◎伊藤直著『戦後フランス思想』(中公新書)

 

 

戦後フランス思想というと、どうしてもフーコー、ドゥルーズ、デリダらのポストモダン思想が思い浮かぶんだけど、この新書本は、それとはやや毛色の異なるサルトル、カミュ、ボーヴォワール、メルポン、バタイユらがおもに取り上げられている。「まえがき」には、「『戦後フランス思想』と銘打たれた本書は、第二次世界大戦が終結した一九四五年から、構造主義が台頭してくる六〇年代初頭にかけてのフランスで、旺盛な執筆活動や言論活動を展開した作家や思想家たちの紹介を目的としている(@頁)」とはっきり書かれている。

 

ということで、まずは実存主義者サルトルの話から始まる。最初に、哲学というより文学作品である『嘔吐』が取り上げられている。有名なマロニエの樹のシーンが引用され、次のような解説が続く。「まず注目されるのはやはり一連の隠喩的表現である。たとえば、マロニエの根やベンチなどの事物は、ふだんはヴェールを被せられていたり、ニスで覆われていたりと、本来の姿ないし存在が隠蔽されているらしい。では、ヴェールやニスとは何を{喩/たと}えたものなのか。引用中の文言を借りれば、「言葉」、事物の「意味」や「使い方」、「個別性」などがそれに該当するだろう。というのも、ほとんどの事物にはあらかじめ言葉ないし名前がつけられている。ロカンタンが対峙している植物にはマロニエという名が、彼が居る空間には公園という名称がそれぞれ与えられている。個々の事物の意味や使い方も普段ははっきりしている。ベンチは人がその上に座るための道具、公園の芝生は散策や憩いの空間といった意味や使用法をたずさえて、それぞれがしかるべき場所に配置されているのを私たちは知っている。¶しかしながら、何かの拍子で、慣れ親しんでいる個々の事物の意味や使用法が、あたかもヴェールをはぎ取られ、ニスが溶けだすかのように事物の表面からはげ落ちてしまったらどうなるだろうか。その際には、いままで当たり前に眺められていた日常世界が崩壊し、無意味で不可解な塊となって出現するかもしれない(19頁)」。こういう文章を読んでいると、「サルトルは現象学をベースに哲学的探究を開始した(22頁)」という事実がよく理解できる。つまり現象学的還元によって世界から意味という過剰なヴェールやニスをはぎ取ることで、逆に人間の根源的様態において世界がいかに投射されているのかを探ろうとした現象学的な見方が一部、『嘔吐』のマロニエのシーンに反映されていると見ることができる。われわれが当たり前のものとして前提としている日常世界が崩壊した場合、それが当人にどう経験されるかについては、たとえば現象学的精神医学者ヴォルフガング・ブランケンブルクが書いた『自明性の喪失――分裂症の現象学』に登場する精神病患者の臨床例を読んでみればよくわかる。彼らは、まさに自明性を喪失した世界、つまり日常的な意味を完全に剥奪されたロカンタン的世界を実存的に生きているのであって、それはそのような世界も論理的にありうると健常者が考えるのとは大違いなのですね。

 

新書本の著者は次のように続ける。「事物から意味が抜け落ち、むき出しの存在が現われるといった異様な経験に直面したロカンタンは、物も人もすべて、根本的には意味もなく偶然に存在しているというひらめきを得る。と同時に、彼を襲った吐き気の原因にも気がつく。この世界の一切は、もちろんロカンタン自身も含めて、無意味に存在しているに余計者にすぎない。こうした存在の無償性や不条理性、それに漠然と襲われた際に吐き気が生じていたのだ。(…)人間はこの世界の無意味な余計者であるし、すべて存在するものは猥雑で胸をむかつかせる。もっとも、『嘔吐』が喚起するこうした存在の偶然性や不条理性は、サルトルにとっては結論ではなく出発点である。というのも、物語の結末が示唆するように、人間は無意味に存在しているからこそ、どこまでも自由であるといった逆転の発想に基づき、サルトルは実存主義と呼ばれる自らの哲学を構築していくのだから(20〜1頁)」。あのマロニエのシーンがかくも有名なのは、このシーンに代表される現象学的なパースペクティブが、のちのサルトルの実存主義の出発点、そして根源として存在するからなのでしょうね。

 

次に、『存在と無』におけるサルトルの実存主義哲学が取り上げられている。「即自存在」だとか「対自存在」だとかいった、いかにも哲学的な概念に関する説明は飛ばして、ここでは結論部分だけを引用しておきましょう。次のようにある。「このように、これまでの自分を乗り越えて、新たな自分になろうという「企て」に即しつつ、自らを未来に向けて「投げだす」ことを、サルトルは「投企(projet)」と呼ぶ。人間の存在が構造的に自由である根拠が見出されるのは、まずはこの投企の運動においてである。すなわち、事物のように同一性にがっちりと拘束されているのではなく、新たな自分や、新たな目標や可能性に向かうことで、人間は絶えず自らを乗り越えて(「超越」して)いけるからこそ自由なのだ。一つの目標が達成されれば、さらなる目標へと、挫折した場合にも異なる目標へと自己を投げることで、留まることなく自分自身を更新していく軽やかで自由な存在――サルトルによれば、それが人間である(24頁)」。実存主義の基盤には、この投企の考えがあるという点を念頭に置かれたい。ちなみに投企は差異、あるいは距離を前提とした見方なので、これが距離を捨象した瞬間的な内的体験、至高性を重視するバタイユとの論争をもたらしたことは、のちの章で詳しく述べられている。この論争についてはあとで取り上げるけど、それに関連する箇所をのちの章から一つだけ引用しておきましょう。次のようにある。「サルトルおよびボーヴォワールの実存主義では、投企とは、これまでの自分に拘束されることなく、未来の自分や目的へ向けて既存の自己を絶えず乗り越えていくという点で、人間の自由のあかしともなっていた。しかしながら、将来手にすべき成果を推測して現在時において行動するというのは、「逆説的な時間のなかに存在する方法」であり、「{実存を将来に延期することである/傍点}」とバタイユは批判する。(…)ここからは、バタイユが企てと行動のなかに隷属のしるしを見出しながら、それらの「正反対」とも定義される内的体験をその果てまで辿ろうとする理由が見えてくる。というのも、脱自=恍惚に特徴づけられる内的体験では、明瞭な主体的意識はもはや維持されず、何らかの行動を意識的に企てることも不可能となるからだ。結果として、企てや将来への隷属から逃れた「恍惚――あるいは瞬間の自由――が」生まれる。そして「現在という時をその現在という時以外にはなにものも目指さずに享受する」といった、非隷属的な実存様式が開示される。¶こうした現在時を現在時のために生き尽くし、それ以外の一切を歯牙にもかけない在りかたを、すなわち「何にも隷属しない瞬間的な生の自律性」を、バタイユは「至高性」とも呼ぶ(161〜2頁)」。サルトルの投企の考えは、今からするときわめてオーソドックスで、どこかオッサン臭い印象があるのに対し、バタイユの至高性の考えは、「今を生きる」的な響きがあって、とりわけ若者には受けがよさそうに思える。個人的には、いずれの考え方も極端になると危険だと考えているけど(バタイユの場合は最初から極端だよね)、それについてはあとで述べる。

 

いずれにせよ、サルトルの実存主義がかつて一世を風靡したのは次のような理由からだった。「人間は出来合いの本質を持ち合わせていないがために、なるべき自分を自由に選択し、未来に向けて自らを投げ出せる(「投企」する)し、そうしなければならない。こうした自由を主軸とするサルトルの無神論的実存主義は、神や理性といった従来の価値観が崩壊した戦後の空気とマッチしながら、新時代の思想として、あるいは新たな福音として、各国の人びとの心を捉えた。たとえ神が存在しなくても、人間は虚無にとらわれ、途方に暮れる必要はもはやない。自らの進むべき道を自由に定めて、自らの足でどこまでも歩けるし、そうしなければならないからだ。このように告げる実存主義は、世界の一切の価値を否定する{虚無主義/ニヒリズム}ではなく、新たな時代に相応しい自由な人間の姿を肯定する{人道主義/ヒューマニズム}として、人生の意味を模索する戦後の人びとの前に{颯爽/さっそう}と登場したのだった(27頁)」。これだけを見ると自由を謳歌するサルトルの実存主義は、バラ色の未来を約束する楽観的な思想に思えてくるかもしれない。そもそもだからこそ、未来がまったく見えない戦後の暗い時代に受けていたのでしょうね。ただし自由を真に謳歌するためには、当然ながら責任がともなう。サルトルもその点を無視していたわけではない。というより、サルトルの自由の考えからすれば、自由には責任がともなうことは必然的な要件になる。次のようにある。「実存主義的な自由には責任がつきまとう。「人間は最初は何ものでも」なく、「自らが作ったところのものになる」のであれば、生まれながらの悪人は存在せず、悪事の理由を育った環境などのせいにもできないだろう。あくまで自由意志に基づき悪行を積み重ねてきたからこそ、悪人になったわけだから、自らの行為によって作り出した自己に対する責任を常に引き受けなければならない。¶自由と責任は表裏一体を成している。それが戦後のサルトルが提唱した作家の{政治的社会参加/アンガジュマン}の根底にもある(28頁)」。「XXの自由」を連呼するばかりで、それには責任がともなうことをガン無視している現代日本のエセ知識人の姿をサルトルが見たらどう思うだろうかと考えざるを得ない。

 

サルトルの次に取り上げられているのは作家のカミュ。ただしカミュについては、共産党を擁護していたサルトルとの有名な論争について書かれた章がのちにあり、そこで取り上げることにする。とはいえ、サルトルとの論争にも関係するカミュの共産主義に対する見方が反映されているので、『反抗的人間』に関して述べられている次の箇所は、ここで取り上げておきましょう。「階級なき社会の実現というイデオロギーのもとに粛清や弾圧を正当化し、強制収容所などの暴力装置も内包しているソ連型の支配システムに対する反抗を、カミュはここ[『反抗的人間』]で痛切に訴えているのだ。¶しかしながら、こうした反抗の訴えは時代の空気と絶望的に乖離していた。というのも、人類の幸福な未来を約束する共産主義的思潮は、終戦直後から権威と魅力を増大させ、労働者から知識人にいたるまでの多くの人びとを惹きつけていたからだ。たとえば、一九四五年のフランスの制憲議会選挙では、共産党は一二六議席を獲得して第一党となっている。ソ連もまた、強制収容所や強制労働の実態が暴かれていくにもかかわらず、それでも多くの人の目には、階級なき社会へと向かう人類の希望の担い手であり続けていた。結果として、「私の著作のなかでも一番重要な著作」とカミュが位置づけていた『反抗的人間』は、激しい批判や冷笑、無理解に{晒/さら}された(77〜8頁)」。だから実際、サルトルとの論争でも、カミュは自分が生きているうちは常に劣勢を強いられていたというわけ。

 

カミュの次は、元祖フェミニストとも言えるボーヴォワールだけど、他のフェミニストの本は読んだことはあっても彼女の本はまったく読んだことがないし、またこの本を読んだ限りでは、彼女の主張は相棒のサルトルと大きくは変わらないように思えたので省略する。ただ彼女の思想とはまったく関係のない、戦後フランス思想の文脈からすればどうでもいいことを一点だけ指摘しておきたい。それは次の記述に関して。「二一世紀の世界でも『第二の性』は決して古びていない。こんにちの日本でもそうかもしれない。世界経済フォーラムが発表した二〇二三年のジェンダーギャップ指数(各国の男女の平等を示す指標)が、調査対象になった一四六ヶ国中で一二五位と過去最低の順位に低迷し(…)(113頁)」。ジェンダーギャップ指数ではそうだとしても、実は国連開発計画が作成しているジェンダー不平等指標では日本は一六二ヶ国中二二位らしい(たとえばこれこれを参照されたい)。不思議なのはジェンダー問題が取り上げられると、個人的に見た限りでは必ず世界経済フォーラムのデータが引用されていること。これは国連のデータより世界経済フォーラムのデータのほうが正確ということなのだろうか? しかも普段は国連アゲに忙しいような左派ですら、世界経済フォーラムの数値を取り上げている(たとえばこの朝日新聞関連の記事を参照されたい。国連のジェンダー不平等指標にはまったく言及されていない)。まあ左派はどうしても日本サゲしたいらしいから、普段は支持しているはずの国連のデータを無視して、世界経済フォーラムのデータをチェリーピッキングしているという可能性はある。国連のデータではなく世界経済フォーラムのデータを採用しなければならない理由って何だろう? それよりももっと問題なのは、どちらも一般にはまともと考えられている機関が実施しているにもかかわらず、これだけの差が出るのは指標をどう取るかによって順位など簡単に変わるからだと言えそうなこと。そんなあいまいなデータを根拠に、ジェンダーギャップをうんぬんするのがほんとうに妥当なのかについては、個人的には疑問を感じざるを得ない。そもそも日本が独裁国家の中国より順位が低いというのは、どう考えても奇妙なんだが・・・。誰も彼もが抑圧されていれば、かえってジェンダーギャップは縮まるということなのかな?

 

さてボーヴォワールの次は、本書で扱われている主要な思想家、哲学者のなかでは私めにとってもっとも馴染みのあるメルポンさん。著者はメルポンの考えを次のように要約している。「フッサール現象学の根幹をなす還元を、メルロ=ポンティは『知覚の現象学』の序文にて、「還元のもっとも偉大な教えは、完全な還元というものは不可能であるということだ」と明記している。こうした指摘は、彼が現象学をその限界まで導いていったとも評されるゆえんでもあるのだが、なぜ不可能なのか。先回りの形で端的に答えるのならば、人間は、とりわけその身体は常に世界に深く根付きながら存在している。人間とは「世界に委ねられた一つの主体」ないし「世界内存在」である以上、還元の手続きを何度繰り返しても、世界との緊密な結びつきを完全に断ち切ることはできない。世界の手前、あるいはどこでもない場所にまで退いて、そこから世界を対象とするような純粋意識にまで後退することも不可能だ(122頁)」。人間は本質的に世界の外に立って、傍観者的立場から世界を把握することは決してできないとする考えは、のちに取り上げられるサルトルとカミュの論争でも焦点になっている。ではメルポンは、フッサール流の現象学的還元の方法をまったく無益なものと考えていたかというとそんなことはない。次のようにある。「メルロ=ポンティにおける現象学的還元とは、「私たちを世界に結び付けている志向性の糸」を切断するのではなく、一時的にゆるめることを意味する。その結果、普段は自明であるがゆえにかえって気づくことのない、世界との緊密な結びつきのもとに営まれている私たちの生の一端が、束の間であるが見えてくるのだ。そして、まずはそれを「記述することが肝心なのであって、説明したり、分析したりすることではない」ともメルロ=ポンティは述べる。『知覚の現象学』は、知覚ないし見ることを徹底的に問い直しながら、知覚の主体は純粋意識ではなく身体であることを、そしてそれが何を意味するのかを順次解明していく(122〜3頁)」。『知覚の現象学』は邦訳で一度、英訳で一度読んでいるけど、こういう見方、つまり世界との結びつきを切断するのではなく、緩めることで人間の生のあり方が形成される様態を明確化しようとする方法論、記述を重視すること、そして知覚の主体を抽象的な純粋意識ではなく具体的な身体に求める考えが、私めには非常に魅力的に思えてくるんだよね(もちろん難解な大著なのでどの程度理解できたかは別の話としても)。だから応用範囲がきわめて広い。先にあげたブランケンブルクらの現象学的精神医学や、現象学的社会学のような現象学の派生分野は、事実がどうなのかはよく知らんけど、メルポンの考えから派生したと見なすと合点がいくような気がする。

 

せっかくなので『知覚の現象学』に言及している箇所をもう一つ挙げておきましょう。「伝統的な心身二元論の根底を崩す形で、身体は単なる物体でもなければ、純粋な精神や意識でもない、いわば両義的なものだとメルロ=ポンティは考える。というのも、身体とは常に世界に根付き、世界を知覚する非人称的なもう一つの主体であり(…)、知覚や運動を通じて獲得した習慣を暗黙の知として備えてもいる。(…)はたして、人間の意識的で主体的な生の水面下には、知覚と運動の担い手である身体による無言の営みの層があることを、『知覚の現象学』は委曲を尽くして検証したのだった。(…)メルロ=ポンティは、自己意識が芽生える以前から、さらにはそれ以降もずっと、人間の身体が非人称的な主体として、世界と密接に関わりながら存在しているとみなす。その上で、人間の主体的な認識や判断が、実は身体的な知覚や運動に支えられていることを、微に入り細を穿つ形で解明してみせたのだった(132〜3頁)」。まず指摘しておくと、メルポンは、「知覚や運動を通じて獲得した習慣」を暗黙の知ととらえているということらしい。それに関して言えば、個人的には「暗黙の知」は習慣のみならず、人類が進化の過程で獲得し遺伝的に受け継がれてきたものでもありうると考えている。そう考えれば、実はメルポンの考えは、現代の進化生物学を基盤とした認知科学を提唱している、わが訳書『人は簡単には騙されない』の著者ヒューゴ・メルシエ氏や、メルシエ氏との共著『The Enigma of Reason』のあるダン・スペルベル氏の見方にかなり近いように思えてくる。とりわけ最後の「人間の主体的な認識や判断が、実は身体的な知覚や運動に支えられていることを、微に入り細を穿つ形で解明してみせた」というくだりに注目されたい。つまり認知や合理性の基盤は、遺伝を含めた身体の領域に端を発する直観という形態を取るというメルシエ&スペルベルの見方に近い考えをメルポンも抱いていたことがわかる。メルシエ&スペルベルについてはこれまで何度も取り上げてきたので、ここではこれ以上触れないけど、たとえば最近では『魔女狩りのヨーロッパ史』で少し詳しく言及したのでそちらを参照しておくんなまし。

 

それからメルポンを扱った章の最後のほうにある次の記述は非常に重要なので、引用しておきましょう。「終わりなき探究というのも、世界は常に一定の角度から、一定の射影を通じてしか眺められず、その全貌をとらえられない以上、いまここに現れている世界の姿や意味をたとえ精確に記述し省察できたとしても、それは最終的な結論や普遍的な真理にはなり得ないからだ。だが、そのことは同時に、自然世界あるいは歴史的世界の現在は見えていない部分も、将来は見える可能性があることを常に教えてくれてもいる。だから、こんにち辿り着いた結論は、明日は、そこからまた新たに世界や歴史へと臨んでいく序論へと更新されていく。メルロ=ポンティが言うように、「哲学とはおのれ自身の出発点が繰り返し更新されていく経験である」し、それは「一つの対話、あるいは終わりなき省察」でもあるのだ(147〜8頁)」。まさに一度にはある一つのパースペクティブからものごとを見ることしかできないという人間の知の本性からすれば、そもそも普遍的真理を一挙に把握することなど不可能なのであり、終わりなき探究が知の探究の本質的なあり方にならざるを得ないのですね。この姿勢には、一〇〇パーセント同意する。

 

お次はバタイユだけど、『内的体験』や『呪われた部分』などの主著が取り上げられる第5章はすっ飛ばして、サルトルとの思想的対立が語られる第6章にいきなり参りましょう。ちなみにバタイユの著書は、『呪われた部分』と『エロティシズム』(澁澤龍彦氏の本にはまっていた頃に彼の訳でよんだはず)は読んだ記憶があるけど、他は読んだ記憶がまったくない。まず『内的体験』におけるバタイユのサルトル批判に関して次のようにある。「人間は何らかの目的を企て、その実現のために行動を起こす。たとえば、食べるために働き、明日の労働の力を得るために食べるといった具合に。だが、こうした企てと行動のサイクルに従事した人間のあり方は、バタイユによれば隷属的である。現在の自分および現在時を未来の目的に従属させているのだから、「企てとは、明かに奴隷の行為」なのだ。そこで企てや行動の「正反対」とされる内的体験が徹底的に掘り下げられる。明瞭な自己意識が解体するような特異な恍惚体験のもとでは、将来のための行動を意識的に企てることは不可能となり、「瞬間の自由」のなかで、人間は現在という時間を打算なく生きる至高な存在となる、と示したのだ。¶こうした思想をサルトルは受け入れられないだろう。事実、彼は一歩も譲らずこう切り返す。「内的体験は企ての反対物だと私たちは聞かされている。だが、著者のこうした考えにもかかわらず、私たちは企てで{ある/傍点}。というのも、サルトル(およびボーヴォワール)の実存主義の根本理念によれば、人間とは企てないし「投企」であり、「超越」であり自由である。何らかの目的を常に企て、その実現に向けて自らを未来へと投げる(投企する)ことで、これまでの自分に拘束されることなく、それを不断に乗り越えていく(超越していく)点にこそ、人間の自由の深遠な根拠があるのだ。¶だが、こうした思想をバタイユは受け入れられないだろう。端的に述べれば、企てあるいは投企のなかにバタイユは人間の隷属のしるしを、サルトルは人間の自由のあかしをそれぞれ読み取っているのだから、両者は相容れないどころか、互いの眼に互いが狂人のように映ってもおかしくはない(192〜4頁)」。こうしてみると、差異や距離を徹底して否定するバタイユと、人間の自由の根源に差異や距離(たとえば今の私vs将来の私)を見出すサルトル(とボーヴォワール)は、まったく水と油だと言わざるを得ない。和解の余地など一ミリもないでしょうね。個人的には、差異や距離をまったく捨象した「至高性」を絶対視するバタイユの思想はきわめて危険だと思っている。そもそもバタイユの考えには、きわめて宗教的な、しかも狂信的な側面が存在しているようにも思えるしね。ならばサルトルに軍配を上げるべきかと問われれば、「イエス」とは言えない部分がある。それはサルトル対バタイユの論争においてではなく、サルトル対カミュの有名な論争で明瞭になるのでそれを扱った「第7章 歴史の狂騒との対峙」に参りましょう。

 

まず指摘しておくと、本書のメイン登場人物であるサルトル、カミュ、ボーヴォワール、メルポン、バタイユの五人のうち、バタイユを除いた四人はマルクス主義や共産主義、あるいは共産党やソ連の存在の擁護もしくは否定という、政治的側面にも大きく関わっていた。サルトルとボーヴォワールは擁護派で、メルポンは当初は過激と言えるほどの擁護派だったようではあるものの、ハンガリー動乱以後?の晩年には態度を変えていたらしく、またカミュは終始否定派だったらしい。彼らが活躍していた頃は共産主義が全盛だったこともあるのでしょうね。サルトルとカミュの論争のことの発端は、「サルトルが主催する総合誌『現代』の編集委員であった若き哲学者フランシス・ジャンソンが、「アルベール・カミュ、あるいは反抗する魂」と題した論文を『現代』五二年五月号に発表したこと(210頁)」にあったらしい。ジャンソンのカミュ批判は次のようなものだったとのこと。「カミュは「歴史のなかで、歴史に対する」人間の集団的反抗を[『反抗的人間』のなかで]分析し、さらにはそれを提唱しているにもかかわらず(…)、実際は歴史を無視しているのだとジャンソンは論難する。そして、「私たちは不断に歴史を作る」のだから、「もし少しでも世界の流れに影響を及ぼそうとするのであれば、反抗はゲームのなかに加わり歴史的コンテクストのなかに組み込まれる必要がある」と断じつつ、「なにはともあれ『反抗的人間』は失敗した偉大な書である」と論を結んでいる(212頁)」。これに激怒したカミュは、「批判の矛先を、ジャンソンを無視して、『現代』の編集長であり、実存主義の{首魁/しゅかい}であるサルトルへと公然と向けた(212〜3頁)」らしい。かくしてサルトルに送りつけた公開状の主旨は次のようなものだった。「そのなかで、ジャンソンは「歴史を作る」というマルクス主義ないし共産主義的立場から『反抗的人間』を批判しているのだが、階級なき社会の実現という歴史の「終焉=目的(fin)」を想定するイデオロギーと、人間の根源的な自由を表明する実存主義とは根本的に折り合わないはずだと問い詰める(212頁)」。ということは、カミュはバタイユのサルトル批判に類似する批判をサルトルに対してブチ上げていると言えそうだけど、カミュの場合には明らかにマルクス主義や共産主義をターゲットとしていたという点で、バタイユの批判とは異なる。そもそもバタイユの批判は彼の普段の主張からして、あまり政治的な批判にはなりにくそうな気がするよね。

 

ではそれに対してサルトルはどのような再反論をしたのか。次のようにある。「未曽有の破壊と荒廃をもたらした第二次世界大戦を経て、互いに核武装した東西両陣営が一触即発の形で睨み合う冷戦の時代が幕を開ける。歴史ないし現代史の流れは恐怖と混迷に満ちている。それでも、誰しもが自らをとりまく歴史的状況のなかに拘束されているのだから、歴史の傍観者ではなく当事者として行動し、然るべき方向へと歴史を導くことこそが重要なのだ。自らの{政治的社会参加/アンガジュマン}の理論を辿り直すかのように、サルトルはそう宣言しつつ、歴史への{不参加/デガジュマン}を決め込むカミュの姿勢を{舌鋒/せっぽう}鋭く批判する(214頁)」。このようなサルトルの考えのなかで、私めがもっとも気になるのは、上の文章で言えば「歴史の傍観者ではなく当事者として行動し」の部分はよしとしても、「然るべき方向へと歴史を導くことこそが重要なのだ」という部分なのよね。「然るべき方向」とはどういう方向で、いったい誰が決めるのだろうかという疑問が当然湧いてくる。マルクス主義や共産主義がその答えを出してくれると考えていたとしたなら、それは特定のイデオロギーに肩入れすることになる。歴史の流れとはそのようにして人為的、しかも特定のイデオロギーを信奉する人々によって決められるべきものなのだろうか? ここにはサルトルの実存主義の「投企」という概念の必然的な政治的帰結が垣間見られる。バタイユは差異や距離をなし崩しにするという極端に走ったのが問題だった(と私めには感じられる)のに対し、サルトルは現代の状況と、自分があるべきと考える未来のあいだの差異や距離を埋めるために一種の政治的言説に走る、あるいは走らざるを得なくなることが私めには彼の大きな問題であるように思えてしまうのですね。この「自分があるべきと考える未来」がなぜ普遍的だと言えるのか? 結局、「俺たちはエリートなんだから、その俺たちの言うことを聞け!」というエリート主義に陥らない保証がいったいどこにあるのだろうか? それを明確にしない限り、サルトルの考えは、バタイユの極端とは逆の極端の問題を引き起こすと個人的には思う。実際、共産主義はスターリン、毛沢東、ポル・ポトのもとで悲惨な状況を生み出したわけだしね。そもそも特定の世代の人々が考えた理想を、未来世代にまで押し付けようとすることは傲慢と言えないだろうか? 結局、未来の理想の世界を想定して、歴史の終焉つまりユートピアを夢想する思想は、現在における現実世界ではつねに破壊をもたらす。これがフランス思想以来の左派の度し難いアポリアだと私めは考えている。もちろん右派にもそれは当てはまる。ちなみにここで言う右派とは、現在の現実世界を重視する保守派のことではなく、左派とはベクトルを逆にして過去に理想の世界を求める、たとえば国粋主義を指す。そのような右派は過去に理想の世界を求めて、現実世界を破壊するのですね。ナチズムや、現在ではプーチンの大ロシア主義などがそれに該当する。その点では左派も右派も変わらない。ちなみに左派メディアには、保守主義と右派の国粋主義をごっちゃにして印象操作をすることがあるので(あるいは単にその区別ができるだけの知識も能力もないのかもしれないけどね)、それに騙されないよう十分に注意されたい。

 

新書本に戻ると、その後、メルポンによるサルトルの批判や、メルポンに対するボーヴォワールの反論が取り上げられているけど、それについては枝葉末節に思えたので省略する。最後に、主要登場人物以外で、本書にそれなりに言及のある唯一の戦後フランスの思想家であるレヴィ=ストロースが登場するので、それについていくつか取り上げることにしましょう。まず次のようにある。「人間は歴史を作る――こうした時代の共通認識に異を唱えて、戦後フランス思想のターニングポイントを作ったのが、レヴィ=ストロースである(235頁)」。ここまで見てきたようにバタイユを除けば、戦後の一時期を画したフランスの主要な思想家は動態的な歴史観を抱いていた。静態的な構造主義を唱えたレヴィ=ストロースは、その風潮に異を唱えたのですね。たとえば「野生の思考」に関するレヴィ=ストロースの見方に言及して次のようにある。「「野生の思考を規定するものは、人類がもはやその後は絶えて経験したことのない激しい象徴意欲であり、同時に全面的に具体性へ向けられた細心の注意力」なのだ。トーテミズムや神話も、五感で直接捉えた具体的な動植物を素材にして、器用に組み立てられた知的な仕事(ブリコラージュ)にほかならず、きわめて多彩な弁別的思考において構築された一大体系を持っている。その解明には、レヴィ=ストロースによれば、現代数学や物理科学の理論を必要とするほどなのだから、「野生の思考は私たちの思考と同じ意味において、また同じ方法によって論理的なのである」。¶とはいえ、具体的な事物に細心の注意を向ける野生の思考は、抽象的な理論や推論に基づく科学的思考とは相反するようにも見える。だが、それは科学的思考の前段階などではなく、それ自体独立した体系を持っており、いわば「具体性の科学」でもある。だから、野生の思考と科学的思考[の]、両者を対立させたり、優劣をつけたりするのではなく、「認識の二様式として」並置すべきだとレヴィ=ストロースは提案する(237〜8頁)」。これはまさに、前述したメルシエ&スペルベルの理性や合理性に関する考えに近いように思える(ただしメルシエ&スペルベルは進化生物学を基盤に立論しているけど、静態的な構造主義を唱えるレヴィ=ストロースが動態的な進化生物学を基盤に据えるとは思えないとしても)。あるいは「知覚や運動を通じて獲得した習慣」を暗黙の知ととらえているメルポンも、「投企」を最重要視するサルトルやボーヴォワールとは違って、レヴィ=ストロースの野生の思考から大きくかけ離れているわけではないようにも思える。

 

サルトルの歴史観に対しては、レヴィ=ストロースは次のように考えていたらしい。「たとえば、サルトルはカミュに対して、「私たちは頭のてっぺんまで歴史のなかにいる以上、私たちにとって最良と思える方向性を歴史に対して与えることが重要なのである」と述べていた。共産主義者との連帯を表明してからは、「共産党は歴史に支えられており、驚くべき客観的知性を有している」とも記していた。¶だが、このように後ろ盾にされる「歴史」とは、そもそも何を指しているのかとレヴィ=ストロースは問う。「それは、人間がそれと知らずに作っている歴史のことなのか、あるいは歴史家がそれと知って書くような人間の歴史のことなのか、あるいは結局、哲学者によって解釈された人間の歴史もしくは歴史家の歴史なのか」がはっきりしない。いずれにせよ、サルトルが述べる内容は、「彼自身が属する西欧社会の古今の構成員たち」に特有の生き方や考え方を説明するものであっても、「異文化社会」については該当しないと切って捨てる。(…)これまで地球上に現れたどの社会にも「人間の生の持ちうる意味と尊厳のすべてが凝縮されていた」のだから、文明的あるいは未開的であれ、任意の社会の「どれかただ一つだけに人間のすべてがひそんでいるのだと信じるには、はなはだしい自己中心主義と単純素朴さが必要である」と『野生の思考』の著者は強く警鐘を鳴らす(238〜40頁)」。このレヴィ=ストロースの見解はまさに、私めがサルトルの思想に感じる危険性、すなわち「「自分があるべきと考える未来」がなぜ普遍的だと言えるのか? 結局、「俺たちはエリートなんだから、その俺たちの言うことを聞け!」というエリート主義に陥らない保証がいったいどこにあるのだろうか?」という危惧にもつながるように思われる。またその点に関して、新書本にも次のようにある。「人間は歴史を作るという観念も必ずしも普遍的な真理ではなく、あくまで地球の一部の地域で流行しているローカルな思想なのかもしれない。そうなるとまた、「最良と思われる方向性を歴史に与える」だとか、「共産党は歴史に支えられており、驚くべき客観的知性を有している」といった主張のほうこそが、歴史なき人間たちや、具体的な事物に細心の注意を払う野生の思考の持ち主たちの眼には、雲を摑むような抽象的な神話に映るかもしれない。かくして、民族学者にとって、サルトルの哲学とは西欧に流通している「現代の神話」を解明するための「第一級の民族誌的資料である」とも、レヴィ=ストロースは皮肉とユーモアを交えて攻撃する(240頁)」。そのような「現代の神話」のなかには、フランス革命以後の欧米人が抱いている、理性や合理性に対する誤った信念も含まれると私めは考えている。もちろん欧米人のみならず、現代の日本人の多くもその点を完全に誤解している。ここで現在読み直しているマーシャル・マクルーハン著『Understanding Media』に、「rationality(合理性)」についておもしろい一文があったので紹介しておきましょう。次のようにある「「コモンセンス」は何世紀にもわたって、一つの感覚に起因する経験をあらゆる感覚へと変換し、その結果を統合化されたイメージとして継続的に心に表象する人間の特異な能力と考えられていた。それどころか、この諸感覚がさまざまな比率で統合化された結果として生じるイメージは、長らく合理性のしるしとさえ見なされてきた(Routledge版66〜7頁)」。ここでマクルーハンが言う感覚(sense)とはおそらく視覚や聴覚などの知覚感覚のみを指しているのだろうと思うけど、個人的にはそれに体性感覚、直観、情動、認知、そしていわゆる理性も加えてとらえたい。つまり、合理性とはこれらの能力のすべてが合わさって初めて成立するのであって、表面的な論理思考だけではとても合理性など成立し得ない。まさに近現代になって、このような統合的なイメージとしての合理性がどこかに吹き飛んで、単なる論理思考だけのやせ細った単線的、線型的な「概念」や「イデオロギー」が跳梁跋扈するようになってしまったというわけ。

 

ということで、戦後フランス思想と言っても、一時期おしゃれな思想としてもてはやされていたフランスのポストモダン思想家に対する言及はほとんどないけど、それだけにその前段階の思想がどのようなものであったかがわかって、なかなかお勧めの本だと言えると思う。ただタイトルだけを見てフーコーやドゥルーズやデリダらの思想が解説されていると思い込んで買った人は、「こんなはずじゃ」と思うかもしれないけどね。てか、私めも最初はそう思って買った口なので大きなことは言えないのだが・・・。

 

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※2024年4月30日