[2003-10-08]からの日記
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殺したい日常(6)


2003
[08-12] 
なぜ宮台を応援するか

元々生物工学専攻で職業はプログラマ(最近は仕事してませんが…)の僕がどういったわけで宮台氏を応援するのか? というメールを頂きました。確かに奇異に見えるかもしれないので簡単に説明します。

宮台氏の個々の主張については僕も賛否色々あります。もちろん賛成する点が多いのでこんなサイトをやってるわけですが、それでも批判的な事も言ってきました。しかし基本的には宮台氏を支持する、というか注目に値すると評価するスタンスには変わりはありません。理由は、彼が物知りだからとか、頭がいいからとか、口が上手いからとか、主張の内容に共感できるから、といったことももちろんありますが、一番は現実世界をうまくモデル化して分析する彼の手際です。

生態系でも神経回路でもなんでもいいですが、複雑な自然現象を分析するのに、現象を説明するための抽象化されたモデルというのは欠かせません。モデルは現実に起こっている事をシミュレーションできるだけの複雑さと論理的に分析できるだけの単純さを兼ね備えたものでなくてはなりません。単純すぎて様々な現象を統一的に説明できないモデルはダメだし、人間の精神とかに複雑さを押し込めてまともな説明もできなければ有効な対策も導き出せないようでは意味がありません。

そのあたりのバランスが宮台氏は優れていると思うのです。これはそのモデルの妥当性そのものとは関係なくて、むしろ妥当性を検証できる程度に単純だということが重要です。よく宮台氏に対して「単純に図式化しすぎ、現実はもっと複雑なんだ!」みたいな批判をする人がいますが、複雑な現象を複雑なまま扱えるくらいならそもそも分析なんて必要ないわけです。

。。。ってことを聞きたいんじゃなくて、もっと実存的な何かを尋ねたかったのかな。まあいいや。あと、僕のプロフィールを希望ということなので、プロフィールのページも作っておきました。

なぜ猫を殺してはいけないのか

改正動物愛護法が施行されてずいぶん経ちますが、未だにこの法律の正当性を心から納得できないでいます。最初に断っておくと僕は猫は好きだし元野良の猫の飼い主でもあるし、個人的には野良猫や野良犬がみだりに殺傷されないような社会を望んでいますし、平気で犬や猫を傷つけることが出来る人には嫌悪の感情をおぼえるし、人間性を信頼できないとも思います。が、そのこととそれが法で規制されるべきかどうかは別です。

動物愛護法は「道徳的」な法律です。人権を根拠にした個人的法益を保護するものではありません。もし自由権の一つとして「猫を殺す自由」の権利がありうるならばそれに対立するものです。「猫を殺す自由」はないのか? あるいは理論的にはあっても制限した方がよいという合理的な理由があるのか?

人権というのは元々人間にしか適用されないものです。犬や猫は権利の主体としては認められませんし、実際人間の都合で殺しても良いことになっています。平成11年度の全国の保健所で殺された犬と猫の数は合計で55 万匹を越えます(参照:犬・猫の処分に関する実態調査)。それはそれで問題だとも言えますが、法的には認められていることです。

誰かの飼い猫を他人が傷つけるという話なら、財産権の侵害とか、飼い主に対する精神的な暴行という話に帰着すればいいんです。でも野良猫についてはこういう理屈は成り立ちません。野良猫は公共の財産として扱うという考え方もあるかと思いますが、それでも飼い主によるペットの虐待はあくまで自分の財産の処分権の範囲なのでオッケーということになります。どうしても猫の命を特別扱いする(一方で豚の命は特別扱いしない)ような価値観抜きでは「猫を殺す自由」は否定できないと思います。

というか、実際に愛護法には「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する」ことを目的とするとあり、そういう価値観を積極的に打ち出しています。それならそれでその価値観によって保護される社会的法益は何かというのが問題になりますが、元々動物愛護法の改正は酒鬼薔薇事件がきっかけになっています。以下は第151回国会予算委員会第13号(平成13年2月28日)における民主党城島正光議員の質疑より:

昨年の十二月一日に施行されました新しい動物愛護法のきっかけになったのも、実は神戸の少年の事件がきっかけになりまして超党派で成立をしたわけでありますが、最近軒並み凶悪な事件を起こした青少年、佐賀のバスジャックにしてもそうですし、大分の一家虐殺もそうですし、今申し上げたような神戸の少年もそうでありますし、ほとんどがこの関連性がある。すなわち、このポスターが示すように、動物虐待を繰り返すことによってそういうふうな精神的な状況になり、あるいは凶悪な事件を起こす前ぶれになっているんだということがほとんど確立をされているわけであります。

でもこういう事を根拠に動物虐待者を逮捕するっていうのはほとんど予防拘禁論なのでは? 凶悪犯罪者が前兆行動として動物虐待をやるというのが事実だとしても、動物虐待した人が必ず凶悪犯罪を起こすというわけではないですし。防犯目的で動物虐待に関する情報を収集したり市民に情報提供したりするのはいいのですが、それを犯罪化して逮捕というのは飛躍があると思います。

さらに飛躍して表現規制による環境浄化という方向にも進んでいます。以下は第154回国会で提出された社民党の阿部知子議員の質問より:

動物を傷つけ殺すなどの虐待をした文章や画像がインターネット上に掲示されることがある。このような文章や画像は見る者に言われなき恐怖を感じさせ、青少年への悪影響も計り知れず、より凶悪な事件へ発展しかねないと考える。これらは社会通念上許されない行為であることを考えた場合、掲示させないための何らかの規制が必要であると思われるが、政府の見解を示せ。

繰り返しますが僕個人としては動物虐待は許せません。僕に限らずほとんどの人はそうでしょう。しかし、そういう良心を踏み絵のように使って怪しい論理を正当化するのは同じくらい許せません。

それに、虐待を犯罪化すれば済むという問題ではないのでは? 単に「命は大事」という価値観を一方的に宣言しても現実との間の矛盾が広がるばかりだと思います。行政は「命は大事です!」って言った舌の根も乾かないうちに殺処分してるわけですから。そもそも僕らの望みは「命には優先順位がある。それはどうしようもない事。だけど人はそれに痛みを感じるようであって欲しい」みたいな屈折したものにならざるをえないわけす。これは法律で決着させてしまうのではなくて、むしろ宗教なり思想なりが決着させずに悩ましい屈折を持続させるべきなんじゃないかと思います。

フォアグラ生産は残酷

フォアグラ生産は残酷 イスラエル最高裁が禁止だそうです。パレスチナ人をロケット弾でミンチにするのはどうなんでしょうね。


[07-07] 
Happy Tree Friends

Happy Tree Friends(リンク先は公式サイト。日本のファンサイトもあります)ってアニメ(Flash作品)が面白いです。可愛い森の動物たちがひたすら死にまくる(それもかなりグロく) というアニメです。グロいし差別ネタっぽいのもあってキャラは可愛いけど子供には見せられないって感じ。でもそこがいい。

オープニングのはしゃぎすぎな感じの曲もGOOD。ちなみに公式サイトにはこの曲の着メロもあるのですが日本の携帯着メロとは形式が違うようで。知り合いが作ってくれたドコモの携帯用に変換したやつを置いときます。


[07-03] 
フェミニズムへの不忠

知り合いの薦めで在米のフェミニストエミ・コヤマ氏の論文 『フェミニズムへの不忠 DVシェルターにおけるサバイバーへの虐待 [1]を読む。内容はサブタイトルからもわかるように、DV(Domestic Violence)被害者を匿うシェルター施設内で、シェルターのスタッフによる被害者に対する差別や虐待が昔から日常化していた事を訴え、解決策を提案するものです。

アメリカのDVシェルターは元々フェミニストたちによって始められた事業ですが、この論文ではフェミニストたちは社会による女性差別には敏感であっても同じ女性同士の間にも存在する人種や宗教や性的指向などの差異に基づく差別に対しては鈍感であったことが指摘されます。例えば英語が話せない移民が受け入れを拒まれたり、売春婦や薬物中毒者やトランスセクシャルの DV 被害者がスタッフや他の入居者に虐待されたりということが頻繁に起こっているそうです。ただでさえパターナリスティックなシェルターの規則が差別意識に基づいて恣意的に適用され、最終的にはシェルターにいられなくなるのです。

著者自身が90年代に DV 被害者の一人として DV シェルターに入居しており、後には DV シェルターのボランティアスタッフとして働いた経験がある DV のサバイバーです。入居者として虐待を受け、スタッフとして虐待に (消極的ながら)荷担した経験から出る言葉だけに重みを感じずにはいられません。エミの結論はシェルタースタッフの良心(あるいはDV問題にかかわるフェミニストたちの良心)だけでは事態は改善できないこと、第三者機関によるシェルター側と被害者側の利害調停のシステムが必要だということです。また、被害者の違法行為を追求したり被害者を病人扱いして治療を強制したりといったことをせずに、被害者の被害拡大防止を第一に考えるような戦略 (Harm Reduction)[2]の採用を訴えます。

一般にサービスを提供する側とサービスを受ける側の利害は一致しないものです。特にサービスを受ける側の立場が弱い場合にサービスを提供する側が受ける側の意志決定を代行してしまう事(事実上の強制)には本質的に問題があります。しかしサービス提供者に高い倫理性が求められるような現場では逆にサービス提供者の正しさが前提となってしまい「一見親切なようだけど実は提供者側にとってより都合の良い選択」が正当化されてしまう危険性があります。これは様々なボランティア活動や医療や福祉[3]の分野などで今までも問題になってきた事ですが、やはり第三者機関を関与させたチェック・アンド・バランスのシステムが必要です[4]

サンフランシスコ市ではそのようなシステムをホームレスシェルターには適用しましたが DV シェルターには適用しなかったそうです。エミはこれを、女性は生まれつき慈善に富み、世話好きで、愛情深く、協調性に優れ、公平、平和的であるというステレオタイプの思いこみのもとに、女性が女性に対して権力と支配を振るう可能性を低く見積もってしまっている と批判しています。

そしてフェミニスト自身が女性の(そして自分の)善意や良心を信じて疑わないためにそのようなシステムの採用に対して積極的にならないので、放っておくといつまで経っても事態は良くならないのです。だからフェミニストはフェミニズムのためにフェミニズム(の神話)に対して不忠であれ、それでこそフェミニズムは鍛えられるのだとエミは訴えます。

日本ではこのような問題は今のところ顕在化していないようですし(僕が知らないだけかもしれませんが)、国情が違うのでそのまま同じ事が日本で起こりうるのかわかりませんが、自治体からの補助金などで運営が維持されているのはアメリカと似ているのではないかと思います。補助を受けるための条件として DV 被害者に不利な運営規則を押しつけられるというようなことは今後あり得るかもしれません。



[1]英語で書かれた原論文からの翻訳。原題は Disloyal to Feminism: Abuse of Survivors within the Domestic Violence Shelter System で著者のサイトの Survivor Articles & Documentsで全文公開されている(但し邦訳には日本語版序文と訳注が付いています)。
[2]HIVの感染拡大防止策として世界各地で採用されている戦略。具体的には薬物使用者に新品の注射器を配る、売春婦にコンドームを配るなどの活動が行われた。違法行為を助長するという批判もあるが、薬物使用や売春自体を取り締まるよりも効果があるとされている。
[3]医療や福祉における問題については立岩真也 『弱くある自由 自己決定・介護・生死の技術を参照。
[4]市場原理を導入するという方法もあるのかもしれないが、生命の危険すらあるような弱者に対するサービスについては無理があると思う。選択する余裕がない時に契約しなくてはならないし、サービスの悪い提供者は淘汰されるとしても淘汰されるまでの過程で取り返しの付かない被害 (死んでしまったりとか)が出かねないので。
女性党って?

そういえば前回の参院選の比例区で出ていた女性党という政党が、ちょうどエミ・コヤマ氏の言う「女性は生まれつき慈善に富み、世話好きで、愛情深く、協調性に優れ、公平、平和的であるというステレオタイプ」を自分から売りにしてるようなメッセージを流してて、こいつら何者と思ったのを思い出しました。公式サイトは閉鎖していますが、 web.archive.org に残っている政策にはこんなのがあります。

6)国会議員の半数は女性がやります。

国会議員に、女性が増えることによって、政治が浄化されます。国会議員の仕事中にも、女性が行った方がよいと思われることが沢山あります。特に、教育・福祉・高齢化・財政等、女性が得意とする分野ではないかと自信をもっております。すべての人々が納得出来る社会をつくり上げていくために、国会議員の半数は女性が責任をもってやります。

今時まともなフェミニストがこんな事言わないよなーとか思って怪しんでいたのですが、どうも出自は新興宗教とマルチ商法らしいという話もあるそうで。うちの近所でも結構ポスターとか見るので気になってるんですが、詳しい事を知っている方がいらっしゃいましたら是非情報を


[07-01] 
ジゴロウグッズ購入

先日ネトゲで知り合った人(男性)にサクサクを勧めたところ、すっかり気に入った模様。この日は東急ハンズでジゴロウグッズを買いに行くと言い出したのでついていくことに。携帯ストラップとクッションを買ったのだけど、一番欲しかったのは非売品の実物大人形(本物とは違って操縦出来ないタイプでしたが)だったり。ちなみにクッションは妙に猫の毛が付着しやすい材質で、開封してそのへんに転がすとあっという間に毛だらけに。。。

今更 Half-Life 2 のデモムービーを見る

この秋発売予定のPC向け3DゲームHalf-Life 2(HL2)のデモムービーを今頃になってダウンロード。GAME Watch の記事(前編後編)や、ネットの評判などで凄いとは聞いていたけど、実際に見てみると、、、やっぱ凄いです。ていうか衝撃的。

従来の3Dゲームで表現された仮想空間はグラフィックス的にどんなにリアルに見えても所詮はポリゴンで出来た書割みたいなもので、空間内のオブジェクトにはいまいち物体っぽさがなかったわけです。仮想空間内の物体同士のインタラクションと言えばせいぜい単純なトリガーに反応してあらかじめ用意してあるアニメーションが起動する程度のものでした。でも HL2 ではあらゆる場面でリアルタイムに真面目な(といっても単純化はしていると思う)物理計算をして物体がぶつかったり壊れたりといった現象をシミュレーションしてるそうです。

そのへんの違いがデモムービーを見ただけでも伝わってきて、リアリティっていうのはこういうことなんだなーとしみじみ。とはいえ、プレイヤーからの入力は相変わらずキーボードとマウスしかないのでインタラクションといってもいまいち自由度に限界がありそう。そのせいかHL2では反重力装置みたいな武器(いわゆるトラクタービーム? 物体にビームを当てるとその物体を持ち上げたり飛ばしたりできる)を使って銃と同じ操作で物体に干渉できるようにしています。このあたりがちょっと苦肉の策というか、空間のリアリティとバランスがとれてない気もしますが、今はとにかく触ってみたい! という気持ちが先行してるのでそのくらいは許しちゃうって感じ。


[06-27] 
Standard Type Service Framework

いいかげん引きこもりを脱したいということもあって、アンテナハウス主催の多言語組版研究会の会合に出席。内容はSun樋浦秀樹氏による Standard Type Service Framework (STSF) の紹介。STSF は国際化されたフォント管理とテキストレンダリングを提供するサーバ。

UNIX系のシステム、というか X では、現代的なフォント管理が整備されてなくてフォントのインストールが無茶苦茶面倒ですが、STSF を使えばこれを一元化できます。また、フォントの管理とレンダリングを X サーバー側で行うのでフォントデータをアプリケーションが個々に保持する従来の方式に比べて効率的です。競合する技術としては GNOME2 で採用されている Xft2, Pango がありますが、それらに比べてより軽い実装になるそうです。ていうか、話を聞いていて GNOME2 がなんであんなに重いのか少しわかりました。

STSFにはサーバ同士が通信してネットワーク上からフォントを探してコピーしてくる機能があるのですが、フォントのライセンスに合わせてコピーを許したり許さなかったりする仕組みが必要とのこと。時節柄いわゆる渡邊フォント無断複製問題 のような事が起こったときにどう対処するかという議論もありました。

Polo T2 に8cmファン

外出ついでに秋葉に寄ってPanfloの8cmファンと6cm-8cmのファン口径変換アダプター(プラスティック製で青いスケルトンのやつ)を購入。Polo T2 のケースファンは5cmなので合わないのだけど、ネジ1本+ビニールテープでケースの外に固定。ファンのコネクタは IEEE-1394 の外出し用コネクタの通る穴に通せました。でもケースのカバーが変換アダプタに当たって閉まらない。本体に傷を付けない方針だったのですが仕方なくカバーの一部をペンチで二カ所曲げることに。ちょっと曲げるだけと思ったら意外と曲げないとだめでかなり不格好になって後悔。後でよく考えたら薄いプラ板を重ねたスペーサーを作れば曲げずに済んだかもしれないのだけど、もう後の祭り。

で、8cmファン換装の効果の程はというと、最大負荷で56℃くらい。一応許容範囲内だけどあんまり余裕ないし、ケースカバー外すと52℃くらいだからまだ熱が籠もってる感じ。でも夏を乗り切るには十分か?


[06-29] 
山田花子の自殺について

漫画家の方の山田花子についてネットで調べていたら、 『隠蔽された障害 マンガ家・山田花子と非言語性LD 石川元 という本を見つける。著者は精神科医で生前の山田花子と直接接点はなかったものの、彼女の自殺についてマスコミからコメントを求められた(精神病者の描く絵の分析などの業績があったため)のがきっかけで彼女の家族への取材などを通じて、彼女の自殺の背景にある精神病理を分析するというもの。彼女は精神分裂病(統合失調症)で入院して退院後すぐ自殺してしまったわけですが、むしろ彼女の問題はアスペルガー症候群のような非言語性の学習機能障害にあったのではないかと主張するもののようです。

この本はどうも絶版になっているようで、amazonなどでは注文できず。 紀伊国屋BookWebには福岡店に一冊だけ店頭在庫があるとの表示。送料・代引き手数料等がかかるのですが通販できるということなので思い切って注文。


[06-25] 
Ximian Desktop 2

GNOME2 環境のパッケージXimian Desktop 2 (XD2) には RedHat 7.3 用のビルドがある事に気づき、無料版をインストール。インストーラを起動するとGNOME 1.x の一部がアンインストールされるとの警告(RPMパッケージ名をリストアップしてくれる)が出るが思い切ってインストール。

ちゃんと起動しました。見た目もなかなかかっこよさげ。ですが、GNOME 1.4 に比べて機能が減ってるところがちらほらあって不満。特にウィンドウマネージャの metacity は、最近のウィンドウマネージャにしてはかなり低機能。ウィンドウスタックの調整とかできないし。gnome panel もオプションが減っていて痒いところに手が届かない状態に。でもGNOME2のみサポートのアプリもちらほら見かけるので当分これでいくことに。


[06-21] 
Mozilla Firebird ビルド

以前から Linux 版の mozilla には日本語文書で英数文字のフォントが正しく選択されないというバグがあった。X のフォント設定で場当たり的に回避する方法はあるのだけど、フォントを増やした(MS UI ゴシックを使うようにした。これは結構いい。)らまた再発。pre の中が等幅フォントにならないのはあんまりなので本気でどうにかすることに。

原因はこういうことで、要するに一部の壊れた jisx0201 フォントによるダメージを避けるためにフォントの内容をチェックしているのだが、X-TTとの相性の悪いチェック方法になっていてエラーになってしまう。なぜか MS P 系はエラーにならないのでフォールバックでそれが選択されてしまうらしい。どうせMS のフォントしか使わないのでチェックをしないように mozilla のソースに パッチを当てることにする。

ついでに前からウザくて嫌だった IME Status Window を表示しないようなパッチを作って当ててみる。ATOK X の場合 ATOK パレットにステータス表示があるので mozilla の IME Status は無くても無問題。

MozillaFirebird のビルドは mozilla のビルドとは少しだけ違う(うっかり同じようにビルドしたら1.4bが出来てしまった…)。ここにある .mozconfig の設定をしてからビルド。

改造した部分はどちらも問題なく動作しているようで満足。今後このバージョンをメインで使うことに。

ベッカムが幼女にセクハラ

ベッカムが来日してなにやら騒ぎになっているようですが、まぁ僕としてはどうでも良かったんですが、小学校を訪問するイベントで児童代表の女子が花束をあげた時にベッカムにほっぺにキスされた のテレビで見て、これだけは愕然としましたね。

キスされてどうでした? と、テレビのレポーターに尋ねられた少女の紅潮した顔、体の奥から沸き上がる得体の知れない感覚に戸惑うようなあの表情、素晴らしかったですね。と、いうような事を某掲示板で言ったら「君は、非常にエロいな」と言われてしまった。

それにしても小学生女子に接吻同意能力はあるのかとか、同じ接吻でもプライベートなそれと、その一部始終を全国放送で流される場合とでは求められる自己決定能力も違うのではないかとか、同じ事を僕がやったら間違いなく逮捕なのにベッカムならいいのかチクショーとか、しゃかいがくてきにもきわめてもんだいてきなできごとだとおもいました。


[06-19] 
GNOME 2.x

GNOME 2.x が RedHat 7.3 のアップデートにいつまでたっても出てこないので、ここ数日 GARNOMEのビルドに挑戦してましたが、撃沈。ビルドは(色々手を入れつつも)通ったけど起動するとまともに動かない。2.3 系のは nautilus が起動しないし、2.2 系のはメニューとかの文字が表示されない。RedHat 7.3 じゃダメなんですかね?

Polo T2 やばい

メインマシンケース(星野金属の PoloT2)の冷却能力がダメすぎます。夏になっていよいよやばくなってきて、GNOME とかビルドしてるとケース内温度が60℃(HDDとかの動作保証温度の上限)を越えてしまう。最初はビルドを途中で止めてうちわであおいだりとかしてたけどきりがないのでやむを得ずビルド時はケースの蓋を開けっ放しにすることに。猫に攻撃されたりしたらヤバイんだけど(猫も感電するかもしれないし)。

スロット(PCIx1)とベイ(HDDx1, MOx1, CD-ROMx1)を全部埋めてるのがまずいんですかね。ネットで探すと Polo の冷却能力を改善する改造記事がいくつか見つかりますがどれも何かが犠牲になる形で改造しているのでちょっと真似できない。背面の排気ファンを外して 8cm ファンを外付けしてみようかと画策する。 山洋電気のWebカタログを見ると、元の 5cm ファン(推定 0.25 m3/min) と比べて排気能力は倍以上(2300rpm の奴で 0.67 m3/min)になりそうだがそれで間に合うのか、取り付け方法をどうするか(6cm から 8cm の口径変換アダプタはあるのだが、5cm からのはない)。できればケースに穴とかあけたくないし。


[06-17] 
ふとん屋の猫

枕カバーを買いに近所のふとん屋に行ったらうちの猫によく似た黒猫がいた。こっちを向いてちょっとしわがれた声で、ぎにゃーとか鳴いていた。ふとん屋の爺さんによるともう16歳だとか。見た目は特にくたびれた感じはしないけど、歯はかなりやばいそうだ。うちの猫は拾った時の歳がわからないので年齢不詳だけどたぶん4歳くらいだろう。十何年後にもこのくらい元気でいてくれるだろうか、そもそもその時僕は何してるんだろうとか、色々思いを巡らせた。


[06-15] 
Mozilla Firebird 0.6

今更ながらインストールしてみました。ちょっと軽いのと、よさげなスキン(coffee とか)があるのと、ツールバー周りのカスタマイズが充実したのがいい。メニューを触ってると固まってしまう事があったのだが、まだ不安定なのか? 設定をいじってるうちに再現しなくなったけど。。。

互換性は特に問題なさそうなのでしばらくメインブラウザとして使ってみることにする。でも言語設定の UI が欠けていたので、これは prefs.js に user_pref("intl.accept_languages", "ja, en-us, en"); とか書いて設定。あと、mozilla のプロファイルの引き継ぎってできないんですかね? ブックマークとか履歴はファイルコピーで OK だったけど、肝心のパスワード関係がダメでした。必死で思い出して再設定しました。

xchat 半角カナ対応

MozillaFirebird のリリースビルドでは chatzilla が削除されているので xchat に移行。だかやっぱり受信メッセージの半角カナが化けるのでどうにかならないか調査。ソースを見ると iconv() で変換してるけど、さすがにiconv() に手を入れるのはまずいので、mozilla の変換ルーチンからコードを持ってきてパッチを作成。受信時のJIS->EUCの変換のみ対応で、半角カナの送信には非対応。LimeChat の腐ったオプションには全部対応したので半角カナはもう大丈夫だけど、JISに入ってない外字の類はどうしようもないので非対応。SRPMも置いときます。

RSS 1.0 の RELAX NG スキーマ

RSS 1.0 (リンク先は kanzaki.com の解説) の RELAX NG スキーマを書いてみた。RELAX NG スキーマを真面目に書いたのは初めてなのでどこまでマトモかは不明。 jing と msv ではうまく動いてるっぽいけど、libxml2 (2.5.7) の xmllint は interleave の解釈のバグでうまく動作しません。


[05-31] 
宮台のレッシグの使い方は妥当か?

最近宮台氏の文章でローレンス・レッシグが引き合いに出されることが多いのだが、どうも違和感がある。例えば、Message from Miyadai 2003年5月16日 「白装束報道の背後にあるアーキテクチャーに注目せよ!」 におけるレッシグのレイヤーモデルの扱い方は、ずいぶんと無理矢理で的はずれなのではないか?

元ネタとなっている 『コモンズ』 が手元にない(人に貸している)ので不正確な点があるかもしれないが、だいたい以下のような点でおかしいと思う。

元々計算機ネットワークのレイヤーモデルというのは、下位の層は上位の層の事は考えず愚直な処理に徹する、上位の層は下位の層が賢く振る舞うことを期待しない、という原則を貫くことで層の間の依存関係を弱くするのがポイント。これによって各層は入れ替え可能になり、全体のシステムを破綻させることなく各層が独立して進化することが可能になる。逆にこの原則を歪めると、進化のためには一度既存のシステムを壊さないといけなくなり、事実上進化の可能性が閉ざされてしまう。

『コモンズ』 においてレッシグは、この工学的な知見を応用して、メディア業界のレイヤー構造が層間の独立性に満ちたものでなければ社会の進歩の可能性が閉ざされてしまう、と警告する。つまり、レイヤーモデルは自由と進歩を保証するためのアーキテクチャとして描かれている。そしてそのアーキテクチャを維持するために、レイヤーに穴を開けたり癒着させたりするような行為(垂直統合)を規制しよう、と提案している。

しかし宮台は、レッシグのレイヤーモデルを単なる社会の不透明化(ブラックボックス化)の話として引き合いに出している。レッシグのレイヤーモデルは透明性の有無とは直接は関係ないはずなのだが。少なくともレイヤー化=不透明化ではない。

むしろコード層にオープンソースソフトウェアのような透明性の高いコモンズを作る事でレイヤーが維持される、つまり抜け駆け的にレイヤー間に穴を開けて利益を得ようとする動きに対抗する事ができる、という話をしていたはずだ。

ということで、言ってる内容(社会が複雑化・不透明化し関係妄想を生む) は妥当だと思うが、ここでレッシグを引き合いに出すのは間違っていると思った。


[05-04] 
サンドボックス

basic sandbox with java

今日の昼食です。


[04-23] 
セクシーヤワラちゃん

『週刊現代』 にヤワラちゃんこと柔道選手田村亮子の「セクシーグラビア」が載ると聞いてコンビニで立ち読みしてみたのですが、別にセクシーじゃありませんでした。単に「ちょっと夜遊びとかしてそうなねーちゃん」風の格好してるだけで。撮影は野村誠一ってことで露出(カメラの)アンダーで神秘的な雰囲気を演出、みたいないつものパターン。

もっとなんていうかこう、カメラマンにエロティックなポーズを要求されて「そんな、私なんかが…」などと戸惑いつつも「私だって女なのよ。見て! 女の私を見て!」などと興奮を抑えきれず過剰に乱れるヤワラちゃん。。。みたいなのを期待してたので残念でした(半分マジ)。

あかぎあい再び(2)

というわけであかぎあいからのメッセージ (&5/11のライブ告知)見ました。

  • 引退しない
  • 結婚してない
  • 妊娠してない

ので心配しないでね、とのこと。つーか、視聴者からのおたよりでそういうのがあったんでしょうな。あいかわらず元気そうで、おでこがつるつる (安達 哲 『バカ姉弟』 のおねえさんみたい)でよかった。


[04-21] 
ほしのこえ

新海誠制作のアニメ 『ほしのこえ』 を見た。正月に友達が見とけって置いていったDVDを今頃になって見てみたわけですが。

内容は宇宙で異星人と戦う女の子と地上で日常を送る男の子の長距離恋愛といった感じ。個人的にはそんなのありえねーって感じですが、25分の作品だしそういうところに説得力を求めるものでもないかな。とはいえ、宇宙で軍隊にいるはずの彼女も地球で学生生活を送っているはずの彼氏も徹底して孤独に描かれていて、メールが届くのに1年かかる長距離恋愛よりも、そっちのほうが非現実的というか。

でも個人的にはそんなことよりもこのアニメが新海氏が会社を辞めて7ヶ月でほとんど一人で制作したということ。7ヶ月頑張れば(彼個人の才能もあるだろうけど)これだけのものができるのか。やりたいことをやるために会社を辞めたはずなのに2年経っても一歩も進んでない自分が情けなくなる。自分も頑張らなくては、とは思えないところがもう終わってるって感じ。

あかぎあい再び

サクサクのMCが あかぎあいから木村カエラ に変わってからもう半月が過ぎたわけですが、どうもトークにノれなくていけません。不慣れゆえの危なっかしさが辛いのかと思ってたけど、結局はカエラさんの何が悪いってわけではなくて、もう僕的には「あかぎあいでないからダメ」ってことなんだと思った。だんだんどうでもよくなってきて朝タイマーでテレビ付けても起きれない始末。録画もディスクがいっぱいになったから中止。

が、いつかゲストであいちゃんが出るかと思ってサクサクのホームページだけはチェックしてたわけですが、なんと今週の水曜日に出るそうです。ということで、ディスクを空けて録画予約して楽しみに待っている今日この頃です。

chatzillaのパッチ

mozillaに付いてくるIRCクライアントchatzillaを使ってると、他人の発信した半角カナの混じったメッセージが化けて困っていたのですが、 mozillaのソースをいじって修正。化けるよーって言ったら相手の人も一応配慮はしてくれるんですが、なかなか徹底するのは難しいらしくてそれでも化ける。せめて全角の部分が化けなければいいんだけど、全部化けちゃうので困る。元々規格違反のコードなので化けてもしょうがないとは思うのだけど、あっちにばかり配慮してもらうのもなんだか申し訳ないので パッチ(wazilla 1.3からの差分)を作る事に。

mozillaのソースは初めて見たのだけどもうでかくて死にそう。ビルドむちゃくちゃ時間かかるし。修正個所はたった2行ですが、その場所を探すのが大変だった。


[04-10] 
イラクの自由

昨日は頭の調子が悪くてなにかにつけブチ切れまくり。安定剤飲んでもだめ。猫が暴れのでブチキレ、ゲームで調子悪いとブチキレ、深夜にテレビでラムズフェルドの演説を聞いてまたブチキレ。イラクの人々は自由を味わっている、だと。そうだよね、地球の重力から解放されて自由になった人とかね。

開戦から3週間でバクダッドが陥落、フセインの銅像が倒された[1]。結局戦争自体はほぼ米国の思惑通りに決着しそうな気配。一時は長期化も危ぶまれたけど、今の米軍相手にはそれこそBC兵器でも使わない限り対抗できないということがはっきりしたんだと思う。間の悪いことに今日発売の 『噂の真相』 にはバクダッドの市街戦では泥沼化必至とか書いてたり。

市民は米軍を歓迎しているという。家族を殺された人たちだって大勢いるだろうに、そんなに素直に歓迎できるものなのか? フセイン恐怖政治下で学んだ、強い奴には媚び売っとけ、って感じの処世術なのかもしれないけど。もっとも銅像破壊の現場に集まった市民ってのもよく見ると意外と少ない (数百人程度か?)だし、bye bye sadam の紙持った人はクルド人だったみたいだし、バクダッド市民一般の気持ちってのは実際のところよくわからない。

しかし、実際どうかはともかく、あの映像を見て少なからぬ人が「あの戦争は正しかったんだ」と確信しているようなのがなんとも辛い。

僕はあるネットゲーム (よりによってアメリカ製の戦争ゲームですが) で開戦以来反戦スローガンをハンドルにくっつけてプレイしていました。別にゲーム中でデモ行進やろうとか座り込みしようとか、ゲーム内のチャットで議論しようとか、そういう気はないのですが(というかそこまでやっちゃいけないと思う)、ゲーム内では結構アメリカやイギリスのプレーヤーも見かけるので、そういう人たちにゲームの邪魔にならない範囲でアピールしたい、と思って。

で、今日、あるアメリカ人プレーヤーに「あの戦争は結局良かったんじゃないか」と声をかけられました。その人は以前からよく一緒にプレイしていてる人で、今まで僕の反戦スローガンを見ても静観していたのだけど、今日になって初めてそのことに触れたのは今日のバクダッド陥落の映像を見たからのようです。

多くの人が死んだのに? 死んだ人たちにどんな自由があるのか、と僕。 「イラクの人々は助けを必要としていた。あの笑顔を見たか?あの戦争は正しかったんだ。君が反戦を唱えられるのも自由があってこそだ。イラクに自由はなかった。君の国だってかつてはそうだった」と彼。この人はベトナムで戦った経験もあって、戦争の残酷さを知らないわけじゃない。少なくとも ジェニン虐殺のグロ画像[2]を見せて「これが戦争だ!」なんて言えば済む相手じゃない。

英語が苦手なせいもあるけど、あんまり反論できなかった。時には戦争は必要かもしれないけど、それは正しいやり方でやるべきだ。決めるのはアメリカじゃなくて国連であるべきじゃないか。テレビはあまり信じるな。そのくらいしか言えなかった。なんとも歯痒い。



[1]ひきずり回される銅像の首を追いかけては靴でぺしぺし叩いてる少年の映像が無性に可笑しかった。
[2]パレスチナ問題を扱うサイトで公開された凄惨な死体の画像。ちょっと前にあちこちの掲示板やMLなどで紹介された。写っているのは去年の4月にイスラエル軍の攻撃を受けたジェニン難民キャンプのパレスチナ人の遺体とされるが、映像の内容に矛盾点も指摘されているらしく、真偽は定かではない。

[04-01] 
今年の Java Joke

ここ数年毎年やってるJava FAQ (What's New)のエイプリルフール投稿ネタ、今年はアイコラに挑戦 しました。



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