◎石川明人著『戦争宗教学序説』(角川選書)
角川選書には、日本史関連の本が非常に多いという印象があり、外国語より古文のほうが苦手であるという非国民的なわが能力のせいもあってこれまで一冊しか読んだことがなかった。でもこの本の場合、タイトルにちょっくら惹かれたので買ってみたというわけ。もちろん「宗教戦争」という言い方があるように、元来宗教と戦争は互いに排他的ではないことは明白だとはいえ、ただそのあたりを体系的に説明した本は読んだことがなかったので注目してみた。
さっそく「はじめに」で、戦争と宗教に対する著者の立場が明確化されている。たとえば次のようにある。「戦争を否定し、平和を叫ぶことは、簡単だし気分がいい。だが、それだけでは、平和は実現も維持も難しいことを私たちは知っている。私は、宗教を一概に否定しないように、戦争や軍事も一概には否定せず、ただそれぞれの具体的な場面における人間の人間的な振る舞いを見ていきたい。そして、平和についても、それを単純に称揚するのではなく、それが叫ばれる際のわずかな違和感とも向き合ってみたい(4頁)」。確かに宗教も戦争も単純に否定したがる人は多い。ただ人間の本性からして、両者は必然的に生じるのではないかという印象も、私めは持っている。ここでは具体的に説明することはしないけど、この印象は進化科学や認知科学などの科学の本を始終読んでいると、余計に強まってくる。戦争に関して言えば、そもそもロシアのようにどこかの国が勝手に攻めてくれば、いやでも防衛戦争を強いられる。「すぐに降伏すればいいじゃん!」と言いたがる人も世の中にはいる。でも、ロシアのような独裁専制国家に降伏すれば次に何が起こるかは歴然としている。日本国憲法第9条など、第二項どころか第一項も単純に無視されて、場合によっては侵略戦争の片棒をかつがされるかもしれない。だから絶対平和主義者や護憲派が「ウクライナはすぐに降伏すべきだ」などと言い出すのなら、それはダブスタでしかない。歴史を紐解けばそのような事態が頻繁に起こっていたことがわかるはずだが、現代のウクライナ戦争一つを取り上げても、ロシアに降伏したわけではないとはいえ、同じ独裁専制国家の北朝鮮から兵士が派遣され、大勢が戦死しているという報道があるくらいだしね。それはそれとして、著者は本書の目的を次のように述べる。「本書は、いわゆる宗教戦争の歴史をまんべんなく網羅するものではない。また、一定の方法論から宗教と戦争の関係を体系的に分析するものでもない。ここで目指しているのは、宗教的な軍事や軍事的な宗教を観察しながら、私たち人間の、理想と本音、限界と矛盾、正気と狂気、愛とエゴイズムなど、良くも悪くも人間的としか言いようのない部分を直視して、それが私たちの現実なのだと受け入れることである(4〜5頁)」。つまり特定のイデオロギーに偏った見方はしないと宣言しているわけであって、宗教や戦争というテーマになると、とかくイデオロギーまみれの議論になりがちなので、この文を読んで安心したというわけ。ただ「宗教と戦争の関係を体系的に分析するものでもない」というくだりを読んで、冒頭に書いた私めの当初の期待とはやや異なる内容が書かれているのかなとも思った。
ということで本論に入りましょう。まず「第一章 軍事のなかの宗教的なもの」。章題にあるように「軍事のなかの宗教的なもの」に関するトリビア的豆知識が羅列されているという印象があり、「ヘタレ翻訳者の読書記録」でトリビア的豆知識を紹介してもあまり意味はないので基本的には省略する。ただし二点だけ引用しておく。その一つは芸術と宗教と軍事の歴史的なつながりを指摘した次の箇所。「大砲はその最初期からキリスト教文化とつながっていたとも言える。というのも、大砲は巨大な金属の筒なので、それを製造する際には教会の鐘をつくる技術がそのまま応用されたからである。人を殺すための新兵器は、平和を象徴するはずの道具の延長上にあったのだ。また、大砲はブロンズ像をつくる芸術家の技術の応用だったと指摘されることもある。レオナルド・ダ・ヴィンチが宗教画を描く一方で、新しい武器のアイディアも考案していたように、またミケランジェロも砲術や築城術に精通していたように、かつて「芸術」と「宗教」と「軍事」の三つはゆるやかに連続していたとも言える(10頁)」。「芸術」はひとまず置くとして、この見方が本書の通奏低音をなしているとも言えるでしょう。芸術や宗教というと、軍事とはまったく無縁であるように思えるかもしれないが、決してそうではない。それらはいずれも、著者の言う「良くも悪くも人間的としか言いようのない部分」なのですね。
それから宗教の定義について次のようにあることをここで押さえておきましょう。「「宗教」とは何かというと、神やその他何らかの超越的な存在に関する信仰、教義、儀礼などの体系、それらに基づいた人間生活の究極的な意味に関連する世界観や人生観、もしくは社会的な制度、規範である。これまで哲学、人類学、社会学、心理学など、さまざまな観点から「宗教」の定義が試みられてきたが、結局「宗教」の定義は宗教学者の定義だけあるなどとも言われ、宗教学の世界ではいかなる対象や条件にも当てはまる普遍的な「宗教」の定義は不可能であるとされている。だが、いずれにしても、宗教とは個々人の価値観や社会の慣習や伝統と深い関わりをもつ営みであって、科学的合理性や実証主義とは別の基準によって営まれているものだと言えるだろう(17〜8頁)」。とりわけ最後の一文に着目されたい。「宗教とは個々人の価値観や社会の慣習や伝統と深い関わりをもつ営み」、すなわち私めが言う中間粒度を支えるメカニズムの一つなのであって、「科学的合理性や実証主義とは別の基準によって営まれているもの」なのですね。神学校起源の大学の禄を食んでいるドーキンスが裸足で逃げるほどの無神論者である私めが、ドーキンスら無神論の四騎士の宗教をめぐる見解を否定的に見ているのは、まさに彼らが以上の点をガン無視しているようにしか思えないからなのですね(あっと! あとで紀伊國屋さんにしばかれそう)。たとえて言えば、『ミッション・インポッシブル』シリーズやジェームズ・ボンド映画を観て「そんなん現実にはあり得ないじゃん!」と言っているのと同じように聞こえる。ちと、言い過ぎか。
ということで次は「第二章 戦場で活動する宗教家たち」。最初にキリスト教と戦争の関係が次のように述べられている。「宗教改革の以前も以後も、キリスト教徒はさまざまな戦争に関わってきた。戦いを黙認し、あるいは推奨し、義務付けることも珍しくなかった。アウグスティヌス、トマス・アクィナス、そして宗教改革の立役者であるルターも、カルヴァンも、さらに二〇世紀のラインホルド・ニーバーなど、これまで主流派の神学者たちのほとんどは絶対平和主義者ではなく、正戦論者であったと言ってよい。彼らは皆、決して戦争を称賛するわけではないが、やむをえない範囲内の武力行使は認める立場をとってきたのであり、決して非暴力主義者ではなかった。キリスト教徒のなかには、純粋な非暴力主義や絶対平和主義の立場にたって武器を捨てようと叫ぶグループも、あるにはある。しかし、そうした彼らが「主流」となって社会に影響力を発揮して、実際に非暴力主義・絶対平和主義の非武装国家を実現した例は一度もない(67〜8頁)」。何しろローマ教皇のなかにも軍隊を先導していた人物がいるくらいだしね。
こういうことを言っていると「だから一神教はあかん。世界が多神教信者だけになれば世界平和が実現するはず」とか何とかいう御仁が必ず現れる。しかしこれは歴史的に明らかな間違いだと言える。そもそも神道的、仏教的な多神教的世界観が浸透し、世界でもっとも一神教の普及がむずかしい国の一つと言われている日本も、戦争をおっ始めたわけだしね(最近ではおっ始めるよう仕向けられたという見方もあるが、それについてはここでは触れない)。もちろん著者も日本における例を次のようにあげている。「宗教を信仰する者たちが武器を手にして戦うという例は、もちろんキリスト教だけではない。例えば、日本の仏教においては、いわゆる「僧兵」と呼ばれる者たちがいたことが知られている。「僧兵」という言葉自体は近世における造語のようだが、武器を手にして戦う僧侶はすでに五世紀の中国におり、日本では一〇世紀中頃から目立つ存在になっていったようである。彼らは僧侶でありながらも武芸を身に付け、仏法守護の名目で戦闘に従事した。特に興福寺・東大寺・延暦寺・{園城寺/おんじょうじ}などはその兵力が強大で、相互の勢力争いのみならず、朝廷にも{強訴/ごうそ}するなど、政治的にも無視できないものであった。彼らは一時期かなりの影響力をもっていたが、戦国時代末期になって、織田信長の比叡山焼打ちや、豊臣秀吉の{根来寺/ねごろじ}焼打ちと刀狩などにより消滅した。こうした「僧兵」は、もちろんキリスト教の十字軍や騎士修道会などとは歴史的文脈が全く異なるのでパラレルに論じられるものではないが、既存の宗教団体と密接な関係をもった武装集団であったという点では似たものであろう(68〜9頁)」。そう言えば思い出した。昔パソコンゲームにうつつを抜かしていた頃(30年以上前の話だからオンラインゲームではない)、光栄の『信長の野望』とかシステムソフト?の『天下統一』を徹夜でやっていると、加賀などの地方に盤踞する一向宗の僧兵(と呼んでいいのかよくわからんけど)の戦力がやたらに強大で、「こいつら坊さんや信徒の集まりのくせにチートじゃん!」と思って真夜中にひとりで発狂していたことがあった。あっと! ゲームは35歳になったときにきっぱりとやめました。何しろゲームをやっているとすぐに徹夜とかしてしまう意志薄弱の私めなので、時間が無駄になることに気づいたのですね。だからすんでのところで廃人にならんかった。偉い! でも、その代わりに引き籠りヘタレ翻訳者になったというね。第二章の残りは、「従軍チャプレン」に関する記述がほとんどで、かなりマニアックなトピックになるからここではスキップする。
「第三章 軍人に求められる「精神」」は、章題どおり軍人精神が扱われている。その点において太平洋戦争当時の日本軍はかなり特殊であったことがのちの章で論じられているが、この章では日本のみならず世界史のもとにおける軍人精神が扱われている。さまざまな歴史的な事例が紹介されているけど、ここでは次章の昭和の日本の状況との対比に用いられている、『戦争論』のクラウゼヴィッツの考えのみを取り上げましょう。最初に次のようにある。「クラウゼヴィッツによれば、「戦争は政治的交渉の一部に他ならず、それだけで独立したものではない」。戦争はあくまでも「政治の道具」であり、実際の戦争は「政治そのものの表現にほかならない」のである。そうした意味で彼は「戦争は盲目的な激情による行為ではない」とも述べている。¶ただし、クラウゼヴィッツは、戦争を狭い意味での「政治」との関連のみで議論しているわけではない。彼は「精神」「心」「意志」「性格」「情意」「感情」「士気」など、人間の内面的なものについてもかなり細かな言及をしており、戦争の理論においては「人間的なもの」「精神的力」を考慮に入れねばならないとはっきりと述べているのである。クラウゼヴィッツ研究の第一人者であるマイケル・ハワードも『クラウゼヴィッツ『戦争論』の思想』のなかで、クラウゼヴィッツがいかに「精神力」を重視していたかについて繰り返し言及している。こうした点は、決して意外なものではなく、むしろクラウゼヴィッツの基本的な戦争理解からの必然だとも言える。というのも、彼は実際の戦争というのは決して計算可能な論理のみによって進むものではないと考え、戦争を「ギャンブル」のようなものだとみなしていたからである(124〜5頁)」。私めを含めクラウゼヴィッツの『戦争論』を実際に読んだことのない人は(何しろ原著で約八〇〇頁ある大著なのだそう)、どうしてもクラウゼヴィッツと言えば「戦争とは、異なる手段による政治の延長に他ならない」という名言?を残した人物としてしか考えていないように思われる。しかしその印象は実際とは違うらしい。選書本の著者はさらに次のように述べている。「クラウゼヴィッツは、実際の戦争における不確かな状況を埋めるのは人間の「勇気」と「自信」だとして、それらを「戦争に本質的な原理」、あるいは「軍事的美徳のうち不可欠にして最も気高いもの」とも呼んでいる。戦闘力について述べている箇所でも、彼は「物理的戦闘力」だけでなく「精神的戦闘力」ないし「精神的要素」についても考慮に入れることが重要だと述べ、両者を引き離すことはできないとしている(125〜6頁)」。次に著者はクラウゼヴィッツの「軍事的天才」という概念を取り上げる。それは次のようなものなのだそう。「「軍事的天才」においては、「心の力」が軍事的活動に集中していなければならないが、単に「武勇」が求められているというだけではなく、戦争に向いた「情意」と「知性」とを調和をもって合一していなければならないとされる。彼は「精神」や「心」という言葉を用いながら「軍事的天才」について説明しようとするのだが、同時に「知性」の重要性についても繰り返し述べている(127頁)」。
さて、ではクラウゼヴィッツの言う「精神」とは、「精神論」などという言い方に示されているような日本的意味における「精神」と同じなのかというと、そうではないと著者は言う。次のようにある。「彼が「精神」「情意」「心」などに言及する際、それらは決して非合理的、非科学的な認識や力(いわゆる「根性」「信念」など)について述べているわけではなく、あくまでも「知性」(Verstand)と不可分なものとして捉えられているという点が重要である。まずはこの点をおさえておきたい(128頁)」。またクラウゼヴィッツは、「「死」の問題についてはほとんど触れなかった(135頁)」らしい。クラウゼヴィッツのこの特徴は、第二次世界大戦中および戦前の日本軍の姿勢と比べると非常に興味深いものになる。次のようにある。「こうした点は、この生粋の軍人[クラウゼヴィッツ]の戦争観や人間観の、何か根本的な部分を暗示しているようで興味深い。というのも、次章で扱う昭和の日本軍においては、戦争や軍事について論じるうえで、むしろ過剰なまでに「死」について触れられているからだ。(…)日本軍においてはクラウゼヴィッツとは全く異なり、「統帥ニ関スル学理」は、すなわち「『死』ニ関スル学理」であるともみなされていたのである(135頁)」。
ということで第三章の残りはすっ飛ばしてクラウゼヴィッツの見方と対比されている、精神主義に篭絡された昭和の日本軍の姿勢について論じられている「第四章 「宗教的服従」を説いた軍隊」に参りましょう。著者は実はこの姿勢の起源を「大正デモクラシー」に求めている。もちろんこれは、「大正デモクラシー」が日本軍の精神主義を生み出したという意味ではなく、「大正デモクラシー」によって醸成された反軍感情に抗う形で精神主義が生まれてきたことを意味する。次のようにある。「そして大正時代、それは西暦では一九一二年から二六年にあたるが、その時期の日本社会には、軍隊や軍人を批判することが進歩的であり知的であるような雰囲気があったことが、幾人かの歴史学者によって指摘されている。街では軍人が人々から絡まれたり、列車内や路上で{罵倒/ばとう}されたりすることもあったという。税金泥棒と{揶揄/やゆ}されたり、人力車への乗車を拒否されたりすることなど珍しくなかったため、軍人は制服を着て外出することを嫌がるようにさえなっていたのである。いわゆる「大正デモクラシー」の時代は、世論や政党は日本軍に対して厳しい軍縮要求をしており、それが実行されると、軍人たちは経済的にも不遇の状態におかれた。職業としての魅力もなくなり、結婚さえ困難なことも珍しくなかったと言われている。大人が軍人を侮蔑すれば子供も自然と軍人を軽視するようになり、士官は憧れの職業どころではなかった(190頁)」。これは「大正デモクラシー」の頃の話だけど、「軍」を「自衛隊」に置き換えれば、現代も似たような状況にあると言えるよね。「その時期の日本社会には、軍隊や軍人を批判することが進歩的で知的であるような雰囲気があった」と書かれているが、これは「現代の日本社会には、自衛隊や自衛隊員を批判することが進歩的で知的であるような雰囲気がある」としても大きな間違いではないように思える。何しろ災害救助に従事しているのに「人殺し」と呼ばれ、シーレーン防衛を終えて海上自衛隊の護衛艦が日本に戻ってくると、港には同様なメッセージが書かれたプラカードを掲げたデモ隊が待ち受けているなどといった有様だからね。昔も今も自国を防衛する軍隊を批判する輩がかくも多い国は日本以外にあるのだろうかと思えてくる。こういう風潮がいかにまずい結果をもたらしうるかについてはあとで述べる。著者はさらに次のように続ける。「大正期の日本社会で軍人はネガティブな目で見られる傾向があったということは、後の日本軍のイメージからすると少々意外だと感じられるかもしれない。だが、かつてはそうだったということが、昭和の日本軍について考えるうえでは無視できないようだ。日本社会における軍人蔑視の雰囲気が一気にひっくりかえったきっかけは、一九三一年の満州事変である。それまでの反動として、今度は日本の大衆はやたらと軍人を持ち上げるようになっていった。そうした時代の空気のなかで軍人が台頭して、四〇年代前半の「特攻」や「玉砕」をへて一九四五年の敗戦へと至るのである(191頁)」。
満州事変が転機となったとあるが、ここで次の事実を思い出す必要がある。つまり満州事変で関東軍をけしかけて好戦的な風潮を煽っていたのは、よく知られているように朝日新聞を始めとするほぼすべての大手紙であったということを。まあこの前の米大統領選ではっきりとわかったように、大手メディアは昔からロクなことをしてこなかったのですね。要するに、大手メディアのほぼすべてが戦前・戦中は軍国主義という右派イデオロギーに、戦後は絶対平和主義を始めとする左派イデオロギーに一種のバンドワゴン効果によって流されてきたということ。ほぼすべての大手メディアがたった一つのイデオロギーに固執している点では、戦前も戦中も戦後も現代も何も変わりはしない。しかもその大手メディアの権威を信じ込んでいる人々が現代でも大勢いる。この問題については、最終章で「平和」が論じられる箇所でより詳しく取り上げる。いずれにせよ、だからこそネットの集合知によって情報の伝達手段を独占している少数の権威的な大手メディアを抑制する必要があるわけ。ネットに誤情報が含まれるのは確かだが、むしろネットは権威的、独占的な大手メディアに歯止めをかけられる、集合知の源泉をなす包括的な全体としてとらえられるべきだというのが私めの考え。個人に焦点を絞れば確かにネットでフェイクを流したり、それを信じたりする人はいくらでもいるが、ネット情報を集合知としてとらえれば、ほぼすべての大手メディアが特定のイデオロギーに染まった情報を一斉に流す場合より(その状況が「大正デモクラシー→左→満州事変→右→敗戦→左」と連綿として続いてきたわけ)、バランスの取れたかなり正確な情報が抽出できるのですね。それなのにネット規制を強化するのであれば、それは言論統制にあたるばかりでなく、これまで常に存在してきた情報の偏りを是正する絶好の機会をつぶす、現実を無視した愚策のきわみだとしか言いようがない。なお集合知に関しては西垣通著『集合知とは何か』などを参照されたい。
それから著者は精神主義の伸長の背景には、軍縮もあったことが次のように指摘されている。「昭和日本軍の精神主義は、必ずしも軍部が自ら望んで育んだのではなく、時代状況や大衆の意識など、軍の外側にさまざまな背景があったことを鑑みたうえで評価する必要があるだろう。日本におけるこの軍縮期は、戦車や飛行機などが多く投入された第一次大戦の直後であり、つまり軍事的技術革新の時代であった。本来であれば積極的に予算や人員を増やしてしっかりと軍事と向き合い、軍の近代化をすすめることが重要だったのだが、日本人は結果として自ら軍の近代化を拒んでしまった。やがて多くの日本人を苦しめることになる昭和日本軍の精神主義は、資金や物的資源の不足という問題だけでなく、軍縮要求という形をとった平和主義や反軍感情など、大正デモクラシーにおける大衆の“善意”を土壌にして生まれ育ったようにも見えなくもない(196〜7頁)」。この文章また「大正デモクラシー」の頃の日本のみならず、現代の日本にも当てはまるようにも思える。もちろん今となっては自衛隊が精神主義に取り憑かれることはまずないだろうが、すでに戦争をおっ始めているプーチンのロシア、ここしばらく軍拡を続けている習近平の中国、ミサイルを飛ばしまくっている金正恩の北朝鮮が日本の周囲を取り囲んでいる現代において、日本だけ防衛力を増強することができなければ、近未来の日本の運命はこれら専制国家の手に握られることになる。現代の日本と同様、絶対平和主義に取り憑かれていたウクライナが、そんなことは歯牙にもかけないプーチンのロシアに攻め込まれたことは誰もが知るところだよね(ゼレンスキーでさえ侵略される直前までロシアを煽るなと言っていたように覚えている)。戦前・戦中の日本軍が批判されてしかるべきである理由は、それが侵略軍だったからであって、防衛を目的とした現代の自衛隊をそれと同列に扱うとするなら、それはとんでもない誤りだと言わざるを得ない。第四章の残りは、日本軍の精神主義を具体的に表す例を、『統帥綱領』、『統帥参考』、『歩兵全書』、『従軍兵士ノ心得』、荒木貞夫著『皇国の軍人精神』などの文献を参照しつつあげている。ただ細かくなるうえ、昭和初期?の漢字+カタカナの表記が恐ろしく読みにくいこともあってここでは省略する。
次は最終章である「第五章 宗教と平和のアイロニー」。最初の例として、まずは満州事変の中心人物であった石原莞爾が取り上げられている。何でも彼は日蓮宗の仏教組織「国柱会」に入会していたらしい。そして自著『戦争史大観』のなかで、「日蓮聖人の「前代未聞の大{闘諍/とうじょう}[大きな戦争]一{閻浮提/えんぶだい}[私たちが住むこの世界]に起こるべし」は私の軍事研究に不動の目標を与えた(227頁)」と述べているのだそう。このように、彼の「思想と行動に宗教が大きく関わっていたことは明らかである(228頁)」と選書本の著者は述べている。ちょっと余談になるけど、今年お星さまになった満州出身の大指揮者小沢征爾の名前は満州事変の中心人物であった板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつ取ったものであることはよく知られている。けっこうやばそうな名前だよね。私めが子どもの頃にはクラウディオ・アバドやズービン・メータ(だったかな?)とともに若手三羽烏と呼ばれていたのが昨日のことのよう(ウルウル)。ちょっと脱線したけど、著者は国柱会に入会していた他の名士の一人として宮沢賢治をあげて、「正反対のタイプにも見えるこの莞爾と賢治が、実は同じ宗教団体に属していたというのは非常に不思議だと感じられる(228頁)」と述べている。ただそれに関して宮下隆二氏の本を引用して、「賢治は心のユートピアを目指したのに対して、莞爾は現実のユートピアを実現しようとした(229頁)」のだとしている。「現実のユートピア」という言い方は撞着語法に聞こえるが、要するに実際にこの世にユートピアを構築しようとしたという意味なのでしょう。まあ言いたいことはわからないでもない。二人とも現実離れしていたという点では結局同じで、だから宗教に帰依していたというのはよくわかる。
次に別の「宗教と平和のアイロニー」の例として、キリスト教における軍事的イメージについて論じられている。それに関する具体例をいくつかあげたあとで、著者は次のように述べている。「キリスト教的伝統において、「信仰」は「戦って維持するもの」と理解され、それは軍隊的な「服従」に類似したものとしてもイメージされてきた。もちろん現在のすべてのキリスト教徒が日常的に信仰をそのようなものとして自覚しているとは限らないが、伝統的には明らかにそうした表現や姿勢があったし、それは今でも残っている。その「戦い」の相手は、異教徒か、無神論者か、あるいは悪魔か、それとも自分自身か、それは人や状況によってさまざまであろう。だが、とにかく「戦い」なのである(241頁)」。カトリックとプロテスタントという、同じキリスト教内の派閥?同士でも戦い合ってきたわけだしね。このあたりは一般の日本人にはわかりにくい。著者も次のように述べている。「最近の自称「平和主義者」の信徒たちは、こうした軍事的な比喩が気に食わないかもしれない。しかし、聖書を勝手に書き換えることは許されないので「キリストの兵士」といった表現やイメージをこの宗教から抹消することはできない。現に聖書に「わたしたちの戦い」と書かれているのだから、信仰の姿勢はそのようなものであると受け止めないと聖書に反することになってしまう(241〜2頁)」。
それからこの引用の直後に書かれている宗教と戦争の結びつきに関する記述はなかなか興味深い。次のようにある。「宗教社会学者のマーク・ユルゲンスマイヤーも、宗教と戦争・テロリズムについて論じた文章のなかで「暴力や戦争は、常に宗教的想像力の一部であった」と述べている。「戦い」のイメージは、キリスト教に限らず、さまざまな宗教的伝統の歴史や神話のなかに組み込まれているのである。そうしたことを念頭に置くと、戦争や暴力といったものは、必ずしも何らかの目的を達成するための手段というだけでは理解し尽くせないものではないかとも思えてくる。戦争研究者のジョン・キーガンは、「戦争は人間の歴史と同じくらい古く、人間の心のもっとも秘められたところ、合理的な目的が雲散霧消し、プライドと感情が支配し、本能が君臨しているところに根ざしている」と述べ、戦争とはつまり「文化の不朽化の試み」であるとも表現した。彼のいう「文化」とは、共通の信条、価値観、神話、タブー、習慣、伝統、マナー、思考様式などを指している(242頁)」。その意味でも、前述したように、宗教と戦争の結びつきを解明するためには、進化科学、認知科学、文化人類学などの学際的な知識を総動員する必要があるだろうと個人的には考えている。
次に著者は「平和」について論じている。まず次のようにある。「一般に「平和」は、戦闘行為とは真逆のものとして語られる。しかし、「平和を勝ち取る」という表現にもさほどの違和感はないように、実際には「平和」もまた「戦って手に入れるもの」であり、「戦って維持するもの」だと理解される傾向があるだろう。私たちは、戦いというものから逃れたい、戦いのない世界で生きていたい、と思っている。しかし、戦いのない環境は戦いに勝つことによってしか得られない、という大きなジレンマを抱えているわけである。これは特定の宗教文化圏に限った話ではなく、人間や社会に普遍的な宿命であるだろう(243頁)」。「「平和」もまた「戦って手に入れるものであり、「戦って維持するもの」だ」というくだりになると、日本の絶対平和主義者はだんだん眉を顰め始めるだろうが、このことは北欧やスイスなどの徴兵制を敷いているヨーロッパの国々が歴史を通じて身に染みて理解していることなのですね。スイスなど、徴兵制の継続を問うて一度国民投票を実施しているが、結局それによって継続することに決まったはず。つまり日本と違って、国民レベルで「平和は戦って手に入れるもの」という見方が共有されていることになる。ヨーロッパのど真ん中で永世中立国であることの代償は大きいのですね。
著者は次のように述べてさらに畳みかける。「「平和」は、「愛」や「希望」などと似た綺麗な抽象的概念のように扱われがちである。しかし、実際には「平和」はあくまでもこの世の具体的な現実の問題に他ならない。それは清らかな無私無欲から追求されるものではなく、むしろ人間的な欲望から、此岸的な利益として、求められるものである。平和とは、政治・経済・法律・教育・医療・福祉などさまざまな制度や組織などがうまく調和し、公平性が保たれて、争いや差別もなく、人々がそれぞれ生きがいを持ち、おおむね満足できているような社会の状況を指すものである。「平和」とは、さまざまな現実への具体的な働きかけによって構築したり維持したりするものであるから、あくまで「戦争・軍事」と同じ地平で検討されるべきものであるだろう(243頁)」。最後の一文は、個人的には「平和は地政学的なレベルで検討されるべきものだろう」という意味で捉えた。であれば私めもその通りと思う。ただし平和の基盤は第一に中間粒度、すなわち人々の生活がかかった共同体的社会が安定していることにあるとも思っている。
さらに著者は日本の絶対平和主義者には耳が痛そうな次のような指摘もしている。「戦争が終わると、人々はもうかつてのように「必勝への信念」は叫ばなくなった。しかし、その代わりに今度は「平和への信念」を叫ぶようになった。そして、かつての拠り所であった「大和魂」の代わりに、今度は別の魂として「憲法九条」があらわれた。つまり「戦争」に対する姿勢がそのまま「平和」に対する姿勢にスライドしただけで、結局は信念や信条や心意気のようなものでどうにかしようとする傾向はそのまま受け継がれてしまっているように見えるのである。そうした意味では、小室直樹が戦後日本の平和主義を指して「一つの信仰にまでたかめられている」と皮肉を言ったことは正しいような気がする。戦中の日本人も戦後の日本人も、今の私たちが思っているほど正反対にはなっていない。軍国主義から平和主義に「回心」したつもりだったけれども、単に服を着替えただけで、中身の人間は実はまだ同じような目つきをしているのではなかろうか(260頁)」。これはなかなか鋭い指摘で、私めも「戦中の日本人も戦後の日本人も、今の私たちが思っているほど正反対にはなっていない」のではないかと思っていた。それは前述した大手メディアにはっきりと見て取ることができ、その大手メディアの権威を信じている大勢の人々も、ネットが力を持ち始める今日に至るまでその風潮に踊らされてきたというわけ。要するに戦前・戦中の軍国主義者も、戦後の絶対平和主義者や「9条信者」も、結局イデオロギー、引用文中の言葉を借りれば信念、信条、心意気、信仰に絡み取られていた(る)ことにまったく変わりがないのですね。イデオロギーや信念、信条、心意気、信仰といったものは、前回取り上げた『哲学者たちのワンダーランド』で紹介した、スピノザによる想像の知、理性の知、直観の知という三区分のうち想像の知に相当する。この想像の知が現実世界に強引に適用されると、認知科学者のヒューゴ・メルシエがわが訳書『人は簡単には騙されない』で提起している開かれた警戒メカニズムのチェックを受けないがゆえに悲惨な結果が生じうることは、両者を紹介したページを参照されたい。
だから絶対平和主義者の叫ぶ「平和」とは、「現実への具体的な働きかけによって構築したり維持したりするもの」などではなく、理念的な想像の世界にしか存在し得ないものだと言える。この診断は、やや異なる形態で選書本の著者も指摘している。次のようにある。「平和の構築や維持というのは、戦争や軍事と同様に、人間や社会の状況に対する具体的な働きかけに他ならない。そうした意味で、「平和」への取り組みは、「戦争」への取り組みとあくまでも同じ地平にある。したがって、「必勝への信念」でもって戦争に勝とうとしたことが愚かだったとするならば、「平和への信念」でもって素晴らしい社会を構築しようとすることもどこかずれている。平和な社会を作ってそれを維持するには、戦争と同様に、冷徹な戦略、戦術、そして十分な装備と補給が必要であるだろう(260〜1頁)」。最後の一文は、まさに「平和は地政学的なレベルで検討されるべきものだろう」という主張に聞こえる。だから「安全保障」と聞いただけで全身がさぶいぼと化すような人々は、現実世界で理性の知と直観の知を駆使して生きているのではなく、幻想の世界で想像の知にたぶらかされて生きていると言えるのですね。
著者は最後に、吉田満著『戦艦大和ノ最後』を取り上げたうえで次のように述べて本書を締め括っている。「吉田によれば、平和の問題とは、気持ちのいい議論や景気のいい宣伝とは無縁の「泥まみれな、血みどろの世界」の話である。平和論というのも「泥臭い模索と苦闘の積み重ね」に他ならない。¶そうであるならば、私たちが、本当に、真心をもって見つめるべきなのは、小綺麗でセンチメンタルな平和主義ではない。むしろ、私たち自身の生々しい矛盾や、限界や、醜さの方なのではないだろうか。自分自身を把握することこそ、あらゆる戦略の立案と実践において、最重要なものだからである(280頁)」。ということで、個人的な感想としては、著者がもっとも強調したかったテーマは、最終章で論じられている「平和とは何か?」ではないかという印象を受けた。この著者の平和の見方には、ほぼ全面的に同意できる。キナ臭くなってきた二一世紀において、現実を無視して平和を語ること、それどころか理念的な平和イデオロギーをゴリ押しすることは悲惨な結果しか生まないという個人的な見解を述べることでこの本の紹介を終えることにしましょう。
※2024年11月28日