ステラ・ストーム(編)
1987年8月 近藤 千雄(訳)
Philosophy of Silver Birch
By Stella Storm
Spiritualist Press (1969)
London, England
目 次
まえがき
第1章 シルバーバーチはなぜ戻ってきたか
第2章 活字の効用
第3章 霊の威力
第4章 不変・不滅・不可避の摂理
第5章 死別の教訓
第6章 霊能者の責任
第7章 魂を癒す・・・心霊治療の本質
第8章 宗教とは
第9章 青年部の代表と語る
第10章 質問に答える
第1節 イエス・キリストについて
第2節 〝キリストの霊〟Christ spiritとは何でしょうか。
第3節 いわゆる〝聖痕(スチグマ)〟について問われて・・・
第4節 〝大霊の愛〟と〝己を愛する如く隣人を愛する〟という言葉の解釈について問われて・・・
第11章 三つの出張講演から
第1節 I・S・F(国際スピリチュアリスト連盟)での講演と一問一答
第2節 N・F・S・H(英国心霊治療家連盟)における講演と一問一答
第3節 S・A・G・B(大英スピリチュアリスト教会)における講演と一問一答
第12章 自殺について二つの投書
第13章 おしまいに
解説〝霊がすぐ側にいる〟と言うことの意味─訳者
まえがき
十二人の出席者が扇形に席を取った。みんなヒソヒソ話を交わしているが、私の目はソファーの右端に座っている小柄で身ぎれいな男性に注がれていて、まわりの人たちの話の内容は分からない。
その眠気を催すような低音の話声だけを耳にしながら、私はその男性が少しづつ変身していく様子をじっと見守っていた。ふだんは実に弁舌さわやかな人間が、そうしたとりとめもない雑談から身を引くようにものを言わなくなっていった。
やがて黒縁の眼鏡と腕時計をはずし、頭を下げ、両目をこすってから、その手を両膝の間で組んだ。顎が、居眠りをしているみたいに腕のところに来ている。
それから二、三分してから新しい変化を見せ始めた。背をかがめたまま顔を上げた。出席者たちはそんなことにはお構いなしに雑談に耽りながらも、すでに霊媒(ホスト)が肉体を離れていることを感じ取っていた。そして代って主賓(ゲスト)の挨拶の第一声が発せられると同時に、水を打ったように静寂が支配した。
その霊媒モーリス・バーバネルが肉体を離れ、代わって支配霊のシルバーバーチがその肉体を〝拝借〟して、今我々の真っ只中にいる。霊媒とは対照的にゆっくりとした、そして幾分しわがれた感じの声で情愛溢れる挨拶をし、いつものように開会の祈りを述べた。
「神よ、自らに似せて私たちを造り給い、自らの神性の一部を賦与なされし大霊よ。私たちは御身と私たち、そして私たち相互の間に存在する一体関係を一層緊密に、そして強くせんと努力しているところでございます。
これまで私たちに得させてくださったものすべて、かたじけなくもお与えくださった叡智のすべて、啓示してくださった無限なる目的への確信のすべてに対して、私たちは感謝の意を表し、同時にこれ以後もさらに大いなる理解力を受けるにふさわしき存在となれるように導き給わんことを祈るものでございます。
私たちは、これまでもあまりに永きに渡って御身をおぼろげに見つめ、御身の本性と意図を見誤り、御身の無限なる機構の中における私たちの位置について誤解しておりました。しかし今ようやく私たちも、御身の永遠の創造活動に参加する測り知れない栄誉を担っていることを知るところとなりました。
その知識へ私たちをお導きくださり、御身について、私たち自身について、そして私たちの置かれている驚異に満ちた宇宙について、いっそう包括的な理解を得させてくださったのは御身の愛に他なりません。
今や私たちは御身と永遠につながっていること、地上にあっても、あるいは他界後も、御身との霊的な絆が切れることは絶対にないことを理解いたしております。それゆえに私たちは、いかなる時も御身の視界の範囲にあります。いずこにいても御身の摂理のもとにあります。御身がいつでも私たちにお近づきになられるごとく、私たちもいつでも御身に近づけるのでございます。
しかし子等の中には自分が永久に忘れ去られたと思い込んでいる者が大勢おります。その者たちを導き、慰め、心の支えとなり、病を癒し、道案内となる御身の霊的恩寵の運び役となる栄誉を担った者が、これまでに数多くおりました。
私たちは死のベールを隔てた双方に存在するその先駆者たちの労苦に対し、また数々の障害を克服してくれた人達に対し、そしてまた、今なお霊力の地上への一層の導入に励んでくださっている同志に対して、深甚なる感謝の意を表明するものでございます。
どうか私たちの言葉のすべてが常に、これまで啓示していただいた摂理に適っておりますように。また本日の交霊会によって御身に通じる道を一歩でも前進したことを知ることができますように。
ここに常に己を役立てることのみを願うインディアンの祈りを捧げます」
私(女性)はバーバネル氏のもとで数年間、最初は編集秘書として、今は取材記者(レポーター)として、サイキックニューズ社に勤めている。
私にとってはその日が多分世界一と言える交霊会への初めての出席だった。英国第一級のジャーナリストだったハンネン・スワッハー氏の私宅で始められたことから氏の他界後もなおハンネン・スワッハー・ホームサークルと呼ばれているが、今ではバーバネル氏の自宅(ロンドンの平屋のアパート)の一室で行われている。
その日開会直前のバーバネル氏は、チャーチル(元英国首相)と同じようにトレードマークとなってしまった葉巻をくわえて、部屋の片隅で出番を持っていた。一種の代役であるが、珍しい代役ではある。主役を演じるのは北米インディアンの霊シルバーバーチで、今では二つの世界で最も有名な支配霊となっている。そのシルバーバーチが憑ってくるとバーバネルの表情が一変した。
シルバーバーチには古老の賢者の風格がある。一分のスキもなくスーツで身を包んだバーバネルの身体がかすかに震えているようだった。
そのシルバーバーチとバーバネルとの二つの世界にまたがる連繋関係は、かなりの期間にわたって極秘にされていた。シルバーバーチの霊言が1930年代にはじめてサイキックニューズ誌に掲載された時の英国心霊界に与えた衝撃は大きかった。活字になってもその素朴な流暢さはいささかも失われなかった。
当初からその霊言の価値を認め、是非活字にして公表すべきであると主張していたのが他ならぬスワッハー氏だった。これほどのものを一握りのホームサークルだけのものにしておくのは勿体ないというのだった。
初めはそれを拒否していたバーバネルも、スワッハー氏の執拗な要請についに条件付きで同意した。彼がサイキックニューズ誌の主筆であることから、〝もし自分がその霊媒であることを打ち明ければ、霊言を掲載するのは私の見栄からだと言う批判を受けかねない〟と言い、〝だから私の名前は出さないことにしたい。そしてシルバーバーチの霊言はその内容で勝負する〟と言う条件だった。
そう言う次第で、暫くの間はサークルのメンバーはもとより、招待された人も霊媒がバーバネルであることを絶対に口外しないようにと要請を受けた。とかく噂が流れる中にあって、最終的にバーバネル自身が公表に踏み切るまでその秘密が守られたのは立派と言うべきである。
あるとき私が当初からのメンバーである友人に「霊媒は誰なの?」密かに聞いてみた。が彼女は秘密を守りながらも、当時ささやかされていた噂、すなわち霊媒はスワッハーかバーバネルかそれとも奥さんのシルビアだろうと憶測を、否定も肯定もしなかった。
当時の私にはその中でもバーバネルがシルバーバーチの霊媒としていちばん相応しくないように思えた。確かにバーバネルはスピリチュアリズムに命を賭けているような男だったが、そのジャーナリズム的な性格は霊媒のイメージからは程遠かった。まして温厚な霊の哲人であるシルバーバーチとはそぐわない感じがしていた。
サイキックニューズとツーワールズの二つの心霊誌の主筆として自らも毎日のように書きまくり、書物もだし、英国中心の心霊の集会に顔を出しまわって〝ミスター・スピリチュアリズム〟のニックネームを貰っているほどのバーバネルが、さらにあの最高に親しまれ敬愛されているシルバーバーチの霊媒までしているというのは、私には想像もつかないことだった。そのイメージから言っても、シルバーバーチは叡智に溢れる指導者であり、バーバネルは闘う反逆児だった。
今から十年前(1959年)、バーバネル自身によるツーワールズ誌上で劇的な打ち明け話を読んだ時のことをよく憶えている。
〝永い間秘密にされていたことをようやく公表すべき時期が来た。シルバーバーチの霊媒は一体誰なのか。その答えは――実はこの私である〟とバーバネルは書いた。
「それ見ろ、言った通りだろう!――こうしたセルフがスピリチュアリストの間で渦巻いた。
シルバーバーチが霊媒の〝第二人格〟でないことの証拠としてあげられるのが、再生説に関して二人が真っ向から対立していた事実である。バーバネルは各地の講演会ではこれを頭から否定し、その論理に説得力があったが、交霊会で入神して語りだすと全面的に肯定する説を述べた。が、バーバネルもその後次第に考えが変わり、晩年には「今では私も人間が例外的な事情のもとで特殊な目的をもって自発的に再生してくることがあることを信じる用意が出来た」と述べていた。
シルバーバーチの叡智と人間愛の豊かさは尋常一様のものではない。個人を批判したり、けなしたり、咎めたりすることが絶対にない。それに引き換えバーバネルは、自らも認める毒舌家であり、時には癇癪を起すこともある。交霊会でシルバーバーチの霊言を聞き、他方で私のようにバーバネルと一緒に仕事をしてみれば、二人の個性の違いは歴然としていることが分かる。
バーバネルは入神前に何の準備も必要としない。一度私が、会場(バーバネルの自宅)へ行く前にここ(サイキックニューズ社の社長室)で少し休まれるなり、精神統一でもなさってはいかがですかと進言したことがあるが、彼はギリギリの時間まで仕事をしてから、終わるや否や車を飛ばして会場へ駆け込むのだった。交霊会は当時いつも金曜日の夕刻に開かれていたから、一週間のハードスケジュールが終わった直後と言うことになる。
私も会場まで車に乗せて頂いたことが何度かある。後部座席に小さくうずくまり、一切話しかけることは避けた。そのドライブの間に彼は、間もなく始まる交霊会の準備をしていたのである。と言っても短い距離である。目かくしをしても運転できそうな距離だった。
会場へ入り、いつも使用している椅子に腰を下ろすと、はじめて寛いだ様子を見せる。そしてそれでもうシルバーバーチと入れ替わる準備が出来ている。その自然で勿体ぶらない連係プレーを見ていて私は、職業霊媒が始めと終わりに大袈裟にやっている芝居じみた演出と比べずには居られなかった。
シルバーバーチが去ることで交霊会が終わりとなるが、バーバネルには疲れた様子は一切見られない。両目をこすり、眼鏡と時計をつけ直し、一杯の水を飲みほす。ややあってから列席者と軽い茶菓をつまみながら談笑に耽っているが、シルバーバーチの霊言そのものが話題となることは滅多にない。そう言うことになっているのである。
シルバーバーチを敬愛し、その訓えを守り、それを生活原理としながら、多分地上では会うことの無い世界中のフアンの為に、シルバーバーチとバーバネル、それにサークルの様子をおおざっぱに紹介してみた。霊言集はすでに八冊が出版され、世界十数か国語に翻訳されている。その世界中にまたがる影響力は測り知れないものがある。
本書はそのシルバーバーチのいつも変わらぬ人生哲学を私なりに検討してみてまとめ上げた。その愛すべき霊の哲人の合成レポートである。
第1章 シルバーバーチはなぜ戻ってきたか
≪正直言って私は、あなた方の世界に戻るのは気が進みませんでした。地上というのはいったんその波長の外に出てしまうと、これといって魅力のない世界です。私がいま定住している世界は、あなた方のように物質に閉じ込められている者には理解の及ばないほど透き通り、光り輝く世界です。
くどいようですが、あなた方の世界は私には魅力ある世界ではありませんでした。しかし、やらねばならない仕事があったのです。しかもその仕事が大変な仕事であることを聞かされました。まず英語を勉強しなければなりませんでした。地上の同志を見つけて、その協力が得られるよう配慮しなくてはなりませんでした。
それから私の代弁者となるべき霊媒を養成し、さらにその霊媒を通じて語る真理をできるだけ広く普及させるための手段も講じなくてはなりませんでした。しかし同時に、私が精一杯やっておれば上方から援助の手を差し向けるとの保証も得ました。そして計画は順調に進められました≫
「ずいぶん前の話ですが、私は物質界に戻って霊的真理の普及に一役買ってくれないかとの懇請を受けました。そのためには霊媒と同時に心霊知識をもつ人のグループを揃えなくてはならないことも知らされました。私は霊界にある記録簿を調べあげた上で、適当な人物を霊媒として選び出しました。それはその人物がまだ母胎に宿る前の話です。私はその母体に宿る瞬間を注意深く見守りました。そしていよいよ宿ったその霊が自我を表現しはじめた時から影響力を行使し、以来その関係が今なお続いているわけです。
私はこの霊媒の霊と小さな精神の形成に関与しました。誕生後も日常生活のあらゆる面を細かく観察し、霊的に一体となる練習をし、物の考え方や身体のクセを呑み込むように努めました。要するに私はこの霊媒を、霊と精神と身体の三つの側面から徹底的に研究したのです。
次に私は霊的知識の理解へ向けて指導しなければなりませんでした。まず地上の宗教を数多く勉強させました。そして最終的にはそのすべてに反発させ、いわゆる無神論者にさせました。これで霊媒となるべき準備がひと通り整いました。
その上で、ある日私はこの霊媒を初めて交霊会へ出席するように手引きしました。そこで、用意しておいたエネルギーを駆使して・・・いかにもぎこちなく内容も下らないものでしたが、私にとってはきわめて重大な意義をもつ──最初の霊的コンタクトをし、他人の発声器官を通じてしゃべるという初めての体験をしました。
その後は回を追うごとにコントロールがうまくなり、ごらんの通りになりました。今ではこの霊媒の潜在意識にあるものを完全に支配して、私自身の考えを百パーセント述べることができます。
要請された使命をお引き受けしたとき私はこう言われました。“あなたは物質の世界へ入り、そこであなたの道具となるべき人物を見出したら、こんどはその霊媒のもとに心が通い合える人々を集めて、あなたがメッセージを述べるのを補佐してもらわねばなりません〟と。私は探しました。そして皆さん方を見出してここへ手引きしました。
私が直面した最大の難問は、同じく地上に戻るにしても、人間が納得する(死後存続の)証拠つまり物理現象を手段とするか、それとも(霊言現象による)真理の唱道者となるか、そのいずれを選ぶかということでした。結局私は難しい方を選びました。
自分自身の霊界生活での数多くの体験から、私は言わば大人の霊、つまり霊的に成人した人間の魂に訴えようと決意したのです。真理をできるだけ解りやすく説いてみよう。常に慈しみの心をもって人間に接し、決して腹を立てまい。そうすることで私がなるほど神の使者であることを身をもって証明しよう。そう決心したのです。
同時に私は生前の姓名は絶対に明かさないという重荷をみずから背負いました。仰々しい名前や称号や地位や名声を棄て、説教の内容だけで勝負しようと決心したのです。
結局私は無位無冠、神の使徒であるという以外の何者でもないということです。私が誰であるかということが一体なんの意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは、私のやっていることで判断していただきたい。私の言葉が、私の誠意が、そして私の判断が、暗闇に迷える人々の灯となり慰めとなったら、それだけで私はうれしいのです。
人間の宗教の歴史を振り返ってごらんなさい。謙虚であったはずの神の使徒を人間は次々と神仏にまつり上げ、偶像視し、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。私ども霊団の使命はそうした過去の宗教的指導者に目を向けさせることではありません。
そうした人たちが説いたはずの本当の真理、本当の知識、本当の叡智を改めて説くことです。それが本物でありさえすれば、私が偉い人であろうがなかろうが、そんなことはどうでもよいことではありませんか。
私どもは決して真実から外れたことは申しません。品位を汚すようなことも申しません。また人間の名誉を傷つけるようなことも申しません。私たちの願いは地上の人間に生きるよろこびを与え、地上生活の意義はいったい何なのか、宇宙において人類はどの程度の位置を占めているのか、その宇宙を支配する神とどのようなつながりをもっているのか、そして又、人類同士がいかに強い霊的家族関係によって結ばれているかを認識してもらいたいと、ひたすら願っているのです。
と言って別に事新しいことを説こうというのではありません。すぐれた霊格者が何千年もの昔から説いている古い古い真理なのです。それを人間がなおざりにしてきたために、私たちが改めてもう一度説き直す必要が生じてきたのです。要するに神という親の言いつけをよく守りなさいと言いに来たのです。
人類はみずからの過った考えによって、今まさに破滅の一歩手前まで来ております。やらなくてもいい戦争をやります。霊的真理を知れば、殺し合いなどしないだろうにと思うのですが・・・。
神は地上に十分な恵みを用意しているのに、飢えに苦しむ人が多すぎます。新鮮な空気も吸えず、太陽の温かい光にも浴さず、人間の住むところとは思えない場所で、生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人が大勢います。欠乏の度合いがひどすぎます。貧苦の度がすぎます。そして悲劇が多すぎます。
物質界全体を不満の暗雲が覆っています。その暗雲を払いのけ、温かい陽光の射す日が来るか来ないかは、人間の自由意志一つに掛かっているのです。
一個の人間が他の人間を救おうと努力するとき、その背後には数多くの霊が群がってこれを援助し、その気高い心を何倍にもふくらませようと努めます。善行の努力は絶対に無駄にはされません。奉仕の精神も決して無駄に終わることはありません。誰かが先頭に立って藪を切り開き、あとに続く者が少しでも楽に通れるようにしてやらないといけません。やがてそこに道ができあがり、通れば通るほど平坦になっていくことでしょう。
高級神霊界の神々が目にいっぱい涙をうかべて悲しんでおられる姿を時おり見かけることがあります。今こそと思っていたせっかくの善行のチャンスが、人間の誤解と偏見とによって踏みにじられ無駄に終わってしまうのを見るからです。そうかと思うと、うれしさに顔を思いっ切りほころばせているのを見かけることもあります。名もない平凡人が善行を施し、それが暗い地上に新しい希望の灯をともしてくれたからです。
私はすぐそこまで来ている新しい地球の夜明けを少しでも早く招来せんがために、他の大勢の同志とともに、波長を物質界の波長に近づけて降りてまいりました。その目的は、神の摂理を説くことです。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受けとることが出来ることを教えてあげたいと思ったからです。
物質界に降りてくるのは正直言ってあまり楽しいものではありません。光もなく活気もなく、うっとうしくて単調で、生命力に欠けています。例えてみれば弾力性のなくなったヨレヨレのクッションのような感じで、何もかもだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。したがって当然、生きるよろこびに溢れている人はほとんど見当たらず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。
私が定住している世界は光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。住民の心には真に生きるよろこびがみなぎり、適材適所の仕事にたずさわり、奉仕の精神にあふれ、互いに己れの足らざるところを補い合い、充実感と生命力とよろこびと輝きに満ちた世界です。
それにひきかえ、この地上に見る世界は幸せであるべきところに不幸があり、光があるべきところに暗闇があり、満たさるべき人々が飢えに苦しんでおります。なぜでしょう。神は必要なものはすべて用意してあるのです。問題はその公平な分配を妨げる者がいるということです。取り除かねばならない障害が存在するということです。
それを取り除いてくれと言われても、それは私たちには許されないのです。私たちに出来るのは、物質に包まれたあなた方に神の摂理を教え、どうすればその摂理が正しくあなた方を通じて運用されるかを教えてさしあげることです。ここにお出での方にはぜひ、霊的真理を知るとこんなに幸せになれるのだということを身をもって示していただきたいのです。
もしも私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えてさしあげることができたら、これに過ぎるよろこびはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐことができれば、こうして地上に降りてきた努力の一端が報われたことになりましょう。
私たちは決してあなたたち人間の果たすべき本来の義務を肩がわりしようとするのではありません。なるほど神の摂理が働いているということを身をもって悟ってもらえる生き方をお教えしようとしているだけです。
今こうして語っている私は、(40年ほど前に)はじめて語った、あの霊と同じ年輩の霊です。説くメッセージも同じです。古くからある同じ真理です。ただ、語り聞かせる相手は同じ古い世界ではなくなりました。世の中は変わっており、霊的叡智に耳を傾ける人が増え、霊力の受容力が増しております。
霊的真理も大きく前進しました。私たちの影響力がどれほど行きわたっているか、できることならそれを皆さんにお見せしたいところです。努力がこれほど報われたことを私はとても誇りに思っております。かつては悲しみに打ちひしがれていた心が今ではよろこびを味わいはじめております。光明が暗闇を突き通したのです。かつては無知が支配していたところに知識がもたらされました。
うぬぼれているわけではありません。宇宙について知れば知るほど私は、ますます謙虚の念に満たらされてまいります。が同時に、導いてくださる霊力の存在も知っているのです。それが私のような者にも頂けるのです。私が偉いからではありません。私が志している真理普及への努力を多としてくださってのことです。これまでの永い年月を通じて、この交霊関係はずっとその霊的援助を受けてまいりました。これからも皆さんが望むかぎり、与えられ続けることでしょう。
改めて申し上げますが、私はただの道具にすぎません。地上への霊的真理、霊についての単純な真理、すなわち人間も一人ひとりが神の一部としての霊であるという認識をもたらさんとしている多くの霊のうちの一人にすぎません。
人間も神の遺産を宿しているのであり、その潜在する神性のおかげで神の恩寵のすべてを手にする資格があります。そのための努力を続ける上において手かせ足かせとなる制度や習慣をまず取り除かないといけません。また私たちの仕事は魂と精神だけの解放を目的としているのではありません。肉体的にも(病気や障害から)解放してあげないといけません。
それが今私たちが全霊を捧げている仕事なのです。微力ながら奮闘努力している仕事なのです。もしもこの私が一個の道具として皆さんのお役に立つ真理をお届けすることができれば、私はそれを光栄に思い、うれしく思います。
私が皆さんとともに仕事をするようになって相当な期間になりますが、これからも皆さんとの協同作業によって地上世界にぜひとも必要な援助をお届けしつづけることになるでしょう。皆さんは知識をお持ちです。霊的真理を手にされています。そしてそれを活用することによっていっそう有効な道具となる義務があります。
私のことを、この交霊会でほんのわずかな時間だけしゃべる声としてではなく、いつも皆さんのお側にいて、皆さんの霊的開発と進化に役立つものなら何でもお届けしようと待機している、脈動する生きた存在とお考え下さい。
これまで私は、皆さんが愛を絆として一体となるように導いてまいりました。より高い界層、より大きな生命の世界の法則をお教えし、また人間が(そうした高級神霊界の造化活動によって)いかに美事に出来あがっているかを解き明かそうと努力してまいりました。
また私は、そうして学んだ真理は他人のために役立つことに使用する義務があることをお教えしました。儀式という形式を超えたところに宗教の核心があり、それは他人のために自分を役立てることであることを知っていただこうと努力してまいりました。
この絶望と倦怠と疑念と困難とに満ちあふれた世界にあって私は、まずはこうして皆さん方に霊的真理をお教えして、その貴重な知識を皆さん方が縁ある人々に広め、ゆくゆくは全人類に幸せをもたらすことになるように努力してまいりました。
もしも皆さんの行く手に暗い影がよぎるようなことがあったら、もしも困難がふりかかったら、もしも疑念が心をゆさぶり、不安が宿るようなことがあったら、そうしたものはすべて実在でないことを自分に言い聞かせるのです。翼を与えて追い出してやりなさい。
この大宇宙を始動させ、有機物と無機物の区別なく全生命を創造した巨大な力、星も惑星も太陽も月もこしらえた力、物質の世界へ生命をもたらし、あなた方人間の意識に霊性を植えつけてくださった力、完璧な摂理として全生命活動を支配している力、その大いなる霊的な力の存在を忘れてはなりません。
その力は、あなた方が見捨てないかぎり、あなた方を見捨てることはありません。その力をわが力とし、苦しい時の避難場所とし、心の港とすることです。神の愛が常に辺りを包み、あなた方はその無限の抱擁の中にあることを知ってください」
一読者の手紙から、
≪文章の世界にシルバーバーチの言葉に匹敵するものを私は知りません。眼識ある読者ならばそのインスピレーションが間違いなく高い神霊界を始源としていることを認めます。一見すると単純・素朴に思える言葉が時として途方もなく深遠なものを含んでいることがあります。その内部に秘められた意味に気づいて思わず立ち止まり、感嘆と感激に浸ることがあるのです≫
第2章 活字の効用
≪印刷された文字には絶大な影響力があります。話し言葉は忘れ去られるということがあります。人間の脳という小さなスクリーンにゆらめく映像はいたって儚いもので、それに付随して生まれる言葉には不滅の印象を残すほどの威力はありません。その点、活字には永続性があります。
いつでも参照することができます。目に見えますし、その意味をくり返し吟味することもできます。また人から人へと伝えられ、海をも超えて、悲運をかこつ孤独な人のもとに届けられることもあります。幸いにして私は、これまでに手にすることの出来た叡智をこうして皆さんにお聞かせしておりますが、それが速記者の仲介をへて次々と活字になっております。そのおかげで各地で魂が目を覚まし、種子が実を結んでおります≫
Brother John(ブラザージョン)のペンネームで二十年以上(一九六九年現在)にわたってサイキックニューズ紙上で心霊知識の解説と人生相談を担当してきたコラムニストが初めてシルバーバーチ交霊会に招かれた。冒頭の引用句はそのジョンが〝なぜあなたは説教者としての仕事を選び、またその霊媒としてバーバネルを選んだのですか〟と質したのに対して答えたものである。
ブラザージョンが二十年あまり一週も欠かすことなく執筆し続けた記事は、延べにして一千回を超える。その中には読者から寄せられた質問に対する情愛あふれる回答も含まれている。たとえば一九六七年の一年間に寄せられた手紙は千四百通にのぼり、人生相談的なものからコラムの内容についての質問まであるが、彼はそのすべてに、ていねいに回答している。
その真摯にして謙虚な態度はシルバーバーチと同じで、死後の存続の事実と、それが有する重大な意義について十年一日のごとく、倦むことなく語り続けている。その彼が媒体としているのも又、活字である。
(訳者注-その間の膨大な記事をまとめ上げた本が一九七七年にTruth Has Label〝真理にラベルはない〟の題名で出版されている。その〝まえがき〟の中でブラザージョンは「サイキックニューズ紙上に毎週掲載してきた記事を一冊の本にまとめてはどうかという勧めを聞くようになって久しいが、私はそれをずっと遠慮してきた。このたびついに説得されて出版の運びとなったが、やはり戸惑いを禁じえない」と謙虚に述べている)
これまでの霊言集の編者のうちの二人が、冷ややかな活字ではシルバーバーチの温かい人間味と愛を伝えることは到底できないと述べている。確かにその通りである。交霊会に出席する栄光に浴した人は例外なく、顕と幽との二つの世界の言うに言われぬ交わりを体験して感動するものである。
しかし、私自身はそうたびたび出席したわけではないが、そうした人間味とか愛のみがシルバーバーチという一個の霊の個性のもっとも重要な要素とは思えないし、その使命の主たる目的でもないと考えている。私自身が出席した交霊会の霊言が活字になったのを読んでも、私は改めて感動を覚える。要するにシルバーバーチの述べていることそのものが魂に訴えるものをもっているということである。
このたび本書を編纂するに当たってこれまでの霊言記録に目を通してみて私は、改めてシルバーバーチという霊の述べた言葉の威力── 一つのフレーズ(句)、一つにセンテンス(文)を何の準備もなしに当意即妙に述べる、その〝言葉の錬金術〟に驚嘆させられた。
これまで出版された霊言集はすべて読んでいるし、またサイキックニューズ社での仕事の一つが月刊誌ツーワールズに連載されている霊言の校正もある。その私が本書を編纂しながら一度も退屈さを感じなかった。シルバーバーチは自分のことを〝古いメッセージをたずさえた同じ古い霊です〟と言うが、その助言、その内側に秘めた真理と率直さは常に生き生きとして新鮮である。
かの手厳しい評論家のハンネン・スワッハーでさえ十五年前にこう書いている。〝私はシルバーバーチの教え・指導・助言に毎週一回一時間あまりにわたって耳を傾けることをずっと続けているが、地上のいかなる人物よりも敬愛し尊敬するようになった〟と。
今では録音技術の進歩のおかげでカセットテープにまで収められて、シルバーバーチのナマの声が世界各国で聞けるようになった。が、シルバーバーチがみずからに課した使命のエッセンスは、いつも哀れみを込めて語り続ける言葉が活字となって広く読まれることにあると私は確信している。その思想の真価は、少なくともこの地上においては直々に会うことは望めない世界各地の人々に及ぼす影響力によって計られるのである。
みずから述べているように、シルバーバーチにとっては、基本的な霊的真理を一人でも多くの人に伝えるための霊媒の発見が第一の仕事であった。そして、最終的にモーリス・バーバネルに白羽の矢が立てられたことはなるほどと思わせる。なぜならバーバネルは週刊と月刊の二つの心霊ジャーナルの主筆であり、シルバーバーチの霊訓を遠く広く流布する手段として打ってつけの人物だったからである。
さて、初めての交霊会の印象をブラザージョンは次のように書いている。
“永い年月の中で、このシルバーバーチ交霊会での体験ほど素晴らしいものはなかった。シルバーバーチが語ってくださった言葉に私は思わず涙を流した。シルバーバーチという霊に何か強烈な親近感を覚え、それでつい、ほろっとしてしまった。私にとって忘れ難い夜となった〟
その夜のシルバーバーチ霊言の中から幾つかを抜粋して紹介しておこう。
「今夜はようこそお出でになりました。まっ先にご注意申し上げておきますが、私についていささか誇張された宣伝がなされており、私がまるで全ての叡智を具えているかのように書かれておりますが、とんでもないことです。私もあなたと同じ、いたって人間的な存在であり、弱点もあれば欠点もあり、誤りも犯します。ただ私は、霊的真理について少しばかり知識の蓄えがあり、それを、受け入れる用意のできた人たちにお分けしたいと思っているところです。
それとても私自身の所有物ではありません。私はただの代弁者にすぎません。私はその仕事を要請されたのです。仕事が完了して地上から引き上げる時期が来るまでは続けることになりましょう。が、今はまだその時期ではありません。まだもう少し時間が掛かります。これまで多くのことが成就されてまいりましたが、まだまだ為さねばならないことがあります。
霊力は条件さえ整えば、つまり一かけらの心配の念もなく、知識を基盤とした信仰と体験から生まれた確信とがあれば、時として驚異的なことをやってのけます。
あなたが今の職責を果たしていらっしゃるのも霊力のお陰です。それは私から申し上げるまでもないこととは思いますが、ただ、あなたはその貢献度、奉仕度を過小評価していらっしゃる。それはいけません。読者の為に施しておられる援助の大きさはあなた自身にはお分かりになりません。多くの魂に感銘を与えていらっしゃいます。そしてそれは、地上で為しうる最も大切な仕事の一つなのです。
地上に肉体をたずさえて生まれて来るそもそもの目的は、魂が真の自我を見出すこと、言いかえれば、宿された神性に点火し、燃え上がらせ、輝かしい炎とすることです。残念ながら必ずしもそういう具合に行かないのが実情です。迷信と無知の暗闇、疑念と恐怖と困惑の泥沼の中で過ごす人が多すぎるのです。
そうした中で一人でも真理に目覚めさせてあげることができれば、それだけであなたの存在価値があったことになります。たった一人でいいのです。それで十分なのです。それをあなたはすでに数え切れないほどの人に施しておられます。
その程度はどうあれ、神の使徒として働けるわれわれは光栄この上ないことです。これはキリスト教の教会にはもはや望めないことです。心の奥ではもう信じていない古い教えを決まり文句として口にするだけとなっております。とっくの昔に意味を失ってしまった紋切り型の語句、使い古した慣習と儀式をくり返すのみです。
そうした教会、大聖堂、寺院などが陳腐で空しい死物と化してしまったのは、そこに霊の力が働かなくなったからです。生命を与えているのは霊なのです。なのに、そうした建造物の中で行われていることは、霊力、キリスト教でいう聖霊を拒絶することばかりなのです。そこで、われわれのように、風変わりな式服もまとわず、祭壇もしつらえず、ただ霊力の流れる通路となり、この世で誰一人として無視されたり見落とされたりすることのない神の摂理の存在を教えることだけを心掛ける者を利用せざるを得なくなったのです。
あなたの場合も、人生が暗く荒涼として、いずこへ向かうべきかも分からず、あたかも絶望の壁に四方を仕切られた思いをさせられていた時に、啓示をうけられました。これ以上申し上げる必要はないでしょう。愛、情愛、友情、同情、慈悲、哀れみ、寛容心、こうしたものは不滅の霊性です。愛に死はないのです。死は生命に対しても愛に対しても無力なのです。いま申し上げた霊性もみな元をただせば愛の諸相なのです。私はけっしてナゾナゾを申し上げているのではありません」
ここでシルバーバーチはその日の交霊会に、かつてブラザージョンといっしょに仕事をしたこともある偉大な心霊治療家で、今はブラザージョンの背後霊の一人として働いているフレッド・ジョーンズ氏が来ていることを述べてから、さらにこう続けた。
「今この会場に訪れているあなたの霊団は実にすばらしい方ばかりです。あなたをこの道に導いたのはこの方たちであり、今もずっと指導しておられます。フレッド・ジョーンズ氏は偉大な霊です。彼にとって物的身体が小さすぎるほど霊性が大きくなったためにこちらへ来られましたが、地上に立派な足跡を残されました。この道の先駆者としての仕事をしたのです。その努力は無駄ではありませんでした。
彼が地上で仕事をしていた頃は、心霊治療を施す者はほんの一にぎりにすぎませんでした。が、今日では数え切れないほどになっております。身体と精神と魂を病んだ人がいたるところにいる病める地上では、それだけの数が必要なのです。残念ながら物質中心主義から生まれる病は感染力が強く、すぐにまん延する一種の伝染病です。しかし、光が闇を駆逐するごとく、心霊治療は正しい生き方を教えることによってその病弊を駆逐していくことでしょう。
健康を増進するのは医学でも医薬でも劇薬でもありません。不自然なものを体内に注ぎ込むことによって健康にすることはできません。それは言わば医学的愚行です。正しい生き方さえしていれば、つまり思念に邪なところがなく、霊と精神と身体とが調和していれば健康でいられるのです。日常生活とストレスと心労、あるいは利己心や邪心や強欲が生み出す不自然な緊張──こうしたものは物的存在のすべての息の根を止める毒薬です。
もしも私の話をお聞きになられて今後も頑張ろうという気持ちになってくだされば、本日ここにお出でになられた甲斐があったことになります。思うにまかせぬことがあることはよく存じております。が、霊的な褒章を求める者にはラクな道はありません。
大霊は完全です。摂理は完全です。必ず摂理どおりに働きます。が、そのワクの中に自由意志の要素が存在し、その中に、自分の意志で貢献するチャンスが与えられているわけです。全世界を破滅に追いやる力はありません。大混乱を巻き起こすくらいならできるでしょう。が、人間のすることにはおのずと限界があります。
神の計画が狂うということは絶対にありません。もし狂えば、ないしは狂うことも有りうるとしたら、
神は神でなくなります。完全が間違いを犯すはずがないのです。もし犯せば完全が完全でなくなります。自然法則という形での神の定めは無窮の過去から常に存在し、一度たりともその定め通りに働かなかったことはありません。
地球が一瞬でも回転を止めたことがあるでしょうか。汐が満ちてこなかった日が一日でもあったでしょうか。昼のあとにはかならず夜が来ていないでしょうか。蒔いたタネは正直にその果実を実らせていないでしょうか。
狂いません。神の計画は絶対に狂いません。本来は人間もその定められた計画にそって進まねばならないのです。しかし人間は愚かさと無知と利己心から誤った道へ外れる可能性もあるのです。美しい花を咲かせるべき庭園に雑草を生い茂らせることも有りうるということです。正し生き方とは何であるかを、みずから学んで行かねばなりません。そうすることが人間としての神への貢献となるのです。潜在的には無限の霊的属性を秘めておりますが、それを駆使できるようになるには、それなりの努力をしなければならないということです」
交霊会が終わったあとブラザージョンは、何よりもシルバーバーチの素朴さと謙虚さに一ばん心を打たれたと語り、こう続けた。
「その素朴さとは二つの世界を一体ならしめる素朴さ、偉大なる魂が素朴にして深遠な真理を説くために地上のもう一つの魂の身体と精神とを支配するための素朴さである。
それに謙虚さ──シルバーバーチの言葉の中にはこの偉大な特質の表現と思えるものが何度も出て来たが、私との対話の中でとくに心に沁みる思いがした場面が三回あった。それは私が思わずお礼の言葉を口にした時で、そのたびにシルバーバーチは穏やかに、そして優しく〝私への礼はおやめ下さい。私が感謝を頂戴するわけにはまいりませんから〟と述べるのだった」
≪こうした人材の操作、つまり適時に適材を適所に活用することは、入りくんだ複雑な協力態勢を必要とする大へんなわざです。今や神の教えが多くの人々に届けられるようになりました。私の教えではありません。私はそれを中継してお届けしているだけです。同志の協力を得て、霊光と霊力をいくらかでも悩める地上界へお届けすることができております。いつの日か皆さんが私のもとへ来られて、書物なり心霊誌に書かれていたのを読んだことが救いになったと告げてくだされば、私は、こうした協調的努力が無駄でなかったことを知ることになります≫
第3章 霊の威力
≪もしも霊力が働かなくなるようなことがあったら、地球は回転を止め、四季は巡ってこなくなることでしょう。もしも霊力が働きを中止したら、太陽の炎は消滅し、月はあの幽玄な輝きを見せなくなるでしょう。もしも霊力がしくじることがあったら、種子は花を咲かせず実を結ばなくなることでしょう≫
「私たちは、霊が生命を吹き込んでくれたおかげで共通の絆を与えられているのです。そのことによって全世界の神の子が根源において結ばれていることになるからです。人間が地上でも、そして死後も生き続けることを可能にしているのは、神を共通の親として、全人類を一つの家族に結びつけているのと同じ霊力なのです。
この崇高な事実こそ私たちが啓示せんとしている真理です。あらゆる物的差違、あらゆる障害、あらゆる障壁を超えるものです。肌の色の違い、言語の違い、国家の違いを超越するものです。物的存在の表面の内側に、断とうにも絶つことのできない同胞性で全人類を結びつけている、共通の霊的属性があることを教えております。
今の地上世界にはぜひともこの真理が必要です。その理解さえ行きわたれば戦争は無くなります。世界中ではびこり過ぎている利己主義と貪欲と既得の権利が撲滅されます。人間の唯一の、そして真の尊厳すなわち霊性が、今あまりにはびこっている低俗な物的価値基準に対する優位を発揮するようになります。
その理解がいきわたるにつれて、無限の豊かさと輝きと崇高さと愛と指導力と治癒力とを秘めた霊の力がそれだけ多く発揮され、これまであまりに永いあいだ支配して混沌と災禍をもたらしてきた無知と偏見と迷信を駆逐して行くことでしょう。
あなた方も、お一人お一人がミニチュアの大霊すなわち神なのです。その霊はあなた方の努力次第で生長と発達と拡大を続け、成熟して開花する可能性を秘めているのです。どこまで発揮できるかを決定づけるのはあなた自身です。他の誰もあなたに代わってあげることはできません。それが地上生活の目的なのです。あなたも大霊であることを自覚することです。そうすれば神の王国があなた自身の中にあることに理解がいくはずです。霊力は絶対に裏切りません。
必需品を永遠に供給していくための摂理があり、それに順応しさえすれば、あなたは必要なものに事欠くことは有り得ません。空腹や渇きに苦しむようなことは決してありません。しかし、必要以上のものは授かりません。あなたの成長度に合ったものを授かるのであって、多すぎることも少なすぎることもなく、高すぎることも低すぎることもありません。摂理ですから、それ以外に有りようがないのです。
霊は物質による制約には負けません。全生命の原動力であり、全存在の始源である霊は、あなたが地上生活において必要なものはすべて供給してくれます。その地上生活の目的はいたって単純です。本来のあなたである霊的本性を開発・強化して、死後に待ちかまえる次の生活の身支度をすることです。となると、ありとあらゆる人生体験──楽しいことも苦しいことも、光も蔭も、有利なことも不利なことも、愛も憎しみも、健康も病気も、その一つ一つがあなたの霊的成長にとって何らかのプラスになるということです。
真理の顕現には無限の形態があります。真理とは無限なる大霊から出るものであり、顕現の媒体となる人物の進化の程度によってその形態が違ってくるからです。その真理の理解は単純素朴さを通して行われます。やたらに綴りの長い単語や聞きなれない難解な用語を用いたからといって、それで真理にハクがつくわけではありません。むしろそれが無知の仮面となっていることがよくあるものです。
私たちの説く真理は、無辺・無限の大霊の真理です。すべての人のためのものであり、一宗一派、一個人のものではありません。全人類を愛の抱擁の中に包まんとして働きかけております。
実在は物質の中には見出せません。その肉体の中にも発見できません。存在の種子は物的器官の中には見出せません。あなたは今からすでに霊的存在なのです。私たちの世界へ来てはじめて霊性を身につけるのではありません。
受胎の瞬間から人間も霊的存在なのです。その存在の源である霊という実在からあなた自身を切り離そうとしても、それは絶対にできません。地上世界のすべてが霊のおかげで存在しているのです。霊なくしては生命はありません。なぜなら生命とは霊であり、霊は生命だからです。
(物的表面にとらわれず)肝心かなめのものにすがることです。目を逸らしてはいけません。これこそ真実であると確信したものにしっかりとすがることです。そして煩雑な物的生活の中で何が何やらわけが分からなくなった時は、大霊の力と安らぎの住む内部へ退避して、その雑念を忘れることです。
そうすればその静寂の中にあなたにとって必要なものを見出すことでしょう。あなたという存在の組織は必ず神の定めたパターンにしたがって織っていくことが大切です。
そのためには一体われわれは何の目的で神によって創造されたかを忘れないようにしましょう。その神とのつながりに汚点を残すような行為は絶対にしないようにいたしましょう。そうなることが全生命の根源たる神の意図を正しく理解している者すべてに必ず与えられる恩寵に、われわれも常に浴すことになるのです。
シルバーバーチの祈りから。
≪私たち子らを互いに結び、そして私たちとあなたとを永遠に結びつけているのは、全生命の息吹であるあなたの霊にほかなりません。私たちすべてを霊的大家族としてつないでいるその霊的きずなを断絶させうるものは、地上にも霊の世界にも、何一つ存在いたしません≫
第4章 不変・不滅・不可避の摂理
≪万が一にも大自然の摂理に欠陥が見つかったら、私はこのたびの使命をすべて放棄します。もしどこかに摂理のとおりに行っていないところが見つかったら教えてください。しかし、そういうことは絶対にありません。原因にはかならず結果が伴います。蒔いたタネを刈るのです。それ以外には有りようがないのです≫
「皆さんがスピリチュアリズムと呼んでおられるものは大自然の法則のことです。神はこの宇宙を不変の法則によって支配し顕現していくように定めました。宇宙のあらゆる側面が法則によって治められているのです。みなさんが親しんでいる物的地上界であろうと、人間に感知できない、それよりはるかに大きな霊界であろうと、法則が行き届かないというところはどこにもありません。
この法則を通して神の意志が働いているのです。人間の法律には変更と修正がつきものです。不完全であり、あらゆる情況を考慮に入れていないからです。が、神の法則は、起こりうるあらゆる事態に備えてあります。すべてが規制され、すべてが管理され、神の配剤がすべてに行きわたっております。
人間には一種の機械としての物的身体が与えられています。あなたはその身体を通して自我を表現している一個の霊なのです。あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ、身体は生命力の補給路を失うことになります。補給源とのつながりを断たれることになります。そのことに気づいて心構えを改めないかぎり、あなたの身体はその不健康な作用と反作用の法則に従いつづけることになります。
心配の念はあなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。(オーラには磁気性と電気性の二種類がある。詳しくは『母と子の心霊教室』を参照。訳者)その障害を取り除くまでは生命力は流れ込みません。泰然自若の境地に至るには長く厳しい修行、過酷な試練、そして心配の念の侵入を許すまいとする不断の努力が要請されます。
無限の愛と叡智を有する神がこの摂理を創案したのです。完璧に出来あがっており、必ずその通りに作用します。心配することに費やしているエネルギーを建設的な思念へ転換すれば、健康上の問題は生じなくなります。神の計画は完全であり、あなたもその計画の中に組み込まれているのです。あなたも自分自身を完成しなくてはいけません。そのための機会は日常生活の中にいくらでも用意されております。
私には自然法則を変える力はありません。因果律という不変の法則に私が干渉することは許されません。たとえばあなたの身体が衰弱している兆候を見つければ、大切にするよう警告してあげることしかできません。身体は一種の機械です。したがってそれなりの手入れがいります。手入れを怠れば故障するにきまっています。すると休息と修理によって機能を回復させるほかはありません。法則はごまかせないのです。
あなたはその身体を通して自我を表現しているのです。その身体のすることにも限界があり、それを超えてしまえばバッテリーを補充しなければなりません。それはあなたの責任です。あなたの身体だからです。
いくら愛があるとはいえ、あなたの行為、あなたの言葉、あなたの思念の責任を私が肩代わりしてあげるわけにはまいりません、行為の一つひとつ、言葉の一つひとつ、思念の一つひとつについて、あなた自身が責任を取るのです。身体はその責任ある自己表現の媒体なのですから、その遂行において支障がないように十分な手入れをしておく必要があります。人体は地上のいかなる機械よりもはるかに入り組んだ、すばらしい組織体です。まさしく驚異というにふさわしい道具です。が、それにも手入れがいります。
自然の摂理と調和した生き方をしていれば病気も異状も不快感もありません。こうしたものは不調和から生じるのです。摂理に反することをすれば、その代償を払うことになります。摂理の範囲内で生活していれば恩恵を受けます。
何よりも動機が優先されます。が、摂理に違反したことをすれば、それに対してペナルティが科せられます。自分の気持ちを満足させようとして身体を痛めるところまで行ってしまうか否かは、一人ひとりがその霊的進化の程度にしたがって判断することです。地上生活にも神の計画の中でそれなりの役割があります。無理を重ねて次の段階の生活への準備が十分に整わないうちに地上を去るようなことになってはいけません。
たとえばここに人類の福祉に貢献している高潔な人物がいるとしましょう。その人がもしもその道での超人的活動で健康を損ねた場合、それは立派と言えるでしょうか。それも本人自身が判断すべきことです。ただ残念なことに、そうした決断を下すに当たって必ずしも自分自身に真っ正直になりきっていないということです。どこかに自惚れの要素・・・オレ以外に出来るヤツはいないのだという考えが潜んでいるものです。
法則にも、次元の違いによっていろいろあります。物的次元のもの、精神的次元のもの、霊的次元のもの、さらにはそれらが入り組んで作用する場合もあります。悲しいかな、人間は物的次元のことがギリギリの絶望的段階に至るまで、霊的次元の真理が理解できません。それは実在を無視した生活に終始しているからです。物的なものだけが大切と思い込んでいるからです。
しかし魂はいつかは真の自我に目覚めなくてはなりません。その時から内在する神性が発現しはじめるのです。それも神が定めた埋め合わせの法則の一環なのです。苦難が大きいだけ、そこから得られる悟りもそれだけ大きいものとなります。
神は宇宙の会計士のようなものです。生命の帳簿は常に帳尻が合っており、すべてがきちんと清算されております。霊的機構は整然と規制されておりますから、あなたが霊的に受けるものはあなたに相応しい分だけであり、多すぎることもなければ少なすぎることもありません。その計算はあなたがそれまでの努力によって到達した霊的進化の程度を基準にして行われます。霊的なことは常に完全な清算が行き届いており、ごまかしも見せかけも通用しません。
法則は無限なる愛と叡智の働きによって完璧に機能しています。各自が受け取るのはそれまでの努力にふさわしい分だけです。私がそのように定めたのではありません。そのようになっていることを私が知ったというだけです。それを因果律といいます。原因と結果の間にはいかなる者も干渉できません。偶発事故とか不測の事態というものは起きません。すべては自然の摂理でそうなっているのです。
その摂理が廃止されたり、一時停止されたり、妨害されたりすることは絶対にありません。自然の摂理は絶え間なく作用しており、変わることもなければ修正することもできません。その摂理と調和して生きることです。すると良い結果が得られます。摂理にひっかからないように上手にすり抜ける方法はありません。その作用は絶対です。宇宙の大霊は摂理の精髄であり、権化であり、哀願も弁解も通用しません」
≪私たちがこれまでに賜った知識のすべて───いま生きている宇宙について、その宇宙を法則によって管理している絶対的な力について、そしてその力と私たちとの関係ならびに私たち相互の関係について、より明確な理解を得させてくれた知識を有り難く思っております。
私たちは宇宙の摂理の働きについてより多くのことを学び、それが一つの手落ちもなく私たちの幸福にとって不可欠のものをいかに美事に用意してくれているか───無限なる叡智によって考案され、無限なる愛によって管理されている摂理が私たちすべてを包摂し、私たちのあらゆる必要性に備え、誰一人としてその支配からはみ出ることがないことを理解しております≫
第5章 死別の教訓
<肉親の死に遭遇した時、あの顔、あの姿がもう二度と見られなくなったことを悲しむのならまだしも、死んでいった当人の身の上を悲しむのであれば、それは止めなくてはいけません。
人生は霊的価値を基盤として考えないといけません。その価値があなたの行為の一つ一つの輝ける指標として、日々の生活の中で発揮されなくてはいけません。スピリチュアリストを自任している方々は、スピリチュアリズムを死という不幸に遭遇した時だけ持ち出して、それ以外の時はどこかに仕舞い込んでおくようなことでは困ります>
その日の交霊会には奥さんを失った男性、二人の子供を失った両親、それにジャーナリストとして有名だったロレンス・イースターブルック氏の奥さんが息子さんといっしょに出席していた。死別の不幸を味わったこの三組の招待客に対してシルバーバーチは次のように語りかけた。
まず奥さんを失った男性に対して──
「これまでずいぶん過酷な道を歩んで来られましたが、あなたはこれ以上為すべきことはないと言うところまで、よく頑張られました。考えうるかぎりのことをおやりになりました。いかに愛しているとはいえ、その人の身体がもはや霊を引き止めておけない状態になってしまえば、それ以上生き永らえてくれることを望むのは酷というものです。地上の人生にはいつかは別れる時がまいります。頑健な方が居残り、弱った者は先に行った方がよいのです。
あなたには有難く思うべきことが山ほどあります。大きな危機に、無知のままではなく正しい知識をたずさえて臨むことができました。もしも霊についての知識がなかったら、あなたの人生は今よりどれほど大変なものとなっていたことでしょう。その意味であなたは貴重な人生のおまけを体験なさったと言えます。そのことをあなたは感謝しなくてはなりません。が、霊を引き止めておけなくなった身体から奥さんが去って行くのは、もはやどうしようもありませんでした。
あの時の奥さんの心境は複雑でした。もう死んでしまいたいと思ったこともあれば、何とかして生き延びたいと思ったこともありました。が、生き延びたいと思ったのはあなたの立場を思ってのことでして、ご自分の立場からではありませんでした。奥さんにはもう何の苦痛もありません。
老いも病気も衰弱も、そのほか人生の盛りを過ぎた者にかならず訪れる肉体の宿命に苦しむことはなくなりました。肉体が衰弱するほど霊は強くなるものです。
あなたが楽しくしていれば奥さんも楽しい気分になります。あなたが塞ぎ込めば奥さんも塞ぎ込みます。一人ぼっちになられたのは身体上だけの話であり、霊的には少しも一人ぼっちではありません。奥さんは決して遠くへ離れてはいません。今でもあなたを夫と思い、あなたの住む家を我家と思っていらっしゃいます。
あなたは信仰心をお持ちです。ただの信仰心ではなく、あなたに証された〝事実〟を根拠とした現実味のある信仰心です。それが、間違いなく訪れる不幸に備えるために、受け入れ態勢の整った時点でもたらされました。それをあなたの人生の全ての基盤となさってください。
あなたはこれからまだまだこの地上で得るものが沢山あります。あなたの人生はまだ終末に来てはいません。他人のために為すべきことがあり、開発すべき資質があり、成就すべき目的があります。
神は完全なる公正です。自然の摂理を通して因果応報がきちんと行われております。収支は常に完全なバランスを保っております。あなたは忘れ去られることも見落とされることも無視されることもありません。あなたを導き、援助し、慈しんでくれる愛があります。それを頼みの綱となさることです。それが、いついかなる事態にあっても不動の信念を維持させてくれることでしょう」
次に子供を失った夫婦に対して──
「あなた方お二人が、縁あって訪れてくる人たちにいろいろとお役に立っておられる様子を見て、お子さんはとても誇りに思っておられますよ。大切なのは受け入れる用意のできた土壌に蒔かれるタネです。あなた方が受け入れられたタネはいま見事な花を咲かせております。お子さんは、お二人の人生に衝撃的な影響を及ぼした霊的真理を自然に受け入れて行かれるのをご覧になって、とてもよろこんでいらっしゃいます。
お二人はその大きな真理を我が子の死という大きな悲しみを通して見出さねばなりませんでした。それはまさしく試金石でした。途方に暮れて、力になってくれるものが誰一人、何一つないかに思えた時に、真の自分を見出させてくれることになった触媒でした。
魂というものは、その奥底まで揺さぶられ、しかも物的なものでは一縷の望みさえもつなげない状態下においてのみ目覚めるものであるというのが、基本的な霊的真理なのです。つまり物質界には頼れるものは何一つないとの悟りで芽生えた時に魂が甦り、顕現しはじめるのです。
現在のお二人の生活も決して楽ではありません。これまでも楽だったことは一度もありません。が、日常の問題にもちゃんとした摂理があります。それは、人のために自分を役立てる者は決して生活に不自由はしないということです。基本的に必要とするものは必ず与えられるということです。その際に大切なことは、それまでの体験によって得たものを、日常の生活の中で精いっぱい生かしていくことです。そうすることの中で、神とのつながりを強化して行くことになるからです。そのつながりが強くなればなるほど、援助と力とが流れ込む通路が内面的に奥深くなって行くのです。
真理を理解した人間は沈着、冷静、覚悟が身についております。恐れるということがありません。不安の念の侵入を受けつけず、無知と迷信と悩みが生み出す暗黒を打ち消します。自分に生命を与えてくれた力、宇宙を支配している力、呼吸し活動するところのものに必需品を供給する力は絶対に裏切らないという信念があるからです。
大切なのは、ご自分の方から神を裏切らないことです。これまでに得たもの、いま受けつつあるもの、そしてそれから生まれる叡智のおかげでせっかく宿すようになった信頼を裏切るような行為をなさらないように心掛けることです。
霊的真理にしがみつくことです。これまでに自分たちに啓示されたものを信じて物事に動じないことです。一つ一つの問題に表面から取り組み、精いっぱい努力し、済んだことは忘れることです。援助は必ず与えられます。なぜなら、お二人を愛する人たち、地上にいた時より一段と親密度を増している人たちが、お二人が難題を切り抜けるように取り計らってくれるからです」
続いてイースターブルック氏の奥さんに対して──
「今ここにご主人が来ておられますよ。あなたと息子さんのことをとても誇りに思っていらっしゃいます。試練の時を立派に乗り切られたからです。こうして陰から守り導くことができることをご主人が証明してみせたからには、これからもずっと見守っているものと確信してほしいと希望しておられます。明日のことを思い煩ってはいけません。心配の念を心に宿してはいけません。地上世界には何一つ怖いものはありません。
ご主人はいつもあなたのお側にいます(解説参照)。愛のあるところには必ずご主人がいると思ってよろしい。あなたの心、あなたの家族からいっときも離れることはありません。物質的には離れてしまいましたが、霊的にはいつもいっしょです。霊的につながっている者はけっして別れることはありません。
そうした霊的次元の愛を知り、理解力を身につけ、そしてお互いに足らざるところを補い合う関係──半分ずつが合わさって統一体を構成する関係、魂の結婚という、地上で滅多に見かけられない真実の霊的関係を成就されたあなた方は、本当におしあわせです。
あなたはご主人のことを誇りに思うべきです。その啓蒙の光は在世中にもしばしば異彩を放っていた偉大なる霊です。彼ほどに人の心の琴線にふれ、高邁なものに手の届く人はそう多くはいません。
お二人に対する愛は少しも変わっておりません。その愛が鋼鉄の帯のようにお二人を取り囲んでおります。これからも常にお側におられます。お二人を守り、導き、支えとなり、慈しんでくれることでしょう。あなた方が手にされたこうした知識が他の無数の人々も手にできるようになれば、地上はどんなにか変わることでしょう。
ですから、毎朝を無限の可能性に満ちた新しい霊的冒険の始まりとして、又、あなたの霊的な輝きと資質を増す機会の到来として、歓喜をもって迎えるのです。毎朝が、霊的成長を促し、内部の神性を発達させ生命の始源へ近づけてくれる好機をもたらしてくれるのです」
(訳者注─次に掲げる霊言は誰に向って述べられたものかが明記されておらず、内容からもその手掛かりが得られないので、一般的なものとして訳出しておく)
「一人一人の人間が、自分の行為に自分で責任を取ります。それが自然の摂理なのです。いかに愛する人とはいえ、その人に代わってあなたが責任をとるわけにはまいりません。その人の行為の結果をあなたが背負うことはできません。それを因果律というのです。過ちを犯したら、過ちを犯した当人がその償いをする・・・霊的法則がそうなっているのです。
地上時代には不正、不公平、不平等がよく見られます。不完全な世界である以上それはやむを得ないことです。しかし霊的法則は完全です。絶対に片手落ちということがありません。一つの原因があれば、数学的正確さをもってそれ相応の結果が生じます。原因と結果とを切り離すことはできません。結果は原因が生み出すものであり、その結果がまた原因となって次の結果を生み出していきます。
その関係が終わりもなく続くのです。もしもその因果関係が人為的に変えられ、利己主義者が博愛主義者と同じように霊的に成長することが可能であるとしたら、それは神の公平を根底から愚弄することになります。自分が蒔いたタネは自分で刈り取る・・・そうあらねばならないのです。
あなたはあなた自身の行為に責任を取るのです。その行為の結果を自分が引き受けるのです。これからもあなたは過ちを犯します。そしてそれに対する償いをすることになります。そうした営みの中で叡智を学んでいくべきなのです。過ちを犯すために地上へ来たようなものです。もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間だったら、今この地上にいらっしゃらないはずです。
過ちも失敗もあなたが不完全であることから生じます。しかし、転んでも起き上がることができます。取り返しのつかない過ちというものはありません。新しい希望と新しい可能性を秘めた新しい一日、新しい夜明けが必ず訪れます。
うちの宗教の教えを信ずれば罪も赦されるかに説いている宗教がいくつかあるようですが、そういうことは有り得ません。罪をあがなうのはその罪を犯した当人のみです。〝神聖〟とされる文句や言葉をいくら繰り返しとなえても、原因から生じる結果を赦免したり消去したりすることはできません。
ですから、いくら愛しい人であっても、その人の行為にあなたが責任をとるわけにはまいりません。その人みずから学び、学ぶことによって成長し進化していくのです。それが生命の法則なのです。生命は静止することがありません。絶えず向上を目指して動いております。動くということが永遠の進化のための一つの要素なのです。
完全へ向けての向上に終止符を打つことはできません。無限の時をかけて完全へ近づくことの連続であり、これでおしまいということがないのです。完全性の達成は無限の過程です。完全なのは大霊のみです。
思い煩ってはなりません。心配の念はせっかくの援助の通路を塞いでしまいます。私はいつも取り越し苦労はおやめなさいと申し上げております。心配の念は有毒です。悪気を生み出し、それがあなたを取り囲みます。陰湿な雰囲気で包まれてしまいます。その状態になると霊の力も突き通せなくなります」
≪われわれは、顕と幽の区別なくいずこに存在しようと、神を父とし、一人ひとりがその子供という関係において一つの広大な霊的家族を構成しております。神性の絆がわれわれのすべてをつなぎ、一体としております。その意味で私たちは、こうして顕と幽の二つの世界の間に横たわる障害の多くを克服してきたことを、この上ない恩恵として感謝しております。そのおかげで地上世界へ影響力を行使できる聖なる霊が次々と輩出しております≫
第6章 霊能者の責任
≪他人のためになることをする人は、いつかはきっと他人から有難いと思うことをしてもらうものです。収支決算をしてみると必ず黒字になっております。一身を捧げている霊媒を私たちは決して見捨てるようなことはいたしません。授けられている霊的能力を最大限に発揮できるよう、常に鼓舞し勇気づけております≫
英国が生んだ大霊媒の一人で、シルバーバーチの古くからの馴染でもあるヘレン・ヒューズ女史が他界するわずか二、三か月前のことだった。永いあいだ女史と人生を共にし、そして今、他界を目前にしている女史を懸命に介護している女性が、その日の交霊会に招かれていた。その女性に向かってシルバーバーチがこう語りかけた。
「ヒューズ女史は今ゆっくりと終焉に近づきつつある弱り切った肉体に閉じ込められた偉大なる霊です。もはや施す手だてはほとんどありません。肉体というのは、生長して本来の機能を発揮しはじめた時点から霊への拘束力を強めていくものです。が、女史はその生涯で見事に霊的自我を発揮されました。
地上に生を受けた目的を立派に果たされました。数え切れない人々の沈んだ心を奪いたたせ、親族を失った人々の涙を拭い、涙と悲しみと苦悩しか見られなかった顔に確信の笑みをもたらしてあげました。
女史はいついかなる時も霊の力を裏切るようなことはしなかったという自信がありますから、これまで歩んできた永い奉仕の道を満足して見つめることがお出来になります。
女史こそ霊の道具はかくあるべきという最高の規範です。言葉によっても、行為によっても、あるいは心に宿す思念によっても、託された聖なる信頼を裏切るようなことは何一つなさっておりません。人々に歩むべき道を教え、やれば到達できる水準を示されました。霊の力は、その地上への顕現に協力してくれる献身的で無欲な道具さえあれば、こういうことまで出来るのだということを見事に示されたのです。
確かに女史は世俗的な意味では裕福ではないかも知れませんが、霊的な意味では裕福そのものであり、倦むことなく続けられた永い奉仕の人生で身につけられた輝かしい宝石類を沢山お持ちです。それは永遠に輝きを失うことはありません。どうか私をはじめとして、女史の業績を尊敬し感謝している、本日ここにお集まりの皆さんの気持ちをよろしくお伝えください。
これまでに女史が美事に発揮し実証してきた霊の力は、これからも女史のもとを離れることはありません。休みなく輝き続けることでしょう。女史ご自身もそれを辺りに感じて、いつもその真っ只中にいることを自覚されることでしょう。女史のような方がもっともっと大勢いてくれれば、私たちの仕事もどんなにか楽になるのですが、残念ながらイエスが言った通り〝招かれる者は多し、されど選ばれる者は少なし〟(マタイ)です。
同じ日、ともに霊能者である夫妻が招かれていた。英国人と米国人で、今は米国に住んでおられる。その二人にシルバーバーチはこう語った。
「霊的資質は永いあいだ潜在的状態を続け、魂が十分に培われた時点でようやく発現しはじめるものです。それが基本のパターンなのです。すなわち悲しみや病気、あるいは危機に遭遇し、この物質の世界には何一つ頼れるものはないと悟った時に、はじめて魂が目を覚ますのです。
何一つ煩わしいことがなく、空は明るく静かに晴れ上がり、すべてがスムーズにそして穏やかに運んでいるような生活の中では、真の自我は見出せません。すばらしい霊的覚醒が訪れるのは、嵐が吹きまくり、雷鳴が轟き、稲妻が光り、雨が容赦なく叩きつけている時です。
お二人が歩まれた道も楽ではありませんでした。しかし、だからこそ良かったのです。困難に愚痴をこぼしてはいけません。困難は霊の拍車です。霊的知識をたずさえてそれに立ち向かうことです。霊の力は物質の力に勝ります。問題に遭遇した時はいったん足を止め、霊的知識に照らして判断し、どんなことがあってもお二人が担って生まれてこられた目的から目をそらさないでください。
お二人はこれまでずいぶん多くの人々のお役に立ってこられましたが、これからもまだまだお役に立たれます。まさに奉仕の道一筋に生きておられます。教会の高位高僧が・・・まじめな気持からではあっても・・・行っていることよりはるかに多くの仕事をなさっておられます。
何も知らずに生きている人たちに霊の真理をもたらしておられます。地上に存在している目的を成就する上で力になってあげておられます。霊的本領を発揮する上で力になってあげておられます。霊的知識を普及しておられます。こうしたことはみな神聖な仕事です。そういう仕事を仰せつかったことを誇りに思うべきです。
人生は難問だらけです。バラの花は少なく、トゲだらけです。しかし、あなた方を導いている力は宇宙を創造したのと同じ力です。無限の威力を秘めております。物わかりの悪い人を相手にしてはいけません。心ない中傷や嫉妬は無視なさることです。まったく下らぬことです。
本来の責務を全うしていない霊能者のことは気の毒に思ってあげればよろしい。所詮それは当人の責任なのです。あなた方はあなた方なりに精いっぱい責任を果たしておればよろしい。力量以上のものは要求されません。力のかぎり大霊の道具としての自分を有効に役立てることです。少しでも多くの霊力があなたを通して地上に顕現し、それを必要としている人たちのために力と導きと愛をもたらしてあげられるように努力してください。
地上には為さねばならないことが沢山あります。今の時代はとくにそうです。邪悪な勢力がのさばっています。利己主義が支配しています。既得権力が崩れて行くわが城を守ることに懸命です。こうした中であなた方がたった一つの魂でも真の自我に目覚める上で力になってあげれば、それは大へん価値のあることです。ひたすら前向きに進まれることです。
われわれが手を取り合うことによって、援助を必要とする人々の力になってあげることができます。受け入れる用意のない人に押しつけてはなりません。みずから求めてわれわれの手の届く範囲にまで訪れた人々に気持ちよく手を差しのべましょう。その人たちなりの自我の覚醒を促す理解力を身につけてくれるように、われわれが力になってあげましょう。かくして霊の力が広がり続けることになります。
本日お二人が揃ってお出でくださったことを私の方こそ光栄に思っております。と申しますのは、お二人には大へん高級な背後霊団が控え、お二人を道具として使用しているからです。その威力はこれまでの成果で十分に証明されております。あなた方は霊力の働きの生きた手本です。お選びになられた道を着実に歩んでおられ、その成果として、縁あって訪れる大勢の人たちの力になってあげていらっしゃいます。
私から改めて申し上げることは何もありません。お手にされた知識に私から付け加えられるものはございません。私の世界でも極めて霊格の高い、そして数々の霊的業積を積んで尊敬されている霊団から授かっておられます。が、こうして別の人間の口からお聞きになるのも、それなりの得心を与えてくれるものです。
同志として、また協力者として、私がお二人に申し上げたおきたいことは、お二人ほどの霊的才能をもってしてもなお、お二人を取り巻いている莫大な霊力の実在を感じ取ることはできないということです。その実体のすべてを把握することは不可能なのです。
あなた方が実証しておられるのは全生命が基盤としている基本的実在です。人間がみずからを、そしてこの世を救うことのできる唯一の道を公開していらっしゃるのです。霊的実在・・・生命の世界にあって唯一の普遍の要素・・・を実証することができるということです。
うっかりすると方角を見失いがちな世界にあって、あなた方は物質中心思想という悪性のガンと闘っている霊の大群に所属しておられます。唯物思想は何としても撲滅しなければならない悪性の腫瘍です。これが人類を肉体的にも精神的にも霊的にも病的にしているのです。
既成宗教にはそれを撲滅する力はありません。なぜなら、そこには霊力というものが存在しないからです。一時的には勢力を伸ばすことはあっても、霊力というものを持ち合わせません。大霊からの遺産としての霊的資質がもつ影響力に欠けております。
その点あなた方は喪の悲しみの中にある人には死が有難い解放者であること、魂に自由をもたらすものであり、いずれはその人と再会できるという事実を立証してあげることができます。愛さえあればその真実性を実証してみせることが出来ます。それは今の教会にはできません。
また医者のすべてが〝不治〟の宣告を下した患者にも、あなた方はなお希望をもたらすことができます。心霊治療によって、全てではないにしても、健康を回復してあげることができます。たとえ全治はできなくても、痛みを和らげ、快方へ向かわせ、活力を与えることが出来ます。万一それも不可能となり死を待つばかりという場合でも、その死に際して魂を肉体から安らかに離れるようにしてあげることが出来ます。それも心霊治療家の大切な仕事です。
幻影ばかりを追いかけている世界において、あなた方は真理の存在場所を教えてあげることが出来ます。口で説かれることを実地に証明してみせることが出来ます。それは誰にでもは出来ないことです。偉大な仕事です。神聖な仕事です。霊による仕事です。大変な奉仕の仕事です。
時にはうんざりさせられることもあるに違いありません。この物質界にあって霊の僕として働くことは容易なことではありません。強い味方と思っていた人が、愚かで強情な見栄から、敵にまわってしまうこともあります。そういう人は気の毒に思ってやらねばなりません。せっかく光を見ていながら暗闇の道を選べば、その人はそれ相当の責任を取らされることになるのですから。
お二人は霊の使節なのです。神の特使なのです。地上のいかなるものにも勝る力の代理人です。そして、それ故に又、お二人の責任も大きいということになります。
私から申し上げることは、これまで通り突き進みなさい。ということだけです。楽ではないでしょう。
が、進化しつつある魂は楽を求めないものです。挑戦を求めるものです。それが内在する力を表面に引き出し、それだけ霊的に強力となっていきます。苦難は必ずそれだけの甲斐があるものです。なさねばならないことが沢山あります。
手を差しのべてあげなければならない魂が大勢います。道を見失っている人が沢山います。そしてそういう人たちはお二人のような霊的真理に目覚めた方にしか救えないのです。
これからも失敗はあるでしょう。何度もしくじることでしょう。だからこそ地上に生まれてきたのです。もしも学ぶことがなければ、この地上にはいらっしゃらないでしょう。地上は子供が勉強に来る学校なのです。完全な霊だったら物質に宿る必要はないでしょう。
お二人が住んでおられる巨大な大陸(米国)では、宇宙の大霊である神よりも富の神であるマモンの方が崇拝の対象として大いにもてはやされています。だからこそお二人にはいろいろとしなければならないことがあるわけです。どこで仕事をなさっても、必ずそこに霊の勢力が待機し、霊の光が輝いています。縁あってお二人のもとに連れてこられる魂の力となってあげることになります」
会の終了後その感激をご主人が次のような文章に託された。
≪予想していた通り、シルバーバーチ霊は深遠な叡智と大へんな謙虚さを感じさせた。語られたことは私たち夫婦にとって、いちいち身にしみて理解できることばかりだったが、私にはその裏側にもっと多くを語る実在感が感じられた。見ていると、霊媒のバーバネル氏の存在は完全に消えてしまって、シルバーバーチ霊が支配しきっているという感じがした。この道の仕事は確かにうんざりさせられることがありがちである。シルバーバーチ霊は目的への信念を回復させる手段を提供してくれた≫
その日はもう一人、有名な霊媒で心霊治療家としても活躍している人(名前は公表されていない)のお嬢さんが招待されていた。親の仕事ぶりを見て自分も独自のスピリチュアリストチャーチを設立したいという願望を抱いている。
そのことを念頭においてシルバーバーチがこう語った。
「本日はあなたが最後になってしまったことをまず赦していただかねばなりません。でも〝後なる者が先になるべし〟(マタイ)という名言を述べた先人もいます。あなたを後まわしにしたのは決して礼を失したわけではありません。このほうが私の仕事ぶり、通信の仕方をよく見ていただくことになって勉強になると考えたのです。
それはそれとして、本日こうして初めてお会いしてみて、あなたが少しも〝場違い〟の感じがしないのは、あなたが幸いにしてすでにこの道の初歩的教育を受けておられるからです。他の人たちにとって不思議で信じられないことが、あなたにとっては至って自然に思われるのです。と言って、あなたにもそれをそう簡単に信じたわけではありません。
独立心に富むしっかりした魂は楽を求めないものです。あなたはあなたなりの道を切り開かねばなりませんでした。独自の道をたどり、自分の理性の命ずるところに従うには、それなりの独立心というものを発揮しなければなりませんでした。
あなたも非常に恵まれたお方です。背後には私と親しい間柄にある偉大な霊が控えていて、あなたはその霊から多くの叡智をさずかっておられます。自覚なさっておられる以上に援助を受けておられます。なのに尚あなたは現状にいらだちを覚え、ご自分の活動の場を設立したいという願望に燃えていらっしゃる。しかし今はまだその時期ではありません。あなたにはまだドアは開かれておりません。が、いずれ開かれる時が来ます。
ここにおいでの皆さんはすでにご存じのことですが、あなたにも、ひとつ、人生の秘訣をお教えしましょう。
ドアをノックしても開けてくれない時は無理してこじ開けようとしてはいけません。軽く押してみるのです。それでもし開いたら、あなたの進むべき道がそこにあるということです。閉め切られた道は通れません。絶対に開かないドアを叩き続けて無駄な時間と労力を浪費している人間が多すぎます。
あなたは霊の力がどういう具合に働くかをすでにご存じです。あなたに必要なものが十分に用意されれば、あとはドアをそっと押してみるだけでよくなります。それまではどこにいても人のためになることを心掛けることです。手を差しのべるべき人はどこにでもいます。
けっして大げさな催しをする必要はないのです。悲しみの中にある人にやさしい言葉を掛けてあげるだけでもよろしい。沈んだ人の肩にそっと手を掛けて力づけてあげるだけでもよろしい。病の人に早く治りますようにと祈りの気持ちを送ってあげるだけでもよろしい。むろん実際に治療してあげるに越したことはありません。
そうしたことがそれまで近づけずにいた霊の力とのつながりをもたせることになるのです。あなたがその触媒となるのです。その結果、あなたの行為が影響力の行使範囲をわずかでも広げたことになります。
あなたの前途にはいろいろなことが用意されております。ですから、一日一日をすばらしい霊的冒険へのプレリュード(序曲・前ぶれ)として迎えることです。将来、きっとあなたは、与えられていく絶好期に欣喜雀躍なさることでしょう」
S・A・G・B(the Spiritualist Association of Great Britainスピリチュアリストの総合施設で、十数名の霊能者が常駐し、各種の催しや人生相談にのっている。図書館や食堂も完備している。訳者)の事務長のロシター氏Ralph Rossiterが奥さんと同伴で招待された時のシルバーバーチの霊言も、ここで紹介しておくのが適切のようである。ロシター氏は度重なる病気と闘いながら霊的真理の普及に献身しておられる。
「あなたや奥さんのような方が私との対話を希望してくださることは私にとって大きな喜びの源泉です。お二人は知識も経験も豊富でいらっしゃるので、私から改めて申し上げることはほとんどありません。ただ、時には別の通路をへて届けられる言葉に耳を傾けるのも、お二人がご自分で思っていらっしゃるよりはるかに霊の力が身近な存在であることを確認し自覚なさる上で助けになりましょう。
日夜スピリチュアリズムの普及のために働いておられる方は、霊的真理があまりに身近な存在であるために〝木を見て森を見ず〟の弊害に陥ることがあります。時には一服して、自分がどういう位置にあるかを確かめるのもよいことです。残念ながら地上には成果を記録する装置がありませんから、自分たちの努力によってどういうことが成就されつつあるかを正確に推し測ることが出来ないのです。
あなたの教会には大勢の人が訪れ、そして帰って行きます。ある者は病気が癒えて、ある者は元気づけられて、ある者は啓発されて、逆にある者はがっかりして、ある者は何の反応もなしに帰って行きます。魂にその準備ができていなかったのですから止むを得ません。が、そうしたことが絶え間なく繰り返されると、つい肝心な基本、すなわち魂に訴えるという目的を忘れてしまいがちです。大切なのは魂の内部に宿る神の火花を燃え立たせ、真の自我に目覚めさせることです。
地上の悲劇は、霊的真理にまったく無知な人間が無数にいるというところにあります。みずから信心深いと思い込み、せっせと礼拝の場へ通っている人でも、霊的実在と何の関わりも持っていない人が大勢います。と言うことは、真の豊かさと美しさ、物質という次元を超えた生き方がもたらしてくれる歓喜というものに、まったく無縁ということになります。
そういう人たちは地上生活の目的が分かっておりません。地上を去るまでにしておかなければならないことについて何の予備知識も持ち合わせません。人生の価値観が間違っておりますから、優先させるものが間違っております。視野のピントがずれております。物事の判断基準が狂っております。生活は不毛で味気なく、自我の開発などとうてい覚束なく、生きる目的というものがありません。いつも迷路の中に生きており、出口が見出せずにいます。
あなた方の仕事はそうした地上界にあって一つの灯台となることです。ぐるぐると絶え間なく光線を放射し、それが闇を貫き、受け入れる用意のできた人に真理の在りかを教えてあげるのです。いつも申し上げていることですが、地上生活の終点に来た時に、たった一人の魂にでも真の自我を見出させてあげることができていたら、それでその人生は十分に生き甲斐があったことになります。
これまで、たった一人どころでなく数え切れない人々が、あなた方のおかげで生命の秘密を発見し、人生を十分に楽しみ、恐れることなく死後の生活に備えることが出来ていることを思えば、ほんとうにしあわせな方であると言えます。
叶えられることなら、あなたや同僚の方、それに、さんざん悪しざまに言われている霊媒が行っている仕事の偉大さが実感としてお解りいただければいいのですが・・・。あらゆる困難、さまざまな問題、幾多の辛苦、それに費用の問題を抱えながらも、あなたはよくぞそれらを切り抜けてこられました。これからもきっとやり抜かれることでしょう。
莫大な霊力と、それを使用して活動している大勢の進化せる霊の存在を知りさえすれば、それが得心していただけます。地上で為し得る最も偉大な仕事なのです。容易でないことは私もよく承知しております。しかし、何事も価値あるものは困難がつきまとうものなのです。
悲しいかな、数だけはたくさんある現代の教会にも、それはなし得ません。魂に感動を与えることはできません。内部の神性にカツを入れることはできません。が、神の使者には、たった一人でもそれができます。生まれつき霊的能力を授かっているからです。霊覚を持ち合わせない宗教家は、ありきたりの説教と信条の繰り返しに頼るしかなく、便宜主義へと堕落します。霊的淵源からのインスピレーションとも啓示とも無縁なのです。
肝心なことは、魂が真の自我を見出し全存在の源に触れることです。神が遠く離れた近づき難い存在ではなく自分の内部にあること、したがって困難や危機に遭遇した時に使用できる霊的な武器、力、貯え、潜在力がちゃんと備わっていることを知るべきです。
それだけではありません。内部の莫大な潜在力とは別に、外部の無限の霊力の恩恵を受けることもできるのです。進化の階段を一つ一つ昇りながら、その一段ごとにその霊格に似合った霊が待機して援助の手を差しのべてくれるのです。これは大切な事実です。
これまであなたがたがたどって来られた人生は楽ではありませんでした。これからも決して楽ではないでしょう。もしも私が楽な人生をお約束したら、それはウソを言うことになります。が、あなたはこの仕事をするために生まれて来られたのです。支払わねばならない負債を背負って来られたのです。その栄光ある仕事の松明が今あなたに手渡されています。何としてもその明かりを灯し続けて、後を引き継ぐ人に手渡す時には一段と輝きを増しているようにして下さい」
シルバーバーチの祈りから。
≪内部に宿るあなたの霊こそ、私たちが何とかして発揮させてあげたいと願っているものでございます。それを発揮することによって初めて人間は神性をもつ存在としての限りない美質、豊かさ、光輝、威厳、壮大さ、気高さを真にわがものとすることが出来るのでございます。
そうした資質を自覚することによって人間は自我意識を高め、自分を物的なものに縛りつけている拘束物の幾つかを切断し、未開発の精神と霊の豊かな遺産を手にすることが出来るのでございます。かくしてインスピレーションと叡智と啓示と真理への窓を開くことになります。それらは高き世界からの恩寵としてこれまでも脈々と流れているのであり、人間の受容力に応じて受け入れられているものでございます。
その流れは常に壮大にして崇高なる霊力を伴っております。霊力こそ生命の源泉であり、強力にして生命力にあふれ、病の人には健康を、衰弱せる人には元気を、迷える人には導きを、そして今なお暗闇の中にいる人には光明をもたらすのでございます≫
第7章 魂を癒す・・・心霊治療の本質
≪心霊治療の本質は〝魂〟に関わることであり、身体に関わるものではありません。魂に受け入れ準備ができていれば、治療は難なく奏効します。摂理としては当然そうなるようになっているのであり、それ以外にはありようがないのです。霊的治療は物的身体に宿る魂という容器に霊的生命力を注入する作業です。その生命力は肉体の中の生命の中枢へ向けて仕掛けられる霊的刺激剤であり、回復力であり、再活性力です≫
中央アフリカおよびインドを中心に治療活動を続けている二人の治療家が招かれた。二人はUlyndu(ウーリンドウ)とAmenra(アメンラ)と言う名で知られているが、いずれも仮名である。商業関係の仕事を止めて本格的に治療活動に専念しておられる。奉仕的精神から治療費をいっさい取らないのであるが、その日常生活は〝絶対に裏切らない神の供給源〟の存在を見事に実証している。
来る日も来る日も治療のための旅を続けていると、時には生活費が底をつき、空腹のためにベルトをさらに締めなければならなくなることもある。にもかかわらず必要なものだけは、お願いしなくても、必ず届けられる。その届けられる経路は驚異としか言いようがないほど思いがけないことがしばしばであるという。
南アフリカから英国に立ち寄った時に永年の夢が叶ってシルバーバーチの交霊会に出席することができた。二人はシルバーバーチの霊言を生活の指針としてきている。そのシルバーバーチが二人にこう語った。
「私たちにとって霊の道具として活躍しておられるお方のお役に立つことほど大きな喜びはありません。他人のために倦まず弛まず尽力しておられる方が私の述べる言葉を少しでも役に立つと思ってくだされば、私を地上へ派遣した霊団のマウスピースであることを光栄に存じます。
われわれはお互い同じ使命にたずさわっております。病める地上世界がみずからを癒す事業を援助し、無謀な愚行に走るのを食い止め、無数の人間の悲劇の根源となっている自己中心主義と貪欲の行為を止めさせ、霊がその本来の輝きと美質を発揮するように導くという責務を負っております。
この道が楽ではないことは今さら私から申し上げる必要はありません。バラの花に飾られた優雅な道でないことは申し上げるまでもありません。苦難は進化を促し、魂を調整するための不可欠の要素なのです。魂が真の自我に目覚めるのは苦難の中にあってこそです。人生のうわべだけを生きている人間には、魂が自己開発する機会がありません。地上的方策が尽き果て、八方塞がりの状態となったかに思える時こそ、魂が目覚めるものなのです。
言いかえれば、物質が行き詰まった時に魂が目覚め、小さな神性の種が芽を出し、花を咲かせ、内部の美質を徐々に発揮しはじめるのです。苦難はコインの裏側と思えばよろしい。闇なくしては光もなく、嵐なくしては晴天もありません。このことはお二人はすでによく理解しておいでです。
あなた方は豊かな恩寵に浴していらっしゃいます。奉仕活動に手を染め、すべてを天命にまかせる覚悟をされて以来、お二人は一度たりとも見落とされたり忘れられたり無視されたり、あるいはやりたいように放ったらかされたことはありません。
この道は、他にその恩恵を知る縁のない人々に霊力と光明と癒やしをもたらせることになる、雄大な霊的冒険です。宇宙最大の力の道具として働くことは大へん光栄なことです。大霊より強大な力はこの宇宙には存在しません。その大霊がお二人に要求しているものは忠誠心であり、協調的精神であり、一途さであり、信頼心であり、そして知識が生み出す信仰心を土台とした絶対的な自信です。
私から申し上げるまでもないことかも知れませんが、お二人は地上に生を受けるずっと以前からこの仕事を志願していらっしゃいました。またこれも改めて申し上げる必要はないと思いますが、実はそれもこれもまだまだ序の口にすぎません。地上生活は霊としての存在意識をまっとうするという大目的のために学び鍛える、そのトレーニングの場にほかなりません。
挫けてはなりません。いかなる事態にあっても、不安の念をカケラほどでも心に宿すようなことがあってはなりません。今日まで支えてきた力は、これからも決して見棄てるようなことはいたしません。絶対に裏切ることはありません。もしあるとしたら、この宇宙そのものが存在しなくなります。その根源的なエネルギー、存在の支えそのものが不在となることがあることになるからです。
お二人は霊力という最大の武具を備えていらっしゃいます。それを、ある時は支えとし、ある時は安息所とし、ある時は避難所とし、ある時は至聖所とし、そしていつも変らぬインスピレーションの泉となさることです。道を過らせるようなことは絶対にしません。縁あってあなたのもとを訪れる人に最大限の援助をしてあげられるよう導くことに専念してくれることでしょう。
物的な必需品はかならず授かるのだということをお二人は体験によってご存知です。飢えに苦しむようなことにはなりません。渇きに苦しむようなことにもなりません。身を包み保護するだけの衣類はかならず手に入ります。ぜいたくなほどにはならないでしょう。が、進化せる霊はぜいたくへの願望は持ち合わせないものです。
物的身体にはそれなりに最低限の必需品があります。神はその分霊の物質界での顕現の手段として創造された身体にどんなものが必要かはちゃんとご存知です。迷わずに前進なさることです。今日は今日一日のために生きるのです。そして、過去が霊の導きを証明しているように、未来も間違いなくあなたが志願された使命を全うさせてくれるものと信じることです。
これまで通りに仕事をお続けになることです。病の人を癒やしてあげるその力が、ほかならぬ霊の力であることを理解させてあげるのです。その結果その人が魂に感動を覚えることになれば、それはあなたが霊的な勝利を収めたことになるのです。
霊が正常で精神も正常であれば、身体も正常です。摂理として当然そうなるのです。身体は召使いで霊が主人です。身体が従臣で霊が王様です。愚かな人間は身体を主人と思い王様と勘違いしております。そういう人の霊は〝支配する〟という本来の立場を知ることがありません。
勇気をもって前進なさい。もしも私の申し上げることが勇気づけとなれば、その勇気づけの道具となったことを私は光栄に思います。お二人の背後には私たちの世界でもきわめて霊格の高い霊が控えています。大へんな霊力と叡智を身につけられたお方で、その悟りの深さがまた深遠です。その方との協調関係を出来うるかぎり緊密にするよう、修養を怠らないでください。
背負った重荷も、知識から生まれた信仰があれば軽く感じられ、重さが消えてしまうものです。行く手をさえぎる苦難や困難には堂々と立ち向かい、そして克服していくべき挑戦だと思うべきです。きっと克服し、万事がうまく運ぶはずです。
見た目にいかに大きくても、物的な事態によって圧倒されるようなことがあってはなりません。この物質の世界には、その生みの親である霊の力をしのぐものは何一つ存在しないのです。何ごともきっと克服できます。そして心が明るく弾むことでしょう。万事が落着くべきところに落ち着きます。時間は永遠なのです。人間はその永遠の時の流れの中にあって、今という時間、その一瞬を大切に生きていけばよいのです」
≪本当の霊的治療が功を奏した時はけっしてぶり返しません。法則は不変です。摂理は完全です。もとより私は霊の美質である慈悲心や哀れみの情、親切心、寛容の心を一瞬たりとも失いたくないと思っております。が、摂理は公平無私であり、自動的であり、不可変であり、神によって定められているのです≫
※※※
Rose Baston(ローズバストン)女史も人生半ばにして霊的治病能力を発揮しはじめた庶民的な家庭婦人である。30年以上にわたってハンネン・スワッハー氏とのお付き合いがあり、その縁で、かつてスワッハーが住んでいたロンドンの邸宅に治療所を開設した。つい二、三年前のことで(本書の出版は1969年)、その開所式にはシルバーバーチも招かれてお祝の言葉を述べた。久しぶりで面会したバストン女史にシルバーバーチが次のような励ましの言葉を述べた。
「あなたの治療所の開所式へお招きを受けて祝辞を述べて以来この方、あなたと霊団とのつながりが緊密の度を増しております。治療所は不幸な人々、苦しむ人々を救う目的のために存在しているのです。あなたの人生が常に霊団の導きを受けていることは私から改めて申しあげる必要はないと思います。
あなたはこの仕事のために生まれて来られたのです。その目的地にたどり着くためにあなたは数々の困難と苦難によって鍛えられ、、いばらの道を歩まされました。この仕事にふさわしい人間となるための試練と鍛錬を積まねばなりませんでした。
さて、これまでを振り返ってごらんになれば、いろいろとあった出来ごとも、みなモザイクの一部であることがお分かりになります。人生には基本的なパターンがあるのです。最初のうちはそれが見分けられませんが、次第に何もかもがそのパターンにそって落着くべきところに落着いていることが分かってきます。
あなたも今や霊の道具として身体だけでなく、もっと大切なこととして、精神と霊とに慰安と軽減をもたらす仕事にたずさわって、地上生活の目的を成就しつつあることをこの上なく幸せなことと思うべきです。
これまでと同じく、これからの人生も計画どおりに進展するにまかせることです。決して楽ではありません。私が思うに、これまでの人生がもっと楽だったら、あなたはそれを不満に思っていたはずです。試練の末に勝ち取るほうが、何の苦労もなしに手に入れ、したがって潜在する力に気づかないままで終わるよりもいいのです。なのに人間は努力もしないでいて自分にない才能を欲しがり、そのために、せっかく手にしてもそれを有難く思わないのです。その点あなたは永い間ご自分の治病能力に気づかれませんでした。はじめてそのことを聞かされた時はびっくりなさいました。
病状を診察する能力はさして大切なものではありません。診察は往々にして身体的なことだけになりがちです。が、根本的な原因は身体よりも精神と霊とにあります。早く治そうと思ってはいけません。忍耐が大切です。あなたのほうから霊力を強要しても無駄です。
霊力というものはその通路に受け入れる用意ができた時にはじめて流入するのです。しかも病状に応じて調節しなければなりません。それはそれは微妙なプロセスなのです。強制的に扱おうとしても無駄です。
万が一やる気を無くするようなことがあったら・・・人間なら時には意気消沈することがあるものです・・・その時はいったん歩みを止めることです。
そしてそれまで奇跡ともいえる形で成し遂げられてきたことを振り返って、これだけのことが成就されてきたのなら、これから先もきっとうまく行くはずだという認識をもつことです。あなたに要求されることは、そこまであなたを導いてきた霊力に対する絶対的な忠誠心と自信とをもってあなたの責務を全うすること、それだけです。
あなたなりのベストを尽くすことです。あなたの力の範囲内で出来るかぎりの努力をなさることです。
恐れるものは何一つありません。困難はあります。が、それもきっと克服されます。毎朝が新しい霊的冒険の好機なのです。
これはとても大切なことです。そういう覚悟で仕事に当たっておれば、邪魔が入ることは決してありません。容易でないことは私もよく承知しております。が、忠実な僕がたどる道が楽であることは有り得ないことです。お名前はローズ(バラ)でもバラの花壇とはまいりません。魂というものは何かの挑戦を受けてはじめて自我に目覚めるものなのです。その時、居眠りをしていた潜在的な力が表面に出て来て発揮されはじめるのです。(※a bed of roses安楽な身分、贅沢な生活のこと―訳者)
が、あなたはこれまで啓示された光に忠実に従ってこられました。ただの一度もあなたに託された信頼を裏切ることがありませんでした。私をはじめ、あなたの霊団の者はみんな、あなたのことを誇りに思っておられます」
≪霊の褒賞は奮闘努力の末に手に入るものです。宝くじのような具合に手に入れることはできません。霊の富はそれを手にするにふさわしくなった時に与えられるのです。霊的開発が進むにつれて自動的に、それまでより少しだけ、多くのものを身につけていくのです≫
※※※
心霊治療家のGordon Turner(ゴードンターナー)氏は病気治療だけでなく、英国心霊治療家連盟の推進者としても有名である。助手のJo Prince(ジョープリンス)を伴ってはじめてシルバーバーチを訪れた時の感動はひと通りでなかった。シルバーバーチが二人にこう語りかけた。
「私が永いあいだ地上世界の仕事にたずさわってきて何よりもうれしいのは、霊の僕として働いている同志をここへお招きすることです。あなた方がどうしてもたどらなければならない地上生活のパターンというものがあることは私はよく承知しております。外部の世界とは無縁の心の痛み、苦難、苦痛、その他もろもろの複雑な感情があることもよく存じております。支払わねばならない代償があることも存じております。それが時には精神的ならびに霊的に十字架を背負わされることになることがあります。
しかし、それが霊的進化の道なのです。その道での褒章を得るには奮闘努力しかなく、近道はなく、真の向上の一歩一歩が絶対に後戻りを許されない確固たるものでなければならないのです。もしも気楽な人生を望まれるなら、もはやその人生では他人のために自分を役立てることはできません。
魂が自我に目覚め、意図された通りに霊的資質を開発し、縁あってあなたのもとを訪れる人々がその天賦の才能によって恩恵を受けるようになるには、刻苦と苦難と修養と節制の生活しかないのです。
しかし人生には必ず両面があります。陰気で重苦しい、救い難い闇ばかりではありません。光があれば影があり、寒さがあれば温かさがあり、嵐があれば日和があります。そうでないと進歩は得られません。魂が目覚め、霊の隠れた能力と内的な美質が発揮されればされるほど、それだけ神との調和が緊密となってまいります。
因果律による当然の結果としての報酬があるということです。それは、いかに石ころだらけで障害が大きく思えても、その道は間違いなく自分に約束された道であり必ずや成就されるという、内的な確信です。
あなた方は自分が成就しつつあることを測定することが出来ません。地上には魂の成長と霊的成就の結果を測定する器具も装置もありません。しかし、あなた方は暗闇にいる魂に光をもたらしておられます。飢えと渇きに苦しむ魂に霊的な食べものと飲みものを用意してあげておられます。
真の健康を見出す好機を用意された身体と精神と霊に神の力、すなわち生命力そのものを授けておられます。すばらしい仕事です。しかし同時に大へん責任のある仕事でもあります。霊的才能はそう簡単に人間に授けられているのではありません。神からの才能の保管者であるということは、それだけ責任が重いということでもあるのです。
悲しいな、あなたが関わっておられるのは人間という気まぐれな存在の集まりです。時には最も緊密な味方であるべき人が最大の敵にまわったりすることがあります。同じ目的、同じ大義によって団結すべき人たちの中にあってすら、摩擦と誤解の犠牲となることがあります。が、たとえすべての人間が同じ仕事に従事していても、たった一つの視点から眺めるということは、所詮、無理なのです。
他人がどう言っているか、どう考えているか、どうしようとしているのか、それはあなたには関係ないことです。大切なのはあなた自身が何を述べ、何を考え、何をするかです。神はあなたに他人の行為や言葉や思想にまで責任は取らせません。あなたの責任は、あなたに啓示されたものに照らして生きることです。光が大きければ、それだけ責任も大きくなります。この神の規約には免除条項というものはありません。
病気の人があなたのもとを訪れた時、その人は霊的に重大局面を迎えていると考えてください。その人はぎりぎりの決断を迫られているのです。転換期に来ているのです。霊的存在としての本来の生き方を開始するチャンスを目の前にしているのです。病気というのは霊的理解力をもたらすための手段の一つなのです。
そこでもしもあなたが身体の病気は治せても霊的自覚を促すことができなかったら、あなたの責任ではないにしても、その治療は失敗だったことになります。が、もしも魂に感動を覚えさせることができたら、もしも霊的意識に目覚めさせることに成功したら、あなたは医師にも牧師にも科学者にも哲学者にもできないことをなさったことになります。
内部の神性の種が芽を出す、そのきっかけを与えたことになります。神性が芽を出せば、魂が霊力の援助を得て顕現を開始し、真の自我を成就してまいります。訪れる人のすべてを救ってあげられないからといって落胆なさってはいけません。あなたのもとを訪れたということは、その人にとっての好機が訪れたということです。あなたはあなたなりにご自分を役立てることに専念なさっておればよろしい」
≪治療家と患者とがそうした方がよいと思うのであれば、時間を定めて遠隔治療を行うことは可能です。しかし、治療能力が発達して一段と高い次元に到達すれば、それも不要となります。治療霊団との連絡がしっかりと出来上がります。そうなると、いつでも精神を統一して自我を引っ込め、代って治療エネルギーを流入させることが出来ます。その考えに反対するわけではありませんが、たとえば十時なら十時にしか治療エネルギーが届けられないとすると、一つの制約を設けることになるのです≫
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Kenneth Bannister(ケネス・バニスター)氏はメキシコで心霊治療とスピリチュアリズムの普及活動に献身している有能なスピリチュアリストである。そのバニスター氏がブラジルとフィルピンで盛んに行われている〝心霊手術〟について一連の質問をした。その問答の様子を紹介する。
・・・心霊治療がどこまで功を奏するかは患者の霊的発達程度、カルマ、その他もろもろの要素がからんでおりますが、ブラジルとフィリピンで行われている外科的な〝手術〟の場合はどうなのでしょうか。
「それもすべて自然の摂理としての因果律の規制を受けます。魂に受け入れ準備が整えばその人は治療してくれる人との縁ができるように導かれていきます。そこでもしも治るべき段階に来ていれば治療は速効的に成功します。しかし、どういう形での治療であろうと、たとえば腫瘍が取れて楽になったとしても、それだけで自動的に霊性が目覚めることになるわけではありません。霊的にその治療を受け入れる段階にまで到達したというまでのことです。それは同時に内部の神性の火花が大きな炎と燃えあがる、その点火の絶好機でもあるということです。
ですから、心霊治療には二つの大切な要素が働いております。一つは、患者が霊的治療を受け入れる準備が整ったということ。それで治療を施す人のところへ導かれて来たわけです。もう一つは、奇跡的な治療体験によって霊的自我が目を覚まし、霊的意識の光の中で生きるようになる、その絶好機が訪れているということです。もしも霊的自我が目を覚まさなかったら、身体的な治療は成功しても霊的には失敗だったことになります」
・・・その治療がいわゆる心霊手術によっておこなわれるのは好ましいことでしょうか。
「〝その果により樹を知るべし〟(マタイ)です。霊力の発現は〝時〟と〝場所〟による制約を受けます。霊媒現象の演出と霊力の顕現はすべて一つの計画に基づく協力態勢での働きかけの一環なのです。
それは基本的にはそれが適用される民族の身体的、精神的ならびに霊的必要性に合わせて行われます。気候、教育程度、社会環境、理解力を考慮して、最も適切な形を取らねばなりません」
・・・心霊手術がブラジルとフィリピンだけで行われて、イギリスで行われないのはなぜでしょうか。
「霊的風土が異なるからです。精神的環境が異なるからです。繊細な霊的影響力に反応しない精神構造には、見た目にハデにつくやり方が要求されるのです。そのことはこのイギリスで百年ばかり前は霊的なことの理解に物理的心霊現象を必要としたのと似ています。
今のイギリスにはもう必要ではありません。が、教育水準、文化の程度、価値基準が大きく異なる国においては今でも必要です。そこに住む人間の程度に合わさなくてはならないのです」
・・・でもイギリスにもこのタイプの手術をしてもらいたがっていながらそれが叶えられずにいる人が非常にたくさんおります。気候というのはそんなに大切な要素なのでしょうか。
「イギリスの大気よりも伝導性が高いという点において、気候が関係していると言えます。が、それが全てではありません。イギリス人には根本的に合わないという点から言えば、霊的なものも関係しております。問題はその人がどうしてもらいたいかではなく、その人にとって何が最も適切かということです。せっかく高い霊的要素を備えていながら、低俗な物的レベルのものばかり求める人が多すぎます。これは進歩、あるいは進化の道ではありません」
・・・霊媒の純粋性が高ければ高いほど、その霊媒を通してより多くの治癒エネルギーが流れます。このことは心霊手術についても言えることでしょうか。
「今の表現は正確でありません。純粋性が高いほど多くの治癒エネルギーが流れるわけではありません。純粋でない霊媒でも治癒エネルギーは流入します。純粋性が影響するのはそのエネルギーの〝質〟です。霊力は宇宙の創造主である大霊と同じく無限です。無限であるが故に無数の等級・変異・組み合わせがあります。
個々の治療家は霊的に受け入れられる段階のものと波長が合います。それよりも高いものとは合いません。受け入れられないからです。ということは、本来ならばそれより低いものも求めようとしないものなのです。
治療家が到達した発達段階、霊格によって規制されるのはエネルギーの〝質〟であって〝量〟ではありません」
・・・もし可能ならば全ての治療家が手術を施せるようになることは望ましいことでしょうか。
「いえ、霊の道具のすべてにたった一つの道が用意されているわけではありません。望ましいのは画一性ではなく、逆に、万能性であり多様性です。霊は無限です。したがって顕現の仕方も無限の可能性を秘めています。その決定的要素となるのは治療家の受容性です。その意味では治療家の気質、育ち、教育、遺伝、環境、さらには前世までも関わっていることになります。
そうした要素のすべてがからみ合って、治療家を通して注がれる霊力の種類と量とを規制するのです。治療家ぜんぶが同じ道を行くようにはなっていません。バイブルにもこういう言葉があります。〝霊の賜物は種々あるが、霊そのものは一つである〟(コリント)」
・・・心霊手術を要求されてそれが施してあげられない時はどうしてあげたらいいのでしょうか。
「心霊治療というものを身体上の結果を見せるという点からばかり考えてはなりません。心霊治療は根本的には霊(魂)に関わることです。目的は患者の魂の琴線に触れることです。その魂の受け入れる機が熟していれば、精神も正常となり身体も正常となります。本当の心霊治療は霊と精神と身体とが調和して機能するように正しい連繋関係にもっていってあげることです。それが健康であるということの本来の意味であり、健全な状態、融和した状態ということです」
≪腫瘍を取り除くことが目的ではありません。本来の目的は魂の琴線に触れることです。その意味で霊のガン患者もいるわけです。そういう人は利己性その他の悪性の腫瘍がしつこく残っていて、それが取り除かれるまでは真の霊的進歩は望めません。地上生活で最も大切なのは霊に関わることです。霊が主導権を握るようになるまでは調和も健康も幸福も生き甲斐も得られません≫
訳者注…本章を翻訳している最中に届いたサイキックニューズ紙(1987・6/13)の一面トップに〝医学校、心霊治療に門戸を開く〟という見出しがあった。イギリスのある医学専門学校が心霊治療家グループに学校内での治療活動を認めたという画期的なニュースである。参考までに大要を紹介しておく。
「意外な展開の中でミドルセックス医学専門学校が心霊治療家グループに一室を開放して治療活動を許す決定をした。
またクリーブランドの心霊治療家グループは週一回だけロンドン西部のクリーブランド通りの一室を無料で使用してよいことになった。
こうした展開の決定的要因となったのは一般開業医連盟と、当医学専門学校講師のコーエン博士の支持があったことである。そのコーエン博士がこう語っている。
〝私がはじめて心霊治療家グループと接触したのはそのメンバーの一人であるルース・グリーン女史を通してのことでした。私は条件として医学的治療と抵触する行為はいかなるものも行わないことを確認しました〟
博士はまた心霊治療家が魔術や空中浮遊のような手品、要するに〝治す〟という信念以外のものは絶対に持ち込まないことを確約させているという。〝私が理解した〟かぎりでは、心霊治療家に私の学校を使用していただくのは理に適っているように思いました。心霊治療はとても大切です。分別と知性を具えた医師の一人として私は、医師は最大限の広い意味での治療を提供すべきだと考えるわけです。多くの患者が心霊治療で助かっているのですから〟
コーエン博士は心霊治療の本質を理解するために治療家グループのミーテングに出席させてもらっている。
〝そのミーテングに出席して私は非常な感動を覚えました。孤独感に沈んだ人や世の中から見捨てられた思いをしている人たちに何かしら特殊なものを提供していたからです。また身体的に不自由な人たちも確かに治していると確信します”
博士もはじめのうちは金儲けが目的ではないかと思っていたという。ところがそこでは治療代を請求していないことが分かり、それがかえって治療を誠心誠意にさせていることを知ったという。
〝治療家グループの感性の良さと看護ぶりに深い感銘を受けました。ほんとうに人のために尽くしておられ、それで我々も負けずに人のために尽くさねばと決心したわけです。
正直言って医学校の関係者は当初どうしたものかと迷っておりましたが、心霊治療家にひさしを貸して母屋を取られることがないことを確認した上で、この私が全責任を負うということで踏み切ったわけです〟
現在までのところ毎週一回水曜日の夕方に治療が行われている。コーエン博士によれば、これまで医師の間から何ら不平不満の声は聞かされていないという。博士は言う。
〝心霊治療を勉強することは医学者にもプラスになるのです。うちの学校がこうした大らかな態度を取ったのは良かったと思っています。いずれ将来は治療の成果について検証がなされるかも知れません。患者を治療前と治療後に診断をすればよいわけです〟
それについてクリーブランド治療家グループのチーフであるグリーン女史は〝私たちはいかなるテストにもよろこんで応じる用意があります〟と述べ、さらに言う。
〝ただ私たちは過激なまでに反対している学生には抗議したい気持ちです。彼らの感情的態度が良からぬ雰囲気を生み、治療に悪影響を及ぼすことが考えられるからです。別に心霊治療を信じてくれなくてもいいのです。開かれた心をもってくださればいいのです。医学生がテストに参加してくれれば、こんな素晴らしいアイディアはありません。学生に心霊治療の実際を理解していただくチャンスになると思うのです。コーエン博士も学生が見学することを希望していらっしゃいます〟
現在のところ治療家グループは四人のレギラーで構成されており、すべて英国心霊治療家連盟の会員で、これに時おり他の治療家が参加する程度ということである。
第8章 宗教とは
≪いま霊の力がいちばん見られなくなっている場所は、皮肉にも、本来そこにこそ存在しなければならないはずの宗教界です。最高の位階に到達した者ですら、宗教の本来の起源であり基盤であるべき霊力に背を向け、われわれには不可解きわまる理由から、生きた霊的真理よりもただの形骸の方を後生大事にしています≫
「この地上世界の危急存亡の時代に、真理の守衛であるべき者たちが霊の威信をもって語ることが出来ないというのは悲しむべきことです。それは、霊力というものが(イエスの時代だけでなく)今の時代にも顕現できるという事実にまったく気づかないからです。彼らは霊的真理と完全に疎遠になっているばかりでなく、愚かしい信仰がこびりついているために、それが頑固な壁となって霊的な真理、霊的な叡智、霊的な力を受けつけなくなっているのです。
そうした偏狭で不毛の儀式とドグマと信条で固まった世界に霊力の入る余地があるわけがありません。現代の教会には霊の力は一かけらもありません。あるのは、またしても白塗りの墓(口に説くことと腹の中とが違う偽善的宗教家)、干からびた骨(真理の豊かさを身につけていない、精神のやせこけた宗教家)、豪華な建造物です。
見た目には華麗でも霊の照明がないために死のごとく冷ややかで不毛で荒涼としております。さらにいけないのは、そうした本来の宗教とは無縁の、干からびた神学的教義の収納所となってしまった教会内に霊が働きかけようとしても、それをまったく受けつけようとしなくなっていることです」
いささか辛らつすぎたかも知れませんが、しかし何が悲しいといって、本来は先頭に立って指導すべき立場にある者が、こうした大切な霊的真理のこととなると、しんがりに回っているということほど情けない話はありません。みんな善人ばかりです。
罪なき人生を送ろうと心掛けている真面目な人たちです。が、宗教のすべてが基盤とすべき霊的なものに完全に無感覚になっているのです。霊性のないところに宗教はありません。〝文字は殺し霊は生かす〟(コリント)のです。霊のないところに生命は存在しないのです。
もしも教会がそれ本来の目的を果たしていれば、言いかえれば、もしも神学的教義・儀式・慣習というわき道へそれることがなかったならば、こうして私のような者がわざわざ戻ってきて、神の計画の中での地球の本来の位置を維持する上で不可欠の霊的連絡関係を回復するための努力をする必要もなかったことでしょう。
神に仕える者と自認する聖職者たちも、今では神について、神の働きについて、あるいはこの巨大な宇宙を支配している大自然の摂理について何も知りません。しかも、霊界からの働きかけに抵抗しようとするのですから、愚かしいとしか言いようがないのです。
こうした聖職者たちは何世紀も昔の霊の働きかけの物語は信じながら、同じ霊が今日でも顕現できるということを信じようとはしないのは、いったいなぜなのでしょう。彼らが説いていることは実はイエスとは何の関係もないことばかりです。
その点あなた方は他の世界各地の方と同様、イエスみずから言った通りにイエス以上の仕事をすることができる、恵まれた方たちなのですが、そういうあなた方は、彼らからすれば邪教の徒なのです。キリストの名にちなんで出来たキリスト教会が相も変らずキリストそのものを裏切り続けている事態を見て、キリスト自身がどれほど悲しい思いをされているか、一度その人たちに見ていただきたい気持ちです。
霊力は一つの計画のもとに働きます。幾世紀にもわたってその時代の宗教を通して顕現しようとして来ました。それを受け入れる霊能者や霊媒は必ずどこかにおりました。その人たちが行ったことを無知な人は〝奇跡〟だと思いましたが、それこそが霊的法則の生々しい顕現のしるしだったのです。
それは今日有能な霊媒による交霊界で見る現象や治療家による奇跡的な治療と同じで、人間を通して霊力が働いたその結果なのです。不変・不滅の大霊から出る同じ霊力なのです。簡単なことなのです。
そうした霊力の激発のたびに、既得権力の座にある教会関係者すなわち教義作成者、神学者、学識者が集まって詭弁を弄しました。そして神からのインスピレーションを自分たちがこしらえた決まり文句と置きかえました。しかし、いかに頭のいい人がこしらえたものでも、所詮は人間の頭脳から出たものにすぎませんから、それはいつかは力を失う運命にありました。霊が生命を与えるのです。神学は本質そのものが不毛なのです。
測り知れない努力の繰り返しの末に、霊界の上層部において、もはや地上への流入は既成の宗教界を通じては無理との判断のもとに、宗教界とは無縁の者を通じて行うとの決断が下されました。そして、ここにお出での皆さんのように何の宗教的肩書も持ち合わせない普通の人々が霊力の受け皿として養成され、各自がイエスと同じように霊の威力を実際に見せ、また同じような現象を演出してみせることになったのです。
教会、寺院、チャペル(キリスト教の礼拝堂)、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)を通して支配力を行使している者たちが何とわめこうと、霊力はすでに根づいております。もはや、いかなる力をもってしてもこれを消すことはできません。挫折させることもできません。ますます勢いを増しながら地上世界を元気づけていくことでしょう。ぜひともそうあらねばなりません。何ものによっても阻止されることはありません。
このように、私は霊的真理と霊的実在についての知識の普及に全面的に賛成ですが、施設や建造物にはまったく関心がありません。私の関心の対象は大霊の子としての人間そのものです。私はその大霊の子等が真の自我を見出し、霊的遺産を理解し、天命を全うするところに、物的宇宙創造の目的があると理解しております。われわれの仕事は、可能なかぎりの手段を尽くして人間をいちばん望ましい方法で指導し、一刻も早く霊的な受け入れ態勢を整えさせてあげることです。その段階から種子が芽を出しはじめるのです。
一方には宗教界の指導者の感化を仕事としている霊団もいます。個人的に指導しているのです。何とかして本当の自分自身と、自分に存在を与えている力、存在の意味、そして聖職者として為すべきことについて、地上生活が終わらないうちに理解させる必要があるのです。
これまで地上には数々の帝国が生まれましたが、いつしか滅んでいきました。独裁者が出現しましたが、やがて消えていきました。宗教が権力をふるったことがありましたが、必ず没落していきました。大霊は歩みを止めることがありません。この霊力はこれからも顕現し続けます。悲観する余地はどこにもありません。
既成宗教がこのまま真理の光を見出せないままでいると、精彩を失い、暗闇に包まれて行きます。ですから、霊的真理を広めることが大切なのです。ですが、私に啓示された知識のかぎりで言えば・・・そのかぎりでしか言いようがないのですが・・・一番大切なことは(そうした組織ではなく)個人に目を向け、霊力の顕現の窓口となる霊的資質の開発を通じて、一人一人を霊的に甦らせることです。いささかなりとも神の使節としての仕事ができるわれわれは、実に光栄この上ないことです。
この光栄はもはや既成の宗教団体では浴せません。心の奥では自分でも信じられなくなっている古びた決まり文句を平気で口にします。とっくの昔に意義を失っている型どおりの文句と使い古した儀式と慣例を繰り返すのみです。
そうした教会や大聖堂や寺院は、そこに霊力が機能しなくなったために不毛で荒涼とし死物と化しております。生命を与えるのは霊なのです。彼らはその霊、彼らのいうその聖霊を否定するようなことばかり繰り返しているのです。そこでその聖霊の方が彼らに見切りをつけ、われわれのように別に風変りな式服をまとわず、説教壇に立つこともせず、ただ霊力の通路として一身を提供する者を活用して、神の計画の中においては誰一人として無視されたり見落とされたりすることがないことを証明せんとしているのです。
≪真実の祈りは心の奥底から油然として湧き出るものです。神に挨拶するための機械的な口上手段ではありません。スピチリチュアリストをもって任じている人も、もし日常生活においてその霊的真理の意味を生かすような生き方をしていなければ、何の徳にもなりません。私たちはラベルは崇めません。大切なのは、自分はこういう者ですとみずから称していることではなくて、ふだん行っている行為です≫
第9章 青年部の代表と語る
≪あなた方は比較的若い年齢でこうした素晴らしい機会に恵まれたことを喜ぶべきです。今日なおあまりに多くの人たちが日陰の中で暮らし、きつね火を追い求め、幻影を抱き、実在を見出せずにいることは何と悲しいことでしょう。あなた方は一人一人が無限の可能性の宝庫なのです。その中のどれだけを自分のものとするのかは、あなた方の努力次第です。それが自由意思をどれだけ行使するかの尺度となります。どこまで追求するか、それはひとえにあなた方自身にかかっております≫
四人の若い真面目なスピリチュアリストがシルバーバーチと対話を交えた時の感動的な記事をこの私がサイキックニューズ紙に掲載したことがある。結成したばかりの青年部のメンバーで、どんな難しい質問でもよいから用意してくるようにとのシルバーバーチからの要請を受けて、ハンネン・スワッハー・ホームサークルを訪れた。
二十代の男女二人ずつが青年部の代表として出席し、そのうちの一人が代表して質問を述べた。だらけ切った物質世界に何とかして霊的衝撃を与えたいと望む若々しい熱誠と、同じような質問を何十年も繰り返し聞かされてきた、我慢を身上とする老練な指導霊とのコントラストは、まさに事件と言ってよいほどの興味あふれるシーンであった。
交霊界の終了後、一人が私にシルバーバーチの簡潔無比の言葉遣いと美しい言い回しの流麗さに深く感動したと言い、こう続けた。
「それはあたかも一語一語ていねいに選び出しているようで、それでいて間髪を入れず返ってくる答えは、すごいというほかはありませんでした」
彼はそれを現代人らしく〝霊的コンピューター〟に質問を入力するのに似ていると述べている。では、その青年グループによる交霊界での一問一答を紹介しよう。
──僕らのような若者の多くが真理を求めています。後に続く世代を育てるための、よりよい世界を望んでいます。なのになぜ人間は殺し合い、同胞を不具にし合うのでしょうか。なぜ異なった民族、異なった宗教の人間を憎むのでしょうか。なぜこの地上にそれほど愛が乏しいのでしょうか。
僕らは地上に平和が来ることを望んでいます。が、いつ、どういう形で来るのでしょうか。先輩の聖賢たちが失敗してきた問題を、どうすればわれわれが解決できるのでしょうか。僕らはまだ若く、体力があり、無知と愚行、貪欲と憎悪に対する闘争によろこんで参加したいと思っております。あなたの助言をお聞かせください。
「これはとても難しい問題です。今あなたがおっしゃった無知と愚行は、実に永いあいだ地上世界に根を張っております。それを一夜のうちに取り除いてしまう呪文(マジナイ)はありません。大自然は過激な革命ではなく一歩一歩の進化によって営みを続けているのです。全ての生長、発展はゆっくりと、しかも冷厳な法則によって営まれています。子供の身体を無理やりに生長させようとすると必ず不自然なことが生じます。それと同じで、霊的生長を性急に求めると失敗します。
こんなことを言うのは別に弱気になっているからではありません。私は、幸いにして霊的実在をかいま見ることを許された者は何事につけても楽観的であらねばならない、と信じます。が、いかに鈍感な人間でも、真理を知ることが自分に対して幾つかの制約を課したことになることに気づくものです。人間の力ではどうしようもない摂理というものに従わねばならないということです。
私たちは万能薬は持ち合わせません。私たちに言えることは、霊的知識が広まり、その結果として無知が減るにつれて、それだけ人間と人間との間の差別が少なくなり、戦争が減り、貪欲が薄れ、日なたが多くなるということだけです。地上の現状(シーン)を一変させる力は私たちにはありません。できるのは、受け入れる用意のできた者に人間本来の生き方を教える霊的真理を根気よく説いて感化していくことだけです。
人間には、例によってある限られた範囲内での話ですが、選択の自由が許されております。
宇宙の無限の霊力とともに創造活動に参加し、進化の行進(マーチ)を促進することができるのです。反対に邪魔することもできます。遅らせることもできます。ためらわせることもできます。それも、大きな進化の過程の一コマなのです。
無限なる叡智を具えた神は人間をでくの坊、操り人形、ロボットにはしませんでした。神の所有する崇高な属性の全てを潜在的に授かっているのです。ですから、人間界のことは人間みずから選択しなければなりません。その上で、戦争が何の解決にもならないこと、逆に新たな問題を生み出すこと、貪欲と利己心はその内部に、みずからの災禍のタネを宿していることを思い知らねばなりません。
その昔ナザレのイエスは〝全て剣をとる者は剣にて滅ぶ〟と申しました。人間はみずからの選択でそれを学んでいかねばなりません。あなた方が個人として為しうることは、どこにいても霊的知識を普及することです。あなたのほかに一人だけでも光と真理をもたせてあげることが出来たら、それだけであなたの地上人生は無駄でなかったことになります。それが私からの忠言です」
──正直言って現在のスピリチュアリズム運動と霊媒現象は程度が低く・・・
「ちょっとお待ちなさい。私たちは今あなたがおっしゃったスピリチュアリズム運動というものには関心はありません。私たちが関心を向けているのは霊的資質の開発準備が整っている人たちで、スピリチュアリストの組織の中の人であるか外の人であるかにはこだわりません。組織には組織としての目的があり、それはその組織の者が遂行すればよろしい。私たちの責務はいつどこにいても自分を役立てることを望んでいる人を支援することです。
私は名称と言うものにはこだわりません。スピリチュアリスト、セオソフィスト(神智学会員)、ロゼクルーシャン(バラ十字会員)、こうしたものはただのラベルにすぎません。大切なのは一人一人が自分の能力に応じて真理を追及することです。霊媒能力が大切なのは、地上でもっとも大きな貢献の手段となりうる能力を授かった人間がそこにいるということを意味するからです。それは大へんな責任を伴う仕事であり、その人は神聖な信託を受けているのです。と言うよりは、そう自覚すべきなのです」
──最近とくに若者の間で急激に増えている麻薬中毒は何が原因なのでしょうか。僕らにも力になってあげられることがあるのでしょうか。
「あります。心霊治療、すなわち霊の力を与えることができます。麻薬性のある危険な薬を常用している気の毒な人たちの霊ないし魂の改善を目標として行われるものです。霊力とは宇宙の大霊すなわち神の力であり、生命力そのものであることを理解しなければなりません。
それはあらゆる存在の活力であり、動力であり、根源的推進力です。霊のない処に生命は存在しません。人間が動き、呼吸し、思考するのは、霊であるからこそです。心霊治療においてはその生命力が、麻薬によって身体と精神と霊との調和が乱されている患者の衰弱した活力を回復するのに使用されるのです。麻薬によって不調和状態となり、そこに、本来ならばふんだんにそして調和よく生命力が流れているはずの通路に、それを阻止する障害物ができているのです。
もしあなたが治病能力をお持ちなら、ちょうど消耗したバッテリーに充電するようにカツを入れ、生命力が再び流入するようにその健康を阻害している障害物を取り除いてあげる、その通路となることが出来ます。それは麻薬を取り除くためにさらに別の薬を使用するというやり方よりも、はるかに健全です。
なぜ多くの若者が麻薬に走るのかということですが、その答えは簡単です。彼らは希望を失っているのです。欲求不満があるのです。悲観的になり、自分の力では何の希望も見いだせずにいるのです。実在との接触が欠けているのです。霊的な道を見失い、といって物質万能主義に何一つ心の支えになるものを見出せないのです。
そこで彼らは刺激を求めて麻薬に手を出すのですが、これは本来の道ではありません。さきほども言いましたように、大自然は一歩一歩の進化によって営まれているのであって、急激な変革ではだめなのです」
──有色人種と白人とのミゾを修復するために、我々若者は何をすればよいのでしょうか。
「手本を示すほかはありません。あなたたち自身の生活ぶりの中で、魂には黄色も赤色も黒色もないこと、肌の色は魂の資質とは何の関係もないことを示せば、そうした差別、禁制、防柵に苦しめられている人たちの注意を引くようになります。大霊はその無限の叡智でもって子等にさまざまな肌の色をもたせ、それらが一体となって美事な全体色を出すようにと意図されたのです。
白い肌は霊の優秀さの証明ではありませんし、有色の肌が霊として劣っていることの証明でもありません。本当の霊の試金石は神的属性を発揮する時、すなわち霊が物質を超越して優位を占めた時です」
──霊的観点から見て心臓移植をどう思われますか。
「何ごとも動機が大切です。移植が純粋に生命を永らえさせるためである場合が確かにあります。が、実験を重ねていくうちに実験そのものの興味が先行して肝心の目的を忘れている場合があります。興味本位で無抵抗の動物を残酷な実験に使用することは、霊的観点から言うと褒められた行為ではありません。人間の健康は残酷な行為からは得られません。これまでナゾとされている大自然の秘密は、そういう一方的な搾取行為では解明できません。
私は臓器の移植には賛成できません。また輸血も賛成できません。私の考えでは・・・私はあくまで個人的見解を述べるだけですが・・・肉体的生命の維持ということが唯一の目的であってはならないと思います。心に宿す考えが正しければ行為も正しく、したがって肉体も正常となります。
問題の解決は臓器の移植ではありません。本当の解決は各自が神の意図(摂理)にのっとった生き方をすることです。人間は他の人間への思いやりと同時に、同じ惑星上に住んでいる他の生命のすべてに対して思いやりを持たねばなりません。神は人間の寿命を引き延ばすための実験材料として動物を用意したのではありません」
──現段階では心臓移植は必ず失敗に終わると考えてよろしいでしょうか。
「実験そのものは成功するケースもあると思います。ただ私が気がかりなのは、実験そのものが霊的に見て間違った方向へ進みつつあることです。その方向は人間の幸福のために献身すべき人が選ぶべき道ではないということです。現段階のやり方では健康は得られません。健康とは調和状態のことです。今の医学者のやっていることは一時的な部分品の継ぎ合わせにすぎません。
いたって簡単で、しかも肝心なことをぜひ理解してください。人間という存在は身体と精神と霊の三位一体として創造されているのです。その三つは不可分のものです。置きかえはきかないのです。あなたはそれらが一体となって一つの個性をこしらえている存在です。健康というのはその三つの要素の間の協調関係であり、規則的リズムであり、一体関係です。健康を得る方法はそれ以外にはありません。クスリでもなく医学でもありません。それは一時しのぎの手段にすぎません。
地上は無知だらけです。死を恐ろしい怪物のように思って避けようとしています。死を恐怖心をもって迎えていますが、死も自然の摂理の一環にすぎません。地上はトレーニングセンターです。間違いなく訪れる次の、より大きな生活の場に備えて教訓を学ぶための学校なのです」
──神とは何でしょうか。
「神の概念を完全にお伝えすることは不可能です。神は無限です。一方、言語や概念、心象といったものはどうしても限界があります。小なるものが大なるものを包みこむことは出来ません。が、宇宙をご覧になれば、ある程度まで神についての概念をつかむことが出来ます。
この大宇宙は法則によって規制されているのです。千変万化の諸相を見せていながら、その一つ一つに必ず配剤がなされているのです。見えないほど小さいものであっても、途方もなく巨大な物であっても、動き、呼吸し、存在しているものはすべて自然法則によって支配されているのです。何一つとして法則のワクからはみ出るものはありません。四季は順序よく巡り、地球は地軸上を回転し、汐は満ちては返します。種子を蒔けばその中にあったものが芽を出すのです。自然は正直なのです。
法則は絶対です。新しい発見も、それが何であれ、どこであれ、やはり同じ自然法則のもとで統制されているのです。何一つ忘れ去られることはありません。何一つ見落とされることはありません。何一つ無視されることはありません。
何の力でそうなっているのか。それは限りある存在ではありません。尊大にかまえた人間的存在ではありません。旧約聖書に出てくるエホバ神でもありません。復讐心に燃え、機嫌を損ねると人間に災いをもたらすような神ではありません。気まぐれで、いつ腹を立てるか分からなうような神ではありません。
歴史と進化のあとをご覧になれば、地球が徐々に前に向かって、あるいは上に向って進んでいることが分かります。ということは、その背後の力は善の力だということを示しているわけです。すべてを支配し、すべてを統制し、すべてを指揮し、すべての中に存在する、その無限の愛と叡智の権化としての神の概念を、あなたがたも少しずつ理解してまいります。それを私は〝大霊〟と呼んでいるのです」
──もう一つよく持ちだされる問題に、人間の神への回帰思想があります。最後は神の霊の中に没入して個性を失ってしまうというのですが・・・・・・
「究極はニルバーナ(涅槃)の達成ではありません。霊的進化はひとえにインディビジュアリティの限りない開発です。個性を失っていくのではありません。反対に増していくのです。神性の発現に伴って潜在的資質が発達し、知識が増え、性格が強化されていきます。
神は無限なのです。したがって無限の発達の可能性があります。完全というものは絶対に達成されません。絶え間なく完全へ向けて進化していきます。その結果として自我を失ってしまうことはありません。ますます自我を見出していくのです」
──それはどういうものであるか、言葉で説明できないものでしょうか。
「いいえ、説明できません。なぜならばそれは言語を超越した次元のことだからです。意識と悟りの状態です。その状態に達してみないと理解できないものです。巨大な意識の海にインディビジュアルティが埋没してしまうのではありません。反対に意識の海の深奥があなたのインディビジュアルティの中に吸収されてしまうのです」
──宿命というのは地上生活の中でどの程度まで働いているのでしょうか。そもそも宿命とは何かをご説明ねがえませんか。先天的宿命というのは外部の力なのでしょうか。それとも自分で選んだものなのでしょうか。あなたは再生説を説かれますが、それはなぜなのか、どういう意味があるのかを説明してください。
「それはどちらでもあります。ある種の外部の力があなたにその道を選択させたということです。あなたには自由意思と同時に宿命もあります。もしも地上人生とは物的生活を総合したものだと考え、それで満足できる人は、それはそれでよろしい。が、現在のその肉体に宿っている霊・・・必ずしも同じ側面とはかぎりません。・・・以前にもこの地上で生活したことがあることも考えられます。あなたは一個の大きなダイヤモンドの数ある側面の一つであって、各々の側面が全体の進化のために異なった時代にこの物質界へ顔を出していることもありうるのです」
──大きなダイヤモンドの側面の一つである、つまり私は類魂(グループソール)の一つであるという意味だと思うのですが、もしも生命が永遠だとすると、他の類魂の体験を必要とするというのは論理的におかしいように思います。
「全宇宙を通じて作用と反作用が営まれております。はるかかなたにいる者でも、あなたが叡智を身につけていく上において多大な影響力を行使することが出来るのです。人間は身体的にも精神的にも霊的にも孤立状態で生きることは有り得ないのです。それをグループソールと呼んでもダイヤモンドと呼んでも、所詮は用語を超越したものを表現するためにあれこれと用語をつかってみているにすぎません。
〝あなた〟とはいったい誰なのでしょう。その〝あなた〟という存在はいつから始まったのでしょうか。あなたという個的存在は受胎の瞬間から始まったのでしょうか。〝アブラハムが生まれる前から私は存在している〟とイエスが述べておりますが、それはどういう意味かお分かりですか。
〝霊としては私は常に存在していた〟という意味です。あなたもそうですし私もそうです。〝インディビジュアリティ〟の断片が異なった時代に物的世界に顔をのぞかせたということはありうるのです。
私の説が受け入れられないとおっしゃる方とは論争しようとは思いません。私は同志の方にも、自分の理性が納得しないものは拒絶しなさいと申し上げております。もしも私があなたから好感を持っていただけたら、そして愛ともいうべきものを頂戴できたら、それはあなたの理性が私の述べていることを真実であると認めたからに相違ありません。もしも理性の許可を得た上での好感を勝ち取ることが出来ないとしたら、それは私たちの仕事が失敗の運命にあることを意味します。
われわれはこれまでに得た知識を土台とし信頼し合わなくてはいけません。基盤に間違いがないことを確信した上でなくてはいけません。そこから、ゆっくりと着実に、より高い道を目指して、手を取り合って開拓していきましょう。
あなたにはこれから先、うれしいことがたくさん用意されております。イヤなことがないという意味ではありません。難問はつねに振りかかってきます。逆境にも遭遇します。あなたは完成された世界の完成された存在ではないからです。あなた自身が不完全であり、世の中も不完全です。しかし、あなたには自由意思があり、世の中の不完全とあなた自身の不完全を取り除いていくための力となる素晴らしいチャンスが用意されています。そこにあなたの仕事があります。
いかなる知識にも、それをいかに活用するかについての責任が付加されます。それはあなたへの一つの信託がなされたということです。その信頼を裏切ってはなりません。あなたがその知識を得るにふさわしい人間であったと同時に、これから先あなたに受け入れる用意ができた時に授けられる次の段階の知識に対しても十分な資格があることを、あなた自身の生活の中で身をもって示さなくてはいけません」
≪あなたに受け入れる用意が整った時、いったん獲得したら決して色あせることもなく失われることもない、豊かな霊性が付与されます。それはあなたみずからの努力によって勝ち取られるべき褒賞です。みずからの魂の発達であり、みずからの性格の強化です。そうやってあなたは、その段階での光明の中に生きるにふさわしい存在となっていくのです≫
第10章 質問に答える
第1節 イエス・キリストについて
地上の歴史の中で最大の論争の的とされている人物すなわちナザレのイエスが、その日の交霊会でも質問の的にされた。
まず最初に一牧師からの投書が読み上げられた。それにはこうあった。シルバーバーチ霊はイエス・キリストを宇宙機構の中でどう位置付けているのでしょうか。また、<人間イエス>と<イエス・キリスト>とはどこがどう違うのでしょうか〟
これに対してシルバーバーチはこう答えた。
「ナザレのイエスは地上へ降誕した一連の預言者ないし霊的指導者の系譜の最後を飾る人物でした。そのイエスにおいて霊の力が空前絶後の顕現をしたのでした。
イエスの誕生には何のミステリーもありません。その死にも何のミステリーもありません。他のすべての人間と変わらぬ一人の人間であり、大自然の法則にしたがってこの物質の世界にやって来て、そして去って行きました。が、イエスの時代ほど霊界からのインスピレーションが地上に流入したことは前にも後にもありません。イエスには使命がありました。それは、当時のユダヤ教の教義や儀式や慣習、あるいは神話や伝説の瓦礫の下敷きとなっていた基本的な真理のいくつかを掘り起こすことでした。
そのために彼はまず自分へ注目を惹くことをしました。片腕となってくれる一団の弟子たちを選んだあと、持ちまえの霊的能力を駆使して心霊現象を起こしてみせました。イエスは霊能者だったのです。今日の霊能者が使っているのとまったく同じ霊的能力を駆使したのです。彼は一度たりともそれを邪なことに使ったことはありませんでした。
またその心霊能力は法則どおりに活用されました。奇跡も、法則の停止も廃止も干渉もありませんでした。心霊法則にのっとって演出されていたのです。そうした現象が人々の関心を惹くようになりました。
そこでイエスは、人間が地球という惑星上で生きてきた全世紀を通じて数々の霊格者が説いてきたのと同じ、単純で永遠に不変で基本的な霊の真理を説くことを始めたのです。
それから後のことはよく知られている通りです。世襲と伝統を守ろうとする一派の憤怒と不快を買うことになりました。が、ここでぜひともご注意申し上げておきたいのは、イエスに関する乏しい記録に大へんな改ざんがなされていることです。ずいぶん多くのことが書き加えられています。ですから聖書に書かれていることにはマユツバものが多いということです。出来すぎた話はぜんぶ割り引いて読まれて結構です。実際とは違うのですから。
もう一つのご質問のことですが、ナザレのイエスと同じ霊、同じ存在が今なお地上に働きかけているのです。死後いっそう開発された霊力を駆使して、愛する人類のために働いておられるのです。イエスは神ではありません。全生命を創造し人類にその神性を賦与した宇宙の大霊そのものではありません。
いくら立派な位であっても、本来まったく関係ない位に祭り上げることは、イエスに忠義を尽くすゆえんではありません。父なる神の右に座しているとか、〝イエス〟と〝大霊〟とは同一義であって置きかえられるものであるなどと主張しても、イエスは少しもよろこばれません。
イエスを信仰の対象とする必要はないのです。イエスの前にヒザを折り平身低頭して仕える必要はないのです。それよりもイエスの生涯を人間の生き方の手本として、さらにそれ以上のことをするように努力することです。
以上、大へん大きな問題についてほんの概略を申し上げました。
メンバーの一人が尋ねる。
第2節 〝キリストの霊〟Christ spiritとは何でしょうか。
「これもただの用語にすぎません。その昔、特殊な人間が他の人間より優秀であることを示すために聖油を注がれた時代がありました。それは大てい王家の生まれの者でした。キリストと言う言葉は〝聖油を注がれた〟という意味です。それだけのことです」(ユダヤでそれにふさわしい人物はナザレのイエスJesusだという信仰が生まれ、それでJesus Christと呼ぶようになり、やがてそれが固有名詞化していった-訳者)
──イエスが霊的指導者の中で最高の人物で、模範的な人生を送ったとおっしゃるのが私にはどうしても理解できません。
「私は決してイエスが完全な生活を送ったとは言っておりません。私が申し上げたのは地上を訪れた指導者の中では最大の霊力を発揮したこと、つまりイエスの生涯の中に空前絶後の強力な神威の発現が見られるということ、永い霊格者の系譜の中でイエスにおいて霊力の顕現が最高潮に達したということです。
イエスの生活が完全であったとは一度も言っておりません。それは有り得ないことです。なぜなら彼の生活も当時のユダヤ民族の生活習慣に合わせざるを得なかったからです」
──イエスの教えは最高であると思われますか。
「不幸にしてイエスの教えはその多くが汚されてしまいました。私はイエスの教えが最高であるとは言っておりません。私が言いたいのは、説かれた教訓の精髄は他の指導者と同じものですが、たった一人の人間があれほど心霊的法則を使いこなした例は地上では空前絶後であるということです」
──イエスの教えがその時代の人間にとっては進み過ぎていた。だから理解できなかった、という観方は正しいでしょうか。
「そうです。おっしゃる通りです。ランズベリーやディック・シェパードの場合と同じで(*)、時代に先行しすぎた人間でした。時代というものに彼らを受け入れる用意ができていなかったのです。それで結局は彼らにとって成功であることが時代的に見れば失敗であり、逆に彼らにとって失敗だったことが時代的には成功ということになったのです」
(*George Lansburyは1931~35年の英国労働党の党首で、その平和主義政策が純粋すぎたために挫折した。第二次世界大戦勃発直前の1937年にはヨーロッパの雲行きを案じてヒトラーとムッソリーニの両巨頭のもとを訪れるなどして戦争阻止の努力をしたが、功を奏さなかった。Dick Sheppardについてはアメリカーナ、ブリタニカの両百科全書、その他の人名辞典にも見当たらない-訳者)
──イエスが持っていた霊的資質を総合したものが、これまで啓示されてきた霊力の大根源であると考えてよろしいでしょうか。
「いえ、それは違います。あれだけの威力が発揮できたのは霊格の高さのせいよりも、むしろ心霊的法則を理解し自在に使いこなすことができたからです。皆さんにぜひとも理解していただきたいのは、その後の出来事、つまりイエスの教えに対する人間の余計な干渉、改ざん、あるいはイエスの名のもとに行われてきた間違いが多かったにもかかわらず、あれほどの短い期間に全世界に広まりそして今日まで生き延びて来たのは、イエスが常に霊力と調和していたからだということです」
(訳者注-霊力との調和というのは、ここでは背後霊団との連絡がよく取れていたという意味である。『霊訓』のインペレーターによると、イエスの背後霊団は一度も物質界に誕生したことのない天使団、いわゆる高級自然霊の集団で、しかも地上への降誕前のイエスはその天使団の中でも最高の位にあった。地上生活中のイエスは早くからそのことに気づいていて、一人になるといつも瞑想状態に入って幽体離脱し、その背後霊団と直接交わって連絡を取り合っていたという)
──(かつてのメソジスト派の牧師)いっそのこと世界中に広がらなかった方がよかったという考えかたもできます。
「愛を最高のものとした教えは立派です。それに異論を唱える人間はおりません。愛を最高のものとして位置づけ、ゆえに愛は必ず勝つと説いたイエスは、今日の指導者が説いている霊的真理と同じことを説いていたことになります。教えそのものと、その教えを取り違えしかもその熱烈信仰によってかえってイエスを何度もはりつけにするような間違いを犯している信奉者とを混同しないようにしなければなりません。
イエスの生涯をみて私はそこに、物質界の人間として最高の人生を送ったという意味での完全な人間ではなくて、霊力との調和が完全で、かりそめにも利己的な目的のためにそれを利用することがなかった──自分を地上に派遣した神の意志に背くようなことは絶対にしなかった、という意味での完全な人間を見るのです。イエスは一度たりとも自ら課した使命を汚すようなことはしませんでした。強力な霊力を利己的な目的に使用したことは一度もありませんでした。霊的摂理に完全にのっとった生涯を送りました。
どうもうまく説明できないのですが、イエスも生を受けた時代とその環境に合わせた生活を送らねばならなかったのです。その意味で完全では有り得なかったと言っているのです。そうでなかったら、自分よりもっと立派なそして大きな仕事ができる時代が来ると述べた意味がなくなります。
イエスという人物を指さして〝ごらんなさい。霊力が豊かに発現した時はあれほどのことが出来るのですよ〟と言える、そういう人間だったと考えればいいのです。信奉者の誰もが見習うことのできる手本なのです。しかもそのイエスは私たちの世界においても、私の知るかぎりでの最高の霊格を具えた霊であり、自分を映す鏡としてイエスに代わる者はいないと私は考えております。
私がこうしてイエスについて語る時、私はいつもイエス崇拝を煽ることにならなければよいがという思いがあります。それが私が〝指導霊崇拝〟に警告を発しているのと同じ理由からです(8巻参照)。
あなたは為すべき用事があってこの地上にいるのです。みんな永遠の行進を続ける永遠の巡礼者です。その巡礼に必要な身支度は理性と常識と知性をもって行わないといけません。
書物からでも得られますし、伝記からでも学べます。ですから、他人が良いと言ったから、賢明だと言ったから、あるいは聖なる教えだからということではなく、自分の旅にとって有益であると自分で判断したものを選ぶべきなのです。それがあなたにとって唯一採用すべき判断基準です。
例えその後一段と明るい知識に照らしだされた時にあっさり打ち棄てられるかも知れなくても、今の時点でこれだと思うものを採用すべきです。たった一冊の本、一人の師、一人の指導霊ないしは支配霊に盲従すべきではありません。
私とて決して無限の叡智の所有者ではありません。霊の世界のことを私が一手販売しているわけではありません。地上世界のために仕事をしている他の大勢の霊の一人にすぎません。私は完全であるとか絶対に間違ったことを言わないなどとは申しません。あなた方と同様、私もいたって人間的な存在です。
私はただ皆さんより人生の道のほんの二、三歩先を歩んでいるというだけのことです。その二、三歩が私に少しばかり広い視野を与えてくれたので、こうして後戻りしてきて、もしも私の言うことを聞く意思がおありなら、その新しい地平線を私といっしょに眺めませんかとお誘いしているわけです」
霊言の愛読者の一人から「スピリチュアリストもキリスト教徒と同じようにイエスを記念して“最後の晩餐〟の儀式を行うべきでしょうか」という質問が届けられた。これに対してシルバーバーチがこう答えた。
「そういう儀式(セレモニー)を催すことによって身体的に、精神的に、あるいは霊的に何らかの満足が得られるという人には、催させてあげればよろしい。われわれは最大限の寛容的態度で臨むべきであると思います。が、私自身にはそういうセレモニーに参加したいという気持ちは毛頭ありません。そんなことをしたからといってイエスは少しも有難いと思われません。私にとっても何の益にもなりません。否、霊的知識の理解によってそういう教義上の呪縛からか解放された数知れない人々にとっても、それは何の益も価値もありません。
イエスに対する最大の貢献はイエスを模範と仰ぐ人々がその教えの通りに生きることです。他人のために自分ができるだけ役に立つような生活を送ることです。内在する霊的能力を開発して、悲しむ人々を慰め、病の人を癒やし、懐疑と当惑の念に苦しめられている人々に確信を与え、助けを必要としている人すべてに手を差しのべてあげることです。
儀式よりも生活の方が大切です。宗教とは儀式ではありません。人のために役立つことをすることです。本末を転倒してはいけません。“聖なる書〟と呼ばれている書物から活字のすべてを抹消してもかまいません。讃美歌の本から“聖なる歌〟を全部削除してもかまいません。
儀式という儀式をぜんぶ欠席なさってもかまいません。それでもなおあなたは、気高い奉仕の生活を送れば立派に“宗教的〟で有りうるのです。そういう生活でこそ内部の霊性が正しく発揮されるからです。
私は皆さんの関心を儀式へ向けさせたくはありません。大切なのは形式ではなく生活そのものです。生活の中で何をなすかです。どういう行いをするかです。〝最後の晩餐〟の儀式がイエスの時代よりもさらにさかのぼる太古にも先例のある由緒ある儀式であるという事実も、それとはまったく無関係です」
別の日の交霊会でも同じ話題を持ち出されて・・・
「他人のためになることをする・・・これがいちばん大切です。私の意見は単純明快です。宗教には古いということだけで引き継がれてきたものが多すぎます。その大半が宗教の本質とは何の関係もないものばかりだということです。
私にとって宗教とは崇拝することではありません。祈ることでもありません。審議会において人間の頭脳が考え出した形式的セレモニーでもありません。私はセレモニーには興味はありません。それ自体は無くてはならないものではないからです。しかし、いつも言っておりますように、もしもセレモニーとか慣例行事を無くてはならぬものと真剣に思い込んでいる人がいれば、無理してそれを止めさせる理由はありません。
私自身としては、幼児期を過ぎれば誰しも幼稚な遊び道具はかたづけるものだという考えです。形式を超えた霊と霊との直接の交渉、地上的障害を超越して次元を異にする二つの魂が波長を合わせることによって得られる交霊関係・・・これが最高の交霊現象です。儀式にこだわった方法は迷信を助長します。そういう形式はイエスの教えと何の関係もありません」
──支配霊や指導霊の中にはなぜ地上でクリスチャンだった人が少ないのでしょうか。
「少ないわけではありません。知名度が低かった・・・ただそれだけのことです。地上の知名度の高い人も実はただの代弁者にすぎないことをご存知ないようです。つまり彼らの背後では有志の霊が霊団やグループを結成して仕事を援助してくれているということです。その中にはかつてクリスチャンだった人も大勢います。もっとも、地上で何であったかは別に問題ではありませんが・・・」
──キリスト教の教えも無数の人々の人生を変え、親切心や寛容心を培ってきていると思うのです。そういう教えを簡単に捨てさせることが出来るものでしょうか。
「私は何々の教えという名称には関心がありません。私が関心をもつのは真理のみです。間違った教えでもそれが何らかの救いになった人がいるのだからとか、あえてその間違いを指摘することは混乱を巻き起こすからとかの理由で存続させるべきであるとおっしゃっても、私には聞こえません。
一方にはその間違った教えによって傷ついた人、無知の牢に閉じ込められている人、永遠の苦悶と断罪の脅迫によって悲惨な生活を強いられている人が無数にいるからです。
わずかばかり立派そうに見えるところだけを抜き出して〝ごらんなさい。まんざらでもないじゃありませんか〟と言ってそれを全体の見本のように見せびらかすのは、公正とは言えません。
霊的摂理についてこれだけは真実だと確信したもの、および、それがどのように働くかについての知識を広めることが私の関心事なのです。あなたのような賢明な方たちがその知識をもとにして生き方を工夫していただきたいのです。そうすることが、個人的にも国家的にも国際的にも、永続性のある生活機構を築くゆえんとなりましょう。
私は過去というものをただ単に古いものだからとか、威光に包まれているからというだけの理由で崇拝することはいたしません。あなたは過去からあなたにとって筋が通っていると思えるもの、真実と思えるもの、役に立つと思えるもの、心を鼓舞し満足を与えてくれるものを選び出す権利があります。
と同時に、非道徳的で不公正で不合理でしっくりこず、役に立ちそうにないものを拒否する権利もあります。ただしその際に、子供のように純心になり切って、単純な真理を素直に見て素直に受け入れられるようでないといけません」
第3節 いわゆる〝聖痕(スチグマ)〟について問われて・・・
「人間の精神には強力な潜在能力が宿されており、ある一定の信仰や精神状態が維持されると、身体にその反応が出ることがあります。精神は物質より強力です。そもそも物質は精神の低級な表現形態だからです。精神の働きによって物質が自我の表現器官として形成されたのです。
精神の方が支配者なのです。精神は王様であり支配者です。ですから、もしもあなたがキリストのはりつけの物語に精神を集中し、それを長期間にわたって強力に持続したら、あなたの身体に十字架のスチグマが現れることも十分可能です」
第4節 〝大霊の愛〟と〝己を愛する如く隣人を愛する〟という言葉の解釈について問われて・・・
「私だったら二つとも簡明にこう解釈します。すなわち自分を忘れて奉仕の生活に徹し、転んだ人を起こしてあげ、不正を駆逐し、みずからの生活ぶりによって神性を受け継ぐ者としてふさわしい人物である事を証明すべく努力する、と言う事です」
第11章 三つの出張講演から
≪このたびこうして私をお呼びいただき、ささやかながら私がたずさえて来た知識を皆さんと分け合うことになったことを光栄に思っております。この新たな体験によって私が何らかのお役にたてば、こうして皆さんの前にお邪魔した甲斐があったことになります。皆さん方はすでに霊的実在についての知識をお持ちの方ばかりです。したがって私から改めてその重大性、とくに今日の地上世界における不可欠性について強調する必要はないと思います≫
永年ハンネン・スワッハー・ホームサークルだけを拠点として語り続けてきたシルバーバーチが、最近になって三つのスピリチュアリストの団体からの招待に応じて、それぞれの本拠地で講演と一問一答を行った。
一つはコペンハーゲンで開催された国際スピリチュアリスト連盟International Spiritualist Federationの総会において、二つ目は英国心霊治療家連盟National Federation of Spiritual Healersにおいて、三つ目は大英スピリチュアリスト協会Spiritualist Association Great Britainにおいて、それぞれの評議会員を前にして行われた。
第1節 I・S・F(国際スピリチュアリスト連盟)での講演と一問一答
「私たち霊界側から言わせていただければ、こうした機会をもつことは皆さんの意識の焦点と視野を正しく修正する上でまことに結構なことだと思います。この霊的大事業にたずさわっておられる皆さん方も、ややもすると日常生活の煩雑さや揉めごとに巻き込まれて、こうして地上でいっしょに仕事をしているわれわれを鼓舞している雄大な理想像(ビジョン)の無垢の美しさを、つい忘れがちだからです。
物質の世界に閉じ込められ、肉体をもつが故の数々の義務を背負っておられる皆さんにとって、自分が本来は霊的存在であることを忘れずにいることは難しいことでしょう。が、皆さんの本性の中を神の力が流れているのです。また皆さんの中の大勢の方が霊的能力を授かっておられます。それは自分より恵まれていない同胞のために使用することができます。
皆さん方が進まれる道は決して容易ではありません。それは皆さんが、潜在的な霊的資質を開発するチャンスをみずから欲するだけの器量を具えていらっしゃるからです。神の使節に気楽な人生は有り得ません。進化と向上を求める者、地上の人間として到達しうるかぎりの高級界に波長を合わせんとする者にとって、安易な道は許されません。
近道など有りません。酷しい試練と絶え間ない危険との遭遇を覚悟し、今たずさわっている仕事、それは実は・・・これがいつも議論のタネになるのですが・・・皆さんが地上へやってくる前にみずから志願されたものなのですが、それをあくまでも成就させんとする決意を要請されます。それは皆さんがみずから選択された道なのです。
霊的闘争における勝利はそう簡単には得られません。霊的なものが支配権を握るに至る過程は長くて過酷なものです。が、一度手中にすれば、それは永遠です。決して失われることはありません。霊の褒章は決して傷つきません。決してサビつきません。決して腐食しません。永遠に自分のものとなります。それは皆さんが、皆さんの一人一人が、みずからの努力で勝ち取らねばならない、永遠の財産なのです。
皆さんとともに仕事をしている私たち霊界の者が、いくら皆さんを愛し、窮地にあって守り導き、道を教えてあげようと望んでも、所詮は皆さん自身の道なのです。その道を進むのはあなた方自身です。そして一つの困難を克服するごとにあなた方自身が霊性を強化し、霊的な仕事にたずさわる者として、より大きな資格を身につけて行かれるのです。
ですから、困難の挑戦を大いに歓迎することです。困難を避けたいと思うような者は神の仕事には無用です。闘いの真っ只中、しかも物的万能思想との闘いという最大の闘争において、あまりの激しさに将軍や指揮官が敵前逃亡をするようなことがあっては断じてなりません。耐え忍び、みずから志願したこの神聖なる仕事を成就すべく、鍛えられ、しごかれ、また鍛えられ、しごかれなければならないのです。
われわれに対抗する勢力は、地上においても霊界においても、実に強力です。しかし、いかに強力といっても、神の意志をしのぐほどの力はありません。永年にわたって地上での仕事にたずさわり、幸にして地上での神の計画の一部を知ることを得た私が絶対的確信をもって申し上げますが、霊力はすでに地上に根づいております。すでに地上生活に浸透しているその霊力を駆逐する力は、物的世界に帰属する勢力、すなわち宗教界の有力者にも、新聞にも、医師にも、あるいはそうした勢力がいかなる形で結集したものにもありません。
すぐれた霊の道具(霊能者・霊媒)の出現によって世界各地に霊力の前進基地がすでに設けられ、今その地固めが行われているところです。そこを拠点として、神の子等が一体自分はどこの誰なのか、何者なのか、なぜこの地球上に存在するのか、その存在の目的を成就するには何をなすべきかを、みずから理解して行くことになるのです。
皆さんはこのたび海山を越えて遠く隔てた国々から集まってこられましたが、皆さんを結集させた力は、ふだん他人のための仕事においてわれわれを鼓舞している力と同じものです。私たちは自分のことは何も欲していません。
名誉も求めません。ひたすらお役にたちたいと望み、神の子らが、霊と精神と身体とが調和的に機能した時に得られる、充足感、豊かさ、美しさ、生きる喜び、こうしたものを味わえるようになる生き方をお教えしようとしているのです。あなた方は自分を役立てる掛けがえのない好機を手にしていらっしゃいます。そして他人のために自分を役立てることほど偉大な宗教的行為はないのです。
それは神の愛の働きにほかなりません。このたびこのデンマークの地に世界のスピリチュアリストの代表が総結集し、神の計画の推進のための会議をもつことになったのも、その愛、その叡智、その霊力の働きによるのです。
ですから、時として闘いが酷しく、長く、ともすると投げやりな気持ちになりそうなことがあっても、決して挫けてはなりません。もしも挫けそうになった時はいったん物質界から身を引くことです。気持ちの流れを止め、精神を統一して、内部の霊的バッテリーが充電される状態にするのです。一新された生命力、一新された元気、そして一新された目的意識をみなぎらせるのです。かくして元気百倍して物的世界に戻り、仕事を続けるのです。
本日はこうしたメッセージをお届けする機会をこの私にお与えくださったことを感謝いたします。これは私個人の考えではありません。私をこの地上へ派遣した霊団からのメッセージを私が取り次いだまでです。私と同じように他の多くの霊が地上へ派遣されており、皆さんとの協調関係を通じて、いかにわれわれが神の計画において一体であるかを理解していただくように配慮してくださっているのです」
──我々の運動も内部に大きな問題を抱えております。本来なら団結すべきところでそれがうまく行かず、ために強力な態勢が整いません。何とかそれを改善するよい方法はないかというのが私の大きな関心事なのですが、何かよいコメントをいただけますでしょうか。
「団結というのはそう簡単には成就できないものです。命令によって強制できる性質のものではありません。理解力の発達とともに徐々に達成していくほかはありません。問題は、人類の一人一人が知的にも道徳的にも霊的にも異なった発達段階にあることです。一つの共通した尺度というものがないのです。あなた方の仕事においてさえも、各自の霊的進化のレベルが異なるという、その単純な事実に由来する衝突がたくさんあります。
霊的覚醒というのは霊性の進化とともに深まるものです。となると、あなたが高級霊との一体関係を確立しても、あなたと同じ発達段階に到達していない者がそれに参加することができないのは明白なことです。したがってあなたはあなたとして活用しうるかぎりの手段を駆使して最大限の成果をあげることに努力するしかないわけです。
この問題は私たち霊界の者にとっても無縁の問題ではありません。私たちも常に同じ問題に直面しているからです。私たちは地上の人間を道具として仕事をするのですが、その中には霊界側として期待している水準にまで達しない者がいます。しかし、それはそれとして最善を尽くすしかないのです。
そうした事情のもとでも、光明が次第に広がりつつあることに皆さんもいずれ気づかれるはずです。大切なことは、このたびのように伝統も環境も異なる世界各地から、言語も考えも異なる代表が一堂に会する機会をもつことです。その場で、たとえば他の国での成果を知って、それを後れている国の人がよい刺激とすることができます。
案ずることはありません。あなた方は自分なりの最善を尽くせばよいのです。もうこれ以上はできないというところまで努力したら、それ以上はムキにならず、あとは私たちに任せる気持におなりなさい。人間は自分にできるかぎりの努力をしていればよいのです。それ以上のことは要求しません」
──でも、何かよい秘訣のようなものはありませんか。
「真理を理解するということ以外に秘訣はありません。たとえば再生の問題は人間には解決できない難問の一つです。人間はすぐに〝証拠〟にこだわりますが、再生は証拠によって確信が得られる性質のものではありません。証拠などといっても、ただの用語にすぎません。確信というのは内部から湧き出てくるものです。魂に受け入れ準備が整えば理解がいきます。その理解こそ大切で、それが唯一の確信です。
科学は刻一刻と変っていき、その領域を広げつつあります。知識というものは固定したものではありません。一方、確信というものは真理と遭遇した時に湧き出る内的な悟りです。
この再生に関しては地上では、当分の間、意見の一致は見られないでしょう。理解した人にとっては至って単純なことであり、容易に納得がいきます。一方、理解できない人にとっては、ひどく難しく思えるものです。ですから、忍耐強く待つことです。意見の一致が得られないからといって組織がつぶれるわけではありません。
何につけ、議論することは結構なことです。意見が衝突することは結構なことです。自然は真空を嫌うと言います。惰性は自然の摂理に反します。作用と反作用は正反対であると同時に相等しいものであり、同じエネルギーの構成要素です。立ち止まってはいけません。大いに議論し討論し合うことです。沸騰した議論がおさまった時、そのつぼの中から真実が姿を現すことでしょう」
──再生について今ここで語っていただけませんか。
「実は私みずからが、みなさん方が体験しておられる難しさを味わっております。私は再生を認めておりますが、このバーバネルは認めようとしません(*)。自分の道具すら説得できないでいて、他の人を説得できるわけがないでしょう」(*これはシルバーバーチとバーバネルとが別人であることの証拠としてよく話題にされたものであるが、晩年はバーバネルも得心していた。なおこのコペンハーゲンでの交霊会がいつ行われたかは記されていない-訳者)
──事実か事実でないかだけでもおっしゃっていただけませんか。
「得心した人にとっては事実です。得心しない人にとっては事実ではありません」(真理の本質をついた名答というべきであるが、それにしてもなぜ要求にまともに応じなかったのか。私が思うに再生問題はスピリチュアリストの間でも異論の多い問題で、肯定派の中にさえさまざまな再生論があって、ここでシルバーバーチが一方的に述べることはIsfの内部に余計な波風を立てることになることを案じたのであろう-訳者)
──異なった信仰に対する態度はどうあるべきでしょうか。われわれに信仰を押しつけようとする者に対して寛大であるべきでしょうか。それとも我が道を行くの態度で相手にしない方がよろしいのでしょうか。
私の考えではスピリチュアリズムはキリスト教に対してその活動については寛大でありつつも、スピリチュアリズムの霊的真理そのものは浸透させて行くべきだと思うのです。真実の信仰に欠ける者にスピリチュアリストが正しい宗教性を植えつけていくべきだと考えます。
「スピリチュアリズム、スピリチュアリズムとおっしゃっても、それはただの用語にすぎません。私たちは用語には関心はありません。用語とは概念や実在をくるむための道具にすぎません。私たちの関心は霊力、神の力・・・私はそれを大霊と呼んでいるのですが・・・それが地上に根づくことです。どこでもよいのです。それが私たちの努力の背後の目的です。
なぜ霊力を根づかせようとするのか。それは、霊力には魂に感動をもたらし、真の生命に目覚めさせる力があるからです。どこであってもよいのです。教会の中であっても、外であっても、家庭内でもいいのです。目的とするのは一人一人の魂です。
物的惰眠から目覚める段階まできた魂は、あなたの行動範囲にみずからやってくるか、あるいはあなたの方から訪れて、魂のタネが蒔かれることになります。そのように導かれるのです。それでもし失敗したら、ひそかに涙を流してあげなさい。自分のためにでなくその人のためにです。その人は絶好のチャンスを目の前にしながら、それをとらえ損ねたのです。
しかし、そうこうしているうちに、そこかしこにタネの根づきやすい魂がいることが分かります。やがて芽を出し、花を咲かせ、急速に美しさと優雅さとを増していきます。そのタネに神性が宿されているからです。かくしてその魂は真の自我を発揮しはじめたことになります。
地上生活のそもそもの目的は人間が身体的・精神的・霊的の全側面を活用して生活することであり、その三つの側面が機能するに至るまでは本当の意味で生きているとは言えません。身体と精神のみで生きている間は影と幻を追い求め、実在に気づかずにおります。霊的自我が目覚めてはじめて、驚異的な霊的可能性と冒険への扉が開かれます。地上という物質の世界へ生まれて来たのは、その霊的自我を開発するためです。
ですから、その目覚めがどこで生じるかは重要ではありません。重要なのは魂が目を覚ますということ、そのことです。地上生活に悩みと苦しみが絶えないのはそのためです。悩み苦しみ抜いた末に、もはや物的なものでは救いにならないと観念した時に、霊的なものへ目を向ける用意ができたことになります。
〝嵐は気ままに吹く〟(ヨハネ)と言います。真理の風をどこにでも気ままに吹かせればよいのです。受け入れる用意のある魂にあたった時に存分に力になってあげることです。」
──霊媒現象とスピリチュアリズムの活動のあり方をこれからどう改めて行くべきかについて何かアドバイスをいただけますか。
「つねに新しい側面が台頭しています。物理的心霊現象が徐々に後退し、心霊治療と霊的教訓という高等な側面がそれと取って代わりつつあります。地上の人間の進化のサイクルが変わりつつあるからです。あなた方は霊的に導かれるままに進まれるがよろしい。霊的進歩には型にはまった様式はありません。
今日まで導いてきてくれた力を信じて一身を預けることです。その力こそ、地上のあらゆる物的財産に勝る珠玉の知識をもたらしてくれた力です。ひたすらに前向きに歩まれることです。どこにいても最善のものを施すことです。かならずや導かれ、援助を受けます」
──私は南アフリカのさまざまな言語集団と霊界とのつながりに関心をもっている者ですが、霊界にはこうした集団との接触において使用するバイブレーションの調整システムのようなものがあるのでしょうか。
「それは問題を抱えている国の人たちみずからの力で処理すべきことです。言語というのは思想・信念・想像、その他、肉的な実在の諸相を表現するための人工的手段にすぎません。実在を適確に表現する言語は、いくら考えても見つかりません。要は魂に訴えるために最善を尽くすことです。
感動を与えるのです。悲しんでいる人を慰め悩んでいる人の心を癒すようなメッセージを届けて、魂を目覚めさせるのです。その魂に受け入れる用意があれば、きっと成果が出ます。受け入れる用意がなければ何の成果も出ません。
こうした問題には楽な解決策はありません。試行錯誤がほとんどです。私たちとて完全ではないのです。霊的交信、霊力の扱い方、霊媒の成長と進化にともなう各種エネルギーの調整の仕方について、絶え間なく新しいテクニックを開発しております。固定した形式があるわけではありません。すべてが流動的です。なぜかと言えば、霊そのものが無限であり、したがって無限の顕現の可能性を秘めているからです。
ご質問に対してご期待にそった答えにならなくて申しわけありませんが、私としては以上のような答えしかできません」
── 一般世間への普及活動において私たちは何か大きな間違いを犯していないでしょうか。もし犯していたらご教示をお願いしたいのですが。
「もしもあなたが何一つ間違いを犯さない人だったら、あなたは今この地上にはいらっしゃらないはずです。間違いを犯す人間だから地上に来ているのです。しくじってはそこから教訓を学ぶのです。もしもしくじらないほど完全な人間だったら、物質界に生まれてくる必要はありません。勉強のために地上へ来ているのです。しくじっては学ぶ、それが進化の法則の一環なのです。
しかも進化はどこかでおしまいとなるのではなく、限りなく続く営みなのです。その目的は完全性の成就です。が、その完全性がまた無限の性質のものであり、いつまでたっても成就できないのです。完全を成就しているのは大霊のみです。無限なる愛と無限なる叡智の権化なのです。
完全性が増せば増すほど、さらにその先に成就すべき完全性があることに気づきます。これが完全、という静止した状態ではありません。進化の法則はありとあらゆる段階を通じて働いており、それらがすべて連動しているのです。人間の身体上の進化も、地上の科学者がどう言おうと、まだ終わった訳ではありません。まだまだこれから開発されるべき表現形態があります。
同様に、精神的ならびに霊的進化も、この地上にあってさえ、三位一体の部分的側面として、到達すべき段階に至るまではまだまだ前途遼遠です。
要するに進化とは地上においても全宇宙においても無限の過程であり、そのこと自体が宇宙の全機構を案出した無限の知性の存在の証明であることを認識してください。その知性が絶対に誤ることのない法則によって統治し、ありとあらゆる側面を導き、支え、そして規制しているのです。
われわれはその愛と法則と叡智の機構の中に存在しているのです。間違いを恐れてはいけません。そこから学び、刻一刻と霊的に成長していくのです」
第2節 N・F・S・H(英国心霊治療家連盟)における講演と一問一答
「心霊治療の目的はいたって単純です。魂の琴線に触れるということです。身体は癒えても魂が目覚めなかったら、その治療は失敗だったことになります。たとえ身体は治らなくても魂に何か触れるものがあれば、その治療は成功したことになります。他はいざ知らず、われわれに関するかぎり、霊のもつ才能、霊の力は、神の子の一人ひとりが有する神性を目覚めさせ、地上に生まれてきたことの意味を理解させるために使用すべきです。
それが霊的能力の諸相の背後にある目的です。ですから、患者に身体上の好転が見られなくても少しも落胆することはありません。むしろ、身体上の病状は改善したのに、その患者が霊的な実在に何の関心を見せなかった時こそ落胆すべきです。それが病気が治るということの背後に秘められた究極の目的だからです。
霊界にあっても私たちは一丸となって、地上の各地に拠点をもつ霊力が、受け入れる用意の出来ている者に間違いなく届けられるように地固めをしております。目指す目標は必須の要素すなわち自分とは一体何者なのか、何の目的でこの地上に存在しているのかについての自覚を植えつけることです。簡単に言えば、自分の霊的宿命を成就するために自分の霊的起原を知ってほしいということです。
治病能力は霊的身体のみが有する霊的能力の一つです。霊の目で見る霊視能力、霊の耳で聞く霊聴能力と同じです。ですから、治療家としての仕事をするには霊力のお世話にならねばなりません。
ここで用語についてはっきりさせておきましょう。私が〝大霊〟と言う時、それは無限の知性であり、全生命の究極の裁定者であり、叡智と真理と理解力の極致です。人間的存在ではありません。ただ、それを表現する際にどうしても〝彼〟とか〝あなた〟といった人称代名詞を使用せざるを得ませんが、大霊は神格化された人物ではありません。
生命力であり、原動力であり、活性力であり、意識であり、生気です。そうした原理の精髄です。無限なものです。したがって霊力も無限です。それは誰の占有物でもありません。通路となりうる人なら誰にでも流れます。キリスト教やクリスチャン・サイエンスはもとよりのこと、あなた方は治病能力を独占することはできません。
それを受け入れる能力をお持ちのあなた方に出来ることは、その能力をさらに発達させること、つまり受容能力を増し波長を高めることだけです。霊力そのものは無限に存在します。それをどれだけ受け入れるかは、あなた方自身の進化と発達の程度によって決まるのです。あなた方を通じて流れる霊力の限界はその受容能力によって決まるのです。簡単なことなのです。あなた方の受容能力が増せば、それだけ多くの霊力があなた方を通して流れ込み、それだけ大きな成果が得られるということです。
流入する霊力の分量に限界というものはありません。唯一それに制限を加えているのはあなた方治療家の霊的発達段階であり、それが、どれだけの霊力を受け入れるかを決定づけます。この聖なる力、神の威力、大霊、生命力、どう呼ばれても結構ですが、それがあなた方を通路として流れるのは、あなた方に受容能力があるからです。それを患者へ届けてあげなければならないわけです。
改めて初歩的なことを申し上げて恐縮ですが、病気・不快・異状の原因は調和の欠如にあります。健康とは全体の調和が取れている状態のことです。身体と精神と霊との間に正しいリズムとバランスが取れていることです。三者の連繋がうまく行っていない時、どこかに焦点の狂いが生じている時、自然の生命力の流れが阻害されている時に病的症状が出るのです。霊力が流れず、本来の機能を果たしていないからです。
人間の病気はサイコソマティック、つまり精神と霊に原因があってそれが身体に表れております。経験豊かな皆さんには私から申し上げる必要はないと思いますが、心配ばかりしていると胃潰瘍になります。が、潰瘍部分を切除すれば心配しなくなるわけではありません。ですから心配しないような生き方を教えてあげないといけません。
病気の大半は精神と霊から生じております。いわゆる人身事故でさえ精神ならびに霊的原因から発生していることがあるのです。これは皆さんにとってはとても理解しがたい難題であろうかと思いますが、では治療家としてはどうすべきか。
患者の意識の中枢である霊に注がれる霊力を、治療集団から受け取るのが治療家の仕事です。いわばバッテリーです。枯渇している生命力を充電してあげる通路です。それが障害物を取り除くのです。それがバランスを取り戻させるのです。リズムが整い、調和よく機能するようになるのです。
そのとき治療が効を奏したことになります。霊力が魂にまで及ぶからです。ここが大切な点です。患部に置いた手が治しているのではありません。手をおくことは接触のための手段の一つにすぎません。
治療家の霊的発達の程度いかんによっては、それが必要である場合もあれば必要でない場合もあります。肝心なのは魂にまで及ぶということです。魂にカツを入れて居眠りの状態から目を覚まさせ、自我の発見という本来の目的を意識させるのです。
それさえうまく行けば、身体にある自然治癒力が機能を発揮して健康状態を取り戻します。その時はじめて治療家は、大霊すなわち神の通路としてその霊力を受け入れ、それが自分を通過して患者の魂の中の神を呼び覚まし、はじめて真の自我を意識させるという機能を見事に果たしたことになります。
心霊治療というのはそういうものなのです。ここで改めて皆さんに申し上げます。たいへん改まった真剣な気持ちで申し上げますが、あなた方治療家の責任はきわめて重大です。真理を知るということは、それに伴って責任というものも付加されるのです。神聖な才能を授かるということは、それを本来の神の意志にそって使用するという責任が伴います。
心霊的(サイキック)な能力と、霊的(スピリチュアル)な能力とは違います。心霊治療家にもサイキック・ヒーラーとスピリチュアル・ヒーラーとがあるわけです。後者の場合は生活態度を可能なかぎり理想に近づける努力をしなければなりません。能力はあっても、それをどこまで開発するかは治療家自身の責任です。
それをいかなる目的に使用するかについても責任があります。なぜなら、その能力を授かったということは神の使節の一人であることを意味するからです。
皆さんはどこの教会、どこの聖堂の司祭よりも、真実の意味での神の司祭でいらっしゃいます。神の霊力があなた方を通過して届けられるという点において、神の名代をつとめておられるのです。これは大へん責任の重い仕事です。それを汚すようなことがあってはなりません。傷つけてはなりません。
不名誉となるようなことをしてはなりません。腐敗させてはなりません。間違った動機から使用してはならないということです。ただひたすら自分を使っていただくという気持ちで、可能なかぎり理想を目指して努力していればよいのです」
──霊力がそちらで準備される過程を教えて頂けませんか。患者の特殊な症状に応じて調合される治癒力です。
「とても説明が困難です。非物質的なエネルギーを表現する適切な用語が見当たらないのです。こう理解してください。霊力とは生命力であり、生命の素材そのものであること、活力であり無限に存在すること、可変性があり、無限の形態をとることができ、無限の置きかえと組み合わせが可能である、ということです。
こちらの世界にはさまざまな程度の知識と経験と理解力をもつ霊が控えています。地上の化学者、科学者に相当する霊もいます。この生命力、霊のエネルギーのさまざまな性質を、あなたが使用された用語で言えば、特殊な症状に合わせて〝調合〟するのです。これはなかなかよい表現です。通路である治療家を通じて可能なかぎり症状に合った調合をする研究を絶えず重ねております。
これ以上の説明はできそうにありません。治療家のもとを訪れる患者によって、一人ひとり、治療法が異なります。患者のオーラも大へん参考になります。オーラには病気の根本原理である霊的ならびに精神的状態が正直に表れているからです。それによって調合の仕方を考えます」
──それには霊界の担当医たちの精神的(メンタル)な努力を要するのでしょうか。
「(人間が考える意味での)メンタルという用語は不適切です。実体のある作業だからです。実際に混合するのです。こちらの世界にもあなた方のいう化学物質に相当する霊的素材があります。もちろん精神(マインド)も使用します。霊界では精神がすべてをこしらえる上での実体のある媒体だからです」
──遠隔治療が可能であることを考慮すると、直接治療においてその治癒力を受けるのに、治療家の身体または霊体はどの程度まで使用されているのでしょうか。
「遠隔治療にも治療家の霊体を使用しなければなりません」
──その過程を説明していただけませんか。
「治療家はテレビジョンとよく似ています。霊的なバイブレーションが治療家に届けられると、治療家(の霊体)を通過する際に半物質的治療光線に転換されて、それが患者に送られます。治療家は変圧器です」
──遠隔治療でも同じですか。
「同じです」
──それがどうやって患者に届けられるのでしょうか。
「患者が治療を要望したということでつながりが出来ております。思念によって治療家へ向けてのバイブレーションが生じます。そこに絆が出来たわけで、そのバイブレーションに乗って治療力が患者に送られるのです」
──自分のために遠隔治療が行われていることを知らない場合はどうなりますか。
「患者と関わりのある誰かが知っているはずです。そうでなかったらその患者に向けて治療が行われるわけがないでしょう」
──治療家がその患者の病状が悪いことを知って一方的に遠隔治療を施してあげる場合もあるでしょう。
「それだけでもう絆ができております」
──でも患者の方から思念が出ていません。
「いえ、出ております。治療家がその絆をこしらえております。こちらの世界では思念に実体があることを忘れてはなりません。私があなたを見る時、私にはあなたの身体は見えません。霊媒の目を使えば見えるかも知れませんが。私たちにとって実体があるのは思念の方であり、実体がないのは身体の方です。あなたが思念を出せば、それがたちどころに実在物となるのです。それがバイブレーション・・・波動をこしらえます。それが遠隔治療で使用されるのです」
──心霊治療を受ける上で信仰のあるなしは関係ないということは理解しておりますが、患者が邪悪な思念を抱いていると、それが治療を妨げると考えてよろしいでしょうか。
「私は信仰をもつこと自体は反対していません。それが理性を土台としていて、盲目的でなければ結構です。スピリチュアリズムの思想を正しく理解された方なら、手にされた真理は全体のほんの一かけらにすぎないことはご存知と思います。肉体に閉じ込められているあなた方が全真理を手にすることは不可能なことです。霊界へ来ても同じことです。となると、手にした限りの知識を土台とした信仰を持たねばならないことになります。
さて、そうした知識を土台とした理性的信仰を持っていることは大いに結構なことです。そのこと自体は何ら問題はないと思います。それが治療にとって好ましい楽観的な雰囲気をこしらえるからです。霊力は明るく楽しい、愉快な精神状態のときにもっとも有効に作用し、反対にみじめで疑い深く、動揺しやすい心は、霊的雰囲気をかき乱して治療の妨げとなります」
──オーラを見る能力のない治療家は、治療がうまくいっていることをどうやって知ればよいのでしょうか。
「治療家に患者のオーラが見えるか否かは問題ではありません。症状の診断ができるか否かも問題ではありません。そういうことにこだわってはいけません。要は霊が使いやすい状態になることです。道具としてなるべく完全になることを心がける事です。完全な道具としてマイナスの要素となる人間的弱点を極力排除しなくてはなりません。そう努力することで霊力が豊富に流れるようになります。背後霊団との協調関係を決定づけるのは治療家の日常生活です」
──サークル活動に参加できる治療家は能力を開発する上で勉強になりますが、そういう機会に恵まれない人のために何かアドバイスをいただけないでしょうか。それと、交霊会に出席することは治療家にとって不可欠でしょうか。
「あとのご質問からお答えしますと、これにはきっぱりと〝ノー〟と申し上げます。霊の能力はあくまで霊の能力です。それを授かって生まれてきたのであり、授かった以上はそれを発達させる責任があります。ピアニストとしての才能をもって生まれた人は練習と鍛錬によってそれを発達させなければならないのと同じです。
では治療能力はどうやって発達させるか。その答えはサークル活動に参加することではありません。それもプラスにはなります。心に宿す動機も発達を促します。日常生活の生き方によっても発達します。可能なかぎりの純粋性と完全性を目標とした心がけによっても発達します。
自我を発達させる唯一の方法は自我を忘れることです。他人のことを思えば思うほど、それだけ自分が立派になります。よい治療家になる方法を教えてくれる書物はありません。
ひたすら他人のために役立ちたいと願い、こう反省なさることです…〝神は自分に治病能力を与えてくださったが、果たしてそれに相応しい生き方をしているだろうか〟と。これを原理として生きていれば、治病能力は自然に力を増し質を高めていきます」
──治療家によって力に差があるのはなぜでしょうか。
「話の上手な人と下手な人、ピアノが上手な人と下手な人、文章のうまい人と下手な人がいるのと同じです。才能がそれだけ開発されているということです」
──もし治療家が病気になった場合は他の治療家にお願いすべきでしょうか。それとも自分で治す方法があるのでしょうか。
「他の治療家にお願いする必要はありません。それよりも、いつも使用している霊力を直接自分に奏効させる方法を工夫すべきです。神に祈るのに教会まで行く必要がないように、霊力を自分自身に向けることが出来さえすれば、治療家のところへ行く必要はありません。そのためには自分の心、自分の精神、自分の魂を開かないといけません」
──医者は大病にもストレスや仕事上の心配が原因であるものがあると言っております。そうしたケースでは(身体と精神と霊の)不調和はどの程度まで関わっているのでしょうか。
「あなたがおっしゃったことは私が別の言葉で言っているのと同じことです。あなたは仕事上の心配と呼んでおられますが、それは私のいう不調和状態のことです。精神と肉体と霊とが正しい連繋関係にあれば、仕事上の心配も、そのほか何の心配も生じません。心配する魂はすでに調和を欠いているのです。
霊的実在についての知識を手にした者は心配をしてはなりません。取り越し苦労は陰湿な勢力です。進化した魂には縁のないものです。あなたはそれを仕事上の心配と呼び、私は不調和状態と呼んでいるのです。自分が永遠の霊的存在であり物質界には何一つ怖いものはないと悟ったら、心配のタネはなくなります」
──なぜ治らない人がいるのでしょうか。
「それはその人が霊的にまだ治る資格がないということです」
──いったん遠隔治療のための絆ができても、次の治療の時はまた改めてこしらえる必要があるのでしょうか。
「いったん出来たら、もうその必要はありません。霊界との絆は磁気的なものです。いったん出来あがったら二度と壊れることはありません」
──ということは、どこにいても同じということですね。教会にいても駅にいても。
「霊の世界には地理的な〝場〟というものがありません。常に身のまわりに存在しております。教会にいるからとか、地中深く掘られた採掘所にいるからとか、あるいは飛行機に乗って空高く上がったからといって、それだけ神に近くなっているわけではありません」
──地上世界に具現化するものは、その存在の基盤として思念が先行していると言われております。言えかえれば、我々は思念的素材を製造していることになるわけですが、すると治療家が患者に対した時には完治するという思念を抱いて、完全な健康のイメージをもつことが治療にプラスになるのでしょうか。
「大いにプラスになります。なぜなら、思念には実体があるからです。完全な健康状態のイメージを強くもてばもつほど、その成就へ向けて近づくことになります。あなた方もその理想へ向けて不断の努力をすべきです。最高のものを心に画くべきです。絶対に希望を棄ててはいけません。常に朗らかで楽観的な雰囲気を出すべきです。そうした条件が最高の成果を生みます」
──さきほど治らない患者はまだ治る資格がないからだとおっしゃいましたが、それだけでは単純すぎるように私には思えるのです。それでは悪人はいつまでたっても治らず、善人はいつでも治るということになるからです。
「そんな単純なものではありません。それは皮相な見方です。問題を霊の目で見ていらっしゃらないからです。たとえば苦難は人間から見ればイヤなものでしょうが、私たち霊の立場から見れば実に有難いことです。凶事に出逢うと人間は万事休すと思いますが、私たちの目から見ると、それが新たな人生の始まりであることがあります。
善とか悪とかの用語を物的価値基準に基づいて、あたかも善人という人種、悪人という人種がいるかのような言い方をしてはいけません。私たちの価値基準はあなた方とは必ずしも同じではありません。私は、治るためにはそれだけの霊的な資格がなければならないと申し上げているのです。善人とか悪人とかは言っておりません。魂が真の自我に目覚めれば治る資格ができたことになります。そのとき治療が効を奏します」
──たとえその資格ができていても、純粋に身体上の理由から治らないこともあるのではないでしょうか。たとえば視神経が完全に破損されて眼が見えないという場合です。自然の摂理からすれば、いくら心霊治療でも、まったく新しい視神経をこしらえることはできないと思います。
「今われわれは奇跡の話をしているのではありません」
──おっしゃる通りですが、ただ私は、あなたが〝不治〟の場合の理由をあまりに大ざっぱにおっしゃっているように思えたものですから・・・
「私が申し上げているのは、治る可能性のある病気が治らない場合、それはその患者にまだ治るための霊的資格ができていないからだということです」
──赤ん坊が両脚とも奇形である場合に、一方の脚は治ったのにもう一方の脚に何の反応も生じないことがあります。なぜでしょうか。
「それぞれの脚にそれぞれの原因があって、同じ治療法では治せないということです。一つ一つ治療法が異なります。それぞれの事情に合わせた治療が行われます。それぞれに特徴があります。こうした問題を地上の皆さんのためにできるだけ平易に申し上げようとすると、とても骨が折れます。他にもいろいろと考慮しなければならない条件があるのです。奥に隠れた原因があってそれに絡んだ霊的摂理が働いており、さらにその奥にも次元の異なる摂理が働いているのです。
心霊治療は見かけほど単純ではないのです。ただ患部を治せばよいというものではありません。評価されるのは魂に関わることです。魂にいかなる影響が及ぶか。治療がいかなる意味をもつことになるか。なぜその患者は心霊治療家のもとを訪れたのか、その患者は魂が目を覚ます霊的進化の段階に到達しているか。
こうしたことは物的尺度では測れないことばかりです。が、心霊治療にはそれらがすべて関わっているのです。なぜなら、治療にたずさわっている間は生命力そのものを扱っているからです。ということは、宇宙の永遠の創造活動に参加しているということになります。私が治療家の責任の重大性を強調する理由はそこにあります」
──てんかんの原因は何でしょうか。
「脳に障害がって、それが精神による働きかけを正しく受け取れなくしているのです。
──治せるのでしょうか。
「もちろんです。病気はすべて治せます。〝不治の病〟というものはありません、治してもらえない人がいるだけです」
──私が遠隔治療を依頼されたケースが三つないし四つあるのですが、不幸にして成功しませんでした。少なくとも私はそう考えております。いずれの患者もそのまま他界されたからです。
「それはもしかしたら最高の成功だったと言えるかも知れませんよ。他界に際して何らかの力になることができたら、それは治療として成功といえます。治療の目的は地上での寿命を引き延ばすことではありません。目的は霊との接触です。それがいちばん大切です。そのいちばん大切なことを第一の目標になさい。大切なのは霊です。霊が正常になれば身体も正常になります」
──わずか数分で治してしまう治療家がいると知って驚いているのですが、治療家によっては二時間とか数週間、あるいは数カ月、時には何年もかかって、それでも良くならないというケースがあります。なぜでしょうか。
「果を見て木を知るべしです。大切なのは結果です(*)。治療家は背後霊団との最高の調和関係を目指して日常生活を律するべきです。そうすれば必ず良い成果が得られます。あなた方は身を正すことだけを考えて下さい。あとは私たちがやります。援助の要請が拒否されることは決してありません。
霊力を出し惜しむようなことは絶対にいたしません。私たちは常にお役に立つための努力を重ねております。人を選り好みしません。すべての人を歓迎します。霊力はすべての人に恩恵をもたらすべく存在しているのです。私たちが欲しいのは、よろこんでその霊力の通路となってくれる道具です」
(*私が親しくしていた治療家の一人のM・H・テスター氏もこのNFSHの会員で、たぶんこの日の会合にも出席していたものと推察しているが、そのテスター氏が〝奇跡治療というと人は一発で治る場合を想像するが、たとえ半年かかろうと1年かかろうと、医学的に不治とされたものが治れば、それも立派に奇跡である〟と述べている-訳者)
──心霊治療によって回復した人が間もなく他界することがあります。なぜでしょうか。
「あなた方はなぜ死ぬということをそんなに悪いことのように考えるのでしょう。私たちの世界では仲間が地上へ誕生していった時に泣くことがあります。地上を去ってこちらへ来ると手を取り合って喜びます。地球を離れることがなぜ悲劇なのでしょう」
──精神に異常のある方は本当に気の毒でならないのですが、治療家として無力であることを痛感させられています。
「精神上の病も治すことができます。身を私たちにあずける・・・あなたに要請されるのはそれだけです。ご自分を通して霊力が流れるようにするのです。じかに治療できない人には遠隔治療を施してあげなさい。霊的治療はもはや地上に根づいております。退散することは決してありません。
あなたもあなたなりの貢献ができます。しかも、とても重要な役割です。忘れないでいただきたいのは、無限の進化の計画の中において、あなたも神聖なる通路としての神のお役に立っているということです。光栄この上ない仕事です。が、それだけに責任も重いということです」
第3節 S・A・G・B(大英スピリチュアリスト教会)における講演と一問一答
「本日お集まりの皆さんは霊的実在についての知識をお持ちの方ばかりです。ですから私からその大切さ、特に今日の世界における掛けがえのない重要性を強調する必要はありますまい。
私は可能なかぎり皆さんのお力になるつもりでおります。私の申し上げることのすべてに同意なさらないかもしれませんが、真実の同胞関係というのは、お互いの意見が完全に一致しなくても愛し合えるということです。皆さんは霊の力がさまざまな形態で顕現していることをよくご存知とはいえ、肉体に閉じ込められているが故の厄介な問題の一つとして、正しい焦点を定めることが難しいことがあげられます。つまり霊力というものが適切な通路を得た時の影響力がいかに実感あふれたものであるかについて、共通の認識が得られないことです。
もしも私がかりそめにも地上の住民としての義務・・・家族への責任および共存共栄関係にある他人への責任・・・から逃れさせるようなことを口にしたら、他にどんなに立派なことを説いても指導霊として落第であることになりましょう。
しかし率直に申し上げさせていただけば・・・素直に言い合うことが協力の基本だと思うからこそですが・・・皆さん方は俗世間的な問題に関わりすぎており、そうした問題のすべての解決のカギである霊の力を十分に活用していらっしゃいません。
このことを私は、私たち霊団の協力者である皆さん方・・・われわれの関係は主と従ではありません。対等の協力者です・・・そして地上の使節としてその任に恥じない生き方を望んでおられる皆さん方に、最大限の誠意と謙虚さをもって申し上げたいと思います。皆さんのような霊的知識を手にされた方が悩んだり、心配の念の侵入を許して取り越し苦労をするようではいけません。
霊的知識があるからこそ、いかなる心配、いかなる悩み、いかなる不安にも、皆さんの精神的・身体的・霊的環境の中への侵入を許してはならないのです。心配、悩み、不安・・・こうしたものは援助の力の通路そのものを塞いでしまいます。
哀悼者の悲しみの念が壁となって他界した霊を近づけなくするように、気苦労のバイブレーションに取り囲まれてしまうと精神的・霊的雰囲気が乱されて、ますます霊を近づきにくくします。皆さんは愛に動かされた霊によって導かれているのです。それは地上の血縁や愛情あるいは友情によって結ばれている場合もありますが、それとは別に、かつて皆さんと同じ道を歩み、今なお皆さんを通してその仕事に関心を持ち続けている霊である場合もあります。そうした霊のさらに背後には無私の博愛心に燃える高級霊の大軍が控えているのです。
美と豊かさと荘厳さと光沢と気高さと光輝とにあふれた霊力そのものには際限というものはありません。ただ、人間がこしらえる条件によって制約されるのみです。どうか信念に裏打ちされた、とらわれのない通路、安易に信じるのでなく、これまでに得た知識を基盤とした信念・・・進化の現段階では無限の知識を手にすることが不可能である以上どうしても必要となる信念に燃えた通路であってほしいのです。
知識を基盤とした信念に燃えてください。皆さん方の一人一人が霊の導きによって今日まで苦難と危機と困難を乗り切ってこれたのです。振り返ってごらんになれば、その導きの跡が読み取れるはずです。そこで、人間的煩悩ゆえに時には背後霊を手こずらせることはあっても、これほどのことをしてくださった背後霊が自分を見放すはずはないとの信念に燃えなくてはいけません。
われわれは霊的真理の崇高なる啓示にあずかった、本当に祝福された者ばかりです。それ故にこそ、その知識に伴う責任に恥じない仕方をしようではありませんか。
過去はもう過ぎ去ったのです。これまでに犯した間違いはお忘れになることです。皆さんは間違いを犯しそれから学ぶために地上へやって来たようなものです。過ぎ去ったことは忘れることです。大切なのは今現在です。今、人のためになることをするのです。どんな形でもよろしい。自分の置かれた物的環境条件から考えて無理でない範囲のことを行えばよろしい。先のことをあまり考え過ぎてはいけません。
皆さんが皆さんの役目を果たしていれば、私たちは私たちの役目を果たします。そして、そうした協調関係の中では絶対に挫折はないことをお約束いたします。
この建物の中でどれほどのことがなされているかは、皆さんは知ることができません。私たちにとっては神聖な場所です。ここには愛の働きがあり、悲しみの涙が拭われて確信の笑みに変っております。病の人は癒され、悩める魂は内なる静寂の芳香を見出しております。それを皆さん方は計り知ることができません。魂へ及ぶ影響を測るはかりがないからです」
──霊の指導によって行われる範囲と人間の努力によって行うべき範囲について教えて下さい。
「私たちも一定の法則の範囲内で仕事をしなければなりません。霊にもできることとできないこととがあるということです。その法則による制約は人間よりはるかに厳格です。私がこれまでいちばん辛い思いをしたのは、私の愛する者が危機のさなかにありながら何も手を出さずに一歩さがって控え、自分で工夫するにまかせ、どちらの道を選ぶかをじっと見守っているしかなかった時です。
それがいちばん本人のためであるとの判断があったからです。助言を求められても〝ここは一つご自分の判断でやってごらんなさい。どれだけうまく行くか試してごらんなさい。その判断はあなたの霊的進化の成就のすべてが掛っているのですよ〟と申し上げなければならないこともよくあるのです。
私たちの関心は霊的な結果です。きたんなく言わせていただけば、あなた方は物的な結果だけを見つめておられることが多すぎます。この連盟の歴史を振り返ってごらんになれば、霊の導きが決して少なくないことがお分かりになるはずです。
私たちが基本的原理のいくつかを確信をもって明言できるのは、それらが永遠の実在に基づいているからにほかなりません。もしも地球が地軸上の回転をやめるような事があったなら、あるいは汐が満ちるべき時に満ちてこず引くべき時に引かないようなことがあったなら、あるいは又、星雲が回転のパターンからはずれるようなことがあったら、私はこれほどの確信をもって説くことはできないでしょう。
が、大霊は全知全能であり、その霊力の働きは完全無欠です。そこで私はその霊力に全幅の信頼を置く者に決して挫折はないと確信をもって申し上げるのです」
──さきほどあなたは、一歩控えて思いどおりにやらせるほかはないことがあるとおっしゃいました。その人には好きな道を選ぶ自由意志があるわけですが、もしもその人が自由に行動してそれが仕事をぶち壊すようなことになったらどうなさるのでしょうか。
「自由といってもある一定の範囲内での話です。無制限の自由ではありません。その人の霊的成長と進化から生じる一定の条件によって制約されます。完全な自由選択が許された無制限の自由ではありません」
──本当の意味での自由意志は存在しないわけですか。
「ある限界内での自由意志が存在するということです。その段階での判断に基づいて好きな道が選べます。そしてそれがその人の霊的進歩を妨げもすれば促進もするということです」
──かりにあなたが代わりに選択してあげたら、それがその人の進歩を妨げることになるかも知れないし促進することになるかも知れないわけですね。
「それは有り得ることです。ただ、なかなかうまく説明できないのですが、表向きは単純そうでも、その裏面は、法則の内側に法則があり、そのまた内側に法則があり、そのまた内側にも法則があって、実に複雑なのです。しかし、神の叡智は完ぺきですから、絶対に手落ちがないように、すみずみまでバランスが取れております」
──せっかくの成果をぶち壊しにするような行為も、全体の計画にとっては大して支障をきたさないということなのでしょうか。
「とんでもないことをして成果のいくつかをぶち壊しにすることはあっても、全部を台なしにするようなことはないということです。人間の行為が及ぼす被害も多寡が知れてるということです。地上のいかなる人物にも、神の意志を完全に台なしにしたり、計画の推進を完全に阻害するほどの損害を及ぼす力はありません」
──ということは、この地球上で発生する災害もすべて神の計画の中で起きているということでしょうか。
「人間はその神の計画の枠外で行動することはできないという意味で、そう言えます。絶対に免れることの出来ない因果律というものがあるからです。その冷厳な法則が人間に致命的な限界というものを設けております。ぶっきらぼうな言い方をすれば、地上の科学者には宇宙全体を全滅させるほどの破壊力は製造できません。そこに限界があります」
──人間の立場からみると悪に思えるものもまったく悪ではないことがあるものでしょうか。高い次元からみればむしろ善といえることが。
「地上の人間にとって苦しみは悪であり、痛みは歓迎されませんが、実質的には必ずしもそうではありません。苦は楽と同じく神の計画の一部です。苦がなければ楽もなく、暗闇がなければ光明もなく、憎しみがなければ愛もありません。作用と反作用は同じものであると同時に正反対のものです。一つのコインの両面と思えばよろしい。善と悪はともに不可欠のものであると同時に、相対的なものです。
地上にはさまざまな道徳的規範があり、国によって異なります。たった一つの絶対的規範というものはありません。私たち霊にとっての価値基準はただ一つ・・・魂にどういう影響を及ぼすかということです。魂の成長を促すものは善で、成長を遅らせるものは悪です。そこが大切な点です」
──あなたは、成長のためのチャンスは平等に与えられるとおっしゃっていますが、私はどうも納得できません。魂の本質は同じかも知れませんが、その本質が発揮される能力は必ずしも平等ではありません。同じチャンスから必ずしも同じだけのものを摂取できるとはかぎりません。能力の程度によって異ったチャンスが与えられるか、それともチャンスは同じでもそれをうまく活用する能力が平等に与えられていないかのいずれかだと思います。
「いえ、私はその考えには同意できません。物質界に生まれてくる人間には神性の種子が宿されております。そうでなかったら生まれて来られません。生命とは霊であり、霊とは生命です。あなたにも花開くべき霊性の種子が宿っております。その開花は、成長を促す可能性をもった環境条件への反応次第で違ってきます。
霊性の発達を促すためのチャンスはすべての人間に平等に与えられています。私はすべての人間が同じ霊格を身につけることになるとは言っておりません。そのチャンスが与えられていると言ったのです。金持ちであるか貧乏であるかは関係ありません。他人のためになることをするのに地位や名声、財産といったこの世的なものは必要ありません」
──身体の機能上の不平等はどうでしょうか。
「奇形もしくは脳に異状のある場合のことをおっしゃりたいのでしょうか。それは別に扱わねばならない複雑な問題でして、これには宿業(カルマ)の要素が入ってきます」
──カルマの要素があるということは再生もあるということでしょうか。
「再生はあります。しかし一般に言われている形(機械的輪廻転生)での生れ変わりではありません。霊界には無数の側面をもった、霊的ダイヤモンドとでもいうべきものがあります。その側面が全体としての光沢と輝きを増すための体験を求めて地上へやってまいります。これでお分かりのように、地上へ生まれてきたパーソナリティは一個のインディビジュアリティの側面の一つということになります。少しも難しいことではないのですが、人間はそれを勘違いして、〝私は前世はだれそれで、次はまた別の人間に生れ変わります〟などと言います。そういうものではありません。生まれてくるのはダイヤモンド全体に寄与する一つの側面です。その意味での再生はあります。地上で発揮するのは大きなインディビジュアリティのごくごく小さな一部分にすぎません。
かくして皆さんのおっしゃる類魂(グループソール)というものがあることになります。つまり霊的親族関係を有する霊の集団が一つの統一体を構成しており、それが全体としての進化を目的として、いろんな時代にいろんな土地に生れてその体験を持ち帰るわけです」
──インディビジュアリティがパーソナリティのひとかけらなのですか。それともその反対ですか。
「パーソナリティがインディビジュアリティのひとかけらです」
──みんなグループソールに属しているとなると、仲間の良い体験の恩恵をこうむると同時に、良くない体験の悪影響も忍ばねばならないのでしょうか。
「その通りです。それが全体に寄与するのだと思えば、それも有り難い体験です」
──ということは、私が今苦しい思いをするのは必ずしも私自身のせいではないわけですね?
「そう認識なさることで安らぎをお感じになるのであれば、そうお考えになられて結構です。一つだけ秘密のカギをお教えしましょう。叡智が増えれば増えるほど選択の余地が少なくなるということです。増えた叡智があなたの果たすべき役割を迷うことなく的確に指示します。
われわれはみずからの意志でこの道を志願した以上は、使命が達成されるまで頑張らねばなりません。あなた方はこの道をみずから選択なさったのです。ですから他に選択の余地はないことになります。
叡智というものは受け入れる用意ができた時にのみ与えられるものです。それが摂理なのです。私は使命を要請され、それを受諾しました。本日皆さんがこの私を招待してくださったということは、高級界のマウスピースとして、その叡智を取り次ぐという仕事において幾らかでも成功していることを意味していると受け取らせていただきます。
肉体的血縁関係が終わっても、永遠に消えることのない霊的親族関係というものが存在します。それは永遠に続きます。結びつける絆は物質ではなく霊です。物質は儚い存在ですが、霊は永遠です」
≪われわれはここで改めて気を引き締めて仕事に邁進し、一人でも多くの人を神の照明のもとに導いてあげないといけません。われわれのもとを訪れる魂が永遠の絆である霊によるつながりを強化するのを手助けして、無限の恩恵の可能性を秘めたその霊力の働きかけを受け止められるようにしてあげないといけません。われわれ全員がたずさわっている仕事の一環です。生命の原理、霊的真理の基本を忘れないようにしましょう。それさえ確保しておれば、存在の目的を成就していることになるからです≫
第12章 自殺について二つの投書
大きな悩みを抱えて自殺まで考えている男性から投書があり、シルバーバーチ霊は自殺行為をどう観ているかを聞いてみてほしいとあった。投書が読み上げられるのを聞いてシルバーバーチはこう語った。
「事態を改善するよりも悪化させるようなことは、いかなる魂に対してもお勧めするわけにはまいりません。自殺行為によって地上生活に終止符を打つようなことは絶対にすべきではありません。もしそのようなことをしたら、それ相当の代償を支払わねばならなくなります。それが自然の摂理なのです。地上の誰一人として、何かの手違いのためにその人が克服できないほどの障害に遭遇するようなことは絶対にありません。
むしろ私は、その障害物はその人の性格と霊の発達と成長にとって必要だからこそ与えられているのですと申し上げたいのです。苦しいからといって地上生活にさよならをしても、その苦しみが消えるわけではありません。それは有り得ないことです。またそれは摂理に反することです。地上であろうと霊界であろうと、神の公正から逃れることはできません。なぜならば、公正は絶対不変であり、その裁定はそれぞれの魂の成長度に合わせて行われるからです」
──(司会者)この方は現在の自分の置かれている状態が不当だとおっしゃりたいようです。
「分っております。地上の人間は時として物事を逆さまに見ていることがあります。きわめて不完全な知識でもって判断しようとされます。人間にも一定範囲の自由意志が許されており、それを行使していらっしゃいますが、誰一人として自然の摂理から逃れられる人はいません。
物質の世界から霊の世界へ移ったからといって、それだけで魂に課せられた責任から逃れられるものではありません。それだけは明確に断言できます。無限の知識にくらべると、われわれは何と知らなすぎることでしょう。が、そのわずかな知識しかもたない者でも、今までより少しでも多く知ったら、その知識を有効に活用しなければなりません」
──自殺者は死後どのような状態に置かれるのでしょうか。
「それは一概には申し上げられません。それまで送ってきた地上人生によって異なるからです。開発された霊的資質によって違ってきます。魂の発達程度によって違ってきます。そして何よりも、その自殺の動機によって違ってきます。
キリスト教では自殺をすべて一つのカテゴリーに入れて罪であるとしておりますが、そういうものではありません。地上生活を自分で勝手に終わらせる権利は誰にもありませんが、自殺に至る事情には酌量すべき要素や環境条件がいろいろとあるものです」
──いずれにせよ自殺行為が為にならないことだけは間違いないでしょう。
「むろんです。絶対に為になりません。地上生活を勝手に終わらせることが魂にプラスになったということは絶対にありません。が、だからといって、自殺した者がみんな暗黒界の暗闇の中に永遠に閉じ込められるわけではないと申し上げているのです」
***
別の日の交霊会では、親戚の者が自殺をしてしまったという人からの投書が読み上げられた。その最後に「自殺行為は霊的進歩の妨げになるのでしょうか」という質問があった。これに対してシルバーバーチが
「もちろんです」と答えると、
──神は耐え切れないほどの苦しみは与えないとおっしゃったことがありますが、自殺に追いやられる人は、やはり耐え切れない苦しみを受けるからではないでしょうか。
「それは違います。説明の順序として、これには例外があることから申し上げましょう。いわゆる精神異常者、あるいは霊に憑依されている場合もあります。が、この問題は今はわきへ置いておきましょう。いずれにせよ、このケースはごく少数です。
大多数は私に言わせれば臆病者の逃避行為であると言ってよいと思います。果たすべき義務に真正面から取り組むことができず、いま自分が考えていること、つまり死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れるいちばんラクな方法だと考えるわけです。
ところが、死んだつもりなのに相変わらず自分がいる。そして逃れたはずの責任と義務の観念が相変わらず自分につきまとう。その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断します。その状態から抜け出られないまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。
しかし、私がいつも言っているように、いちばん大切なのは動機です。何が動機で自殺したのかということです。ままならぬ事情から逃れるための自殺は、今述べた通り、そう思惑どおりには行きません。が、一方、時たまあるケースとして、動機が利己主義でなく利他主義に発している時、つまり自分がいなくなることが人のためになるという考えに発している時は、たとえそれが思い過しであったとしても、さきの憶病心から出た自殺とはまったく違ってきます。
いずれにせよ、あなたの魂はあなた自身の行為によって処罰を受けます。みんな自分の手で自分の人生を書き綴っているのです。いったん書き記したものは二度と書き変えるわけにはいきません。ごまかしはきかないのです。自分で自分を処罰するのです。その法則は絶対であり不変です。
だからこそ私は、あくまで自分に忠実でありなさいと言うのです。いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になれば必ず光が見えてきます。魂の奥に潜む勇気が湧き出てきます。責任を全うしようとしたことが評価されて、その分だけ霊界からの援助のチャンスも増えます。背負い切れないほどの荷はけっして負わされません。なぜなら、その荷はみずからの悪業がこしらえたものだからです。けっして神が〝この人間にはこれだけのものを負わせてやろう〟と考えてあてがうような、そんないい加減なものではありません。
宇宙の絶対的な法則の働きによって、その人間がその時までに犯した法則違反に応じて、きっちりとその重さと同じ重さの荷を背負うことになるのです。となれば、それだけの荷をこしらえることが出来たのだから、それを取り除くことも出来るのが道理のはずです。つまり悪いこと、あるいは間違ったことをした時のエネルギーを正しく使えば、それを元通りにすることが出来るはずです」
──因果律の働きですね。
「そうです。それが全てです」
──たとえば脳神経に異常をきたしてノイローゼのような形で自殺したとします。霊界へ行けば脳がありませんから正常に戻ります。この場合は罪がないと考えてよろしいでしょうか。
「話をそういう風にもって来られると、私も答え方によほど慎重にならざるを得ません。答え方次第では私がまるで自殺した人に同情しているかのような、あるいは、これからそういう手段に出る可能性のある人に口実を与えていることになりかねないからです。
もちろん私にはそんなつもりは毛頭ありません。今のご質問でも、確かに結果的にみればノイローゼ気味になって自殺するケースはありますが、そういう事態に至るまでの経過を正直に反省してみると、やはりそのスタートの時点において私がさきほどから言っている〝責任からの逃避〟の心理が働いていたのです。もしもその人が何かにつまずいた時点で〝自分は間違っていた。やり直そう。そのためにどんな責めを受けても最後まで責任を全うしよう〟と覚悟を決めていたら、不幸をつぼみのうちに摘み取ることが出来ていたはずです。
ところが人間というのは、窮地に陥るとつい姑息な手段に出ようとするものです。それが事態を大きくしてしまうのです。そこで神経的に参ってしまって正常な判断力が失われていきます。ついにはノイローゼ気味となり、自分で自分が分からなくなります。問題はスタートの時点の心構えにあったのです」
──いわゆる〝偶発事故(アクシデント)〟による死はあるのでしょうか。
「ひじょうに難しい問題です。というのはアクシデントという言葉の解釈次第でイエスともノーともなるからです。動機も目的もない、何かわけの分からない盲目的な力でたまたまそうなったという意味であれば、そういうものは存在しません。宇宙間の万物は寸分の狂いもなく作用する原因と結果の法則によって支配されているからです。
ただ、その法則の範囲内での自由意志というものが許されております。が、その自由意志にもまた法則があります。わがまま勝手が許されるという意味ではありません。したがって偶発事故の起きる余地はありません。偶発のように見える事故にもそれなりの原因があるのです。ぜひ知っていただきたいのは、法則の中にも法則があり、その裏側にも法則があり、それぞれの次元での作用が入り組んでいるということです。平面的な単純な法則ではないのです。
よく人間は自由意志で働いているのか、それとも宿命によって操られているのかという質問を受けますが、どちらもイエスなのです。問題は解釈の仕方にあります」
──病気は教訓として与えられるのだとか人間性を築くためだとか言う人がおりますが、本当でしょうか。
「言っていること自体は正しいのですが〝与えられる〟という言い方は適切ではありません。私たちと同じくあなた方も法則の中で生きております。そして病気というのはその法則との調和が乱れた結果として生じるのです。言ってみれば霊として未熟であることの代償として支払わされるのです。しかしその支払いとはまた別の〝補償〟の法則もあります。物事には得があれば損があり、損があれば必ず得があるのです。物質的な観念からすれば得と思えることも、霊的な観点からすれば大きな損失であることがあります。すべては進化を促すための神の配慮なのです。
教訓を学ぶ道はいろいろありますが、最高の教訓の中には痛みと苦しみと困難の中でしか得られないものがあります。それが病気という形で表れることもあるわけです。人生は光と陰のくり返しです。片方だけの単調なものではありません。喜びと悲しみ、健康と病気、晴天と嵐、調和と混乱、こうした対照的な体験の中でこそ進歩が得られるのです。
ということは双方に神の意志が宿っているということです。良いことにだけ神が宿っていると思ってはいけません。辛いこと、悲しいこと、苦しいことにも神が宿っていることを知ってください」
──死体は火葬にした方がいいでしょうか。
「ぜったい火葬がよろしい。理由にはいろいろありますが、根本的には、肉体への執着を消す上で効果があります。霊の道具としての役割を終えた以上、その用のなくなった肉体のまわりに在世中の所有物や装飾品を並べてみたところで何になりましょう。本人を慰めるどころか、逆に、いたずらに悲しみや寂しさを誘うだだけです。
人間は、生命の灯の消えたただの物質となった死体に対してあまりに執着しすぎます。用事は終わったのです。そしてその肉体を使用していた霊は次のより自由な世界へと行ってしまったのです。
死体を火葬にすることは、道具としてよく働いてくれたことへの最後の儀礼として、清めの炎という意味からも非常に結構なことです。同時に又、心霊知識も持たずに霊界へ来た者が地上の肉親縁者の想いに引かれて、いつまでも墓地をうろつきまわるのを止めさせる上でも効果があります。
衛生上から言っても火葬の方がいいと言えますが(*)、この種の問題は私が扱う必要はないでしょう。それよりもぜひ知っていただきたいことは、火葬まで最低三日間は置いてほしいということです。というのは未熟な霊は肉体から完全に離脱するのにそれくらい掛かることがあるからです。離脱しきっていないうちに火葬にするとエーテル体にショックを与えかねません」
*──『霊訓』の続編である『インペレーターの霊訓』に次のような箇所がある。
≪二つの埋葬地の中間に位置する家に滞在していたことを咎められたモーゼスが「なぜいけないのですか」と尋ねたのに対し、レクターと名のる霊が答えた。
「最近のあなたは墓地に漂う臭気に一段と影響されやすくなっております。その近辺で長時間寝たり呼吸したりしてはいけません。そこに発生するガスや臭気は鈍感な人なら大して害はないが、あなたほどに発達してくると有害です」
──でもすぐそばではありません。
「二つの墓地の中間に位置しています。あたりの空気にはあなたの身体に有害なものが充満しています。
肉体が腐敗する際に強烈な臭気を発散する。それが生者の呼吸する空気に侵入し、それに惹かれて自縛霊がうろつきます。どこからどう見ても感心しないものですが、霊的感受性が敏感な人間にとっては尚のこと有害です」
──墓地を嫌っておられるようですが、埋葬するより火葬の方がよいというお考えですか。
「朽ち果てていく肉体を生きた人間の生活の場のどまん中に埋めることほど愚かなことはありません。呼吸する空気が汚染されてしまいます。もうすこし進歩すれば生きた人間に害になるようなことはやめるでしょう」≫
第13章 おしまいに
「私は、こうした形で私にできる仕事の限界をもとより承知しておりますが、同時に自分の力強さと豊富さに自信をもっております。自分が偉いと思っているというのではありません。私自身はいつも謙虚な気持ちです。本当の意味で謙虚なのです。というのは、私自身はただの道具に過ぎない・・・
私をこの地上に派遣した神界のスピリット、すべてのエネルギーとインスピレーションを授けてくれる高級霊の道具にすぎないからです。が、私はその援助のすべてを得て思う存分に仕事をさせてもらえる。その意味で私は自信に満ちているのと言っているのです。
私一人ではまったく取るに足らぬ存在です。が、そのつまらぬ存在もこうして霊団をバックにすると自信をもって語ることができます。霊団が指図することを安心して語っていればよいのです。威力と威厳にあふれたスピリット集団なのです。進化の道程をはるかに高く昇った光り輝く存在です。人間全体の進化の指導に当たっている、真の意味での霊格の高いスピリットなのです。
私自身はまだまだ未熟で、けっして地上の平凡人からも遠くかけ離れた存在ではありません。私にはあなた方の悩みがよく分ります。私はこの仕事を通じて地上生活を永いあいだ味わってまいりました。
あなた方(レギラーメンバー)お一人お一人と深くつながった生活を送り、抱えておられる悩みや苦しみに深く関わってきました。が、振り返ってみれば、何一つ克服できなかったものがないことも分かります。
霊力というものは必要な条件さえ整えば地上に奇跡と思えるようなことを起こしてみせるものです。私たちは地上の存在ではありません。霊の世界の住民です。地上の仕事をするにはあなた方にその手段を提供していただかねばなりません。
あなた方は私たちの手であり、私たちのからだです。あなた方が道具を提供する・・・そして私たちが仕事をする、ということです。
私には出しゃばったことは許されません。ここまではしゃべってよいが、ここから先はしゃべってはいけないといったことや、それは今は言ってはいけないとか、今こそ語れといった指示を受けます。私たちの仕事にはきちんとしたパターンがあり、そのパターンを崩してはいけないことになっているのです。
いけないという意味は、そのパターンで行こうという約束ができているということです。私より勝れた叡智を具えたスピリットによって定められた一定のワクがあり、それを勝手に越えてはならないのです。
そのスピリットたちが地上経綸の全責任をあずかっているのです。そのスピリットの集団をあなた方がどう呼ぼうとかまいません。とにかく地上経綸の仕事において最終的な責任を負っている神庁の存在です。私は時おり開かれる会議でその神庁の方々とお会いできることを無上の光栄に思っております。
その会議で私がこれまでの成果を報告します。するとその方たちから、ここまではうまく行っているが、この点がいけない。だから次はこうしなさい、といった指図を受けるのです。
実はその神庁の上には別の神庁が存在し、さらにその上にも別の神庁が存在し、それらが連綿として無限の奥までつながっているのです。神界というのはあなた方人間が想像するよりはるかに広く深く組織された世界です。が、地上の仕事を実行するとなると、われわれのようなこうした小さな組織が必要となるのです。
私たちはひたすら人類の向上の手助けをしてあげたいと願っております。私たちも含めて、これまでの人類が犯してきた過ちを二度と繰り返さないために、正しい霊的真理をお教えする目的でやってまいりました。
そこから正しい叡智を学び取り、内部に秘めた神性を開発するための一助としてほしい。そうすれば地上生活がより自由でより豊かになり、同時に私たちの世界も地上から送られてくる無知で何の備えもできていない、厄介な未熟霊に悩まされることもなくなる・・・そう思って努力してまいりました。
私はいつも言うのです。私たちの仕事に協力してくれる人は理性と判断力と自由意志とを放棄しないでいただきたいと。私たちの仕事は協調を主眼としているのです。決して独裁者的な態度は取りたくありません。人間をロボットのようには扱いたくないのです。
死の淵を隔てていても友愛の精神で結ばれたいのです。その友愛精神のもとに霊的知識の普及に協力し合い、何も知らずに迷い続ける人々の心とからだと魂に自由をもたらしてあげたいと願っているのです。
語りかける霊がいかなる高級霊であっても、いかに偉大な霊であっても、その語る内容に反撥を感じ理性が納得しない時は、かまわず拒絶なさるがよろしい。人間には自由意志が与えられており、自分の責任において自由な選択が許されています。
私たちがあなた方に代わって生きてあげるわけにはまいりません。援助はいたしましょう。指導もいたしましょう。心の支えにもなってあげましょう。が、あなた方が為すべきことまで私たちが肩がわりしてあげるわけにはいかないのです。
スピリットの中にはみずからの意志で地上救済の仕事を買って出る者がいます。またそうした仕事に携われる段階まで霊格が発達した者が神庁から申しつけられることもあります。私がその一人でした。私はみずから買って出た口ではないのです。しかし、依頼された時は快く引き受けました。
引き受けた当初、地上の状態はまさにお先真っ暗という感じでした。困難が山積しておりました。が、それも今では大部分が取り除かれました。まだまだ困難は残っておりますが、取り除かれたものに較べれば物の数ではありません。
私たちの願いは、あなた方に生き甲斐ある人生を送ってもらいたい。持てる知能と技能と才能とを存分に発揮させてあげたい。そうすることが地上に生をうけた真の目的を成就することにつながり、死とともに始まる次の段階の生活に備えることにもなる・・・そう願っているのです。
私は理性を物事の判断基準として最優先させています。私を永いあいだご存知の方なら、私が常に理性を最高の権威ある裁定者としてきていると申し上げても、これまでの私の言説と少しも矛盾しないことを認めてくださると信じます。
こちらでは霊性がすべてを決します。霊的自我こそすべてを律する実在なのです。そこでは仮面も見せかけも逃げ口上もごまかしも利きません。すべてが知れてしまうのです。私に対する感謝は無用です。感謝は神に捧げるべきものです。私どもはその神の僕にすぎません。神の仕事を推進しているだけです。
喜びと楽しみをもってこの仕事に携わってまいりました。もしも私の語ったことがあなた方の何かの力となったとすれば、それは私が神の摂理を語っているからにほかなりません。
あなた方は、ついぞ、私の姿をご覧になりませんでした。この霊媒の口を使って語る声でしか私をご存知ないわけです。が、信じてください。私も物事を感じ、知り、そして愛することのできる能力を具えた、実在の人間です。こちらの世界こそ実在の世界であり、地上は実在の世界ではないのです。そのことは地上という惑星を離れるまでは理解できないことかも知れません。
では最後に皆さんと共に、こうして死の淵を隔てた二つの世界の者が幾多の障害を乗り越えて、霊と霊、心と心で一体に結ばれる機会を得たことに対し、神に感謝の祈りを捧げましょう。
神よ、かたじけなくもあなたは私たちに御力の証を授け給い、私たちが睦み合い求め合って魂に宿れる御力を発揮することを得さしめ給いました。あなたを求めて数知れぬ御子らが無数の曲りくねった道をさ迷っております。
幸いにも御心を知り得た私どもは、切望する御子らにそれを知らしめんと努力しいたしております。願わくはその志を良しとされ、限りなき御手の存在を知らしめ給い、温かき御胸こそ魂の憩の場なることを知らしめ給わんことを。では神の御恵みの多からんことを」
解説〝霊がすぐ側にいる〟と言うことの意味─訳者
本書はPhilosophy of Silver Birch by Stella Stormの全訳である。全訳といっても、動物愛護運動家のデニス夫妻を招待した時の交霊の様子は前巻の(八巻)に引用したし、宗教教育に関する章は(#2巻)の九章に出ているので当然カットした。その替わりとしてシルビア・バーバネルのMore Wisdom of Silver Birch(七巻)からカットしておいた「イエス・キリストについての質問に答える」と「自殺に関する二つの投書」を引用した。
なお巻末にシルバーバーチの名言が断片的に集めてあるが、これは最終巻の総集編に入れたいと考えている。
編者のステラ・ストーム女史については「まえがき」の中で自己紹介してくれていること以外のことは分からない。
さて、本書を訳していて目についたことは,シルバーバーチの文句に〝すぐ側にいます〟とか〝いつもいっしょです〟といった表現が多いことである。シルバーバーチ自身のことを言っている場合もあるし、他界した肉親・知人のことを言っている場合もある。
これを文字どおりに受け取って距離的にすぐ側にいると解釈してよい場合もあろうが、霊的に言えば、たとえ霊的身体はその場に存在しなくても、時間・空間の法則が地上の物理法則と異なる次元においては、いっしょにいるのと同じ関係を維持することができる。
が、よく考えてみると、物理法則の支配を受ける肉体に霊が宿っているのが地上の人間であるから、その肉体を超越さえすれば、この地上における人間どうしの関係においても同じことがいえることになる。
ただ、現段階の人類は霊性の発達が十分ではなく五感でしか存在感が得られないために、目に見え肌で触れないことには実在している気がしないというにすぎない。たとえば学校へ行っている子供と家庭にいる母親とは霊的には〝いっしょにいる〟のであり、〝すぐ側にいる〟と言ってもよいのである。
そのことは心霊現象を見ればよく分かる。いちばん良い例がリモートコントロール式の霊言および自動書記現象である。最近出たばかりの『インペレーターの霊訓』(モーゼスの『霊訓』の続編)の〝まえがき〟の中で私は霊界と地上との交信の原理の概略を解説しておいたが、その中に直接書記というのがある。
これは霊媒は手に何も筆記用具を持たずにただ入神しているだけで、その筆記用具がひとりでに動いてメッセージを綴るという現象である。その原理を背後霊団がモーゼスに見せるために幽体離脱(体外遊離)の状態にさせて実際に霊が筆記を行っている場面を披露するところがある。その場面を抜粋すると・・・
≪気がつくと自分の身体のそばに立っていた。例のノートを前にしてペンを右手に持って座っている。私はその様子とあたりの様子とを興味ぶかく観察した。自分自身のからだが目の前にあり、そのからだと自分とが細い光の紐によってつながっている。部屋中の物的なものがことごとく実体のない影のように見え、霊的なものが固くて実体があるように見えた。
その私の身体のすぐうしろにレクターが立っていた。片手を私の頭部にかざし、もう一方をペンを握っている右手にかざしている。さらにインペレーターと、これまで永いあいだ私に影響を及ぼしてきた霊が数人いた。そのほかに私に見覚えのない霊が出入りして、その現象を興味ぶかそうに見守っていた。
天井を突き抜けて柔らかい心地よい光が注がれており、時おり青味を帯びた光線が幾本か私の身体に向けて照射されていた。そのたびに私の身体はぎくりとし、震えを見せた。生命力が補給されていたのであろう。
さらに気がつくと戸外の光も薄れて窓が暗く感じられた。したがって部屋の中が明るく見えるのは霊的な光線のせいだった。私に語りかける霊の声が鮮明に聞こえる。人間の声を聞くのと非常によく似ているが、そのひびきは人間の声より優美で、遠くから聞こえてくるような感じがした。
インペレーターによると、これは実際のシーンで、私に霊の働きを見せるために用意したとのことだった。レクターが書いているのだが、私の想像とは違って、私の手を操っているのではなく、また私の精神に働きかけているのでもなく、青い光線のようなものを直接ペンに当てているのだった。つまりその光線を通じて通信霊の意志が伝わり、それがペンに綴らせているのだった。
私の手が道具にすぎず、それも必ずしも無くてはならぬものでもないことを示すために、光線がそのペンを私の手から離し、用紙の上に立たせ、さらに驚いたことに、それが用紙の上を動きはじめ、最初に掲げた文章(省略)を綴ったのである≫
上の場合は距離的にはすぐ近くであるが、〝青い光線のようなもの〟はいくらでも延ばすことができる。それなりに余分のエネルギーが要るのであるが、同じ方法が霊言現象にも応用することができる。同じ『インペレーターの霊訓』の第一部〝霊言による霊訓〟の中に次のような箇所がある。
≪地上へ降りてくる高級霊は一種の影響力のようなものであり、言わば放射性エネルギーです。あなた方が人間的存在として想像するものとは異なり、高級界からの放射物のようなものです。高等な霊信の内容の非個人性に注目していただきたい。
この霊媒(モーゼス)との関わりをもった当初、彼はしつこく我々の身元の証明を求めました。が、実は我々を通してさまざまな影響力が届けられております。
死後、首尾よく二段階三段階と昇った霊はあなた方のいう個体性を失い、形体なき影響力となって行きます。私は地上界へ戻れるぎりぎりの境涯までたどり着いています。が、距離には関係なく影響力を行使することができます。私は今、あなた方からはるか彼方にいます≫
霊的なことはすべてバイブレーションの原理によるのであるから、波長さえ合えば、ちょうど国際電話でもすぐお隣りと話をしているみたいに聞こえるように、すぐ身のまわりにいるのと同じ親近感が味わえるし、波長が合わなければ、すぐ近く、否、全く同じ位置にいても、全く反応し合わないことにもなる。すべてを解くカギはバイブレーションの原理にある。
それを劇的に演出してみせた例がスカルソープの『私の霊界紀行』に出ている。
≪初期の頃のことであるが、離脱してひとまず事務所のようなところへ案内され、そこで指導霊だけが中へ入って指示を受けるあいだ私だけ外で待たされるということがたびたびなので、私もいい加減その場所と波長にうんざりしはじめていた。
そんな時にまた同じ場所へ連れて行かれたので、つい心の中で〝ちぇっ、またここか“とつぶやいた。すると一瞬のうちに場面が一変し、退屈な風景から明るく楽しい田園風景の中に立っていた。その変わりようは驚異的だった。指導霊の私への支配力が増し、私の波長がその楽しい場所の波長に高められたのであるが、私の身体は少しも動いていなかった≫
この原理を発展させていけばキリがないが、一つだけ誤解を解いておきたいことがあるので、最後にそれを指摘して参考に供したい。
それは霊視能力が出はじめたばかりの人が陥りやすい錯覚の一つで、進歩性のない人はいつまでもその錯覚に陥ったままであるが、たとえば病気とか悩みごとの原因を探る場合に、霊視した映像をいきなり犯人と決めつけて、すぐにそれを払い除けようとする。この場合、かりにその霊が俗にいう因縁霊であるとしても、その霊は必ずしも身体の側にいたり直接憑依しているとはかぎらない。先の直接書記のように遠くからバイブレーションによって作用しているにすぎないことがある。
この場合に用心しなければならないのは、したたかな邪霊になると遠くから映像を送って審神者をからかうことがあること、また、わざと立派そうな姿を見せて安心させることすらあることである。
その反対に、何の姿も見えないから霊障はないと判断するのも浅薄である。陰に隠れてひっそりとしていることがある。世間の常識と違って、審神者にとって霊視能力はあまり頼りにならないものなのである。
では何を判断の基準とすべきか。霊を裁く上での最大の武器は、その霊能者の霊格の高さから生まれる看破力、霊的直感力である。
私は師の間部詮敦氏が審神者をされるところをずいぶん見ているが、その中でとくに印象に残っているのが一つある。陰に隠れていた霊がついに引っぱり出されて霊媒に憑依させられた時(これを招霊実験と呼ぶ)、その霊がふてぶてしい態度で開口一番、間部氏に向かってこう言い放った。
「お前は大したヤツじゃ。オレの負けだ!大ていのヤツには負けんが、お前の力には負けた。大したヤツじゃ!」
直感的には間部氏の背後霊がひっぱり出したのであるが、それも間部氏の霊格と霊力とが大いに物を言っている。心霊学に裏打ちされた学識と体験と同時に、高潔な日常生活における修養があればこそ出来ることである。
最後にシルバーバーチの霊言からそれに関連した一問一答を紹介しておく。
霊能者がタバコを吸いすぎたりアルコールを飲みすぎたり、そのほか生活面で真理に忠実でなく品行に問題がある場合は、それが霊能にも悪い影響を及ぼすでしょうか。
「もちろんです。いかなる霊媒能力、特に精神的霊能について言えることは、その霊能者の質が高ければ高いほど通信の内容も質が高いということです。身体と精神の質を落とすようなことは霊にとっても同じ影響が及びます。
忘れてならないのは、身体と精神と霊とは一体関係にあることです。緊密な相互関係があり、絶えずエネルギーや感情が行き交っております。霊の世界と物質の世界は実は一つの実在の二つの側面なのであり、お互いに影響し合っております。両者は融合し合っていて、はっきりとした境界線というものはないのです。
そのことを理解なされば、物的身体に悪いものは霊的身体にも悪く、精神に良くないものは霊にとっても良くなく、したがって霊の宮(カラダ)を汚すようなことは必ずその持ち主を通過して届けられる通信の質を汚すことになることがお分かりになると思います。
理想を言えば完全であるに越したことはありません。そうすれば完全な通信が得られることでしょう。が、所詮、私たちが扱っているのは物質の世界に住む人間味たっぷりの道具です。アルコールもタバコもほどほどにたしなむのであれば大した害にはなりません。ただし、霊能者は常に理想を目指していなければなりません」