本来の意義が理解してもらえるのが最も望ましいことです。次に、たとえ魂にまで手が届かなくても、病気だけでも治してあげると言う段階もあります。さらにもう一つの段階は、たとえ治らなくても治療行為だけは施してあげると言う場合です。
要請された以上はそう努力しなければなりません。が、たとえ要請されなくても施すべき場合があります。受けるよりは施す方が幸いです。施した時点を持ってあなたの責任は終わります。そして、その時点からそれを受けた人の責任は始まります。
「人間は自分の前世を思い出してそれと断定できるものでしょうか」
「もしその人が潜在意識の奥深くまで探りを入れることが出来れば、それは可能です。ですが果たして地上の人間でその深層まで到達できる人がいるかどうか、極めて疑問です。その次元の意識は通常意識の次元からははるかにかけ離れていますから、そこまで探りを入れるには大変な努力が必要です」
「そうした記憶は現世を生きている間は脇へ置いておかれるとおっしゃたことがあるように思いますが」
「それなりの手段を講ずることが出来るようになれば、自分の個性の全てを知ることが出来ます。しかし、あなたの現在の進化の段階においては、果たして今この地上に置いてそれが可能となるかとなると、極めて疑問に思います。つまり理屈では出来ると言えても、あなたが今まで到達された進化の段階おいては、それは不可能だと思います」
「神は特別な場合に備えて特殊な力を授けると言うことをなさるのでしょうか」と、かつてのメソジスト派の牧師が尋ねた。
「時にはそう言うこともなさいます。その人物の力量次第です。最も、神が直接干渉なさるものではありません」
「神学には〝先行恩寵〟と言う教義があります」
(苦を和らげるために前もって神が人の心に働きかけて悔悟に導くと言う行為の事=訳者)
「ありますね。神は毛を刈り取られた羊への風を和らげてあげると言う信仰です(*)時にはそう言うこともあることは事実ですが、神と言えども本人の受け入れ能力以上のものを授けることは出来ません。それは各個の魂の進化の問題です。私がそうした法則を拵えたわけではありません。法則がそうなっていると言うことを私が知ったと言うことです。
皆さんも何時かは死ななくてはなりません。霊の世界へ生れる為に死ななければなりません。地上の人間にとってそれが悲しみの原因になる人がいますが、霊の世界の大勢の者にとってはそれは祝うべき慶事なのです。要は視点の違いです。私達は永遠の霊的視点から眺め、あなた方は束の間の観点から眺めておられます」
(英国の小説家ロレンス・スターンの小説の中の一部で、弱きものへの神の情けを表現する時によく引用される=訳者)
ここでサークルの二人のメンバーが身内や知人の死に遭遇すると無情感を禁じ得ないことを口にすると、シルバーバーチはこう述べた。
「霊に秘められた才覚のすべてが開発されれば、そう言う無常観は覚えなくなります。が、これは民族並びに進化に関る問題です。私にはその全ての原理を明らかにすることはできません。私とて、全てを知っているわけではないからです。あなた方より少し多くのことを知っているだけです。
そしてその少しばかりをお教えすることで満足しております。知識の総計と較べれば微々たるものですが、私は神の摂理が地上とは別個の世界に置いてどう適用されているかをこの目で見て来ております。
数多くの、そして様々な環境条件のもとでの神の摂理の働きを見ております。そして私がこれまで生きてきた三千年の間に知り得た限りにおいて言えば、神の摂理は知れば知るほどその完璧さに驚かされ、その摂理が完全なる愛から生まれ、完全なる愛によって管理され維持されていることを、ますます思い知らされるばかりなのです。
私も摂理のすみずみまで見届けることはできません。まだまだすべてを理解できるまでに進化していないからです。理解出来るのはほんの僅かです。しかし私に明かされたその僅かな一部だけでも、神の摂理が完全なる愛によって計画され運営されていることを得心するには充分です。
私は自分にこう言い聞かせているのです・・・今の自分に理解できない部分をきっと同じ完全なる愛によって管理されているに相違ない。もしそうでなかったら宇宙の存在は無意味となり不合理な存在となってしまう。
もしこれまで自分が見てきたものが完全なる愛の証であるならば、まだ見ていないもの、あるいはまだ理解できずにいるものも又、完全なる愛の証であるに違いない、と。
ですから、もしも私の推理に何らかの間違いを見出されたならば、どうぞ遠慮なく指摘していただいて結構です。私は喜んでそれに耳を傾けるつもりです。私だっていつどこで間違いを犯しているか分らないと言う反省が常にあるのです。無限なる宇宙のほんの僅かな側面しか見ていないこの私に絶対的な断言がどうしてできましょう。
ましてや地上の言語を超越した側面の説明は皆目出来ません。こればかりは克服しようにも克服できない、宿命的な障壁です。そこで、私は、基本的な真理から出発してまずそれを土台とし、それでは手の届かないことに関しては、それまでに手にした確実な知識に基づいた信仰をお持ちなさい、と申し上げるのです。
基本的真理にしがみつくのです。迷いの念の侵入を許してはなりません。これだけは間違いないと確信するものにしがみつき、謎だらけに思えてきたとき、ムキにならずに神の安らぎと力とが宿る魂の奥の間に引きこもることです。そこに漂う静寂と沈黙の中にその時のあなたにとって必要なものを見出されることでしょう。
常に上を見上げるのです。うつむいてはなりません。うなだれる必要はどこにもありません。あなたの歩む道に生じることの一つ一つがあなたと言う存在を構成していく縦糸であり横糸なのです。これまでにあなたの本性の中に織り込まれたものはすべて神の用意された図案(パターン)に従って織られていることを確信なさることです。
さて本日もここから去るに当って私から皆さんへの愛を置いてまいります。私は何時も私からの愛を顕現しようと努力しております。お役に立つことならばどんなことでも厭わないことはお分かり頂いていると思います。しかし、楽しく笑い冗談を言い合っている時でも、ここにこうして集い合った背後の目的を夢ゆめ忘れないように致しましょう。神は何を目的として吾々を創造なさったのかを忘れないように致しましょう。
その神との厳粛なつながりを汚すようなことだけは絶対にしないように心掛けましょう。こうした心掛けが、神の御心に適った生き方をする者には必ず与えられる祝福、神の祝福を受け止めるに足る資格を培ってくれるからです」
(本章は一見何でもないことを述べているようで、その奥に宇宙の厳粛な姿を秘めたことを何の衒(テライ)も無く述べた、シルバーバーチ霊の圧巻であるように思う。特に〝私は自分にこう言い聞かせているのです〟で始まる後半の部分は熟読吟味に値する根源で、その中にシルバーバーチの霊格の高さ、高級霊としての証が凝縮されて居るように思う。
霊格の高さを知る手掛かりの一つは謙虚さであると言うことである。宇宙の途方も無い大きさと己の小ささ、神の摂理の厳粛さと愛を真に悟った者は自ずと大きなことは言えなくなる筈である。
反対に少しばかり齧(カジ)った者ほど大言壮語する。奥深い厳粛なものに触れていないからこそ大きな口が利けるのであろう。それは今も昔も変わらぬ世の常であるが、霊的なことが当然のこととして受け入れられるようになるこれからの世の中にあって、人の迷わせる無責任きわまる説が大手を振ってのさばることが予想される。そうしたものに惑わされない為にはどうすべきか。
それはシルバーバーチが本章で述べている通り、基本的真理にしがみつくことである。吾々人間は今この時点において既に霊であること、地上生活は次の段階に備えて霊的資質を身につけることに目的があること、人生体験には何一つ無駄なことが無いこと。ただそれだけのことを念頭に置いて地道に生きることである。
本章を訳しながら私はシルバーバーチの霊訓の価値を改めて認識させられる思いがして嬉しかった)
第11章 みんな永遠の旅の仲間
ある日の交霊会で、開会を前にして出席者の間で〝実在主義〟についての議論が戦わされたことがあった。(霊媒のバーバネルが入神しシルバーバーチが憑ってくると開会となるが、霊団はその前から準備しているので、シルバーバーチはその議論の様子を全部知っている)
出現したシルバーバーチがこう述べた。
「ただ今の議論と真理の本質に関するご意見をとても興味ぶかく拝聴いたしました」
・・・私達の意見に賛成なさいますか。それとも的外れでしょうか。
「いや、ちゃんと的を射ておられます。皆さんに道標となる知識の用意があるからです。ですが、皆さんも人間である以上各自に歩調と言うものがあります。進化とは絶え間ない成長過程です。成長は永遠に続くものであり、しかもみんな同じ段階に到達するとは限りません。各自が同じ魂の宿命を自分で成就しなければなりません。
それまでに手にした光明(悟り、理解力)と、直面する困難を媒体として、その人独自の教訓を学んでいかねばなりません。それを自分でやらねばならないのです。他人からいくら知恵の援助を受ける事が出来ても、魂の成長と開発と発達はあくまで当人が自分の力で成就しなければならない個人的問題なのです。
真理は永遠不滅です。しかも無限の側面があります。なのに人間は自分が手にした一側面を持って真理の全体であると思いこみます。そこから誤りが始まります。全体などではありません。進化するにつれ理解力が増し、他の側面を受け入れる用意が出来るのです。生命活動とは絶え間なく広がり行く永遠の開発過程のことです。真理の探究は無限に続きます。
あなた方はそちらの地上において、私はこちらの世界において、真理の公道(ハイウェー)を旅する巡礼の仲間であり、他の者より少し先を歩んでいる者もいますが、究極のゴールにたどり着いた者は一人もいません。
不完全さが減少するにつれて霊的資質が増し、当然の結果として、それまで手にすることの出来なかった高度の真理を受け入れることが出来るようになります。人類の全てが一様に従うべき一個のパターンと言うものはありません。神の顕現が無限であるからには神の真理に近づく道にも又無限のバリエーションがあることになります。お分かりでしょうか」
「分ります。その道にも直接的に近づく道と迂回する道とがあるのではないでしょうか」
「その通りです。直接的なものと迂回的なものがあります。が、それは道を歩む本人の発達程度によって決まることです。直接的な道を歩めるようになるまでは、それが直接的な道であることが読み取れません。環境は当人の魂の本性によって条件づけられています。全生命は自然法則によって規制されています。その法則のワクを超えた条件と言うものは望めません。あなた自身そのワクの外に出ることも出来ません。
かくして、いかなる体験も、これがあなたの住む地上であろうと私の住む霊界であろうと、ことごとく自然法則によって位置付けられていることになります。偶然にそうなっているのではありません。奇跡でもありません。あなたの進化の本質的な核心の一部を構成するものです。そうでないといけないでしょう。常に原因と結果の法則によって織りなされているのです」
環境条件が自分の進化と無関係のものによってこしらえられることがありますか。
「それは一体どういう意味でしょうか」
「もしかしたら私は明日誰かの行為によって災難に遭うかもしれません」
「そうかも知れませんが、それによって苦しい思いをするか否かはあなたの進化の程度の問題です」
「でも、その他人がその様な行為に出なかったら私は災難に遭わずに済みます」
「あなたは永遠の霊的規範を物的尺度で測り、魂の視点からではなく肉体の視点、言いかえれば今物質を通して顕現している精神だけの視点から眺めておられます」
「それを災難と受け取るも進化のある一定段階までのことだとおっしゃるのでしょうか」
「そうです。それを災難と受け取る段階を超えて進化すれば苦しい思いをしなくなります。苦は進化と相互関係にあります。楽しみと苦しみは両極です。同じ棒の両端です。愛と憎しみも同じ力の二つの表現です。愛する力が憎しみとなり得ますし、その逆もあり得ます。同じく、苦しいと思わせる力が楽しいと思わせることも出来ます。あなたの体験の〝質〟を決定づけるのはあなたの進化の〝程度〟です。ある段階まで進化すると、憎しみを抱かなくなります。
愛のみを抱くようになります。苦を感じず幸せばかりを感じるようになります。難しい事ですが、しかし真実です。苦しみを何とも思わない段階まで到達すると、いかなる環境にも影響されなくなります」
ここで別のメンバーが「同じ環境に二人の人間を置いても、一方は愛を持って反応し、他方は憎しみを持って反応します」と言うと、もう一人のメンバーが「他人の為に遭難にあうと言うこともありませんか。例えばイエスは他人の為に災難を受けました」と言う。するとシルバーバーチが質問の意味が分らないと述べるので、改めてこう質問した。
「あなたは先ほど他人の行為によって自分が災難に遭うこともあり得ることを認められました。他人の苦しみを知ることによって自分が苦しむと言う意味での苦しみもあるのではないでしょうか。それは無視してもよいのでしょうか。そしてそれは良いことなのでしょうか」
「少しずつ深みに入ってきましたね。でも思い切って足をふみ入れてみましょう。円熟した魂とは人生の有為転変の全てを尽した魂のことです。苦しみの淵を味わわずして魂の修練は得られません。
底まで下りずして頂上へは上がれません。それ以外に霊的修練の道は無いのです。あなた自ら苦しみ、あなた自ら艱難辛苦を味わい、人生の暗黒面に属することのすべてに通じて初めて進化が得られるのです。進化とは低いものから高いものへの成長過程にほかならないからです。
さて苦しみとは一体何でしょうか。苦しみとは自分自身又は他人が受けた打撃または邪悪なことが原因で、精神又は魂が苦痛を覚えた時の状態を言います。が、もしその人が宇宙の摂理に通じ、その摂理には神の絶対的公正が宿っていることを理解していれば、少しも苦しみは覚えません。
なぜなら各人が置かれている環境はその時点において関係している人々の進化の程度が生み出す結果であると得心しているからです。進化した魂は同情、思いやり、慈悲心、哀れみを覚えますが、苦痛は覚えません」
「そうだと思います。私もそう言う意味で申し上げたのですが、用語が適切でありませんでした」
「要するに理解が行き届かないから苦しい思いをするのです。十分な理解が行けば苦しい思いをしなくなります。また、すべきではありません」
別のメンバーが「バイブルにはイエスは吾々の為に苦しみを受けたとあります」
「バイブルには事実でない事が沢山述べられています。いかなる人間も自分以外の者の為に代わって苦しみを受けることは出来ません。自分の成長管理をするのは自分一人しかいない・・・他人の成長は管理できないと言うのが摂理だからです。
贖罪説は神学者が時代の要請に従ってでっち上げた教説の一つです。自分が過ちを犯したら、その荷は自分で背負ってそれ相当の苦しみを味わわなくてはなりません。そうやって教訓を学ぶのです。もしも誰か他の者が背負ってあげることが出来るとしたら、過ちを犯した本人は何の教訓も学べないことになります。
苦と楽、悲しみと喜び、平静さと怒り、嵐と晴天、こうしたものがみな魂の成長の糧となるのです。そうしたものを体験し教訓を学んで初めて成長するのです。その時初めて宇宙が無限なる愛によって支配され、その愛から生みだされた摂理に間違いないとの自覚を得る事が出来るのです。
“まず神の国と義を求めよ。さらばそれらのものすべて汝のものとならん〟と言うのは真実です。
その心掛けになり切れば、つまり宇宙の摂理に不動の、そして全幅の信頼を置くことが出来るようになれば、人生で挫折することはありません。なぜならばその信念が内部の霊力を湧き出させ、何事も成就させずに置かないからです。
その霊力を枯渇させマヒさせる最たるものは〝心配〟の念です。全幅の信頼心・・・盲目的な信仰ではなく知識を土台とした完全なる信念は、人生のあらゆる体験に心配も迷いも不安も無く立ち向かわせます。
神の子である以上は自分の魂にも至聖所があり、そこに憩う事を忘れない限り、自分を焼き尽くす火も吹き倒す嵐も絶対にないとの確信があるからです」
「素晴らしい事です」
「本当にそうなのです。物質に包まれた人間にはその理解はとても困難です。魂そのものは知っていても、その物質による束縛がどうしても押し破れないのです。しかし、それを押し破っていくところに進化があるのです。
人生問題を霊の目で眺めれば、その一つ一つに落ち着くべき場がちゃんと用意されているのです。地上的な目で眺めるから混乱と困難と誤解が生ずるのです。そこで私達の出番が必要となります。すなわち霊的真理の光をお見せするのです。
ナザレのイエスが〝神の御国は汝自身の中にある〟と述べたのは寓話ではなく真実を述べたのです。神は全生命の中心です。宇宙は神が内在しているゆえに存在しているのです。地上のあらゆる存在物も神が内在するからこそ存在しているのです。あなた方もミニチュアの神なのです。
あなた方の心掛け次第でその内部の力が成長し、発展し、開花するのです。その成長の度合いを決定づけるのはあなた方自身です。他の誰も代わってあげることは出来ません。それが地上生活の目的なのです。
自分も神であることを自覚なさることです。そうすれば神の御国(摂理)は他ならぬ自分の魂の中にある事を悟られる筈です。それは絶対に裏切ることはありません。無限の補給源である神の摂理に調和した生き方をしている限り、何一つ不自由な思いも空腹も渇きも感じなくなります。と言っても必要以上のものはいただけません。
魂の成長の度合いに相応しいものだけ、が与えられ、それよりも多くも、それよりも少なくも、それより程度の高いものも低いものも受け付けません。それ以外にはありようがないのです」
第12章 苦難にこそ感謝を
「私は霊的な目を通して眺めることが出来ると言う利点のお陰で真理の様々な側面が見える立場にあります。あなた方は残念ながら肉体の中に閉じ込められていると言う不利な条件の為に、私と同じ視点から眺める事は出来ません」
これは今スピリチュアリズムを熱心に勉強し始めた初心者の夫婦を招いた時に、霊と物質と言う基本的なテーマについて語るにあたっての前置きである。続けてこう語る。
「あなた方は物質をまとった存在です。身を物質の世界においておられます。それはそれなりに果たすべき義務があります。衣服を着なければなりません。家が無くてはなりません。食べるものが必要です。身体の手入れをしなくてはなりません。身体は要請される仕事を果たす為に必要なものをすべて確保しなければなりません。物的身体の存在価値は基本的には霊の道具であることです。
霊なくしては身体の存在はありません。そのことを知っている人が実に少ないのです。身体が存在出来るのはまず第一に霊が存在するからです。霊がひっこめば身体は崩壊し、分解し、そして死滅します。
このことを申し上げるのは、多くの人達と同様に、あなた方もまだ本来の正しい視野をお持ちでないからです。ご自身のことを一時的な地上生命を携えた霊的存在であるとは見ておられません。身体に関ること、世間的なことを必要に重大視される傾向がまだあります。いかがですか。私の言っていることは間違っていますか。間違っていれば遠慮なくそうおっしゃってください。私が気を悪くすることはありませんから…」
「いえ、おっしゃる通りだと思います。そのことを自覚し、且つ忘れずに居ると言うことは大変難しいことです」と奥さんが答える。
「難しいことであることは私もよく知っております。ですが、視野を一変させ、その身体だけでなく、住んでおられる地球、それからその地球上の全てが存在出来るのは霊のお陰であること、あなたも霊であり、霊であるが故に神の属性の全てを宿していることに得心がいくようになれば、前途に横たわる困難の全てを克服していくだけの霊力を授かっていることに理解が行く筈です。生命の根元、存在の根元、永遠性の元は霊の中にあります。自分で自分をコントロールする要領(コツ)さえ身につければ、その無限の貯蔵庫からエネルギーを引き出すことが出来ます。
霊は物質の限界によって牛耳られてばかりはいません。全生命の原動力であり、全存在の大始源である霊は、あなたの地上生活において必要なものを全てを供給してくれます。その地上生活の目的は極めて簡単なことです。死後に待ち受ける次の生活に備えて、本来のあなたであるところの霊性を強固にするのです。身支度を整えるのです。
開発するのです。となれば、良いことも悪いことも、明るいことも暗いことも、長所も短所も、愛も憎しみも、健康も病気も、その他ありとあらゆることがあなたの霊性の糧となるのです。
その一つ一つが神の計画の中でそれなりの存在価値を有しているのです。いかに暗い体験も、・・・暗く感じられるのは気に食わないからにすぎないのですが・・・克服できないほど強烈なものはありません。あなたに耐えられない程の試練や危機に直面させられることはありません。その事実を何らかの形で私と御縁の出来た人に知って頂くだけでなく、実感し実践して頂くことが出来れば、その人は神と一体となり、神の摂理と調和し、日々、時々刻々、要請されるものにきちんと対応出来る筈なのです。
ところが残念ながら、敵があります。取り越し苦労、心配、不安と言う大敵です。それが波長を乱し、折角の霊的援助を妨げるのです。霊は平静さと自信と受容力の中ではじめてのびのびと成長します。日々の生活に要請されるすべてのものが供給されます。物的必需品の全てが揃います」
ここでご主人が「この霊の道具に吾々はどう言う注意を払えばよいかを知りたいのですが・・・肝心なポイントは何処にあるのでしょうか」と尋ねる。
「別に難しいことではありません。大方の人間のしていることを御覧になれば、身体の必要にばかり拘って精神ならびに霊の必要性に無関心すぎると言う私の意見に賛成して頂けると思います。身体へ向けている関心の何分の一かでも霊の方へ向けて下されば、世の中は今よりずっと住みよくなるでしょう。」
「霊をほったらかしにしていると言うことでしょうか。と言うことは身体上のことはそうまで構わなくてよいと言うことでしょうか。それとももっと総体的な努力をすべきなのでしょうか」
「それは人によって異なる問題ですが、一般的に言って人間は肉体のことは疎かにしていません。むしろ甘やかしすぎです。必要以上のものを与えています。あなた方が文明と呼んでいるものが不必要な用事を増やし、それに対応する為にまた新たな慣習的義務を背負いこむと言う愚を重ねております。
肉体にとってなくてはならないものと言えば光と空気と食べ物と運動と住居位のものです。衣服もそんなにあれこれと必要なものではありません。慣習上必要となっているだけです。
私は決して肉体ならびにその必要条件を疎かにしてよいと言っているのではありません。肉体は霊の大切な道具ではありませんか。肉体的本性が要求するものを無視するようにとお願いしているのではありません。私は一人でも多くの人間が正しい視野を持っていただき、自分自身の本当の姿を見つめるようになっていただきたいのです。
まだ自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい霊を備えた肉体だと思い込んでいる人が多すぎます。本当は肉体を具えた霊的存在なのです。それとこれとでは大違いです。
無駄な取り越し苦労に振り回されている人が多すぎます。私が何とかしてなくしてあげたいと思って努力しているのは不必要な心配です。神は無限なる叡智と無限なる愛です。われわれの理解を超えた存在ですが、その働きは宇宙の生命活動の中に見出すことができます。
驚異に満ちたこの宇宙が、かつて一度たりともしくじりを犯したことのない神の摂理によって支配され規制され維持されているのです。その節理の働きは一度たりとも間違いを犯したことがないのです。変更になったこともありません。廃止されて別のものと置き換えられたこともありません。
今存在する自然法則はかつても存在し、これからも永遠に存在し続けます。なぜなら完璧な構想のもとに全能力の力によって生み出されたものだからです。
宇宙のどこでもよろしい、よく観察すれば、雄大なものから極小のものに至るまであらゆる相が自然の法則によって動かされ、規則正しくコントロールされていることがお分かりになります。途方もなく巨大な星雲を見ても、極微の生命を調べても、あるいは変転極まりない大自然のパノラマに目を向けても、さらには小鳥、樹木、花、海、山川、湖どれ一つとってみても、ちょうど地球が地軸を回転することによって季節の巡りが生まれているように、すべての相とのつながりを考慮した法則によって統制されていることがわかります。
種をまけば芽が出る・・・このいつの時代にも変わらない、摂理(キマリ)こそ神の働きの典型です。神は絶対にしくじったことがありません。あなた方から見放さない限り神はあなた方を見放すことはありません。(訳者注=神がしくじるという言い方はいかにも幼稚にひびくが、われわれが不安や心配を抱き取り越し苦労が絶えないということは、裏返せば神の絶対的叡智に対する信仰が不足していることを意味し、これを分かりやすく表現すれば神がしくじるかもしれないと思っていることになる)
私は神の子すべてにそういう視野を持っていただきたいのです。そうすれば取り越し苦労もなくなり、恐れおののくこともなくなります。
いかなる体験も魂の成長にとっては何らかの役にたつことを知ります。その認識のもとに一つ一つの困難に立ち向かうようになり、首尾よく克服していくことでしょう。そのさ中にあってはそう思えなくても、それが真実なのです。あなた方もいつかは私達の世界へおいでになりますが、こちらへくれば、感謝なさるのはそう言う暗い体験の方なのです。
視点が変わることによって、暗く思えた体験こそ、そのさ中にあるときは有り難く思えなくても、霊の成長を一番促進してくれていることを知るからです。今ここでそれを証明して差し上げることはできませんが、こちらへおいでになれば自ら証明なさることでしょう。
こうしたことはあなたにとって比較的に新しい真理でしょうが、これは大変な真理であり、また多くの側面を持っています。まだまだ学ばねばならないことがたくさんあるということです。探求の歩みを止めてはいけません。歩み続けるのです。正し霊媒の口を突いて出るものを全部鵜呑みにしてはいけません。
あなたの理性が反発するもの、あなたの知性を侮辱するものは拒絶なさい。理に適っていると思えるもの価値があると確信できるもののみを受け入れなさい。何でもすぐに信じる必要はありません。あなた方の判断力にしっくり来るものだけを受け入れればいいのです
私達は誤りを犯す可能性のある道具を使用しているのです。交信状態が芳しくない時があります。うっかりミスを犯すことがあります。伝えたいことのすべてが伝えられないことがあります。他にもいろいろ障害があります。
霊媒の健康状態、潜在意識の中の思念、頑なに固執している観念等が伝達を妨げる事もあります。その上、私たちスピリット自身も誤りを犯す存在だと言うことを忘れてはなりません。死によって無限の知識のすべてを手にできるようになるわけではありません。地上時代より少し先が見えるようになるだけです。
そこであなた方より少し多くを知った分だけをこうしてお授けしたいと思うわけです。私達も知らないことが沢山あります。が、少しでも多くを知ろうと努力を続けております。
より開けたこちらの世界で、知り得た価値ある知識をこうしてお授けするのは、代わって今度はあなた方が、それを知らずにいる人々へ伝えて頂きたいと思うからです。宇宙はそう言う仕組みになっているのです。実に簡単なことなのです。私達は自分自身のことは何も求めません。
お礼の言葉もお世辞も要りません。崇めてくださっても困ります。私達はただの使節団、神の代理人に過ぎません。自分ではその使命に相応しいとは思えないのですが、その依頼を受けた以上お引き受けし、力の限りその遂行に努力しているところなのです」
解説〝霊〟と〝幽霊〟訳者
四章の「ジョン少年との対話」に出てくる〝霊〟と〝幽霊〟はどう違うかと言う質問は、シルバーバーチも〝なかなかいい質問ですよ〟と言っているように西洋ではとかく誤解されがちな問題であるが、現下の日本の神霊事情を見てもその誤解ないしは認識不足によってとんでもない概念が広がっているので、ここでシルバーバーチの答えを敷延する形で解説を施しておきたい。
誤解には二通りある。〝霊〟を〝幽霊〟と思っている場合と、〝幽霊〟を〝霊〟と思っている場合である。日本人は何かにつけてそうであるが、霊についても極めて曖昧な概念を抱いている。次に紹介する話はそれを典型的にしめしているように思う。
私も時たま墓地の清掃に行くが、同じ墓園には殆ど毎日墓参する人がいる。先祖は家の根であり、根を培わずして子孫の繁栄は無いと言う信仰から供養を欠かさないのだと言う話を聞かされたことがあるが、その後また一緒になった時にその信仰をほじくってやろうと言う悪戯心から「やはり霊と言うのが存在していて、どこかに霊の世界と言うのがあるのでしょうね」と聞いてみた。すると案の定言下にこう言い放った。
「何をおっしゃるんです。人間この肉体が滅びたらもうおしまいですよ。私はその霊を供養しているだけですよ」
一体その霊とは何であろう。何かしら得体のしれない、実態のないものを漠然と思い浮かべているらしいのであるが、そんなものを供養してそれが子孫の繁栄になぜ繋がるのか・・・そんな理屈っぽいことはみじんも考えないところが、いかにも日本人らしいのである。
が、先日のテレビで〝心霊相談〟にのっている〝自称霊能者(女性)〟が古い先祖霊の供養に言及して「霊の中には一千年でも生きている場合がありますから」云々と述べているのを聞いて私は自分の耳を疑った。どの程度の霊能があるかは知らないが、今紹介した平凡人ならまだしも、心霊相談にのる為にテレビに出るほどの専門家(プロ)がこの程度の理解しかしていないことに私は唖然とした。
この自称霊能者にとっては相も変わらず肉体が実在であって、霊は一種の〝名残り〟のようなものとしてどこかにふわっと残っていて、やがて消滅していくものらしいのである。そしてたぶん、大方の日本人が大体そんな風に漠然とした認識しか抱いていないのではなかろうか。
では一体霊とは何なのか・・・これはシルバーバーチが繰り返し説いていることなので、ここで改めて私から説くことは控えたい。ただ一言だけ述べておきたいのは、知識を持つことと、それを実感を持って認識することとの間にはかなりの距離があると言うことである。霊には実態があるのです。
と言われてもそれをなるほどと実感するには、その知識を片時も忘れずに念頭において生活しながら、その実生活の中で霊的意識を高めていくほかはない。その内、ふとしたこと、…大自然の驚異を見たり何でもない日常の出来事を体験して・・・あ、そうか、と言う悟りを得るようになる。
それが本当に分ったと言うことであろう。シルバーバーチが単純素朴な真理を繰り返し繰り返し説くのも、そうした霊的意識の深まりを期待しているからであることを銘記して頂きたい。
次に〝幽霊〟を〝霊〟と勘違いしている場合であるが、これはシルバーバーチの答の通りであるが、それに付け加えて言えば、いわゆる心霊写真の大半がその類だと言うことである。
その説明に先だって認識して措いて頂きたいのは、人間の想念と言うものはその人の人相と同じ形体を取る傾向があると言うことである。次の例からそれを理解して頂きたい。
私の家によく来て頂いている僧侶・・・非常に霊感の鋭い方である・・・が仏壇の前で何時ものようにお経をあげている最中に、その僧侶には珍しく途中で詰まってお経が乱れ、ややあってからどうにか普通の調子に戻った事があった。
終わってその僧侶に私が、今読経している最中にかくかくしかじかの人相の人が目の前に現れたと言って、その人相を説明した。さらにおっしゃるには、その霊は死者の霊ではなく、まだ生きている人だと言う。いわゆる生霊である。「何か怨みか、嫉妬でも買う様なことをされましたか」と僧侶が私に聞いた。
私はすぐにぴんときた。確かに思い当たる人がいて、私に嫉妬心を抱いてもやむを得ない事情があった。そのせいか、家族中でなんとなく不調を訴えることが多かったが、その僧侶の処置ですっかり良くなった。
恩師の間部詮敦氏は「念は生き物です」と言うセリフをよく口にされ、従って自分から出た念は必ず自分に戻って来るから、何時も良い念を出すように心掛けなさい。と言う論法で説教しておられた。
私がここでそれを付け加えて言いたいのは、その念はその人の人相、時には姿恰好までそっくりの形体を取る傾向があると言うことである。これは謎の一つで、なぜだか分らない。
よく肉親や知人が枕元に立った夢を見て目を覚まし、後で分ってみると、ちょうどその人が死亡した時と一致したと言う話が語られる。この場合すぐに、その死者の霊が自分の死を知らせに来たのだとか別れを言いに来たのだと解釈され、それが如何にもドラマチックなのでそう思いがちであるが、実際問題として、よほどの霊覚者でない限り、死んですぐに意識的に自分で姿を見せるような芸当のできる者はいない。
これには二つのケースが考えられる。一つはその死者の背後霊が本人を装って姿を見せた場合で、これは意外に多いようである。もう一つはその死者の念が最も親和性の強い人のところへ届き、それがその人の姿かたちを取った場合で、私はこのケ-スが遥かに多いと見ている。
心霊写真の中で生気が感じられないものは大半が浮遊している念が感応したか、又は地上に残された幽質の殻が当人の念の働きを受けて感応したかである。勿論実際にその場に居合わせた霊・・・大抵は自分でこしらえた磁場から脱け出られなくてその辺りをうろついている、いわゆる自縛霊であるが・・・が、親和力の作用で近づいたのがたまたま霊能のある人の写真に写ったと言う場合もあることはあるのであろう。
反対に生気はつらつとして、まるで地上人間と変わらない様な雰囲気で写っている場合は、霊界の写真技術師の指示を受けてエクトプラズムをまとって出た場合であり、A・Rウォーレスの『心霊と進化』にはその詳しい説明が出ている。
幽霊話に出てくるのは大抵地上に残した殻・・・セミの抜け殻と全く同じと思えばよい・・・が何かのはずみで動き出した場合で、不気味ではあっても少しも恐ろしいものではない。
よく怪談ものを映画や芝居で演じる場合に奇怪な出来事が相次ぎ、話が話だけにいやがうえにも恐怖心に煽られるが、それを、例えば四谷怪談であればお岩の亡霊がやっていると考えるのは間違いで、単なるいたずら霊の仕業、西洋で言うポルスターガイドに過ぎない。スタッフの中に霊格の高い人がいたらそう言う奇怪な現象は起こらない。その人の守護霊が悪戯霊を抑えてしまうからである。
こうした解説を施しながら私は何時も、スピリチュアリズム的霊魂観の普及の必要性を痛感せずにはいられない。