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なんばりょうすけの
おぼえがき日記 (5)


1999
[9-7] 欝

恐れていたことが遂に来てしまったという感じですが、欝で仕事が手につかなくなりました。もう二週間以上無断欠勤を繰り返しています。院生時代に論文を落とした時に似た感じで、頭の中は次に何をしたらいいか分っているのに手が動かないというものでしたが、それがさらに進んで仕事のことを考えるのもイヤな状態になってしまいました。

仕事が山場を向かえたところでこんなことになって、わざわざスケジュールも調整してもらったのにも関わらずそれでもダメ。鶴見本とか読んでる割には病院嫌いでクスリ嫌いな私ですが、さすがにこれには参ってしまい、生まれて初めて精神科に行って来ました。

20分程面接して、欝状態と診断され、抗欝剤と抗不安剤を処方されました。抗欝剤はデプロメールという SSRI [1]で、最近認可されて比較的よく使われる薬のようです。SSRI ということでプロザックみたいな素敵なクスリかと思いきや、副作用がキツくてまいりました。

デプロメールは一日一回 50mg の処方でしたが、初日は胃がムカムカして食事を半分ほど残してしまいました。頭もクラクラするし、最悪。二日目以降も食欲はあっても食べると気分が悪いし、胸のあたりが熱くてじっとしていると自然に息が荒くなってしまいます。肺を冷却しようという意識が働くのでしょうか、何かに集中している時 (うちわをあおぐとか)は呼吸に支障はないみたいです。デプロメールの場合、最初のうちは悪心や食欲不振は仕方がないとの話なのですが、ごはんが不味いのは辛いので昨日今日と服用を止めてやっとおいしいごはんが食べられました。

肝心の効果の方ですが、焦燥感とか気分の落ち込みは軽減しましたが、仕事の意欲が湧いてくるまでには至りませんでした。欝状態の時は無理やり寝てしまうかマンガを読むかゲーム をするかして意識を別の所に逃しておかないとどんどん暗くなってしまうのですが、クスリを飲んでからは暗くなるのは抑えられているようです(これは抗不安剤の方の効果か?)。

一昨日から彼女が来て面倒を見てくれていますが、彼女も鬱病持ちなので時折どっちが看病してるのかわからない場面も。。。それでも病気に理解がある人にそばにいてもらうと安心です。

クスリを抜いたせいか、また仕事のことや将来のことが不安になってきました。社会人失格ですね。考えてみれば先月あたりから徴候はあったわけで、夏バテだなどと誤魔化さずに早めに精神科に行けば良かったと反省しています。って、今さら反省してももう遅いのですが。

仕事もできないくらいなので更新やメールの返事が滞っていますが、気長に待っててください。すみません。



[1] SSRI'S HOME PAGE 等を参照。

[8-2] 辛さんしっかりして!

さがしものをしていたら 辛淑玉さんの個人ページ を発見。基本的にはシンプルでよい作りだと思いますが、なぜにMacromedia Flash Playerを要求しますか?

Linux 用の Flash プラグインのベータ版がでてるので、インストールしてみましたが、いまいち不安定で、しばしば Netscape ごと落ちます。 Netscape が落ちるのは別に辛さんのせいじゃないですが、彼女の立場を考えると、オフィシャルサイトがマイノリティにやさしくないというのはいかがなものかと。

ところで、辛さんのページにこんな発言がありました。

いま、コンピューターの世界は日進月歩、時々刻々と変化している。十年後はおろか、五年後には、いまの主力機種やソフトウエアは世の中からほとんど消えているはずだ。おそらく、今の中学生が社会に出るころには、音声入力が普通になり、キーボード操作などできなくても、電話のようにだれでも簡単にコンピューターを使いこなせるようになっているだろう。コンピューターそのものを教えるのはムダだ。[1]

これはちょっと甘いんじゃない? 見通しが、とかいうことではなくて、 本質的に[2]

まず音声入力ですが、技術的にはここ一二年くらいで成熟するのは確実でしょう。でも、コンピューターを使いこなすっていうのは単に操作するってことじゃないのでは? 音声入力、というよりは、話すという行為でこみいった文章を書けますか? モノカキが書くことと話すことの違いに鈍感というのはちょっと困る。

あと、人がコンピュータで遂行する課題の中には「電話をかける」という課題に比べて本質的に複雑なものがいっぱいあります。文書作成だってそうだし、帳票入力だってそうでしょう。

そしてコンピュータにはそういう課題を効率的にこなすための仕組みにマッチした操作の文法とでもいうべきものがあります。コンピュータの操作は単なる現実世界の模倣ではない のです。コンピュータの操作体系はいわゆる(現実世界のシミュレーションとしての)仮想現実では置き換えられません。アイコンをダブルクリックしたり、隠れているウィンドウをクリックして前にもってきたり[3]、スクロールバーをドラッグして画面をスクロールしたり、という行為はもはや自動車の運転と同じくらいには現実的な行為です。

個々のアプリケーションソフトウェアの機能を延々と説明するような授業なんていらない(そんなのマニュアル読めばわかる!)とは思いますが、十分一般的になった操作体系(GUI やコマンドラインインターフェース) や、基本概念(ファイルシステム、デバイス、記憶領域)のような「コンピューターそのもの」を教えることは今後何十年にわたって必須科目であり続けるでしょう。

で、辛さんが、コンピュータ教育よりも必要なものとしてあげているのは、「家の借り方」「ゴミの出し方」「帳簿・家計簿のつけかた」「ローン・クレジット」「銀行とのつきあい方」「税金のしくみ・確定申告の仕方」「医者や病気のつきあい方」「避妊と相手をいたわるセックスの仕方」「法律」「契約書の見方、作り方」「弁護士・警察の活用の仕方」「公共機関やサービスの利用の仕方」「生命保険のしくみ」「宗教について」だそうです。なかなかよろしい。でもこういう話も五年後には様変りしてますよね?

要は知識や技術でなくて、社会の約束ごとやコミュニケーションの作法を教育せよ、ということなんだろうけど、それは読み書きが出来てから先の話。そしてコンピュータの基本的なスキルが読み書きのスキルと同じくらいのレベルで要求されるようになるのはそう遠い将来の話ではないでしょう。

っていうか、ネットで検索できるくらいのスキルがあれば、辛さんが教育せよ、って言ってることの大半は家にいながらにして自分で調べられるじゃないですか!



[1] 【過去の発言】の「研究者育成だけが教育ではない」
[2] 見通しのほうもあまりよろしくない。五年後には、と言うけれど、我々が使っているコンピュータは質的には五年前からそんなに変っていないという事実がある。また、新しい技術が開発されても、既存の技術を置き換える形で普及するとは限らない。HTML 形式の E-Mail がそうだし、Flash もそうだ :-P
[3] ウィンドウのこの振る舞いは物理法則を超越している。ウィンドウを単に物理的な何かメタファとして捉えているなら、あまりに不自然で受け入れがたい振る舞いではないか?

[7-26] 承認のネットワーク

先日 『戦争論・妄想論』 を買いましたが、小林よしのりゴーマニズム宣言 戦争論』 を全く読んでない状態でしたので、先にそっちを読んでいます。なんか一コマ読む度に引っ掛るところが出てくるので凄く疲れます。引っ掛る部分をそのままにしておくとイライラしてくるので、Palm V [1]
PalmV(JavaOne仕様)
これが PalmV だ!
で気になった点をメモしながら読んでいるので、まだ 1/3 程度しか読めてません。次回日記でとりあえずの感想を書く予定です。

さて、 『サイゾー』 8 月号の 「今月のヒラ」 山田達司なる人物が登場しています。記事中では最後のほうにちょろっと書いてあるだけですが、実はこの人、Palm の神様と呼ばれるほどの Palm 使いで、この人抜きで日本の Palm 文化は語れません。私が Palm V で日本語のメモをとれるのも、 『人間失格』 ( 太宰治)を読める[2]のも山田さん作のフリーウェアのおかげです。

『サイゾー』 の記事では、人に使ってもらったり、喜んでもらったりするからサービス業は面白い、という話が出てきました。これは単なるプロ意識と言うよりも承認されるから仕事が楽しい、という話のように思われます。

一般企業のお仕事だと仕事に対する顧客の評価は結局のところ企業の利益なり従業員の飯のタネに還元されてしまうように見えがちですが、山田さんが業務外で関わっているフリーソフトの世界の場合、開発者コミュニティやユーザコミュニティに貢献した人達に対する称賛や、コミュニティの成果物の評判が通貨のような役目を果しているようです。

つまり、評判や名声を媒介とした承認のネットワークです。逆に企業社会に溢れているのは金銭と地位を媒介にした承認のネットワークです。どちらも個人の快楽を社会的なものに回収するための仕組みです [3]

承認不足で AC (Adult Children) になった人達にどんな処方箋がありうるか、という話が 『まったり BBS』 で話題になっていましたが、私のオススメは、フリーソフトのコミュニティや、同人誌のサークルみたいな、参入離脱が自由な共同体のメンバーになることです。もっとも、離脱が自由だからといって簡単に離脱できるとは限りません。承認を求める限り、承認する/しないということが、権力的に作用するのは避けられません。

その点今一生さんなどは、承認に頼らない自尊心の必要性を重視して家出や離島への脱出を奨めています。つまり、承認のネットワークから離脱し、承認の権力的な作用から自由になろう、ということのようです。

これは、個人の選択肢としては面白いのですが、この方向性をより大局的に適用しようとすると、宮台氏が 『権力の予期理論』 [B.1989a]で否定した「権力なき自由」という幻想を追求することになってしまいます。また、脱出した本人はそれで良くても、脱出された側からすれば、これは承認のネットワークに穴をあけられることに他ならないので、そうそう容認できません。

そんなわけで、私は今さん的な脱社会的な自立よりも、ルーズな共同体の承認ネットワークへの参入をプッシュします。家出のススメ ならぬオタクのススメですね。



[1] 米国でシェア No.1 の PDA(電子手帳みたいなもの) Palm シリーズのスリムバージョン。日本では SHARP のザウルスや、各社 Windows CE 機が売れているようですが、日本 IBM が Palm の OEM 製品で日本語 OS 標準搭載の WorkPad シリーズを発売するなどでこのところ日本でもブレイク中。
[2] 著作権フリーの文学作品などの電子化プロジェクト青空文庫 のデータを Palm でも読めます。Palm 用にパッケージ化したものは 『Muchy's Palmware Review!』 経由で入手できます。
[3] ちなみにヤクザ社会の「男の美学」を、痛みを媒介とした承認のネットワークとして、SM 的なグロテスクさで表現しているのが 『週刊ヤングサンデー』 連載の 『殺し屋 1 (イチ) 』 (山本英夫)でしょう。いわゆるヤンキー文化にもこの手のメカニズムがある?

[7-22] 茶髪ジェネレーション

NHK の 『スタジオパークからこんにちは』 を見てたら堀江罪子[1]、じゃなくて、 堀江美都子 さん(リンク先はオフィシャルページ)が出ていました。 茶髪でした。

堀江美都子と言えば 『キャンディキャンディ』 の主題歌など、数々のアニメソングを歌い続けるアニソン・クイーンとして超有名な方ですが、宮台真司より2つ年上 [2]のようです。芸能人だからというのもありますが、この世代ももう茶髪ですか!!

芸能人といってももっぱら子供相手の商売だし、 『走れ!ジョリィ』 とか NHK のアニメの歌も歌ってるし、茶髪とかマズそうな職業という気がするし、歳も歳だし。。。ちょっとびっくりしました。歳も歳と言っても、茶髪だとかなり若く見えますね。

なんかいまだに、教職員の茶髪を禁止している高校とかあるみたいですが、猛省せよって感じ。ちなみに私の勤めている会社は、30代の女性がかなりいらっしゃる様子ですが、茶髪率高いです。

それにしてもすごい歌声ですね。息子さんなんて、あの声で子守唄歌ってもらえるんですよ。すげー贅沢!



[1] 『覚悟のススメ』 山口貴由 ((秋田書店))のヒロイン(山口貴由は堀江美都子の大ファン)。言語感覚が凄いマンガです。
[2] 昭和32年生まれだそうです。番組中、父からの手紙で歳バレ

[7-18] うらやましい人

みなさーん、アンヘドニアってますか〜?

『まったりBBS』 鎌やん方面で話題になっていた 「リカちゃん先生の診察カルテ」 ですが、いかがでしょうか? 診断結果は。

なんか「あなたはアンヘドニア(失感情症)タイプ ですね。」 って言われる人が多いみたいですが、これは私や私の周りの人間が偏ってますか? あと、アンヘドニアのお勧めホームページに こんなの が出てくるのはいったいどういうことですか?

それはそうと、リカちゃん先生というのはもちろん精神科医の 香山リカ先生のことですが、ストレスページからリンクされている 『香山リカの WEB 診察室』 の第3回 「マニアの受難」 に出てくるムネカタさん、うらやましいよね。リカちゃん先生とメル友ですよ、メル友! 。あの香山リカ先生(39歳) と!


[7-12] 今週のユキポン

とかいいつつ、先週号のネタ。日曜大工で飛行機を作ることにしたユキポン、本屋で『ネコにも作れる飛行機』という本を買うのですが、本屋の本棚に『ミニマックス定理』とか『ナッシュ解』とかゲーム理論 (数学屋さんはむしろ「ゲーム理論」と言うそうです) の本が。。。

読みかけて放置していた 『はじめてのゲーム理論』 中山幹夫 ((有斐閣)) にもう一度チャレンジしようかとも思いましたが、忙しくてそこまで気持ちがついていきません。この本は入門書というよりは教科書ですし。

一般向けのゲーム理論の入門書では 『囚人のジレンマ フォン・ノイマンとゲームの理論 ウィリアム・パウンドストーン ((青土社 )) がお勧めです。っていうか、これしか読んだことないです。

こちらはタテ書きの本で、フォン・ノイマンを中心に、ゲーム理論に関係した科学者たちのエピソードや、ゲーム理論が生まれた時代背景の説明などを交えて、ゲーム理論を噛み砕いて説明する、というスタイルです。なにより読み物として面白いです。ちなみに私は、フォン・ノイマンがソ連に対する先制核攻撃を主張していたというのを、この本で初めて知りました。

それはともかく、サトイモ鳥の目覚し時計、かわいいのでうちにも一つ欲しいです。


[7-4] 命の値段

NHK スペシャル 『薬害エイズ 16 年目の真実』 を見ました。被害者側の川田龍平と、加害者側の郡司厚生省元課長がサシで話し合う、となればやはり注目してしまいます。

以前、吉野川の可動堰問題で、地元徳島では深夜に市民団体代表と、建設省の局長クラスを集めて朝生っぽく討論会をやっていたのですが、意外と官僚の側から本音の言葉がこぼれてきたりして、なかなか面白かったのです。なので、郡司元課長もうっかり本音をこぼしたりしないかなぁ、なんて期待(?)してしまいました。。。

が、ありゃあダメですね。まぁ、いきなり泣きが入る川田氏もちょっと反則っぽいのですが、郡司氏の情けない自己弁護を聞けばこっちまで泣きたくなるというものです。

「あの悲劇は医療の問題」「もっと構造的な問題」というのは、過剰な一般化というものでしょう。ましてや肝心なところでは二重三重に「記憶にない」の一点張りでは、その「問題」に対して彼がどう立ち向かったのか、なぜ解決できなかったのかが全くわからない。

一つだけ本音を漏らしたとすれば、川田氏に「資本主義」を説くところでしょうか。これも奥歯にもののはさまったような言い方しかしませんでしたが、その口調の力強さから考えれば、要するにこういうことでしょう。すなわち、命に値段をつけて、その期待値と、医薬業界の損失の期待値とを秤にかけたのだと。期待値の計算で想定した感染確率の見積りの甘さは当時の科学的限界だったのだと。

だったらそう言えばいいのに、さすがに怖くて言えなかったんでしょうか。でも私は問題の核心はやっぱり人の命の値段付けだと思います。そこを議論しないと、郡司氏にどれだけの責任を問うべきかがわかりません。タテマエ論で「人の命は地球より重い」なんて言ってしまえば、誰も責任なんてとれっこない、という話になってしまいます。


[6-18] レンタルお姉さん

宮台真司その人のインタビューや、宮台嫌いの 大平健×大月隆寛の対談、宮台ファンを「頭の悪そうな子」と言い放つ山形浩生( GNOME ユーザガイドの翻訳でも有名)の文章など、宮台関係者(?)にはみどころいっぱいの、別冊宝島 445 『自殺したい人びと』 ですが、みなさんはいかがでしたか?

いろんな人がいろんなことを書いていますが、基本的には自殺に対して否定的なスタンスの文章が多いです。簡単にまとめると、

という感じでしょうか。輝かしい自殺とでも言いたくなるようなタチの悪い幻想を打ち砕こうという狙いが感じられる一冊でした。そんな中で、与那原恵のルポ 「「レンタルお姉さん」に癒される、平成ひきこもり事情」 はもう少し前向きなスタンスの記事で、なかなか面白い記事でした。

「レンタルお姉さん」というのは不登校やひきこもり、過食症などの問題をかかえた子供をサポートするために家庭内に派遣される大人のことです(ちなみに女性とは限りません)。家庭教師のようでもあり、カウンセラーのようでもあるのですが、勉強を教えるわけでもなければ臨床心理学的なケアをするわけでもなく、ただおしゃべりしたり、散歩したり、というお仕事。

そんな「レンタルお姉さん」を派遣するというサービスがあるのです。そして、教育者でも治療者でもない端的に「他者」であるだけの人が家に来て、しかも、特別なことは何もしない、というサービスが、ビジネスとして成り立っているというのです。

利害を争ったり、役割を演じることを強制されがちな、学校や(核家族化した)家庭という場では人間関係が煮詰ってしまいがちなのに、子供の立場だと地域社会には学校と家庭しかありません。子供のストレスの根本にあるのがそういう状況だとしたら、そこ適度な距離感の人間関係を作り出す「他者」を人為的に導入して中和しよう、ということのようです。言わば、「第四空間」宅配サービスなわけです。

実際、近所のお姉さんとか、親戚の家のいとことか、そういう適度に離れているけど全くの赤の他人というわけでもないような距離感でつきあえる人は今時そうそう見つからないかもしれません。私も小学生の頃まではまだそういう人がいましたが、中学・高校時代にはいませんでした。今思うとその時期に精神的に煮詰っていたのもそのあたりが関係していたのかもしれません。


[6-5] サラリーマンの輝かない日常 (政治的に正しいLinux主義 (その 3))

過去この日記で 「政治的に正しいLinux主義」 を二回(去年の [6-27][6-7])やってきましたが、どうでしょう? このところの Linux ブームの凄いこと!! 一年以内にブレイクと言ってましたが、本当にそうなってしまいました。いや、正直言ってここまで急激にブームが加熱するとは思ってもいませんでした。

去年の末から大手メーカーのサポート表明が相次ぎ、今では業界を越えての大騒ぎ。新聞では一般紙にも Linux の記事が出るようになったし、雑誌でもなぜか 『週刊文春』 にインストール体験記が載ったり(案の定「わけわかんねーよー!」という内容とのこと)。Linux の原作者である Linus Torvalds 氏はもはや誰もが認める「英雄」 で、Bill Gates の首を取るのはいつだ? というぐらいの勢いです。

国内でも色んな動きがあって、4 月には宮台ファンにはお馴染みのロフトプラスワンで「東京Linuxサミット」というイベントがありました。普段ロフトには来ない背広着てる系の人も参加していたようです。ロフトが初めてな某国内大手ソフトハウスの Linux 担当者(営業系)は、そのあまりのあやしさに大喜び

産業界でも動きがありました。Linux で業界を盛り上げたいコンピューター関連業界の側からはLinux コンソーシアム(以下「コンソーシアム」)が、Linux ユーザーコミュニティや、以前から Linux の普及を支えてきた企業の側からは日本 Linux 協会(以下「協会」)が発足、一部で混乱もあったようですが、なんとか共生していきそうです。

宮台界(?)では 『終わりなき日常を楽しく過ごすページ』 のすぎむらさんが彼氏にそそのかされて Linux ユーザーになるという事件も。。。

こままでブームが加熱すると、注目を浴びる側となった Linux コミュニティにも警戒感が広がっているようです。このあたりは 『Linux Japan』 の連載 「Linux TODO - Linux を普及させるには -」 (生越昌己)でも触れられています。最新号では、モチベーションの維持というテーマでの議論があります。その結論部分の一部を以下に引用します。

...「金がすべて」ではない世界が存在しているのが Linux の楽しいところでもあるともいえる。このボランティアベースのものの「通貨」は「金」ではなく「モチベーション」なのである。

ところが、難しいのはこのボランティアのモチベーションの維持である。ここに挙げたように、金があればやるというような単純なものではないからである。最初は何はなくても「Linux である」ということだけで保てたモチベーションも、いろいろな事情で低下してしまうことは少なくない。だから周囲はいかにして持続させ続けるかを考えてやらなくてはならない。[1]

つまり、ここにきてボランティアベースで Linux に貢献してきた人達のモチベーションが低下していることが問題になっています。モチベーションの低下の原因は一言で言うと「汗を流したのは俺たち(ボランティア)なのに、奴ら(企業)のほうがオイシイ思いしてるじゃないか!」という話です。

これはこれで分るのですが、一サラリーマンプログラマとしては、ボランティアの人達、正確に言うとオープンソースコミュニティ[2] の人達に、忘れないで欲しいことがあります。つまり「あなたたちのほうがよっぽどオイシイ思いしてるんじゃないのか!?」ということです。

何がオイシイのか? 一言で言えば彼等は「輝いている」ということです。自分の責任で自分のやりたい仕事をして世界に自分の名前を残しているのです。もちろん本業との両立に苦労したり大変なのでしょうけど、この「輝き」は、単純にはお金では買えないくらい尊いものです。

一方ではサラリーマンは基本的に会社の歯車、名もない人たちです。良い仕事をしても世間に自分の名前が知られるとは限らないのです。プログラマにしてもそうで、about ダイアログに開発者の名前を載せる会社はむしろ少ないのではないでしょうか。このあたり、GNOME のアプリケーションなんかとは大違いです。

大きい企業になるほど、ある製品に関わる人々は多岐にわたって、営業系や企画系の人だっているわけですから、開発者だけ名前を載せるわけにもいかないのでしょう。技術者が引き抜かれるのを怖れて名前を載せるのをやめたという情けないケースだってあるのです。[3]

もちろん給料が上がる、出世する、という形で報われるからいいんじゃないか、という話もありますが、不況ということもあって、人にうらやましがられるほどいい給料貰ってなかったりします。また、今時の若いサラリーマンだと、会社に対する忠誠心や会社共同体に対する帰属意識が希薄なので、会社から褒められることが必ずしもモチベーションの維持につながらないということもあります。

結局のところサラリーマンだって「金がすべて」じゃモチベーションは維持できないのです。よほどの高給取りなら別なんでしょうが、どう別なのかと言われると、とりあえず私には想像もつきません(笑)

それにしても、ボランティアは貧乏人のひがみ、サラリーマンはもてない男のひがみ、みたいな感情にとらわれがちな状況はマズいですね。なんとかしなくては。



[1] 「 Linux TODO - Linux を普及させるには -
その 13 モチベーションの維持」
(生越昌己) 『Linux Japan』 7 月号
[2] オープンソース運動については Eric Raymond の 『ノウアスフィアの開墾』 をどうぞ(リンク先は山形浩生氏による日本語訳。) 有名な 『伽藍とバザール』 の続編で、ハッカー文化を社会科学的な観点で論じています。ハッカー文化が「評判(あるいは名声)」の最大化を目指す「贈与の文化」であることが指摘されています。
[3] どこの話かはナイショ。

[5-31] ラエルとか

ほつまさん、わたしも UFO 関係は特に関心なかったんですが、アイリーンさんとは、昔 NetNews で御一緒?してたので。「地下のマグマの中でどうやって大型コンピュータが動作できるの?」「そのコンピュータではどんな OS 使ってるのかな?」などというイジワルな質問は一切相手にしない アイリーンさんが、セクハラオヤジのセクハラ投稿にだけはなぜか 憤慨してらっしゃった(1997-[2-2]) のを疑問に思ってちょっと調べてたのでした。で、フリーセックスが嫌でラエリアン・ムーブメントを辞めたと聞いて納得した次第。

ちなみに ラエリアン・ムーブメント ですが、徳島でも結構活動してます。去年はラエル氏を呼んでたし、暮れに 『X-File the Movie』 を見に行った帰りに映画館の前でパンフもらいました。。。


[5-30] ユキポンの謎

最近注目度が上がってるらしい 『ユキポンのお仕事』 ですが、まえまえから気になってることがあります。

まず、本の趣味が謎。ユキポンの部屋(正確には飼主のあけみちゃんの部屋)の本棚に 『皇帝の新しい心』 とか 『ゲーデル・エッシャー・バッハ』 (の原書)とかがあるのはユキぽんが読んでるの? あけみちゃんの趣味には見えないけど。。。

あと、Loyal Host のパロディで localhost っていうのはいかにも UNIX 使いが考えそうなネタなんですが、やっぱり作者はそれ系の人なんでしょうか?


[5-4] 予告とか

まずは[5-2]の続きの予告。ごめんなさい 私、嘘つきました。一昨日のあれ「まだ一章しか読んでませんが」なんてかきましたが、実は一章の半分強まで読んだ時点で書いたものです。後半読んでてけっこうムカついてきたので、次回からはちょっとトーンを変えます。タイトルの「ぶっとばせ!」ってのもシャレで書いてたのですが次回からはかなりマジ入ってくると思うのでよろしく。

本当は他にネタがあって書き始めたのですが、体調が悪いのでまた今度。。。


[5-2] 『〈宮台真司〉をぶっとばせ!』をぶっとばせ! (1)

今さらですが、 『〈宮台真司〉をぶっとばせ!』 諸富祥彦を読んでいます。買ってから今までほったらかしにしてきましたが、昨日の朝生で、この諸富氏、とりあえずダメオヤジではないな、というのは確認したので読んで見る気になりました。

まだ第一章しか読んでませんが、これは兵士と司令官の戦いですね。「なんで殺さなきゃいけないんだ!」というのが諸富氏、それに答える宮台氏は「戦った勝利の先にしか平和はない! そのためには犠牲もやむなし!」。これってなんかシンジ君と碇ゲンドウみたいな構図。同じシンジでも立場は逆転してますが。

諸富氏的には、カウンセラーとして戦っているわけですが、宮台氏の戦略家としての才能は認めつつも、彼の冷酷なやり方にはついていけないというわけです。

簡単に諸富氏の論旨を簡単に整理すると、諸富氏は元々は宮台支持派だったのですが、例の宮台氏の読者 A 君の自殺事件に対する宮台氏の態度に我慢できなくなって、宮台氏の「世界の無意味性」にまつわるメッセージを、弱者を追い詰める危険なメッセージと批判するのです。

たとえば若者における宮台氏の受け止められ方についてこんな記述があります。

ただでさえ、「楽しけりゃ、それでいい」という快楽主義的な風潮の強い世の中で、肩身の狭い思いをしている“まじめな人々”をさらに追い詰め、逃場をなくすような役割を果しているのだ。

宮台のキャラクターを「面白い奴がでてきたな」と笑っていられる余裕のある(良い意味でも悪い意味でもいい加減な)人ならいい。そんな人にとっては、宮台は無害である。[1]

なるほど、ここで言ってる事自体は事実でしょうが、これについては私はかなり反発を感じます。っていうか、カウンセラー諸富氏の人間理解ってこの程度なの?

私自身の話をしましょう。私自身初めて宮台氏をメディアで見た時は「面白い奴がでてきたな」と、思いました。このホームページを作ったのも、宮台氏の面白さを感じてこそです。ただ正しいことを言ってるだけの人について語るべき言葉なんてないし、第一楽しくないですし。

でも、その一方で、宮台氏の著作を読み込むにつれ、実際諸富氏の言うように、非常に追い詰められました。この追い詰められ感は、宮台氏に出会う以前、オウム事件の頃からのものですが、宮台氏の言葉によって確かに自分は追い詰められている、という意識が顕在化したのです。

それと同時に宮台氏に対して相当に強い反発を感じました。アンチ宮台、といってもいいくらいのものがありました。その当時の私の NetNews などの発言からはとても想像できないでしょうが。どちらかというと、あの頃は、いわゆる「アンチ宮台」的な連中の言葉や論理の底の浅さにムカツイて宮台擁護的な立場に回った、というのが正解かもしれません。

もっとも、宮台理論の面白さ自体は、その頃も確かに感じていました。「終りなき日常を生きろ」というメッセージ自体は、頭ではワカル、けど体はついていきそうもない、でもそういうふうにラクになりたい、という感覚でした。

その後どういういきさつで「宮台党右派[2]」の大物(って自分で言うか? と一人ツッコミ)と目されるに至ったか、は次回につづく。ってそんな波乱万丈のナニがあったわけではなくて、もっぱら内面的な話ですが。。。



[1] 「世紀末相談批判── “終わらない日常”に風穴を開けよ」 諸富祥彦( 『〈宮台真司〉をぶっとばせ!』 , p24)
[2] ほつまさん による宮台ファンの二類型の一つ。宮台思想の中身を大事にしてまったり生きることを目指すが右派、宮台流の戦闘技術で保守系ウェブ論客の撃破を目指すのが左派 だそうです。この定義だと私は左派から転向して右派になった、という話になりますね。

[4-20] お詫び

[4-12]で、明日からヒマみたいなこと言ってましたが、全然そんなことなくて、金曜の夜中まで大忙しでした。でも今度こそ本当に一息つけます。


[4-12] ぅぅぅ

仕事のほうが激烈に忙しかったり、他にも色々大変で丸々一月ぐらい更新できませんでした。色々情報を頂いていたのですが、紹介が間に合わなかったりしてしまい、申し訳ありません。とりあえず最新情報は、色々あったけど、現在宮台真司暫定管理人の管理下にある 『新・世紀末的宮台BBS ver.5』 をご覧下さい。

明日から少しずつ時間がとれそうなので、新着情報など更新します。

あ、三月末に書きかけてアップできなかった日記をやっとアップしました([3-28] とか)。



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